永遠凝視者2017年07月03日 20時51分30秒

 サラリーマンが行き交う週明けの駅前に預言者が現れた。
 なんでも、遥か未来のことをピタリと言い当てるそうだ。
「七百兆日後の世界は……」
 なっ、七百兆日といえば、二兆年後じゃないか。
「月曜日です」
 人類が生きていればな。



500文字の心臓 第156回「永遠凝視者」投稿作品

カルナボール2017年05月17日 22時58分22秒

 ほら、よくあるだろ?
 似たような言葉って、言ってるうちにどっちが正しいのかわかんなくなっちゃうってこと。
 例えば、カルボナールとカルナボール。
 試しに交互に十回言ってみな。ほら、もうわからなくなった。
 えっ? どっちも間違ってるって?
「そんな細けぇこと、いちいち気にしてられねえんだよ!」
 俺は強引に飛び越える。登校時間が過ぎて閉ざされてしまった校門を。
 ――その時だった。
 不意に何かが俺に向かって飛んできたのは!

「何ィ!? 卵ォ???」

 直感。そんな感じだったんだ。
 校舎の屋上から投げつけられたと思われるそいつは、すごいスピードで俺に近づいている。が、幸い、その軌道は俺の体には到達しそうもない。すぐ手前の地面に落ちそうだ。
 なーんて楽観視してられるかよ。割れれば黄身がズボンに飛び散るし、なによりも食べ物を粗末にしちゃいけないと死んだ祖母ちゃんが言ってた。
「間に合うかッ!?」
 俺は卵に向かってダイブする。
 野球でセンターとかの外野手がよくやるだろ? グラブを前に投げ出すようにして球をキャッチするあの体勢だ。今の俺もそんな風に精一杯、体と手を前に伸ばしていた。
 重力の勢いを借りて加速してきた白いそいつは、俺の掌になんとか収まる。
 さてここからが本番だ。殻を割らずに勢いを抑えることができるか――その結果次第で、今日一日の運勢が決まってしまうような気がした。しかし――
「げッ、最悪」
 捕球、いや捕卵失敗。
 掌の中でぐしゃりと卵が潰れる感触がする。
 仕方がない。もともと割れやすい存在だ。せめて黄身が飛び散らないようにと俺が掌を閉じようとした瞬間、予期せぬ感覚が俺を襲った。
「なッ!? アチッ、アチチチチィッ!!!」
 掌の中で潰れた卵は、猛烈な熱を発し始めたのだ。
 俺は直ちに起き上がり、卵を地面に叩きつける。
「何だ、何だ? ゴホッ、ゴホッ……」
 地面でシュウシュウと黄色い煙を発し始める卵。煙の量はハンパなく、俺の視界は完全に失われた――

 〇

(なんだよ、あの卵……)
 先ほど起きた不思議な出来事を思い出しながら、俺は先生の後について廊下を歩いていた。
 転入初日、事もあろうに遅刻してしまった俺は、職員室に着くなり教室に向かうことになった。朝のホームルームはとっくに終了し、一時間目も半分くらい経過している。これは後で聞いた話だが、この日の一時間目は偶然にもクラス担任の授業で、俺が到着するまですっと職員室に待たせてしまっていたらしい。
(黄色い煙もわけわかんないし……)
 しきりに時計を気にする先生を横目に、俺は卵のことばかり考えていた。
 だって気になるだろ? 高熱を発したかと思うと、すべて煙になって消えちゃったんだから。信じられないことに、殻も黄身も後には何も残らなかったんだ。
(一体あれは何だったんだ?)
 不思議な卵。
 そんな表現が正しいのかどうかはわからないが、とにかく俺の頭の中はこの卵のことで一杯だった。
 普通、転入生だったら教室に向かう時って色んなことを考えちゃうと思う。「新しいクラスがいい奴ばかりだといいな」とか、「自己紹介で何言おうか?」とか、「ウケ狙いで滑ったらどうしよう?」とか。心臓だってバクバクもんだ。しかし今の俺は、そんな憂いとは無関係の精神状態だった。
 そんなわけで、自己紹介で教壇に上がった俺の挨拶も、名前と卵のことだけになっちゃったんだ。

「俺の名前は日辺理雄(にちべ りお)。校門のところで煙を出す不思議な卵が飛んで来たんだが、誰か教えてくれないか?」

 時が止まるというのは、こういうことを言うのだろう。
 クラスの連中が俺にどんな挨拶を期待していたのかなんてわからないが、予想外の内容だったことはすぐわかった。しかし一瞬で変化したクラスの雰囲気は、「期待はずれ」と呼べるものではなかった。
 ――驚き。
 そいつは、やっちまった的な要素をかなり含んでいた。俺は「何か悪いことをしてしまったのだろうか」と後ろめたい気持ちに囚われる。
 煙を出す卵なんて、変な事を言っちゃったから? 
 もしかしたら、煙を出す卵というのはこの学校のNGワードなのかもしれない。
 そもそも卵を投げた奴が悪いんじゃないか。俺は悪くない。祖母ちゃんの教えに従っただけだ。それにあれは卵じゃなかったし……。
 その時だった。
 ガリガリとドアを引っ掻く音がして、一匹の柴犬が教室に入ってきたのだ。
「あっ、小次郎だ!」
「小次郎が来たぞ、授業が始まるっていうのに……」
 クラスメートの言葉から察して、どうやらその柴犬は「小次郎」と言うらしい。
 茶色でクリクリとした瞳が可愛い小次郎は、教室に入るなりクンクンと辺りの臭いを嗅ぐ。そして俺にターゲットを絞ると一目散にやってきた。
「おー、よしよし!」
 なんだかわからないが、突然の可愛い訪問者に俺は思わず床に片膝をついて鞄を置いた。頭を撫でると、フサフサした毛が気持ちいい。
 しばらく気持ち良さそうに頭を撫でられていた小次郎だが、再びクンクンと鼻を鳴らすと俺の右手に興味を示す。そしていきなりペロペロと掌を舐め始めたのだ。
「あはははは、くすぐったい、くすぐったいよ……」
 背中が猛烈にムズムズする。手を引っ込めると、小次郎は俺の右手を追ってじゃれついてきた。
 たまらなくなった俺が小次郎を抱きしめたその時――
「あなたね、私の卵をキャッチした人は!」
 まるで犯人を見つけたかのような強い口調。
 顔を上げると、小次郎が入ってきたドアのところにキリッと鼻筋の通った一人の美しい女生徒が立っていた。

 教室がざわつく。
 女生徒の登場が原因かと思いきや、必ずしもそうではないらしい。「キャッチしたって本当かよ」という声が聞こえてくるので、彼女の言葉の真偽もざわめきの発生源なのだろう。
 まあ、俺の運動神経なら楽々キャッチだけどな。
 なんだか得意な気分になり、俺は小次郎を抱いたまま立ち上がる。
「ああ、俺だけど」
 女生徒の背の高さは俺と同じくらい。ということは、女子の中でも高い方になるんじゃないだろうか。
 先生もキャッチの事実に驚いたようで、厳しい口調でその女生徒を問い詰め始めた。
「その話は本当か? 月緒」
「申し訳ありませんが、本当です」
 マジかよと教室がさらにざわつく。
 月緒と呼ばれたその女生徒は、唇を結んで悔しそうに目を伏せた。
「月緒、お前は言ったよな、決して生徒の体には当てないと。先生達は皆その言葉を信じて、あの卵の使用を許可してるんだぞ。それを分かってるんだろうな」
「はい。生徒会を代表して、ペナルティーはきちんと受けたいと思います」
 どうやら俺は、美少女を謝らせるほど悪いことをしてしまったらしい。
「だから先生。今は直ちに彼を保健室に連れて行きたいんです。お願いします!」
 彼女は先生に向かって深々と頭を下げた。パサリと軽い音がして彼女のショートヘアが前に垂れる。ピンと伸ばした手先をスカートの横に添えるその姿を見た瞬間、不覚にも俺の心臓はドクッと脈打つ。俺が持ち合わせていないストレートな態度が新鮮だった。
「仕方がない。彼の健康が優先だ、早く連れて行け」
「ありがとうございます!」
 ハキハキとした声と共に礼を解いた彼女は俺の元に駆け寄り、小次郎を抱く俺の左腕を掴んだ。
「ほら、行くよ。保健室に」
 小次郎を抱いたまま、なんだかわけがわからず俺は教室を後にする。
 そういえば俺って、新しいクラスで自分の名前と卵のことしか喋ってねえぞ。
 ドア越しに見える呆気にとられたクラスメートの表情が妙に印象的だった。

 〇

「あれ? どうしたの? カルナちゃん、こんな時間に」
 保健室に着くと、白衣に身をまとった女性が俺達に声をかけてきた。きっと保健の先生だろう。にしてはスタイルはいいし、長い髪をカールさせてるし、明日からの登校がむちゃくちゃ楽しみになっちゃいそうな先生だった。
「先生、彼のことをすぐに診てほしいんです。実は、例の卵を彼に当てちゃって……」
 彼女は俺の手から小次郎を受け取ると、腰で押すようにして俺を先生の元へ突き出した。その大胆な行動に一瞬ドキリとしたが、もっと驚いたのは予想外の腰力の強さだった。これはか弱い女子の腰つきじゃない。
「卵が当たっちゃったことって、今までに一度も無かったじゃない。野球部のエースらしくないわね」
 野球部のエース?
 道理で腰力が強かったわけだ。
 俺は納得すると共に、頭の中に何かモヤモヤが生まれているのに気が付いた。
 野球部。そしてさっき彼女は、教室で「生徒会」って言ってた。
 生徒会で野球部――どこかで聞いたことがある……

『お前が転入する学校の噂を聞いたぞ。友人として忠告しておく。生徒会長には気をつけろ。女子硬式野球部のエースで、彼女に睨まれたらあの学校ではやっていけないらしい。彼女の二つ名は……』

「も、もしかして、鬼の生徒会長ォ!?」
「誰が鬼よ!」
 やべぇ、思わず口に出しちまった。本人の目の前で。
「私にはちゃんと名前があるの、月緒カルナ(つきお かるな)っていう。二度とその名で呼ばないで! そう言う君は? 見かけない顔だけど」
 飛び出た角がしゅるるると引っ込んで助かった。ここは忠誠を誓わねば。
「日辺理雄、二年生、本日付けの転入生であります、会長殿!」
 直立不動の俺に、会長は呆れたような眼差しを向ける。
「やめてよ、そんな呼び方。こそばゆい」
「はっ、会長殿!」
「だから……、もういいわ。とにかく先生、まず彼の目を診ていただけませんか? 卵の粉が目に入っていたら大変なんで」
 深くため息をつきながら、会長は先生の方を向いた。
「わかったわ。面白いわね、彼」
 俺たちのやりとりを見ていた先生は、クスクスと笑いながら椅子に腰掛ける。ん? 先生には好印象?
「じゃあ、私の前の椅子に座って」
 椅子に腰掛けた俺は、ペンライトで両目をジロジロと観察された。
 鬼の会長殿に睨まれるのは嫌だが、美人の先生に診られるのはすごくいい。
「異常は無いみたいね」
 先生は一通り俺の眼の検査をすると、ペンライトを机の上に置く。
「よかったぁ……」
 まるで自分の事のように安堵の溜め息を漏らす会長。
 鬼の目にも涙? いや、そんな表情をしても騙されないぞ。
「次は彼の右手を診ていただけませんか? 火傷をしてると大変なので」
「卵は右手に当たったの?」
 その言葉は俺のキャッチ魂に火を付けた。
「当たったんじゃねえ、キャッチしたんだ」
 そして先生の前に右の掌をかざしてアピールする。
「キャッチした!? カルナちゃんが投げた卵を? あなたが!?」
 どうしてどいつもこいつもそんな反応をするんだ?
 それほどまでに彼女の投げる卵はすごいのか!?
「ああ、ダイビングキャッチだ。食べ物は粗末にしちゃいけねえってのが祖母ちゃんの遺言でな」
「そ、そんな理由で?」
 俺の説明を聞いて先生はケラケラと笑い出す。なんだか祖母ちゃんが笑われたようでちょっと嫌な気持ちだけど、あれが本物の卵だったら先生だって分かってくれるはず。
「一体あの卵は何なんだ? キャッチしたと思ったら猛烈に熱くなるし、その後で煙モクモクだし……」
 俺はその時の様子を思い出しながら右の掌を見つめる。
「その時、君はどうしたの?」
「すぐに卵を地面に叩きつけてやったさ。すげぇ熱かったからな。だから火傷はしてねえ」
 先生は俺の掌に左手を添えると、マジマジと観察し始めた。そして右手で触診を始める。
「賢明な判断ね。痛いところはない?」
「ああ」
 本当は卵が当たったところがちょっとジンジンするんだけど内緒だ。あと、ダイブした時に擦りむいたところが痛い。
「大丈夫そうよ、カルナちゃん」
 そして先生は俺達に言った。
「卵のことは、カルナちゃんに聞いてみて。そしたら二人とも教室に行きなさい。小次郎は先生が預かっておくから」
 なんだか名残惜しいが、俺は再び会長に連れられて教室に戻ることになった。

「あの卵はね……」
 保健室を出ると、歩きながら会長が説明を始める。ついに卵の正体が明らかになると、俺は耳に意識を集中した。
「殻の主成分が生石灰なの」
「聖水結界?」
「せ・い・せっ・か・い!」
 聞いたこともない名前だ。
「酸化カルシウムのことよ。君……えっと、日辺君……だって習ったよね? 二年生なんだから、化学の時間に」
「いや、前の学校ではやらなかった。それと俺の呼び名は理雄でいい」
 化学はずっと寝てたからな。習ったかどうかも分からない。こんな時、転入生って便利。
「じゃあ教えてあげるわ、理雄君。この生石灰が厄介な物質で、肌に触れると炎症を起こすし、目に入ったら失明することだってあるの」
 マジか?
 ていうか、そんな危ないもん投げんなよ。
「何で会長は、人に向けてそんなもん投げてんだ?」
 どうやらこの言葉は地雷だったようだ。会長は顔を真っ赤にして反論する。
「決して人に向けてなんて投げてない! 確実に手前の地面に当ててきたの。だって私は野球部のエースなんだから」
 エースがどれだけ偉いのか分からないが、俺のキャッチが彼女のプライドを深く傷つけたことは明らかだった。
「それ、今朝までの話な」
「ぐっ……」
 会長は黙り込んでしまう。事実は言葉よりも重い。
 ちょっと可哀想になった俺は、質問を微妙に変えてみる。
「もう一回訊くけど、何でそんな危ないものが必要なんだよ?」
「それはね……」
 顔を上げた会長は、話の内容を整理しているような様子だった。
「煙を出すためよ。あの卵の殻には燻蒸剤が混ぜてあって、コーティングされた卵の内側には水が入ってるの。卵が割れると生石灰と水が激しく反応して高温になり煙が出る。ゴキブリ退治に使われるアレと同じ原理よ」
 へえ~、なんだかよく分からないけど、あの煙はゴキブリ退治のアレと同じということだけは分かった。
「理雄君、今朝は遅刻して校門を乗り越えたでしょ?」
 うーん、確か、考え事しながら何かの障害物を乗り越えたような気がする。転入生ってなんかハードル高けぇなって思ってたんだ。ていうか、全部見られてたのかよ。
「だからあの卵は警告。イエローカードよ」
 ええっ!? イエローカードだって??
 煙の色はそういう意味だったんだ……。
「あの煙には、犬の好きな匂いを混ぜてあるの。一度あの煙を浴びたら逃げられないのよ、小次郎の鼻からはね」
 そうか、だから会長が教室に現れる前に小次郎がやって来たのか。会長の出現にクラスがあまり驚かなかったのは、そういうことだったんだ。
「それなのに、わざわざキャッチする生徒が現れるとはね。思い出しても悔しいわ」
 ギリリと拳を握りしめる会長。そして次第にキレ始めた。
「今まで私、絶対に人には当てなかったのに……。どうしてくれんのよ、理雄君のせいよ、始末書出さなきゃいけないじゃない! お祖母ちゃんの遺言が何よ。キャッチなんて、キャッチなんて、余計なことしてくれちゃって……」
 うひぁ、また鬼が現れた! 殴られそうな恐怖を感じて、俺は思わず身構える。
 しかしそこで彼女の様子が一変する。「キャッチ?」と呟いた後、ぱあっと表情が明るくなったのだ。
 それまでの鬼の形相が嘘のよう。理由はさっぱり分からないが、やっぱり女の子は笑顔がいい。
「ねえ、理雄君。今日の放課後空いてる?」
「あ、ああ……」
 瞳をキラキラと輝かせる会長。絶対、裏に何かあると思いつつも、その豹変ぶりに見とれた俺は迂闊にも生返事をしてしまった。
「じゃあ六時に狛犬公園集合ね。絶対来てよ。来なかったらひどい目に遭わすからね」
 捨て台詞を残して彼女は去って行く。
 教室の前に残された俺は唖然としながら、嬉しそうにチェックのスカートを揺らす会長の後ろ姿を眺めていた。
 これってデートの誘い……じゃないよね?

 〇

 教室に戻った俺はヒーローだった。
「すげぇな、あれをキャッチするなんて!」
「カルナが先生に怒られるとこ、初めて見た」
「いやぁ、しゅんとするカルナを見てすうっとしたよ!」
「ざまあ見ろだな、いつも生徒を苛めてるバチが当たったんだ」
 どうやら鬼の生徒会長殿は噂通り嫌われ者らしい。
 ちょうど二時間目が終わったばかりの教室では、俺は桃太郎の称号を得たかのように歓迎された。
 教室に置き忘れていた鞄は、窓際の後方の席に置いてある。どうやらその場所が俺の席らしい。やっとのことで解放された俺は、深いため息と一緒にどっと席に着く。
 すると前の席に座る銀縁メガネの男子生徒が振り返る。
「どんな感じだった? カルナボール。あっ、俺、土佐続樹(とさ つづき)、よろしくな」
 面長で色白。なんだか賢そう。
「カルナボール?」
 カルボナールの間違いじゃないのか? と思ったが、カルボナールでも話は見えてこない。
「お前がキャッチした卵の事だよ。カルナが投げるからカルナボール。皆そう呼んでるぜ」
 へぇ、カルナボールね。そっちの方が覚えやすいかも。
「アレには皆、痛い目に遭ってんだよ。二回食らうと停学だろ?」
 二回……って?
 あっ、そうか、イエローだから二回でレッドか。しかしたった二回で停学ってのも厳しいな。
「屋上から飛んで来るんで、たち悪いし。気付いたらすでに煙の中だし」
 やっぱり卵は屋上から飛んで来たんだ。じゃあ、あの時屋上に会長がいたってこと?
「そしたら小次郎やって来るし、小次郎来たらアウトだし。無邪気にあの犬を撫でられるのも今のうちだぜ」
 ということは、もう一回小次郎が俺のところに来たら停学ってこと?
 そりゃ、ないぜ。俺は転入生で知らなかったんだから。
「ところで、カルナボールをどうやってキャッチしたんだ?」
 続樹は目を輝かせながら訊いてくる。
「どうやってって、ただダイブしただけだけど」
「ダイブって、そりゃ相当な反射神経だぜ。すごいな」
 男子生徒に言われると、本当にすごいような気がする。照れるじゃないか。
「それでどんな感じだった?」
「どんな感じって?」
「カルナボールだよ。あれって中に何が入ってるんだ? まさか、本物の卵ってことはないだろ?」
 あれれ? 何が入ってるんだったけ?
 うーん、教室に来る前に委員長から説明を聞いたような……。
 俺は必死に思い出す。
「なんか、お節介にひや水で激アツって感じ? みたいな。いや、バルサーノだったかも」
 すると続樹は苦笑しながら顎に手を当てて、何かを考え始めた。「やっぱ節介と水の反応か」とか「カーバイトで試してみるか」とか呟いている。上手く伝わったみたいでなんだか嬉しい。ていうかこいつ、カーショップでバイトしてんのか?
「まあ、今回の件でカルナボールの弱点が明らかになったしな。人に当てられないってのは盲点だった。すげぇお手柄だよ」
「いやぁ、それほどでも」
 そのせいで放課後、会長から呼び出しを食らってるんだけど。
「カルナに酷い目に遭わされた連中は皆、一泡吹かせてやりたいと思ってんだよ。俺を含めてな」
「でも、なんでそんな危険な卵の使用を学校側は許してんだ?」
「そりゃ、カルナがこの学校の英雄だからだよ。春の選抜で準優勝できたのも、カルナのおかげだしな」
 へえ、会長のピッチングってそんなにすごいんだ。
 まあ屋上から正確に卵が投げられるんだから、選抜準優勝は当然なのかもしれない。
 まさか放課後になってそのピッチングを目の当たりにすることになるとは、この時は思いもしていなかった……。

 〇

「狛犬公園、狛犬公園っと……」
 俺はスマホの地図を見ながら、会長との待ち合わせ場所に向かって走る。幸い、公園は学校から数百メートルの位置にあった。
「遅いッ! 三分遅刻!!」
 制服姿の会長が、公園の入り口で仁王立ちしていた。
 いやいや、たったの三分だろ?
「これが学校だったらイエローカードだからねっ!」
 おいおい、てことはたったの三分が二回で停学かよ。
 そんなの暴動が起きちまうぜ。てか、すでに起きそうな雰囲気だったよ、続樹の話では。
「とっとと始めるよ! 暗くならないうちに」
 今は五月の半ばだ。あと一時間は明るいと思うけど……。
 ていうか、何を始めるんだよ?
 大きな荷物を背負った会長は、小さな林を抜け芝生の広場まで移動すると、ブツブツと何かを呟きながら歩測で距離を測り始める。
「十八・四四メートル、十八・四四メートル……」
 そして荷物の中からホームベースを取り出した。
 それって……、ま、まさか、ピッチング練習?
 予感は的中。会長は荷物の中からキャッチャーミットを取り出すと、俺に向かって投げる。
「それ使って。マスクとプロテクターは無いけど、理雄君の抜群の運動神経なら必要ないよね」
「お、おう」
 分かってるじゃねえか、俺のこと。
 と強がっていられるのは最初だけだった。肩慣らしのキャッチボールで会長が投げてきたボールは、やけに硬かった。
「ちょ、ちょっと、これ硬球じゃねえか!?」
「当たり前じゃない、硬式野球部なんだから。なに? 卵は捕れても硬球は捕れないって言うの?」
「くっ……」
 まんまとはめられた。今さらできないなんて言えねぇ。
「それで? 俺は会長の球を受けるだけでいいのか?」
 キャッチボールをしながら俺達は会話を続ける。
 実際にボールのやり取りをしてみて実感したが、会長はコントロールがかなりいい。綺麗なオーバースローから繰り出されるボールは、構えたミットめがけて確実に飛んで来る。それに球威だって女子のものとは思えない。屋上から正確に卵を投げられるというのも納得してしまう。
「そうよ。高速シンカーの練習がしたいの」
 校則進化?
 おいおい、こんなところで学校の規則を変えようってのか? 
「そんなの学校でやればいいだろ?」
「無理よ、誰もできないもの」
 ほお、この学校は生徒会長が全権を握ってるのか。
 あの卵の使用が特別に許可されたように、もしかして会長は自由に校則を変えられるとか? 上手く会長に取り入れば、俺の希望も校則に反映されちゃったりして。
「俺も参加させてもらえるのか?」
「そうよ。だから今、こうしてキャッチボールをしてるじゃない」
 やった! 転入初日からツイている。
 さて、どんな風に校則を変えてもらおうかな。まずはやっぱり遅刻の廃止だよな。
 そんなことを考えていると、会長は右手にボールを持ってグルグルと肩を回し始める。
「さあ、肩が温まってきたから本番行くよ。まずはストレート。キャッチャー位置で構えて」
 なんだよ、校則改正するんじゃないのかよ……。
 俺は渋々ホームベースの後ろにしゃがみこむ。
 まあ、とりあえずは、お手並み拝見と行きますか。校則改正はそれからでも遅くない。
 俺がミットを構えると、会長は木の根っこを上手く利用したマウンドの上にすっと立つ。お腹の位置に置いた左手のグローブの中にボールと右手を入れ、深く呼吸を整えた。そしてゆっくりと左足を上げる。
(おっ、おおおっ!)
 紺色のソックスに包まれたキュッと引き締まるふくらはぎ。制服のスカートからは、次第に見事な太ももが露わになっていく。
(も、もうちょっとでパンツが見えちまうぞ……)
 大丈夫穿いてますよ的な高さまで太ももが上がったかと思うと、上半身を前に傾け、テイクバックした右手を高々と宙に突き出す。
(えっ、そのフォームって……)
 上げた太ももを前方に繰り出し、地面に踏み込んだ力が腰の回転を経由して右腕に伝わっていく。その刹那、右手がしなやかな鞭のように唸った。
(まさかのアンダースローォオ!?)
 不意を突かれた俺は、彼女の美しフォームに見とれながらも、これから高速で襲い来るであろう白い存在にゴクリと唾を飲む。
 地面ギリギリの高さから放たれたボールは、公園の草や花を揺らしながら俺に向かって飛んできた。そしてパンと甲高い音と共に、俺はミットでキャッチする。
 いや、ボールからミットに飛び込んで来たと言った方がいい。スピードが速すぎて俺は何も反応できなかったのだ。時速で言えば百キロは出ていたんじゃないだろうか。
「ちょ、ちょっと! 俺を殺す気か!??」
 会長はフンと鼻で笑う。
「何? 私の球が速すぎてビビっちゃった?」
「そ、そんなこと……」
 ゴメンナサイ、ビビりました。
「今のは序の口、次は本番の変化球よ。変なとこ見てるとマジで死ぬからね」
 げっ、太もも見てたのバレバレかよ。
 ていうか変化球なんて来たら冗談抜きで死んでしまう。
「ちょ、ちょ、ちょっとタンマ!! どんな変化球なのか教えろよ。どういう風に変化するのかをよっ!」
「だからさっき言ったじゃない。高速シンカーだって」
 へっ? あれって校則進化じゃなかったのか?
「まあ、聞きなれない用語だったかもしれないから具体的に説明してあげるわ。さっきのストレートとほぼ同じスピードでクッと落ちるからね。じゃあ行くよ」
 そう言いながら会長は左足をゆっくり上げていく。
(えっ、説明それだけ? それだけで捕れっていうの?)
 今度は太ももに見とれてる場合じゃない。キャッチできなくてもミットで体を守らないと、大変なことになってしまう。当たりどころが悪ければ、俺の人生設計がパーだ。
(集中! 集中!)
 会長の右手から繰り出されるボール。なんだかさっきよりも回転していないと思った瞬間、すっとボールが落ちる。俺はかろうじて反応し、パンという音と共にキャッチすることができた。
「凄いじゃない。あの球を捕ることができたのは理緒君が初めてよ。さすがキャッチの天才ね」
 いやぁ、照れるじゃないか……。ていうか、間一髪で生を勝ち取ったという感じだ。額に変な汗が流れてきた。
 でも、「俺が初めて」ってどういうことだ?
 会長にボールを投げ返しながら、俺は疑問をぶつけてみる。
「初めてってどういうことだよ? バッテリーを組むキャッチャーは捕れないのか?」
 すると会長はさらりと言う。
「そうよ。残念ながら女子では捕れる人が誰もいないの。うちの高校、男子野球部は無いしね」
 確かにあの球は女子では難しいかもしれない。
「だったら試合で使えねえじゃねえか。誰も捕れなかったらさ」
「大丈夫よ。秘策があるから」
 秘策? まさかダイリーグボールなんちゃらじゃあるまい?
「あの球はね、ここぞという時にど真ん中に投げるの。そしたらバッターは必ず振ってくれる。そんでもって確実にバットの下に当てるのよ。打球は凡ゴロ、キャッチャーも直接捕らなくていい。一石二鳥の作戦よ」
 んな、アホな。
 でも本当にそんなことができたら勝利にぐっと近づくのは確実だ。
「魔球だな」
「そう、私のウイニングショット。でも一つだけ欠点がある。誰も捕れないから普段の練習ができないの。ちゃんと練習できてたら春の選抜だって優勝できたのに……」
 ええっ? それって……。
 これからもこの練習が続くってこと?
「壁に向かって投げてればいいだろ?」
「いつもやってるわよ。でもね、それじゃダメなの。どれくらい落ちたとか、もう少しスピードがあった方がいいとかそんな情報は得られないの。キャッチャーからのフィードバックがあって、初めて練習になるのよ」
 いやいや、そんな回りくどい理屈じゃなくて、ひとこと「俺が必要」って言ってくれれば手伝ってやらないこともないがな。
「この公園の硬球使用者名簿に理雄君を登録するの、大変だったんだから。特別理由が必要で……」
 おいおい、事後承諾かよ。てか、何て書いたんだ!?
「大事なことだからもう一回言うよ。普段から練習できてたら夏はきっと優勝できると思うんだけどな……。私にとって最後の夏なんだけどな……」
 ずるいよ、そのおねだりは。断る方が鬼みたいじゃねえか。
 太ももが見たいからだけじゃないぞ。
 素直に物が言えない会長の態度が意地らしくなって、俺は柄にもなく放課後の公園で彼女の夢の手助けをすることになった。


 翌日、俺は続樹から、春の選抜の決勝戦の様子を聞いた。
 試合が決まったのは、二対一でリードして迎えた最終回、七回裏のことだったという。
 二アウト満塁フルカウント。一打サヨナラのピンチで、会長が投げたのはあの高速シンカーだった。
 ど真ん中に来たボールをバッターが振る。「凡ゴロでゲームセット」というシナリオだったがわずかに狂いが生じた。ボールが考えていたよりも落ちてしまったのだ。
 結果、バッターは空振り、しかしキャッチャーが取れずにパスボール。振り逃げとなって、三塁ランナーそしてスタートを切っていた二塁ランナーも還ってサヨナラ負け、という結末だったらしい。

『ちゃんと練習できてたら春の選抜だって優勝できたのに……』

 あと一歩のところでスルリと掌からこぼれてしまった優勝。さぞかし悔しかったに違いない。
 でも、だからこそ、キャッチャーがちゃんと捕れるように特訓した方がいいんじゃないのか? その方が優勝へ確実に近づくと思うんだが。
 まあ、それまでは俺も手伝ってやるけど。
 窓際の席から狛犬公園の方角をぼんやり眺めながら、俺はそんなことを考えていた。

 〇

 新しい高校に転入してから一ヶ月が経った。
 放課後の秘密の特訓を続けるうちに、会長のピッチングはかなり気分に左右されることが分かってきた。
 良いことがあった日はシンカーが綺麗に落ちてくれるけど、嫌なことがあった日はコントロール自体が全く定まらない。そんな日は、かなりキャッチャー泣かせの練習になってしまう。
(こりゃ、もう、誰も捕れないぜ)
 俺でさえもミットに当てて地面に落とすのが精一杯の時もあった。
 俺は自分の考えを改めざるを得なくなる。正キャッチャーが捕れるようになる方が早道という考えを。
 きっと部活では、キャッチャーが捕れるように手加減しているのだろう。要するに彼女は、ありのままの彼女を受け止めてくれる存在を欲していたのだ。
 後で話を聞くと、ピッチングが荒れる時は大抵カルナボールを投げた日だったりする。
(会長だって、好きであの卵を投げてるわけじゃないんだな……)
 鬼と言われ、会長だからと責任を押し付けられ、誰にも文句を言えず、俺とのピッチングで憂さをはらす。
 ミットを構える俺には、会長の心情がビシビシと伝わって来た。
 たまには助けてって声を出すことも必要だぜ。学校の嫌われ者を一人で背負うことはないじゃないか。
 だからいつの間にか、俺もカルナボールの仕事を手伝うようになっていた。


 そんなある日、事件は起きた。
 校門周辺を見回りしていた俺たち目がけて、一個の卵が投げ込まれたのだ。
「危ない、会長! ぐげっ」
 反射的にダイブしようとした俺の襟首を、すんでのところで会長が掴む。
「理雄君ってバカ? お祖母ちゃんの遺言か何か知らないけど、学習って言葉を知らないの?」
 会長の判断が正しかった。
 地面に落ちてつぶれたその卵は、ポンと軽い音をたてて爆発したのだ。生温かい突風が俺のズボンを揺らす。
「きゃっ!?」
 会長が恥ずかしそうな声を上げたかと思うと、襟首から手が離される。と同時に、犯人と思われる声が周囲に響いた。
「ほお、水色の水玉模様か……。鬼らしくトラ柄かと思ってたんだけどな」
 会長の身に何が起きたのかと見ると、爆風でスカートがめくれ上がれ、それを必死に押さえているところだった。
(うわっ、見たいけど、近すぎて見られない……)
 おのれ犯人、うらやまし過ぎると声がした方を睨むと、そいつはサングラスにマスク姿で二つ目の卵を投げようとしている。
 会長も即座にカルナボールを投げて応戦した。
「むはははははは! 無駄だ、無駄だよ。体に当てられない卵なんてちっとも怖くない」
 モクモクと立ち上がる黄色い煙の中から犯人の声が聞こえてくる。でも、この声ってどこかで聞いたことがあるような……。
「それにな、いくらイエローカードを食らったって、小次郎が来る前に家に帰って匂いを落とせばセーフなんだよ」
 思い出した、その声は続樹!
「おーい、続樹! 何やってんだよ」
 俺は試しに呼んでみる。すると犯人は律儀に答えてくれた。
「よぉ、理雄。生徒会の犬に成り下がっちまったお前にはわからないだろう、新しい武器(おもちゃ)を手に入れたサイエンティストの気持ちが」
 あいつ、菜園主義者だったのか……。
 ていうか、やっぱり犯人は続樹じゃねえか。俺は会長と顔を見合わせた。
「土佐続樹か。この狼藉、許すまじッ!!!」
 怒ってる、怒ってるぞ鬼の生徒会長殿が!
 その迫力に続樹はうろたえ始めた。
「しょ、しょ、正体がバレたって、俺にはこの映像がある!」
 サングラスの柄の部分に取り付けられたアクションカムを指差しながら、続樹は二つ目の卵を投げた。会長も負けじとカルナボールを投げ返す。
 続樹の爆風卵とカルナボールの煙幕。残念ながら、会長のスカートが舞い上がる方がちょっとだけ早い。
「無駄だ、無駄だ! お前の水玉模様はしっかりと撮らせてもらったぞ。ネットに上げてもらいたくなかったら俺の言うことを聞くんだな!!」
 すると会長が俺に命令する。
「ちょっと何してんのよ! パンツが見られないように私の足元にも卵を投げなさいよ。気が利かないわね」
 そんなこと言ったってしょうがないじゃないか。俺だってパンツ見たいんだから。
「ははははははは、俺の爆風卵はすごいだろ!? カーバイドがこんなにも上手く反応するとはね。カルナボールの構造を参考にさせてもらったよ」
 続樹の言葉に、会長は「ちっ」っと舌打ちしながら呟く。
「アセチレンか……」
 その言葉に戦慄する。
 汗血練……だと!?
 汗と血の滲む練習を、続樹も繰り返してきたというのか。カーショップのバイトで。
 そうこうしているうちに三つ目の卵が飛んできた。俺は少し距離を取って、言われたように会長の足元にカルナボールを投げる。ところが――
「理雄君ってバカァ!? あいつの卵よりも先に煙幕作ってどうすんのよッ!!」
 俺が投げたカルナボールの煙は、続樹の爆風卵でスカートもろとも巻き上げられてしまったのだ。
 でもそのおかげで会長のパンツが見えた。確かに水色の水玉模様のようだった。
「あはははははは、仲間割れか!? 黄色い煙幕が爆風で晴れてパンツが出現なんて、ハリウッド級の映像が撮れたじゃないか!」
 いやいや、それじゃB級映画だぞ。
「あ、あいつ、許さないッ!!!」
 続樹の足元にカルナボールを投げつける会長。怒りに身を任せたこんな時でも、人体に向かって投げないところは尊敬に値する。
 俺は、今度こそちゃんとパンツを隠そうと、カルナボールを握りしめた。
「もうちょっと水玉模様を拝ませていただこうか!」
 四つ目の爆風卵。
 俺はタイミングを計り、爆風の直後にカルナボールを会長の足元に投げつける。
「バカバカバカ!!! 理雄君側に卵を投げてどうすんのよ。犯人から隠すように投げなきゃダメじゃないッ!!!」
「そしたら俺からはパンツが丸見えだが」
「いいわよ、理雄君なら……」
 顔を真っ赤にしながら俺を振り向く会長。その仕草は、すぐに駆け寄って抱きしめてあげたくなるくらい可愛かった。
 そして五つ目の卵が飛んで来る。俺は続樹から会長のパンツを隠すことに成功。そして、すぐ目の前でスローモーションのようにスカートがめくれ上がっていった。なんという役得!
「おおおおおっ! こ、この柄は……」
 そこには衝撃の事実がっ!?
「水玉模様じゃ……ない!???」
「な、なんだって!?」
 しまった! 俺の言葉は続樹の盗撮魂に火を点けてしまったようだ。会長も俺を振り返り、「バカぁ」と顔をゆでダコにしている。
 刹那、続樹は鬼気迫る勢いで俺達に迫って来た。力づくでスカートをめくり上げてパンツを撮影しようというのだろうか。続樹よ、そんなことをしたらもう盗撮とは呼べないぞ!
「逃げるよ、理雄君!」
「ああ」
 俺達は校外に向かって校門を駆け抜けた。

 会長が逃げ込んだのは、いつもの狛犬公園だった。
 木々の間を抜けながらカルナボールを地面に投げつける。煙幕で進路が見えなくなって、続樹もスピードを落とさざるを得なくなった。
 苦し紛れに爆風卵を投げる続樹。会長はカルナボールで応戦する。まるで卵戦争勃発だ。
「いつまでこれを続けるんですか?」 
 たまらず俺が訊くと、会長はニヤリと笑う。
「そろそろ終わるわ。ほら、援軍がやって来た」
 なんだって? 生徒会にそんな頼りになるヤツがいたっけ? と思いながら続樹を振り返ると、彼の周りに何かが集まって来ているのが見えた。
「犬……ですか?」
「そうよ。卵を執拗に投げていたのは、匂いで公園の犬を彼の元に引き寄せるためだったの」
 続樹は十匹くらいの犬に囲まれ、じゃれつく犬達にズボンの裾をペロペロと舐められ始めた。さすがの彼もその状態では身動きが取れなくなる。
「さて、仕上げと行くわよ」
 会長はカルナボールが入ったトートバックを地面に置き、卵を一つ握りしめる。そしてまるでマウンドに立ったかのように、すうっと呼吸を整えた。
 狙うは続樹の足元。ゆっくりと上がる左の太もも。上半身を前に傾けると、テイクバックした右手が宙に高々と上がる。
(ええっ!? そのモーションって……)
 俺の懸念は的中。会長は美しいアンダースローで、続樹に向けて卵を繰り出した。
(ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれよ。その投げ方じゃ卵が続樹の体に当たっちまうじゃねえかよ!!???)
 地面スレスレの位置から放たれた卵は、公園の木々の間を抜け、犬達の間を抜け、続樹の股間に命中する。
「うっッッ……」
 呻り声を一つあげた続樹は、ドサリと林の中に倒れ込む。周囲の犬は、ここぞとばかり彼の股間を舐め始めた。
 その光景を、ニヤリと笑いながら見つめる会長。その姿に俺は、沸々と怒りが込み上げて来た。
「何やってんだよォ、会長! あれ程、あの卵は体に当てないって言っておきながらッ!!」
 俺は初めて会長に会った日のことを思い出していた。屋上から投げられたカルナボールをダイビングキャッチした俺のことを、彼女は心から心配してくれていた。
 たしかに続樹の行為は許されるものではない。しかし彼を成敗するために日頃からの信念を曲げてしまうのであれば、俺はこれから何を信じたらいいのだろう。そう思った瞬間、どうしようもなく目頭が熱くなった。
「会長の事、心から信じてたんだよ。人に何を言われようとも、悪者扱いされようとも、信念を曲げない会長の事を。そんな会長のことが好きだった! だから放課後の特訓にもついて来たんだッ!!」
 今思えば、俺にだって思いをぶちまける存在が必要だったんだと思う。会長だけが感情をため込んでいるという認識は俺の思い上がりだった。
「それを何だよッ!? 悪者だからカルナボールを体に当ててもいいってか!? 会長がやったことは続樹と変わんねぇじゃねえか! 全く幻滅だよッ!!」
 いつの間にか、俺の目には涙が溢れていた。
 その姿を見て会長が呟く。
「ありがとう理雄君。うん、ありがとう……」
 そして真っ直ぐ俺の目を見て真実を打ち明ける。
「大丈夫、私は決して信念を曲げないから。だってさっき投げたのは、本物の卵だもん」
 えっ!? 本物だって??
 俺は倒れたままの続樹を見る。もしあれがカルナボールだったら、彼は煙に包まれて見えないはずだ。
「それに特訓の成果もちゃんと出たみたいだし」
 会長はニコリと笑う。まるで女神のように。
 言われてみれば、確かにバットの下に当たってる。ていうか、本物の卵の方が行為としてはひどいんじゃないの。祖母ちゃんの遺言にも反するし。
「ほら、ぐずぐずしないで彼のアクションカムを回収して、ペロペロされてる恥ずかしい写真を撮ってくるのよっ!」
 なんだよ、涙を流して損した。全く人使いが荒いんだから……。
 ブツブツ文句を言いながら俺が続樹に向かって駆け出した瞬間、背後で「きゃっ!」っと可愛らしい声が響く。振り返ると、いつの間にか集まって来た犬達が、会長のスカートの中に頭を突っ込んでパンツをペロペロと舐めていた。水色の卵柄のパンツを。
 まあ、当然の結果だろう。さっきは散々、パンツを隠そうとカルナボールを投げ込んだんだからな。
 とりあえず俺は訊いてみる。
「会長、俺はどうすればいいんだ?」
「そんなことくらい自分で考えなさいよっ!!!」
 だから俺は、迷わず会長の手を取って二人で公園を後にしたんだ。
 えっ? 生徒会的には続樹のカメラを回収した方が良かったんじゃないかって?
 俺は後悔していない。だってあの時、カルナは俺の手をぎゅっと握り返してくれたんだから。


 了




ライトノベル作法研究所 2017GW企画
テーマ:『不思議な卵』

投網観光開発2017年05月07日 18時51分41秒

 小さな漁村、茨北村に若者が押し寄せるようになったのは一週間前のこと。困惑した漁師達が派出所に押しかけた。
「最近なんで若者が村に来るのか教えてくんねえか?」
「ちょっと待って下さい……」
 赴任したばかりの新人巡査はスマホで調べ始める。
「どうやら、ポキモンVRというゲームが原因らしいですね」
 巡査が示す画面には一軒の漁具店が紹介されていた。
「それ、俺の店だっぺ」
「魚吉の網がすごい、って書いてありますよ」
「そのゲームと網が関係あんのけ?」
「えーと、魚吉の網は使い易くて大きなポキモンが獲れる? へぇ〜、ポキモンを捕まえる道具は、実物の写真を三方向から撮らないといけないらしいですね」
「写真を? 道理で若者が店に来て、網の前で何かやってるわけだ」
「魚吉の網を使ってみた動画も載ってますよ」
 そこには公園で大きなゴーグルを付けて腕を振る若者達の姿が。
「なんだい、こりゃ随分と屁っ放り腰だなぁ」
「網の打ち方、教えてあげたらいいんじゃないですか? 一時間千円くらいで」
「おお、それはいい案だっぺ」
「んだ、皆でやっぺよ」
 こうして茨北村は世界でも有名な漁村となった。投網の魅力に取り憑かれて永住を決めた外国人もいるという。



500文字の心臓 第155回「投網観光開発」投稿作品

かわき、ざわめき、まがまがし2017年03月26日 21時26分09秒

 ある夏のこと。日照り続きで塩里村の井戸が全部枯れてしまったという。
「おらんちも枯れた」
「うちもじゃ」
「どうすんだ? 川まで半里もあんぞ」
「しかたねえべ。川があるだけましじゃ」
 すると作兵衛が神妙な面持ちで切り出す。
「おら噂に聞いたんだけんどよ」
「おお、なんだ?」
 皆がざわざわと集まってきた。
「太郎んちの井戸は枯れてねえって話だ」
 太郎というのは村外れに住んでいる若者のことだ。
 その時。
「駄目じゃ、あの井戸は!」
 力強い声が広場に響く。振り向くと一人の老婆が立っていた。
「なんでじゃ? 婆婆様」
「あの井戸は呪われとる。近寄ってはならぬ」
「化け物でも出るんか?」
「そうじゃ。昨晩、こっそり太郎んちの井戸を覗いたんじゃが……」
 皆はゴクリと唾を飲んだ。
「ぶつぶつと中から不吉な音がしての、わしは気を失った」
 すると太郎がひっこりと広場に顔を出した。
「どうしたんッスか? 皆、青い顔して」
「た、太郎。お前んちの井戸には化け物が住んどるって本当か?」
「バカなこと言わんで下さい。あれは冷泉ッス」
「冷泉?」
「だから枯れないんッスよ。炭酸しゅわしゅわで美味いッス。でも気をつけて下さいね。井戸に首突っ込むとマジ死にますから」



500文字の心臓 第154回「かわき、ざわめき、まがまがし」投稿作品

2017年02月07日 07時46分55秒

 父が死ぬまでの数年間、私たち姉妹は洞窟の中で暮らしていました。悪い人に見つかると殺されるからと言い聞かされて、世間から隠れて生活していたのです。
 ざばん、ざばんと絶えず波の音が聞こえてきます。外に出ることが許されない私たちにとって、この波音と洞窟の入口からわずかに見える青空だけが、世界の変化を教えてくれる窓でした。
 とりわけ楽しみにしていたのが夜です。空の青もしくは雲しか見えない昼間とは違って、晴れた夜には星明かりが洞窟の奥まで届きます。私たちは、目に映る限られた星々を結んで勝手に名前を付けていました。
「お姉ちゃん、また『P』が見える季節になったよ」
「ホントだ。またあれが食べれるね」
 夜の長さが一番長くなると、Pの形をした星座が現れます。すると父は、私たちにお餅を持って来てくれたのです。だから私たちは、夜空にPが現れるのを楽しみにしていました。
 ある朝、父は冷たくなっていました。私たちは、ようやく洞窟から出ることができたのです。
 今でも正月の夜に北斗七星を見上げると、姉と見た星空を思い出します。



500文字の心臓 第153回「P」投稿作品