プチ変換 ― 2017年01月18日 23時09分24秒
「先生は、チンチンになりました」
教室に響く可愛らしい声に、教壇に立つ俺はあ然とした。
ええっ?
何を言ってるんだ、この子は!? 授業中に。
もしかしたら聞き間違いかもしれない。俺は早速確かめる。
「引川千絵さん。教科書のさっきのところ、もう一回読んでくれないかな?」
「はい、わかりました」
小学六年生とは思えないハキハキとした返事。俺を向く真摯な眼差し。
こんな真面目な子がふざけて教科書を読んでいるとは、とても思えない。
「先生は、チンチンになりました」
やっぱり……。
聞き間違いじゃなかった。
そこで俺はあることを思い出す。
そっか。
あれか……。
――小さな異能者。
今日から俺は、そんな小学生たちを教えることになったのだ。
◇
発端は、先月掛かってきた一本の電話だった。
『ねえ、太田クン? 来月から私の代わりに、ちょっと面白いクラスを教えてみない?』
真夜中に突然。
眠い目を擦りながら、スマホからの妙に明るい声に耳を傾ける。
まあ、こんな時間にこんな電話を掛けてくる人物は決まっている。大学時代にお世話になった安藤妙子先輩だ。
「来月からって、そんな急には無理ですよ」
『あれれ? 太田クン、今月で暇になるんじゃないの? 臨採やってるクラスって、前任者が産休明けで帰って来るって聞いたけど』
臨採というのは、教員の臨時採用のこと。教員免許は持っているが採用試験には通っていない人が就くのがほとんどで、産休などで急に欠員となった穴を埋めるケースが多い。あくまでも臨時の先生なので、産休明けで先生が戻ってきたらお役御免になってしまう。
「どうしてそんなこと知ってるんですか?」
『私を誰だと思ってるの? この業界は狭いのよ。それで? 返事は?』
矢継ぎ早に俺の回答を求める先輩。いつもながらに勝手なもんだ。どんな子供たちを教えるのかがわからなければ、答えようがないじゃないか。
「ちょっと面白いクラス、ってのが気になりますね。先輩の言う『面白い』が、俺にとって面白かった試しは一回も無いんですけど」
不躾には嫌味で返す。大学の頃、俺は先輩にいじられてばかりいた。
『あら、本当に面白いクラスよ。太田クンも気に入ると思うんだけどな。ところで私が今、森葉女学園に勤めてるのは知ってるよね?』
――私立森葉女学園。
小・中・高一貫の、お嬢様が通う私立学園だ。どこかのアイドルグループの名前ではない。
「ええ、知ってますよ」
『その初等科の六年三組が、今、私が担当しているクラスなんだけど、少し変わってるのよ』
森葉女学園には、かなり世間ズレした女の子が通っていると聞いた事がある。その中でも変わっているという言うのだから、相当なものだろう。
これは注意せねば、と一言一句聞き逃さぬよう先輩の説明に集中する。
「それで、どんな風に変わってるんですか?」
『おっ、乗り気になってきたね』
「そんなわけじゃないですよ。もしかしたら、ってのはありますけどね」
森葉女学園は私立学校だ。ということは、県の採用試験に合格していない俺でも正規採用してもらえる可能性がある。先輩のクラスがどれだけ変わってるのか分からないが、我慢できる範囲であれば渡りに船かもしれない。
しかし、続く先輩の言葉に俺は耳を疑った。
『六年三組の子はね、みんな小さな異能者なの』
異能者? この現実世界に?
アニメかなにかと勘違いしているんじゃないだろうか。
「い、異能者……ですか?」
『まあ、異能者ってのはちょっと言い過ぎだけど、みんなが小さな特殊能力を持ってるの。例えば、プチ変換とかミニ変換とかね』
プチ変換? ミニ変換?
なんだそれ?
なんでも小さく変換しちゃう能力とか?
『電話じゃ上手く説明できないんだけど、決して超能力じゃないから安心して。実際に人間ができる範囲の習慣というか癖というか、そういうものに近いから』
こんな説明じゃ、なんだかよくわからない。
『本当にたわいもない微笑ましい能力なのよ。他にも、ナラ変換とかシガ変換って子もいて面白いわよ』
奈良変換? 滋賀変換?
おいおい、変換が関西まで及ぶのか? それは大変だぞ? 京都や大阪じゃないところが、小さいというかなんというか……。
「それで先輩のクラスの子、能力の属性はどの子もみんな『変換』なんですか?」
『おっ、属性なんて言葉使っちゃって、興味が湧いてきた?』
「そういうわけじゃないですけど、ちょっと面白そうだなって」
すると先輩は真面目な声で切り出した。
『これは太田クンにとっても悪い話じゃないと思うの。来月の一月から三ヶ月間、ちゃんとクラスを教えることができたら、四月から正規採用してもいいって理事長も言ってるわ。大丈夫、私だって教えることができたクラスだもん。太田クンなら間違いないわ』
おおっ、正規採用キター!
それに初等科の六年生ってことは、どんな能力者であれ三ヶ月間我慢すれば中等科へ上がってしまうってことだ。その後は、正規採用と普通クラスの担任が俺を待っている。
「わかりました。前向きに考えておきます。それで先輩は何で辞めちゃうんですか?」
俺は核心を突く。すると先輩は急にデレデレ声になった。
『それがね、聞いてよ、できちゃったのよ』
えっ、できちゃった?
「できちゃったって、巷でよく聞く『できちゃった婚』ってやつですか?」
『そうなのよぉ。飲み屋でなんだか見たことのあるようなイケメンにナンパされて、お持ち帰りされちゃったの。妊娠したこと後で彼に伝えたら、結婚しようってちゃんと言ってくれたのよぉ』
ええっ、そんなことってあるか!?
まあ、やり逃げされなかったのは良かったと思うけど。
「その人、ちゃんと仕事してます? 騙されてるんじゃないでしょうね?」
やっぱり結婚やめた、なんてことになったら俺の就職はパーだ。ここはしっかりと確認せねばならぬ。
『それがね、彼ったらプロ野球の選手だったの。広島の方に本拠地があるチームのレギュラー。道理で見たことのある顔だったわけよ』
う、嘘だろ?
ナンパしてきたイケメンがプロ野球選手で、レギュラーってことは今シーズンの優勝メンバー!?
これが本当だとしたら奇跡としか思えない。
「まさに神ってますね」
『でしょでしょ!? 結婚したら家庭に入ってくれって言われて、来月、広島に引っ越すことになっちゃったの』
マジか。広島に行くなら森葉女学園は辞めざるを得ない。
『太田クンが六年三組を引き継いでくれたら、こっちも安心して広島へ行けるんだけどなぁ……』
そんな猫なで声で言われても……。
本当に勝手なもんだ。
先輩ののろけ声を聞いていると、無性に背中がむず痒くなる。置いてきぼりになるクラスの子供たちがなんだか可哀想になってきた。
「わかりました。やりますよ。その代わり正規採用の件は理事長に念押ししておいて下さいね」
『サンキュ! さすがは私の後輩。彼の試合のチケット贈るから見に来てね。あっ、あと離任式の祝辞の文面もよろしく。素敵な内容を期待してるから』
こうして俺は、先輩の代わりに六年三組を受け持つことになった。
◇
六年三組での最初の授業は国語だった。
「先生は、チンチンになりました」
そしていきなり、この引川千絵の発言。
俺は教科書を確かめる。
彼女に音読を頼んだ箇所には、こう書かれていた。
『先生は、プンプンになりました』
何度目をこすっても、『チンチン』には見えない。
初めて教えるクラスだ。引川千絵がどんな子なのか、そしてどんな能力を持っているのかわからない。
が、とりあえず間違いを指摘しておこうと俺は口を開く。
「引川さん、ここは『プン……」
すると突然、俺の言葉を遮るように一番前の席に座っていた子が手を上げた。
「先生!」
「えっと……」
この子は誰だろう?
俺は慌てて教卓に貼ってある座席表を確かめる。
猫山路美。学級委員長だった。
「なんでしょう? 猫山さん」
すると猫山路美は立ち上がり、うつむいたままの引川千絵を横目で見ながら俺に訴える。
「千絵ちゃんはプチ変換なんです。仕方がないんです。スルーしなきゃダメなんです」
「プチ変換……?」
これが先輩の言っていたプチ変換か。
それは、どんな能力?
教科書の『プンプン』を『チンチン』と読んでしまうことに関係があるってこと?
この際だから、学級委員の彼女に聞いてみるのも手かもしれない。
「俺は今日が初めてだから、よく分からないんだ。ちょっと教えてくれないかな」
すると猫山路美は教室を見渡し、クラスに異論が無いことを確認してから俺を向いた。
「プチ変換っていうのは、文書の『プ』を『チ』って読んじゃう能力のことなんです。だから『プチ変換』って言うんです。千絵ちゃんは、『プンプン』と読んでるつもりでも『チンチン』って言っちゃうんです」
ま、まさか、そんなことが……。
俺は思わず言葉を失った。
「それに、千絵ちゃんの苗字は『ヒクカワ』ではありません。『プルカワ』なんです」
――引川千絵(ぷるかわ ちえ)。プチ変換。
こうして俺の、波乱万丈の一日が始まった。
◇
それにしても、なんて不思議な変換能力なんだ。
プチ変換とは、『プ』を『チ』と読んでしまう能力だった。
能力の概要を理解した俺は、二時間目からは彼女らを観察する余裕が生まれていた。例えば――
二時間目、社会。
ミニ変換、三浦二衣奈(みうら にいな)の場合。
「少子化対策におけるニンシン党の政策は……」
おいおい、党を挙げて頑張ってるみたいに聞こえるぞ。
三時間目、歴史。
ナラ変換、七草来夏(ななくさ らいか)の場合。
「大阪冬の陣で、幸村が造ったサラダ丸は……」
なんだか可愛いな……。
四時間目、理科。
シガ変換、進藤伽藍(しんどう がらん)の場合。
「琵琶湖に雪がガンガンと降ります」
うわぁ、そのまんまやん!
確かにこれは、先輩が言うように習慣とか癖のようなイメージに近い。が、初めて目にした語句でも変換されてしまうらしいので、習慣や癖と断定し難く、そういう意味では一種の特殊能力なのだろう。
それにしても魔法のような力じゃなくて良かった。
実を言うと、プチ変換っていろんなものを小さくしちゃうんじゃないかとビクビクしていたんだ。
ほっとしたような、でもやっぱりちゃんと気をつけなきゃいけないような、複雑な気持ちで俺は最初の一日を終えた。
◇
『どうだった? 六年三組』
帰宅すると、早速先輩から電話がかかってきた。
「可愛かったですね、子供たち。スルー力も高いし」
『でしょ? みんなそれぞれの変換能力を持ってるからね。それを分かってるから、変なことを口にしても誰も笑ったりしないしね』
確かにこれはすごかった。
もしクラスの中に男の子がいたら、『チンチン』と変換したとたん教室は爆笑に包まれてしまうだろう。そうなったら、もう学校に行きたくなくなるのは間違いない。特殊能力ゆえに私立のお嬢様学校に通わせる親の気持ちがよく分かる。
『それで明日の離任式の祝辞、ちゃんと考えてくれたよね』
明日は、一月一日付けで学校を離れる先生方のために離任式が行われる。もちろん先輩も見送られる予定だ。
「ええ、ちゃんと書きましたよ。なるべくカタカナを入れないようにして」
『それが賢明だわ。それで、どの子に読んでもらうつもり?』
「やっぱり、学級委員長の猫山路美にしようと思います」
今日は彼女に助けられた。それに、彼女がクラスの信頼を得ていることも確認することができた。祝辞を読むのは、委員長の猫山路美で決まりだろう。
『そうね。あの子はクラスで一番賢いから適任だわ』
「ですよね。もし引川千絵だったら、『プロ野球』を『チロ野球』って読んじゃいますからね」
すると先輩は電話の向こうで苦笑する。
『千絵ちゃんならそうね。『チロ野球』って、なんだか犬の野球みたい。ていうか、祝辞に彼のこと書いたの?』
「プロ野球選手くらいはいいでしょ? 先輩だってこの間、記者会見でデレデレだったじゃないですか。あとは明日の祝辞を楽しみにしておいて下さいね」
『何? 内容は秘密? 皆の前であんまり変なことバラさないでよね。彼も後で離任式のビデオ見るって言ってんだから』
「任せて下さい。かの流行語で会場をわかせてみせますよ」
こうして俺は、満を持して離任式に挑んだのであった。
◇
一月で異動や退職される先生方は三人だった。
その中の一人、安藤妙子先輩はスーツの胸に花を飾り、体育館のステージに立って子供たちを眺めている。
児童代表が三人、順番にステージに上がって祝辞を読み上げていく。六年三組の猫山路美の番は最後だった。
「安藤先生、長い間、大変お世話になりました」
猫山路美の凛とした声が体育館に響く。
緊張はしていないようだ。俺はほっと一息をつく。
それにしても、原稿を読んでいるというのにこんなにも声が通るとは素晴らしい。
彼女ならやってくれるだろう。立派な祝辞が演出できれば、俺の株も上がり、正規採用にぐっと近づくはずだ。
しかし、続く彼女の言葉に俺は耳を疑った。
「先生のご結婚を一言で表すと、まさに『呻ってる』です」
ええっ!?
呻ってる?
そんなこと、原稿に書いたっけ?
「呻ってる出会いで、先生はプロ野球選手との幸せを手にされ……」
待てよ、そこは、かの流行語『神ってる』だったはずだ。
まさか。
これって……。
念のため、俺は目の前の引川千絵に小声で確かめる。
「引川さん、ちょっと聞きたいんだけど、猫山さんは何変換だっけ?」
――猫山路美(ねこやま ろみ)。
名前から推測される変換名を、引川千絵は口にした。
「路美ちゃんはネロ変換だよ」
やはり、そうだよな……。
このことは織り込み済みで、原稿もネロ変換されない語句を選んで吟味を重ねたんだ。カタカナだって『プロ野球』だけに留めている。
「路美ちゃんは頭いいからねぇ。ほとんどの漢字をカタカナのようにスラスラ読んじゃうんだよ」
漢字をカタカナのように、だって!?
ま、まさか、漢字がネロ変換されちゃってるとか!?
するとステージ上の猫山路美の口から、信じられないような言葉が飛び出した。
「六年三組一同、先生のお幸せを、おポンドりして」
おポンドりって何だよ。
確かそこは『お祈り』だったはずだぞ。
体育館もざわざわとざわつき始めた。さすがに『おポンドり』には、多くの人が違和感を覚えたようだ。
それにしても、さっきの『神ってる』といい、一体どんな変換が起きているんだ!?
――『神ってる』と『お祈り』。
変換されてしまった言葉を頭の中で並べて、俺は真相に気が付いた。
そうか、そういうことだったのか!
これはヤバい! 最後の言葉はもっとヤバい!!
しかし、時はすでに遅し。
猫山路美は声量を上げ、笑顔で締め括りの言葉を口にした。
「今日という日を、心からお呪いいたします!」
おわり
ライトノベル作法研究所 2016-2017冬企画
テーマ:『小さな異能』
教室に響く可愛らしい声に、教壇に立つ俺はあ然とした。
ええっ?
何を言ってるんだ、この子は!? 授業中に。
もしかしたら聞き間違いかもしれない。俺は早速確かめる。
「引川千絵さん。教科書のさっきのところ、もう一回読んでくれないかな?」
「はい、わかりました」
小学六年生とは思えないハキハキとした返事。俺を向く真摯な眼差し。
こんな真面目な子がふざけて教科書を読んでいるとは、とても思えない。
「先生は、チンチンになりました」
やっぱり……。
聞き間違いじゃなかった。
そこで俺はあることを思い出す。
そっか。
あれか……。
――小さな異能者。
今日から俺は、そんな小学生たちを教えることになったのだ。
◇
発端は、先月掛かってきた一本の電話だった。
『ねえ、太田クン? 来月から私の代わりに、ちょっと面白いクラスを教えてみない?』
真夜中に突然。
眠い目を擦りながら、スマホからの妙に明るい声に耳を傾ける。
まあ、こんな時間にこんな電話を掛けてくる人物は決まっている。大学時代にお世話になった安藤妙子先輩だ。
「来月からって、そんな急には無理ですよ」
『あれれ? 太田クン、今月で暇になるんじゃないの? 臨採やってるクラスって、前任者が産休明けで帰って来るって聞いたけど』
臨採というのは、教員の臨時採用のこと。教員免許は持っているが採用試験には通っていない人が就くのがほとんどで、産休などで急に欠員となった穴を埋めるケースが多い。あくまでも臨時の先生なので、産休明けで先生が戻ってきたらお役御免になってしまう。
「どうしてそんなこと知ってるんですか?」
『私を誰だと思ってるの? この業界は狭いのよ。それで? 返事は?』
矢継ぎ早に俺の回答を求める先輩。いつもながらに勝手なもんだ。どんな子供たちを教えるのかがわからなければ、答えようがないじゃないか。
「ちょっと面白いクラス、ってのが気になりますね。先輩の言う『面白い』が、俺にとって面白かった試しは一回も無いんですけど」
不躾には嫌味で返す。大学の頃、俺は先輩にいじられてばかりいた。
『あら、本当に面白いクラスよ。太田クンも気に入ると思うんだけどな。ところで私が今、森葉女学園に勤めてるのは知ってるよね?』
――私立森葉女学園。
小・中・高一貫の、お嬢様が通う私立学園だ。どこかのアイドルグループの名前ではない。
「ええ、知ってますよ」
『その初等科の六年三組が、今、私が担当しているクラスなんだけど、少し変わってるのよ』
森葉女学園には、かなり世間ズレした女の子が通っていると聞いた事がある。その中でも変わっているという言うのだから、相当なものだろう。
これは注意せねば、と一言一句聞き逃さぬよう先輩の説明に集中する。
「それで、どんな風に変わってるんですか?」
『おっ、乗り気になってきたね』
「そんなわけじゃないですよ。もしかしたら、ってのはありますけどね」
森葉女学園は私立学校だ。ということは、県の採用試験に合格していない俺でも正規採用してもらえる可能性がある。先輩のクラスがどれだけ変わってるのか分からないが、我慢できる範囲であれば渡りに船かもしれない。
しかし、続く先輩の言葉に俺は耳を疑った。
『六年三組の子はね、みんな小さな異能者なの』
異能者? この現実世界に?
アニメかなにかと勘違いしているんじゃないだろうか。
「い、異能者……ですか?」
『まあ、異能者ってのはちょっと言い過ぎだけど、みんなが小さな特殊能力を持ってるの。例えば、プチ変換とかミニ変換とかね』
プチ変換? ミニ変換?
なんだそれ?
なんでも小さく変換しちゃう能力とか?
『電話じゃ上手く説明できないんだけど、決して超能力じゃないから安心して。実際に人間ができる範囲の習慣というか癖というか、そういうものに近いから』
こんな説明じゃ、なんだかよくわからない。
『本当にたわいもない微笑ましい能力なのよ。他にも、ナラ変換とかシガ変換って子もいて面白いわよ』
奈良変換? 滋賀変換?
おいおい、変換が関西まで及ぶのか? それは大変だぞ? 京都や大阪じゃないところが、小さいというかなんというか……。
「それで先輩のクラスの子、能力の属性はどの子もみんな『変換』なんですか?」
『おっ、属性なんて言葉使っちゃって、興味が湧いてきた?』
「そういうわけじゃないですけど、ちょっと面白そうだなって」
すると先輩は真面目な声で切り出した。
『これは太田クンにとっても悪い話じゃないと思うの。来月の一月から三ヶ月間、ちゃんとクラスを教えることができたら、四月から正規採用してもいいって理事長も言ってるわ。大丈夫、私だって教えることができたクラスだもん。太田クンなら間違いないわ』
おおっ、正規採用キター!
それに初等科の六年生ってことは、どんな能力者であれ三ヶ月間我慢すれば中等科へ上がってしまうってことだ。その後は、正規採用と普通クラスの担任が俺を待っている。
「わかりました。前向きに考えておきます。それで先輩は何で辞めちゃうんですか?」
俺は核心を突く。すると先輩は急にデレデレ声になった。
『それがね、聞いてよ、できちゃったのよ』
えっ、できちゃった?
「できちゃったって、巷でよく聞く『できちゃった婚』ってやつですか?」
『そうなのよぉ。飲み屋でなんだか見たことのあるようなイケメンにナンパされて、お持ち帰りされちゃったの。妊娠したこと後で彼に伝えたら、結婚しようってちゃんと言ってくれたのよぉ』
ええっ、そんなことってあるか!?
まあ、やり逃げされなかったのは良かったと思うけど。
「その人、ちゃんと仕事してます? 騙されてるんじゃないでしょうね?」
やっぱり結婚やめた、なんてことになったら俺の就職はパーだ。ここはしっかりと確認せねばならぬ。
『それがね、彼ったらプロ野球の選手だったの。広島の方に本拠地があるチームのレギュラー。道理で見たことのある顔だったわけよ』
う、嘘だろ?
ナンパしてきたイケメンがプロ野球選手で、レギュラーってことは今シーズンの優勝メンバー!?
これが本当だとしたら奇跡としか思えない。
「まさに神ってますね」
『でしょでしょ!? 結婚したら家庭に入ってくれって言われて、来月、広島に引っ越すことになっちゃったの』
マジか。広島に行くなら森葉女学園は辞めざるを得ない。
『太田クンが六年三組を引き継いでくれたら、こっちも安心して広島へ行けるんだけどなぁ……』
そんな猫なで声で言われても……。
本当に勝手なもんだ。
先輩ののろけ声を聞いていると、無性に背中がむず痒くなる。置いてきぼりになるクラスの子供たちがなんだか可哀想になってきた。
「わかりました。やりますよ。その代わり正規採用の件は理事長に念押ししておいて下さいね」
『サンキュ! さすがは私の後輩。彼の試合のチケット贈るから見に来てね。あっ、あと離任式の祝辞の文面もよろしく。素敵な内容を期待してるから』
こうして俺は、先輩の代わりに六年三組を受け持つことになった。
◇
六年三組での最初の授業は国語だった。
「先生は、チンチンになりました」
そしていきなり、この引川千絵の発言。
俺は教科書を確かめる。
彼女に音読を頼んだ箇所には、こう書かれていた。
『先生は、プンプンになりました』
何度目をこすっても、『チンチン』には見えない。
初めて教えるクラスだ。引川千絵がどんな子なのか、そしてどんな能力を持っているのかわからない。
が、とりあえず間違いを指摘しておこうと俺は口を開く。
「引川さん、ここは『プン……」
すると突然、俺の言葉を遮るように一番前の席に座っていた子が手を上げた。
「先生!」
「えっと……」
この子は誰だろう?
俺は慌てて教卓に貼ってある座席表を確かめる。
猫山路美。学級委員長だった。
「なんでしょう? 猫山さん」
すると猫山路美は立ち上がり、うつむいたままの引川千絵を横目で見ながら俺に訴える。
「千絵ちゃんはプチ変換なんです。仕方がないんです。スルーしなきゃダメなんです」
「プチ変換……?」
これが先輩の言っていたプチ変換か。
それは、どんな能力?
教科書の『プンプン』を『チンチン』と読んでしまうことに関係があるってこと?
この際だから、学級委員の彼女に聞いてみるのも手かもしれない。
「俺は今日が初めてだから、よく分からないんだ。ちょっと教えてくれないかな」
すると猫山路美は教室を見渡し、クラスに異論が無いことを確認してから俺を向いた。
「プチ変換っていうのは、文書の『プ』を『チ』って読んじゃう能力のことなんです。だから『プチ変換』って言うんです。千絵ちゃんは、『プンプン』と読んでるつもりでも『チンチン』って言っちゃうんです」
ま、まさか、そんなことが……。
俺は思わず言葉を失った。
「それに、千絵ちゃんの苗字は『ヒクカワ』ではありません。『プルカワ』なんです」
――引川千絵(ぷるかわ ちえ)。プチ変換。
こうして俺の、波乱万丈の一日が始まった。
◇
それにしても、なんて不思議な変換能力なんだ。
プチ変換とは、『プ』を『チ』と読んでしまう能力だった。
能力の概要を理解した俺は、二時間目からは彼女らを観察する余裕が生まれていた。例えば――
二時間目、社会。
ミニ変換、三浦二衣奈(みうら にいな)の場合。
「少子化対策におけるニンシン党の政策は……」
おいおい、党を挙げて頑張ってるみたいに聞こえるぞ。
三時間目、歴史。
ナラ変換、七草来夏(ななくさ らいか)の場合。
「大阪冬の陣で、幸村が造ったサラダ丸は……」
なんだか可愛いな……。
四時間目、理科。
シガ変換、進藤伽藍(しんどう がらん)の場合。
「琵琶湖に雪がガンガンと降ります」
うわぁ、そのまんまやん!
確かにこれは、先輩が言うように習慣とか癖のようなイメージに近い。が、初めて目にした語句でも変換されてしまうらしいので、習慣や癖と断定し難く、そういう意味では一種の特殊能力なのだろう。
それにしても魔法のような力じゃなくて良かった。
実を言うと、プチ変換っていろんなものを小さくしちゃうんじゃないかとビクビクしていたんだ。
ほっとしたような、でもやっぱりちゃんと気をつけなきゃいけないような、複雑な気持ちで俺は最初の一日を終えた。
◇
『どうだった? 六年三組』
帰宅すると、早速先輩から電話がかかってきた。
「可愛かったですね、子供たち。スルー力も高いし」
『でしょ? みんなそれぞれの変換能力を持ってるからね。それを分かってるから、変なことを口にしても誰も笑ったりしないしね』
確かにこれはすごかった。
もしクラスの中に男の子がいたら、『チンチン』と変換したとたん教室は爆笑に包まれてしまうだろう。そうなったら、もう学校に行きたくなくなるのは間違いない。特殊能力ゆえに私立のお嬢様学校に通わせる親の気持ちがよく分かる。
『それで明日の離任式の祝辞、ちゃんと考えてくれたよね』
明日は、一月一日付けで学校を離れる先生方のために離任式が行われる。もちろん先輩も見送られる予定だ。
「ええ、ちゃんと書きましたよ。なるべくカタカナを入れないようにして」
『それが賢明だわ。それで、どの子に読んでもらうつもり?』
「やっぱり、学級委員長の猫山路美にしようと思います」
今日は彼女に助けられた。それに、彼女がクラスの信頼を得ていることも確認することができた。祝辞を読むのは、委員長の猫山路美で決まりだろう。
『そうね。あの子はクラスで一番賢いから適任だわ』
「ですよね。もし引川千絵だったら、『プロ野球』を『チロ野球』って読んじゃいますからね」
すると先輩は電話の向こうで苦笑する。
『千絵ちゃんならそうね。『チロ野球』って、なんだか犬の野球みたい。ていうか、祝辞に彼のこと書いたの?』
「プロ野球選手くらいはいいでしょ? 先輩だってこの間、記者会見でデレデレだったじゃないですか。あとは明日の祝辞を楽しみにしておいて下さいね」
『何? 内容は秘密? 皆の前であんまり変なことバラさないでよね。彼も後で離任式のビデオ見るって言ってんだから』
「任せて下さい。かの流行語で会場をわかせてみせますよ」
こうして俺は、満を持して離任式に挑んだのであった。
◇
一月で異動や退職される先生方は三人だった。
その中の一人、安藤妙子先輩はスーツの胸に花を飾り、体育館のステージに立って子供たちを眺めている。
児童代表が三人、順番にステージに上がって祝辞を読み上げていく。六年三組の猫山路美の番は最後だった。
「安藤先生、長い間、大変お世話になりました」
猫山路美の凛とした声が体育館に響く。
緊張はしていないようだ。俺はほっと一息をつく。
それにしても、原稿を読んでいるというのにこんなにも声が通るとは素晴らしい。
彼女ならやってくれるだろう。立派な祝辞が演出できれば、俺の株も上がり、正規採用にぐっと近づくはずだ。
しかし、続く彼女の言葉に俺は耳を疑った。
「先生のご結婚を一言で表すと、まさに『呻ってる』です」
ええっ!?
呻ってる?
そんなこと、原稿に書いたっけ?
「呻ってる出会いで、先生はプロ野球選手との幸せを手にされ……」
待てよ、そこは、かの流行語『神ってる』だったはずだ。
まさか。
これって……。
念のため、俺は目の前の引川千絵に小声で確かめる。
「引川さん、ちょっと聞きたいんだけど、猫山さんは何変換だっけ?」
――猫山路美(ねこやま ろみ)。
名前から推測される変換名を、引川千絵は口にした。
「路美ちゃんはネロ変換だよ」
やはり、そうだよな……。
このことは織り込み済みで、原稿もネロ変換されない語句を選んで吟味を重ねたんだ。カタカナだって『プロ野球』だけに留めている。
「路美ちゃんは頭いいからねぇ。ほとんどの漢字をカタカナのようにスラスラ読んじゃうんだよ」
漢字をカタカナのように、だって!?
ま、まさか、漢字がネロ変換されちゃってるとか!?
するとステージ上の猫山路美の口から、信じられないような言葉が飛び出した。
「六年三組一同、先生のお幸せを、おポンドりして」
おポンドりって何だよ。
確かそこは『お祈り』だったはずだぞ。
体育館もざわざわとざわつき始めた。さすがに『おポンドり』には、多くの人が違和感を覚えたようだ。
それにしても、さっきの『神ってる』といい、一体どんな変換が起きているんだ!?
――『神ってる』と『お祈り』。
変換されてしまった言葉を頭の中で並べて、俺は真相に気が付いた。
そうか、そういうことだったのか!
これはヤバい! 最後の言葉はもっとヤバい!!
しかし、時はすでに遅し。
猫山路美は声量を上げ、笑顔で締め括りの言葉を口にした。
「今日という日を、心からお呪いいたします!」
おわり
ライトノベル作法研究所 2016-2017冬企画
テーマ:『小さな異能』
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