くらげ殺人事件 ― 2011年09月11日 19時30分22秒
天気の良い昼下がり。目の前には青い空と青い海が広がっていた。
いつもと変わらない風景。何も起こらない平和な港町。
それをぼおっと眺めながらまったりしていた俺の視線の隅に、見慣れない一艘の白い船が現れた。
「何だ、あの船?」
定期船が到着する時間ではない。かといって、貨物船にしては船体が綺麗すぎる。
俺は船体に書かれている文字を見ようと、派出所の外に出る。
「く・ら・げ……?」
船の側面には、ひらがなで確かにそうペイントされていた。
不思議に思った俺は派出所に戻り、パソコンで『くらげ』を検索してみる。
「何? エチゼンクラゲ観測調査船だって?」
画面に映し出されたネットの情報によると、なんでもエチゼンクラゲの生態を調査するために造られた船らしい。大量発生するエチゼンクラゲを捕獲し、それに含まれる炭素の量を測定してCO2排出権の取引に用いたり、さらにはバイオ燃料としての活用を研究しているのだという。
へえ、そんな船があるんだ、と俺が感心していると、突然机の電話が鳴り響いた。
「はい、こちらは港町派出所。どうかしましたか?」
「ひ、人が、し、死んでいるんです。早く来て下さい」
「どうか落ち着いて下さい。場所はどこですか?」
「観測船『くらげ』の中です」
俺は受話器を持ったまま、正に接岸せんとする白い船に目を向けた。
「おまわりさん、こちらです」
調査観測船くらげに到着した俺は、早速船内に案内された。
階段を三階分くらい降りた場所にある小さな船室の中に、一人の男性がうつ伏せに倒れている。
「脈なし。息もしていない……」
確認したところ、確かにこの男性は死亡しているようだ。唇も紫色に変色している。
それよりも驚くべきは、男性の頭上には血だまりがあり、その血を使って文字が書かれていたことだった。
『……神がかっていた』
床のその文字は、息絶える前に男性が指で書いたものらしい。男性の右手の指先には血が付いており、最後の『た』の文字のところで指は止まっていた。
「ダイイングメッセージか……」
最初の『神』の前にも文字が書かれていた形跡があるが、血だまりが広がってしまっていて読むことができない。
さっぱり意味が分からず途方に暮れた俺は、刑事が到着するまでの時間に乗組員から情報を集めることにした。
死亡していたのは、大神一郎。三十八歳。調査観測船くらげで働く唯一の研究員だった。
そして船室には五人の乗組員が集まった。名前は、八神二郎、石神三郎、神宮寺四郎、森神五郎、野神六郎という。
「この血痕を見て気付いたことがあったら教えてほしい」
俺が五人に質問すると、互いに顔を見合わせてからうつむき、黙り込んでしまった。
事件には関わりたくないという雰囲気が、それぞれの表情に浮かび上がっている。
「どんな些細なことでもいい。知っていることがあったらなんでも話してくれ。頼む」
警察官の分際で刑事まがいのことをするのはどうかと思ったが、現場に一番乗りできることはもう二度とないだろう。俺はこのチャンスをものにしたかった。
「もしかして……」
俺の情熱が伝わったのか、最初に沈黙を破ったのは一番若そうに見える八神だった。
「そこに書いてある『神がかっていた』って、石神さんが買ったアレのことなんじゃないスか……」
すると名指しされた石神が八神に食ってかかる。
「おいおい、物騒な事言うんじゃねえよ。俺は何もやってねえぞ」
「だってあんた、アレを散々自慢してたじゃねえかよ」
「ちょ、ちょ、ちょっと待った。喧嘩は止めてくれ。ところで、アレって何なんだ?」
俺は飛びかかろうとする石神を押さえながら八神に質問する。
「コンバットナイフっスよ。通販で買ったとかいう石神さん自慢のナイフで、大神さんを指したんスよ、きっと」
すると、横の方から低めの渋い声がする。
「いや、これは刺し傷じゃないですよ」
見ると、森神がしゃがみ込んで死体の頭部を覗き込んでいた。
「むむむむ、もしかして……」
今度は森神が自分の推理を口にする。
「メッセージの『神がかっていた』というのは、野神さんが飼っていたアレなんじゃないですかね?」
すると、死体から離れた場所に立っていた野神がうろたえ始めた。
「ぼ、ぼ、ぼくが飼っているヒョロちゃんは、け、け、けしてそんなことしません」
ヒョ? ヒョロちゃんって何?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。ちゃんと教えてくれ。ヒョロちゃんって何なんだ?」
慌てて俺が質問すると、しゃがみ込んでいた森神が野神を見上げるようにして言った。
「野神さんが飼っているヘビですよ。見た目、もの凄く凶暴なんです」
野神は顔を真っ赤にして反論する。
「ヒョロちゃんはちっとも凶暴じゃありません。それよりも神宮寺さんが狩っているラージャンの方がよっぽど凶暴じゃないですかっ!」
おいおい、今度のラージャンって何だよ。それに『狩ってる』ってどういうことだ? 第一、『神宮寺』って『神』の文字で終わってないからダイイングメッセージの内容にも合ってないぞ。
俺はさっぱりわけが分からなくなった。
「ここまでだ。神宮寺、お前をモンハン賭博およびに殺人容疑で逮捕する!」
突然、太い声が部屋に響き渡る。敏腕警部のお出ましだ。
「容疑者の引きとめ、大変感謝する。ご苦労であった」
そして警部は俺に向かって敬礼をした。
ちぇっ、もう終わりかよ。もう少しで謎が解けるところだったのにな……。
俺は警部に敬礼を返し、渋々と現場を立ち去った。
今日も港町はいい天気。青い空と海を見ながら、俺は派出所でぼけっとしていた。
『臨時ニュースをお伝えします』
せっかくラジオから好きな曲が流れていたというのにニュースで中断かよ。全くついていない。
『昨日逮捕された神宮寺容疑者の供述を元に、先程から都内のモンハン賭博場の一斉捜査が行われ、三十人以上の組員が逮捕された模様です』
ああ、そういえば昨日そんな事件があったっけ……。
後で聞かされた事件の真相は、おおよそ次のようだった。
モンハン賭博をしていたのは、殺された大神一郎、逮捕された神宮寺四郎、そして一番若い八神二郎の三人。神宮寺と八神のモンハン対決がネット賭博の対象となり、それをジャッジしていたのが大神だった。
勝負は表向きには神宮寺の勝ちで、彼は一千万円以上の大金を手にすることになった。しかし、大神は神宮寺が密かに禁止アイテムを使ったことを見抜いており、それをネタに神宮寺をゆすったのだ。その結果、大神は神宮寺に殺されることになってしまった。あのダイイングメッセージは、『八神が勝っていた』と書こうとしたのではないかと、警察では考えている。
まあ、こんなところだ。俺にはさっぱり関係ないけど。
「おまわりさん、今日も暇そうだね」
「だったら僕達と遊んでよ」
いつの間にか、ガキどもが派出所を覗き込んでいる。
「こらこら、俺は忙しいんだよ。あっち行け」
「あっ、ひまひまひまわりさんが怒った」
「やーい、税金泥棒~」
ちぇっ、最近のガキは嫌な言葉を知ってやがる。そこまで言われたらちょっくら相手をしてやるか。
「おーいお前達、ラージャンって何だか知ってるか?」
俺は昨日聞いた気になる単語を質問してみた。
「知ってるよ。モンハンに出てくるすっごく強いモンスターだよ」
「もう、めちゃくちゃに暴れまくるんだ。アイツ大嫌い!」
モンスターハンター。
今や、生活の隅々まで入り込んでしまっているゲームだ。そして俺が最も苦手なゲーム。
「そう、ありがとよ。じゃあ、あっち行け!」
俺はガキどもを追い払うと、また机に寝そべって海を眺め始める。ラジオからはアップテンポな心地よい曲が流れ始めた。
また何か違う船がやって来ないかな……。
ここ港町では今日も平和な時がゆっくりと過ぎている。
即興三語小説 第114回投稿作品
▲お題:「変色」「神がかっていた」「臨時ニュース」
▲縛り:「観測調査船を作中に出す」もしくは「SFにする」
▲任意お題:「血痕」「警察官」
いつもと変わらない風景。何も起こらない平和な港町。
それをぼおっと眺めながらまったりしていた俺の視線の隅に、見慣れない一艘の白い船が現れた。
「何だ、あの船?」
定期船が到着する時間ではない。かといって、貨物船にしては船体が綺麗すぎる。
俺は船体に書かれている文字を見ようと、派出所の外に出る。
「く・ら・げ……?」
船の側面には、ひらがなで確かにそうペイントされていた。
不思議に思った俺は派出所に戻り、パソコンで『くらげ』を検索してみる。
「何? エチゼンクラゲ観測調査船だって?」
画面に映し出されたネットの情報によると、なんでもエチゼンクラゲの生態を調査するために造られた船らしい。大量発生するエチゼンクラゲを捕獲し、それに含まれる炭素の量を測定してCO2排出権の取引に用いたり、さらにはバイオ燃料としての活用を研究しているのだという。
へえ、そんな船があるんだ、と俺が感心していると、突然机の電話が鳴り響いた。
「はい、こちらは港町派出所。どうかしましたか?」
「ひ、人が、し、死んでいるんです。早く来て下さい」
「どうか落ち着いて下さい。場所はどこですか?」
「観測船『くらげ』の中です」
俺は受話器を持ったまま、正に接岸せんとする白い船に目を向けた。
「おまわりさん、こちらです」
調査観測船くらげに到着した俺は、早速船内に案内された。
階段を三階分くらい降りた場所にある小さな船室の中に、一人の男性がうつ伏せに倒れている。
「脈なし。息もしていない……」
確認したところ、確かにこの男性は死亡しているようだ。唇も紫色に変色している。
それよりも驚くべきは、男性の頭上には血だまりがあり、その血を使って文字が書かれていたことだった。
『……神がかっていた』
床のその文字は、息絶える前に男性が指で書いたものらしい。男性の右手の指先には血が付いており、最後の『た』の文字のところで指は止まっていた。
「ダイイングメッセージか……」
最初の『神』の前にも文字が書かれていた形跡があるが、血だまりが広がってしまっていて読むことができない。
さっぱり意味が分からず途方に暮れた俺は、刑事が到着するまでの時間に乗組員から情報を集めることにした。
死亡していたのは、大神一郎。三十八歳。調査観測船くらげで働く唯一の研究員だった。
そして船室には五人の乗組員が集まった。名前は、八神二郎、石神三郎、神宮寺四郎、森神五郎、野神六郎という。
「この血痕を見て気付いたことがあったら教えてほしい」
俺が五人に質問すると、互いに顔を見合わせてからうつむき、黙り込んでしまった。
事件には関わりたくないという雰囲気が、それぞれの表情に浮かび上がっている。
「どんな些細なことでもいい。知っていることがあったらなんでも話してくれ。頼む」
警察官の分際で刑事まがいのことをするのはどうかと思ったが、現場に一番乗りできることはもう二度とないだろう。俺はこのチャンスをものにしたかった。
「もしかして……」
俺の情熱が伝わったのか、最初に沈黙を破ったのは一番若そうに見える八神だった。
「そこに書いてある『神がかっていた』って、石神さんが買ったアレのことなんじゃないスか……」
すると名指しされた石神が八神に食ってかかる。
「おいおい、物騒な事言うんじゃねえよ。俺は何もやってねえぞ」
「だってあんた、アレを散々自慢してたじゃねえかよ」
「ちょ、ちょ、ちょっと待った。喧嘩は止めてくれ。ところで、アレって何なんだ?」
俺は飛びかかろうとする石神を押さえながら八神に質問する。
「コンバットナイフっスよ。通販で買ったとかいう石神さん自慢のナイフで、大神さんを指したんスよ、きっと」
すると、横の方から低めの渋い声がする。
「いや、これは刺し傷じゃないですよ」
見ると、森神がしゃがみ込んで死体の頭部を覗き込んでいた。
「むむむむ、もしかして……」
今度は森神が自分の推理を口にする。
「メッセージの『神がかっていた』というのは、野神さんが飼っていたアレなんじゃないですかね?」
すると、死体から離れた場所に立っていた野神がうろたえ始めた。
「ぼ、ぼ、ぼくが飼っているヒョロちゃんは、け、け、けしてそんなことしません」
ヒョ? ヒョロちゃんって何?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。ちゃんと教えてくれ。ヒョロちゃんって何なんだ?」
慌てて俺が質問すると、しゃがみ込んでいた森神が野神を見上げるようにして言った。
「野神さんが飼っているヘビですよ。見た目、もの凄く凶暴なんです」
野神は顔を真っ赤にして反論する。
「ヒョロちゃんはちっとも凶暴じゃありません。それよりも神宮寺さんが狩っているラージャンの方がよっぽど凶暴じゃないですかっ!」
おいおい、今度のラージャンって何だよ。それに『狩ってる』ってどういうことだ? 第一、『神宮寺』って『神』の文字で終わってないからダイイングメッセージの内容にも合ってないぞ。
俺はさっぱりわけが分からなくなった。
「ここまでだ。神宮寺、お前をモンハン賭博およびに殺人容疑で逮捕する!」
突然、太い声が部屋に響き渡る。敏腕警部のお出ましだ。
「容疑者の引きとめ、大変感謝する。ご苦労であった」
そして警部は俺に向かって敬礼をした。
ちぇっ、もう終わりかよ。もう少しで謎が解けるところだったのにな……。
俺は警部に敬礼を返し、渋々と現場を立ち去った。
今日も港町はいい天気。青い空と海を見ながら、俺は派出所でぼけっとしていた。
『臨時ニュースをお伝えします』
せっかくラジオから好きな曲が流れていたというのにニュースで中断かよ。全くついていない。
『昨日逮捕された神宮寺容疑者の供述を元に、先程から都内のモンハン賭博場の一斉捜査が行われ、三十人以上の組員が逮捕された模様です』
ああ、そういえば昨日そんな事件があったっけ……。
後で聞かされた事件の真相は、おおよそ次のようだった。
モンハン賭博をしていたのは、殺された大神一郎、逮捕された神宮寺四郎、そして一番若い八神二郎の三人。神宮寺と八神のモンハン対決がネット賭博の対象となり、それをジャッジしていたのが大神だった。
勝負は表向きには神宮寺の勝ちで、彼は一千万円以上の大金を手にすることになった。しかし、大神は神宮寺が密かに禁止アイテムを使ったことを見抜いており、それをネタに神宮寺をゆすったのだ。その結果、大神は神宮寺に殺されることになってしまった。あのダイイングメッセージは、『八神が勝っていた』と書こうとしたのではないかと、警察では考えている。
まあ、こんなところだ。俺にはさっぱり関係ないけど。
「おまわりさん、今日も暇そうだね」
「だったら僕達と遊んでよ」
いつの間にか、ガキどもが派出所を覗き込んでいる。
「こらこら、俺は忙しいんだよ。あっち行け」
「あっ、ひまひまひまわりさんが怒った」
「やーい、税金泥棒~」
ちぇっ、最近のガキは嫌な言葉を知ってやがる。そこまで言われたらちょっくら相手をしてやるか。
「おーいお前達、ラージャンって何だか知ってるか?」
俺は昨日聞いた気になる単語を質問してみた。
「知ってるよ。モンハンに出てくるすっごく強いモンスターだよ」
「もう、めちゃくちゃに暴れまくるんだ。アイツ大嫌い!」
モンスターハンター。
今や、生活の隅々まで入り込んでしまっているゲームだ。そして俺が最も苦手なゲーム。
「そう、ありがとよ。じゃあ、あっち行け!」
俺はガキどもを追い払うと、また机に寝そべって海を眺め始める。ラジオからはアップテンポな心地よい曲が流れ始めた。
また何か違う船がやって来ないかな……。
ここ港町では今日も平和な時がゆっくりと過ぎている。
即興三語小説 第114回投稿作品
▲お題:「変色」「神がかっていた」「臨時ニュース」
▲縛り:「観測調査船を作中に出す」もしくは「SFにする」
▲任意お題:「血痕」「警察官」
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