可愛いあいつはモンブラン(後編)2011年03月01日 22時34分15秒

 月曜日の放課後、俺が文部(もんぶ)の部室に着くと、新入部員候補のランちゃんこと庭野玉子はすでに到着しているようだった。部室の中から彼女らしき話し声が聞こえる。
「お待たせ」
 挨拶しながら俺が部室の戸を開くと、部長とランちゃんがこちらを向く。
「よう、来たな勉」
「勉先輩、お待ちしていました」
 おっ、いいねえ、いいねえ、この『先輩』という魅惑的な響き。ずっと待ち望んでいた瞬間だ。
 ランちゃんにはぜひ入部してほしい。そんな気持ちを強くする。
「ところで週末のチャットは見てた?」
 俺は椅子に腰掛けるなり、本題を切り出す。
 先週、ランちゃんがうまくミステリーを作れないと言うので、小説のお題を提案しているチャットの内容を参考にしてみたらとアドバイスした。ランちゃんも部長もそのチャットを見ると約束して、週末の部活はお開きになった。
「見ましたよ、先輩。パパのパソコン借りました」
「ああ、私も見てたぞ」
 それなら話が早い。チャットで出されたお題が何であるか、二人とも分かっているはずだ。
「じゃあ、必須お題はわかってるよね、ランちゃん」
「確か、『ハンバーグ』『二度見』『あてもなく』でしたっけ?」
「そうだよ、その三つだ。じゃあ、それで先週の続きを考えてみようか」
 俺がランちゃんと向き合おうとして椅子を動かすと――
「ちょっと待ったぁー!」
 部長が大声を上げた。
「ぶ、部長。驚かさないでくれよ」
 俺が振り向くと、部長は不敵な笑みを浮かべていた。
「勉よ、何か忘れてはいないか?」
「えっ、何かって?」
「お題はそれだけじゃなかっただろ」
 チャットで決めているお題は、必須と任意の二種類がある。俺はその中の必須お題だけをランちゃんに聞いた。部長はきっと、任意お題のことを言っているのだろう。
「他にも『厳重に密封』ってのがあったぞ。ミステリーにこれは欠かせないんじゃないのか?」
 いや、それは任意お題だから、無理に使うことはないんだよ。
「そういえばそんなお題もありましたね、部長先輩。『――凶器は厳重に密封されていた』なんてフレーズが出てきたらカッコイイですよね」
 『凶器は』のところを低い声ですごむランちゃん。やはり見た目どおり、調子のいい奴みたいだ。
 まあ、部長の言い分も分からないでもない。確かに『ハンバーグ』や『二度見』ではミステリーにはなりにくい。
「まだまだいいのがあったぞ。確か……『歪んだ秒針』だ。そうか、ラン。凶器は秒針だったんだよ」
 するとランちゃんは少し考えた後、はっと閃いたような顔をした。
「わかりましたよ、先輩! 『犯人は秒針で一絵の首を一刺し、何事も無かったように元の場所に戻した』ってことなんですね」
 おいおい、それじゃあ、凶器は厳重には密封されてないだろ。仮にもミステリーなんだから、後先のことを考えてくれよ。
 俺は呆れながら部長の方を向く。
「じゃあ部長、一応聞いておくが、同じく任意お題の『ブラックホール』はどうやって使うんだよ」
 すると部長の目が光った。
「じゃあ私も勉に聞こう。必須お題の『ハンバーグ』はどうやって使うんだ?」
 げっ、逆に聞かれちゃったよ。
 それをランちゃんと一緒にしっぽりと考えようという作戦だったのに。『ランちゃん、ハンバーグってどうやって使おうか』『どうしましょうね、先輩』『困ったなあ、ハンバーグ。食べるのは好きなんだけど』『えっ、先輩ってハンバーグ好きなんですか。私ハンバーグ作るの得意なんですよ』なーんて甘い展開をちょっとだけ期待していたりする。
 俺が何も答えられないでいると、部長が勝ち誇ったように言った。
「ほら、勉も答えられないじゃないか。チャットはチャット、私達は私達。無理にチャットのルールに従う必要なんてないんだよ」
「そうですよ、先輩。楽しくやりましょうよ。私達、あのチャットに参加しているわけじゃないんですから」
「でも、それじゃあ、先週の俺の苦労はどうなるんだよ。ちゃんとお題に従って段取りを組んだんだぞ。わざと『吹雪』を降らしたり、『たゆたう』を使って俳句を作ったり……」
 俺が声を荒らげると、部長が怪訝な顔をする。
「ちょ、ちょっと、勉。それってどういうこと?」
 しまった! つい口が滑ってしまった……。
「部長先輩。わかりましたよ、私。ヒントは一つ前のお題です」
 げっ、ランちゃん。普段は天然っぽいのに、こういう時だけ鋭いのはどういうことだ!?
「一つ前のお題って……?」
 部長がランちゃんの方を向く。
「私、見ちゃったんです。チャットをやってるサイトで。一つ前のお題に『でっへへへへ』とか『なんかすごいのきた!』ってのがありましたよね。だから私はこんな性格にされちゃったんです。本当は普通の女の子なのに。この日本のどこに『でっへへへへ』って笑う女の子がいますか? ねえ、勉先輩」
 だ、だから、それは……。
「そうか。だから私も『なんかすごいのきた!』って変なメールを書いちまったのか。おい、みんな勉の仕業なのか」
「い、いや、お、俺は……」
「正直に言わないと、先輩には『黄昏』てもらいますからね」
「ランちゃん、ナイスアイディア。お題的にもバッチグーだわ」
「…………」
 すっかり困った俺がうつむくと、しばらくしてランちゃんが笑い出した。
「なーんて、先輩。本当に黄昏ないで下さいよ~。私、本当の本当は天然なんですからぁ。でも責任はとって下さいよね。ちゃんと私にお題小説を教えてくれるって」
「そ、それって……」
「はい、私、この部に入部します。だって楽しそうだもん」
「ははははは。新入生にやられたな、勉」
 俺がぽかんとしていると、ランちゃんは部長から渡された入部届けに必要事項を書き始めた。
 まあ、とにかく良かった。とびきり明るい新入部員が入ってくれて。
 さて、来週のお題って何だったっけ?



即興三語小説 第95回投稿作品
▲必須お題:「ハンバーグ」「二度見」「あてもなく」
▲縛り:「オリジナリティ溢れた前編のあらすじをつける(任意)【ただし、前編(第95回分)未投稿の場合はこの縛りはないものします】」
▲任意お題:「厳重に密封」「ブラックホール」「黄昏」「歪んだ秒針」

萌子、変身!2011年03月02日 22時19分23秒

「ねえ、杏子。良かったら私も一緒に働いてみたいんだけど……」
 バイトに行こうとしたら、親友の萌子が声をかけてきた。
「えっ?」
 私は驚きの声を上げる。というのも、私がバイトしているお店は萌子とは無縁の場所と認識していたからだ。
「本当にいいの? 私のバイト先って知ってるよね?」
「ツンデレカフェでしょ」
 そうだ、私はツンデレカフェで働いている。
 ツンデレカフェ――初対面の人にはツンツンと素っ気無く振る舞い、常連客にはデレデレと親しくするカフェ。
 丸っこい優しいフェイスラインが魅力的な超癒し系の萌子には、程遠い仕事と思っていた。
「萌子。ツンデレカフェがどんな仕事か知ってるよね?」
 衣装だけを見て、その憧れで働きたいと言っているんじゃないかと私は疑う。確かにお店の衣装は可愛い。オーソドックスなメイド服だし、萌子がそれを着れば絶対に似合うと思う。でもツンデレカフェのメイドは、それだけではやっていけないのだ。
「知ってるわよ。初対面のお客にはツンツンしなきゃいけないんでしょ」
 萌子は真剣な目をしている。
「それが意外と大変なのよ。客の顔を覚えてなきゃいけないし」
 私も衣装が可愛いからついバイトを申し込んでしまったのだけど、始めてみて後悔した。まず、お客の顔を覚えなくてはいけない。初めてのお客さんにはキツく振る舞い、常連には優しく接する。そんな当たり前のツンデレを演出するためには、正確にお客の顔を覚えることが必要だ。
「私、そういうのって結構得意だから」
 確かに萌子は記憶力はありそうだ。学校の成績だって萌子の方が良い。
「萌子。顔を覚えるだけではダメなの。どの客がどの頻度で来ているのかもチェックしてなきゃならないのよ」
 私が働いているお店では、足が遠のいた常連には冷たくするという高度な技が要求される。せっかくデレ状態になったメイドに冷たくされたくないという一心で通いつめる有難いお客さんがいるからだ。
「それくらい、余裕よ」
 うーむ、萌子の記憶力なら大丈夫そうだ。私にとっては、客が通う頻度まで覚えるのはとても大変なんだけど。
「それにツンツンするのは結構キツイわよ。性格歪んだって知らないから」
 すると萌子はちょっと不安そうな顔をした。
「そうね。でもね、私、それが目的なの。私ってタレ目でいかにも癒し系って顔してるでしょ」
「それが萌子の持ち味じゃないのさ」
「だから嫌なの。なんかバカにされているみたいで。杏子みたいな目力を身につけたいのよ」
 えー、私ってそんなに視線がキツイかしら……。
「客にツンツンするだけじゃダメなのよ。変な要求をしてくる客だっているんだから」
 すると萌子の顔が曇った。
「えっ? そんなことってあるの」
「あるわよ。この間なんて『私を踏んづけて下さい』って四つんばいになるお客がいたんだから」
「そ、それで、杏子はどうしたの?」
 萌子は青ざめながら話を聞く。
「もちろん踏んづけてやったわよ。これでもかってくらい。こっちが調子に乗っていたら相手もつけあがってきて新たな要求をしてきたわ」
「そ、それは、ど、どんな……?」
 萌子は震え始めた。
「今度は顔を踏んでくれっていうのよ。だから踏んでやったわ。バッチリぱんつを見られちゃったけどね」
「そ、それは忍耐が必要ね。わかった、やるわ。私、決心した」
 さっきの話でどうして萌子が決心したのか不思議だったが、翌週から彼女も一緒のお店で働くことになった。

「あら、あんたも私に踏まれたいの?」
 今日も萌子はバイトに励んでいる。超癒し系の萌子が豹変するのが最高との噂が口コミで広がり、萌子を指名するお客が後を絶えない。
「か、顔も踏んで下さいっ!」
「おほほほ、女王様ってお呼びなさい」
 おいおい、萌子。あんた、お店を間違えてるわよ。ここはSMカフェじゃないから。それにお客だって下心満載だから。
 予期せずして萌子の才能を発掘してしまった私は、そろそろこのお店もやめようかと思い始めた。



一時間で書く即興三語小説
▲お題:「歪んだ」「認識」「忍耐」
▲任意お題:「初対面」

ドミノの時代2011年03月05日 09時17分31秒

 ゴールデンウィーク分散化法案が可決した。
 週末の集会場は、説明を聞きに来た住民でごった返している。なんでも、人によって休暇になる週が異なるらしい。
「今年の五月の第一週は、顔にホクロが一つだけある人が休みになります」
 すると、中年の男性が手を上げて質問した。
「俺はホクロ二つだから休みは第二週だか?」
「そうです」
 男性はさらに続ける。
「ウチの娘は顔にホクロが三つあるだけんど、一緒に休めねえだか?」
「家族なら一緒で結構です」
 すると、男性の娘と思われる女の子が立ち上がって文句を言い始める。
「何勝手に決めちゃってんの? 私はホクロ三つの友達同士で、第三週に遊びに行こうと相談してんのに!」
「そういう事情なら、その友達も一緒に第二週に休んで構いませんよ」
 これを皮切りに質問が相次いだ。
「私はホクロが三つで従兄弟は一つなんですが」
「一緒で構いませんよ」
「僕は一つで彼女は二つです」
「どうぞご一緒に」
「アタイは二つで、オヤジは五つ」
「OKです」
「ワシは四つで……」
「あっ、あなたはダメですよ。ホクロの数が前と繋がってない」
「私はカシオペア、愛人はサザンクロス」
「ノープロブレム!」
 ホクロの連鎖は夜まで続いた。



500文字の心臓 第102回「ドミノの時代」投稿作品

へちまは夜眠る2011年03月08日 20時56分20秒

 二○一×年。
 静岡県浜松市にて、幅が三十センチを超える超扁平なへちまが発見された。場所は、へちまたわしを作っている農家の農園内。突然変異と考えられるが、農家ではその種から超扁平たわしを増やすことに成功した。
 扁平へちまをたわしと同じ方法で乾燥させると、幅三十センチ、長さ五十センチのへちまマットが誕生した。農家では最初、バスマットとして売り出してみたが、売り上げはさっぱり。困った農家は、やけくそでトートバッグを作ってみた。しかしそれが大ヒット。
『柔らかくて膨張性があるわりにはかなり丈夫で手触りもよい。そして、バッグの中身がチラチラと見えるのもお洒落』
 女性雑誌でそう紹介されたのが決め手だった。へちまトートバッグはバカ売れし、超扁平へちまの在庫はあっと言う間に無くなった。
 それと同時にへちまという自然素材が見直され、次々とへちまを使った商品が開発される。遺伝子操作も行われて、新種のへちまも作り出された。
 いわゆる、へちまブームの到来だ。
 どんどんと巨大化したへちまが生み出され、その硬さも自在にコントロールすることが可能となった。強度を増したへちまはいろいろなものに細工され、ついにはロッキングチェアーまで作られることになった。
 そして、ブームに乗ろうとへちまの栽培に乗り出したある製薬会社の研究所で事件は起きた。

「お、おまえだったのか。研究室に忍び込んだ奴とは」
 警備員から不審者を見かけたという通報を受け、俺は研究室に泊まりこんで見張りを続けていた。そして三日目の夜、研究室に侵入したそいつを捕まえたのだ。
「そうですよ、先輩。お久しぶりです」
 そいつは三ヶ月前に会社を辞めた後輩だった。名を浩次という。正体がばれて開き直ったのか、あっけらかんとした浩次の受け答えに俺はつい頭に血が上ってしまった。
「なんだその言い草は。お前一人のために俺達の時間がどれだけ無駄になったと思ってるんだ」
 浩次が忍び込んだ研究室は、会社の命運をかけてへちまの遺伝子操作を行っている実験室だった。極秘情報が社外に漏れたかもしれないという危機に、俺達当事者は東奔西走するハメになったのだ。
「どうせ俺は、もうすぐ消えてしまう身なんです。先輩、ここは慈悲深く見逃してくれませんか?」
 噂によると、浩次が会社を辞めたのは深刻な病気が見つかったからという。
「も、もうすぐ消えるって、お前、どういうことなんだ?」
 病気のことは聞いてはいけないと思いながら、俺は聞かずにはいられなかった。すると浩次は急に笑い出す。
「あはははは。先輩、俺は末期ガンなんですよ。あと数週間の命なんです。ここで見逃してくれないと先輩のこと呪いますよ。祟りじゃってね」
 病気ってそういうことだったのか。しかしここは素直に見逃すわけにもいかない。そんなことをしたら俺達は明日の晩も張り込みをしなくてはならなくなる。
「そんなお前が何で研究室なんかに忍び込むんだよ。何か研究でやり残したことでもあるのか?」
「まあ、そんなもんですよ」
 浩次は少し辛そうに息を吐きながら椅子に腰掛ける。病気というのはまんざら嘘では無さそうだ。
「いや、やはりお前を見逃すわけにはいかない。申し訳ないが、明日の朝まで休養室で監禁させてもらう。いいな」
「……」
 浩次は何も答えず、ただ研究室の天井をぼんやりと眺めていた。

 我が社ではへちまブームに乗って遺伝子操作による巨大へちまの開発を行っていた。そしてその過程にてある重大な発見をしたのだ。
 ――巨大へちまから取れるへちま水は、若返りを本当に実現する。
 もしかしたら浩次は、そのへちま水を自分の病気に使ってみたかったんじゃないだろうか。
 浩次を監禁した休養室のドアを見ながら、俺は考える。明日の朝になったら浩次に直接聞いてみよう。そして、会社のお偉いさん方に彼の扱いを委ねたら、俺の役割はとりあえずはおしまいだ。彼が警察に突き出されようが、慈悲深く見逃されようが俺には関係ない。その後は家に帰ってぐっすり眠ることができる。
 少し安心した俺はついうとうとしてしまい、休養室での物音に気がつくことはなかった。
 朝、俺が休養室のドアを開けると、浩次は死んでいた。棚にシャツを引っ掛けて首を吊っていたのだ。

 浩次の死は穏便に処理された。警察は、ただの自殺ということで彼の死を扱ってくれた。忘れ物を取りに元の職場を訪問した彼は社内で倒れ、運び込まれた休養室で病気を苦にして自殺した、という俺の証言を信じて。
 あれから四ヶ月。
 実験室の巨大へちまは二メートルぐらいの大きさにまで生長していた。これは世界最大の大きさだ。
「浩次。お前はいったいこの部屋で何をやっていたんだ?」
 彼の死後、俺は彼のアパートの掃除を手伝った。そして部屋の片付けをしながら、彼が最期に何をしようとしていたのかを探った。しかし結局何も分からなかった。
「このへちまから取れるへちま水は、お前を救えたかもしれないのに……」
 俺は巨大に育ったへちまを優しくなでる。すると突然手から伝わってきた得体の知れない違和感に俺は腰を抜かす。
「何!?」
 へちまに密着させた掌から、ドクドクという心臓のような鼓動が伝わってきたのだ。
「ま、まさか……」
 へちまの中から『祟りじゃ』という声が聞こえてくるような気がした。彼が残した最期のあの声で。



即興三語小説 第97回投稿作品
▲お題:「操作」「へちま」「椅子」
▲縛り: 「何かが連鎖する話にする(何かは任意)」
▲任意お題:「お、おまえだったのか」「祟りじゃ」「あっけらかん」「細工」

闇鍋クライシス2011年03月31日 00時01分25秒

 大学のカフェテリアでサークルの仲間とお茶をしている駿一の携帯に、メールが届いた。
「ごめん、メールだ」
 駿一は皆に断わり、自分の携帯を取り出す。メールの差出人は駿一のバイト先の居酒屋の店主、みどりさんからだった。
 ――なんだろう。今夜のバイトはいつもの時間より早く来いとか?
 駿一が恐る恐るメールの中身を見ると、そこには次のように書かれていた。
『今宵闇鍋計画中、お願い紹介入店希望者』
 何故に漢字だらけのメール、と思いつつ、駿一は『闇鍋』という単語に目を奪われる。
 ――ついにあの闇鍋が完成したんだ!
 メールを見ながら表情をほころばせている駿一に、向かいに座っていた正人が興味深そうに声をかけた。
「なんだよ、駿一。なにかいいことでもあったのかよ?」
「みどりさんからメールなんだけど、新メニューが完成したらしい」
「誰ぇ、みどりさんって?」
 今度は斜め右横に座る鈴音がいぶかしそうな目つきで駿一に質問する。すると正人がここぞとばかりに意地悪そうな声で説明した。
「何、気になる? みどりさんってのはよ、コイツの大切な女性なんだぜ」
「おいおい正人。いい加減なこと言うなよ」
 駿一は顔を赤くしながら弁明する。
「みどりさんって僕のバイト先の居酒屋の店長。すごくお世話になっているから大切な方には変わりはないけど、付き合ってるとかそんなんじゃないから」
「ふーん」
 鈴音は納得したようなしないような表情で鼻を鳴らす。
「そうだ駿一、その新メニューって何なんだよ」
「それが聞いて驚くな。なんと闇鍋なんだ」
 すると正人は呆れた顔をした。
「闇鍋って、中に何が入っているか分からないってやつか? そんなものお店で出して大丈夫なのかよ」
「私だって嫌だわ。トマトとか靴下とか入ってたら最悪じゃない」
「鈴音、お前今までどんな闇鍋体験してきたんだよ」
 鈴音が語る闇鍋の具材に、すかさず突っ込みを入れる正人。
「あはははは、大丈夫、大丈夫。入っているのは食べられるものだけだよ。僕の予想では、季節の野菜とか、店長のお勧め具材を使っているお楽しみメニューだと思うんだけど。蓋を開けるまで中身が分からないという意味でね」
 そして駿一は二人の顔を改めて見ながら提案する。
「その闇鍋が完成したから人を呼んでほしいってメールだったんだけど、二人とも来る?」
 すると鈴音が返事をする。
「私行く。そのみどりさんにも会ってみたいし」
「正人は?」
「お、俺は……。なんだよ二人のその冷たい視線は。行くよ、行けばいいんだろ」
 こうしてその日の駿一達の夕食は、居酒屋『みどり』で闇鍋を試食することになった。

 居酒屋『みどり』は、六畳くらいのお座敷とカウンターがあるだけの小ぢんまりとした居酒屋だった。普段は、みどりさんとバイトだけで店を回している。駿一は週に三回のローテーションでバイトに入っており、バイトの日は晩御飯もご馳走になっていた。残り物ももらって朝食にしていたので、みどりさんには何かとお世話になっているのだ。
「いらっしゃい、今晩は駿一君達の貸切よ」
 店を訪れた駿一、正人、鈴音の三人に、みどりさんがカウンターから微笑んだ。
 みどりさんは、理化学機器メーカーに五年間勤めた後、急に会社を辞めて居酒屋を開いたという異色の経歴の持ち主だ。だから大学の工学部に通う駿一とも話が合う。居酒屋を始めたのも、女性の利点を活かした仕事をしたいということだったらしく、『女手弁当』とか『お袋鍋』とか日々変わったメニューを開発していた。
「それで今夜の闇鍋って、中身は何なんですか?」
「駿一君、君は闇鍋ってものを分かってないわね。中身が事前にわかっちゃったら闇鍋でもなんでもないじゃない。蓋を開けるまでのお楽しみよ」
 意地悪そうに笑いながら、みどりさんは金属製の重厚なお鍋を駿一達が座る座敷に運んできた。
「えっ、土鍋じゃないんですか?」
 駿一が驚くとみどりさんは平然と言い放つ。
「これは私が開発した特殊な鍋よ。そんなことよりも駿一君、まずはお友達を紹介してくれないかしら」
「わかりました。では……」
 改まって正座をした駿一に従い、正人と鈴音もいそいそと正座をする。
「二人ともサークルの友人で、鈴音さんと正人」
 手振りを添えて駿一が二人を紹介すると、まず鈴音がお辞儀をした。
「初めまして。今晩はご馳走になります」
「鈴音さんね。可愛い娘じゃない、駿一君も隅に置けないわね」
 すると鈴音はちょっと嬉しそうな顔をした。
「み、みどりさん。そんなんじゃないですから。そしてこっちが正人」
 駿一は赤くなる顔を隠すように正人を紹介する。
「お久しぶりです、みどりさん」
 実は正人は何度かこの店に来たことがある。
「あら、正人君じゃない。最近ご無沙汰してるわね。いつでも夕飯を食べに来てちょうだい」
 みどりさんも正人のことを覚えていてくれたようだ。そしてみどりさんは座敷のテーブルのカセットコンロの上に金属製の鍋を置いた。
「さっきも言ったけど、この鍋はね、ものすごく特殊な鍋なの。加熱しすぎに注意してね。だし汁を加えながら温度を一定に保って使うのよ。じゃあ、ごゆっくり」
 そう言いながらみどりさんはカセットコンロに火を付けた。そしてカウンターに戻ろうとすると、その後姿に駿一が声をかけた。
「みどりさん、部屋は暗くしなくていいんですか?」
「大丈夫よ。その鍋は闇鍋専用の鍋だから」
 いや、闇鍋用の鍋を使うから闇鍋なんじゃなくて部屋を暗くするから闇鍋なんじゃないかと、三人は顔を見合わせる。
「闇鍋って、部屋を真っ暗にするから闇鍋じゃないんですか?」
 今度は鈴音がみどりさんに向かって質問する。
「あははは。それが暗くしなくても大丈夫なのよ。いいから蓋を開けてみなさい。具材はあらかじめ煮込んであるから、もう食べれるわよ」
「それじゃあ……」
 正人が鍋の蓋を掴む。そしてゴクリと唾を飲み込むと、意を決して蓋を開けた。
「えっ!?」
「なにこれ!」
「マジ?」
 三人は一斉に驚きの声を上げる。
 鍋の中には文字通り深い闇が広がっていたのだ。

「すげえ!」
「正に闇鍋だわ」
「中身が全く見えねえ……」
 鍋の中は本当に真っ暗で、中に何が入っているのか全く見えない。ぐつぐつと何かが煮える音だけが闇の中から聞こえて来るのは、なんとも不気味だった。
 それはまるで、鍋の中に宇宙が広がっているような風景。
「じゃあ、僕から行くよ」
 駿一は先頭を切って、恐る恐る菜箸を鍋の中に入れた。
「うわっ、箸に何か当たった。中に何かが入ってるよ」
「そりゃそうだろ、鍋なんだから。おい、駿一。中のものは食べられそうか?」
「そんなのわかんないよ。なんかぐにゃぐにゃしているものが多いけど……、おっ、これは固い。箸が刺さるぞ」
「じゃあ、それを取ってみてよ」
 鈴音も興味津々だ。
「わかった」
 駿一が菜箸を上げると、マジックのように闇の中から具材が姿を現した。それはよく煮えた大根だった。
「どうだ駿一。それは食べられる大根か?」
「匂いは美味しそうだけど……」
 駿一は取り皿に大根を移し、自分の箸で大根を崩して一切れ口に運ぶ。
「うまい。これはおでんの大根だよ。大丈夫、鈴音も取ってみな」
「……う、うん」
 鈴音は駿一から菜箸を受け取ると、恐る恐る鍋の中に入れた。
「ホントだ。なんかぐにゃぐにゃしたものばかりね。あっ、これは特に柔らかい」
 そう言いながら鈴音が取り出したものは、はんぺんだった。
「じゃあ、次は俺な。餅入り巾着、餅入り巾着と……」
 正人が取ったのはがんもどき。どうやら鍋の中身は普通のおでんのようだ。
「どう、その鍋面白いでしょ」
 にこやかな顔をしてみどりさんが戻ってきた。
「これ、すごく面白いです。いったいどんな仕組みになっているんですか?」
 興奮しながら駿一が尋ねると、みどりさんは得意げに説明を始める。
「ふふふふ。この鍋はね、私が前に居た会社の新開発品『闇ガス』を使ってるのよ。光を吸収する性質を持ってるの。その闇ガスが鍋の中に入ってるのよ」
「だからこの鍋はこんなにごっついのか」
「そしてね、鍋の内側はガラスになってるの。鍋の内側に入った光がすべて闇ガスに吸収されるようにね。そうすると鍋の中はこんな風に闇状態になるのよ」
「すげえ、そんな仕組みだったのか」
 正人も目を丸くする。
「中身はもう分かっちゃったと思うけど、お店で出しているいつものおでんよ。だから安心して食べて頂戴ね。でもこうやって食べると普通のおでんだって楽しいでしょ」
「みどりさんって素敵です」
 鈴音はうっとりとみどりさんを見つめていた。
「いやね、照れるわよ。じゃあ駿一君、私は二十分くらい出てくるからあとは任せたわよ。皆さん、ごゆっくり」
 そう言ってみどりさんはお店を出て行った。

 駿一達がおでんでお腹が膨れてくつろぎ始めた頃、突然鈴音が怪訝な顔をした。
「ねえ、今何かパリンって音がしなかった?」
「いや、気付かなかったけど……」
 すると正人が叫びながら鍋を指さす。
「お、おい、駿一。鍋のフチから蒸気みたいのが出てるぜ」
「まずい。おい正人、火を消せ」
 正人は素早くカセットコンロの火を消す。しかし、蒸気みたいなものは相変わらず鍋から出続けていた。
「そういえばみどりさん、鍋の加熱しすぎに注意って言ってたような気がするわ」
「じゃあ、だし汁で冷やさなくちゃ」
 駿一がテーブルの上のだし汁の容器を掴むと、中身はすでに空だった。
「僕、カウンターからだし汁を取ってくる」
「おい駿一、こんな時にそんなこと言ってる場合じゃねえぞ。冷やせるものなら何だっていいじゃねえか」
「ダメだよ、だし汁じゃなきゃ、中のものが美味しく食べられなくなっちゃうじゃん」
「駿一君も正人君も今は言い争ってる場合じゃないわよ。早く鍋を冷やさなきゃ、なんだか大変なことになりそうよ」
 鈴音が見つめる部分の蒸気は、色が白から黒に変わりつつあった。それは鍋の中から闇ガスが漏れ出ている証拠だ。事態は悪い方向に転がっていた。
 そうこうしているうちに、今度はバリンと大きな音がした。鍋が弾けたのだ。それと同時に居酒屋は真っ暗になって駿一達は視界を失った。
「なんだ、真っ暗だぞ」
「何も見えない……」
「闇ガスが漏れ出したのよ」
「おい、みんな怪我はないか?」 「大丈夫よ。きゃっ、誰? どさくさに紛れてどこ触ってんのよ、この鬼畜生!」
「ご、誤解だよ。俺じゃない」
「僕でもないよ。それよりとにかく店から出ようよ」
「わかったわよ。触った人は後で覚悟しなさいよね」
 ぶつぶつと不満を漏らす鈴音を諭しながら、駿一達は手探りで前に進み、やっとのことで店の扉を見つけた。
「やっと外に出れるよ」
 駿一が扉を開けると同時に、皆の視界に光が戻った。
「娑婆がこんなに明るいとは思わなかったぜ」
「ホント、お月様がまぶしいわ」
 居酒屋『みどり』の前に立ち尽くす三人を月明かりが照らしていた。



即興三語小説 第99回投稿作品
▲必須お題:「介入」「宵闇」「計画」
▲縛り:「必須お題を、一文で全て消化する」「現代以外を舞台にする」
▲任意お題:「鬼畜生」「お月様がまぶしい」「手弁当」