オニノコ森伝記2012年08月20日 20時59分16秒

 ある朝のこと。大学に行こうとアパートのドアを開けると、一人の子供が居た。
「痛っ!」
 勢いよく玄関を出た俺は、そいつにつまずき転びそうになる。
 半ズボンに半袖シャツ姿の、身長百二十センチくらいの男の子。なによりも特徴的なのは、栗色にカールした髪の毛からニョッキリ飛び出した二本のツノだった。
 そのツノの持ち主は俺を見上げ、クリクリとした瞳を輝かせながら言ったのだ。
「やっと見つけたよ! パパっ!!」
「えええええええええっっっっっ! パパって……?」
 俺、加太陽平(かぶと ようへい)は、二十歳にして鬼の子のパパになった。

 ☆ ☆ ☆

 俺がパパ?
 いやいや、そんなのありえない。
 だって俺は彼女いない歴二十年なんだし、そんなウハハな体験もしたことない。
 ――きっと人違い、いや、鬼違いだろう。
 俺はそう決め込み、鬼の子を無視してアパートの階段を降り始める。すると背後で響く、トントントンという軽やかな足音。
「ついて来るなよ、俺はお前のパパじゃないんだから。俺はこれから大学に行くんだよ」
「大学って何? パパ」
「だから、パパ言うなっ!」
 こんなところで幼い子供に『パパ』呼ばわりされているのを目撃されたら、アパートの連中に誤解されてしまう。
「パパのことをパパって呼んじゃ、いけないの?」
「だ、か、ら……」
 たまらず俺が振り返ると、三段ほど階段の上に居るそいつと目が合った。大きな瞳から涙が溢れかけている。
 ――まずい。今ここで泣き叫ばれたら最悪だ。
 とりあえず俺は表情を緩めた。
「しょうがねえなあ、俺の部屋に来いよ」
 これは幼児誘拐じゃないからな。
「ありがとう、パパ!」
 鬼の子は、その小さな顔に満面の笑みを浮かべたのだった。

 部屋に戻ると、椅子に座って鬼の子と対峙する。
 年は、人間なら十歳といったところだろうか。テレビではすっかりお馴染みの鬼族だが、実際に見るのは初めてだ。いや、もしかしたら小さい頃に会ったことがあるかもしれない。まあ、とにかく、ツノ以外は人間の子と全く変わらない。
 それにしても、この子は本当に俺の子なんだろうか? なんとなく俺に似ているような気もするが……。
「本当に俺はお前のパパなのか? お前のこと何も知らないんだけど。誰かと間違ってんじゃないのか?」
 しかし鬼の子は無邪気に言い張る。
「パパはボクのパパだよ。間違いないもん」
 あくまでもこいつ、俺のことを父親と主張するつもりだな。
「じゃあ、俺の名前を言ってみろよ」
「かぶと、ようへい」
 即答しやがった。
 でも、待てよ。こいつ、さっきまで玄関前に居たんじゃないか。
「お前、ドアに書いてあるのを見たんだろ?」
「そうだよ」
 剥がれたぞ、化けの皮が。
「ドアに『加太陽平』って書いてあったから、パパの部屋だって分かったんだ」
 そうだよな、って…………えっ? 
 それって……やっぱり俺の名前を知ってたってこと?
「いやだなぁ。ボクはパパの子なんだから、名前を知ってるのは当たり前じゃないか。ボクのパパは加太陽平だよ」
 うわっ、生意気な。
「それならお前の名前は、加太鬼太郎か?」
 すると鬼の子は、俺をバカにするように笑う。
「いやだなあ、パパってさ、自分の子供にそんな名前を付けちゃう人?」
 お前、ぶっとばす。
「じゃあ、『鬼』に樹木の『樹』で鬼樹」
 ちょっとカッコ良くなっただろ?
「それって音読みしたら『キキ』だよ。でも、『樹』の字を使ったのはパパの割にはいい線行ってるね。鬼族は『森の種族』って呼ばれてるからね」
 くー、もう一生子供なんていらね。
「じゃあ、なんて名前なんだよ?」
「ボクの名前ね……」
 鬼の子は瞳を輝かせながら言った。
「ミーボーだよ」

 ミーボー!?
「くっくっく、いい名前だな」
 樹に全く関係ねえぞ。
「なんだよパパ、その言い方は。森から与えられた由緒ある名前にケチつけないでよ」
 えっ、森から?
 鬼族って、なんとかドン星から来た宇宙人という話をテレビで見たことがあるぞ。森じゃねえだろ?
「お前、なんとかドン星から来たんじゃないのか?」
 するとミーボーは鼻息を荒くする。
「あー、なんとかドン星って言った。いけないんだぁ。鬼族に失礼だよパパ。必殺コロンドン星だから間違えないでよ!」
 ――コロンドン星。
 そうそう、確かそんな名前だったよ、その星の名は。
 でも、ここで『必殺』は必要ないから。それじゃ地球を侵略しに来てるみたいだから。
「それにパパの子なんだから、ボクは地球生まれに決まってんじゃん。パパってバカ?」
 あー、バカって言ったな。親に向かってバカって言ったな。って親じゃないけど。
「それじゃ、お前はどこで生まれたんだよ」
 するとミーボーは窓の外に目を向けた。
「ボクの故郷は土家村。パパとママが合体した場所でもあるんだよ」
 えええええっっっ! 
 合体!?
 そ、そ、そ、そ、それって、どういうこと!?
「み、み、ミーボー、お、お前、今、何て言った? 俺が何をしたって?」
「そんな恥ずかしいこと子供に何回も言わせないでよ。だからパパとママが合体して、ボクが生まれたんだよ」
 が、が、が、合体!? 俺は女の子とそんなことをした記憶は全くないぞ!!
 俺はさっぱりモテない。ルックスはそれほど悪くはないと思っているのだが、なぜだか女の子と付き合ったことはない。もちろん二十歳になっても童貞だ。
「それはいつのことだ? いつ俺は女の子と合体したっ!? 言え、さあ、言えっ!」
 いつの間に、俺はそんなムフフ体験をしてたんだよ?
「苦しい、苦しいよ、パパ。息ができない……」
 俺はハッとして、ミーボーの襟を掴む手を離す。
「ゴホッ、ゴホッ……」
 ミーボーは激しく咳をしながら、慌てて息を吸い込んだ。
「ごめん、ミーボー」
「ボク、死んじゃうところだったよ、パパ」
「許してくれ。それで、そのウフフはいつだったんだ?」
「ウフフじゃないよ、合体だよ」
「何でもいいから、それは何年前だ?」
 するとミーボーは、もったいぶるようにゆっくりと口を開く。
「五年前の夏だよ」

 五年前――それは俺が十五歳の時だ。
 十五の夏に何があった?
 その問いかけに、俺には一つだけ心当たりがあった。
 ――まさか、あの娘……。
 十五の夏。土家村。高原に広がる森。
 記憶の中の緑のキャンバスに、白いワンピースを着た一人の女の子がぼんやりと浮かび上がってきた……。

 ★ ★ ★

 土家村は、ここから百キロほど離れたS県の山中にある。
 母の故郷で、今でも祖母が住んでいる。いわば、俺の家族の帰省先ってやつだ。
 村のさらに山側には高原が広がっており、その中央部は深い森に覆われている。『土家の森』と呼ばれており、鬼族が住んでいることから村人はあまり近づこうとしない。
 十五の夏休み、いつものように祖母の家に帰省していた俺は、一人で出掛けた高原の入り口でその女の子に出会ったのだ。
「陽平、来てくれたんだね……」
 女の子は初対面の俺に、今にも泣きそうな顔で微笑んだ。
 戸惑った俺は、人違いであることを教えてあげる。
「ゴメン、俺の名前も陽平だけど、きっと君の探している人じゃないから。だって、君と会うのは初めてだし……」
 すると、女の子は涙をぬぐい、飛び切りの笑顔で俺を向いた。
「ううん、いいの気にしないで。私ね、あなたに会う夢を見たの。あなた、加太陽平君でしょ?」
「えっ? ああ、そうだけど」
 何でこの娘、俺の名前を知ってるんだ? しかも夢で会ったなんて、なんかおかしな娘……。
「その夢が叶ったから、すごく嬉しくて。だから気にしないで」
 いや、普通気にするって。
「ところで陽平君。私って、どんな感じ?」
 今度はいきなり質問かよ。
「うーん、どうって……普通かな?」
 本当はむちゃくちゃ可愛いんだけど。
 栗色にカールしたショートヘアに、クリクリとした二重の瞳。年は同じくらいで、身長は俺より十センチくらい低い。白いワンピースを着ているけど、もっとラフな格好の方が似合うかもしれない。
 本当に可愛いんだからちゃんと『可愛い』って言ってあげるべきだったかもしれないけど、初対面の女の子にいきなり『可愛い』なんて言うと、なんかナンパっぽい気もするし……。
 しかし女の子の反応は意外だった。
「えっ、私って、本当に普通? 普通に見えるの?」
 と瞳を輝かせる。
 おいおい、そんなに普通がいいのかよ。
 よし、決めた! ここはちゃんと可愛いって言ってあげよう、と女の子を向いた瞬間、目が合ってしまい、妙に照れくさくなって言葉が喉元に引っかかる。仕方が無いので、俺は頷くように目を伏せた。
 それを肯定ととった女の子は、
「よっしゃ、やった!」
 と、小さくガッツポーズをする。
 その仕草に、俺の胸の奥がドクンと脈打った。
 ――すげぇ、可愛い!
 恥ずかしくなった俺は、その女の子と目を合わせられない。
「ねえ、来て! 森を案内してあげる」
 突然、掌が柔らかいものに包まれ、俺の体はその方向に引っ張られる。
「ちょ、ちょっと、どこに行くの?」
「森の中よ。面白いところが沢山あるんだから」
 それからの俺達は、毎日のように森の中を探検して遊んだ。
 長くて立派な木のツルでブランコしたり、太い枝の張った木の上で昼寝、そして夕立が来ると二人がちょうど入れるくらいの木のホラで雨宿りをした。
 そんな楽しい日々はあっという間に過ぎ、明日は土家村を発つという最後の日、その女の子は森の中心部に俺を誘った。
 そこにあったのは――遺跡のような大きな岩の塊。
 森の切れ目から差し込む太陽の光が岩を照らし、森の静けさと相まって荘厳な雰囲気を醸し出している。
 ――なんか神殿みたいだな。
 俺がまじまじと岩を見上げていると、女の子は岩の前に立ち神妙な面持ちで俺に尋ねた。
「ねえ、陽平。ここ、覚えてる?」
 覚えているはずがない。この森の中に入ったのは、この夏が初めてなんだから。
「また夢の話?」
 俺が聞くと、女の子は少し悲しい顔をした。
「ゴメン、そうなの、夢の話。私、また混同しちゃったね。ホントにダメな子……。許してね、陽平」
「こっちこそゴメン。雰囲気壊しちゃって。君の夢ではさ、ここはきっと思い出の場所なんだね」
 すると、堰を切ったように女の子の瞳から涙がこぼれ落ちる。
「あれ、どうしてだろう。涙が止まらない……」
 きっと夢の中の思い出は、悲しいものだったに違いない。
 俺は女の子に近寄り、顔を見ないように優しく肩を抱いてあげる。
「こんな胸でよければ貸してあげるけど」
 ちょっとキザだったかな、と思う間もなく、女の子は俺にしがみついてきた。
「うん、ちょっとだけ借りるね。ゴメンね、ゴメンね……」
 頭を俺の胸に付けて号泣する女の子。
 俺は女の子が泣き止むまで、栗色の髪を優しく撫でてあげたのだった。

 ☆ ☆ ☆

「パパ、パパ。ねえ、パパってば!」
 ミーボーの声で俺ははっと我に返る。
「どうしちゃったの? パパ。ずいぶん長いことトリップしてたけど」
「えっ、あ、ああ……」
 十五の夏に土家の森で会った女の子。
 もしかして、その女の子と俺は合体したのだろうか?
 いや、そんなことはない。
 あの後、女の子は高原の入り口まで俺を案内してくれて、そこでバイバイしてそれきりだ。キスだってした覚えはない。
 ――それにしても、可愛い娘だったなあ……。
 せめて名前ぐらいは聞いておくんだった。
「ねえ、パパ。鼻の下を伸ばして、なに回想してんの? おい、おいってば!」
 ああ、うるさいなあ。今、いいところなのに。
 でも待てよ。あの夏に会った女の子は普通の人間の女の子だったぞ。
 もし、仮にだ。仮に俺とあの娘が合体しても、鬼の子は生まれないんじゃないのか?
「ミーボー。ちょっと頭を貸してくれ」
「なに? パパ。って、痛い、痛いよ~」
 俺はミーボーの頭を撫でまわす。
「撫でるならもっと優しくしてよ、パパ」
 いちいちうるさい奴だ。ちっとは親の言うことを聞けっ! って親じゃないけど。
 ――やっぱツノが痛ェ。
 さすがは鬼の子。頭を撫でると堅いツノが邪魔になってしょうがない。痛いのはこっちの手の方じゃねえか。
「ミーボーのツノは堅いなあ。これ、邪魔だろ?」
「しょうがないよ。ボクは必殺コロンドン星人の末えいなんだから」
 だから『必殺』は付けるなって。
「お前のママにもツノがあったのか?」
「そりゃそうだよ、ママもひっさ、痛っ!」
「いい加減、必殺言うのやめろ」
「ちぇっ、わかったよ……。パパって意外と口うるさいんだね」
「なにィ? また叩くぞ!」
「うわっ、ドメスティックバイオレンス禁止。やめて! 騒ぐよ、パパ」
 子供のくせに何だか難しい単語知ってんな。でも夫婦じゃないし、ドメスティック違うし。
 しかしここで騒がれたら厄介だ。
「悪かったよ。それで、お前のママもコロンドン星人なんだよな?」
「そうだよ。ママのツノは、凄く立派だったんだよ」
 立派なツノ……ってことは、あの女の子はミーボーのママではなかったってことだ。
 だって、俺はあの時、女の子の髪を普通に撫でることができたんだから。

「あっ、パパ。あの箱、まだ持ってんだ」
 突然、ミーボーが本棚の中の缶ケースを指さした。その声に俺は我に返る。
「こらっ! それに触るなァッ!!」
 慌ててミーボーを制止する。が、時は遅し。ミーボーはすでに箱の元に駆け寄っていた。
「おい、中を開けるんじゃねえ!」
 その命令もむなしく、ミーボーは懐かしそうに蓋を開ける。
「うわっ、増えたねぇ~。エロいフィギュア」
 頼むからそれに触らないでくれよ。海苔缶に偽装したそれは、ちょっと恥ずかしい萌えアイテムの収納箱なんだから。って、どうしてこいつがそれを知っている!!!???
「何でお前が俺の秘密箱のことを知ってるんだよっ!?」
「だからさっきから言ってるでしょ? ボクはパパの子なんだから」
 いや、それはきっと関係ない。たとえお前が俺の子でも、中身は絶対に教えない。
 というか、本当に不思議なんだけど……。
「あっ!」
 ミーボーが小さく叫んだかと思うと、
「これ、まだ持ってたんだ……」
 箱の奥から白く長いぬいぐるみのようなものを取り出した。
 それは――コスプレ用うさぎ耳だった。
 いつの間にか俺の秘密箱に入っていて、そしてなぜだか捨てることができなかった不思議アイテム。
「お前、なぜそれが箱の中に入っているのか知ってるのか?」
「知ってるよ」
 おお、神よ、長い間解けなかった謎が今この場所で明かされる。
 一瞬、ミーボーが神に見えた。
「それはね」
 うさぎ耳を懐かしそうに体に引き寄るミーボー。
「パパがママのために買ってあげたものだから……」

「ママ、ママ……」
 うさぎ耳を抱きしめながらポロポロと涙をこぼすミーボー。
 俺は、ミーボーをそっと膝の上に抱っこして優しく頭を撫でてあげる。相変わらずツノはすごく邪魔だったけど。
 ミーボーが泣き止むと、俺はそっと疑問を投げかけた。
「何でお前は、俺のことを詳しく知ってるんだ?」
 あの箱が俺の秘密箱であること、そしてその中にうさぎ耳が入っていること。それは、俺以外には誰も知らないトップシークレットなんだから。
「鬼の子はね、記憶を受け継ぐんだよ」
 何を突然言い出すんだ、こいつは。
「だからね、ボクの頭の中にはパパの記憶があるんだよ」
 えっ!? 俺の記憶が……?
 それって、一体どういうこと??
「パパはママのこと、何も覚えていないんでしょ?」
「ああ」
 実は俺は、十五の夏より前の数年間分の記憶が欠けている。土家の森で栗色の髪の女の子に出会う前のことが、どうしても思い出せない。
「それはね、ボクが生まれる時にパパの記憶を受け継いだからなんだよ」
 えっ? それって……。
 ということは、女の子と合体したウハハな記憶はお前の頭の中にあるのかっ!?
「おい、ミーボー! 俺の記憶を返せ、ほら返せ、すぐ返せ!!」
「ちょ、ちょ、ちょっとパパ。そんなに興奮しないでよ」
 いや、これだけは譲れない。俺の初体験なんだぞ。
「この記憶泥棒。俺がお前のママにどうやって出会ったのかを教えてくれるまで、このツノに電極を繋いで取り出してやる」
 そんなことができるとは思えないけど。
「うわぁ、鬼っ子殺し。電撃禁止!!」
 それって早口言葉みたいだぜ。
「それよりこれで信じてくれた? ボクがパパの子だってこと」
 ミーボーは俺の秘密箱の中身を知っていた。二人の間には何か強い関係があるとしか思えない。
「ああ、とりあえず信じてやるよ」
 そんなことよりも、今は俺の初体験だ。
 一方ミーボーは、俺の信じるという言葉を聞いて瞳をうるうるさせ始めた。
「ありがとうパパ。やっと認めてくれたんだね」
 そして俺を正面に見る。
「これでボクは、ボクは安心してママの居る天国に行けるよ……」
 えっ、そ、それって……。
 俺が驚愕の眼差しをミーボーに向けると、やつは意地悪そうにペロッと舌を出す。
「なーんて冗談だよ、痛ッ!」
 親を騙すやつはお仕置きだっ!
 ツノが手に刺さって、こっちの方が痛かったけど。

「それでミーボー、俺の初体……、いや運命的な出会いはどうだったんだよ」
 俺が尋ねると、ミーボーは真剣な面持ちになる。
「パパ、一つお願いがあるんだ。ママのこと詳しく教えてあげるためにやってほしいことがあるんだけど」
「なんだよ、言ってみろよ。ただし、もう嘘はつくなよ」
「わかったよ、パパ」
 そしてミーボーはゆっくりと口を開く。
「実はね、鬼族は記憶の伝達ができるんだ」
 記憶の伝達……?
「体を触れ合うことで、相手の記憶を見ることができるんだよ」
 おお、それはすごい。
 それが可能なら、俺がミーボーのママと出会ったシーンを見れるというわけか。
「ただし……」
 ミーボーは俺の目を見据える。
「これができるのは血が繋がった者同士だけなんだ」
 ということは……、これで親子関係が証明される……?
「やってみる?」
 俺はゴクリと唾を飲む。
 もし記憶の伝達ができなければ、それはミーボーは俺の子ではなかったということ。
 それはそれでいいんだが……って、よくねえよ。俺の初体験はどうなるんだよ。その記憶を取り戻すまでは何でもやってやる。
 俺はミーボーの目を見ながら、静かに頷いた。
「じゃあ、パパ。手を出して……」
 掌を上にして右手を差し出すと、ミーボーの小さな手がその上に重なる。
「これから秘密の言葉を唱えるから、パパも繰り返して」
「秘密の言葉?」
「そう、コロンドン星に伝わる絆を示す言葉」
 それはどんな……?
「必殺ドゲーの、痛ィ!」
「だから必殺言うなって」
 俺は空いている左手でミーボーをポカリとやった。
「痛いよ、パパ。ちぇっ、見た目と違って細かいんだから。ドゲーの言葉っていうんだよ。ほら、ボクの故郷の土家村の語源にもなっているでしょ?」
「土気村の……、語源?」
 確かに、ドゲーと土家(どげ)は似ている。
「そうだよ、土家村という名前は、ドゲーの言葉が元になっているんだ」
 それから聞くミーボーの話は、にわかに信じがたいものだった。
 なんでも土家村は、コロンドン星人が地球に不時着した場所だったらしい。広い高原があるので目印になったのだろう。コロンドン星人はしばらく宇宙船の近くで暮らしていたが、やがて村人に見つかってしまう。しかし、鬼にそっくりな風貌に驚いた村人は高原に近づかなくなり、そのまま月日は過ぎていった。時折聞こえてくるドゲーの言葉から、村人はその森を『ドゲーの森』と呼ぶようになり、それが広く伝わって村の名前になってしまったそうな。
 ドゲーの言葉、コロンドン星、そして突然現れた俺の子供。今日は驚くことばかりだ。
「じゃあ、始めるよ」
 ミーボーが重ねた手に力を入れ、言葉を絞り出そうと深く息を吸った。
「ヨーヘー・ドゲー・ミーボー!」
 うへっ、なんか変な呪文。
「ほら、パパも繰り返してよ。ヨーヘー・ドゲー・ミーボー!」
 俺は仕方なくその呪文を口にする。
「ヨーヘー・ドゲー・ミーボー?」
 あはっ、疑問形になっちまった。
「なに、その自身の無さそうな声は。パパ、大きな声で、お腹に力を入れて」
 今度は腹に力を込める。
「ヨ~ヘ~・ドゲ~・ミ~ボ~」
「ダメダメ、それじゃお経だよ」
 こうなったらヤケクソだ。
「ヨーヘー・ドゲー・ミーボー!」
「そうだよ、パパ。ヨーヘー・ドゲー・ミーボー」
「ヨーヘー・ドゲー・ミーボー!」
 朝の安アパートの一室に、新興宗教のような呪文がこだまする。
 俺の意識は重ねた掌に吸い込まれていった。

 ★ ★ ★

「遅いなあ……」
 俺は自宅の玄関前で一人の女の子を待っていた。街の神社の夏祭りに一緒に行く約束をしているのだ。
 ガチャリと玄関のドアが開く。そして浴衣姿の女の子が現れた。
 ――おっ、結構似合うじゃん。
 加太陽菜(かぶと ひな)。残念ながら俺の妹だ。
「お待たせ~」
「すげぇ待ったよ。遅ぇぞ!」
「なによ、お兄ちゃんが浴衣希望って言うから、準備に時間がかかったんじゃないっ!」
 売り言葉に買い言葉。
 まあ、兄妹ではよくあることだ。
「それよりもお兄ちゃん。文句を言う前に、陽菜に何か言うことがあるんじゃない?」
 そう言いながら、玄関前でクルリと回る陽菜。
 浴衣の襟から覗く白いうなじ。長い黒髪は、頭の上で綺麗にまとめられていた。
 ――チクショー。これが妹じゃなくて彼女だったら!
「馬子にも衣装だな。ぐえっ!?」
 鳩尾に陽菜のパンチがさく裂する。
「なによ、お兄ちゃんなんて大っ嫌い! 彼女のいない寂しい兄の中学生最後の夏祭りを盛り上げてあげようと、妹が張り切ってやってんのにィ」
 寂しい兄は余計だよ。ていうか、お前棒読み。
「ゴメンよ陽菜。拗ねてないで、さあ行くぞ」
 俺は心の中で、祭会場で俺に寄せられるであろう羨望の眼差しに胸を膨らませ始めていた。

 その時。

「会いたかったよ~、陽平!!!」
「ぐええぇぇぇぇッッ!」
 突進して来た何者かに、俺は突き飛ばされたのだ。
 むにゅっ。
 慌てて起き上がろうとした俺は、なにか柔らかいものに顔を抑えつけられる。
 ――い、息ができない……。
「ウゲ、ウガ、ウゴ、ウグ……」
 俺は手足をバタバタさせる。が、その柔らかいものが除去される気配は一向にない。
 ――ヲワタ。短かった俺の十五年の人生が……。
 意識が遠退き始めたその時、いきなり視界が開けた。
「あっ、ゴメ~ン陽平。きつく抱きしめ過ぎちゃった」
 ボンヤリと視界の中に浮かび上がってきたその声の主は、パッチリとした二重の瞳に栗色のショートヘア、そして二本のツノ……。
 ――ええっ、ツノォ!!!???
 冗談かと思って俺がツノに手を伸ばすと、それは作り物とは思えない堅さで、しかもがっちりと女の子の頭部に固定されていた。
「痛いよ~、陽平。いきなりそんなとこ触らないでよォ~」
 誤解されそうな妖艶な声で恥ずかしがる女の子。
 その時、
「キャァァァァーーーーッッッ! お、お、お、鬼ィ!!」
 女性の悲鳴が住宅街にこだまする。
 振り返ると、陽菜が自宅に逃げ戻るところだった。
 それを聞いた鬼っ娘はさっと表情を変え、俺の手を握って立ち上がる。
「陽平! 行くよっ!」
 ――えっ、行くって、どこに?
 戸惑う俺をよそに、鬼っ娘は俺を引きずりながら走り始めた。ものすごい力だ。このままではアスファルトで削れて体が半分になっちまう。
「ちょ、ちょっと待ってよ。君は一体誰なんだよ?」
「説明は後でするから、今はついてきて」
 ようやく立ち上がった俺は、女の子に手を引かれながら神社に向かって走り出した。

 ☆ ☆ ☆

「それにしても、すごい出会いだったんだな」
「ママはね、パパに会えてとても嬉しかったんだよ」
 俺達はアパートを出て、K県瀬原市に向かう電車に乗っている。
 ドゲーの言葉による記憶の伝達は、長時間連続して行うことはできないらしい。次に伝達を行うまでの間、ミーボーには休息が必要という。それならば二人が出会った場所に行って、そこで続きを見ようということになったのだ。
 といっても、ミーボーをこのままの姿で電車に乗せるわけにもいかない。俺は部屋にあった大人用の野球帽をミーボーに被らせて、ツノを隠すことにした。
 ちなみに瀬原市は俺が高校まで過ごした街で、今でも両親と妹が住んでいる。
「家から神社まで行って、それからどうなったんだ?」
「ごめん、パパ。それは神社での楽しみにしてて……」
 そう言いながらミーボーは電車のシートに身を沈め、ゆっくりと目を閉じた。その声には疲れが滲んでいる。最初の記憶の伝達で、かなりのエネルギーを使ってしまったようだ。
 すうすうと寝息を立てるミーボー。
 ――なかなか可愛いじゃねえか……。
 将来、自分に子供ができたらこんな男の子がいいな。そんなことを思いながら、俺はミーボーの寝顔を眺めていた。

 アパートのある街から瀬原市までの一時間。
 俺は電車に揺られながら、ミーボーの記憶の中で出会った鬼っ娘について思いを巡らせる。
 ――あの鬼っ娘って、十五の夏に土家村で遭った女の子とそっくりだったぞ。
 栗色のショートヘアーに、クリクリとした二重の瞳。そっくりどころか同一人物としか思えない。ただ、鬼っ娘には立派なツノがあった。
 ――しっかりとしたツノだったよな……。
 堅かった。作り物とはとても思えなかった。あのツノを取り去るためには、よほどのことをしないとダメなんじゃないだろうか。
 ――まあ、ツノの謎はそのうち分かるだろう。
 俺は次の記憶の伝達に胸を膨らませながら、無邪気なミーボーの寝顔をぼんやりと見つめていた。

 瀬原駅に着き、神社に向かって歩いている途中、ミーボーが何かを思い出したように切り出す。
「そうだ、パパ。陽菜お姉ちゃんって、大丈夫だったのかな?」
「陽菜か? 大丈夫って……? ああ、五年前のことか」
 ミーボーのママに出会った時、陽菜は彼女のツノに驚いて家に逃げ帰った。
 俺は全く覚えていないが、記憶の伝達ではそういうことになっていた。
「あ、ああ、今は全く問題ねえ。五月に会った時はピンピンしてたぜ」
 本当は違うけど。
 俺の知っている陽菜は、極端に鬼嫌いの妹だ。テレビで少しでも鬼が映るとチャンネルを変えてしまう。
 ――あれは五年前の事件がトラウマになっていたんだな。
 今回それが分かったわけだが、ミーボーにわざわざそのことを伝える必要もないだろう。まあ、鬼以外については普通なんだから、俺の言葉もまんざら嘘ではないし。
 そういえば高校の時、風の噂で聞いたことがある。俺に近づこうとする女の子は皆、陽菜に『お兄ちゃんはやめた方がいいよ。鬼に憑かれてるから』と耳打ちされたそうだ。
 俺の彼女いない歴がこんなに長いのは、その噂のせいかもしれない。
「よかった……」
「はぁ……」
 ミーボーの安堵と俺の落胆のため息が重なる。
 いつの間にか、俺達は瀬原神社に着いていた。

「じゃあミーボー、始めようか」
 瀬原神社の裏の森にミーボーを連れてきた俺は、辺りを見回し人気がないことを確認してから掌を差し出した。
「いいよ。パパ、目を閉じてドゲーの言葉を唱えて」
 掌に小さな手が置かれたことを感じた俺は、例の呪文を唱え始める。
「ヨーヘー・ドゲー・ミーボー!」
「ヨーヘー・ドゲー・ミーボー!」
 俺の意識は再び、掌の中に吸い込まれていった。

 ★ ★ ★

 鬼っ娘に手を引かれた俺は、こんもりとした森まで走り続ける。そこは瀬原神社の裏の森だった。
「ストップ、ストップ! もう大丈夫だよ」
 俺が制止すると、鬼っ娘はようやく走るのを止めてくれた。それにしてもこいつ、なんて足が速いんだ。
 ハアハアと息を切らしながら、俺は膝に手を当てる。
「君は……、いったい、何者なんだ……?」
 すると鬼っ娘はケロっとしながら、ものすごいことを言い始めた。
「えっ、私? 私はね、陽平と合体するために来たんだよっ!」
「ええええええっっっっっ!!!????」
 俺は叫ばずにはいられなかった。
 初対面の女の子と俺が合体!? しかも鬼っ娘!? それはいったいどういうこと!?
 一方、鬼っ娘は不満そう。
「なんでそんなに驚かれちゃうかな? 鬼の女の子はね、好きな人と合体して子孫を残すんだから」
 そんなことは当たり前、と言わんばかりに鬼っ娘は口を尖らせた。
 それにしても全くわけがわからない。なんで合体? ていうか、なんで俺?
「まずは、君の名前を教えてくれよ」
 すると鬼っ娘は、八重歯をキラッと輝かせながら微笑んだ。
「私の名前は、ムニュだよっ!」
 
 鬼っ娘ムニュに尋ねたいことが沢山あった。
 合体する相手がなぜ俺なのか? そしてどうやって俺を探し当てたのか?
 ムニュ自身のことだって何もわからない。どこで生まれて、年はいくつで、どこに住んでいるのだろうか?
 しかし、そのことを聞くにはこの場所は危険すぎた。夕暮れの森の中とはいえ、反対側の神社では夏祭りをやっている。祭りから流れて来た人がここに来ないとは限らない。
 ――このツノを誰かに見られたらヤバい。
 ムニュのツノは大きくて立派すぎた。彼女が鬼であることは一目でわかってしまうだろう。なにかツノを隠すものがあればいいのだが……。
 俺は森の中を見渡す。が、そんな都合の良いものは見当たらない。
 陽も沈んで森はだんだん暗くなってきた。森の向こう側がぼんやり明るいのは祭りの照明に違いない。お囃子の音も漏れ聞こえてくる。屋台も沢山並んでいて、さぞかし賑やかなことだろう。
 屋台の様子を思い浮かべた俺は、はっと閃く。
 ――そうだ! 確かコスプレの屋台もあったな。
 夏祭りの定番、お面屋の隣に、去年はコスプレ屋も店を出していたような気がする。確かそこには、猫耳や犬耳と並んでうさぎ耳もあったはずだ。うさぎ耳ならツノが隠せるかもしれない。
「ムニュ、ちょっとここで待っていてくれないか?」
 俺は神社の方へ走り出そうとした。が、体が動かない。
「ダメっ! 陽平、逃げる気でしょ?」
 いつの間にかムニュに腕を掴まれてしまっている。
「逃げないよ、すぐに戻ってくるから」
 そうか、逃げるって手もあったか。
「嘘よ。今、逃げちゃえ! って顔した」
 げっ、こいつ鋭いな。
「そんなことはない。信じてくれよ」
「私、女の子だよ。森の中に一人置いていくなんてヒドイよ」
 このままの姿で祭りに連れて行く方が危ないと思うぞ。
「誰かに襲われたらどうするの?」
 いや、それはない。お前を見た人間の方が確実にビビる。
「ムニュのツノを隠すものを買ってくるだけだから、ちょっとだけ待っててくれよ」
「そんなこと言って……。そんなに私と合体するのが嫌なの?」
 男として合体は望むところだが……。
「じゃあ、わかった」
 俺はムニュの目をしっかりと見つめる。
「戻ってきたら、お前が望むように合体してやる。それでいいか?」
 そんな提案をするのはものすごく恥ずかしかった。女の子にそんなこと言ったら、引っ叩かれるか逃げられるかどちらかだ。
 しかし俺の不安をよそに、その一言でムニュの表情は一変する。
「うん、わかった。私ここで待ってる!」
 おいおい、そんなに俺と合体したいのかよ。
 俺はムニュのことを不思議に思いながら、屋台に向かって走りだした。

 屋台で買ってきたうさぎ耳は、ムニュのツノにピッタリだった。
 ピッタリすぎて、ちゃんとツノが隠せているか分からない。
 仕方が無いので、俺とムニュは灯りを求めて神社へ歩き出す。
「ところでさ、ムニュ。お前はどこから来たんだよ?」
 うさぎ耳を揺らしながら歩くムニュ。その姿はなんとも可愛らしい。
「土家村だよ」
 土家村。それは俺の祖母が住んでいる村だ。村の山側の高原にある土家の森には、鬼が住んでいると聞いたことがある。その噂は本当だったんだ。
「土家の森か?」
「そう。鬼族はみんな森で生まれたんだよ」
 へえ、そうなんだ。
「それはいつ頃?」
「八年前だよ」
 えっ、八年前? てことはムニュはまだ八歳ってこと? 
 おいおい俺は八歳の女の子と合体しようとしてるのか? それは犯罪だぜ。
「なによ陽平。その幼女を見るような視線は。ほら、私、出ているところはちゃんと出ているんだからねっ。鬼の子の成長は人間の二倍早いんだから」
 肩をすぼめて胸の谷間を強調するムニュ。タンクトップの上からチラリと見えるそれは、にわかに存在を主張し始めた。
 ――こいつの胸、結構でかいよな……。
 まあ、自宅前で俺は窒息しかけたのだから、その大きさはすでに体感済みだ。
 いやいや、そんなことが問題なのではない。気になるのはムニュの実際の年齢はいくつかってことだ。
 ――鬼の子の成長は人間の二倍!?
 それならば、八年前に生まれたムニュは人間でいうと十六歳ってことになる。それなら合体しても問題ない年頃? って、俺は何を考えてるんだよっ!
「あれあれ? 陽平、合体する気分になってきた?」
 俺の顔を覗き込んで、ムニュがニヤニヤしている。どうやら俺は下心丸出しだったらしい。
「ち、違うよ。第一こんな場所じゃマズイし……」
 初体験がこんな森の中というは、なんだかちょっと味気ない。
「ふふふ。陽平って正直ね。思った通りの人だわ」
 そしてしっかりと俺に向き合った。
「ゴメンね、陽平。その気にさせちゃったところで申し訳ないんだけど、合体するのは土家の森でって決まってるの」
「土家の森……」
 下心で膨らんだ俺の期待は、しゅるるると萎んでいく。
 というか、俺の初体験はやっぱ森の中?
「そう、土家の森。鬼族の故郷。私待ってるから、お盆休みに、土家の森で」
 土家村へは、今年もお盆に一週間ほど帰省する予定だった。
「わかったよムニュ。お盆休みに土家村で会おう」
「うん、ありがとう陽平。それなら今夜はお祭りを楽しみましょ!」
 そして俺の腕を強引に掴む。腕に伝わる胸の柔らかい感触に、俺の脳はとろけそうになった。
「ほら、早く行きましょっ!」
 俺はうさぎ耳の鬼っ子と腕を組んで、祭りに繰り出して行った。

 ☆ ☆ ☆

「ママはね、すっごく嬉しかったんだって。うさぎ耳をパパに買ってもらったのが」
 再び電車に揺られながら、ミーボーは俺の部屋から持ってきたうさぎ耳を抱きしめる。
 俺達は、今度は土家村に向かう電車に乗っていた。
「俺もやっとわかったような気がする。その耳を捨てられずにいたわけを」
 うさぎ耳を付けたムニュは、ものすごく可愛かった。
 お祭りという開放的な雰囲気、そしてムニュを振り返る人々。五年前の俺は、さぞかし優越感をくすぐられたことだろう。
 俺は車窓の景色を眺めながら、過去の自分をうらやましく思う。
 ――なんでその記憶が俺には無いんだよう……。
 十五の夏、土家の森でいったい何が起きたのか? 俺とムニュは合体に成功したのだろうか?
 その答えを求めて、俺達は土家村に行くことにしたのだ。
 うさぎ耳を捨てられなかったのは、ムニュとの思い出が深層心理に影響したからに違いない。それだけは確実に言えるような気がした。
「ところでミーボー、お前の成長も人間の二倍なのか?」
 俺とムニュが五年前に合体したとすると、ミーボーは四歳か五歳のはずだ。しかし、どう見ても外見は小学校三、四年生。ミーボーの成長が人間の二倍の早さなら説明がつく。
「そうだよ、ボクも鬼の子だからね」
 うさぎ耳を抱いたミーボーは、うつろな目をこすりながら言う。
「ゴメンねパパ。ボク、すごく眠いんだ……」
 やはり記憶の伝達の後には休息が必要なようだ。
「ゆっくりお休み、ミーボー。今日の夜は、ばあちゃんのところに泊めてもらうよう連絡したから。土家の森へは明日の朝出発だ」
「うん、わかった……」
 ミーボーはたちまち、すうすうと寝息を立て始めた。

 ☆ ☆ ☆

「陽平ちゃん、ミーボーちゃん、朝ご飯ですよ」
 懐かしいばあちゃんの声が家に響く。
 俺はいつもと違う匂いのする布団の中で目を覚ました。
 高い木張りの天井、障子から差し込む朝の光、広い畳の部屋とちょっと重たい布団、そしてばあちゃん特製のお味噌汁の香り……。
 ――ああ、俺は土家村に居るんだな。
 体で感じるもののすべてが、そう認識させてくれていた。
 そしていつもの帰省と異なるのは――ミーボーの存在。
「おい、起きろミーボー。朝ごはんだぞ」
「えっ、パパ? もう朝……?」
 眠い目をこするミーボー。
 冷たい水で顔を洗って、俺達は食卓についた。

「ばあちゃん。こ、この子のことなんだけど……」
 もごもごとミーボーのことを切り出すと、ばあちゃんはニコリと微笑んだ。
「陽平ちゃん。話し辛いのなら無理に話さんでもええ。私には全部わかっとる」
 さすがは俺のばあちゃん。
「ミーボーちゃんはお前にそっくりじゃ。二日前にこの子に会った時、私はピンと来た。この子は陽平ちゃんの子だと」
 だからばあちゃん、俺の子かどうかは只今絶賛調査中なんだってば。
「そうじゃなきゃ、私はミーボーちゃんに陽平ちゃんの住所なんて教えたりせんよ」
 ばあちゃんかよ、こいつに俺の居場所を教えたのは!
 俺がミーボーを見ると、やつはペロッと舌を出していた。
「お前、ちゃっかりしてるな」
 ミーボーの頭をゴリゴリやろうとすると、
「おばあちゃん、パパが暴力振るってくるぅ……」
 ばあちゃんに助けを求めやがった。
「こらこら、陽平ちゃん。たとえ鬼の子といえども、陽平ちゃんの血を受け継いだ大切な子じゃ。大事にするんじゃよ」
「はいはい、わかったよ。ほら、ミーボー、ご飯を食べたら出発するぞ」
「うんっ!」
 俺達は朝食を食べ終わると、最後の記憶を求めて土家の森へと出発した。

 土家の森は、集落の山側の高台にある。
 集落を出た俺達は、登山道を二十分近く登っていた。
「はあ、はあ……。おい、ミーボー、まだ着かないのかよ……」
 情けないことに俺はすっかり肩で息をしていた。日頃の運動不足の賜物ってやつだ。
「もう~、パパ、だらしないねぇ。もうちょっとだよ、頑張って!」
「それにしても、お前は、本当に元気だな」
「だって鬼の子だからね。成長も二倍、力も二倍、早さも二倍なんだよ」
 意地の悪さも二倍だったりして。
「えっ、パパ何か言った?」
「いや、何も?」
 聴力も二倍かもしれないから気を付けなくちゃ。
「ママだって、かなりパワフルだったでしょ?」
 そういえば、確かに記憶の伝達で見たムニュは、俺を突き飛ばしたり、窒息させそうになったり、手を握って引きずりまわしたりで、俺はやられたい放題だった。
「でもね、その代わりにね……」
 眺めの良いところでミーボーは足を止める。
「ボク達の寿命は、すごく短いんだ」
 ピロロとトンビが空を舞う。俺達がさっきまで居たばあちゃんの家は、眼下の豆粒のようだった。
「短いって、ど、どれくらいなんだよ?」
「長くて十年」
 えっ、たった十年!?
 成長が二倍で計算すると、見た目が二十歳くらいになるまでしか生きられないってことなのか?
「だからね、ボクもあと五年なんだ」
「ミーボー……」
 そんな悲しいこと言うなよ。
 俺にできることがあったら何でもするからさ。だって俺はお前のパパなんだから。
 すばらしい景色とは裏腹に、俺の心はどんよりと曇る。ミーボーはさらに説明を続けた。
「寿命が来るとね、鬼族の体は消滅し、魂はコロンドン星に帰っちゃうんだって」
 コロンドン星から来て、コロンドン星に帰る。それが鬼族の運命なのか……。
「でもね、パパ。一つだけ魂が地球に居続けられる方法があるんだよ」
「えっ、それはどんな?」
 できればずっと地球に居続けてほしいと、俺はミーボーの言葉に心を傾けた。
「地球人と合体することなんだ」
 そうか、そうだったんだ……。
 それは、五年前にムニュが望んだこと。
 彼女が俺との合体を希望したのは、地球に魂を残すためだったんだ。
「それに合体すれば、ボクのような子孫も残せるしね」
 こんなに幼く見えるミーボーなのに、あと五年で成人のように成長し、そして魂の居場所の選択を迫られるなんて。
「ミーボー、お前……」
「仕方ないよ、パパ。これがボク達コロンドン星人の運命なんだから」
 ミーボーが急に大人びて見えた。

 高台に着くと、気持ちの良い草原が広がっていた。その先に土家の森が見える。
「ぷはーっ、やっと森が見えた。ミーボー、ちょっと休んでもいいか?」
 高原の入り口の岩に腰を降ろす。一本の樫の木が、ちょうど岩の位置に陰を作っていた。
 その場所は――俺が十五の夏に、栗色の髪の女の子と待ち合わせをしていた場所だった。
 岩に座ってまどろむ俺を、ミーボーは冷ややかな目で見る。
「本当にだらしないね、パパ。もっと運動しなきゃダメだよ」
「余計なお世話だ」
 あの頃は、毎日ここまで登っても全然平気だったのにな。まだ二十歳なのにすでにオッサンかよ、俺は。
 しかしこうやって岩に座って森を見ていると、あの頃の記憶が蘇ってくる。
「ミーボー、五年前の夏に俺はここに座って、一人の女の子が来るのを待っていたんだ」
 女の子はいつも白いワンピースを揺らしながら、あの森から駆けてきた。
「なんか暑かったのを覚えてるよ。あの頃、この木陰はまだ無かったんじゃないかな?」
 俺は樫の木を仰ぎ見る。ちらちらと揺れる木漏れ日がまぶしかった。
 するとミーボーは俺の隣に座り、まっすぐに森の方を見る。まるで俺と一緒に女の子を待っているかのように。
「パパ、それはきっとママだよ」
 ミーボーは俺の表情をうかがう。
「確かにその女の子はムニュにそっくりだったけど、ツノは無かったぜ」
「ツノは無くても、やっぱりそれはママだよ。だって人間と鬼族が合体すると、人間は記憶を、鬼族はツノを失うんだから」
 記憶とツノを失う!?
 だから俺には十五の夏以前の記憶がないのか……。
「ツノを失った鬼族は、七日間しか生きられないんだ。その日が来ると体は失われ、魂はこの大地に根付くんだよ」
「じゃあ、今その女の子は……」
「そう、ママの魂はきっとあの森の中だよ、パパ」
 その言葉は、俺にとってあまりにも重かった。

 そこから先は、俺の記憶の中のムニュを探す旅となった。
 五年ぶりに森の中を歩いてみると、人間になったムニュとの楽しい思い出が次々と蘇ってくる。
 長いツルでブランコしたこと、木の上で昼寝したこと、そして木のホラの中で雨宿りしたこと。
 俺はやっと、ムニュが普通に見えることにこだわっていた理由を理解した。
 ――鬼族としてではなく普通の女の子として俺と会いたい。
 記憶を失っていたとはいえ、偶然にもムニュのその願いを叶えてあげられたことを、俺は神様に感謝した。
 そしてついに俺達は、森の中心部の神殿のような大きな岩の前にたどり着く。
「ミーボー、これは一体なんなんだ?」
「驚かないで聞いてね、パパ。これはね……」
 ようやくこの岩の謎が明かされる。
「必殺人鬼合体バイオレンジっていう、痛ッ!」
「だから必殺言うなって」
「もう、こんな神聖な場所で頭を叩かないでよ、パパ」
「ていうか、さっき何て言った?」
「だから、人鬼合体バイオレンジだよ」
 人鬼合体バイオレンジ!? なんだ、そりゃ! 特殊なレンジか?
「人間と鬼族の合体を可能とする生体融合装置。ここは、人と鬼が交わる神聖な場所なんだよ」
 ということは、ここが俺の初体験の場所なのかっ!!!
 五年前に俺はここで大人になった。
 込み上げる感情を抑えきれなくなり、俺は震える手をミーボーに差し出す。
「さあミーボー、ドゲーの言葉をやってくれ」
「パパ大丈夫? なんか気合い入り過ぎてない?」
「問題ない。行くぞっ! ミーボー!」
 ミーボーは恐る恐る俺の掌に自分の手を重ねる。
「ヨーヘー・ドゲー・ミーボー」
「ヨーヘー・ドゲー・ミーボーォォォォォォォッッッ!!!!!」
 土家の森に俺の声がこだました。

 ★ ★ ★

「おーい、ムニュ! 約束通り来たぞ」
 中三の夏休みを利用して帰省した俺は、真っ先に土家の森へと向かう。登山道を登り、森が見えるところまで来ると、俺は森に向かって叫んだ。
 ――それにしても暑いな……。
 山登りで汗をかいている上に、真夏の日差しが降り注ぐ。俺はたまらず高原の入り口にある岩に腰かけた。
 すると、森から一人の女の子がこちらに向かって駆けて来た。
 黒のタンクトップにデニムのショートパンツ。夏らしい涼しげな服装に栗色のショートヘアが揺れている。そして、ニョッキリと顔を出したうさぎ耳。間違いなくムニュだ。
「陽平! ちゃんと来てくれたのねっ!」
 勢いよく駆けてきたムニュは、俺の前で急ブレーキ! がかかるわけもなく、
「ウゲッ……」
 そのまま俺に突っ込んだ。
 ――い、息ができない……。
 柔らかい何かが俺の顔を塞いでいる。
「あっ、ゴメ~ン陽平。あんまり嬉しくて止まれなかったよ~」
 ムニュが離れると、俺はハアハアと息を吸う。 
 それにしても座っていて本当に良かった。立っていたらお腹にツノが直撃していたところだぞ。
「大丈夫……、だよね?」
 申し訳なさそうに俺の顔を覗き込んでから、ムニュはしゃんと背を伸ばし俺に手を差し伸べた。
「ようこそ、鬼族の故郷、土家の森へ」
 ――か、可愛い。特にうさぎ耳が。
「あ、ああ。よろしく」
 ムニュの柔らかな手を握り、俺はゆっくりと立ち上がった。

 ムニュに手を引かれ、俺は恐る恐る森の中に入る。
 ――森の中には鬼がウヨウヨしてるとか?
 鬼族の故郷なら、ムニュのような鬼っ娘ばかりではないはずだ。
「なにキョロキョロしてるの? もしかして……、陽平、森が怖いとか?」
「ち、違うよ。ムニュのご両親にお会いしたらご挨拶しなくちゃって緊張してんだよ」
 なぜに敬語? 俺は強がってみたものの、声が微妙に震えてしまっている。
「あはははは。大丈夫だよ陽平。だって鬼族って今は私しか居ないんだもん」
「えっ、ムニュだけ? 他の方々は狩りでどこかに行ってるとか?」
 何を狩ってんのか知らないけど。
「ちがうよ、陽平。鬼自体がこの森には私しか居ないのよ。他のみんなは土の中に居るか、樹木になっちゃってるから」
「土の中? 樹木?」
「鬼族はね、ほとんど植物みたいな生き物なの。最初は種だしね」
 えっ、ムニュも種から生まれたのか?
「まず鬼の種を植えると、五年かけて土の中で鬼の姿になるの」
 なんか蝉みたいだな。
「土の中に居る時はね、ずっと森の声が聞こえている。そこでいろいろなことを学ぶのよ」
 鬼族が森の種族と呼ばれる理由が分かるような気がする。
「そして五年後に土の中から出てくるの」
 それって、土の中から鬼が出てくるってこと!?
 想像したらすごく怖いぞ。墓から蘇るゾンビみたいじゃねえか。
「地上で過ごせるのはそれから五年間」
 たったの五年!?
「合わせて十年間を生きたら、魂の行き場を選択しなくちゃいけない。コロンドン星に戻るか、この地球に留まるか……」
 魂の行き場って……、それはどういうことだ?
「地球に留まる選択をすると、樹木になってこの森の一部になるの。そうしなければ体は消滅し、魂はコロンドン星に転送されてしまう」
 するとムニュの両親もこの森の一部に!? いや両親だけじゃない、この森は鬼族の魂で構成されているんだ。
「ほら、陽平こっちに来て。この森は樹木はみんな私の親戚なのよ」
 ムニュは俺の手を引いて、森を案内し始めた。

「これはツルノキおじさん、長いツルを伸ばしてくれるからブランコやターザンごっこができるのよ」
 大きな木の枝から釣り下がっているツルに、ムニュは腰かける。
「ほんとだ、ブランコみたいだ」
「陽平もおいで」
 俺はムニュの隣に腰かける。すると彼女はいたずらっ娘の眼差しをこちらに向けた。なんか嫌な予感。
「行くわよ! しっかりとつかまってて!」
 ムニュは力の限りにブランコを漕ぎ出した。
 ――ちょ、ちょっとやり過ぎじゃね?
 二、三回往復するうちにたちまち加速したブランコは、もう少しで一回転するんじゃないかという高さまで上昇した。高さは優に十メートルを超えている。
「し、死ぬぅ~」
 俺は情けないことにムニュにしがみついた。頭になにか柔らかいものが当たっているが、今はそれどころではない。
「あはははは、すごいでしょ。最高よね、ブランコって」
 ターザンはやらないぞ、絶対に。
「その他にもね、ヒルネおばさんとかホラノキじいさんとか、楽しい樹木が沢山あるのよ」
 モルヒネおばさんとホラフキじいさん?
 俺達は妖しい森の中で思う存分遊びまくった。

 遊び疲れると、ムニュは森の奥深くに俺を案内する。
 そこには少し開けた広場があり、中央には大きな岩が鎮座していた。円形に空いた樹木の切れ間から青空がのぞき、太陽の光がその岩を照らしている。なにか、神聖な場所のようだ。
「ここはね、鬼族の根源でもある儀式の場……」
 すると、俺達は……、ここで、合体をすることになるのか……?
 俺はゴクリと唾を飲む。
「合体する覚悟は、できた?」
 ああ。
 俺は返事をする代わりにムニュの手をぎゅっと握る。そして彼女の体を自分の方へ引き寄せた。
「陽平、好き……」
 素直に体を預けてくるムニュの肩に手を回し、俺達はしっかりと向き合った。
 瞳と瞳が交差する。
 熱いものが一瞬で俺の体の中を一周した。
「俺もだよ、ムニュ」
 そして瞳を閉じたムニュの唇に、そっと唇を重ねる。
 唇が離れると、しっかりと彼女を抱きしめた。
「ありがとう、記憶を手放す決断をしてくれて……」
 耳元でささやくムニュ。
 ――えっ、記憶を……、手放す?
 俺の動揺は、すぐに彼女に伝わった。
「あれっ? 言ってなかったっけ? 合体すると記憶が失われること」
「聞いてないけど……」
「あちゃー、私ってバカだね。こんな大事なこと言い忘れるなんて」
 俺とムニュは神殿のような岩に並んで腰かけた。

「えっと私、どこまで話したんだっけ?」
 ペロっとムニュが舌を出す。
「ツルノキおじさん?」
 するとムニュは呆れた顔をした。
「記憶のことを言いそびれたんだから、その前よ」
 なんだったっけ? その前って……?
 ツルノキおじさんは地球に魂を残した鬼族なんだから、そうか、その選択だ。
「鬼族は生まれてから十年経つと、魂の行き先について選択を迫られる、ってとこまでかな」
「そうそう、そうだったね」
 ムニュは前を向き、森を見る。
「その選択が合体なの。地球人と合体した鬼族の魂は、地球に留まることができる。ツルノキおじさんのように……」
 するとこの森の樹木はすべて、地球人と合体した鬼族の姿なのか。
「合体する際、地球人は記憶を、鬼族はツノを差し出すことになるのよ」
 それで記憶か……。
 俺の十五年の人生なんて大したものじゃないし、彼女がいるわけでもない。ムニュと合体できるなら差し出してもいいような気がする。受験がちょっと心配だが、上位校を狙っているわけでもないし。
「それでね、記憶とツノが融合して鬼の種ができるの。いわば私達の赤ちゃんよ」
 俺達の赤ちゃんか。
 そんな言葉、ドラマでしか聞いたことがなかったけど、実際に女の子に言われてみるとなんか素敵。
「その種を植えると、五年後にあなたの記憶を持った鬼の子が土の中から出てくる。私達の子なんだから、きっと可愛い子よ」
 女の子ならムニュに似た娘がいいな。
「その合体を可能にするのが私達が座っているこの装置なの」
 えっ、この岩って何かの装置?
「人鬼合体バイオレンジっていう、生体融合装置」
 俺は振り返り、背後に鎮座する岩を見上げた。
「大丈夫よ。チンするだけだから」
 チンするだけってレンジじゃあるまし。いや、レンジなのか、この装置は。
 いやいや、それが問題なのではない。合体って、あんなことやこんなことをすると期待してたのに……。
「ゴメン、説明が遅くなって。恐くなっちゃった?」
「えっ、い、いや、そんなこと……」
 記憶を失うのは恐くない。しかし合体という行為が予想と違っていてすごく困惑している。なんて言う勇気もなく、俺は言葉を濁した。
「やっぱりね。でも大丈夫よ、陽平。あなたは二度目なんだから」
「えっ!?」
 俺は言葉を失う。
 二度目? 合体が!? って、どういうことだ……?
「陽平が覚えていないのは仕方がないの、一度目の合体で記憶を失っちゃったんだから」
 ムニュは静かに真相を語り始めた。

「あれは八年前だった。あなたがまだ七歳の頃ね。おばあちゃんの家を抜け出したあなたは、この森に紛れ込んでしまったの」
 そんなことがあったとは全く記憶にない。
「それでね、あなたは偶然見てしまった。鬼の子が土の中から出てくるのを。出てきたのは可愛い鬼の娘だったんだけど、あなたは腰を抜かしてしまった。人の形をしたものが土の中から出て来るという事自体に」
 七歳の子供にとって、暗い森で目撃したそれは驚愕の出来事だったに違いない。
「ガタガタと震えるあなたを見て、鬼の娘は決断したの。この男の子の記憶を消してあげようって。だって、この記憶が男の子のトラウマになるのは明らかだったから」
 俺が今、何事もなく暮らしていけるのは、その鬼の娘の決断のおかげだったのか。
「結局、この場所で二人は合体した。そしてその時に生まれた種が私」
 俺はすでに初体験済みだったとは……。
「私はね、最初あなたを恨んだわ。だってママはね、地上に出てすぐに合体しちゃったのよ。地上での楽しい生活を味わうこともなく、魂の行き場の選択をすることもなく。ママがあなたに出会わなければ、あなたがこの森に来なければ、ひいては加太陽平という人間がいなければって」
 ムニュはぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「あなたにはわかる? この辛さが。しかも私の頭の中には憎き加太陽平の記憶しかない。ママの楽しい記憶なんてこれっぽっちもないのよ。最悪よ、全く」
「ご、ゴメン……」
 俺にはそう言うのがやっとだった。
「でもね、私にはわかる。その男の子の恐怖が。そして私はずっとその男の子の事ばかり考えていた。だって私は加太陽平しか知らないんだから。そして決心したの、合体するならこの人だって」
 恐る恐る俺はムニュの顔を見る。彼女はもう泣いてはいなかった。
「あなたに会ってわかったの。あなたは悪い人じゃない。あの事件は偶然で、どちらも被害者だったんだって。本当に不幸な出来事だったんだって」
 ムニュ、ありがとう。そう感じてくれて。
「実はね、去年の夏もあなたに会いに行ったの。だって去年は、あなたと私が同い年でいられる唯一の夏だったから。でもね、勇気を出せず私はあなたに声を掛けることができなかった」
 そんなことがあったんだ……。
「もう後悔したくない。そんな強い気持ちで、今年はあなたに飛び込んだの。鬼族の私に、あなたは優しくしてくれた。素敵な思い出というおまけ付きで。だからもう思い残すことはない。私はあなたと合体して、この森の一部になる」
「いいのかい? それで」
「うん。私はあなたが好き。心からそう思う」
 俺はしっかりとムニュを抱きしめた。そして再びキスを交わす。
「合体したらムニュはどうなるんだい?」
「すぐに体を失うわけじゃないの。ツノの無い姿で七日間の日々をこの森で過ごす。あなたは記憶を失っちゃうけど、私が村に連れて行ってあげるから安心して」
 そしてうさぎ耳をツノから外し、俺のズボンのポケットに押し込んだ。
「このうさぎ耳を見て、もし、私のことを思い出してくれたら……」
 そんなことはないという諦めの表情を、一粒の涙が通過する。
「私、待っているから。この高原の入り口で」
 そしてムニュは俺の胸に抱かれながら、バイオレンジのスイッチを押す。 
 消えゆく意識の中、俺はチンという音を聞いた。

 ☆ ☆ ☆

 目を開けると、視界に入って来たのは神殿のような大きな岩だった。
 ここは五年前、俺とムニュが合体した神聖な場所。
 同じく神殿を見つめているミーボーに、俺は静かに声をかける。
「ミーボー、あれからどうなったんだ?」
「ボクにもわからないよ。だって合体した直後に、ボクは種になっちゃったんだもん」
 そりゃそうだな、それが育ってミーボーになったんだから。
 なにか、その後の様子を知る手段はないだろうか?
「そうだ、ドゲーの言葉があるじゃないか。親族同士なら記憶の伝達ができるんだろ?」
 もしかしたら、ムニュの木もこの近くにあるかもしれない。
「うん。パパにしてはナイスアイディアだね。ボクやってみるよ」
 パパにしてはは余計だ。
 するとミーボーは近くの木の幹に手を当て、ドゲーの言葉を唱え始めた。
「ミーボー・ドゲー・……」
 そこで言葉が止まる。
「パパ、ダメだよ。相手の名前が分からない」
 世の中すべてがうまく行くわけではなさそうだ。
「じゃあ、ママの名前で試したら?」
「うん、やってみる!」
 ミーボーはいつもの表情をとり戻した。
「ミーボー・ドゲー・ムニュ!」
 一本の木がダメでもまた次の木へ。
「ミーボー・ドゲー・ムニュ。ミーボー・ドゲー・ママ!」
 あきらめずに何度も、失敗しても挫けることなく。
「ミーボー・ドゲー・ムニュ、ミーボー・ドゲー・ママ、ミーボードゲームニュ、ミーボードゲーママ、ママ、ママ、ママ……」
 広場を囲むすべての木に試したところでミーボーは泣き崩れる。十歳の子供にとってこの森は広すぎた。
「ごめん、ミーボー。もういいから、今はいいから」
 俺はミーボーを抱きしめる。もっと早く止めてあげるべきだった。仮にも俺はこの子の父親じゃないか。
 ――それにしてもムニュの木は一体どこにあるんだ?
 ミーボーの頭を優しく撫でながら、俺は先ほどの記憶の伝達を振り返る。そしてムニュの最後の言葉を思い出した。

「私、待っているから。この高原の入り口で」

 そうだ、あの樫の木。
 あの木は五年前には無かった。ならば、あれがムニュの木じゃないのか?
「ミーボーわかったぞ、ママの居る場所が!」
「えっ、ホント!?」
 驚くミーボーの手を引いて森を出る。そして、高原の入り口にポツリと立つ樫の木を俺は指さした。
「あの木がきっとママだよ。だって五年前にはあの木は無かった」
 一目散に樫の木に向かって走り出すミーボー。それはまるでママの胸に飛び込むように。
 そして樫の木に寄り添いドゲーの言葉を唱える。
「ママ、ここに居たんだね……」
 俺は木陰に身を寄せながら、母子の再会を静かに見守っていた。

「パパ、ボクね、しばらくここで過ごすよ」
 いつの間にか太陽は、その身をオレンジ色に染めていた。
「大丈夫か? 食べる物とかあるのか?」
「心配しないで、パパ。だって一昨日までこの森で生活してたんだから。鬼族はほとんど植物だって言ったでしょ。光合成ができるから問題ないし」
 それなら大丈夫か。
「それでね、この耳が似合うようになったらパパの所に行くね」
 うさぎ耳をその小さなツノに被せようとするミーボー。耳のほとんどは、頭からだらんと垂れ下がってしまった。
「あはははは。そんなんじゃまだまだ無理だな。って、そんなもの付けて俺のところに来るなよ」
 男の子のくせに。
 そう言おうとしたが、オレンジ色に染まるミーボーの笑顔はムニュにむちゃくちゃそっくりで、俺ははっと息を飲む。
「だってボク、女の子だもん」
 困った俺が樫の木を見上げると、ふふふと笑うように木の葉が揺れていた。




 おわり



ライトノベル作法研究所 2012夏祭り企画
テーマ:複合ジャンルコメディ(本作は「コメディ」×「SF」)
お題:「うさぎ」、「オレンジ」、「殺人鬼」、「太陽」、「ボードゲーム」、「ロンドン」

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