夏服のライア ― 2014年05月13日 22時49分47秒
「ヒロミィ! 頼むからパンツを見せてくれ!!」
いきなりそんな懇願をされて、ヒロミは面食らう。
ここは高校の校門のすぐ手前。
帰宅しようとしていたヒロミを、突然追いかけて来たコウタが目の前に回り込み、アスファルトに這いつくばって土下座したのだ。
「な、なな……」
当然である。
いきなりパンツを見せろと言われて、ほいそれと見せられる女の子などいるはずがない。
「何を言ってんのよ、あんたは!」
激しい剣幕でヒロミはコウタを見下ろした。
しかしコウタは怯まない。それどころか、さらに言葉を畳み掛けてくる。
「頼むからすぐに見せてくれ。俺達の命がかかってんだよ!」
コウタの表情は真剣そのものだ。とてもふざけているとは思えない。
が、命がかかっているとはどういうことなのだろう。
「俺達って何よ。あんたが見たいだけでしょ!?」
「違うんだよ、学校に残っている皆の命が危ないかもしれないんだ。頼むよ、信じてくれ」
学校の皆の命?
たかが一人の女子高生のパンツに、それほどに重いものが掛かかることってあるのだろうか?
「何わけのわからないこと言ってんの? いくら幼馴染みだからって、あんたにパンツなんか見せるわけないじゃない」
これでは埒が明かない。そう判断したコウタは意を決する。
「ええい、これだけ頼んでいるのに分からないのかっ! こうなったら……」
顔を上げ、ヒロミのスカートに向かって突進しようとするコウタ。
血走った彼の瞳に危険を察知した彼女は、思わず右足を振り抜いた。
「ぐえっ!」
ローファーがコウタの左顎にクリーンヒット。身長一六◯センチの細身のヒロミだったが、蹴りやすいポジションにいるコウタを倒すのは容易かった。
ショートボブの髪と短めのチェックのスカートがひらりと舞う中、コウタはアスファルトに仰向けに転がる。
意識を失う直前、彼の口から断末魔のうめき声が漏れてきた。
「ピンクと白のストライプか……。我が校は、救われた……」
その表情は、安堵に満ちていた。
「救われたって、どういうことなのよっ!?」
ヒロミはアスファルトにひざまずくと、左手でコウタの胸ぐらを掴み、右手で彼の頬をペシペシと平手打ちする。
「ほら、さっさと起きて答えなさい!」
が、コウタは一向に起きる気配がない。
「結局、見られちゃったし……」
コウタが最後に残した言葉。それはヒロミのパンツの柄を正確に言い当てていた。
恥ずかしくなったヒロミは、スカートを押さえながら辺りを見渡す。幸い、放課後の校門前の人影はまばらだった。
その時。
パタパタと音をたてながら、ヒロミの方へ近づいて来る女子生徒の姿があった。
「ごめんなさーい、ヒロミさーん」
「あれは……ライアちゃん?」
彼女の名前はライア。
コウタの家に来ているお手伝いアンドロイドだ。今は研修と称して、ヒロミ達と同じ高校に通っている。
「私が悪いんです。私が予兆をキャッチしたせいなんです」
予兆?
それは一体、何のことなのだろう?
不思議に思うヒロミのもとに、ツインテールの黒髪をなびかせながらライアが到着した。
「どうしたのライアちゃん? 予兆って何?」
「予兆が来たんです。地震の」
地震の予兆?
そんなこと言われても、ヒロミには何の事だかさっぱり分からない。
と、突然アスファルトから低い声が響く。
「文字通り地震の前触れだ。うぬ、確かにピンクと白のストライプだな」
いつの間にか、意識を取り戻したコウタがヒロミのスカートの中を覗き込んでいた。
「あんた、何見てんのよっ!」
今度はヒロミのパンチが炸裂――とはいかず、彼女の右手はコウタにしっかりと押さえられてしまった。
「まあ、待て。そろそろ来るぞ」
コウタはヒロミの手を掴んだまま、反対側の腕を使って体を起こす。彼女を制止するその言葉は、有無を言わせない迫力があった。
「来るって何が? さっきから何わけのわからないこと言ってんの」
「静かに!」
コウタに気圧されて、思わずヒロミは口を閉じる。
すると――カタカタカタと何かが揺れる音がした。
地震。
でも規模は小さい。おそらく震度は一か二くらいだろう。
するとコウタは、驚きを込めてライアの方を向く。
「すごいぞ、ライア。見事に的中させたな」
的中って、地震を予知したということなのだろうか。
「えっへんなのです。これも博士が与えてくれた能力のおかげなのです」
ペッタンコの機械の胸を、ライアが一生懸命張っていた。
「ちょっと何のことなのか、詳しく教えてよ」
春の夕陽が反射する海辺の通学路を三人で歩きながら、ヒロミが疑問を口にする。
さっきから、ヒロミにとってわけのわからないことが続いている。コウタがヒロミのパンツを見ようとしたり、予兆がどうのこうのって話になったり、そして地震が起きたり……。
「さっきのでわかっただろ? ライアはな、地震の予兆をキャッチできるんだよ」
地震の予兆?
それは、ナマズが暴れるとか、そういうものなのだろうか?
目をパチクリさせるヒロミに、仕方がないとコウタが説明を始めた。
「発光現象って聞いたことはあるか?」
発光現象?
それって何だろう?
「やはり聞いたことはないか。要はな、地震の前に空が光って見えることがあるんだ」
地震の前に空が光る……って?
ヒロミは、ようやくテレビの特番かなにかで見たシーンを思い出していた。確か、阪神大震災の直前に空が光って見えたとか見えなかったとか、そんなことだったような気がする。
どうやらコウタは、そういう現象のことを言おうとしているらしい。
「ライアはな、その発光現象をキャッチできるんだ」
「そうなんです、ヒロミさん。私は昼間でも、発光現象をキャッチできるんです」
昼間に発光現象?
晴れの日だったら、太陽がキラキラしていて発光現象なんてわからないんじゃないだろうか。
コウタの話によると、昼間でもそれを捉えることができるのがライアのすごいところらしい。この能力を使えば、二十四時間、地震の予兆を捉えることが可能となる。
「すごいじゃない、ライアちゃん」
もしこれがホントなら、多くの人々の命を救うことができるかもしれない。
「でも、それが私のパンツとどう関係してくるのよ」
人類の運命よりも自分のパンツ。
女の子なら仕方が無いことであった。
「それがな、ここからがちょっと複雑なんだ」
ライアも説明に加わる。
「よく聞いてて下さいね、ヒロミさん。私を造ったお茶の石博士は、地震の予兆をキャッチした時、ある行為をするよう私にプログラミングしたんです」
ある行為?
「それは?」
「それはですね……」
ヒロミはゴクリと唾を飲んだ。
「嘘をつくことなんです」
嘘?
というか、アンドロイドが嘘をついてもいいのだろうか?
ヒロミは思わず突っ込みたくなる。
「しかもな、ライアは地震に応じたレベルの嘘をつかなくちゃいけないんだ」
「地震に応じたレベルの嘘ォ?」
なんだか変な話になってきた。
予兆をキャッチするところまではいいとして、地震に応じたレベルの嘘をつかなくちゃいけないなんて、なんていい加減な、いや面倒くさい仕様になっているのだろう。
「つまり、ライアちゃんが大きな嘘をついたら、大きな地震が起きるってわけ?」
「正確には、大きな予兆を捉えたら大きな嘘をつくようにプログラミングされてるんですけど、まあ、大体そんな感じです」
そんなアバウトな。
「それで? ライアちゃんはさっき、どんな嘘をついたの?」
「それがですね、地震の予言をしようとした時に、今日の身体測定で見たヒロミさんのパンツの柄が頭に浮かんだのです……」
ヒロミとライアのやり取りを聞きながら、コウタはライアが予言した時の様子を思い出していた。
今から三十分ほど前、教室で帰り支度をしていると、ライアの態度が急変したのだ。
「ラララララ、予兆です。予兆が来たのです!」
ライアの目が赤く光っている。しかも、左右交互の点滅――これは博士から聞いていた地震の予兆をキャッチした時の反応だった。
やがてライアは、普段とは違う機械特有の声で予言を口にした。
「ヒロミノ、パンツハ、ミズイロ、ストライプ」
なに? ヒロミのパンツは水色のストライプだって!
コウタに戦慄が走る。
なぜなら、子供の頃からヒロミのパンツは白しか見た事がなかったからだ。
もし、ヒロミのパンツがいつもの白だったら……。
そのことを考えてコウタは背筋が寒くなった。
ストライプと白とでは天と地ほどの差がある。つまりライアの予言は、コウタ的にはとんでもないレベルの嘘ということになるのだ。
これは一大事。これから起きる地震の規模はライアの嘘のレベルに比例する。
「ま、まさか、大地震が……」
居ても立ってもいられなくなったコウタは、咄嗟に走り出していた。
「ヒロミは少し前に教室を出て行ったはず。今ならまだ間に合う」
階段を駆け下り、廊下を走り抜ける。
その時、コウタの頭の中にはさらに悪い予感が生まれていた。
もしヒロミがとんでもないものを穿いていたら!?
いや、何かを穿いていたらまだいい。まさかとは思うが、何も穿いていないことだって考えられる。
事は大地震では済まなくなる可能性があるのだ。
慌てて靴を履いたコウタは校舎から飛び出し、ヒロミに向かってダッシュした――
「いやあ、お前のパンツがストライプで本当に良かったよ」
ほっとため息をつきながら、しみじみと語るコウタ。
同じストライプで、水色とピンクの色違い。
ライアの予言は、そんな小さな嘘だった。当然、起きた地震も大した事はない。
通学路を歩きながらパンツの柄を思い出すコウタに、ヒロミはムッとする。
気を失った時のコウタの幸せそうな表情を、思い出してしまったからだ。
「なに? あんた、また蹴っ飛ばされたいの?」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺は皆を救おうと必死だったんだぜ」
「救おうって、自分がパンツを見たかっただけじゃない」
その言葉にコウタは顔色を変える。
「おいおい冗談言うなよ。もしあれが大地震の予兆だったら、どうなってたと思うんだよ」
「大きな地震が起きるだけじゃない」
「そりゃそうだが、この学校にはもっと危険なことがあるだろ?」
そう言ってコウタは海の方を見る。夕陽は高度をさらに落としていた。
――もっと危険なこと?
ヒロミははっとする。彼女達が通う学校は海の近くに建っている。
「もしかして津波?」
「そうだよ、大地震だったら校舎の上の階に逃げた方がいい。それには十分な時間が必要じゃないか」
確かに大地震の予兆が掴めれば、最悪の事態になっても助かる人は増えるに違いない。
「ていうか、あんた、私が何を穿いてたら大地震になると思ったのよっ!?」
学校を救うなんて格好のいいことを言っているが、水色ストライプが大嘘になるという事態がわからない。
ヒロミはコウタを睨みつける。
「あの、その、なんていうか、紐というか、日本古来のアレというか……」
さすがにノーパンとは言えない恥ずかしがり屋のコウタだった。
もごもごと口を動かしながらもじもじするコウタに、もうパンツのことなんてどうでもいいとヒロミは思う。コウタの妄想の中で、自分の恥ずかしい下着シーンがこれ以上増えるのは嫌だった。
「それにしても予兆が来たら嘘をつきなさいって、ライアちゃんを造った博士はなんでそんな複雑なことをしたのかしら?」
そもそも、博士がそういうプログラミングをしたのがいけないような気もする。
二人の横を歩いていたライアは、少し考えた後、静かに言葉を紡いだ。
「うーん、博士から特にお聞きしてはいませんが……。もしかすると信用問題に関わる理由なんじゃないでしょうか」
「信用問題?」
ヒロミが首をかしげると、ライアが説明を加える。
「予兆をキャッチしたからと言って、必ず地震が起きるとは限らないんです。つまり、『地震が起きる』って言って起きなかったら、信用問題になるじゃないですか」
――起きると言って、起きなかった。
オオカミ少年がその良い例だろう。ただしオオカミ少年の場合は、嘘の割合が圧倒的に多いけど。
「だから博士はお考えになったんだと思います。本当の事を言って皆を惑わすよりも、嘘を言って地震が予知できればもうけもんだと。まあ、私にとってはおまけみたいな能力ですし……」
だからもう予兆にはあまり構わないで下さい。
黙ってうつむくライアの仕草には、そのようなメッセージが込められているような感じだった。
ヒロミと別れて二人きりになると、コウタがライアに声をかける。
「ごめんな、ライア。お前の能力を問い詰めるようなことになっちまって」
「いえいえコウタさん。地震が起きた時にコウタさんに掛けていただいた言葉、とても嬉しかったです」
コウタも最初は半信半疑だった。
しかし、ライアの予言通りちゃんと地震は起きた。
しかもその規模は、予言とピタリ一致していたのだ。
これで驚かない人間はいないんじゃないかと、コウタはライアのことを誇らしく思っていた。
「明日からも頼むぞ」
コウタの激励にライアは瞳を輝かせる。
「はい、明日からもコウタさんのために、って、おわっ!?」
コケた。アンドロイドなのにライアがコケた。
美しい主従関係が夕暮れの海辺で輝きを放つところだったのに、すんでのところでライアは砂に足を取られてスッコケてしまったのだ。
派手にめくれてしまったライアの制服のスカートを見て、コウタがため息を漏らす。
「ライア……、お前のことだったのか……」
まるで妹のパンツを見てしまったかのように、スカートから目を逸らすコウタ。彼の目に焼き付けられたその柄は水色ストライプだった。
「えへへへ、バレちゃいましたね。明日からも、コウタさんが喜んでくれそうな嘘をつきたいと思います。ライア、頑張っちゃいます!」
そんなライアのカラ元気がさらなる出来事に発展するとは、二人は予想していなかった。
☆
翌日。
校庭越しに海が見える二階の教室では、春の陽気にのどかな時間が流れていた。
しかし静寂は突如として破られる。
二時間目の授業中に、突然ライアが立ち上がったのだ。
「ラララララ、予兆です。予兆なのです!」
教室では「キター!」と叫ぶ生徒もいる。きっと、昨日の様子を見ていた生徒だろう。
瞳を赤色に点滅させながらのライアの言葉に、教室中が息を飲んだ。
「ヒロミノ、ムネハ、ディーカップ」
予言に騒然となる教室。
クラスメート達の視線がヒロミの胸に集中する。
「ちょ、ちょっとみんな、そんなにジロジロ見ないでよっ!」
必死に手で隠そうとするヒロミの胸は、かなり控えめに見えたのだ。
「ヤバい、これは大嘘だぞ!」
「AとDとじゃ大違いじゃないかっ!」
男子生徒のほとんどは立ち上がり、階上に逃げようと教室を飛び出した。ヒロミ達の教室は二階にあったため、もしもの時のことを考えての行動を取ったのだ。
意外と冷静だったのは女子生徒達。
「あの子、実は着やせするタイプなのよね」
「ああ見えても私より大きいんだから、悔しいったらありゃしない」
陰口をたたきながら、涙をこぼす生徒もいるほどだ。
それもそのはず、昨日の身体測定で女子達は実態を知っていた。
たまりかねたコウタは、ゆっくりとライアに近づく。昨日の事を考えれば地震発生までにはまだ時間はある。
「ライア、本当はどうなんだ?」
「ごめんなさい、地震が発生するまでは本当のことは言えないんです」
これではしょうがない。
でも、教室にはほとんどの女子が残っている。つまりそれは、これから起きる地震の規模は小さいことを雄弁に物語っていた。彼女達だって命は惜しいはずだ。
「ヒロミ、正直に答えてくれ。もし地震が起きても、大したことはないんだな?」
コウタなりに配慮した質問だった。
恥ずかしそうにうつむいていたヒロミは、真っ赤に腫れた瞳をコウタに向け、小さく頷いた。
「よし、みんなを安心させに行って来る!」
勢い良くコウタが教室を飛び出し行く。
それから一分後、校内放送で流れてきたのはコウタの声だった。
『みなさんご安心下さい。先ほどからお騒がせしている地震の予言ですが、揺れは大した事がないと……』
その時だ。
カタカタと教室が揺れる。
しかし、震度は一か二くらい。
揺れが収まると、学校中が安堵に包まれる。
『地震が小さくてよかったぁ。ということはAじゃなくてCなのか……。ヒロミのやつ、いつの間にそんなに成長したんだ?』
マイクのスイッチを切り忘れて呟くコウタ。
ヒロミの胸のサイズが全校にバレてしまった瞬間だった。
「あのバカ……」
後でコウタに修羅場が訪れたことは、言うまでもない。
「私、ヒロミさんにひどいことしちゃいました……」
学校からの帰り道、ライアはコウタに謝罪する。今日はヒロミは先に帰っていた。
「そうだな、俺もひどい目に遭ったけど……」
海を見ながら、二人で深くため息をつく。
「もう済んだことは忘れるしかないよ」
「私、アンドロイドだから忘れることができません」
そりゃ損だなとコウタは思う。
もしかすると人間って、意外と便利な生き物なのかもしれない。
「それにしても、ヒロミに隠されたチャームポイントがあったとは、びっくりしたなぁ」
「私も正直驚きました。制服のブレザーではあんなに低丘でいらっしゃるのに、身体測定で下着を外された瞬間、ボンって飛び出してきましたからね。博士なら、『うわー、ねえちゃん、ええもん持ってはるなあ』とおっしゃるところでしたよ」
博士はライアに何を教えているのだろう?
というか、ライアも身体測定で何をやっていたのかと不思議に思うコウタであった。
「私、胸が無いからヒロミさんがうらやましくて……」
そう言いながら、しげしげと自分の制服のブレザーを眺めるライア。
その姿があまりにも哀れだったので、コウタは思い切って提案する。
「だったらもう、パンツや胸のことを予言のネタに使わないことにしたら?」
するとライアは、うーんと悩み始めた。
悩んでるってことはこれからもネタとして使うつもりだったのかよ、とコウタは突っ込みたくなる。
「わかりました、もうその二つを使うのはやめにします。せっかくコウタさんが喜んでくれると思ったんですけど……」
喜ぶとはどういうことなのかと疑問だったが、いちいち説明されると面倒くさいのでコウタは聞こえないフリをする。
「次からはまともなネタにしてくれよ。期待してるからさ」
期待という言葉を聞いて、ライアは笑顔になる。
「はい、ありがとうございます。今度はちゃんとしたネタで嘘をつきたいと思います」
ちゃんとしたネタで嘘というのも、何だか変な感じがするが。
「もう、地震は来ないといいな」
「そうですね、私ももう、嘘はつきたくありません。博士が、『たくさん嘘をついたら胸が大きくなるぞ』っておっしゃるから、我慢してるんですけどね」
どこぞの木製人形の鼻じゃあるまいし。
というか、そんなに胸が欲しいのかよとコウタは半分呆れる。
しかし嘘をつきたくないというのは、ライアの本心のようだ。
――嘘をつくこと。
それはライアの存在理由であることを、コウタはこっそりと博士から聞いていたのだった。
☆
ライアがコウタの家に来たのは一ヶ月前。コウタが高校二年生になった四月のことだった。
親戚のお茶の石博士から、ライアの実証実験を頼まれたのだ。
「コウタ君。ライアは一見、普通のお手伝いアンドロイドに見えるけど、ある実験のために造られたアンドロイドなんだよ」
自宅のすぐ近くの海辺で、コウタは博士からライアの秘密を聞く。
「その実験とはなんですか?」
「それはだな、嘘をつくことなんだ」
嘘ォ?
でもそれって、アンドロイドがついても良いものなのだろうか。
「じゃあ、ライアの言うことは信じちゃいけないんですか?」
「いや、そんなことはない。普段から嘘をついていると誰にも信じてもらえないし、アンドロイドとしては失格だ」
そりゃそうだろう。信じられないアンドロイドなんて、鉄くずよりもたちが悪い。
「だから、ある特殊なシチュエーションの時だけ、嘘をつくようにプログラミングしてある」
博士はいたずらっ子のような目でコウタを見た。
特殊なシチュエーション?
もしかしたら、その仕様は博士の個人的な趣味なんじゃないだろうか。
「それはどういう時ですか?」
「発光現象が起きた時だ」
地震が起こる前に発光現象が見える時があるという。
その発光現象を捉えるセンサーをライアに取り付けたと、博士はコウタに説明した。
「それをキャッチした時にのみ、ライアは一つだけ嘘をつくんだ」
発光現象をキャッチすると嘘をつくアンドロイド。
そのライアはどんな嘘をつくのだろう。
「その時はちゃんと嘘をつくことが分かるように、事前に警告を発するようになっている。瞳が赤色に点滅して、普段とは声色が変わるから誰にでもわかるはずだ」
それなら安心だ。
その時以外の言葉はちゃんと信じられるということだから。
「そこでお願いなんだが、ライアがどんな嘘をついたか、またその後でライアがどんな反応を示したか、報告して欲しいんだ」
「でも博士。俺、昼間は学校に行ってますよ。その時に家でライアが嘘をついても、俺には分からないんですけど」
「それは心配しなくてもいい。ライアも一緒に学校に通えるよう、すでに手配済みだ」
アンドロイドと一緒に学校に通う!?
そんなことは聞いていないと、コウタは困惑の表情を浮かべた。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。ライアはお手伝いアンドロイドだったんじゃなかったんですか?」
「大丈夫だよ、コウタ君。ライアは身長一五七センチ、体重五十二キロ、顔の造りはちょっと野暮ったいけど、黒髪のツインテールが似合う完璧なドジっ子女子高生に仕上げてある」
完璧なドジっ子って……?
なんだか博士のお遊びに付き合わされているような感じがして、コウタは呆れ果てた。
「それに、大勢の人の前でライアがどんな行動をして、どんな嘘をついて、その後でどんな反応を見せるのか、そういうデータを取りたいんだよ」
急に真面目な表情をする博士。
そういうデータを取りたいことは、どうやら本心らしい。
「なぜ、嘘なんですか?」
だからコウタは博士に訊いてみる。
アンドロイドが嘘をつくという意味を。
「これは僕の考えなんだが、上手に嘘をつくことができるかどうかが人間とアンドロイドの違いだと思っている。だから、アンドロイドがつく嘘のデータを集めて、より人間らしいアンドロイド造りに活かしたいんだ」
博士の意図は理解した。
しかし、そんな変な設定のアンドロイドの面倒を見ることができるのだろうか。
不安な気持ちに包まれながら、コウタは博士を見送った。
☆
「ねえ、ライアちゃん。この間はなんで、あんな嘘をついたの?」
体育の時間、ヒロミはこっそりライアに質問する。
一回目の予言はヒロミのパンツ、二回目の予言は胸のサイズについてだった。そのことがヒロミには納得がいかなかったのだ。
「それはですね、コウタさんが自宅学習に使われている資料集から割り出した結果なのです」
ライアはちゃんと理由があってあんな嘘をついていたようだ。
でも、自宅学習に使っている資料集って何だろう?
コウタが自宅でもそんなに勉強しているのだろうかと、ヒロミは疑問に思う。
「コウタさんは、夜遅くまでその資料集を用いて勉強されているのです。この間、コウタさんのベッドを掃除していた時に発見したのです」
ライアは人間のように何かを思い出す仕草を見せながら語り始めた。
「マットの下に大切に保管されていたその資料集には、女性の写真が多く引用されておりました。その内容を分析しますと、パンツを題材にした写真が四十八パーセントで一番多く、胸を題材にした写真が三十五パーセントで二番目だったのです」
それって……ただのエロ本じゃないのだろうか。
ヒロミはライアの話を聞きながら、なんだか恥ずかしくなる。
「次に私は、紙の表面の湿度を測定して、コウタさんがご覧になられている頻度を写真ごとに計算しました。すると、ヒロミさんによく似た女性の写真の閲覧頻度が特に高く、七十パーセントを超えていることが判明したのです」
いや、もうそれ以上はいいから。
これ以上、話を聞いていけないような気がヒロミはしてきた。
「以上を総合しますと、コウタさんに喜んでいただける嘘は、ヒロミさんのパンツと胸に関することではないかと判断し……」
「わかった、わかった。ライアちゃん、もういいわ」
ヒロミは慌ててライアを止める。
これ以上話を続けると、ライアはコウタのすべてを白状してしまいそうだ。
それにしてもアンドロイドの分析力は恐ろしい。
その時。
ヒロミにあるアイディアが浮かんだ。
今のうちから、次の嘘のネタを指定しておけばいいんじゃないだろうか。
ヒロミ自身のことならコウタも喜んでくれそうなことは、さっきのライアのデータが示している。
「ねえ、ライアちゃん。今度、予兆をキャッチした時なんだけど」
「はい、何でしょう、ヒロミさん」
ヒロミはライアに近づき、コソコソと耳打ちした。
「わかりました。今度はそれをネタにして、嘘をつきたいと思います。コウタさんもきっと喜んでくれるでしょう」
「そうよね。じゃあ、お願いね」
しかし、事は想定想通りに運ばないのが世の常であった。
☆
二度目の予言からしばらくの間、地震の無い日が続いた。
しかし災害は忘れた頃にやってくる。
初夏の潮風が心地よくなってきた五月の昼下がり、ライアは突然立ち上がった。
「ラララララ、予兆です。予兆なのです!」
授業中の教室は騒然となる。
瞳を赤く点滅させたライアは、三度目となる予言を口にした。
「ヒロミノ、ユビワ、サイズ、ジュウゴウ」
最初にざわざわとし始めたのは、教室内の女子生徒達だった。
「えっ、ヒロミの指輪のサイズって十号なの?」
「そんなことあるわけないじゃない、これは嘘なんだから」
不安そうな顔を見せる彼女達は、一人一人席を立ち教室から逃げて行った。
一方、ポカンとしているのは男子生徒達。
「そもそも指輪のサイズって何?」
「十号って言われても、全然わかんないんだけど」
「指輪みたいにちっぽけなことなんだから、どうでもいいんじゃない」
どうせ起こる地震はまた小さいのだろう。
皆の顔にはそんな余裕が表れていた。
肝心のコウタも例外ではない。きょとんとした表情で、教室の様子を伺っている。
その様子を見たヒロミは、コウタに向かって声を荒らげる。
「コウタ、あんたは私の指輪のサイズがわからないのっ?」
その目には、涙が浮かんでいた。
コウタはヒロミの質問に答えることができず、ポカンと彼女を見つめる。とうとうヒロミは机の上に泣き崩れてしまった。
「あんたに、あんたに指輪をもらうのが子供の頃からの夢だったのに……」
ヒロミの夢が儚く散った瞬間だった。
一気に注目を浴びたコウタは、自分は悪くないと言い訳を始める。
「幼馴染みだからって、そんなこと分かるわけないじゃん。なあ、みんな、そう思うよな」
心ないその態度は、さらにヒロミを傷つける。
その時だった。
ヒロミに近づく一人の男子生徒の姿があった。
「ヒロミさん、あんな奴のことは放っておきましょう」
身長が一八〇センチはあろうと思われる細身のシルエット。バスケ部のキャプテン、サトシだった。
ヒロミは涙を拭いながら、その姿を見上げる。
「あなたの指輪のサイズは十号なんかじゃない。八号、いや七号と推察します。これはとても大きな嘘だ。今すぐに避難した方がいい」
そう言いながらヒロミに手を差し伸べるサトシ。
「うん、わかった」
彼の手を取ったヒロミは立ち上がり、そのまま手を繋いで教室から出て行った。
二人が去った教室は、ざわめきに包まれる。
「おいおい、本当に大きな地震が起きるのか?」
「よくわからないけど俺達も避難した方がいいぞ」
一人一人教室から逃げて行く。
最後に残ったのはコウタとライアだった。
「さあ、コウタさん、私達も避難しませんか?」
コウタは呆然と立ち尽くす。
「なあ、ライア、教えてくれよ。何であんな嘘をついたんだ?」
「それは言えません。ヒロミさんとの約束ですから」
「ヒロミ? 違うだろ。サトシに頼まれてやったんじゃねえのか?」
「何を言ってるんですか。そんなことあるわけないじゃないですか。そんなことより、早く避難した方がいいですよ」
するとコウタはライアを睨みつける。
「おい、ライア。この間と言ってることが違うじゃねえか。地震が起きるまでは本当の事は言えないと言っておきながら、早く避難した方がいいなんて、本当のことを言ってるみたいじゃねえかよっ!」
サトシにヒロミを奪われたのが気に入らないのだろうか。それとも、皆の前で恥をかかされたことに腹を立てているのだろうか。コウタの怒りはライアに向かう。
その言葉を聞いてライアの態度が急変した。
「えっ、私、本当のことなんて言ってません。ちゃんと嘘をつきました。本当のことじゃないです。でもホント? ウソ? ホント? ウソ? ドッチデショウ。ワカリ、マセ、ン……」
声のトーンが下がり会話の速度が遅くなったかと思うと、ついに行動を停止してしまったのだ。
「おい、ライア! どうした、ライアッ!」
コウタは慌ててライアのもとに駆け寄る。
その時だった。
ガタガタと激しく教室が揺れ始める。
コウタは動かなくなったライアをかばうようにしながら、必死に机を掴んで強い揺れに耐えていた。
――震度四。
幸い津波は起きなかったが、この出来事はコウタの心とライアの思考回路を激しく揺さぶった。
☆
メンテナンスを終えてライアが戻って来たのは、三度目の予言から二週間以上経った六月のある日のことだった。
「みなさん、お久しぶりなのです」
「おおっ!」
「なんと!」
教室に顔を出した夏服のライアに、男子生徒達の視線は釘付けになる。
子供っぽかったツインテールはサラサラのショートボブに、鼻筋はすっきりとして、腫れぼったかった瞳もキリっとした二重まぶたに変身していたからだ。
それよりも著しい成長を遂げたのは、薄手のブラウスがはちきれそうなくらいボリュームアップしたその胸元。
「えへへへ、Eカップにしてもらっちゃいました」
ペッタンコの機械の胸はどこへやら。変わり過ぎだろ、という批判を凌駕するくらいの破壊力を手に入れていた。
「これも、コウタさんの深夜に及ぶ勉学の成果です」
クラスでその意味がわかるのはヒロミだけだった。
「ライアちゃん、なんだか私に似てきちゃったね」
ライアと下校するヒロミは、彼女の姿をまじまじと眺めていた。
「結果的にそうなっちゃいましたね」
嬉しそうに語るライアに、ヒロミは複雑な気持ちを重ねる。
「結果的にって?」
「私は、博士が整形しようとしている時に、ある女性の写真をお見せしてこんな感じにして下さいって頼んだだけなんです」
ある女性の写真?
それはヒロミの写真だったのだろうか。
「その写真って私?」
「違うんですよ。ほら、前にも話したじゃないですか。コウタさんが勉学に用いられている資料集。私は自分の記憶の中からコウタさんがよく閲覧されている女性の写真を抜き出して、博士に頼んだのです」
もしかしてそれって、なんとか女優ってやつ?
ヒロミはため息をつきながら納得する。
プロをモデルにしたのであれば、美人に変身するのも当たり前だろう。
「その胸も?」
すぐには大きくなれない人間を差し置いて、いきなりそんなにボリュームアップしちゃうなんて反則じゃないかと、ヒロミは軽い憤りを感じていた。
「いやいや、これは、博士に機械を埋め込まれてしまったんですよぉ」
機械?
あのたわわな胸の中には、いったいどんな機械が入っているのだろう。
「その機械って?」
「右胸の中には高性能赤外線全天球カメラがセットされているんです。人工皮膚や服を透過して、顔認識システムを作動させることが可能です」
きっぱりと語るライアに、ヒロミはぽかんと口を開ける。
ゼンテンキュウカメラ?
カオニンシキシステムって?
難しい単語が並んだため、ヒロミはわけがわからなくなってしまった。
まさか、胸からロケットが飛び出すってことは……ないよね。
「ゴメン、ライアちゃん。もっと分かりやすく言ってくれる?」
「わわわわわ、こちらこそゴメンなさい。つい、博士と話しているつもりになってしまいました。要するにですね、誰がどれくらい私の胸をガン見しているかが分かっちゃうってことなんですよ」
「…………」
ヒロミは絶句した。
なんて恐ろしいものを博士はライアに取り付けたんだ。
後で博士は、ニヤニヤしながら得られた情報を解析するに違いない。スケベな奴はバレバレだ。
「博士はおっしゃっていました。この情報は、研究費調達の切り札になると」
ちょ、ちょ、ちょっとそれってヤバいことに使うんじゃないの?
ヒロミはプチ犯罪の匂いを感じていた。
「それにしても巨乳って邪魔ですねぇ~。不規則に揺れるから、走行時の姿勢補正計算が大変です。まるで翼をもがれた小鳥みたいです」
さらに恐ろしいことを口にするライア。
「ライアちゃん、それ学校で言わない方がいいよ。マジで」
念のために釘を刺しておくヒロミであった。
「でもね、ヒロミさん。本当に私が変わったのは、そんなうわべだけじゃないんです」
ライアの口調が変わった。今回の整形の真意は別なところにあったという風に。
うわべだけじゃない。
つまり、中身にも改造が加えられたということだ。
「三度目の予言の時、私はフリーズしちゃいました」
ヒロミはコウタからその時のことを聞いていた。
コウタからの激しい問いかけに答えられなくなり、一時的にすべての活動を停止してしまったという。
「思考回路が一系統しかなくて、矛盾を含んだ命題に対処できなかったのです」
あの時、ライアが告げた内容は嘘か本当か。
指輪のサイズが十号というのは明らかな嘘であったが、その後の行動が決められていた命令と一部矛盾してしまったのだ。
「だから思考回路を増やして、二系統にしてもらったのです。矛盾した命題は対立要素ごとに分離して、適度に取捨選択ができるようになったのです」
ヒロミには何のことかさっぱりわからなかったが、ライアがフリーズしにくくなったということだけはなんとなく伝わって来た。
「でもそのおかげで、私、二つの判断で悩むことが多くなったんです」
悩み。
それは人間の専売特許だろう。
機械が悩むことなんてあるのだろうか?
「それってどんなこと?」
自分にアンドロイドの悩み解決の貢献ができるかわからなかったが、悩みと聞いては放っておけないヒロミだった。
「コウタさんのことなんです」
コウタのこと?
やっぱりライアはコウタのことが好きなんだ。
ヒロミは二週間前の自分を思い出していた。
ライアは海を見ながらポツリと言う。
「私が戻ってきても、コウタさん、全然話しかけてくれなくて……」
あれからコウタは、ライアに冷たく接するようになっていた。
今日の学校は、二人は別々に登校して来たという。下校時だってコウタは先に帰ってしまい、今ライアはヒロミと二人で帰宅している。
「昔の私だったら、こんな時、コウタさんが気に入る事をしてあげたいという一心で行動していたと思うんです。でも今は、『やり過ぎるとさらに嫌われちゃうんじゃないか』という判断が、もう一系統の思考回路で行われるのです」
好きな人に気に入られたい。
でも、それが目立ち過ぎると嫌われてしまう。
人は絶えず、この二つのバランスを保とうとする。
前者が強すぎるとストーカーになってしまうし、後者が強すぎると何も進展しない。
今のライアは、両者のバランス計算を必死に行っているのだ。
「へえ、ライアちゃん、ずいぶん人間らしくなったじゃない」
「そうですか? でも、これってものすごく演算能力を使うのです。私のCPU稼働率は、バランス計算にほぼ占有されちゃっているんです。ひとことで言えば、オーバーヒート寸前です」
「あはははは、それが恋ってものなのよ」
ライアの反応を見て、ヒロミは可笑しくなった。
「そうなんですか。恋って大変ですね」
「そうよ、私も大変だったけどね」
ヒロミは海を見ながら二週間前のことを思い出す。
コウタが指輪のサイズに全く興味を示してくれなかった時、ヒロミは本当に悲しかった。
でもそのおかげで、サトシという、影でヒロミのことを気にかけてくれていた人を発見することができた。
コウタに関しては、きっと夢を見ていたのだ。
よくドラマに出て来るような幼馴染み。
幼少の頃の秘密を共有していて、普段は気にかけてくれないのにライバルが登場するとめっちゃ気にしてくれて、それでいて最後は指輪をプレゼントしてくれる存在。そんな既成概念に縛られていたのは、ヒロミ自身だったのかもしれない。
「サトシさんとは、その後どうなんですか?」
「うん、うまくいってる。彼、ずっと私のことを見ててくれたようで優しいの。コウタと全然違うから戸惑うこともまだ多いけどね」
男性にあまり優しくされたことがなかったヒロミは、サトシの気遣いに触れるうちに、だんだんと心を許すようになっていた。
「ごめんなさい。コウタさんのこと」
「ぜんぜん構わないよ。というかライアちゃんこそ、頑張ってコウタの心を掴むのよ」
「うん、頑張ります。って言っても、どうやればいいのかぜんぜん分からないんですけど……」
新たに追加された悩みという機能に、ため息を漏らすライアであった。
☆
「コウタさん、私のパンツを見てみませんか?」
それから学校ではライアの猛烈アタックが開始された。
「今日のパンツは、コウタさんの好きなアレですよっ!」
ちょこんと突き出したお尻を揺らし、短めのチェックのスカートをひらひらとさせるライア。
「おおっ!」
「見る見る、ライアちゃんのシマパン!」
しかし、反応するのはコウタ以外の男子生徒ばかり。
「ダメですよ、コウタさん以外は。しっしっ!」
近寄る男子生徒達を無下に扱うライアの態度に、コウタは文句を言いたくなる。
「恥ずかしいからやめてくれよライア。お前のパンツなんて、興味がないんだよ」
「どうしてなんですか? 一回目の予言の時なんて、あんなに必死にヒロミさんのパンツを見ようとしていたのに」
するとコウタは顔を真っ赤にして立ち上がり、ライアに向かって言い訳を始めた。
「だから言ってるだろ? あの時は大きな地震が起きるかもしれなかったんだから、しょうがなかったんだよ。そもそも男というものは、自由に見られるパンツに興味は湧かないんだ。普段見られない場所が不慮の事態でチラリと拝むことができるから聖域なんじゃないかっ!!」
鼻息を荒くするコウタに、教室の男子群から「おー」と歓声が上がる。
「あんたの方が恥ずかしいよ」
穴があったら入りたいヒロミであった。
「ねえ、ライアちゃん。コウタに色仕掛けは効かないんじゃない?」
二人での下校道、ヒロミはライアに提案する。今日もコウタは一人でさっさと帰ってしまった。
「今日は失敗しましたねぇ。でもコウタさんが言っていたことが、ようやく理解できました」
「ようやくって、どういうこと?」
言葉の意味を素直に解釈すれば、前から知っていたけど今まで意味が分からなかったということになる。
「コウタさんの深夜学習の資料集なんですけど、パンツがちょっとだけしか写っていないものがあるんですよ。なんでこんな中途半端な写真で学習されているんだろうと、ずっと不思議に思っていたんです。下着の勉強をしたければ、大きく掲載されているものが適していると思いません?」
それってパンチラ写真集なんじゃないかと、ヒロミは呆れてしまう。
「でも今日のコウタさんの言葉で目が覚めました。下着の一部分から全体を予想するのが男のロマンなんですね。人間ってとっても難しいです」
「いや、人間としてくくってくれなくてもいいから」
ヒロミはすかさず突っ込みを入れた。
ライアのぼやきは続く。
「でも不思議なのは、写真集のパンツの柄がストライプばっかりなんですよ。コウタさんがお気に召されているのはよく分かるんですが、あれって一部分を見ても全体を見ても同じストライプじゃないですか。それって面白くないですよねぇ。それよりも、ワンポイント柄の方が勉強になると思うんですよ。例えばクチバシがチラリと見えたら、ヒヨコなのかプテラノドンなのか、そうやって想像するのが楽しいんじゃないかと私は判断するんですけど、どう思います?」
いや、どうでもいい。
ヒロミは深くため息をついた。
「ほら、ライアちゃんはアンドロイドじゃない。だからあいつ、ライアちゃんの身体的特徴に興味がないんだよ、きっと」
するとライアはちっちっちと指を降る。
「そんなことないですよ、ヒロミさん。コウタさんは授業中に一回は、私の胸をガン見してますから」
やはりライアの胸カメラは恐ろしい。
サトシがガン見していないことをヒロミは切に願うのであった。
「やっぱり色仕掛けは良くないよ。何かコウタに相談をすればいいんじゃない?」
ヒロミは必死に路線を変えようとする。
ライアがこのままの方法を続ければ、コウタだけでなくクラス中の男子生徒のガン見が暴露されてしまうかもしれない。
「相談事ですか……」
考え込むライア。それは予想外という風に。
「アンドロイドが人間様に相談事とは、全く思いつきませんでした。人様のお役に立って差し上げるのがアンドロイド。その逆のことをするなんて、正に逆転の発想です。素晴らしいですヒロミさん。ブラボーです」
ライアの異常な喜びように、また突っ走ってしまうんじゃないかと心配になるヒロミであった。
☆
次の日。
一人でさっさと帰宅しようとするコウタをライアが呼び止める。
「コウタさん、帰り道で相談したい事があるのですが……」
早速作戦を開始したなと、教室ではヒロミがほくそ笑む。
「なんだよライア。俺は忙しいんだよ、また今度にしてくれよ」
「私、真剣なんです。お願いするのです!」
思わず声のボリュームを上げてしまったライアに教室中が注目する。コウタはライアの話を聞かざるを得なくなってしまった。
「だったら今ここで相談しろよ。教室の皆も聞いているから解決はきっと早いぜ」
意地悪そうに笑うコウタ。それでもライアはめげることはない。
「私、まだ悩んでいるんです。三回目の予言の時に、コウタさんが言ったこと」
予言の時。
地震が起こるまでは本当の事は言えないと口を閉ざしたライア。
一方で、大きな地震が起きるかもしれないと本当の事を告げたライア。
コウタはこの矛盾を追求したのだった。
「この矛盾に今でも悩んでいるのです。ねえ、コウタさん教えて下さい。今度、予兆をキャッチした時に、私はどんな嘘をつけばいいのでしょうか?」
真剣な眼差しをコウタに向けるライア。
それは心の底、いや思考回路の基盤から湧き上がる願いであることを示していた。
「そうだな……」
腕を組んで考えるコウタは、何かを思いついたようにニヤリと笑う。
「わかった。じゃあ、『地震は起こらない』って予言すればいいじゃん」
――地震は起こらない。
コウタにしては画期的な案だった。
地震が起こった場合は確かに嘘になる。
一方、地震が起こらなかった場合は本当になってしまうが、地震は起こらないことに越した事がないわけだから皆許してくれるだろう。
それよりもコウタは、『地震は起こらないから逃げて下さい』と滑稽な呼びかけをするライアを見てみたかったのだ。
「ダメだすよ、コウタさん。その予言だと嘘の規模を変えることができませんし、皆さんの命を救うことが難しくなってしまいます」
さすがはアンドロイド。
ライアは、コウタの提案の問題点を瞬時に見抜いていた。
「だったら、『すごい地震は起こらない』とか『小さい地震は起こらない』という風に言えばいいだけじゃねえか」
引くに引かれなくなったコウタは必死に口を尖らす。
「コウタさん、真面目に考えて下さいよぉ」
これはコウタによるライアいじめだ。
そんな嫌な空気を感じた生徒達は、一人また一人と帰宅の途につく。
「じゃあ、こういうのはどうだ」
コウタも意地になる。
「今度の予言は、『私は嘘つきです』って言ってみな」
――私は嘘つきです。
いわゆる自己言及のパラドックスだ。
嘘をつかなくてはならない予言で『私は嘘つきです』と言及した瞬間、ライアは本当のことを言うことになってしまい、嘘をつかなくてはならないという命令に違反する。
これはライアに対する究極の意地悪だった。
「コウタさん……」
さすがのライアも絶句してしまう。
パラドックスが生み出す無限の連鎖に、解析処理速度が追いつかなかったという話もあるが、とにかくフリーズしなかったのは思考回路が改造された成果と言えるだろう。
その時だった。
ライアに異変が生じたのは。
「ラララララ、予兆です。予兆が来たのです!」
直立不動となったライアが瞳を赤く点滅させる。
何もこんな時に。
教室の誰もがそう思っただろう。
そしてライアが発する四回目の予言に、皆が注目した。
「コウタサン、ナンテ、ダイキライ、デス!」
渾身の叫びと共に、ライアは教室から飛び出して行った。
しーんと静まり返る教室。
「はははは、アンドロイドに振られちまったよ」
コウタが一人、乾いた笑いをまき散らす。
その時、コウタの背後からつかつかと近寄る影があった。
「コウタ」
「何だよ。痛ッ!!」
呼ばれて振り向くコウタの頬に、バチっと強烈な平手打ちが炸裂する。
「何すんだよ、ヒロミ!」
「そんなこと言われなきゃわからないの? ライアちゃんはあんたのことが好きで好きでたまらないの。だからあれは大嘘に決まってんでしょ。そしてそれが何を示すか、わかってんでしょうね」
頬を押さえて呆然と立ち尽くすコウタ。
痺れを切らしたヒロミは、教室に向かって声を上げる。
「大地震が来るかもしれないわよ。みんな、階上に逃げて!」
ヒロミの呼びかけを聞いた生徒達は、我先にと教室を飛び出して行く。
それでもなお立ち尽くすコウタ。すっかり呆れたヒロミは、彼の手を引いて窓際まで連れて行った。
校庭を走るライアは、生徒達に必死に呼びかけていた。
『大地震が来ます。校舎に逃げて下さい。大地震が来ます。校舎に逃げて下さい!』
できるだけ多くの人に聞こえるように。
そしてライアは、呼びかけを続けながら海に向かって走って行く。
「ライアッ!」
やっと事態の重大さに気付いたのだろう。コウタが踵を返して走り出そうとした。
しかしヒロミはコウタの手を離さない。
「ダメ! 行ったらあんたも津波に巻き込まれちゃう。前回の大震災の時、家族を助けようと海沿いの自宅に戻った人も死んじゃったことを忘れたのッ!?」
「だってこのままじゃライアが津波に巻き込まれちまうだろ? お前だって、体育館のサトシが心配じゃないのかよ?」
サトシはすでに部活に行っていた。体育館は一階だから、津波が来たら襲われる可能性がある。
「私はサトシを信じてる。『津波てんでんこ』ってのはね、大切な人もちゃんと逃げるはずって信じる誓いの言葉なんだから」
「でもライアは、そんなこと知らないかもしれねえじゃねえか」
引き下がらないコウタに、ヒロミは言い返す。
「あんたが行っても犠牲者が一人増えるだけ。それにライアちゃんはアンドロイド。人間じゃないの」
「人間じゃないって、よくもそんなことが言えるな」
するとヒロミは声を荒らげた。
「その言葉はそっくりあんたに返すわ。ライアちゃんにあんな行動をさせたのは一体誰なのよッ!」
そしてヒロミはポロポロと涙をこぼし始めた。
「ライアちゃん、命令に反することをわかっていながら必死で皆を助けようとしている。それに比べてさっきのあんたの態度は何なの? ただの自己満足じゃない。でもそれを黙って見ていた私も同罪。これから私達はライアちゃんの犠牲を讃え、自分達の行動を悔いて過ごさなきゃいけないの。それにはちゃんと生き残る必要があるんだから……」
一緒に階上に逃げよう。
ヒロミは赤くはれた瞳でコウタに訴える。
「わかった……」
観念したコウタが下を向く。
「さあ、行くよ」
ヒロミが教室の出口を向いた――その時。
ゴゴゴゴという轟音と共に教室が揺れ始める。立っていらなくなった二人は、それぞれ近くにあった机に潜り込んだ。
バタバタと棚のものが落ちたかと思うと、机や椅子がガタンガタンと暴れ出す。かなり大きな地震だった。
――ライアは無事だろうか。
激しく揺れる机の足に必死にしがみつきながら、コウタはライアのことを考える。
――これは確実に津波が来る!
コウタの頭の中でフラッシュバックするのは、夏服のスカートを揺らしながら海に向かって走って行くライアの後姿。もしかしたら、あの姿が永遠に見られなくなるかもしれないと思うと、居ても立ってもいられなくなった。
一分は続いたと思われる長い揺れがおさまると、コウタは机を抜け出して立ち上がる。
「ゴメン、ヒロミ。やっぱりライアを放ってはおけない!」
床に散乱するノートや文房具を蹴散らしながら、コウタは教室の外に出て行った。
「コウタッ! コウタァァァーーッ!」
ヒロミはただ叫ぶことしかできなかった。
「ライアァァァーーッ!」
コウタは必死に走る。海に向かって。
本当はライアに意地悪するつもりはなかった。従順なアンドロイドをちょっとからかいたかっただけだ。三回目の予言の時のむしゃくしゃした気持ちも、少なからず影響していたかもしれないけど。
それに拍車をかけたのが、魅力的になりすぎて戻って来た夏服のライア。コウタにとって、ライアがクラスの男子生徒にちやほやされるのが許せなかった。野暮ったくても、それまでは自分だけのライアだったのに。
でも、ライアを失いたいわけじゃなかった。いや、その逆だ。できることならずっと一緒にいたいと思っていた。だって中身はコウタの家に来た時と変わりないんだから。
だからこんな形でライアとお別れしたくない。
『コウタサン、ナンテ、ダイキライ、デス!』
そんなことを言われたままでサヨナラするのは耐えられなかった。
一言ライアに謝りたい。
コウタを突き動かしていたのは、ただそれだけの感情だった。
海岸に到着するとライアの姿が見えた。
間一髪、間に合ったのだ。
「ライア、ゴメン! 俺が悪かった!!」
力の限り、謝罪を口にする。
「ダメです、コウタさん。来ちゃダメです!」
コウタに気付いたライアは、彼に向かって必死に走り出す。
しかし時はすでに遅し。
ライアの背後には大波が迫っている。
スピードを上げたライアがコウタのもとに辿り着くのと、二人が波に飲まれるのはほぼ同時だった。
☆
「いやあ、恥ずかしいもんだな。女の子を背後から抱きしめるのは」
波にプカプカ浮かびながら、コウタが心境を口にする。
「しっかり掴まっていて下さいね。って、そこはダメですよ。コウタさんの手でカメラが覆われてしまっています」
ライアがコウタに注意をうながす。
「私のお腹のところに手を回して、しっかりと両手を組んでおいて下さいね」
三十分くらい前。
二人が波に飲み込まれた瞬間、ライアの左胸に仕組まれた巨大エアバッグが作動したのだ。
ライアが改造される時、博士は右胸にカメラ、左胸にエアバッグを装着していた。順調に地震の予知に成功していたことに驚いた博士は、いずれライアが津波から人を助けようとするのではないかと予測していたのだ。当然、ライアには二十気圧防水が施されていた。右胸カメラの情報を守るために。
今の二人の状況は、巨大化したライアの左胸の上に乗って海上を漂っている状態。コウタはライアを背後から掴むしか方法がなかった。
「でも、コウタさんはこういう状況を想定されていたんじゃないですか?」
「こういう状況って?」
コウタは不思議に思う。
ライアは一体、何の事を言っているのだろう。
「深夜まで勉強されているじゃないですか。男性と女性がこんな風に体を寄せ合う写真集で」
それはきっと、マットの下に隠していたはずの秘蔵写真集。
ライアに見られていたとは恥ずかしい。
「今、ご参照されますか? 記憶の中の映像を分析して、正しい体位を細かくお教えしますけど」
さすがにそれは止めてほしい。
コウタは真っ赤になりながら、必死に話題を変えようとする。
「そんなことはどうでもいいんだ。ところでライア、ゴメンな。みんなの前であんなことを言っちゃって」
するとライアはケロッと言い放つ。
「いいですよ。あんな意地悪なコウタさんなんて、大嫌いですから」
その言葉にコウタは驚いた。
「えっ、それって……? さっきの予言って大嘘だったんだろ?」
その証拠にこんなに大きな地震が起きたじゃないか。
そう言おうとしてコウタは言葉を詰まらせた。
大嫌いの反対は大好き。自分からそれを言うのは、あまりにも自意識過剰のような気がしたからだ。
「あれれ? コウタさんは聞いていなかったですか? 私に思考回路がもう一系統追加されたことを」
「いや、知らないけど」
「そのおかげで最近、人間の気持ちが理解できるようになったような気がするんです」
人は気持ちを使い分けることができる。
時には自分に都合の良いように。時には他人を思いやるために。
「そして、二つの相反する気持ちが同居していてもいいことがわかったんです」
好きの裏返しは嫌い。
でもそれが同じカードの裏表と解釈すると矛盾が生じてしまう。
裏返しなんじゃなくて、二枚のカードを同時に持っている場合もあるんじゃないだろうか。少なくともライアはそう解釈していた。
「だから本当なんです。私、コウタさんの事が大嫌いです。ということは、今回の予言は大はずれですね。博士に怒られちゃいます、エヘヘへ」
照れくさそうに笑うライア。
下着の肩ひもが透けるほど濡れたブラウスの肩越しに見るその笑顔が、本当に愛しいとコウタは感じていた。
「でも嬉しかったぁ。コウタさんが私のことを心配して海まで来てくれて」
「当たり前だろ。お前はうちのお手伝いアンドロイドなんだから。ていうか、何で海まで走って行ったんだよ」
「だって博士が、『波に飲まれた人を救うと人間になれる』っておっしゃっていましたから」
それを言うなら、クジラに飲まれたおじいさんだろ?
なんてツッコミを入れることなく、コウタはライアを怒鳴りつけた。
「バカヤロー。俺は本気で心配したんだぞ。お前が壊れてしまうんじゃないかって。二度とお前に会えなくなるんじゃないかって。良かった、本当に良かった。ライアが無事で……」
コウタがぎゅっとライアを抱きしめる。
「ありがとうございます」
コウタの言葉を噛み締めるように静かに目をつむるライア。
「私、意地悪なコウタさんが大嫌いです」
機械仕掛けのアンチノミー。
ライアはそれを手に入れた。背反する気持ちにも笑顔になれる博士がくれた能力。
「だからこそ、今のコウタさんが大、大、大好きですっ!」
おわり
ライトノベル作法研究所 2014GW企画
テーマ:矛盾
お題:「10」、「翼」、「嘘」
いきなりそんな懇願をされて、ヒロミは面食らう。
ここは高校の校門のすぐ手前。
帰宅しようとしていたヒロミを、突然追いかけて来たコウタが目の前に回り込み、アスファルトに這いつくばって土下座したのだ。
「な、なな……」
当然である。
いきなりパンツを見せろと言われて、ほいそれと見せられる女の子などいるはずがない。
「何を言ってんのよ、あんたは!」
激しい剣幕でヒロミはコウタを見下ろした。
しかしコウタは怯まない。それどころか、さらに言葉を畳み掛けてくる。
「頼むからすぐに見せてくれ。俺達の命がかかってんだよ!」
コウタの表情は真剣そのものだ。とてもふざけているとは思えない。
が、命がかかっているとはどういうことなのだろう。
「俺達って何よ。あんたが見たいだけでしょ!?」
「違うんだよ、学校に残っている皆の命が危ないかもしれないんだ。頼むよ、信じてくれ」
学校の皆の命?
たかが一人の女子高生のパンツに、それほどに重いものが掛かかることってあるのだろうか?
「何わけのわからないこと言ってんの? いくら幼馴染みだからって、あんたにパンツなんか見せるわけないじゃない」
これでは埒が明かない。そう判断したコウタは意を決する。
「ええい、これだけ頼んでいるのに分からないのかっ! こうなったら……」
顔を上げ、ヒロミのスカートに向かって突進しようとするコウタ。
血走った彼の瞳に危険を察知した彼女は、思わず右足を振り抜いた。
「ぐえっ!」
ローファーがコウタの左顎にクリーンヒット。身長一六◯センチの細身のヒロミだったが、蹴りやすいポジションにいるコウタを倒すのは容易かった。
ショートボブの髪と短めのチェックのスカートがひらりと舞う中、コウタはアスファルトに仰向けに転がる。
意識を失う直前、彼の口から断末魔のうめき声が漏れてきた。
「ピンクと白のストライプか……。我が校は、救われた……」
その表情は、安堵に満ちていた。
「救われたって、どういうことなのよっ!?」
ヒロミはアスファルトにひざまずくと、左手でコウタの胸ぐらを掴み、右手で彼の頬をペシペシと平手打ちする。
「ほら、さっさと起きて答えなさい!」
が、コウタは一向に起きる気配がない。
「結局、見られちゃったし……」
コウタが最後に残した言葉。それはヒロミのパンツの柄を正確に言い当てていた。
恥ずかしくなったヒロミは、スカートを押さえながら辺りを見渡す。幸い、放課後の校門前の人影はまばらだった。
その時。
パタパタと音をたてながら、ヒロミの方へ近づいて来る女子生徒の姿があった。
「ごめんなさーい、ヒロミさーん」
「あれは……ライアちゃん?」
彼女の名前はライア。
コウタの家に来ているお手伝いアンドロイドだ。今は研修と称して、ヒロミ達と同じ高校に通っている。
「私が悪いんです。私が予兆をキャッチしたせいなんです」
予兆?
それは一体、何のことなのだろう?
不思議に思うヒロミのもとに、ツインテールの黒髪をなびかせながらライアが到着した。
「どうしたのライアちゃん? 予兆って何?」
「予兆が来たんです。地震の」
地震の予兆?
そんなこと言われても、ヒロミには何の事だかさっぱり分からない。
と、突然アスファルトから低い声が響く。
「文字通り地震の前触れだ。うぬ、確かにピンクと白のストライプだな」
いつの間にか、意識を取り戻したコウタがヒロミのスカートの中を覗き込んでいた。
「あんた、何見てんのよっ!」
今度はヒロミのパンチが炸裂――とはいかず、彼女の右手はコウタにしっかりと押さえられてしまった。
「まあ、待て。そろそろ来るぞ」
コウタはヒロミの手を掴んだまま、反対側の腕を使って体を起こす。彼女を制止するその言葉は、有無を言わせない迫力があった。
「来るって何が? さっきから何わけのわからないこと言ってんの」
「静かに!」
コウタに気圧されて、思わずヒロミは口を閉じる。
すると――カタカタカタと何かが揺れる音がした。
地震。
でも規模は小さい。おそらく震度は一か二くらいだろう。
するとコウタは、驚きを込めてライアの方を向く。
「すごいぞ、ライア。見事に的中させたな」
的中って、地震を予知したということなのだろうか。
「えっへんなのです。これも博士が与えてくれた能力のおかげなのです」
ペッタンコの機械の胸を、ライアが一生懸命張っていた。
「ちょっと何のことなのか、詳しく教えてよ」
春の夕陽が反射する海辺の通学路を三人で歩きながら、ヒロミが疑問を口にする。
さっきから、ヒロミにとってわけのわからないことが続いている。コウタがヒロミのパンツを見ようとしたり、予兆がどうのこうのって話になったり、そして地震が起きたり……。
「さっきのでわかっただろ? ライアはな、地震の予兆をキャッチできるんだよ」
地震の予兆?
それは、ナマズが暴れるとか、そういうものなのだろうか?
目をパチクリさせるヒロミに、仕方がないとコウタが説明を始めた。
「発光現象って聞いたことはあるか?」
発光現象?
それって何だろう?
「やはり聞いたことはないか。要はな、地震の前に空が光って見えることがあるんだ」
地震の前に空が光る……って?
ヒロミは、ようやくテレビの特番かなにかで見たシーンを思い出していた。確か、阪神大震災の直前に空が光って見えたとか見えなかったとか、そんなことだったような気がする。
どうやらコウタは、そういう現象のことを言おうとしているらしい。
「ライアはな、その発光現象をキャッチできるんだ」
「そうなんです、ヒロミさん。私は昼間でも、発光現象をキャッチできるんです」
昼間に発光現象?
晴れの日だったら、太陽がキラキラしていて発光現象なんてわからないんじゃないだろうか。
コウタの話によると、昼間でもそれを捉えることができるのがライアのすごいところらしい。この能力を使えば、二十四時間、地震の予兆を捉えることが可能となる。
「すごいじゃない、ライアちゃん」
もしこれがホントなら、多くの人々の命を救うことができるかもしれない。
「でも、それが私のパンツとどう関係してくるのよ」
人類の運命よりも自分のパンツ。
女の子なら仕方が無いことであった。
「それがな、ここからがちょっと複雑なんだ」
ライアも説明に加わる。
「よく聞いてて下さいね、ヒロミさん。私を造ったお茶の石博士は、地震の予兆をキャッチした時、ある行為をするよう私にプログラミングしたんです」
ある行為?
「それは?」
「それはですね……」
ヒロミはゴクリと唾を飲んだ。
「嘘をつくことなんです」
嘘?
というか、アンドロイドが嘘をついてもいいのだろうか?
ヒロミは思わず突っ込みたくなる。
「しかもな、ライアは地震に応じたレベルの嘘をつかなくちゃいけないんだ」
「地震に応じたレベルの嘘ォ?」
なんだか変な話になってきた。
予兆をキャッチするところまではいいとして、地震に応じたレベルの嘘をつかなくちゃいけないなんて、なんていい加減な、いや面倒くさい仕様になっているのだろう。
「つまり、ライアちゃんが大きな嘘をついたら、大きな地震が起きるってわけ?」
「正確には、大きな予兆を捉えたら大きな嘘をつくようにプログラミングされてるんですけど、まあ、大体そんな感じです」
そんなアバウトな。
「それで? ライアちゃんはさっき、どんな嘘をついたの?」
「それがですね、地震の予言をしようとした時に、今日の身体測定で見たヒロミさんのパンツの柄が頭に浮かんだのです……」
ヒロミとライアのやり取りを聞きながら、コウタはライアが予言した時の様子を思い出していた。
今から三十分ほど前、教室で帰り支度をしていると、ライアの態度が急変したのだ。
「ラララララ、予兆です。予兆が来たのです!」
ライアの目が赤く光っている。しかも、左右交互の点滅――これは博士から聞いていた地震の予兆をキャッチした時の反応だった。
やがてライアは、普段とは違う機械特有の声で予言を口にした。
「ヒロミノ、パンツハ、ミズイロ、ストライプ」
なに? ヒロミのパンツは水色のストライプだって!
コウタに戦慄が走る。
なぜなら、子供の頃からヒロミのパンツは白しか見た事がなかったからだ。
もし、ヒロミのパンツがいつもの白だったら……。
そのことを考えてコウタは背筋が寒くなった。
ストライプと白とでは天と地ほどの差がある。つまりライアの予言は、コウタ的にはとんでもないレベルの嘘ということになるのだ。
これは一大事。これから起きる地震の規模はライアの嘘のレベルに比例する。
「ま、まさか、大地震が……」
居ても立ってもいられなくなったコウタは、咄嗟に走り出していた。
「ヒロミは少し前に教室を出て行ったはず。今ならまだ間に合う」
階段を駆け下り、廊下を走り抜ける。
その時、コウタの頭の中にはさらに悪い予感が生まれていた。
もしヒロミがとんでもないものを穿いていたら!?
いや、何かを穿いていたらまだいい。まさかとは思うが、何も穿いていないことだって考えられる。
事は大地震では済まなくなる可能性があるのだ。
慌てて靴を履いたコウタは校舎から飛び出し、ヒロミに向かってダッシュした――
「いやあ、お前のパンツがストライプで本当に良かったよ」
ほっとため息をつきながら、しみじみと語るコウタ。
同じストライプで、水色とピンクの色違い。
ライアの予言は、そんな小さな嘘だった。当然、起きた地震も大した事はない。
通学路を歩きながらパンツの柄を思い出すコウタに、ヒロミはムッとする。
気を失った時のコウタの幸せそうな表情を、思い出してしまったからだ。
「なに? あんた、また蹴っ飛ばされたいの?」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺は皆を救おうと必死だったんだぜ」
「救おうって、自分がパンツを見たかっただけじゃない」
その言葉にコウタは顔色を変える。
「おいおい冗談言うなよ。もしあれが大地震の予兆だったら、どうなってたと思うんだよ」
「大きな地震が起きるだけじゃない」
「そりゃそうだが、この学校にはもっと危険なことがあるだろ?」
そう言ってコウタは海の方を見る。夕陽は高度をさらに落としていた。
――もっと危険なこと?
ヒロミははっとする。彼女達が通う学校は海の近くに建っている。
「もしかして津波?」
「そうだよ、大地震だったら校舎の上の階に逃げた方がいい。それには十分な時間が必要じゃないか」
確かに大地震の予兆が掴めれば、最悪の事態になっても助かる人は増えるに違いない。
「ていうか、あんた、私が何を穿いてたら大地震になると思ったのよっ!?」
学校を救うなんて格好のいいことを言っているが、水色ストライプが大嘘になるという事態がわからない。
ヒロミはコウタを睨みつける。
「あの、その、なんていうか、紐というか、日本古来のアレというか……」
さすがにノーパンとは言えない恥ずかしがり屋のコウタだった。
もごもごと口を動かしながらもじもじするコウタに、もうパンツのことなんてどうでもいいとヒロミは思う。コウタの妄想の中で、自分の恥ずかしい下着シーンがこれ以上増えるのは嫌だった。
「それにしても予兆が来たら嘘をつきなさいって、ライアちゃんを造った博士はなんでそんな複雑なことをしたのかしら?」
そもそも、博士がそういうプログラミングをしたのがいけないような気もする。
二人の横を歩いていたライアは、少し考えた後、静かに言葉を紡いだ。
「うーん、博士から特にお聞きしてはいませんが……。もしかすると信用問題に関わる理由なんじゃないでしょうか」
「信用問題?」
ヒロミが首をかしげると、ライアが説明を加える。
「予兆をキャッチしたからと言って、必ず地震が起きるとは限らないんです。つまり、『地震が起きる』って言って起きなかったら、信用問題になるじゃないですか」
――起きると言って、起きなかった。
オオカミ少年がその良い例だろう。ただしオオカミ少年の場合は、嘘の割合が圧倒的に多いけど。
「だから博士はお考えになったんだと思います。本当の事を言って皆を惑わすよりも、嘘を言って地震が予知できればもうけもんだと。まあ、私にとってはおまけみたいな能力ですし……」
だからもう予兆にはあまり構わないで下さい。
黙ってうつむくライアの仕草には、そのようなメッセージが込められているような感じだった。
ヒロミと別れて二人きりになると、コウタがライアに声をかける。
「ごめんな、ライア。お前の能力を問い詰めるようなことになっちまって」
「いえいえコウタさん。地震が起きた時にコウタさんに掛けていただいた言葉、とても嬉しかったです」
コウタも最初は半信半疑だった。
しかし、ライアの予言通りちゃんと地震は起きた。
しかもその規模は、予言とピタリ一致していたのだ。
これで驚かない人間はいないんじゃないかと、コウタはライアのことを誇らしく思っていた。
「明日からも頼むぞ」
コウタの激励にライアは瞳を輝かせる。
「はい、明日からもコウタさんのために、って、おわっ!?」
コケた。アンドロイドなのにライアがコケた。
美しい主従関係が夕暮れの海辺で輝きを放つところだったのに、すんでのところでライアは砂に足を取られてスッコケてしまったのだ。
派手にめくれてしまったライアの制服のスカートを見て、コウタがため息を漏らす。
「ライア……、お前のことだったのか……」
まるで妹のパンツを見てしまったかのように、スカートから目を逸らすコウタ。彼の目に焼き付けられたその柄は水色ストライプだった。
「えへへへ、バレちゃいましたね。明日からも、コウタさんが喜んでくれそうな嘘をつきたいと思います。ライア、頑張っちゃいます!」
そんなライアのカラ元気がさらなる出来事に発展するとは、二人は予想していなかった。
☆
翌日。
校庭越しに海が見える二階の教室では、春の陽気にのどかな時間が流れていた。
しかし静寂は突如として破られる。
二時間目の授業中に、突然ライアが立ち上がったのだ。
「ラララララ、予兆です。予兆なのです!」
教室では「キター!」と叫ぶ生徒もいる。きっと、昨日の様子を見ていた生徒だろう。
瞳を赤色に点滅させながらのライアの言葉に、教室中が息を飲んだ。
「ヒロミノ、ムネハ、ディーカップ」
予言に騒然となる教室。
クラスメート達の視線がヒロミの胸に集中する。
「ちょ、ちょっとみんな、そんなにジロジロ見ないでよっ!」
必死に手で隠そうとするヒロミの胸は、かなり控えめに見えたのだ。
「ヤバい、これは大嘘だぞ!」
「AとDとじゃ大違いじゃないかっ!」
男子生徒のほとんどは立ち上がり、階上に逃げようと教室を飛び出した。ヒロミ達の教室は二階にあったため、もしもの時のことを考えての行動を取ったのだ。
意外と冷静だったのは女子生徒達。
「あの子、実は着やせするタイプなのよね」
「ああ見えても私より大きいんだから、悔しいったらありゃしない」
陰口をたたきながら、涙をこぼす生徒もいるほどだ。
それもそのはず、昨日の身体測定で女子達は実態を知っていた。
たまりかねたコウタは、ゆっくりとライアに近づく。昨日の事を考えれば地震発生までにはまだ時間はある。
「ライア、本当はどうなんだ?」
「ごめんなさい、地震が発生するまでは本当のことは言えないんです」
これではしょうがない。
でも、教室にはほとんどの女子が残っている。つまりそれは、これから起きる地震の規模は小さいことを雄弁に物語っていた。彼女達だって命は惜しいはずだ。
「ヒロミ、正直に答えてくれ。もし地震が起きても、大したことはないんだな?」
コウタなりに配慮した質問だった。
恥ずかしそうにうつむいていたヒロミは、真っ赤に腫れた瞳をコウタに向け、小さく頷いた。
「よし、みんなを安心させに行って来る!」
勢い良くコウタが教室を飛び出し行く。
それから一分後、校内放送で流れてきたのはコウタの声だった。
『みなさんご安心下さい。先ほどからお騒がせしている地震の予言ですが、揺れは大した事がないと……』
その時だ。
カタカタと教室が揺れる。
しかし、震度は一か二くらい。
揺れが収まると、学校中が安堵に包まれる。
『地震が小さくてよかったぁ。ということはAじゃなくてCなのか……。ヒロミのやつ、いつの間にそんなに成長したんだ?』
マイクのスイッチを切り忘れて呟くコウタ。
ヒロミの胸のサイズが全校にバレてしまった瞬間だった。
「あのバカ……」
後でコウタに修羅場が訪れたことは、言うまでもない。
「私、ヒロミさんにひどいことしちゃいました……」
学校からの帰り道、ライアはコウタに謝罪する。今日はヒロミは先に帰っていた。
「そうだな、俺もひどい目に遭ったけど……」
海を見ながら、二人で深くため息をつく。
「もう済んだことは忘れるしかないよ」
「私、アンドロイドだから忘れることができません」
そりゃ損だなとコウタは思う。
もしかすると人間って、意外と便利な生き物なのかもしれない。
「それにしても、ヒロミに隠されたチャームポイントがあったとは、びっくりしたなぁ」
「私も正直驚きました。制服のブレザーではあんなに低丘でいらっしゃるのに、身体測定で下着を外された瞬間、ボンって飛び出してきましたからね。博士なら、『うわー、ねえちゃん、ええもん持ってはるなあ』とおっしゃるところでしたよ」
博士はライアに何を教えているのだろう?
というか、ライアも身体測定で何をやっていたのかと不思議に思うコウタであった。
「私、胸が無いからヒロミさんがうらやましくて……」
そう言いながら、しげしげと自分の制服のブレザーを眺めるライア。
その姿があまりにも哀れだったので、コウタは思い切って提案する。
「だったらもう、パンツや胸のことを予言のネタに使わないことにしたら?」
するとライアは、うーんと悩み始めた。
悩んでるってことはこれからもネタとして使うつもりだったのかよ、とコウタは突っ込みたくなる。
「わかりました、もうその二つを使うのはやめにします。せっかくコウタさんが喜んでくれると思ったんですけど……」
喜ぶとはどういうことなのかと疑問だったが、いちいち説明されると面倒くさいのでコウタは聞こえないフリをする。
「次からはまともなネタにしてくれよ。期待してるからさ」
期待という言葉を聞いて、ライアは笑顔になる。
「はい、ありがとうございます。今度はちゃんとしたネタで嘘をつきたいと思います」
ちゃんとしたネタで嘘というのも、何だか変な感じがするが。
「もう、地震は来ないといいな」
「そうですね、私ももう、嘘はつきたくありません。博士が、『たくさん嘘をついたら胸が大きくなるぞ』っておっしゃるから、我慢してるんですけどね」
どこぞの木製人形の鼻じゃあるまいし。
というか、そんなに胸が欲しいのかよとコウタは半分呆れる。
しかし嘘をつきたくないというのは、ライアの本心のようだ。
――嘘をつくこと。
それはライアの存在理由であることを、コウタはこっそりと博士から聞いていたのだった。
☆
ライアがコウタの家に来たのは一ヶ月前。コウタが高校二年生になった四月のことだった。
親戚のお茶の石博士から、ライアの実証実験を頼まれたのだ。
「コウタ君。ライアは一見、普通のお手伝いアンドロイドに見えるけど、ある実験のために造られたアンドロイドなんだよ」
自宅のすぐ近くの海辺で、コウタは博士からライアの秘密を聞く。
「その実験とはなんですか?」
「それはだな、嘘をつくことなんだ」
嘘ォ?
でもそれって、アンドロイドがついても良いものなのだろうか。
「じゃあ、ライアの言うことは信じちゃいけないんですか?」
「いや、そんなことはない。普段から嘘をついていると誰にも信じてもらえないし、アンドロイドとしては失格だ」
そりゃそうだろう。信じられないアンドロイドなんて、鉄くずよりもたちが悪い。
「だから、ある特殊なシチュエーションの時だけ、嘘をつくようにプログラミングしてある」
博士はいたずらっ子のような目でコウタを見た。
特殊なシチュエーション?
もしかしたら、その仕様は博士の個人的な趣味なんじゃないだろうか。
「それはどういう時ですか?」
「発光現象が起きた時だ」
地震が起こる前に発光現象が見える時があるという。
その発光現象を捉えるセンサーをライアに取り付けたと、博士はコウタに説明した。
「それをキャッチした時にのみ、ライアは一つだけ嘘をつくんだ」
発光現象をキャッチすると嘘をつくアンドロイド。
そのライアはどんな嘘をつくのだろう。
「その時はちゃんと嘘をつくことが分かるように、事前に警告を発するようになっている。瞳が赤色に点滅して、普段とは声色が変わるから誰にでもわかるはずだ」
それなら安心だ。
その時以外の言葉はちゃんと信じられるということだから。
「そこでお願いなんだが、ライアがどんな嘘をついたか、またその後でライアがどんな反応を示したか、報告して欲しいんだ」
「でも博士。俺、昼間は学校に行ってますよ。その時に家でライアが嘘をついても、俺には分からないんですけど」
「それは心配しなくてもいい。ライアも一緒に学校に通えるよう、すでに手配済みだ」
アンドロイドと一緒に学校に通う!?
そんなことは聞いていないと、コウタは困惑の表情を浮かべた。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。ライアはお手伝いアンドロイドだったんじゃなかったんですか?」
「大丈夫だよ、コウタ君。ライアは身長一五七センチ、体重五十二キロ、顔の造りはちょっと野暮ったいけど、黒髪のツインテールが似合う完璧なドジっ子女子高生に仕上げてある」
完璧なドジっ子って……?
なんだか博士のお遊びに付き合わされているような感じがして、コウタは呆れ果てた。
「それに、大勢の人の前でライアがどんな行動をして、どんな嘘をついて、その後でどんな反応を見せるのか、そういうデータを取りたいんだよ」
急に真面目な表情をする博士。
そういうデータを取りたいことは、どうやら本心らしい。
「なぜ、嘘なんですか?」
だからコウタは博士に訊いてみる。
アンドロイドが嘘をつくという意味を。
「これは僕の考えなんだが、上手に嘘をつくことができるかどうかが人間とアンドロイドの違いだと思っている。だから、アンドロイドがつく嘘のデータを集めて、より人間らしいアンドロイド造りに活かしたいんだ」
博士の意図は理解した。
しかし、そんな変な設定のアンドロイドの面倒を見ることができるのだろうか。
不安な気持ちに包まれながら、コウタは博士を見送った。
☆
「ねえ、ライアちゃん。この間はなんで、あんな嘘をついたの?」
体育の時間、ヒロミはこっそりライアに質問する。
一回目の予言はヒロミのパンツ、二回目の予言は胸のサイズについてだった。そのことがヒロミには納得がいかなかったのだ。
「それはですね、コウタさんが自宅学習に使われている資料集から割り出した結果なのです」
ライアはちゃんと理由があってあんな嘘をついていたようだ。
でも、自宅学習に使っている資料集って何だろう?
コウタが自宅でもそんなに勉強しているのだろうかと、ヒロミは疑問に思う。
「コウタさんは、夜遅くまでその資料集を用いて勉強されているのです。この間、コウタさんのベッドを掃除していた時に発見したのです」
ライアは人間のように何かを思い出す仕草を見せながら語り始めた。
「マットの下に大切に保管されていたその資料集には、女性の写真が多く引用されておりました。その内容を分析しますと、パンツを題材にした写真が四十八パーセントで一番多く、胸を題材にした写真が三十五パーセントで二番目だったのです」
それって……ただのエロ本じゃないのだろうか。
ヒロミはライアの話を聞きながら、なんだか恥ずかしくなる。
「次に私は、紙の表面の湿度を測定して、コウタさんがご覧になられている頻度を写真ごとに計算しました。すると、ヒロミさんによく似た女性の写真の閲覧頻度が特に高く、七十パーセントを超えていることが判明したのです」
いや、もうそれ以上はいいから。
これ以上、話を聞いていけないような気がヒロミはしてきた。
「以上を総合しますと、コウタさんに喜んでいただける嘘は、ヒロミさんのパンツと胸に関することではないかと判断し……」
「わかった、わかった。ライアちゃん、もういいわ」
ヒロミは慌ててライアを止める。
これ以上話を続けると、ライアはコウタのすべてを白状してしまいそうだ。
それにしてもアンドロイドの分析力は恐ろしい。
その時。
ヒロミにあるアイディアが浮かんだ。
今のうちから、次の嘘のネタを指定しておけばいいんじゃないだろうか。
ヒロミ自身のことならコウタも喜んでくれそうなことは、さっきのライアのデータが示している。
「ねえ、ライアちゃん。今度、予兆をキャッチした時なんだけど」
「はい、何でしょう、ヒロミさん」
ヒロミはライアに近づき、コソコソと耳打ちした。
「わかりました。今度はそれをネタにして、嘘をつきたいと思います。コウタさんもきっと喜んでくれるでしょう」
「そうよね。じゃあ、お願いね」
しかし、事は想定想通りに運ばないのが世の常であった。
☆
二度目の予言からしばらくの間、地震の無い日が続いた。
しかし災害は忘れた頃にやってくる。
初夏の潮風が心地よくなってきた五月の昼下がり、ライアは突然立ち上がった。
「ラララララ、予兆です。予兆なのです!」
授業中の教室は騒然となる。
瞳を赤く点滅させたライアは、三度目となる予言を口にした。
「ヒロミノ、ユビワ、サイズ、ジュウゴウ」
最初にざわざわとし始めたのは、教室内の女子生徒達だった。
「えっ、ヒロミの指輪のサイズって十号なの?」
「そんなことあるわけないじゃない、これは嘘なんだから」
不安そうな顔を見せる彼女達は、一人一人席を立ち教室から逃げて行った。
一方、ポカンとしているのは男子生徒達。
「そもそも指輪のサイズって何?」
「十号って言われても、全然わかんないんだけど」
「指輪みたいにちっぽけなことなんだから、どうでもいいんじゃない」
どうせ起こる地震はまた小さいのだろう。
皆の顔にはそんな余裕が表れていた。
肝心のコウタも例外ではない。きょとんとした表情で、教室の様子を伺っている。
その様子を見たヒロミは、コウタに向かって声を荒らげる。
「コウタ、あんたは私の指輪のサイズがわからないのっ?」
その目には、涙が浮かんでいた。
コウタはヒロミの質問に答えることができず、ポカンと彼女を見つめる。とうとうヒロミは机の上に泣き崩れてしまった。
「あんたに、あんたに指輪をもらうのが子供の頃からの夢だったのに……」
ヒロミの夢が儚く散った瞬間だった。
一気に注目を浴びたコウタは、自分は悪くないと言い訳を始める。
「幼馴染みだからって、そんなこと分かるわけないじゃん。なあ、みんな、そう思うよな」
心ないその態度は、さらにヒロミを傷つける。
その時だった。
ヒロミに近づく一人の男子生徒の姿があった。
「ヒロミさん、あんな奴のことは放っておきましょう」
身長が一八〇センチはあろうと思われる細身のシルエット。バスケ部のキャプテン、サトシだった。
ヒロミは涙を拭いながら、その姿を見上げる。
「あなたの指輪のサイズは十号なんかじゃない。八号、いや七号と推察します。これはとても大きな嘘だ。今すぐに避難した方がいい」
そう言いながらヒロミに手を差し伸べるサトシ。
「うん、わかった」
彼の手を取ったヒロミは立ち上がり、そのまま手を繋いで教室から出て行った。
二人が去った教室は、ざわめきに包まれる。
「おいおい、本当に大きな地震が起きるのか?」
「よくわからないけど俺達も避難した方がいいぞ」
一人一人教室から逃げて行く。
最後に残ったのはコウタとライアだった。
「さあ、コウタさん、私達も避難しませんか?」
コウタは呆然と立ち尽くす。
「なあ、ライア、教えてくれよ。何であんな嘘をついたんだ?」
「それは言えません。ヒロミさんとの約束ですから」
「ヒロミ? 違うだろ。サトシに頼まれてやったんじゃねえのか?」
「何を言ってるんですか。そんなことあるわけないじゃないですか。そんなことより、早く避難した方がいいですよ」
するとコウタはライアを睨みつける。
「おい、ライア。この間と言ってることが違うじゃねえか。地震が起きるまでは本当の事は言えないと言っておきながら、早く避難した方がいいなんて、本当のことを言ってるみたいじゃねえかよっ!」
サトシにヒロミを奪われたのが気に入らないのだろうか。それとも、皆の前で恥をかかされたことに腹を立てているのだろうか。コウタの怒りはライアに向かう。
その言葉を聞いてライアの態度が急変した。
「えっ、私、本当のことなんて言ってません。ちゃんと嘘をつきました。本当のことじゃないです。でもホント? ウソ? ホント? ウソ? ドッチデショウ。ワカリ、マセ、ン……」
声のトーンが下がり会話の速度が遅くなったかと思うと、ついに行動を停止してしまったのだ。
「おい、ライア! どうした、ライアッ!」
コウタは慌ててライアのもとに駆け寄る。
その時だった。
ガタガタと激しく教室が揺れ始める。
コウタは動かなくなったライアをかばうようにしながら、必死に机を掴んで強い揺れに耐えていた。
――震度四。
幸い津波は起きなかったが、この出来事はコウタの心とライアの思考回路を激しく揺さぶった。
☆
メンテナンスを終えてライアが戻って来たのは、三度目の予言から二週間以上経った六月のある日のことだった。
「みなさん、お久しぶりなのです」
「おおっ!」
「なんと!」
教室に顔を出した夏服のライアに、男子生徒達の視線は釘付けになる。
子供っぽかったツインテールはサラサラのショートボブに、鼻筋はすっきりとして、腫れぼったかった瞳もキリっとした二重まぶたに変身していたからだ。
それよりも著しい成長を遂げたのは、薄手のブラウスがはちきれそうなくらいボリュームアップしたその胸元。
「えへへへ、Eカップにしてもらっちゃいました」
ペッタンコの機械の胸はどこへやら。変わり過ぎだろ、という批判を凌駕するくらいの破壊力を手に入れていた。
「これも、コウタさんの深夜に及ぶ勉学の成果です」
クラスでその意味がわかるのはヒロミだけだった。
「ライアちゃん、なんだか私に似てきちゃったね」
ライアと下校するヒロミは、彼女の姿をまじまじと眺めていた。
「結果的にそうなっちゃいましたね」
嬉しそうに語るライアに、ヒロミは複雑な気持ちを重ねる。
「結果的にって?」
「私は、博士が整形しようとしている時に、ある女性の写真をお見せしてこんな感じにして下さいって頼んだだけなんです」
ある女性の写真?
それはヒロミの写真だったのだろうか。
「その写真って私?」
「違うんですよ。ほら、前にも話したじゃないですか。コウタさんが勉学に用いられている資料集。私は自分の記憶の中からコウタさんがよく閲覧されている女性の写真を抜き出して、博士に頼んだのです」
もしかしてそれって、なんとか女優ってやつ?
ヒロミはため息をつきながら納得する。
プロをモデルにしたのであれば、美人に変身するのも当たり前だろう。
「その胸も?」
すぐには大きくなれない人間を差し置いて、いきなりそんなにボリュームアップしちゃうなんて反則じゃないかと、ヒロミは軽い憤りを感じていた。
「いやいや、これは、博士に機械を埋め込まれてしまったんですよぉ」
機械?
あのたわわな胸の中には、いったいどんな機械が入っているのだろう。
「その機械って?」
「右胸の中には高性能赤外線全天球カメラがセットされているんです。人工皮膚や服を透過して、顔認識システムを作動させることが可能です」
きっぱりと語るライアに、ヒロミはぽかんと口を開ける。
ゼンテンキュウカメラ?
カオニンシキシステムって?
難しい単語が並んだため、ヒロミはわけがわからなくなってしまった。
まさか、胸からロケットが飛び出すってことは……ないよね。
「ゴメン、ライアちゃん。もっと分かりやすく言ってくれる?」
「わわわわわ、こちらこそゴメンなさい。つい、博士と話しているつもりになってしまいました。要するにですね、誰がどれくらい私の胸をガン見しているかが分かっちゃうってことなんですよ」
「…………」
ヒロミは絶句した。
なんて恐ろしいものを博士はライアに取り付けたんだ。
後で博士は、ニヤニヤしながら得られた情報を解析するに違いない。スケベな奴はバレバレだ。
「博士はおっしゃっていました。この情報は、研究費調達の切り札になると」
ちょ、ちょ、ちょっとそれってヤバいことに使うんじゃないの?
ヒロミはプチ犯罪の匂いを感じていた。
「それにしても巨乳って邪魔ですねぇ~。不規則に揺れるから、走行時の姿勢補正計算が大変です。まるで翼をもがれた小鳥みたいです」
さらに恐ろしいことを口にするライア。
「ライアちゃん、それ学校で言わない方がいいよ。マジで」
念のために釘を刺しておくヒロミであった。
「でもね、ヒロミさん。本当に私が変わったのは、そんなうわべだけじゃないんです」
ライアの口調が変わった。今回の整形の真意は別なところにあったという風に。
うわべだけじゃない。
つまり、中身にも改造が加えられたということだ。
「三度目の予言の時、私はフリーズしちゃいました」
ヒロミはコウタからその時のことを聞いていた。
コウタからの激しい問いかけに答えられなくなり、一時的にすべての活動を停止してしまったという。
「思考回路が一系統しかなくて、矛盾を含んだ命題に対処できなかったのです」
あの時、ライアが告げた内容は嘘か本当か。
指輪のサイズが十号というのは明らかな嘘であったが、その後の行動が決められていた命令と一部矛盾してしまったのだ。
「だから思考回路を増やして、二系統にしてもらったのです。矛盾した命題は対立要素ごとに分離して、適度に取捨選択ができるようになったのです」
ヒロミには何のことかさっぱりわからなかったが、ライアがフリーズしにくくなったということだけはなんとなく伝わって来た。
「でもそのおかげで、私、二つの判断で悩むことが多くなったんです」
悩み。
それは人間の専売特許だろう。
機械が悩むことなんてあるのだろうか?
「それってどんなこと?」
自分にアンドロイドの悩み解決の貢献ができるかわからなかったが、悩みと聞いては放っておけないヒロミだった。
「コウタさんのことなんです」
コウタのこと?
やっぱりライアはコウタのことが好きなんだ。
ヒロミは二週間前の自分を思い出していた。
ライアは海を見ながらポツリと言う。
「私が戻ってきても、コウタさん、全然話しかけてくれなくて……」
あれからコウタは、ライアに冷たく接するようになっていた。
今日の学校は、二人は別々に登校して来たという。下校時だってコウタは先に帰ってしまい、今ライアはヒロミと二人で帰宅している。
「昔の私だったら、こんな時、コウタさんが気に入る事をしてあげたいという一心で行動していたと思うんです。でも今は、『やり過ぎるとさらに嫌われちゃうんじゃないか』という判断が、もう一系統の思考回路で行われるのです」
好きな人に気に入られたい。
でも、それが目立ち過ぎると嫌われてしまう。
人は絶えず、この二つのバランスを保とうとする。
前者が強すぎるとストーカーになってしまうし、後者が強すぎると何も進展しない。
今のライアは、両者のバランス計算を必死に行っているのだ。
「へえ、ライアちゃん、ずいぶん人間らしくなったじゃない」
「そうですか? でも、これってものすごく演算能力を使うのです。私のCPU稼働率は、バランス計算にほぼ占有されちゃっているんです。ひとことで言えば、オーバーヒート寸前です」
「あはははは、それが恋ってものなのよ」
ライアの反応を見て、ヒロミは可笑しくなった。
「そうなんですか。恋って大変ですね」
「そうよ、私も大変だったけどね」
ヒロミは海を見ながら二週間前のことを思い出す。
コウタが指輪のサイズに全く興味を示してくれなかった時、ヒロミは本当に悲しかった。
でもそのおかげで、サトシという、影でヒロミのことを気にかけてくれていた人を発見することができた。
コウタに関しては、きっと夢を見ていたのだ。
よくドラマに出て来るような幼馴染み。
幼少の頃の秘密を共有していて、普段は気にかけてくれないのにライバルが登場するとめっちゃ気にしてくれて、それでいて最後は指輪をプレゼントしてくれる存在。そんな既成概念に縛られていたのは、ヒロミ自身だったのかもしれない。
「サトシさんとは、その後どうなんですか?」
「うん、うまくいってる。彼、ずっと私のことを見ててくれたようで優しいの。コウタと全然違うから戸惑うこともまだ多いけどね」
男性にあまり優しくされたことがなかったヒロミは、サトシの気遣いに触れるうちに、だんだんと心を許すようになっていた。
「ごめんなさい。コウタさんのこと」
「ぜんぜん構わないよ。というかライアちゃんこそ、頑張ってコウタの心を掴むのよ」
「うん、頑張ります。って言っても、どうやればいいのかぜんぜん分からないんですけど……」
新たに追加された悩みという機能に、ため息を漏らすライアであった。
☆
「コウタさん、私のパンツを見てみませんか?」
それから学校ではライアの猛烈アタックが開始された。
「今日のパンツは、コウタさんの好きなアレですよっ!」
ちょこんと突き出したお尻を揺らし、短めのチェックのスカートをひらひらとさせるライア。
「おおっ!」
「見る見る、ライアちゃんのシマパン!」
しかし、反応するのはコウタ以外の男子生徒ばかり。
「ダメですよ、コウタさん以外は。しっしっ!」
近寄る男子生徒達を無下に扱うライアの態度に、コウタは文句を言いたくなる。
「恥ずかしいからやめてくれよライア。お前のパンツなんて、興味がないんだよ」
「どうしてなんですか? 一回目の予言の時なんて、あんなに必死にヒロミさんのパンツを見ようとしていたのに」
するとコウタは顔を真っ赤にして立ち上がり、ライアに向かって言い訳を始めた。
「だから言ってるだろ? あの時は大きな地震が起きるかもしれなかったんだから、しょうがなかったんだよ。そもそも男というものは、自由に見られるパンツに興味は湧かないんだ。普段見られない場所が不慮の事態でチラリと拝むことができるから聖域なんじゃないかっ!!」
鼻息を荒くするコウタに、教室の男子群から「おー」と歓声が上がる。
「あんたの方が恥ずかしいよ」
穴があったら入りたいヒロミであった。
「ねえ、ライアちゃん。コウタに色仕掛けは効かないんじゃない?」
二人での下校道、ヒロミはライアに提案する。今日もコウタは一人でさっさと帰ってしまった。
「今日は失敗しましたねぇ。でもコウタさんが言っていたことが、ようやく理解できました」
「ようやくって、どういうこと?」
言葉の意味を素直に解釈すれば、前から知っていたけど今まで意味が分からなかったということになる。
「コウタさんの深夜学習の資料集なんですけど、パンツがちょっとだけしか写っていないものがあるんですよ。なんでこんな中途半端な写真で学習されているんだろうと、ずっと不思議に思っていたんです。下着の勉強をしたければ、大きく掲載されているものが適していると思いません?」
それってパンチラ写真集なんじゃないかと、ヒロミは呆れてしまう。
「でも今日のコウタさんの言葉で目が覚めました。下着の一部分から全体を予想するのが男のロマンなんですね。人間ってとっても難しいです」
「いや、人間としてくくってくれなくてもいいから」
ヒロミはすかさず突っ込みを入れた。
ライアのぼやきは続く。
「でも不思議なのは、写真集のパンツの柄がストライプばっかりなんですよ。コウタさんがお気に召されているのはよく分かるんですが、あれって一部分を見ても全体を見ても同じストライプじゃないですか。それって面白くないですよねぇ。それよりも、ワンポイント柄の方が勉強になると思うんですよ。例えばクチバシがチラリと見えたら、ヒヨコなのかプテラノドンなのか、そうやって想像するのが楽しいんじゃないかと私は判断するんですけど、どう思います?」
いや、どうでもいい。
ヒロミは深くため息をついた。
「ほら、ライアちゃんはアンドロイドじゃない。だからあいつ、ライアちゃんの身体的特徴に興味がないんだよ、きっと」
するとライアはちっちっちと指を降る。
「そんなことないですよ、ヒロミさん。コウタさんは授業中に一回は、私の胸をガン見してますから」
やはりライアの胸カメラは恐ろしい。
サトシがガン見していないことをヒロミは切に願うのであった。
「やっぱり色仕掛けは良くないよ。何かコウタに相談をすればいいんじゃない?」
ヒロミは必死に路線を変えようとする。
ライアがこのままの方法を続ければ、コウタだけでなくクラス中の男子生徒のガン見が暴露されてしまうかもしれない。
「相談事ですか……」
考え込むライア。それは予想外という風に。
「アンドロイドが人間様に相談事とは、全く思いつきませんでした。人様のお役に立って差し上げるのがアンドロイド。その逆のことをするなんて、正に逆転の発想です。素晴らしいですヒロミさん。ブラボーです」
ライアの異常な喜びように、また突っ走ってしまうんじゃないかと心配になるヒロミであった。
☆
次の日。
一人でさっさと帰宅しようとするコウタをライアが呼び止める。
「コウタさん、帰り道で相談したい事があるのですが……」
早速作戦を開始したなと、教室ではヒロミがほくそ笑む。
「なんだよライア。俺は忙しいんだよ、また今度にしてくれよ」
「私、真剣なんです。お願いするのです!」
思わず声のボリュームを上げてしまったライアに教室中が注目する。コウタはライアの話を聞かざるを得なくなってしまった。
「だったら今ここで相談しろよ。教室の皆も聞いているから解決はきっと早いぜ」
意地悪そうに笑うコウタ。それでもライアはめげることはない。
「私、まだ悩んでいるんです。三回目の予言の時に、コウタさんが言ったこと」
予言の時。
地震が起こるまでは本当の事は言えないと口を閉ざしたライア。
一方で、大きな地震が起きるかもしれないと本当の事を告げたライア。
コウタはこの矛盾を追求したのだった。
「この矛盾に今でも悩んでいるのです。ねえ、コウタさん教えて下さい。今度、予兆をキャッチした時に、私はどんな嘘をつけばいいのでしょうか?」
真剣な眼差しをコウタに向けるライア。
それは心の底、いや思考回路の基盤から湧き上がる願いであることを示していた。
「そうだな……」
腕を組んで考えるコウタは、何かを思いついたようにニヤリと笑う。
「わかった。じゃあ、『地震は起こらない』って予言すればいいじゃん」
――地震は起こらない。
コウタにしては画期的な案だった。
地震が起こった場合は確かに嘘になる。
一方、地震が起こらなかった場合は本当になってしまうが、地震は起こらないことに越した事がないわけだから皆許してくれるだろう。
それよりもコウタは、『地震は起こらないから逃げて下さい』と滑稽な呼びかけをするライアを見てみたかったのだ。
「ダメだすよ、コウタさん。その予言だと嘘の規模を変えることができませんし、皆さんの命を救うことが難しくなってしまいます」
さすがはアンドロイド。
ライアは、コウタの提案の問題点を瞬時に見抜いていた。
「だったら、『すごい地震は起こらない』とか『小さい地震は起こらない』という風に言えばいいだけじゃねえか」
引くに引かれなくなったコウタは必死に口を尖らす。
「コウタさん、真面目に考えて下さいよぉ」
これはコウタによるライアいじめだ。
そんな嫌な空気を感じた生徒達は、一人また一人と帰宅の途につく。
「じゃあ、こういうのはどうだ」
コウタも意地になる。
「今度の予言は、『私は嘘つきです』って言ってみな」
――私は嘘つきです。
いわゆる自己言及のパラドックスだ。
嘘をつかなくてはならない予言で『私は嘘つきです』と言及した瞬間、ライアは本当のことを言うことになってしまい、嘘をつかなくてはならないという命令に違反する。
これはライアに対する究極の意地悪だった。
「コウタさん……」
さすがのライアも絶句してしまう。
パラドックスが生み出す無限の連鎖に、解析処理速度が追いつかなかったという話もあるが、とにかくフリーズしなかったのは思考回路が改造された成果と言えるだろう。
その時だった。
ライアに異変が生じたのは。
「ラララララ、予兆です。予兆が来たのです!」
直立不動となったライアが瞳を赤く点滅させる。
何もこんな時に。
教室の誰もがそう思っただろう。
そしてライアが発する四回目の予言に、皆が注目した。
「コウタサン、ナンテ、ダイキライ、デス!」
渾身の叫びと共に、ライアは教室から飛び出して行った。
しーんと静まり返る教室。
「はははは、アンドロイドに振られちまったよ」
コウタが一人、乾いた笑いをまき散らす。
その時、コウタの背後からつかつかと近寄る影があった。
「コウタ」
「何だよ。痛ッ!!」
呼ばれて振り向くコウタの頬に、バチっと強烈な平手打ちが炸裂する。
「何すんだよ、ヒロミ!」
「そんなこと言われなきゃわからないの? ライアちゃんはあんたのことが好きで好きでたまらないの。だからあれは大嘘に決まってんでしょ。そしてそれが何を示すか、わかってんでしょうね」
頬を押さえて呆然と立ち尽くすコウタ。
痺れを切らしたヒロミは、教室に向かって声を上げる。
「大地震が来るかもしれないわよ。みんな、階上に逃げて!」
ヒロミの呼びかけを聞いた生徒達は、我先にと教室を飛び出して行く。
それでもなお立ち尽くすコウタ。すっかり呆れたヒロミは、彼の手を引いて窓際まで連れて行った。
校庭を走るライアは、生徒達に必死に呼びかけていた。
『大地震が来ます。校舎に逃げて下さい。大地震が来ます。校舎に逃げて下さい!』
できるだけ多くの人に聞こえるように。
そしてライアは、呼びかけを続けながら海に向かって走って行く。
「ライアッ!」
やっと事態の重大さに気付いたのだろう。コウタが踵を返して走り出そうとした。
しかしヒロミはコウタの手を離さない。
「ダメ! 行ったらあんたも津波に巻き込まれちゃう。前回の大震災の時、家族を助けようと海沿いの自宅に戻った人も死んじゃったことを忘れたのッ!?」
「だってこのままじゃライアが津波に巻き込まれちまうだろ? お前だって、体育館のサトシが心配じゃないのかよ?」
サトシはすでに部活に行っていた。体育館は一階だから、津波が来たら襲われる可能性がある。
「私はサトシを信じてる。『津波てんでんこ』ってのはね、大切な人もちゃんと逃げるはずって信じる誓いの言葉なんだから」
「でもライアは、そんなこと知らないかもしれねえじゃねえか」
引き下がらないコウタに、ヒロミは言い返す。
「あんたが行っても犠牲者が一人増えるだけ。それにライアちゃんはアンドロイド。人間じゃないの」
「人間じゃないって、よくもそんなことが言えるな」
するとヒロミは声を荒らげた。
「その言葉はそっくりあんたに返すわ。ライアちゃんにあんな行動をさせたのは一体誰なのよッ!」
そしてヒロミはポロポロと涙をこぼし始めた。
「ライアちゃん、命令に反することをわかっていながら必死で皆を助けようとしている。それに比べてさっきのあんたの態度は何なの? ただの自己満足じゃない。でもそれを黙って見ていた私も同罪。これから私達はライアちゃんの犠牲を讃え、自分達の行動を悔いて過ごさなきゃいけないの。それにはちゃんと生き残る必要があるんだから……」
一緒に階上に逃げよう。
ヒロミは赤くはれた瞳でコウタに訴える。
「わかった……」
観念したコウタが下を向く。
「さあ、行くよ」
ヒロミが教室の出口を向いた――その時。
ゴゴゴゴという轟音と共に教室が揺れ始める。立っていらなくなった二人は、それぞれ近くにあった机に潜り込んだ。
バタバタと棚のものが落ちたかと思うと、机や椅子がガタンガタンと暴れ出す。かなり大きな地震だった。
――ライアは無事だろうか。
激しく揺れる机の足に必死にしがみつきながら、コウタはライアのことを考える。
――これは確実に津波が来る!
コウタの頭の中でフラッシュバックするのは、夏服のスカートを揺らしながら海に向かって走って行くライアの後姿。もしかしたら、あの姿が永遠に見られなくなるかもしれないと思うと、居ても立ってもいられなくなった。
一分は続いたと思われる長い揺れがおさまると、コウタは机を抜け出して立ち上がる。
「ゴメン、ヒロミ。やっぱりライアを放ってはおけない!」
床に散乱するノートや文房具を蹴散らしながら、コウタは教室の外に出て行った。
「コウタッ! コウタァァァーーッ!」
ヒロミはただ叫ぶことしかできなかった。
「ライアァァァーーッ!」
コウタは必死に走る。海に向かって。
本当はライアに意地悪するつもりはなかった。従順なアンドロイドをちょっとからかいたかっただけだ。三回目の予言の時のむしゃくしゃした気持ちも、少なからず影響していたかもしれないけど。
それに拍車をかけたのが、魅力的になりすぎて戻って来た夏服のライア。コウタにとって、ライアがクラスの男子生徒にちやほやされるのが許せなかった。野暮ったくても、それまでは自分だけのライアだったのに。
でも、ライアを失いたいわけじゃなかった。いや、その逆だ。できることならずっと一緒にいたいと思っていた。だって中身はコウタの家に来た時と変わりないんだから。
だからこんな形でライアとお別れしたくない。
『コウタサン、ナンテ、ダイキライ、デス!』
そんなことを言われたままでサヨナラするのは耐えられなかった。
一言ライアに謝りたい。
コウタを突き動かしていたのは、ただそれだけの感情だった。
海岸に到着するとライアの姿が見えた。
間一髪、間に合ったのだ。
「ライア、ゴメン! 俺が悪かった!!」
力の限り、謝罪を口にする。
「ダメです、コウタさん。来ちゃダメです!」
コウタに気付いたライアは、彼に向かって必死に走り出す。
しかし時はすでに遅し。
ライアの背後には大波が迫っている。
スピードを上げたライアがコウタのもとに辿り着くのと、二人が波に飲まれるのはほぼ同時だった。
☆
「いやあ、恥ずかしいもんだな。女の子を背後から抱きしめるのは」
波にプカプカ浮かびながら、コウタが心境を口にする。
「しっかり掴まっていて下さいね。って、そこはダメですよ。コウタさんの手でカメラが覆われてしまっています」
ライアがコウタに注意をうながす。
「私のお腹のところに手を回して、しっかりと両手を組んでおいて下さいね」
三十分くらい前。
二人が波に飲み込まれた瞬間、ライアの左胸に仕組まれた巨大エアバッグが作動したのだ。
ライアが改造される時、博士は右胸にカメラ、左胸にエアバッグを装着していた。順調に地震の予知に成功していたことに驚いた博士は、いずれライアが津波から人を助けようとするのではないかと予測していたのだ。当然、ライアには二十気圧防水が施されていた。右胸カメラの情報を守るために。
今の二人の状況は、巨大化したライアの左胸の上に乗って海上を漂っている状態。コウタはライアを背後から掴むしか方法がなかった。
「でも、コウタさんはこういう状況を想定されていたんじゃないですか?」
「こういう状況って?」
コウタは不思議に思う。
ライアは一体、何の事を言っているのだろう。
「深夜まで勉強されているじゃないですか。男性と女性がこんな風に体を寄せ合う写真集で」
それはきっと、マットの下に隠していたはずの秘蔵写真集。
ライアに見られていたとは恥ずかしい。
「今、ご参照されますか? 記憶の中の映像を分析して、正しい体位を細かくお教えしますけど」
さすがにそれは止めてほしい。
コウタは真っ赤になりながら、必死に話題を変えようとする。
「そんなことはどうでもいいんだ。ところでライア、ゴメンな。みんなの前であんなことを言っちゃって」
するとライアはケロッと言い放つ。
「いいですよ。あんな意地悪なコウタさんなんて、大嫌いですから」
その言葉にコウタは驚いた。
「えっ、それって……? さっきの予言って大嘘だったんだろ?」
その証拠にこんなに大きな地震が起きたじゃないか。
そう言おうとしてコウタは言葉を詰まらせた。
大嫌いの反対は大好き。自分からそれを言うのは、あまりにも自意識過剰のような気がしたからだ。
「あれれ? コウタさんは聞いていなかったですか? 私に思考回路がもう一系統追加されたことを」
「いや、知らないけど」
「そのおかげで最近、人間の気持ちが理解できるようになったような気がするんです」
人は気持ちを使い分けることができる。
時には自分に都合の良いように。時には他人を思いやるために。
「そして、二つの相反する気持ちが同居していてもいいことがわかったんです」
好きの裏返しは嫌い。
でもそれが同じカードの裏表と解釈すると矛盾が生じてしまう。
裏返しなんじゃなくて、二枚のカードを同時に持っている場合もあるんじゃないだろうか。少なくともライアはそう解釈していた。
「だから本当なんです。私、コウタさんの事が大嫌いです。ということは、今回の予言は大はずれですね。博士に怒られちゃいます、エヘヘへ」
照れくさそうに笑うライア。
下着の肩ひもが透けるほど濡れたブラウスの肩越しに見るその笑顔が、本当に愛しいとコウタは感じていた。
「でも嬉しかったぁ。コウタさんが私のことを心配して海まで来てくれて」
「当たり前だろ。お前はうちのお手伝いアンドロイドなんだから。ていうか、何で海まで走って行ったんだよ」
「だって博士が、『波に飲まれた人を救うと人間になれる』っておっしゃっていましたから」
それを言うなら、クジラに飲まれたおじいさんだろ?
なんてツッコミを入れることなく、コウタはライアを怒鳴りつけた。
「バカヤロー。俺は本気で心配したんだぞ。お前が壊れてしまうんじゃないかって。二度とお前に会えなくなるんじゃないかって。良かった、本当に良かった。ライアが無事で……」
コウタがぎゅっとライアを抱きしめる。
「ありがとうございます」
コウタの言葉を噛み締めるように静かに目をつむるライア。
「私、意地悪なコウタさんが大嫌いです」
機械仕掛けのアンチノミー。
ライアはそれを手に入れた。背反する気持ちにも笑顔になれる博士がくれた能力。
「だからこそ、今のコウタさんが大、大、大好きですっ!」
おわり
ライトノベル作法研究所 2014GW企画
テーマ:矛盾
お題:「10」、「翼」、「嘘」
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