夏到来、反撃はじめました2010年10月10日 19時02分48秒

「おーい、夏が来たぞ!」
「みんな逃げろ!」
 向こうから北林夏が巨体を揺らしてやってくる。
 マズイ、あいつに捕まったら大変だ。ズボンとパンツを下ろされて、いつものあの言葉を……
「おい雄介。チン毛生えたか?」
 そうそう、その決めゼリフ。って僕、もう捕まってるじゃん。
 観念した僕は「そういうお前はどうなんだ」と最後の一足掻き。
「アタイか? 生えてるに決まってんだろ。女は成長が早いんだ」
 小学五年生にしてもうけがあるなんて。
「それに女の毛は縁起がいいんだぜ。賭け事にご利益があるって父ちゃん言ってたぞ」
 そんな男勝りの夏も、小六になる前に転校してしまった。引越しの時に僕に手作りの人形を渡し、「これで大儲けしろよ」と謎の言葉を残して。

 あれから八年。
 お盆休みに行われる地元の成人式に、夏が再びやってくるという噂を聞いて僕達は戦々恐々とした。
 しかし僕はもう大人の男なんだ、夏に負けるわけが無い。と、会場の隅でびくびくしていると、突然耳元で悪魔のささやきが。
「おい雄介。チン毛生えたか?」
 幼少期のトラウマって恐ろしい。背筋の凍るような感覚が瞬時に蘇り、僕は固まった。
 青ざめた顔で振り返ると――
「えっ?」
 予想に反し、そこには黒いドレスに身を包んだ細身の美人が立っていた。
「よう雄介、久しぶり」
 僕に向けられるその笑顔。むちゃくちゃ可愛い……
「き、君って、本当に、な、夏?」
 青い顔に急に赤みが増して、きっと僕は紫星人になっているに違いない。
「なんだよ雄介、タヌキに化かされたような顔しちゃってさ」
「き、君は、本当はタヌキだろ。夏はこんなに痩せてない」
「はははは。お前は相変わらずだな。でも雄介にタヌキって言ってもらいたくて頑張ったんだぜ」
「しょ、証拠を見せてほしい。君が夏だって証拠を」
「証拠?」
「そうだ。君が本当に夏なら、引っ越す時に僕に何を渡したか知ってるだろ?」
 すると、黒服の美人の様子が一変した。恥ずかしそうにもじもじしながら、上目遣いで僕に話しかけてくる。
「あのさ、雄介……。あの人形なんだけどさ……、今度、返してくれない?」
 人形の事を知っているとは、どうやら本物の夏のようだ。それにしても、あの人形が夏の弱点とは。見事に形勢逆転。さあ、幼少期の恨みを晴らしてくれようぞ。
 それから僕は、夏に近寄る男どもを押しのけて彼女と週末のデートの約束を取り付けた。

 夏が指定したのは地元の競馬場だった。
「おまたせ」
 涼しげな緑のワンピースにサングラス。って、サングラスはちょっと自意識過剰なんじゃない?
「雄介、アレ、ちゃんと持ってきた?」
「ああ」
 僕はカバンを叩いた。
「じゃあ、その人形に願いを込めながら馬券を買って。第十レースを三連単で一万円分を一点買いよ」
「一点買いに一万円も?」
「そうよ。それであなたが持っているものが本物かどうかわかるわ」
 男は度胸。僕は思い切って五・二・六の馬券を一点買いする。隣を見ると――なぜか夏も五・二・六を買っていた。
「なんでお前も五・二・六なんだよ」
「えっ、だって五月二十六日は雄介の誕生日だから……」
 そうだよ、僕は縁起を担ぐ時は五・二・六を選ぶことにしてる。って、何で夏が僕の誕生日を覚えているんだ?
 チラリと横を見ると、夏は赤い顔で俯いていた。むはははは、いいぞ、この感じ。十年前は夏に振り回されてばかりの僕だけど、今や主導権はこちらにあるじゃないか。
 いざレースが始まるとすごく緊張した。この一瞬で、一万円が紙くずになるか、どっさり増えるかが決まるのだ。僕はカバンから人形を取り出し、それを握り締めながら祈りを捧げる。隣では夏も必死に手を合わせていた。すると――
『第十レースで波乱。三連単で万馬券です。着順は五、二、六……』
 えっ、五・二・六!? ということは、こ、この馬券がひゃ、百万円!?
「やったね、雄介!」
 夏がバンザイをしながらサングラスを宙に投げ、天使の笑顔で僕に向かって両手を広げる。
 うわっ、可愛すぎる。今までサングラスをしていたのはこの瞬間のため? そしてその両手は、喜びに紛れて抱きしめても良いというサイン!?
 舞い上がった気持ちと共に僕は人形を空に投げ、夏を抱きしめんと両手を広げた。
 その瞬間――
「だからお前は甘ちゃんなんだよ!」
 夏は僕を突き飛ばすと、人形をキャッチして脱兎の如く逃げ出した。
 あっという間に夏の姿が見えなくなる。
「おい、あの娘って、AKV48の林夏希じゃないか?」
 サングラスを外した夏の顔を目にした周囲の連中が口々に噂する。
 な、何? 夏がAKV48!?
「芸名は林夏希だって? ほ、本当にタヌキだったんだ……」
 手にした馬券がたとえ百万円の価値があったとしても、アイドルの毛が入っているあの人形を奪還された喪失感を埋めることはできないんじゃないかと、僕はしばらくその場に立ち尽くしていた。



電撃リトルリーグ 第13回「夏到来、○○はじめました」投稿作品

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