エコ魔少女が見たあの日2011年09月10日 20時12分12秒

 オレの名前は鈴木健太(すずき けんた)。
 最近のお気に入りは、深夜アニメの『エコ魔少女マリモ&フウカ』なんだ。
 エコの名の下に、マリモとフウカの二人がエネルギーを浪費する敵、エネ浪費徒(えねろうひと)を退治する。
 マリモは、普段はおとなしい黒髪の似合う大和撫子。
 一方フウカは、ポニーテールでスタイル抜群の活発な女の子。
 これが二人とも可愛いんだな。
 もしこの二人に似た女の子を、一人だけ誘って夏祭りに行くとしたら、オレは――




「う、噂は本当だったんだ……」
 廊下の窓から教室の中を覗き込んだオレは、静かにつぶやいた。
 三年E組の教室の窓際の席に、一人の女子生徒が座っている。
 一ノ関小百合(いちのせき さゆり)。
 オレが想い続けているクラスメートだ。
「相変わらず綺麗だな……」
 彼女は一人、勉強をしていた。
 オレは教室に入るのを忘れて、しばしその姿に見とれてしまう。
 肩に届くくらいの綺麗なストレートの黒髪が、窓から入る五月の朝の風に揺れている。
 髪の合間から見え隠れする丸い頬の輪郭は、触ってみたくなるほど柔らかそう。黒縁眼鏡をしていなければ、子供っぽく見えるかもしれないけど。
 目を下に移すと、冬服をわずかに隆起させている胸のふくらみ。その緩やかなカーブの下で休みなく動き続ける白い手が、ノートに細かく文字を刻んでいた。
 教室の時計の針は朝の七時十五分を差している。
 オレは、一ノ関さんが朝の教室で勉強しているという噂を聞いて、特別に早起きをして来たのだった。
(こんな状況で教室に入るの、緊張するな……)
 しかも中に居るのは憧れの一ノ関さん。
 オレの心臓は、バクバクと音を立て始めた。
(えっと、えっと……、覚えてきたセリフって何だったっけ?)
 こういう状況になることを想定して、昨晩オレは必死に言い訳のセリフを考えていた。
 ――あれ? 一ノ関さんも受験勉強? ほら、オレ達、三年生になってもう五月だろ。だからオレも朝の教室で勉強しようと思って……。
 こんなチンケな言い訳で、クラストップの秀才、一ノ関小百合が納得してくれるかどうかはわからないが、オレだって受験生なんだ。この学校は進学校で、クラスのほとんどが進学する。だから朝の教室で受験勉強をしたってちっとも不思議なことじゃない。
 オレはそう自分に言い聞かせながら、心の準備を整えた。
(よし、行くぞ!)
 思い切って教室の戸を開く。すると、驚いたように一ノ関さんがこちらを向いた。
「お、お早う」
 ちょっと声が上ずってしまったかもしれない。
「…………」
 しかし彼女は眼鏡の奥からオレを一瞥すると、何事も無かったかのように勉強を再開した。
(なんだよ、無視かよ)
 無視されたって退散するわけにはいかない。だって、ここはオレの教室でもあるのだから。
 とりあえずオレは自分の席に向かう。オレの席は一ノ関さんと同じ前から五番目で、列は教室の真ん中あたりだ。窓際の一ノ関さんから数えると、廊下側に三番目の席となる。
 そして、椅子に座りながら横目で彼女を見た。
 ――参考書を見つめる真剣な眼差し。
 それは、すでに彼女が勉強に集中していることを示していた。
(それなら、こっちも態度で示すしかないな)
 オレは鞄からペンケースと問題集を取り出し、机の上に広げた。そして、一ノ関さんにも聞こえるようにカリカリと鉛筆の音を響かせる。
 自分も勉強を始めたことをアピールするためだ。
(それにしても、完全無視とはね)
 少なくとも「お早う」って挨拶ぐらいは返してくれると思っていた。そしたら言おうと思って必死に覚えたセリフだったのに……。
(まあ、いっか。今日は初日だしな)
 オレがちゃんと勉強を続けていれば、いつか挨拶を返してくれる日が訪れるかもしれない。
 そのためには毎朝コツコツと頑張って、彼女の信頼を勝ち取る必要がある。
(せっかく憧れの一ノ関さんと二人きりで教室に居るんだから)
 最初は浮き足立って何も出来ないんじゃないかと思っていたけど、教室に漂う得体の知れないこの緊張感がオレの意識を強制的に問題集に向けさせた。
 それもこれも、一ノ関さんが自分の勉強に集中しているせい、いや、おかげだ。
 彼女は全身から『勉強しないなら出て行ってほしいんだけど』オーラを発しており、それにつられていつの間にかオレも勉強に集中していた。
 七時四十分くらいになると、何人かのクラスメートが登校して来た。そいつらは驚いたようにオレを見たが、オレが挨拶も返さずに真剣に勉強しているのを見ると、何事も無かったかのように自分の席に座って勉強を開始した。
(これが受験勉強か……)
 クラスメートですら敵と認識する臨戦状態。
 自宅で一人で勉強している時には味わえない緊張感。
 こうしてオレ、鈴木健太は、一ノ関小百合のいる朝の教室に毎日通い始めたのだった。




「なに、大あくびしてんのよ。健太」
 授業が終わり盛大に背伸びをしていたオレの背中に、聞き慣れた声が浴びせられる。
 小笠原陽菜(おがさわら ひな)。
 オレの後ろの席に座っているクラスメートだ。
 それと同時に、何か尖ったものが背中に押し当てられる感触。オレの背筋は凍りついた。
「おい、陽菜。そのシャーペンにこれ以上、力を入れるなよ」
「あら、それはあんたの態度次第じゃない?」
 陽菜はオレの幼馴染。そして家も隣同士だったりする。
「何が目的だ? 金か?」
 あいにく、陽菜にこんなことをされる理由が思い出せない。授業中にほじったハナクソだって、彼女に当たらないように飛ばしたはずだ。
「あんた、最近調子いいじゃない」
 調子いいって何のことだ? オレがさっき大あくびをしてたからか? だったら逆じゃねえか。
 最近ずっと早起きをしてたから、午後になると眠くなってしょうがない。
「しらばっくれないでよ。この間の中間テスト。よくもあたしを抜いてくれたわね」
 ああ、あの事か。
 先日発表された中間テストの成績で、なんとオレは大躍進。順位は十番以上も上がり、クラスの落ちこぼれを脱出したのだ。
 へっへっへ。オレだってちょっと頑張ればこんなもんだぜ。
「いつもクラスの底辺をさまよっていたあんたが、どうやったらそこまで成績が上がるのか教えてほしいのよ」
 そりゃ、毎朝、一ノ関さんと一緒に勉強してるからさ。
 あの緊張感は、ゾクゾクするほどに勉強向きなんだから……。
 なーんて、そんなことをわざわざ陽菜に教えてやるつもりはない。
 教えたって陽菜にオレと同じ効果があるとは思えないし、二人は同じバレーボール部なんだから下手をすればオレの下心が一ノ関さんに伝わってしまう可能性がある。
(そうか、朝の勉強って三週間以上も続いてたんだ)
 いつも三日坊主のオレが頑張ったものだと、我ながらに感心してしまう。
 中間テストの成績を見て自分が一番びっくりしたけど、思えばあの勉強がオレの実力アップに繋がってたんだな。陽菜も、朝の勉強のことは知っていると思っていたけど、意外と伝わってないもんだ。まあ、朝教室に来る奴らはみんな、自分のことしか考えてなさそうだし……。
「陽菜さん、それはね、毎晩遅くまで勉強したからだよ」
 オレは陽菜を諭すような口調で、適当に答えてみた。
「嘘。それは嘘よ」
「おい、なんでそれが嘘だって分かるんだよ」
「ほら、やっぱり嘘じゃない」
 やべえ、声に出しちまった。こんなにも簡単に墓穴を掘っちまうなんて、オレってやっぱバカだ。
「理由は他にもあるわ。あんたの部屋の電気よ」
 も、もしかして陽菜のやつ、オレの部屋の灯りを毎晩チェックしてんのか?
「中間テストの前でも、あんたの部屋の電気は夜十二時までには消えてたわ。木曜日を除いてね。だから深夜まで勉強してたってのは嘘」
 陽菜さん、あんたストーカーですか? いくら幼馴染で家が隣だからって、やって良いことと悪いことがあるんじゃないですかっ!?
 それに木曜日って……、ん? 木曜日?
 そのキーワードを聞いて、眠っていたオレの意識が目を覚ます。
 そうだ、木曜日の深夜と言えばアレじゃないか。
「陽菜さん、あなたは今、木曜日とおっしゃいましたね。そのとおり、木曜日の深夜にオレは集中して勉強をしてるんですよ」
「それも嘘。だって木曜日の深夜は……」
 そこで陽菜は言葉を詰まらせた。
 おっと、これは話の主導権をオレの方にたぐり寄せるチャンスだ。
「えっ、木曜日の深夜が何ですって? 陽菜さん」
 オレは陽菜にそのキーワードを言わせようと仕向ける。
 ふふふふ。だが、健全な女子高生にそのアニメの名前が言えるものか。
「え、エコ魔、しょ、しょ、しょ、じょ……」
「なに? 聞こえないっ!」
「ひぃっ」
 オレが突然声を荒らげたものだから陽菜はおののいた。
 背中にあたるシャーペンの感触も消える。
 オレは即座に振り返ってシャーペンを奪い取り、陽菜に向き合いながらここぞとばかりに攻勢をかける。
「そのエコ魔なんとかっていうアニメを、オレが観てるって?」
「だ、だって健太。あんた、いつも友達と話してるじゃない……」
 エコ魔少女マリモ&フウカ。
 木曜日の深夜一時から一時半の時間に放映している、マニアで話題のアニメだ。
「それに、木曜日の夜はいつも一時半過ぎに部屋の電気が消えるから……」
「なんだよ、そこまでチェックされてんのかよ」
 陽菜のストーカーぶりに呆れて、オレは普通に話し始めた。
「そうだよ、木曜日の夜は『エコ魔少女マリモ&フウカ』を観てる。でも、そう言うおまえだって観てんじゃねえのかよ」
「あ、あたし? バカ言ってんじゃないわよ。あたしがそんなもの観るわけないじゃない」
 こいつ、どこまで白を切るつもりなのか。
 だがそれは、オレの燃える心に油を注ぐようなものだった。
「だったら教えてやるよ、エコ魔少女の魅力を」
 オレはここぞとばかり、陽菜に向かってエコ魔少女の魅力を語り始める。
 エコ魔少女とは、エコに命を賭ける二人の少女、マリモとフウカのこと。
 彼女達は『エコ耳』と呼ばれる猫耳型カチューシャを装備している。
 耳の外側はソーラーパネル、内側は集音に適した形状となっており、集めた太陽エネルギーと音波エネルギーを使って発電するのだ。
 つまり、エコ魔少女は明るく賑やかな場所を探して突撃し、エネルギーを無駄に使っている敵『エネ浪費徒』に立ち向かい、最後には敵をねじ伏せてエコを説きまくるのだ。
「それで健太って、どちらのエコ魔少女が好みなの?」
 挙句の果てには、陽菜もすっかりオレの話に引き込まれていた。
 えっ? オレの好みか?
 そりゃもちろん、マリモに決まってんだろ。
 別名、太陽の守り人マリモ。左腕にもソーラーパネルを装着し、主に太陽光をエネルギー源とする。
 それになんて言ったってマリモちゃん、容姿がオレ好みなんだ。
 肩に届くくらいのストレートの黒髪。やわらかそうな丸い頬のライン。
 そう、それはまるで眼鏡を外した時の一ノ関小百合のよう。って、眼鏡を外した一ノ関さんはまだ見たことねえんだけどな。輪郭や髪型からそんな風じゃないかって勝手に想像してんだよ。
「ふーん、小百合ねえ……」
 げっ、オレってどこまで声に出してたんだ?
「健太が小百合萌えだったなんて知らなかったわ」
 いや、どうか知らないままでいて下さい。
「今度、部活の時に話しておいてあげる」
 だから、それだけはご勘弁を。
 バレーボール部仲間でこの話が広まったら、オレはこの学校では生きていけない……。
「それにしても気付かなかったわ。小百合が眼鏡を外してあのエコ耳をつけたら、確かにマリモちゃんそっくりかもしれないわね」
 しかしオレは、その言葉を聞き逃さなかった。
「陽菜さん、今『あのエコ耳』っておっしゃいましたね。『マリモちゃんそっくり』とも言ったぞ。だったら、お前も観てんじゃねえのかよ。あのアニメをよ」
「ち、違うわよ。あたしはこれで見ただけなんだから……」
 必死に言い訳をする陽菜。そして顔を真っ赤にしながら、自分の鞄の中をごそごそと漁り始めた。
 おいおい、そこまで頑なに否定しなくてもいいじゃんかよ。
 そんなにあのアニメを観るのが悪いことなのか?
 でも、顔を赤くしながら必死に言い訳をする陽菜の姿は、ちょっと可愛いかったかも。
 前かがみの陽菜の背中を見ながら、オレはそんなことを考えていた。
 そうこうしているうちに、陽菜は鞄の中から十五センチくらいの包みを取り出す。
「これなんだけど、特別にあんたにあげるわ」
 そしてその包みをオレに手渡した。
 ――ん? こ、これはっ!!
 包みを受け取ったオレは、手から伝わってくる感触で即座にその中身の見当がついた。
「さすがはマニアね、手触りだけで中身が分かるなんて」
 陽菜はオレの満足気な表情を見逃してはくれなかったようだ。
「そうね、その包みをここで開けない方がいいのは、あんたになら分かるわよね」
 この手触りはエコ魔少女のフィギュア。髪型や持っているアイテムから判断して、マリモの十分の一スケールに違いない。
 確かに陽菜の言うとおり、教室でこいつを露わにするのは得策ではない。女子達に見つかったら、明日から白い目で見られることは間違いないだろう。特に一ノ関さんだけには見られたくはない。
「どうしたんだよ、こんなもの」
「弟が友達から貰ってきたのよ。それが親に見つかっちゃってさ。『こんなの男の子が遊ぶものじゃないぞ。女の子用じゃないか。すぐに返してきなさい』って怒られちゃったのよ。あたしのパパって頭ガチガチよね。それでさ、あたしが処分を頼まれたってわけ」
 今頃、弟くんは泣いていることだろう。
 それにしてもフィギュアは女の子用か? まあ、興味ない人にとってはそう思えるものなのかもしれないが……。
「それで、本当にオレが貰ってもいいのか?」
「ええ。あんたが貰ってくれなきゃ捨てるだけだから」
 す、捨てるとは何事だ! それこそエコ魔精神に反する行為だぞ。
「じゃあ、有難く貰っとく」
 オレがそう言うと、陽菜の目がキラリと光った。いやな予感がする。
「その代わり、どうして成績が上がったのか教えてよね」
 げげっ、話が戻りやがった。
 でも仕方が無い、このフィギュアを手に入れるためには犠牲も必要だ。
 オレは観念して陽菜に秘密を打ち明けることにした。
「じゃあ、特別に教えてやる。朝早く起きて勉強してんだよ。それだけだ」
 嘘は言ってない。本当のことだ。
「ホント?」
「本当だよ。じゃあな、ありがとよ」
「ちょっ、ちょっと待ってよ、健太……」
 オレはフィギュアを鞄に詰め込むと、足早に家路についた。




 家に着き、自分の部屋に篭ったオレは、早速フィギュアの包みを鞄から取り出した。
(どんなタイプかな……)
 オレはわくわくしながら、包みの中を覗き込む。
「なんだよ、やっぱり量産型か……」
 オレはがっかりしながら、ため息をつく。
 まあ、包みの上から触った時点である程度の見当はついていたんだけど。
 ミニマムファット社製エコ魔少女マリモ、十分の一スケール、量産型Aタイプ。
 マリモのフィギュアの中では最も売れていて、今では値崩れしてしまっているタイプだった。本当はもっとレアなものが欲しかったのだが、貰い物に注文をつけるわけにもいかない。
 オレはフィギュアを取り出して、手の上で質感を確かめる。
(でも可愛いなあ、マリモちゃん)
 マリモは、白を基調としたピンクの縁取りのあるミニスカートのコスチュームに身を包んでいる。敵を諭すように右手を前に伸ばす姿。左腕に装着したソーラーパネル。そして頭には、エコ魔少女のシンボルでもあるエコ耳が光っている。
「うわっ、このエコ耳。やけにリアルだぞ」
 エコ耳の外側や左腕に付いているソーラーパネルは、まるで本物を用いているかのような硬さと質感を有していた。
(もしかしたら、本当に発電できちゃったりするんじゃないの?)
 オレは、フィギュアを机の上に立たせ、少し遠めからまじまじと眺める。
 黒いストレートの髪、丸く可愛らしい頬の輪郭、そして主張しすぎないなだらかな胸のふくらみ。
(やっぱり、マリモは眼鏡を外した一ノ関さんだよな)
 三次元で目の前に存在するマリモを見ながら、オレは改めてそう思った。
 そしてオレは窓のカーテンを引き、部屋に一人しかいないことを再確認して――ちょっとエッチなフィギュアの楽しみ方を実践することにした。
 まずフィギュアに正面から向き合い、段々と腰を落として姿勢を低くしていく。
 すると、机の上のマリモをやや下から見上げる格好になって――
(こ、こうすると、ミニスカートの中の純白のものがチラリと……)
 オレはゴクリと唾を飲む。
 そしてドキドキしながらさらに姿勢を低くした。
 が、そこには純白のパラダイスは存在しなかった。
「んがっ!」
 なんだこりゃあああぁぁぁ!!!
 純白であるはずの、いや、純白でなければならないそれは、なんと濃紺色に染められていたのだ。
「このマリモは、ブルマを穿いているのかよっ!?」
 オレは慌ててフィギュアを手に取り、その濃紺色に目を近づける。
 それは明らかに、後から素人によって塗られたものだった。マジックかなにかで。
 しかも肝心なところには小さな穴が空いている。
「くそっ、陽菜のやつめ……」
 タダでくれると陽菜が言った時点で、何か細工がしてあるかもしれないことに気付くべきだった。
 オレは自分の未熟さを後悔する。
「これじゃあ、何の役にも立たないものじゃねえかよ」
 陽菜のささやかな悪意を感じながら、その日のオレは一人で悶々とするしかなかった。




「お早う」
「……」
 朝の教室。
 オレの一方的な挨拶で、今日も一日が始まる。
 夏服の一ノ関小百合も魅力的だ。
 白いブラウスは、冬服のブレザーよりも正直に胸の起伏をなだらかなラインとして表現している。
 そんな彼女を横目で見ながら、ゆっくりと自分の席に座る。この瞬間がオレの朝の至福のひとときだった。
(それにしても、あのフィギュアにそっくりだな……)
 いつもはすぐに勉強に集中できるのだが、今日は雑念がなかなか消えない。
 それもこれも、昨日陽菜からもらったフィギュアが原因だった。だって、あのエコ魔少女マリモの顔は一ノ関さんにそっくりだったから。
 違いと言えば、マリモが着けているエコ耳と、一ノ関さんが着けている眼鏡くらいだった。
(一度でいいから、眼鏡を外した一ノ関さんを見てみたいなあ……)
 もしその姿がマリモにそっくりだったら、あのフィギュアは一ノ関さんのフィギュアと言い換えることができるのだ。
 でも、朝の挨拶の返事さえしてくれない今の状況で、そんなことを頼めるとはとても思えない。
 その時、オレの頭に一つのアイディアが閃く。
(そうだ! フィギュア用の眼鏡があればいいんだ) 
 一ノ関さんに眼鏡を外してもらうのが不可能だったら、フィギュアに眼鏡を掛けさせればいい。そしてそれを自分で外せばいいんだ。
 なんという起死回生一発逆転のアイディア。
(でも、フィギュア用の眼鏡なんて売ってんのか?)
 うーん、そんなものがあるとはとても思えない。
(じゃあ、自分で作ってみるか)
 紙を小さく切れば、それらしいものが作れるかもしれない。
(早く家に帰って、眼鏡を作ってみたいぜ)
 その日のオレは、登校直後に帰宅のことで頭が一杯になってしまったのであった。

 授業が終わり家に帰り着くと、オレはすぐ机に向かった。
 ノートの端を黒く塗って、カッターで眼鏡の形に切っていく。
「ちぇっ、上手く切れないな」
 十分の一スケール用だから、大きさは一センチちょっと。
 柄の部分を細く切るのは至難の業だし、レンズの部分をくりぬくのは神業に近い。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ。こんなのオレには無理だっ!」
 三つ目を作り損ねたところで、オレはやけになった。
「なんか他にかいい手はないもんか……」
 オレはマリモのフィギュアを見ながら、ぼんやり考える。
 このままだと、ホントに何の役にも立たないもので終わってしまう。
「それにしてもフィギュアって何の役に立つんだろう……」
 オレはフィギュアを使って何かをしている人達のことを考え始めた。 
 そういえば、漫画家ってフィギュアを見ながら絵を描いたりするんだよな。フィギュアって、いろんなポーズを作れたりするもんな。
「そうか! イラストという手があったか」
 我ながら、なかなか良いアイディアだった。
 イラストでなら、ある程度の疑似体験ができるかもしれない。
 オレは早速ノートを広げ、目の前のマリモのフィギュアを見ながらイラストを描き始めた。
 ストレートの黒髪。柔らかな頬の輪郭。そして、パッチリとした瞳。まあ、この瞳はアニメ用だから、少し小さめに描いて……。
「うわっ、下手くそだな」
 最初に描いたものは、マリモに似ても似つかないものだった。
「こんなことなら、もっと美術を真剣にやるんだったよ」
 しかし、何回も何回も書き直しているうちに、だんだんと絵はマシになってくる。
「まあ、今日はこんなところでいっか」
 一時間も描き続けただろうか。オレは描くのをやめて一息ついた。
 目の前にあるのは、なんとかマリモと認識できそうなイラスト。
「これならなんとかできるかも」
 その顔を見つめながら、オレはいよいよこのイラストに眼鏡をかけさせようと考えた。しかし――
「一ノ関さんの眼鏡って、どんな形だったっけ?」
 重要なことを忘れていた。
 フィギュア用の眼鏡を作るなら、細部は適当でよいと思っていた。
 でもイラストであれば、形状を細かく把握していないと描くことはできない。
 オレは必死に一ノ関さんの眼鏡を思い出そうとする。が、よく思い出せない。
「まあ、適当に描いてみるか……」
 オレは、マリモのイラストに恐る恐る眼鏡を追加した。
「お、おおっ!」
 なんということでしょう。
 適当に描いてみたのに、その容姿は一ノ関小百合になんとなく似てきたのだ。
「やっぱ、眼鏡を外した一ノ関さんはエコ魔少女マリモなんだよ」
 オレは、何か大発見をしたような気持ちになった。
 明日、学校に行ったら、もっとちゃんと一ノ関さんの眼鏡を見てみよう。
 それでもっと綺麗なイラストが描けるように頑張ってみよう。
 オレは、フィギュアの使い道が見つかった喜びを噛み締めた。




「お早う!」
 今朝は、いつもより元気よく一ノ関さんに挨拶をしてみる。
「……!」
 彼女は少し驚いたようにこちらを見た。ほんの一瞬だけだったけど。
(ラッキー!)
 しかしそれで十分だった。
 オレはその瞬間を利用して、一ノ関さんの眼鏡の形状を目に焼き付ける。
 黒縁で、どちらかと言うとスリムなタイプ。角型に近いが、フレームの下側はやわらかな曲線でデザインされている。
(ふふふ、これでより正確なイラストが描けるぜ)
 今日のオレも、放課後を楽しみにしながら一日を過ごした。

 そんなサイクルの日々が三週間くらい続く。
 朝、一ノ関さんを観察して、夜、マリモのフィギュアを見ながらイラストを描く。
 それを繰り返しているうちに、オレはだんだんと一ノ関さんのイラストを上手く描けるようになっていった。
 腕が上がれば欲も出てくる。
 オレはフィギュアの髪型とは違う髪型にもチャレンジしてみたくなった。
(変えるとしたら、やっぱポニーテールだよね)
 しかし、ポニーテールはマリモの同士であるエコ魔少女フウカのトレードマーク。
 マニアとしては、キャラの特徴を混同するのは邪道だった。
 でも、なんだかやってみたくなる。
(だって、一ノ関さんが眼鏡を外してポニーテールになるところを見てみたいじゃん)
 オレにはある確信があった。
 眼鏡を外した一ノ関さんは、ポニーテールが絶対似合うはずだと。
(そんでもって浴衣姿になってくれたら、もう最高かも)
 浴衣と言えば夏祭り。
 オレ達の町の神社では、七月に夏祭りがある。
 できることなら一ノ関さんを誘って夏祭りに行ってみたい。そして、許されるのであれば、その時に眼鏡を外したポニーテール姿の彼女を見てみたい。
 しかし、今の状況ではそれは絶望的だった。だって同じクラスになって、まだ一度も会話を交わしたことはないんだから。夏祭りに誘うどころか、眼鏡を外してもらうことも切り出せないままでいる。
(イラストで我慢するか……)
 仕方が無い。
 イラストには無限の可能性が眠っている。
 一ヶ月かけて『眼鏡を外した一ノ関さん』を描くことに成功したんだ。『ポニーテールで浴衣姿の一ノ関さん』もそのうち描けるようになるに違いない。
 オレはエコ魔少女フウカのイラストをネット上で探す。
 そして、フウカの絵とマリモのフィギュアを交互に見ながらポニーテール姿のマリモを描き始めた。
「案外、難しいもんだな……」
 どうしても上手く描くことができない。
 何故だかはわからなかった。
 結局オレは何度も描き直して、結局うまくいかず、ふて腐れてその日は寝てしまった。

(どうやったら、ポニーテールが上手く描けるかな……)
 翌日の学校では、そんなことをずっと考える。
(誰か、見本が居ればいいのに)
 そう思いながら、授業中のオレは教室の女子を見渡していた。
 ネットで見つけたフウカの絵は、正面から描かれたものしかなかった。だから、ポニーテールという髪型がどこでどのように結ばれているのかがさっぱり分からなかったのだ。
 それを知るには、ポニーテールのクラスメートを観察するのが一番手っ取り早い。
 しかし、オレの視界の中にポニーテール女子は一人も居なかった。
(はあ、なんでうちのクラスにはポニーテールが居ないんだ……)
 ポニーテールなんて教室中にうじゃうじゃ居ると思っていた。実際、いくらでも居たような記憶しかない。しかしいざ見たくなった時に一人も居ないなんて、神様が悪戯をしているとしか思えない。
(世の中、上手く行かないもんだな……)
 そんな憂鬱な気分に浸っていると、それはなんとなく後ろの席の陽菜にも伝わってしまったようだ。
 その証拠に、次の休み時間、彼女はオレに声をかけてきた。
「健太。なに、ため息ついてんのよ」
「お前には関係ねえだろ」
 そう言いながらオレが振り返ると――おおっ、そこにはなんと、ポニーテール女子が居た。
 なんという灯台下暗し。
(ゴメン、陽菜さん。関係大有りです)
 しかし時はすでに遅し。
「ふん、なによ。あんたが悩んでいるようだったから助けてあげようと思ったのに……」
 陽菜はすっかりご機嫌ナナメだった。
「そっちこそ。お前にオレを助けることなんてできんのかよ」
 いや、本当は助けてほしいんですけど……。
 いつものように売り言葉に買い言葉。バカだな、オレって、ホントに。
「健太のバカ。話ぐらいは聞いてあげれるかなって思ってたのに……」
 だからそこまで口を尖らせなくってもいいじゃん。
「そういえば、今日のお前の髪型、なかなか似合ってるぞ」
「えっ、ホント?」
 作戦変更だ。
 オレの褒め殺しの言葉に、陽菜が反応する。
 怒っていても、すぐに機嫌を直してくれるところは幼馴染の良さかもしれん。
「だいぶ髪が伸びてきたからポニーテールにしてみたのよ。部活はもう引退だから邪魔じゃないしね」
 そういえば陽菜のやつ、以前はもっと髪が短かったような気がする。
 今の髪の長さは、ポニーテールを解いたら肩に着くくらいかもしれない。
 いつの間に髪を伸ばしていたんだろう……。
「でも、まだちょっと伸び足りないんじゃないの? ウサギの尻尾みたいだぜ」
「なによ、失礼ね。ほら、もっと良く見てよ」
 オレに憎まれ口を叩かれても、見られることはまんざらでもないらしい。
 陽菜は、上半身をひねってポニーテールをオレにアピールした。
(おお、これはラッキー)
 後ろの結びもしっかり見える。
 オレはここぞとばかりポニーテールを観察した。
(そっか、こんな風に髪の毛を集めて結んでるんだな)
 三秒で観察完了。
 これでなんかポニーテールのイラストが描けそうな気がしてきた。
 しかしオレが観察し終わっても、陽菜は体をひねってポニーテールをアピールし続ける。
(しかし、こいつの胸は相変わらずでかいな……)
 オレの視線はいつの間にか下に移っていた。
 陽菜が無理に体をひねるものだから、胸の大きさと柔らかさが強調される。制服のブラウスがはちきれそうだ。
(でもオレはもっと控えめなのが好みだけどな)
 そう、一ノ関さんくらいのなだらかさがちょうどいい。
「ちょっと健太。どこ見てんのよっ!」
 ヤバイ。好みじゃないなんて否定しつつも陽菜の胸を凝視してしまっていたようだ。
 オレは顔が赤くなる。
「いや、まあ、その、なんだ……」
 こんな時に限って、気の利いた言葉が出てこない。
「この、すけべ」
 ベーっと舌を出しながら、陽菜は楽しそうに笑った。




 陽菜の行動がなんだか怪しいと感じ始めたのは、それから一週間後だった。
 一ノ関さんのイラストのポニーテール化に成功したオレは、今度はツインテールにチャレンジすることにしたのだが、それが陽菜に対して不審を抱くきっかけとなった。
 ツインテール。
 この髪型のイラストは、オレにとってはかなり無謀な挑戦だった。
 というのも、アニメのマリモもフウカもツインテールになったことが無かったし、クラスの中にもそんな髪型は居なかったからだ。
 他のアニメやイラストでツインテールを見かけることはあっても、その髪型を解いた時の髪の長さが分からない。でも、どうせ描くなら、一ノ関さんがツインテールをしてみたところを描いてみたい。
 オレはとりあえず、適当にツインテールを描いてみた。が、やはり何かしっくり来ない。
(こんな時、陽菜がツインテールにしてくれてたらな……)
 今の陽菜の髪の長さはちょうど一ノ関さんと同じくらい。髪質や色は違うが、陽菜がツインテールをやってくれればポニーテールの時のように長さの目安にはなる。
 そして次の朝、奇跡は起きた。
 登校して来た陽菜の髪形は、なんとツインテールだったのだ。
(おいおい、これって偶然か?)
 陽菜のツインテール姿は、たちまち男子の話題となった。
 なぜなら、ツインテールにするには髪の長さが微妙に足りなかったからだ。
 なんだかコアラのようになってしまい、子供っぽいと言われれば否定できない。
 その反面、陽菜のスタイルは教室でも一、二位を争うくらいのナイスバティ。このアンバランスが男心をくすぐらないはずがない。
「見て見て、健太。今日はツインテールにしてきちゃった!」
 ポニーテールの時のように上半身をひねり、髪型をアピールしながらはしゃぐ陽菜。
 おかげさまでツインテールの観察にはもってこいだが、それ以上に教室中の男子の視線が痛い。
 はちきれそうな胸が、さらに窮屈そうに歪んで行き場を探している。
(いやいや、陽菜さん。そのアピールの仕方はかなりの攻撃力だってば)
 結局オレは、鼻の下を伸ばしながら授業に臨むことになった。

(でも、本当に偶然なのか?)
 授業中にだんだんと冷静になってきたオレは、今度は陽菜の髪型のタイミングが気になり出した。
(これで二度目だぞ)
 一度目は一週間くらい前。オレがポニーテールのイラストを何度も失敗した翌日、陽菜は髪型をポニーテールにして来た。
 そして今回のツインテール。どちらもあまりにタイミングが良すぎる。
(もしかしてあいつ、オレの心が読めるのか?)
 いや、幼馴染とはいえ、そんなはずはないだろう。
(なら、オレのことをストーキングしてるとか?)
 中間テストが終わったとき、陽菜はオレがいつ勉強をしているのか観察してると言っていた。
 だったら、オレがイラストを描いていることを窓越しに観察していても不思議ではない。陽菜の家はオレの家の隣で、それぞれの部屋も二階同士で隣接している。
(でも、やっぱり変だ)
 なぜなら、たとえ窓越しとはいえ、イラストを描いているところを見られてはいない自信があったからだ。
 だって、エコ魔少女マリモのフィギュアを見ながら一ノ関さんのイラストを描いているなんて、誰にも知られたくはないだろ。だからイラストを描くのはいつも夜になってからで、しかもカーテンをぴっちり閉めてたんだから。
(じゃあ、どうやって……?)
 この一ヶ月くらいの間にオレの部屋で変わったことって……?
 そう自問した時、一つだけ思い当たるものがあった。
 エコ魔少女マリモのフィギュア。
 それがオレの机の上に鎮座するようになったのが、ちょうど一ヶ月前だった。
(ま、まさか、隠しカメラ?)
 その考えに至った瞬間、オレの背筋はぞぞぞぞっと寒くなった。
(み、見られてたのか?)
 もしそうだとすると、それは非常に恥ずかしいことだ。
 下手くそなイラストを見られることもそうだが、それ以上に恥ずかしいことをオレは自分の部屋でしている。
 身をかがめてフィギュアのスカートの中を見ようとしたことも、その一例だった。
(だって、オレの部屋じゃねえかよ)
 エッチな本の隠し場所だってバレバレかもしれない。
 オレは、カーッと顔が熱くなるのを感じていた。
(もし陽菜の仕業なら、マジで許さねえ)
 顔の火照りはそのまま怒りに直結した。
 陽菜のことだから、きっとオレがいつ勉強しているのか知りたくてやったに違いない。おそらくそんな軽い気持ちだったのだろう。しかしいくら幼馴染だからと言っても、やってはいけないことがある。やはり覗き見は許せない。
(でも待てよ。陽菜が犯人なら、なぜオレが盗撮に気付くようなことをやってんだ?)
 オレの頭の中に一つの疑問が浮上する。
 陽菜が髪型を変えたタイミングは、あまりにもオレのイラストと合い過ぎる。
 まるでオレに気付いてくれと言わんばかりだ。というか、実際それで怪しく感じたんだが。
 わざわざ盗撮しようという奴が、そんなヘマをするものだろうか。
(うーん、わかんねえ……)
 とにかく、まずは証拠を掴むことだ。
 復讐はそれからでも遅くない。
 オレは、家に帰ってからどうするか、作戦を考え始めた。




 帰宅したオレは、自分の部屋の前で立ち止まる。
(陽菜に見られているかもしれないから、気をつけないとな)
 しかし、あまりにもギクシャクした行動をとれば、盗撮犯に気付かれてしまう。
 今のところは普通に振舞って、犯人が尻尾を出すのを待つしかない。
(自然に、ごく自然に……)
 そう考えれば考えるほど緊張してしまう。自分の部屋だというのに。
 オレは一つ深呼吸をした。
 そしてドアノブを回して部屋に入る。
 まずは机の脇に鞄を置いて、制服から普段着に着替え始めた。
(くそっ、これも見られてんのか?)
 制服のズボンを脱ぎながら、オレはチラリとフィギュアを見る。
 陽菜は幼馴染だから別に下着くらい見られたってどうってことないんだが、自分の知らないところで監視されるのは癪に障る。
 かと言って、隠れてコソコソ着替えるのも何だか変だ。
(まあいっか、裸になるわけじゃないし)
 オレは自分の着替えをわざとマリモのフィギュアに見せつけてやろうかと思った。
(まったく澄ました顔をしやがって)
 エコ魔少女マリモは、いつものようにいつもの格好で、机の上に立っていた。

 食事が終わり風呂から出ると、オレはいつものように机に向かった。
 そしてイラストを描くためにノートを広げる。
 目の前には、机のスタンドの光を浴びるマリモのフィギュア。
(さて、今はフィギュアを観察するチャンスだな)
 イラストを描いている時なら、フィギュアをまじまじと見ても盗撮犯には怪しまれない。
 オレはカメラの場所を探そうと舐めるようにフィギュアを観察した。
 しかしどこだかさっぱりわからない。
(きっとピンホールカメラだと思うんだけど……)
 小さな穴ならいくつか空いているように見える。
 目の部分、鼻の穴、そしてエコ耳の穴。
(そういえば、あの部分にも穴があったような……)
 そう、あと一つ、穴が空いていたと記憶している場所があった。
 ブルマの部分。
 紺色に塗られているのを確認した時、小さな穴があって不思議に思ったので覚えている。
(で、でも、あそこはまじまじと見るわけにはいかねえしな)
 盗撮されているならなおさらだ。
 もし盗撮映像にオレの顔が映ったとしたら、それはスカートの中を覗いているということになる。
(危険なことをしやがって……)
 ブルマで良かったとオレは胸を撫で下ろした。
 もしそこに純白のパラダイスがあったとしたら……、オレは毎日のように腰を屈めて……。
 そこから先は考えただけでもぞっとする。
 オレは次第に確信を抱くようになった。カメラはやはりブルマの部分に仕掛けられているんじゃないかと。
(でも、それならちょっと安心だぜ)
 ブルマの部分にカメラがあるならば、机の上はよく映るだろう。
 勉強をしているかどうかも一発でわかる。
 しかし部屋全体は映らない。スカートが邪魔になってしまうからだ。
 オレの顔だって見えていないはずだ。だって、こちらからブルマは見えていないんだから。
 そう考えることでオレの緊張は次第に緩和されていく。
(それにしても、電源はどうしてるんだろう?)
 精神的に少し余裕が出てきたオレは、だんだんと技術的なことを考え始めた。
 このフィギュアが盗撮をしているならば、カメラは電池で動いているはずだ。だって、電源コンセントなんて無いんだから。
 しかしフィギュアがこの部屋に来てすでに一ヶ月。撮影、そして映像を無線で送っているなら、すでにかなりの電力を消費しているはずだ。電池駆動ならとっくに動かなくなっていることだろう。
(いやいや、陽菜がツインテールにしてきたのは今日のことだぜ)
 もしそれが盗撮によるものならば、少なくとも昨日まではちゃんと動いていたことになる。
(電気が供給されているなら別だけどな)
 なにか発電するものがあれば話は変わってくる。
 例えば、太陽発電とか……。
 その単語にオレは、はっとした。
(そうか、このフィギュアはエコ魔少女マリモじゃねえか)
 別名、太陽の守り人マリモ。
 このフィギュアには、本物と見間違うような立派なソーラーパネルが装備されている。というか、本物だったんだよ。そうでなきゃ、とっくに電池は切れている。
 マリモのイラストを描きながら、だんだんと全容が明らかになっていくような興奮にオレは包まれていた。

「じゃあ、今度はどんな髪型にしよう」
 ポーズや体のライン、顔の輪郭の下書きを終えたオレは、髪型について考え始めた。
 今までポニーテール、ツインテールと続けてきた。
 そして陽菜は、その時の髪型で登校して来たのだ。
 それならば、これから描く髪形に陽菜が変えてくる可能性がある。
 それを見てから、陽菜の犯行を見極めようとオレは考えていた。
(じゃあ、トリプルテールか?)
 と一瞬思ったが、それはやめることにした。
 今の陽菜の髪の長さはツインテールがやっとできる程度だ。トリプルテールは無理だと判断されれば、華麗にスルーされる可能性がある。
(それならエコリボンでも付けてみるか)
 エコリボン。
 それは、エコ魔少女フウカの特殊アイテムだ。
 フウカのポニーテールを結ぶそのリボンは形状記憶合金で出来ており、彼女が敵に向かって疾走する際に広がって風を受け、高速で回転して発電する。
(マリモのイラストにエコリボンを描くのは邪道なんだけどな)
 エコ魔少女マリモとフウカは、それぞれ独自のエコアイテムを持っている。それを別のエコ魔少女に装着するのは、マニアとしてはタブーなのだ。
(いや、待てよ)
 そこでオレは、ハタと膝を打つ。
 タブーだからこそ証拠になるんじゃないのか?
 他の人は絶対描かないようなイラスト。
 それを陽菜が参考にしたとなれば、彼女の犯行は確定的だ。
 それにオレは既にタブーを犯している。マリモの髪型を、フウカのトレードマークのポニーテールにしてしまったんだから。
 オレはポニーテールにしたマリモのイラストに、エコリボンを描きこんでいった。




「お早う」
「……」
 一ノ関小百合は相も変わらず寡黙だった。
 しかし、今日のオレはそれどころではない。
 一ノ関さんではなく、陽菜の方が気になってしょうがないのだ。
 彼女がどんな髪型で登校してくるのか?
 オレにとって、そちらの方が重要だった。

 昨晩オレは、エコリボンをつけたポニーテールのマリモのイラストを描いた。
 もし陽菜がエコリボンを着けて登校して来たら、フィギュアを使ってオレの部屋を盗撮しているのが確定的になる。
(それにしても、最近は陽菜の髪型のことばかり考えてるな……)
 思えば、一ノ関さんを少しでも長く見ていたいと始めた朝の勉強だった。
 そして、一ノ関さんを近くに感じたいと描き始めたイラスト。
 それがいつの間にか、陽菜の髪形のことばかり考えている。
(いや、オレは一ノ関さんの方が好みなんだから)
 高一の時、『同じ部活で友達になった』と陽菜から紹介された一ノ関さん。
 陽菜とは全く正反対のタイプの彼女が、だんだんと気になっていった。
 そして高三になって、やっと同じクラスになれた。だから今年は、一ノ関さんに急接近できるチャンスと考えているのに。
(なのに、いつも話しかけることができず、見ているだけの関係で留まっているのはなぜだ?)
 もしかしたら、本心では陽菜のことが気になっているのではないだろうか。
 いつも一緒に居た幼馴染。
 高校に入ってからは、そう呼ばれることをうざく感じていた。
 だから、陽菜と正反対の容姿を持つ一ノ関さんが気になったのかもしれない。
 陽菜の髪は、ややカールのかかった茶髪系。だから、一ノ関さんのストレートの黒髪が綺麗に見えた。
 陽菜の胸は、クラスでもトップクラス。だから、一ノ関さんのなだらかなカーブに魅力を感じた。
(じゃあ、エコ魔少女はどうなんだ?)
 陽菜はフウカに似ているが、一ノ関さんはマリモにそっくりだった。だからオレは、マリモのファンになったんだ。しかし――
 昨日描いていたイラストは、いつの間にかフウカになっていた。
 ――フウカのエコリボンを陽菜が装着したらきっと似合うだろうな。
 そんなことを考えながらイラストを描くのは、とても楽しかった。
 結局、オレは心の底にはいつも陽菜が居たのかもしれない。
(いや、ダメだ。盗撮は犯罪だぞ。いくら陽菜でも許してやることはできない……)
 もし陽菜がエコリボンを着けて登校してきたら、そのことを問い詰めるつもりだった。
 なぜ、そのリボンを着けてきたのか?
 どうして、そのデザインを知ったのか?
(そしたら陽菜をオレの部屋に誘おう。その時のあいつの行動をチェックして、最終確認をするんだ)
 オレは陽菜を信じたかった。
 盗撮なんてしていないと思いたかった。

 しかし――登校して来た陽菜は、頭にエコリボンを着けていた。

「ねえ、健太。今日はこんなリボンを着けてきちゃった」
 こんなじゃねえだろ、『こんな』じゃ。知っててやってるくせに。
 陽菜を見るオレの目は、いつもより険しかったに違いない。
「どうしたの健太。ツインテールの時は喜んでくれたのに……」
 どうして陽菜がこんなことをするのか分からない。
 そして陽菜がこんなに悲しい顔をオレに見せるのかが分からない。
「陽菜。今日はヒマか?」
「今日って放課後? ならヒマだけど」
「じゃあ、オレの家に来てくれないか。いつでもいいから」
「わかった……」
 オレは今日中に決着をつけるつもりでいた。フィギュアの疑惑、そして自分の気持ちにも。




「相変わらず汚い部屋ね」
 オレの部屋に上がりこんだ陽菜は、憎まれ口を叩きながらまるで自分の部屋であるかの如くオレのベッドに座る。
「おい、勝手にベッドに座るなよ」
 陽菜はオレの忠告なんて聞こうともしない。まあ、いつものことだが。
 ベッドの位置は机の向かい。だからフィギュアからは丸見えだった。
 しかし今はフィギュアを気にすることはない。だって、犯人はここに居るのだから。
(陽菜がフィギュアを何回も見たり、イラストを探そうとしたら犯人確定だな)
 オレは陽菜の視線に注目した。
「なによ、いいじゃないベッドくらい。減るもんじゃないし」
 ベッドに両手をついて、無防備に足を投げ出す陽菜。
 そして顔を上げた時、彼女の視線はオレの机に向けられた。
(さあ、フィギュアを見ろ。そしてカメラの位置を確認するんだ)
 すると陽菜は「あっ」と声を上げた。
「あたしが渡したエコ魔少女のフィギュアじゃん。ちゃんと飾ってくれてるんだ」
 全く白々しい。
 お前はそのフィギュアを通して、毎日オレの部屋を覗き見してんだろ。
 だったら飾ってあることは承知済みじゃねえか。
 陽菜が自ら尻尾を出そうとはしないと判断したオレは、先制攻撃を仕掛けてみることにした。
「おい、陽菜。あのフィギュアに何か細工しただろ?」
 すると、陽菜は予想外の行動に出た。
 ペロっと舌を出して、白状を始めたのだ。
「やっぱりバレちゃった? そうだよね、健太だって男の子だもんね。やっぱ、興味あるよね」
 そしてモジモジしながら顔を赤らめている。
(おかしい。陽菜が犯人なら細工について否定するか、白を切り通すはずだ)
 陽菜の行動を不思議に思ったオレは、彼女を見る目をさらに細める。
 すると陽菜は、オレに向かって両手を合わせた。
「ゴメン、健太。あの部分を勝手に紺色に塗っちゃって」
 って、そっちかよ。
 盗撮のことを白状するのかと思っていたオレは、思いっきり脱力する。
「だってね、フィギュアを小百合から受け取った時は純白だったのよ。それってヤバイよね。健太だったらきっと、『うはっ、純白!』とか言いながら毎晩ハアハア妄想に更けって勉強が手につかなくなるんじゃないかと思ったの。だから親切心でブルマにしちゃったんだけど……」
 な、なんだって!?
 オレは一瞬で頭が真っ白になった。
「どうしたの、健太。恐い顔して。そんなにいけないことだった?」
 陽菜は心配そうにオレの顔を覗きこむ。
「陽菜。おまえ今、何て言った?」
「えっ、健太がハアハアしないように紺色に塗ったって……」
「違う、その前」
「その前って? あの部分が純白だったってこと?」
「違う、違う」
「違うって、あんた、ブルマでハアハアしてたの?」
 全くコイツはふざけてんのか!?
 オレは痺れを切らして声を荒らげた。
「あのフィギュアは弟から貰ったんじゃなかったのかよっ」
 しばしの静寂。
 陽菜はしまったという顔をする。
 そして、ゆっくりと言葉を選び始めた。
「ゴメンね、健太。嘘をついて。だって、だって……」
 涙目になる陽菜。
「あんたと小百合って、毎朝一緒に勉強してるんだよね」
 なんだ、陽菜も知ってたんじゃねえか。
「そのお礼にって、小百合があたしのところに持ってきたの。『健太君とお話したことがないから渡してほしい』って」
 そうだったのか……。それなら何でもっと早く教えてくれないんだ。
「あたしね、恐かったの。だって、健太って小百合のこと気にしてたでしょ。フィギュアがきっかけで二人がどんどん仲良くなっちゃうんじゃないかって」
「オレだって、一ノ関さんとは話したことはないんだよ。そんなに簡単に仲良くなれるわけないじゃないか。それよりお前だって、オレが朝勉強していることを知ってたんだったら早く教室に来ればよかったじゃんかよ」
 すると、陽菜は目に涙を浮かべながらオレのことを睨みつける。
「そんなこと、できるわけないでしょ。教室で、二人っきりで、仲良く勉強しているところに、どうしてあたしが入れるのよ!」
 真っ直ぐにオレのことを射抜く陽菜の視線。
 オレは陽菜と目を合わせていられなくなって視線を外した。
 別にオレは一ノ関さんと仲良く勉強しているわけではない。でも、一ノ関さんと二人っきりになりたかったことには変わりなかった。『早く教室に来れば』なんて、心にも無いことを言ってしまったことに気まずさを感じる。
 震える声から、陽菜の気持ちが痛いほど伝わってくる。
「そのうちにね、小百合からメールが来るようになったの。マリモのような女の子を描いたイラストの写真。そして『その髪型にしてみたら』って小百合がアドバイスをくれたの」
 そうか、盗撮の犯人は一ノ関さんだったのか。
 陽菜は何も知らなかった。それなら、陽菜の不可解な行動も納得がいく。
「あたしはアドバイス通りの髪型にしてみたわ。するとビックリ、あんたの目つきが変わったじゃない。だからね、あたしは理解したの。あんたが自分の好みの髪型をイラストに描いて、朝の勉強の時に小百合に渡しているんだって」
 いや、それほどまで仲良くなれたら本望なんですけど。
「でも小百合はその髪型にはしなかった。あの娘はね、そういうところは頑固なの。男には流されないっていうか、そんなポリシーを持ってるの。だから困ってあたしにメールしてきたんじゃないかと……」
 しかしそこで陽菜の目つきが変わる。
「でもね、あんたと小百合って、そうやってあたしをからかってたんでしょ? 今日初めてそれがわかったわ。だってあたしが小百合からのメールの通りのリボンを着けて行ったら、あんたの視線が急に冷たくなったじゃない。本当にそれを着けてくるのか、と言わんばかりだった。どうせ、どうせ二人で、あたしがそのリボンをしてくるかどうか、賭けでもしてたんでしょ……」
 ぽろぽろと陽菜の頬を涙がこぼれる。
(何だよ、泣くなよ。オレの方が知りたいよ、オレが描いたイラストの流出の詳細をよ)
 もし一ノ関さんが盗撮犯なら、陽菜を責めても仕方が無い。陽菜は何も知らないかもしれないんだから。
 オレは黙って陽菜の涙の行方を追った。
「今回のことで分かった。あたしね、あんたのことが好きなの。あんたを小百合に渡したくない。強くそう思った。だからツインテールだってしてみたのに。それを二人で笑うなんて……」
 えっ、これって、ま、まさか告白……?
 ずっと陽菜は空気のような存在だと思っていた。いつも普通に傍に居るものだと思っていた。
 そして、告白したりされたりなんて、一生ないものだと思っていた。
 しかし、まさかこんな瞬間が、よりによってこんな日にオレの部屋で訪れるなんて……。
 オレは顔を上げて、真っ赤な陽菜の目を見る。
「なんで黙ってんのよ。何か言ってよ!」
 声が出ない。オレは自分の気持ちがわからない。
 陽菜とは正反対だから、一ノ関さんにあこがれた。
 陽菜の監視から逃れようと、朝の教室に通い続けた。
 もし陽菜が傍にいなければ、オレはそんな行動はとらなかったかもしれない。
 オレの気持ちの底には、いつも陽菜が居た。
 しかし、そんなに簡単には気持ちは切り替えられない。
 戸惑いはオレの唇を石にした。
「健太のバカっ!!」
 陽菜は突然立ち上がり、部屋から出て行こうとする。
(陽菜は悪くない。今、彼女を行かしてはいけない)
 それはオレの直感だった。
 オレはとっさに陽菜の腕を掴む。
「あっ!」
「きゃっ!」
 バランスを崩したオレ達は、重なり合うようにベッドに倒れこむ。
 まるでオレが陽菜をベッドに押し倒したような格好。
 そして二人は見つめ合う。
 その瞬間、陽菜の気持ちがオレの体を駆け抜けた。
(陽菜……)
 目と目で語る。それは初めての体験だった。
 言葉は要らない。このままずっと見つめ合っていたい。そんな感覚だった。
(このまま陽菜を抱きしめたい)
 オレはそんな衝動に駆られる。
 二人の気持ちは瞳を通して融合し、オレの胸を熱くした。
 すると、陽菜は覚悟を決めたようにゆっくりと目を閉じた。
(でも……)
 陽菜の視線から開放されたオレは、エコ魔少女のフィギュアの方を見る。紺色のブルマがチラリと目に入った。
(一ノ関さんが見てるかもしれないんだから……)
 オレと陽菜の心が初めて通じた。
 だからこのまま唇を重ねてもいいと思った。
 でもそれは、オレにとってファーストキスなんだ。
 他人に盗撮されている状況下でそんな、そんな大事なシーンを迎えたくはない。
(ゴメン、陽菜。今はダメなんだ)
 そしてオレは、静かに陽菜に声を掛けた。
「陽菜、聞いてくれ」
 オレの声に、陽菜はゆっくりと目を開ける。
「日を改めてまた話さないか。そこですべてを打ち明けるから」
「今……じゃ、ダメなの……?」
(それはダメなんだ、陽菜)
 フィギュアで盗撮が出来るなら、盗聴だってされている可能性がある。エコ耳の集音機能がアニメの通りなら、ありえないことではない。
(今は盗撮に気付かないフリをしたいんだよ)
 オレは陽菜に瞳で訴える。
「頼む、オレを信じてくれ。必ず話すから」
 目と目が合うと、それだけでオレの気持ちが陽菜に伝わるような気がした。
「じゃあ……、来週の夏祭りに……連れてって」
 陽菜がおねだりするような目つきでオレを熱く見る。
(可愛い……)
 こいつはこんなに可愛かったんだと、今さらながらにオレは思う。
「わかった。それなら浴衣希望ってことで」
 すると陽菜の口元がほころんだ。
「久しぶりね、あんたと祭りに行くのは」
 昔はよく陽菜と夏祭りに行った。二人きりではなく、家族ぐるみだったけど。
 オレ達は幼馴染。一ノ関さんが入り込めない共通の思い出がある。  もし一ノ関さんが盗撮の犯人だったとしたら、これくらいは聞かせてやってもいいだろう。
「綿飴で口をベトベトにするなよ」
 子供の頃はあのベトベトが嫌で、陽菜と一緒に泣いたものだった。
「あんたもね」
 やっと陽菜が笑ってくれた。




「お早う」
 翌日の朝の教室。
 オレはいつものように一ノ関小百合に声をかける。
(今朝はダンマリは許さないからな)
 きっと返事は無いだろう。しかしそれではオレの気持ちが収まらない。フィギュアを使った盗撮について、彼女を問い詰めるつもりだった。
 しかしこんな日に限って奇跡は起きる。
 あの一ノ関さんが、オレに返事をしてくれたのだ。
「おめでとうございます」
 その一言。
 でもそれで十分だった。オレは確信した。
(やっぱり盗撮してたのは一ノ関さんだったんだな)
 あの一部始終を一ノ関さんに見られていたと思うと、ものすごく恥ずかしかった。
 昨日は全くの無防備だった。だって犯人は陽菜だと思っていたから。  陽菜を部屋に連れ込み、口論に発展して、そしてベッドに押し倒すような格好になって……。
(でも待てよ、陽菜とはキスしてないじゃん。さっきの『おめでとう』って、何?)
 昨日の行動を何度も思い返しても、祝福されるようなことはやっていない。
(ま、まさか……)
 どこかにカメラの死角があって、盗撮犯からはオレと陽菜がキスしているように見えたとか。
 さっと血の気が失せる。
 それならば、すぐに一ノ関さんの誤解を解かなければ。
「い、いや、それは誤解だって。陽菜とはまだキスしてないから」
「えっ、キ、キスって……?」
 一ノ関さんは驚いた顔をする。
(げっ……)
 マズイ。またやっちまったか? オレってやっぱりバカ。
 もうこうなったら破れかぶれだ。単刀直入に聞いてしまおう。
 オレは疑問を直接口にした。
「いや何でもないんだ。それよりさっきの『おめでとう』って何?」
 そうだよ。『おめでとう』って昨日のことだとすっかり思い込んでいたけど、全然違うことかもしれないじゃん。
 すると一ノ関さんはメール画面を開いて、それをオレに向けた。
「今朝、陽菜からバレー部員宛にメールが来たんです。今度の夏祭りに二人で行くんですって?」
 やっぱり昨日のことだったか……。
 というかバレー部員宛って何? 部員全員に知られちゃってるってこと?
 それはそれで十分恥ずかしいが、それよりもオレを不思議に思わせたのは一ノ関さんの態度だった。
 だって、一ノ関さんは昨日の一部始終を盗撮していたはずじゃないか。だったらメールなんて見せなくたって、すべてを知っているはずだ。全くわけが分からない。
「一ノ関さんだって見てたんでしょ?」
「えっ、見てたって、何のことですか?」
 きょとんとする一ノ関さん。本当に知らないという感じだ。
 おいおい、一体どうなってんだよ。
 オレは盗撮されてんのか? されてないのか?
 もう何が何だか分からなくなったオレは、とりあえずフィギュアのお礼を言おうと思った。
「フィ、フィギュアのことだよ。ありがとう」
 すると一ノ関さんの顔のハテナマークがさらに増える。
「フィギュア? フィギュアってスケートの? 昨日テレビでやってましたっけ? 鈴木君は見たんですか?」
 はあ?
 人形のフィギュアだよ、マリモのフィギュア。
 あれを贈ってくれたのは、一ノ関さんじゃなかったのかよ……。
 でも一ノ関さんはふざけているようには見えない。本当に何も知らないという感じだ。
(誰かが嘘をついている。陽菜か、一ノ関さんか、もしくは二人か……)
 オレの頭は珍しく高速で回転し始めた。
 しかし、さっぱり分からない。
 分かっていることと言えば、来週の夏祭りに陽菜と一緒に行くことと、それがバレー部員に広まってしまったことだけだ。
(ま、いっか……)
 来週の夏祭りに一緒に行くこと。
 結局、これが犯人もしくは犯人達の目的だったんじゃないかという気がしてきた。
 結果は出た。
 だったら、もうそれでいいじゃないか。
 オレは急に、犯人探しをするのがバカらしくなった。盗撮されるのが嫌なら、フィギュアを机の中に入れておけばいいだけだ。
(だったら最後に思い切ってお願いしてみるか……)
 開き直ったオレは、一ノ関さんにあることを頼んでみようと思った。
 だって、せっかく一ノ関さんと奇跡のような会話が続いているのだから。
「一つ、お願いがあるんだけど」
 すると一ノ関さんはきょとんとしたまま口を開く。
「はい、何でしょう?」
「申し訳ないんだけど、一度でいいから眼鏡を外してみてほしい……」
 以前からお願いしたいと思っていたこと。
 変な人と思われるのが嫌で、ずっと躊躇していたこと。
 でも、一ノ関さんと夏祭りに行くという選択肢は消えた。それならばもうどうでもいい。
 オレは恐る恐る一ノ関さんの答えを待つ。
 一蹴されても仕方が無いと思った。
「構わないですけど」
 しかし返ってきたのは意外な答え。
「えっ、ホント?」
「ただし……、鈴木君が陽菜とのキスに成功したら、ですが……」
 その笑顔にはささやかな悪意が込められていた。





ライトノベル作法研究所 2011夏祭り企画
テーマ:なし
お題:「君といたあの日」「初恋」「ささやかな悪意」「残酷な奇跡」「ひと夏の思い出」「何の役にも立たないもの」「秘密基地」の中から2つ以上を作中で表現

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