遙、十七歳2010年06月12日 23時59分18秒

「あ~、テトラポット登って~」
 潮の香りに誘われて海が見える場所に出ると、綺麗な歌声が聞こえてきた。
「てっぺん先睨んで、宇宙に靴飛ばそう~」
 消波ブロックの上で、一人の少女が歌を歌っている。歳は十七、八くらいだろうか。この歌は、確か――最近流行っているaikoの『ボーイフレンド』だったような気がする。
 青い海と白いワンピース。澄んだ秋の大気ならではの目の覚めるような青と白のコントラストに、俺は目を奪われる。すると少女が歌を止め、静かにこちらを振り向いた。
 目が合った瞬間、胸がキュンと締め付けられる。それが、俺と遙との出会いだった。

 一目ぼれ、というのだろうか。
 不思議なのは、少女の方も俺のことを見初めたような様子であったことだ。
 まるで、道端の石ころの中からキラキラと光る宝石を見つけたような――そんな瞳で少女は俺を見つめてきた。
「私の名前は遙。あなたを待っていた」
 遙と名乗るその少女とは初対面のはずだったが、どこか懐かしい既視感に囚われる。
「君は俺の事を知っているのか……?」
 それは同時に俺自身への問いでもあった。俺は君の事を知っているのか?
「ええ、ずっと昔から」
 彼女の言葉を信じるなら、二人は子供の時に会ったことがあるのだろう。俺はそれを忘れてしまっているのだ。
「あなたは今年で十七歳。私と同じ歳になった」
 遙は俺の歳を言い当てる。しかも確信を持って。きっと幼馴染だったに違いない。俺が生まれた昭和二十二年は、戦後のゴタゴタで日本がまだ落ち着いていなかった時代。子供にとって色々なことがありすぎて、彼女との出会いを覚えていられる余裕がなかったのだろう。

 十七歳同士の俺と遙は、すぐに意気投合した。そして俺は遙をデートに誘う。
 行先は――子供っぽいとは思いながら『ガメラランド』を選んだ。そこは、俺が生まれた年に公開された特撮映画『大怪獣ガメラ』に因んだテーマパーク。カメの甲羅を思わせる巨大なドームが特徴的で、『巨大カメランド』と揶揄されることが多いが、最近完成したデートスポットとしてなぜかカップルに人気があった。
 その理由は、ガメラランドに入るとすぐに分かった。甲羅状のドームは昼でも薄暗く、カップルがいちゃつくにはちょうど良い雰囲気なのだ。俺も他のカップルにならい、アトラクションを待つ間、遙の手をそっと握る。
「あなたの手、昔と変わらない……」
 驚く様子もなく、指を絡めてくる遙。まるで俺の手の感触を確かめるかのように、何度も指を行き来させている。俺は温かくなる胸の奥の感触を逃さないように、ぎゅっと遙の手を握り返した。
 二人乗りのボート型アトラクションに乗ると、俺は勇気を出して遙の肩を抱いた。すると遙も俺に体を預けてくる。華奢で柔らかい遙の肩の感触。俺は彼女を抱きしめたい気持ちで一杯になった。
 夕食までアトラクションを楽しんだ後、ドームを出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
 ドンドンドン!
 突然、花火の轟音が響き渡る。見上げると、花火を用いて動物、鳥、昆虫たちが夜空に描かれていた。
「綺麗ね、夜の蝶も……」
 夜空を見上げる遙の瞳にも、花火がキラキラと写っている。俺はそっと彼女を抱き寄せ、静かに唇を重ねた。

 恋に落ちた十七歳の俺と遙が、さらに親密な関係となるのは時間の問題だった。
 終戦翌年の日本は、どこもかしこも衣食住が乏しい状態。両親のいない独り身の俺は、川辺のバラックで生活していた。
「豚小屋みたい」
 初めて俺の家を見た遙はそう言った。
「雨が凌げるだけまだマシさ。稼いで稼いで、そのうち豪邸に住んでやるんだ。お前と一緒にな」
 俺が拳に力を入れると、遙は穏やかな笑顔を見せてくれた。
 夜になると、家の中を照らすのはロウソク一本だけ。ほのかな灯りの中で露になる遙の柔肌は、この世のものとは思えないほど美しかった。俺は、バラックが軋みを上げるのも構わず、遙を愛し続けた。

『aikoさんの紅白歌合戦への初出場が決まりました』
 病院の待合室でテレビのニュースていると、診察室から遙が戻ってきた。
「お待たせ。おめでただって」
「そうか、良かった」
 十七歳の俺と遙の間に子供ができた。十八歳で俺は父親になる。
「きっと男の子よ」
 自信たっぷりに遙は言う。俺も男の子がほしいと思っていた。
「わかるのか?」
「ええ」
「コイツは俺達と違って二十一世紀生まれだな」
 俺が遙のお腹をさすると、遙も幸せそうに目を細める。
「そうね、私達は生まれた世紀が違っちゃうのね」
 二十世紀の最後の年は、あと一ヶ月を残すだけになった。

 四月から始まった朝の連続テレビ小説『おしん』が人気になるにつれて、遙のお腹は順調に大きくなっていった。
 そして八月。俺の誕生日と同じ日に、遙は元気な赤ちゃんを生んだ。
 遙の予言どおり、俺にそっくりの男の子だった。

「十一月に『大怪獣ガメラ』という特撮映画が上映されるらしいよ」
 生まれて二ヶ月になる息子を抱きながら、俺は街に貼られたポスターを指差す。この子には、この巨大カメのように猛々しく丈夫に育ってほしい。しかし遙は悲しい顔でポスターを見つめていた。
「映画が上映される頃には私は居ないから……」
 俺には遙が何を言っているのか分からなかった。乳飲み子を残して居なくなる母親がいるだろうか。
 しかし十月の終わりになると、遙は本当に居なくなってしまった。



「ねえ、パパ。ママはどこにいるの?」
 遙が失踪してからちょうど十一年。二十九歳になった俺は、十一歳の息子を連れて今日も遙を探している。
「必ずパパがママを見つけてみせるよ」
 息子にそう言い聞かせながら、俺は遙が失踪する直前に打ち明けてくれた話を思い出していた。

「ありがとう。この一年間、とても楽しかった。あなたには本当に感謝している」
「『楽しかった』ってどういうことだ? お前は何処かに行ってしまうのか、この子を置いて」
「とても悲しいことだけど。そうね、そうなってしまうわね」
「だったら行くなよ」
「ダメ。私は行かなくてはならない。だって私は、もうあなたしか愛せないんだから……」
 遙が何を言っているのか分からなかった。理解するまで俺は一歩も引かないつもりだった。観念した遙は、ゆっくりと真相を話し始めた。
「驚かないで聞いて。実はね、私は決して年をとらない不死身の人間なの」
 信じられなかった。遙は永遠に十七歳の月日を過ごしていると言うのだ。
「死ねないって辛いのよ。人を好きになっても、その人は先に老いて死んでいく。いつも残されるのは私だけ。最初はそれに耐えられなかった。でも人間って因果なものね。いくら悲しい想いをしても、時が経つとまた違う人を好きになってしまう。そんな繰り返しの中で、私はあなたの祖先と出会い、情熱的な恋に落ちた」
 永遠の命がほしいという話はよく聞くが、実際に手に入れるとそんな苦難があるとは思わなかった。いくら情熱的な恋をしてもそれは一時的なもので、命が永遠だろうが限りあるものだろうが関係ない。
「もうこの人しか愛したくないし、愛せない。直感的にそう悟った私は、ある計画を実行することにした。その人の子供を生んだ後、十七年間姿を消したの。そして私は、十七歳に戻ったあの人を見つけた。運命に導かれるように、二人はまた情熱的な恋に落ちたの」
 違う。違うよ、遙。その人は十七歳に戻ったんじゃない。息子がただ大きくなっただけだ。
「その最初の人はどうしたんだ? お前のことをずっと探したんじゃないのか?」
「さあね。父親には会わないようにしてたから知らないわ。だって年老いた男の人には興味無いもの。でもね、これを何回か繰り返しているうちに、『父親は三十歳くらいで死んだ』と聞くようになったわ。きっと近親交配を繰り返しているうちに、短命になってしまったのね」
 まるで魔女だ。俺の父も三十歳で亡くなった。母さんにまた会いたいと俺に言い残して死んでいった。しかし、不思議と遙を憎む気持ちは湧いてこなかった。
「あなたのお父さんは一九八三年に生まれた。これは『おしん』の年、懐かしいわ。お祖父さんは一九六五年に生まれた。これは『ガメラ』の年。曽祖父は一九四七年で終戦の二年後よ。その前は――もう忘れたわ」
 そうだ、この人は俺の母であり、祖母であり、曽祖母なのだ。初めて会った時に概視感を感じたのは、ごく当たり前の事だった。
「もう行くのか?」
「ええ。あなたとはもうお別れね。楽しかったわ」
「この先もこれを続けるのか?」
「そのつもりよ」
 遙が俺の持つ遺伝子を永遠に愛するために、俺はその輪の一部になる。
 そこで俺はふと、あることを思い出した。
「たとえ世界が終わるとしてもか?」
「えっ!?」
 予期していなかったという表情を見せる遙。いくら遙が永遠の魔女だとしても、世界の終わりには敵いっこない。
「もし世界の終わりが来るとしたら、その時俺はあの場所で待っている」
「――わかったわ」
 ためらいがちにそう言い残すと、遙は俺と息子を置いて姿を消してしまった。

「あっ、海だ! 海だよ、パパ」
 息子の声で俺は我に返る。
 来年で俺は三十歳になる。俺の父は三十歳で死んだ。遙の話によると、他の祖先も三十歳くらいまでしか生きられなかったようだ。だから俺には時間がない。
 でも今日は特別だ。二○一二年十二月――マヤのカレンダーの最後の日。だから俺は、息子と一緒にあの時の海に向かって歩いている。道が丘にさしかかると、その先に青く光る海と漣が見えて来た。
「おっ、海が見えてきたな。もしかしたらあそこにママがいるかもしれないよ」
「えっ、ホント?」  息子は海に向かって駆け出して行く。すると、波音に混じって懐かしい歌声が聞こえてきた。
「あ~、テトラポット登って~」
 あの声は! 俺の歩みも自然と駆け足になっていく。知らぬ間に涙も溢れてきた。
「てっぺん先睨んで、宇宙に靴飛ばそう~」
 海に出ると、波消ブロックの上にあの時と変わらない十七歳の少女が立っていた。



即興三語小説 題59回投稿作品
▲お題:「テトラポット」「十七歳」「軋みを上げる」
▲縛り:「物語の時系列を錯綜させる」
「心情の直接描写を避ける(任意)」(※『悲しんだ』『楽しげに』のように書かずに、『目を伏せた』『足取りも軽やかに』のように表現する)
▲任意お題:「漣」「道端の石ころ」「巨大カメラ」「ほのか」「夜の蝶」

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