月光神社2010年06月21日 02時06分41秒

「ここで会ったが百年目! 覚悟なさい!」
 キーンという強い耳鳴りが回復してくると、目の前に巫女姿の女性が立っていた。すごい形相で僕のことを睨んでいる。
「も、萌……?」
 僕は恐る恐る恋人の名を呼んでみる。耳鳴りが起きる前まで萌と一緒に居たはずなのに、目の前には全くの別人が立っている。萌は柔らかな頬っぺたがキュートな癒し系なのに、僕を睨むその女性は細い眉に引き締まった顎の和風美人だった。
「お前は私のことを忘れたのか?」
「君は萌? 萌じゃないのか?」
「なんということだ……」
 僕がその女性を認識できないでいると、彼女は落胆の表情を浮かべた。
「折角、月日を越えて再びお前に会えたというのに、私のことを忘れているとは……」
 気落ちしながらも月光を浴びて凛とした姿勢のまま僕を睨み続けるその姿に、萌とは違った魅力を感じていた。
 いったいどうしてこんなことになってしまったのだろう?
 満月は周囲を明るく照らしている。見渡すとここは神社の境内のようだ。目の前には小ぢんまりとした社殿とそれを囲む木々。振り返ると手すりの向こうに街の灯が見えるので、ここは高台に位置しているようだ。
 この神社は――そうだ、月光神社だ。耳鳴りが回復するにつれて、僕はだんだんと状況を思い出してきた……

 僕は恋人の萌と一緒に、月光神社の夏祭りに来ていた。藍色の浴衣をまとい髪をまとめて来た萌は、いつもより色っぽく見えた。出店で金魚すくいや綿菓子を楽しんだ後、二人きりになろうと奥社まで登ってきたのだ。
「萌、この神社に祭られているのはどんな神様だか知ってる?」
「やだぁ、洋介。そうやって私のこと、怖がらせようとしてるんでしょ」
「ははははは、それもあるんだけどね。面白いんだよ、ここの神様。月光を浴びると変身する力を持っているんだって」
「じゃあ、ご利益があったら困るじゃない。月を見ると、私達も尻尾が生えてきちゃったりして」
「そんなこと言ってると、本当に尻尾が生えてきちゃうぞ。だって今日は満月なんだから」
 そう言いながら僕は空を見上げる。満月は東の空に上りかけていた。 「尻尾じゃなくて猫耳だったら生えてきてもいいわよ」
 萌がニャオーンと猫の泣きまねをする。そんな彼女はとても可愛らしい。
 僕はリアル猫耳を付けた萌の姿を思い浮かべながら奥社に向かう。そんなやましい気持ちのまま、社殿に手を合わせたのがいけなかったのだろうか。「猫耳」と呟きながら目を閉じた僕は、突然キーンという耳鳴りに襲われた。隣では萌も頭を抱えていたから、同様に耳鳴りに襲われていたのだろう。奥社から出てきたなにかが僕の頭の中に強引に入り込んできたような感覚。萌の手からぽとりと金魚を入れたビニール袋が落ちた……

 そうだ、あの金魚はどうなった? 
 僕が慌てて足元を見ると、金魚がビニール袋のまま地面に落ちていた。どうやら金魚は無事のようだ。月明かりに青い尾ビレがゆらゆらと揺れている。
「お前は私のことよりも、金魚の方が大事なのか?」
 巫女姿の女性がさらに怒りを露にする。
「僕は君のことを知らないんだけど……。君は誰? 萌じゃないんだろ?」
「なっ! お前は私達の千年の絆を忘れたのか!?」
「絆だか怨念だか知らないけど、君と会うのは初めてなんだけど」
「そこまで言うなら仕方が無い。強硬手段をとらせてもらうぞ」
 そう言って、巫女姿の女性が頭の上で大きな円を描くように手を振る。すると僕は、一切の身動きが出来なくなった。
「な、何をする……」
「だから言っているだろ。千年の契りを交わすのじゃ、今ここで」
 女性は僕の目を見ながら、ゆっくりと近づいて来る。
 ゴクリ――僕が唾を飲み込み音が響いたんじゃないかと思うほど辺りは静まり返っている。
 鼻同士がくっつくんじゃないかと思える距離まで近寄ってきた女性は、いきなり僕に口付けをした。彼女の口から僕の口の中に、何か得体の知れない液体が流れ込む。僕は思わずその液体を飲み込んでしまった。すると胸から胃にかけて焼けるような感覚が僕を熱くする。どうやら、何か強い蒸留酒のようなものらしい。
 どこにこんな酒を隠していたのだろう? そんなことを思う間もなく僕は急激な睡魔に襲われ、意識を失った。

 僕が目を覚ましたのは神社の境内だった。苔の生えた柔らかな土の上に、浴衣姿の萌も横たわっている。起き上がると夜が明けようとしているのがわかった。月はすっかり姿を消しているが、街の灯はまだ点っている。夜明け前の空はどこまでも青く、宇宙まで突き抜けるようだ。
 えっ、夜明け前? 携帯で時間を確認すると午前四時だった。あわわわわわ、やっちまった。これじゃ、萌と朝帰りだ。彼女の両親になんて説明すればいいのだろう。
 でも、やましいことは何もやっていないし、ちゃんと両親に説明すればわかってくれるはずだ……
『千年の契りを交わすのじゃ、今ここで』
 その時、昨夜の巫女姿の女性の言葉が脳裏に蘇る。昨夜はいったい何が起こったのだろう? あの女性は誰なんだろう? あの後、僕はあの女性と契りを交わしたのだろうか? 契りを交わしたということは、僕は萌とやましいことをしてしまったのか?
「ふわわわわ、お早う、洋介」
 頭の中がはてなマークで一杯になった頃、萌が目を覚ました。
「あれ? 何で私、こんなところで寝てるのかな」
「萌、昨夜の事、何か覚えているか?」
「えっ、昨夜って?」
「ほら、そこの奥社に二人で手を合わせただろ。その後、キーンって耳鳴りがしなかったか?」
「あー、そんなことがあったような気もするわ」
 どこまでもお気楽モードな萌。普段はそこが可愛いんだけど、こんな時には頼りなく思ってしまう。
「そんなことがあったかも、じゃなくて、ちゃんと思い出してくれよ」
「別にそんなことどうでもいいじゃない。そうだ、それよりも私の金魚は!?」
 あんな不思議な体験をしたのに金魚の方が大事なのかよ、と思いながら僕も金魚を探す。金魚はビニール袋のまま、昨夜と同じ場所に落ちていた。街の向こうから顔を出した朝陽が当たり、ゆらゆらと揺れる金魚の尾ビレが赤く光っている。
 萌は浴衣の土を払いながら起き上がり、金魚のビニール袋を拾った。
「良かった~。金魚ちゃんが無事で。洋介、行きましょ。気にしなくていいわよ、友達の家に泊まったって親には言うから」
 そうか、そういう手があったか。僕は少し安心した。そのせいか、昨夜の不思議な体験よりも、今日の予定の方が気になりだした。萌の言う通り、すぐに帰って仕度をしなくてはならない。今日も仕事が僕達を待っている。昨夜の出来事はとりあえず忘れて、後でゆっくり考えることにした。

 一ヵ月後。僕は萌を再びデートに誘った。
『千年の契りを交わすのじゃ、今ここで』
 あの日から、巫女姿の女性のことが気になってしょうがない。ゆるい性格の萌が、あの凛とした女性に本当に変身したのだろうか? その真偽は今夜判明するはずだ。なぜなら今夜は満月の夜なのだから。
「ねえねえ聞いて、洋介。あの時の金魚に赤ちゃんが生まれたのよ。しかも二匹も! 母親に似て二匹とも真っ赤なの」
 食事をしながら、目を輝かせて金魚について熱く語る萌。そんな彼女の姿はやっぱり可愛い、と思いつつ、またあの巫女姿の女性にも睨まれてみたいと望む僕は異常なのだろうか。
 食事を終えてレストランを出ると、東の空に満月が浮かんでいた。それを見たとたん――キーンという耳鳴りに僕は再び襲われる。隣では萌も頭を抱えているから、同じ現象が起きているのだろう。やはり僕達はあの夜、月光を浴びて変身する能力を身に付けたのだ。耳鳴りが治まってくると、僕は期待を込めて萌の方を見た――そこには、青い金魚が一匹、地面でバタバタしていた。
 僕は慌てて金魚を手ですくい、何か入れ物を借りようとレストランに飛び込む。
 これはどういうことだ? 萌が青い金魚に変身した? ということは、巫女姿の女性の正体は何なんだ? えっ、金魚すくいの赤い金魚? すると最近生まれたという金魚の赤ちゃんというのは……?
 レストランで借りたボールの中を元気良く泳ぎ回る青い金魚を見ながら、僕の頭の中でもいろいろな考えがグルグルと回っていた。



即興三語小説 第60回投稿作品
▲お題:「絆」「酒」「どこまでも青」
▲縛り:「擬音語を使用する(最低ひとつ)」「緊迫感のあるシーンを描く(任意)」
▲任意お題:「月光」「尻尾」「あわわわわわ」「ここで会ったが百年目!」「凛とした」

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