おしょうゆさんと私2018年01月22日 21時55分56秒

1.プロローグ

『この刺身、美味いやろ?』
 突然声がした、夕飯中に。
 どこからともなく、耳元で。
『わいのおかげやで』
 誰!?
 初めて聞く声。男の人の声。家族のものじゃない。
 食卓を見回すと、お父さんもお母さんも弟も夢中になって刺身を食べている。
『どこ見とるんや。目の前や、目の前。それに出し過ぎや』
 ええっ、目の前!?
 テーブルの刺身に視線を戻すと、手にした醤油ボトルからポタポタと黒い液体が落ち続けている。
 私は慌ててボトルをテーブルに置いた。
 ていうか、ま、まさか、醤油がしゃべった!?
 驚きの表情を浮かべる私に、お父さんが反応した。
「おおっ、沙希もビックリしたか?」
 えっ? お父さんにも同じ声が聞こえてる……とか?
「そうだろう、そうだろう、今日の刺身は驚くほど美味いだろ?」
 なんだ、そっちのこと?
 私がビックリしたのは刺身じゃなくて声の方だから。
「魚が新鮮ってこともある。だが、しかし、今日の主役は魚じゃないんだ。それが分かったんだよな、沙希にも」
 ヤバい、違いが分かるアピール出ちゃったよ。
 面倒くさいなぁ、スイッチが入ったお父さんの説明って長いんだから……。
 勘弁してほしい私のことはそっちのけで、お父さんは私の目の前にある醤油ボトルを指差した。
「ジャジャーン、今日の主役はこのボトル。醤油の本場、和歌山県湯浅町の醸造元から特別に取り寄せた、最高級たまり醤油の密封ボトルだ!」
『せや!』
 謎の声が合いの手を入れた。
 それはやめて、お父さん、調子に乗っちゃうから。
 しかしお父さんは浮かない様子。
「おいおい、なんでみんな反応しない。湯浅醤油だぞ、日本の醤油発祥の地なんだぞ」
『せやせや、湯浅醤油は日本一やで!』
 だからお父さんを煽らないでよ。って、えっ? その声ってお父さんには聞こえてない? 
 もしかして、聞こえてるのは私だけ?
 その証拠に、すっかり意気消沈してしまったお父さんは、醤油を指差す手を悲しそうに引っ込めた。
「それって、値段はいくらだったの?」
 トドメを刺すお母さんの言葉。
「い、い、いくらって、ま、まあ、この刺身の味に似合う値段だけど……」
「私にはちっとも違いが分かりませんけど」
 お母さんそれ言っちゃダメだって。
 私にはちゃんと違いが分かったよ。だって醤油を垂らすたびに、変な声が耳元でするもん。
「沙希。ご飯が終わったらこの醤油、あんたの部屋に持って行ってちょうだい。お父さんが早く忘れてしまうように」
 鬼だよ、お母さん。
 そんな険悪な雰囲気をよそに、弟は黙々と刺身を食べていた。

 夕食が終わって自室に戻ると、私は醤油ボトルを机の上に置く。
 椅子に座って姿勢を正すと、声の主へのコンタクトを開始した。
「こんにちは」
 が、挨拶をしても反応がない……。
「こんばんわ」
 夜だからこっちの挨拶の方がいいんじゃないかと思ったが、これも反応なし。
 おかしいなぁ、さっきは耳元で声がしたのに。
 私はマジマジと醤油ボトルを眺める。
 そこには「生醤油」の文字の下に、赤い字で説明が書かれていた。

 ――醤油一滴一滴が新鮮な新型密封ボトルです。

 確かお父さんもそんなことを言ってたような……。
 その時、私は閃いた。
「もしかして、密封ボトルだから密閉されちゃってて、私の声が聞こえない――とか!?」
 それならば醤油を出してみればいい。
 私は左手の掌を上に向け、右手に持った密封ボトルから醤油を一滴、掌に垂らしてみた。
 ぷうんと漂う、醤油のいい香り。
 高級醤油だからなのか、密封ボトルだからなのかは分からないが、こんなに素敵な香りは今までの醤油で味わったことはない。
『ええ香りやろ?』
 待ち望んだ声が私の耳元をくすぐった。


2.おしょうゆさん

「ねえ、おしょうゆさん」
『なんや、沙希ちゃん』
 すっかり仲良くなった私達は、すぐに名前で呼び合う仲になった。
 えっ? おしょうゆさんって安易なネーミングだって?
 仕方ないじゃない。最初に思いついたのがこれだったんだから。「黒光りさん」や「発酵大豆汁」とか「Oh! SHOW YOUさん」という案もあったけど、それらよりはマシだと思わない?
 おしょうゆさんと話す時、私は買い込んだクラッカーを一枚取り出し、その上に醤油を一滴垂らす。
 ぷぅんと醤油のいい香り。
 私はおしょうゆさんについて、いろいろと聞いてみた。
「おしょうゆさんは、冷蔵庫に入れとかなくてもいいの?」
『平気やで。なんせ、自慢の密封ボトルやからな』
 詳しく話を聞くと、空気が入りにくい密封ボトルだから常温でも大丈夫らしい。
 普通の醤油がダメになってしまうのは、空気に触れて酸化したり、空気中の微生物によって変質してしまうからだという。
 しかしこの密封ボトルは、空気に触れないように一滴一滴が新鮮な状態で出てくるから、冷蔵庫に入れる必要もないし、醸造時の香りが保たれている。
「でも、おしょうゆさん、空気は人間にとって必要なものじゃないの?」
『空気は必要なもんやけど、悪さをする時もあるんや』
「それは醤油の話でしょ?」
『人間にかて空気は悪さをするで。例えば、沙希ちゃんは仲良い子とは何でも話せるやろ?』
「うん」
『でも学校の教室の中では、本音で話せなくなるってことってあるやん。他の人にどない思われるかって気になってな。それが空気の悪い面や』
「…………」
 まるで和尚さんのようなことを言うおしょうゆさんだった。
『しっかし、ここはめっちゃ乾燥しとるな』
「おしょうゆさんがいたところって、もっとジメジメしてたの?」
『ちゃうちゃう、海の香りや。湯浅はな、潮の香りに包まれた町なんや』
 湯浅? 確かお父さんもそんなこと言ってたなぁ。醤油の本場とかなんとか。
 私は湯浅という町を、スマホのマップで検索してみた。
 すると出てきた、紀伊半島の左側に。おしょうゆさんの言う通り、たしかに海に面している。
『この海から醤油は日本中に広まったんや。小豆島や龍野、銚子や野田っちゅうところにな』
 どうやら、湯浅という町は本当に醤油発祥の地らしい。
 お父さんに言ったら喜んじゃいそうだから黙っておく。


3.悪魔のささやき

 ある日、学校で嫌な事が起き始めた。
 教室の後ろにある掃除用具入れに、生徒を閉じ込めるというイジメが流行り始めたのだ。
 ――止めてあげてよ!
 声を大にして言いたい。
 でもそうすると、今度は自分がターゲットにされてしまう。
 だから、私を含めてクラスメートは皆、見て見ぬふりをした。この間おしょうゆさんが言ってた通りだ。空気の悪い面だった。
 何もできない自分が悔しい。おしょうゆさんに返す言葉がない。
 ん? おしょうゆさん? そうよ、おしょうゆさんだって、密閉空間に閉じ込められているじゃない。
 おしょうゆさんに相談したら、なにかいい解決策を教えてくれるかも?
 だから私は、次の日からおしょうゆさんをカバンの中に入れて登校することにした。

 例のイジメが始まると、私は机の上にちょっと醤油を垂らす。
『どうしたんや、沙希ちゃん』
「クラスメートがいじめられてるの。どうしたらいい?」
『せやな……』
 しばらく間が空いてから、おしょうゆさんが行動を開始した。
『ちょいと、閉じ込められている子の耳元でささやいてくるで』
「そんなことできるの?」
『大丈夫。心に傷を負っている子は、わいの声が聞こえるんや。聞こえんかったら、密室が好きっちゅうことやな』
 それはそれで、救いが無いような気もするけど。
『ほな、言ってくるで』
 おしょうゆさんの行動は、すぐに効果があったようだ。
 というのも、数分後に解放されたイジメられっ子はニヤリと口元を結ぶと、怒りを込めてイジメっ子の耳元で何かをささやいた。
 みるみる青ざめるイジメっ子。大きな衝撃を受けていることは明らかだ。
「ねえ、おしょうゆさん、何てささやいたの」
『あのイジメっ子はな、気持ち良くなりたいところに、ちょいと醤油を垂らす癖があるんや』
 変な性癖だった。
「なんで、おしょうゆさんにそんなことが分かるの?」
『醤油ネットワークやな。日本にはどの家にも醤油があるさかい、このネットワークは最強やで』
 恐るべし醤油ネットワーク。

 次の日も、別のイジメられっ子が別のイジメっ子を撃退した。おしょうゆさんのささやきには、相当な破壊力が秘められているようだ。
「ねえ、今度は何てささやいたの?」
『今日のイジメっ子はな、醤という字を「将に酉」やなくて、「将に西」って書いとったんや』
 いやいや、自分も「将に西」って書いてたわ。
「それも醤油ネットワーク情報?」
『せや。醤の字の恨みは晴らさせてもらったで』
 一体どんなネットワークなのよ。ていうか私もヤバい?


4.おしょうゆさんとの別れ

 どんなことにも別れはつきもの。いよいよ私はおしょうゆさんとお別れする時がやってきた。
『沙希ちゃん、わいはもうダメや』
「ダメって、醤油はまだ四分の一も残ってるじゃない」
『密封ボトルと言ってもな、ほんのちょっとずつやけど空気が入ってきとるんや』
「それって……」
『だんだんと香りが失われるってことや。わいの正体は醤油の香りやさかい』
 いやだ、いやだ、いやだ。
 おしょうゆさんとお別れなんてしたくない。
 私は無い知恵を絞って、解決策を考えた。
「そうだ、醤油の香りを補充すればいいんじゃない?」
『それは無理やで、沙希ちゃん』
「なんで? おしょうゆさんは醤油の香りなんでしょ? だったら香りを足せばいいんじゃない!」
『そん時に空気が入るんや。醸造場に行けば可能やもしれへんけど……』
「そうよ、醸造場に行けじゃいいじゃない!」
『その香りは、もはやわいではなく、わいの仲間っちゅうことやな』
 そんな……。
 私は頭を抱えた。他に良いアイディアなんて思い浮かばない。
『お父はんに新しい密封ボトルを買うてもらえばええやんか。わいの仲間も捨てたもんやないで。すぐに沙希ちゃんと仲良うなること間違いなしや』
 それじゃ、ダメなんだ。私は、おしょうゆさんとずっと一緒にいたいんだから……。
『それよりも沙希ちゃんにお願いがあんねん。最期に潮の香りを嗅ぎたいんやけど』
 だから最期って言わないで!
「潮の香りって、海のこと?」
 それならば、おしょうゆさんの最期の望みを叶えるためには、一緒に海に行かなくてはならない。
 海? 海、海に行く? 私が!?
 それがトリガーだった。海に行く光景を想像して私は固まった。
 ――黒い水、冷たい空、巨大な波。
 記憶の片隅に封印されていたイメージが解放され、私に押し寄せる。
「い、いや、嫌っ! 海には行きたくない、それだけはやめて! お願いだからカンベンして……」
 これが私の心の傷だった。


5.花火平岬にて

「花火平ぁ~、花火平ぁ~」
 電車が駅に着くと、私はおしょうゆさんが入ったデイパックを背負う。これから岬にある灯台に向かうのだ。
 ――花火平岬。
 先端に灯台がある、海からせり上がる岸壁が有名な観光地。
『なんでも、打ち上げ花火が平らに見えるくらい標高が高いっちゅう噂やで』
「それも醤油ネットワーク情報?」
『せやな』
 それほどまでに標高が高いのなら安全だ。私は、おしょうゆさんと一緒に海に行こうと決意した。

「あれはね、七年前だった……」
 灯台への道を歩きながら、私はおしょうゆさんに話しかける。
「大きな津波がこの地域を襲って、従姉妹の麻里さんが行方不明になっちゃったの……」
 麻里さんは何処に行ってしまったんだろう? あの日、彼女の身に何が起きたんだろう?
 それを想像するたびに、テレビで見た津波の映像が私の心に襲い掛かる。
 ――黒い水、冷たい空、巨大な波。
 きっとあの中に飲み込まれてしまったんだ。その恐怖は、まるで自分の身に起きた出来事のように心に刻みつけられた。
 海は危ない、海に近づいちゃダメだ、海を見に行ったら大変なことになる。
「あの日以来、私は海に近づくことができなくなった……」
 七年経った今でも、その恐怖は消えていない。むしろ七年目だからこそ、その事実は重く私の身に迫りつつあった。
「麻里さんはね、私よりも七つ年上だったの」
 何でも知ってる優しいお姉さん。その年の差は、永遠に縮まることはないと思っていた。
「今年、私は麻里さんと同じ年になる。そう思うと、いたたまれなくなって……」
 あの時、麻里さんが何もできなかったとは思いたくない。でも同じ年になった私に何ができるかと問われても、何も答えることができない。
 願いは一つ。津波の被害を軽減したい。
 麻里さんだって、そう願っていることは明らかなのに。
「ねえ、おしょうゆさん。「稲むらの火」って話、知ってる? 火を起こして津波から人々を救ったという人の話」
『濱口梧陵やな』
「そう、濱口梧陵。醤油に関係ないのによく知ってるね、おしょうゆさん。それも醤油ネットワーク情報?」
『関係ないことなんてないで。梧陵はんは、湯浅の醤油商人の子や』
「えっ、そうなの?」
 まさか津波と醤油が、こんな風に繋がるとは思わなかった。
『それに梧陵はんはな、子供の頃、この地域に住んどったんやで』
「ええっ!?」
 私は何か不思議な縁を感じていた。

「私ね、七年前のことを思い出すたびにいつも考えるの。濱口梧陵が生きていたら、もっと多くの人が助かったんじゃないかって。濱口梧陵のことをもっと早く知っていたら、私は麻里さんを助けられたんじゃないかって」
 自分の心を押しつぶしていたのは、そんな自責の念だった。
『沙希ちゃん、人間はそないに完璧やおまへんで。たとえ梧陵はんが生きとったって、結果は変わらんかったと思う』
「何でそんなこと言えるの? 濱口梧陵は藁に火をつけて、人々を津波から救ったのよ」
『それはフィクションや。本当の梧陵はんはな、不覚にも津波にさらわれてしもうたんやで』
「ええっ!?」
 そんなこと初めて聞いた。
「嘘。そんなの嘘よ」
『梧陵はんかて人の子、湯浅の子。不意打ちくらって津波にさらわれてしもうた梧陵はんは、海の中で必死に陸を探したんや。しかし夜で辺りは真っ暗。当時は江戸時代やから、今みたいに街の光もあらへんし。だから運よく陸に上がれた梧陵はんは、すぐに藁に火をつけたんや。海に流された人々に陸の位置を教えるためにな』
 ま、まさかそれが真相だったなんて……。
 自分の中で神格化されていた濱口梧陵のイメージが崩れ去った瞬間だった。
『「稲むらの火」は、この話をもとにして作られたフィクションや。でもな、梧陵はんが偉いのはここからなんやで。二度と同じ悲劇を繰り返さんようにと、私財を投じて堤防を建設したんや』
 そんなことがあったとは……。
 そうか、濱口梧陵も私も同じなんだ。
 あの時に何もできなかったことを後悔するんじゃなくて、これから何ができるのかを考えなきゃいけないんだ……。
『おおっ、海の香りや。懐かしい潮の子守歌や』
 気がつくと目の前に白い灯台が迫っていた。岸壁に打ちつける波の音もかすかに聞こえてくる。
『おおきに、ホンマにありがとな、沙希ちゃん。わいはそろそろお別れや……』
「おしょうゆさん、もうちょっと待って。灯台まで連れて行ってあげるから」
『沙希ちゃんは今、七年前の悲しみを乗り越えようとしとる。せやから、もう大丈夫やと思うで』
「そんなこと言わないで。ほら、もうちょっとで海を見せてあげられるから」
『ほな、さいなら……』
「海だ! 海が見えた! おしょうゆさん、海だよ!!」
 おしょうゆさんの返事は、これ以上私の耳に届くことはなかった。

 
6.エピローグ

 あれから三か月後。
 私はお父さんに連れられて湯浅町を訪れていた。
 ――醤油の醸造場が建ち並ぶ北町通り、そして醤油を運び出していた内港の大仙堀。
 確かに湯浅は醤油と潮の香りに包まれた町だった。
 お父さんは懲りもせず、高級たまり醤油の密封ボトルを買っている。
 私もちょっと左の掌に醤油を垂らして、味見させてもらう。
 ぷうんと漂う醤油のいい香り。
 でも、耳元には何も聞こえてこなかった。

『もう大丈夫やと思うで』

 おしょうゆさんの最後の言葉が脳裏に蘇る。
 本当にそうなのだろうか?
 いまだに海を見に行くのは恐い。でも、津波にさらわれた濱口梧陵がその恐怖に負けずに頑張ったエピソードを思い出すと、負けてはいられないと思えるようになった。
 
 お父さんにお願いして、湯浅町の隣の広川町も訪問した。そこは、濱口梧陵が藁に火をつけて村人を誘導した場所だ。
 記念館である「稲むらの火の館」や、震災後に濱口梧陵が私財を投じて建設した広村堤防も見に行った。
 堤防の上に立って考える。
 私には一体、何ができるのだろうか――と。
 その小さな一歩として、私はおしょうゆさんとのエピソードを書いてみることにした。
 津波で悲しむ人が一人でも少なくなりますように、と願いを込めて。


 おわり



ライトノベル作法研究所 2017‐2018冬企画
テーマ:『密室』

水色の散歩道2017年12月20日 01時00分02秒

 N社が大層美しい遊歩道を寄贈したということで、その記者会見に出席した。
「今回、弊社がS市に施設したのは空色の散歩道です。絶景で有名なウユニ塩湖のような体験をお楽しみいただけます」
 ほお、それはすごい。一体どんな散歩道なのか。
「それを可能にしたのは弊社のミラーシート技術です。全長五キロに及ぶ歩道に取り付けました」
 ミラーシートだって?
 すると女性記者が質問する。
「あのう、それってスカートの中も丸見えってことですか?」
「それにはご心配なく。歩道は凸面となっており下着が凝視されることはありません。また弊社の技術力をしても傷には勝てず、鏡としての性能はすぐに劣化します」
 ため息に包まれる会場。一体どの部分に落胆したのか。
「しかし散歩道の本領発揮はここからです。注目は雨上がり。ウユニ塩湖の輝きを取り戻すのです」
 ほお、雨上がりが見頃とはなんとも一興な。
「なぜS市が選ばれたのですか?」
「天空率の高いS市の地理が適していたからです」
 確かにこれは重要だ。
 しかし真の意味を知るのは後日、飛行機で上空を通過した時だった。
「これがやりたかったのか……」
 S市の街並みの中でキラキラと輝いていたのは巨大なN社のロゴだった。



500文字の心臓 第159回「水色の散歩道」投稿作品

出てって2017年10月24日 07時55分52秒

 井戸の中を覗いたら中から声が聞こえてきた。
「出てって」
 いやいや、俺は中になんて入ってないし、入るつもりもない。
 不思議に思っていると、真っ暗な井戸の底から異様な熱気が込み上げて来る。
 俺は慌てて後ずさった。なにか得体の知れないものが出てくるような気がしたのだ。
「出てって!」
 引き続き声がする。通告を受けているのは俺ではなく、まだ地下に留まっている何かのようだ。
 その正体は何? 幽霊? それとも妖怪?
 そんな恐ろしいものが出てきたとしても、ちらっと見てみたい衝動に俺は駆られていた。
「出てってよ!」
 繰り返すその退出通告は、予想外に太くて低い声だったから。

(追記11/17:haruさんに朗読していただきました)



500文字の心臓 第158回「出てって」投稿作品

百年と八日目の蝉2017年08月30日 22時14分12秒

「博士、すごい発見をしました!」
「おお、何の発見じゃ?」
「最近、蝉の成虫の寿命がのびているんです。この十年間で、確実に二時間半ほどのびました!」
「おお、すごいぞ。ということは、百年経てば寿命が一日以上のびるということじゃな」
「そうなんです、博士。『蝉の寿命は一週間』という定説が崩れるんです」

 九十年後。
「博士、ついに蝉の成虫の寿命は百年前よりも二十五時間のびました!」
「おお、地道な研究が実を結んだの。これで定説が崩れた、すぐに論文発表じゃ!」
「はい。でも、人間の寿命ののびに比べたら微々たるものですが・・・」



500文字の心臓 第157回「百年と八日目の蝉」投稿作品

アキ缶プリンセス2017年08月28日 23時10分05秒

 日名川第二高校。
 昭和初期の工場跡地に建てられたこの高校は、古びたレンガの塀に囲まれている。
 その高さは三メートルほど。
 工場の機密を守るために、そんな高さにしたのだろうか。現在では高校生の出入りを許さない高い壁となって、ぐるりと学校を取り囲んでいた。
 レンガ塀の南側は県道に面し、校舎の前には立派な正門があった。
 一方、敷地の東、北、西側は、静かな住宅街に面している。
 そんな日名川第二高校には開かずの門があった。
 ――北門。
 レンガの壁に埋め込まれる形でひっそりと佇む北向きの鉄製の扉は、十年前から一度も開かれたことはない。

 北門の隣には、清涼飲料水の自動販売機がある。
 門が開かれていた時代に、二高生をターゲットに設置されたものだろう。しかし門が閉ざされてしまった現在では、住宅街を散歩する人が時たま利用する程度だった。
 ここで注目したいのは、この自売機ではなく、隣の古ぼけたゴミ箱である。
 空に大きく口を開いた、よく公園などに置いてある金属メッシュの円形ゴミ箱。
 そこに捨てられる空き缶の数には、不思議な特徴があった。というのも、隣の自売機で売られる缶よりはるかに多い缶が捨てられるのだ。しかも、自売機で売られていない銘柄も含まれている。
 家庭ゴミが持ち込まれた、と思う方もいるだろう。しかし、増やされる缶はビニール袋に入っているわけでもない。毎日毎日、ちょっとずつ増えているのだ。
 それもそのはず、増える空き缶はレンガ塀の内側から投げ入れられたものだったから。

 ――カラーン、カラカラカラ、カラ、カラ……。
 今日も放課後になると、レンガ塀の内側から空き缶が飛んでくる。
 当然、すべての缶がゴミ箱に入るわけでもなく、標的を外れた空き缶は甲高い音を立ててアスファルトを転がった。
「今日も始まった……」
 その様子を住宅街の影から観察している一人の少女がいた。
 彼女の視線は、転がる缶に向けられている。
「あの人が来る……」
 およそ三分後に訪れるであろう光景に、少女は胸をときめかせる。
 これは、そんな不思議な少女と、ある男子高校生との物語――
 

 ◇
 

「空知、空知、空知っ!」
 日名川第二高校サッカー部室の近く、北門裏ではコールが湧き起こっていた。
 上川空知(かみかわ そらち)。一年生。
 名前を連呼された彼は、空き缶を一つ手にして緊張した面持ちで初夏の夕空を見上げる。
 ――朝のまったりブラック。
 これからその銘柄の空き缶を蹴り上げるのだ。
 ターゲットは、北門と約二メートル離れた電柱との中間地点。そのちょうど裏側にゴミ箱が存在する。
 ――この缶ならできる!
 缶を見つめながら気合を込める空知。ちなみにこの銘柄は、部内では彼だけが飲んでいるブラックコーヒーだ。
「おいおい、早くしろよっ!」
「外すなよな!」
 空知は缶を小さく前に投げると、右足を振りかぶった。
 シューズの甲の部分で優しく缶の縁をミートする。くるくると逆回転がかかった缶は三メートルの高さのレンガ塀の上部に向かって飛んで行く。
「おっ、いいコースだ」
「今日はパーフェクトか!?」
 しかし、部員たちの願いはすぐに落胆に変わる。
 ――カラーン、カラカラカラ、カラ、カラ…………コン。
 塀の向こう側へ消えていった空き缶は、皆の期待に反し甲高い音を響かせた。
「なんだよ、また外したのかよ」
「ほらほら、拾いに行ってこいよ!」
 ちゃんとゴミ箱に入っていれば、カシャリと小さく金属音がするはずだった。実際、今まで缶を蹴った先輩たちは、カシャリと見事にゴミ箱に蹴り入れていた。
「くそっ! 空知、行ってきます!」
「ダッシュだぞ」
 空知は正門に向かって走り出す。北門が開いていれば、門をくぐって一瞬で空き缶を拾うことができるのだが、閉まっている現在は正門を経由してぐるりと大回りしなくてはならない。
 まずは正門までの距離、直線で百五十メートル。正門からは壁沿いに道路を走って北門まで約五百メートルの道のりだ。往復で一キロを超える罰走は、練習後の疲れた体を容赦なく鞭打つ。
「ふふふふ……」
 しかし、今の空知は違っていた。不気味な笑みさえ浮かべている。正門に向かって走りながら。
「うまく外れてくれたぜ……」
 そう、空知はわざとゴミ箱に入れないように空き缶を蹴っていたのだ。
 ある女の子に会うために。

 ――俺たちが蹴った缶を拾いに来る女の子がいるらしい。
 ――その子、むちゃくちゃ可愛いんだって?
 
 そんな噂が部内に広まったのは、つい一ヶ月前のこと。
 情報源は、空知と同じ一年生の直之だった。
『缶を拾いに行く時、ポメラニアンを散歩させている女の子とよくすれ違うんだよね』
 彼もまた、ゴミ箱に缶が入らない罰走常連者だった。
『それがすっごく可愛くって』
 可愛いのは女の子なのかポメラニアンなのかは不明なのだが。
 しかし、決定的だったのは次の彼の証言だった。
『彼女が持ってるビニール袋、犬のウンチ用かと思いきや空き缶が入ってたんだよ。しかも俺たちが蹴った缶だった』
 それ以来、変な噂が広まったのだ。
 可愛い女の子が部員の蹴った缶を拾いに来る――と。
 正体不明のその女の子は、いつしか”空き缶プリンセス”と呼ばれるようになっていた。
 
 下校する生徒たちの脇をすり抜けながら正門の外に出た空知は、右に曲がって県道を西へ走る。陽はすでに沈み、正面に見える山々は真っ赤な空のシルエットとなっていた。
 西回りを選んだのは、東回りよりも三十メートルほど距離が短いという理由からだ。
 レンガ塀に沿って走る空知は角を二回右に曲がる。すると、遠くに北門の自売機が見えてきた。が、残念ながら、噂のプリンセスの姿はない。
「ちぇっ……」
 舌打ちをしながら北門に着いた空知。朝のまったりブラック缶は、ゴミ箱から一メートルくらいの場所に転がっていた。
「今日も会えなかったか……」
 あたりをキョロキョロと見回しながら缶を拾う。が、やはり周囲に人の気配はない。家々の窓に灯がともり始めた住宅街は、夕飯の支度で大忙しのようだ。
 カシャリとゴミ箱に空き缶を捨てた空知は、レンガ塀の内側に向かって声を上げる。
「空知、缶を捨てました!」
 すると塀越しにキャプテンの声が返ってきた。
『よし、行きは三分五秒だ。帰りは三分切るぞ! スタート!』
 ちぇっ、もうスタートかよ。いつもながらに鬼だな、キャプテンは。
 そんな恨み節を噛み殺しながら、空知は走り出す。
 結局、今日もプリンセスには会えなかった。これでは無駄走りと言っても過言ではない。

 その時だ。
 右側の住宅街の路地に、チラリと人影が見えたような気がした。
 その姿は女の子のようだった。

 ――もしかして、あれがプリンセス?
 戻って確かめたい。でも、そうすると三分を大幅にオーバーしてキャプテンに怒られる。
 結局、空知は走り続けることを選択した。
 ――でも、なんで彼女は隠れているんだろう?
 北門周辺が騒がしいから? 走って来るサッカー部員がうっとおしいから?
 いろいろな可能性が空知の頭の中に浮かんでくる。それらが導き出す答えは、いずれもサッカー部員がいなくなるのを待っているということだった。つまり、プリンセスが現れるとしたら、空知が走り去った正に今。
「おおっ、すごいぞ空知。帰りは二分五十五秒だったぞ」
「ありがとうございます、キャプテン! では、失礼します!」
 だから部室に着いた空知は再び走り出す。
 プリンセスに会うために。
 正門を抜けて、レンガ塀沿いに走ること約三分。しかし、自売機の周辺には誰もいなかった。
「なんだよ、またもや無駄足かよ……」
 脱力した空知は、ゴミ箱の縁にお尻を当てて寄りかかる。ゴミ箱にくくり付けられた重りがカタカタと音を立てた。
 見上げる空は、すでに紫色に染まりつつあった。自売機を照らす電柱の街灯に、虫たちがブンブンと飛んでいる。
「本当にプリンセスなんているのか……」
 バカなことをしちまったとぼやきながら、空知はふとゴミ箱の中を覗いた。
「えっ?」
 空知は気付く。
「無い!?」
 あるはずの物が無いのだ。
「そんなバカな、さっき捨てたばかりなのに……」
 一番上にあるはずの朝のまったりブラック缶が消えていた。


 ――やっぱりプリンセスはいるんじゃないのか?
 それが空知の出した結論だった。
 捨てたばかりの朝のまったりブラック缶が忽然と消えた。明らかに、誰かが持ち去ったとしか思えない。業者が回収したのであれば、缶はすべて無くなっているはずだ。
 ――では、いつ?
 それは明らかだ。
 空知がゴミ箱に到着した時、朝のまったりブラック缶はまだアスファルトに転がっていた。
 その缶をゴミ箱に捨てて部室まで三分。その後、ゴミ箱に戻って来るまで三分。つまり、この六分間に空き缶が持ち去られたことになる。
 ――どうしたら会える?
 これが一番の問題だ。
 罰走で空き缶を拾いに行ったら、会うことはできない。
 なぜなら、鬼のキャプテンがタイムを測定しているからだ。缶をゴミ箱に入れた瞬間、部室に向かって走り出さなくてはならない。
 ――この難問さえクリアできれば……。
 プリンセスに会ってみたい。チラリと姿が見えた、あの女の子に。
 空知は自宅のベッドで天井を見上げながら、いつまでも作戦を考えていた。


 ◇


 次の日の朝。
「空知、空知、空知っ!」
 朝練が終わった北門裏は、サッカー部員で盛り上がっていた。
 朝のまったりブラック缶を右手にしっかりと握りしめながら、空知は昨晩考えた作戦を思い出す。
 ――この缶ならできる!
 そして小さく前に投げ、右足を振り抜いた。
 甲の部分で優しくミートした空き缶は、クルクルと逆回転しながらレンガ塀の上部へ向けて飛んでいく。そして塀に当たるか当たらないかスレスレの高さで超えていった。朝の日差しを浴びてキラキラと光りながら。
 緊張の一秒間。
 ――カシャリ。
 缶は見事、ゴミ箱へ。
「よっしゃァァ!」
 ガッツポーズをしながら空知は後ろに下がる。そして、入れ替わりに前に出ようとする直之に、すれ違いざまに一言つぶやいた。

「昨日、プリンセスを見たぜ」
「マジか?」

 これが空知の作戦だった。
 直之だってプリンセスに会いたいはずだ。蹴る直前にこんな風に言われれば、きっと彼は缶を外すだろう。
 しかし、たとえ缶を外せても直之は決して彼女に会えることはない。それは昨日、空知が実証済みだった。
「直之、直之、直之っ!」
 部室前が直之コールに変わる。
 直之は壁の前で、”午後のシャキッとコーヒー”缶を握りしめた。いつもとは違う緊張の面持ちで。
 この緊張の意味がわかるのは空知だけだった。というのも、缶を入れようとする緊張ではないからだ。
 ――どうやったらごく自然に缶を外すことができるか。
 これほど高度で危険な技はない。バレたら、真剣に蹴っている先輩方をバカにする行為とみなされる。
 意を決し、直之が缶を小さく前に投げる。そして右足を振り抜いた。
 クルクルと回りながら、午後のシャキッとコーヒー缶がレンガ塀の上部に向かって飛んでいく。その軌跡を見ながら空知はつぶやいた。ナイス直之、と。
 ――カラーン、カラカラカラ、カラ、カラ……。
 塀を超えた空き缶は、アスファルトに当たって甲高い音を立てた。
「なんだよ、直之ィ~」
「そうだよ、今日は空知も入れたのに」
「スイマセン!」
 先輩たちに謝りながらも、直之はきっと心の中でペロっと舌を出しているのだろう。
「じゃあ、今日の朝練はこれで解散! 直之は缶を拾いに行ってこい。スタート!」
 キャプテンの掛け声と共に、直之は正門に向かって走り出す。
 そして空知も、引き上げる振りをしながら正門に向かって走り出した。

 ――直之に空き缶を拾いに行かせる。
 空知の作戦の第一段階は成功だ。
 もしプリンセスが現れるとしたら、直之が缶を拾って部室に戻る間の数分間だろう。となれば、すぐさま直之を追って北門に向かわなくてはならない。
 正門を抜けた空知は、直之とは逆の左側に曲がる。東回りのルートで北門へ向かうためだ。距離は西回りよりも若干長いが、直之と鉢合わせする心配がない。
 塀に沿って住宅街を走り、二回目の角の前で立ち止まる。レンガ塀に隠れて空知がそっと北門の方を伺うと、缶をゴミ箱に捨てた直之が再び走り出すところだった。
「ナイスタイミング!」
 北門前の通りを向こう側に走って行く直之。その姿がだんだんと小さくなる。そしてレンガ塀の角を左に曲がり、北門前の通りから消えた。
 プリンセスが現れるなら、今だ。
 すると、住宅街の路地から一人の女の子が現れた。制服姿で、キョロキョロと辺りを見回しながら。
「おおっ!」
 やっぱりいたんだ、噂のプリンセスは!
 興奮を抑えながら空知は息をひそめる。レンガ塀を掴む手のひらに、じわりと汗が滲んできた。
 女の子は通りに誰もいないことを確認すると、そそくさとゴミ箱に近づいた。
 白のブラウスに紺の無地のスカート。どうやら彼女も高校生のようだ。きっと登校前なのだろう。
 スカートの腰の部分がちょうどゴミ箱の上部と同じだから、背の高さは百五十センチくらいと推測される。一方、空知の身長は百七十センチだった。
「あれ? あの制服って、どこかで見たことがあるような……」
 空知はその制服に見覚えがあった。
 少なくとも二高の制服ではない。二高の女子のスカートは、濃いグリーンを基調としたチェック柄だ。
「ま、まさかの一高……?」
 日名川第一高校。
 この地域の秀才が通う公立の進学高だ。あの地味なスカートは一高の制服に間違いない。
 その時。「きゃっ!」という小さな悲鳴と同時にガシャリと金属音が響く。ゴミ箱の中の缶に手を伸ばした女の子がバランスを崩し、中に落ちてしまったのだ。
 ゴミ箱に上半身を突っ込んだまま、バタバタともがく女の子。スカートがめくれないよう手で抑えるのに必死で、外に出ることができない。
「おい、おい、おい。命と空き缶とパンツ、どれが一番大事なんだよ!」
 右手で空き缶、左手でスカート。さすがにその状態ではゴミ箱からの脱出は不可能だ。
 思わず空知はレンガ塀の影から飛び出した。
 そして女の子に近寄り、ゴミ箱を重りごと斜めに傾けて彼女を救出する。ビンクの布地がチラリと見えたような気もするけど、それは内緒だ。
「大丈夫か?」
「す、すいません。助けていただき、ありがとうございます」
 ゴミ箱から脱出した女の子が、アスファルトにぺたんと女の子座りしたままお礼を述べた。
 そして空知を見上げたとたん、「あっ!?」と表情を変えた。
「そ、空知くんが、なんで?」
「えっ?」
 驚いたのは空知の方だった。
 大きな二重の瞳に柔らかそうな頬、そして天然パーマがかかったショートの髪が耳元を隠すよう緩やかにカールしている。その容姿は正に空知の好みそのもの。これほどドンピシャな子に、今まで出会ったことはない。
 そんな初対面の女の子に、いきなり名前を呼ばれたのだ。
 すると女の子はいそいそと立ち上がり、「ごめんなさい。失礼します」と住宅街へ駆けて行った。午後のシャキッとコーヒー缶を握りしめながら。
 その後ろ姿を、空知は呆然と眺めるしかなかった。


 その日の授業は、全く集中できなかった。
『そ、空知くんが、なんで?』
 驚いたように空知を見上げる女の子の顔が、何度もフラッシュバックする。
 また会いたくて、その顔が見たくて、勉強なんてする気が起きないのだ。
 しかし、その顔には全く心当たりが無かった。にも関わらず、彼女は空知の名前を知っていた。
 中学校が一緒というわけでもない。それに彼女は空知の通う二高ではなく、一高の制服を着ていた。
「一高の生徒が、俺のことを知っているわけが……」
 いや、あるかも。
 空知は、ある可能性について考え始めていた。


 ◇


「おい、空知。お前ひでぇ奴だな」
 放課後になって部活に行くと、いきなり直之が絡んできた。
 目が笑っていない。空知は小さく身構える。
「抜け駆けしやがって。プリンセスに会うために、今朝は俺を出汁に使っただろ? キャプテンから聞いたぞ」
 皆に気づかれないように正門へ向かったはずなのに。キャプテンにはバレバレだったのかと空知は苦虫を噛み潰す。
「そんでもって、プリンセスはお前の知り合いだったんだって?」
「はっ? 違うよ。誰だよ、そんなこと言ってんのは!?」
「キャプテンだよ。北門越しに聞いたって言ってたぞ、『空知くん』って女の声がするのを」
 まさか、あれを聞かれていたとは!
 正に鬼のキャプテンだと空知は恐怖する。
「俺も驚いたんだよ、見知らぬ女の子に名前を呼ばれてさ」
「ふーん」
 疑いの目で空知を見る直之。
「だから本当だってば。信じてくれよ」
 腕組みをする直之に、空知は目で訴えた。数秒間の沈黙の末、仕方ねえなと直之は表情を崩す。
「それで? どんな感じだった? プリンセス」
 むちゃくちゃ可愛かったよ、と言いたくなる衝動をぐっと堪え、空知は彼女の制服に言及する。
「彼女、一高の制服を着てた」
「えっ……」
 空知の言葉に、直之は絶句した。
「マジかよ、彼女、ウチの生徒じゃなかったのかよ……」
 それはまるで、追い求めていた女性が高嶺の花であるかのように。
 直之はすぐに気を取り戻し、握る拳に力を込めた。
「でも俺はあきらめねえ。プリンセスは正にプリンセスだったんだ。そんな彼女は、俺が蹴った缶を柔らかなその手で回収してくれるんだ」
 空に向かって両手を広げる直之。
 幸せなやつだと空知は呆れる。まあ、彼の蹴った空き缶をプリンセスが回収していったことは紛れもない事実だったわけだが。
「名前を呼ばれたっていうのに、本当に空知はプリンセスのこと知らなかったのか?」
「ああ、見たことがない顔だった」
「それって、空知がプリンセスのことを知らなくても、彼女は空知のことを知っていたってことだろ?」
「まあ、そういうことになるわな」
「もしかしたら、空知って一高でも有名人なんじゃねえの? あいつのせいでさ」
「あいつって……あいつか。やっぱ、そう思うか? 俺もそれしかないって気がしてたんだが……」

 ――二高に通う空知が、一高で有名人となる可能性。
 入学して間もない空知にとってはかなり難しいことだと思われるが、二人には思い当たる節があった。
 上川十勝(かみかわ とかち)。日名川第一高校の一年生。
 空知と瓜二つの、双子の兄の存在だ。
 十勝が一高で双子であることを吹聴していれば、空知はたちまち有名人になれるに違いない。
『実は俺、双子なんだけど』
 それは耳元でささやくだけで、どんな女の子だって興味を持ってくれる魔法の言葉だから。
 ちなみに空知と十勝と直之の三人は、中学校が一緒だった。

「きっと冷やかしに来たんじゃねえの? 十勝から聞いてさ、双子の弟が二高にいるって」
「おい、もう一回言ったら殴るぞ、直之」
 双子であることを言われるのが最も嫌いな空知だった。
 一方、十勝だって同じ気持ちのはず。その十勝が自ら双子であることを言いふらすとは、どうしても空知には思えなかった。
「なんだよ、俺に怒るなよ。もしそうなら、悪いのはプリンセスの方じゃねえかよ」
「…………」
 ゴミ箱の前で出会った彼女。
 あの時の驚きの表情は、冷やかしに来て偶然会えたという驚きだったのか?
 でも、彼女は「なんで?」と言った。冷やかしだったら、もっと別の言葉になるような気もする。
「悪かったよ、双子のこと言ってさ。でも、今朝の借りはきっちり返してもらうぞ。今度は空知が缶を外す番だからな」
「ああ、わかったよ……」

 その日の空知は、部活も集中することができなかった。
『きっと冷やかしに来たんじゃねえの?』
 今度は、直之の言葉がグルグルと頭の中を回って離れなかったからだ。
 空知は全力で否定したかった。あんな可愛い子はそんなことしないって。
 でも考えれば考えるほど、直之の推測が正しく思えてくる。
 授業中、空知も同じことを考えていたが、その時は自分自身で否定した。十勝だって双子であることをあまり他人には知られたくないはず――という自分勝手な推測に基づいて。
 しかし、他人として客観的に状況を見ることができる直之は、空知の懸念をあっさりと肯定してしまったのだ。少なくとも、初対面のプリンセスが空知の顔を知っているということは、彼女が普段から双子の兄、十勝に会っているとしか思えない。
「空知、空知、空知っ!」
 だから、部活後の缶蹴りも身が入らなかった。
 ――冷やかしに来るようなやつには会いたくない。
 適当に蹴った朝のまったりブラック缶は、レンガ塀の向こう側でカーンと甲高い音を立てた。
「おいおい、空知。真面目にやれよ!」
「そうだよ、みんなでパーフェクト狙ってんだからさ」
 先輩方にも、気の無い蹴りであったことはバレバレだ。
「申し訳ありません! 空知、缶を拾いに行ってきます!」
 まあ、これで直之との約束通りになった。
 こんな嫌々な走りをプリンセスは影から見ているのだろうか。
 しかし三分後に北門に着いた空知は、そこで見た光景に驚く。転がったはずの朝のまったりブラック缶が、ゴミ箱の横のアスファルト上に立っていたのだ。
 おまけに、缶には付箋紙が貼ってある。

『今朝のお礼がしたいので、七時に駅前で待ってます』

 薄ピンクの付箋紙には、綺麗な文字でそう書かれていた。


 ◇


 急いで部室に戻った空知は、制服に着替え、駅へと向かう。
 二高から駅までは歩いて十五分。一キロちょっとの道のりだ。まだ六時四十分だから、ゆっくり歩いても余裕がある。
 今頃、直之はレンガ塀の影から北門を観察しているのだろう。が、おそらくプリンセスは現れない。だって、彼女も空知に会うために駅に向かっているはずだから。
 直之に申し訳ないと思いながら、ちょっとした優越感に浸る。プリンセスは直之じゃなくて自分を選んだのだと。
 しかし、それは最初のうちだけだった。
 だんだんと湧き起こってきたのは、ガツンと文句を言ってやろうという決意。双子をバカにするやつは絶対に許せない。空知だって、双子で生まれたくて生まれたわけじゃないし、十勝とそっくりになりたくてなったわけでもない。
 しかし駅が近づくにつれて心臓の高まりを抑えきれなくなると、また別の感情が空知の頭を支配し始めた。
 汗臭くないかとか、髪が砂埃でゴワゴワしてないかとか、もっと丁寧に顔を洗ってくればよかったとか。
「空知くーん、こっちだよ!」
 そんな空知を、プリンセスは手を振って迎えてくれた。とびっきりの笑顔で。
 白のノンスリーブのトップス、紺のキュロットスカート、そして足元の白いサンダル。
 デートの待ち合わせって、空知にそんな経験はなかったが、こんなにもドキドキするものなのかと胸を熱くする。
「今日は来てくれてありがとう。お気に入りのお店があるから、そこに行かない?」
 プリンセスに連れられて入ったのは、駅前のビルの二階にあるお洒落な喫茶店だった。

「今朝は本当にありがとう。不覚にもゴミ箱に落ちてパニクっちゃった。えへへ……」
 向かい合って席に座ると、最初にプリンセスが切り出した。
「君が来てくれなかったら、私、死んでたところだよ~」
 そんなバカなと思いながら、空知はぐっと笑いを堪える。
 確かに彼女は可愛い。冗談を言う姿なんて、ずっと眺めていたくなるほど愛らしい。
 でもそんな色香に騙されてはいけない。双子を冷やかす行為は、決して許しておけないのだ。
「今日は何か奢らせて? ほら、部活で疲れた体にも甘いものがいいって言うでしょ?」
 こんなやつに奢ってもらうわけにはいかないと、空知はついに口火を切った。
「申し訳ないけど、今日はやめておく。俺は君のこと、何も知らないんだけど。それに俺のことは、十勝に聞いたんだろ?」
 つい強い口調になってしまう。
 空知に気圧されて、彼女は表情を曇らせた。
「と、十勝……くん?」
「とぼけなくったっていいよ。俺の双子の兄貴。日名川第一高校の一年生。俺のことは兄貴から聞いたんだよなッ?」
「えっ? う、うん……」
 消えゆくような彼女の声。一瞬、可哀想と思ったが、ここははっきりさせておいた方がいい。
「何で缶を拾ってるのか知らないけど、双子をバカにするんだったら俺は許さない。もし、他の理由があるんだったら、教えてくれないか?」
 しばらく俯いて黙っていた彼女だが、やって来た店員に二人分の飲み物を注文すると、ポツリポツリと話を始めた。
「私ね、北門の近くに住んでるの。名前は日高アキ。日名川第一高校の一年生」
 道理で、と空知は納得する。北門の近くに家があるなら、犬を散歩する姿を直之に目撃されても不思議ではない。
「それでね、パパに命令されてるの。空き缶を拾ってこいって。遺伝子検査をするからって」
「遺伝子検査?」
 聞きなれない単語に、空知は困惑する。
「うちのパパ、遺伝子分析が専門なの。聞いたことない? 日高博士って?」
 日高、日高、日高、と頭の中で復唱して、ようやく空知はある人物に思い当たった。
「日高博士って、ええっ、テレビでよく見るあの日高博士!?」
「うん」と小さくうなづくアキ。
 空知は驚いた。
 日高博士といえば遺伝子捜査の権威で、民放の警察の特別捜査に関する特番や、某国営放送のその手の科学番組には必ずといっていいほど出演している。最近ではコメンテーターとしても引っ張りダコで、週末の情報番組で見かけることも多い。ダンディで、おばさま方にも人気の科学者だ。
 言われてみれば、目の前のアキは目元などが日高博士とそっくりかもしれない。
 いきなり飛び出した有名人の名前に、空知はすっかり恐縮した。
「そ、そ、それで、その日高博士は俺たちの缶を集めて、何をしていらっしゃるんでしょう……?」
 まさか、塀越し缶蹴りという悪事を暴かんとする国家権力の差し金なのか。
 動揺が空知の言葉を震わせる。
 一方、アキの方は顔を真っ赤にして俯いていた。
「そ、そ、それは、とっても恥ずかしいことなんだけど……」
 そして消え入りそうな小さな声でこう言った。
「気になってる人がいたら、遺伝子検査をしたいから、その人が飲んだ空き缶を持ってこいってパパが言うから……」
 そうか、そういうことだったのか。
 キーワードは遺伝子だったんだ。
 空知はやっと理解する。彼女の目的は双子をからかうことではなくて、十勝と同じ遺伝子が欲しかっただけなのだと。
 双子であることを十勝が言いふらすわけがないと思っていた空知は、アキの説明を聞いてすべてが腑に落ちたような気がした。きっと彼女なりに調べたのだろう。十勝に双子の弟がいることや、弟である空知が二高に通っていることを。十勝の中学校時代の同級生に聞けば、簡単に分かることだ。
 そして同時に、彼女に対する熱意がすうっと冷めていくのを感じていた。双子の弟の唾液を分析することによって、兄を遺伝子レベルで品定めしようなんて、この親娘の行動はマニアックすぎて恐ろしい。
「遺伝子検査って、そんなにすごいのか?」
 だから空知はアキの真意について追求するのをやめた。自分に気の無い女の子の気持ちを覗いても意味がない。
「そりゃ、すごいわよ」
 アキは目を輝かせながら喋り出す。
「これはパパの受け売りなんだけどね。空き缶に付いた唾液から遺伝子を抽出すると、その人のいろんなことが推測できるの。瞳や髪や肌の色、顔の形、しみやそばかすの有無までわかっちゃうんだから」
 ほんのちょっとの唾液でそんなことまで判明するとは、なんとも恐ろしい。
 それにしても、さすがは日高博士の娘。遺伝子の話が止まらない。
「それでね、そんな遺伝子情報を利用して、香港のNGOが二〇一五年にすごいことをやったの。なんでも、『この人がポイ捨てをした人です』って、遺伝子情報から割り出した合成顔写真をポスターにして街中に貼ったのよ。ポイ捨てした人、真っ青よね。パパはその上をいく研究をしようとしているみたいなんだけど」
 親も親だけど、アキも本当に遺伝子のことが好きなようだ。
 好きなことを話している女の子は本当に可愛い。
 そんなアキの姿を眺めているだけで、あっという間に一時間が過ぎてしまった。
「ごめんね、私ばっかり喋っちゃって」
「いや、構わないけど」
「こんな私でよければ、また会ってほしいな……」
 今日は遺伝子の話ばかりになってしまった。アキだって、十勝のことをもっと知りたいはずだ。
 でも会うためだけに、メールアドレスやラインを交換するのもなんだか違うような気がした。アキと十勝が付き合い始めたら、それまでのやりとりを見るのが辛くなるのは明らかだったから。
 だから空知は提案する。
「だったら、また空き缶に付箋紙を貼ってよ。朝のまったりブラック缶にさ。部内では俺だけが飲んでるコーヒーだから」
 これなら後腐れもない。
「うん、わかった」
 こうして、空知とアキの不思議な関係が始まった。


 ◇


『七時に狐寝公園で待ってます』
 アキが付箋紙で指定するのは、いつも北門の近くの小さな公園だった。
 空知が着替えて公園に行くと、ポメラニアンを散歩させるアキが待っていた。直之の言葉通り、アキに負けないほど可愛い犬だった。
 住宅街の中にある公園にひぐらしの鳴き声が響く。紫色に染まる空と灯りがともり始めた外灯。隣接する住宅から夕飯の匂いが漂ってくる。
 二人は公園のブランコに並んで座り、四方山話をする。座高も空知の方が二十センチくらい高い。最初にアキが訊いたのは、部活後の缶蹴りについてだった。
「レンガ塀の向こう側から空き缶を投げ入れるなんて、面白いことするよね」
 どうやらアキは、空き缶を投げていると思っているようだ。
「ああ、あれね。あれって投げてるんじゃないんだよ、蹴ってるんだ。だって俺たち、サッカー部だし」
「へえ~、蹴ってるんだぁ……。それって、投げるよりも難しくない?」
「そりゃ難しいよ。でもコツさえ掴めれば、意外と簡単なんだよ」
「と言ってる割には、たくさん外してますけど? 朝のまったりブラック缶」
 いたずらっ娘の笑みを浮かべ、上目遣いで空知の表情をうかがうアキの瞳に、空知はドキッとする。
 いやぁ、それを言われると辛い。アキに会いたくて外したこともあると白状したくなる気持ちを、空知はすんでのところで飲み込んだ。
 次は、空知がアキに、十勝のことを話してあげる番だった。
 一緒にサッカーを始めたこと、小学校では十勝の方が上手かったが、中学校では空知の方がレギュラーだったこと。高校は別々になってしまったが、お互いサッカー部に所属していることなどなど。
 そんな話を、アキは興味深そうに聞いてくれた。
「アキは、兄貴のどんなところが好きになったんだ?」
 するとアキは空を見上げながら答える。一番星がチラチラと輝き始めていた。
「そうね、部活で走ってるところかな」
 アキは、一高サッカー部の練習を見に行っているのだろう。
「額に汗を光らせながら、前を向くあの瞳にキュンとくるの……」
 わずかに頬を赤らめる乙女の横顔に、空知は十勝のことがうらやましくなる。
「それにね、話していてもとても楽しいし」
「俺と話すよりも?」
 そう言ってから、空知はしまったと後悔する。それは、十勝よりも優位に立ちたいという気持ちの裏返しだったから。
 双子を比較しないで欲しいという、空知自身の信念にも矛盾する行為であった。
「うーん、空知くんと話すのと同じくらい楽しいかな」
 そんな空知の気持ちを知っているのか、アキは曖昧な言葉で誤魔化した。
 小悪魔的な笑顔に、空知の心は揺れ始めている。
「それで? いつ告白するんだよ?」
 だから、アキにはさっさと十勝に告白して欲しいと空知は願う。このままでは、本当にアキのことが好きになってしまいそうだ。
「もうちょっと。もうちょっと待って。まだ、パパの分析結果が出ていないから……」
 おいおい、それも遺伝子次第なのか? もし結果が悪かったら告白をやめるのか?
 そもそも告白って、気持ちの問題じゃないのかよ。
 すっかり呆れてしまう空知だった。


 空知がアキと会うようになって、部活後の缶蹴りにある変化が起きていた。
 決定率でいつも最下位を争っていた空知と直之だが、直之の成績がぐっと上がり、一方の空知は缶を外すことが多くなったのだ。
「空知よ。プリンセスに会いたいからって、最近外し過ぎじゃねえの? まあ、俺の方は好調だけどな」
「直之だけには言われたくねぇ。おかしいな、ちゃんと入ってるはずなんだが……」
 そうなのだ。
 絶対これは入った、と確信するコースでも外れる時がある。そして、そういう時は必ず、空き缶に付箋紙が貼ってあった。
 ――もしかして、アキがわざと落としてる?
 そのことを空知が訊いてみようとした日、アキから重大な発表があった。
 二人の不思議な関係が終了するような、重大な発表が。


 ◇


「ここに宣言します! 日高アキは、明日、好きな人に告白します!」
 狐寝公園の滑り台の一番上に立ってアキは宣言する。右手を高々と宙に突き出して。
 ポメラニアンを託された空知は、ついにこの日が来たかと寂しく思う。夕陽に照らされた彼女は、本当に眩しかった。
「私、言っちゃった! ついに、言っちゃったよ!」
 滑り台を滑り降りたアキは、空知の前に駆け寄ると大きく息をした。
「いやいや、まだ言ってないだろ? 本番は明日なんだから」
「でも、これで時計は動き始めたんだよ? もう言ったも同然だよ」
「それより検査の結果はどうだったんだ? 告白に踏み切るってことは、結果は良かったんだよな?」
「うん。バッチリだって」
 アキは空知に向かって親指を立てる。
「そうか、良かったな……」
 そう言いながら空知はアキから目をそらす。複雑な気持ちに包まれながら。
 アキが検査に用いたサンプルは、もともと空知の遺伝子なのだ。それが十勝への告白の足がかりになったと思うと、なんだかやるせない気がした。だから空知は、瞳を輝かせる彼女に向き合っていることができなくなっていた。
「私……怖い……」
「大丈夫だよアキなら。十勝の目を見て告白すれば、絶対成功する」
 自分はアキから目をそらせているのに何を言ってるんだろうと空知は思う。
 彼女の瞳の輝きは、明日にはもう十勝のものになってしまうのだ。
「うん、そうする。それでダメだったら、無理やりチューしちゃう」
「チュう!?」
 驚いて空知はアキを見た。おどけて唇を突き出す彼女の仕草に可笑しくなる。
「せめてもの記念に、遺伝子くらいはもらっておかなきゃね」
 この期に及んで遺伝子を持ち出すとは、どれだけ好きなんだろう。
「それは封印しておいた方がいいぜ。ドン引きされるぞ。いいよ、告白を断ったら俺が十勝を殴ってやる」
「それも封印しておいた方がいいと思うけど?」
 そして二人で笑った。

 その時だった。
「なんだ、公園が騒がしいと思ったらアキだったのか……」
 一人の初老の男性が空知たちに近づいてきた。
 見たことあるような顔――と思ったら、日高博士だ。アキのポメラニアンが嬉しそうに吠え始めた。
 おおおおおおおおっ、テレビで有名なあの日高博士だよ。本物が、動いて、歩いて、しゃべってるよと、得体の知れない興奮が空知の体の中を駆け上がる。
 一方、アキの表情は急に硬くなる。「今日は早く帰ってくるはずじゃなかったのに」と小さくつぶやくと、「じゃあね」と空知に手を振って、ポメラニアンを連れてそそくさと公園の外に向かって歩き出した。
「おいおい、アキ。彼のことを紹介してくれてもいいじゃないか?」
 博士はアキを引き留めようとする。が、彼女はそっけない言葉を返した。
「あっ、彼、中学時代の同級生だから。ちょっとそこで会っただけだし」
 さっきまでとはまるで人が変わった態度。
 なんでそんな嘘を言うのだろうと不思議に思った空知は、博士にちゃんと挨拶をしなくてはと意気込んだ。
「日名川第二高校サッカー部の上川空知と言います。よろしくお願いします!」
 体育会系らしい挨拶。
 それが仇になるとは知らずに。
 空知の挨拶を聞いて、博士の表情がみるみる険しくなる。そして博士はアキを振り返った。彼女は今にも逃げ出しそうに背を向けていた。
「待て、アキ! あれほど二高生には関わるなって言ったのを忘れたのかっ!」
 博士の怒号が公園に響き渡る。
 ビクリとする空知とアキ。博士は、テレビでは決して見せられないような鬼の形相だった。
 そして博士は空知を向く。
「申し訳ないが、君も二高生ならアキには関わらないでくれ」
 その言葉にカチンときた空知は、恐れを知らずに反論した。テレビで見る博士はいつも優しそうだったし、無理難題を言い出す人には思えなかったからだ。
「それはなぜなんですか? 教えて下さい」
 博士の怒りに火を注ぐことになるとは知らずに。
「私に歯向かうのかね? だから嫌なんだよ、二高生は!」
 博士の剣幕にたじろぐ。そんな空知に構わず、博士はまくし立てた。
「君は知らんのか!? 十年前、二高生が私の家にしたことを。ちょうど私がテレビに出演し始めた頃だ。冷やかし半分の連中がわんさか押し寄せて来て、大変な目に逢ったんだ。壁への落書き、ゴミのポイ捨て。それだけだったらまだいい。一番許せなかったのは、就学前だったアキへの嫌がらせだ。声をかけるわ、写真を撮るわ、アキの身に危険を感じなかった日はなかった」
 そんなことがあったとは知らなかった。
「だから北門を閉鎖してもらったんだよ。それでやっと、我が家に平和が訪れた」
 ようやく理解する。北門が閉ざされてしまった理由を。
「復讐と言ったら言葉が悪いがね、アキに集めさせているんだよ、二高生がポイ捨てした空き缶を。ポイ捨てする奴は、根本的にどこかイカれていると私は思う。それを遺伝子レベルで解明したくてね」
 その言葉に空知の頭は真っ白になる。
 ――なんだよ、気になる人の遺伝子を調べてもらってたんじゃなかったのかよ。
 ――ポイ捨てする人間の遺伝子を調べるためだって?
 ――結局アキは、俺たち全員をバカにしてたってことなんじゃないか。
 アキが今にも逃げようとしているのも逆効果だった。そのことを知られたくなかったから、この場を去ろうとしているとしか空知には思えなかった。
 悔しくて、悲しくて、裏切られた気持ちで一杯になって、空知は地面を見ながら握りこぶしに全力を込める。そうしなければ、涙が溢れそうだった。
「アキっ! 昨日検査結果を渡した気になる人の遺伝子って、まさか彼のじゃないだろうな。一高生っていうのは嘘だったのかっ!?」
「ッ…………」
 それは嘘であって嘘ではない。
 アキは言葉を詰まらせた。即座に反論しなかったのは、空知への配慮なのか。
 その反応に彼女の最後の誠実さを見た空知は、腹に力を込めて代弁する。自分に構うことはないとのメッセージを込めて。
「一高生というのは本当です! アキさんは一高生のことが好きなんです。俺はその相談に乗っていただけなんです」
 本当にこれで終わりなんだと、涙を堪えながら。
「そうか、君には一応礼を言っておく。が、お願いだからもうアキには関わらないでくれ。行くぞ、アキ」
 博士に腕を掴まれて、強引に連れて行かれるアキ。
「ごめんね、空知くん。ごめんね……」
 空知は夕暮れの公園に一人残された。


 ◇


 次の日。
 朝練が終わると、いつものように北門裏で缶蹴りが始まる。
 博士にあそこまで言われたんだ、さすがに空知は参加する気が起きなかった。
『おいおい、みんな、聞いてくれ。俺たちが蹴った缶は、ポイ捨て遺伝子の研究材料になってるんだぞ』
 そう言って、缶蹴りをやめさせることも考えた。
 しかし先輩方の真剣な表情を見ていると、なにか違うような気がしてくる。
 空知たちは、決してポイ捨てをしているわけではない。
 飲み終わった缶をゴミ箱に入れようとしているだけなのだ。その方法が普通とは変わっているだけで。
 それに、ゴミ箱から外れてしまった缶は必ず拾いに行っている。ポイ捨て状態は、たったの三分間だけなのだ。
 しかしそんな正義を振りかざしても、受け取る側が悪意を持っているのであれば意味がなかった。振り上げた拳の行き場がない、そんな虚しさを空知は感じていた。
 
 それに今日は、アキが告白を決行する日だ。
 彼女にとって相談役の空知はもう用無しなのだ。
 アキが空知のことを必要としてくれるのであれば、博士と戦う勇気も湧いてきたことだろう。良い大学に入って、博士を見返すことも考えたかもしれない。
 しかし、その役目は今夜から十勝に変わる。しかも十勝は一高生。たったそれだけのことで、十勝は博士から免罪符をもらえるのだ。
 悔しくて、悲しくて、涙が溢れてきた。
 空知が一高を受けることができなかったのは、部活を頑張り過ぎたから。中学のサッカー部でレギュラーだった空知は、いつまでもみんなから必要とされる存在だった。それが楽しくてサッカーを今でも続けている。最後に別れが来ると知りながら、アキの手助けだってしてあげた。しかし、こんな結末を迎えるなんて、思いもしなかった。
 せめて、アキの告白が成功するように祈ろう。
 十勝が告白を断ったらぶん殴ってやるって、彼女と約束したのだから。
 そう決意した空知は、放課後の部活を休んで家で十勝を待つことにした。


 その日、十勝が帰宅したのは夕方の六時前だった。
 すっかり待ちくたびれた空知は、いきなり十勝に食ってかかる。
「おい、兄貴。今日、なんかいいことあったか?」
 単刀直入すぎるような気もしたが。
「いいこと? 特にないけど? まあ、普通かな」
 十勝はいたって平常だ。
 表情にも動揺は見られず、嘘を言っているようには思えない。
 学校でアキに告白されたのであれば、何かしらの反応があるはずだった。
「じゃあ、飯を食ったらどこかに行くのか?」
「いや、今日はずっと家にいるけど? ていうか、何なんだよ、いきなり絡んできて」
 夜に会う約束もないらしい。
 いったいどういうことなんだ? アキは今日、告白するって宣言したのに。
 これじゃあ、十勝のことをぶん殴れないじゃないか!
「だったら、アキから電話とかメールとかラインが来ても、絶対断るんじゃねえぞ」
 わけがわからないという顔をする十勝。
「なんだよ、それ。ていうか誰? アキって……」
「えっ?」
 予想外の返事に空知は言葉を失った。


 ◇


 空知と日高博士が鉢合わせをした夜、アキは自室で泣きながら手紙を書いていた。
 ――せっかく、本当のことを言おうと決心したのに。
 ――せっかく、嘘をついていることを謝ろうと思ったのに。
 決心を実行する前に、空知と会っているところを父親に見られたのは致命的だった。二高生のことを極度に嫌っている父親に。空知を公園に呼び出す日は、父親の帰りが遅くなる日をちゃんと選んでいたというのに。
 もう空知には会わせてもらえない。こんなことになるなら、嘘なんてつくんじゃなかったとアキは深く後悔していた。

『空知くん。私はあなたに謝らなくてはならないことがあります。
 それは嘘をついていたことです。十勝くんが好きという嘘を。
 でも、空知くんだって悪いんだよ。勝手に私が十勝くんのことを想っていると勘違いしちゃうんだから。
 私は最初から、空知くんだけを見ていました。だって、サッカー部の缶蹴りを見ていただけなんだから。
 だから、十勝くんという双子のお兄さんの存在も、全く知りませんでした。
 でも不思議ですね。会ったこともない十勝くんの名前を出すと、あなたへの想いを自然と口にすることができるのです。
 額に汗を光らせながら前を向く瞳が好きって、全部、空知くんのことなんだよ。
 あなたの前でそのことを話す私が、どれだけドキドキしていたか分からないでしょう。
 そんな私の話を、あなたは真剣に聞いてくれた。それだけで十分なんです。
 きっかけは、パパのポイ捨て遺伝子の研究でした。北門で空き缶を集めている時に、走って来る空知くんを見かけたのです。すぐにあなたに興味を抱いた。そして、あなたの遺伝子にも。
 悔いているのは私の心の弱さです。パパに検査をお願いしたあなたの遺伝子について訊かれた時、十勝くんの遺伝子と偽ってしまいました。ちゃんと真実を言うべきだった。パパと向き合って戦うべきだった。でもそれは恐くてできなかった。
 こうなってしまった以上、パパは絶対許してくれません、私が空知くんと一緒にいることを。だからこれで終わりにしましょう。
 初めて会った日のこと覚えていますか? 助けてくれたのは直之さんと思いきや、あなただった。神様がくれたこの一ヶ月間のことを、私は一生忘れません。
 今までありがとう。さようなら』

 この手紙を、レンガ塀を越えて来た朝のまったりブラック缶に入れれば、すべてが終わる。
 そう思うと、どうしようもなく涙が溢れてきた。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ……」
 時間をかけて書き上げた手紙を、アキはくしゃくしゃと丸めていた。
 空知のことが諦められない。だって本当に好きだから。
「せっかく、本当のことを言おうと決心して、空知くんに宣言したんじゃない」
 どうせ終わりだったら、約束を実行してから考えよう。
「真実はちゃんと会って話したい。いや、話さなきゃいけないと思う。何日待ち続けたとしても」
 アキは、北門の前で空知を待ち続ける決意を固めていた。


 ◇
 

 空知は思わず、家を飛び出していた。
 さっきの十勝の言葉の意味が分からない。
『ていうか誰? アキって……』
 十勝を追求してみたが、アキという女の子には会ったこともないし、話したこともないという。
 そもそも十勝は、アキという人物の存在自体を知らなかった。知っているのは、日高博士の娘が一高に通っているらしいという情報だけだった。

 これは一体、どういうことなんだ?
 アキは話したこともない十勝に告白しようとしていたのか?
 いや、夜に会う予定もない、連絡先も知らないアキに、十勝が告白されるとは思えない。
 そもそもアキは、十勝との会話が楽しいって言ってたじゃないか。
 それは全くの嘘だったのか? 彼女は誰に告白しようとしているんだ?

 答えを知りたければ北門へ急げ。
 空知の直感がそう叫んでいた。
 時間も六時半。ちょうど空き缶蹴りが行われている頃だ。

 北門が見える路地に着くと、空知は住宅街の影に隠れて様子を伺う。北門の前では、一人の女の子がレンガ塀の上をじっと見つめていた。
 アキだ。
 彼女はやっぱりここにいた。
『直之、直之、直之!』
 北門の向こう側からはコールが聞こえてくる。これから直之が蹴るのだろう。
 コンと小さな音がしたかと思うと、レンガ塀の向こうから空き缶が飛んできた。午後のシャキッとコーヒー缶が、くるくると回りながら。
 が、どう見ても缶はゴミ箱に入りそうもない。
「って、えっ!?」
 その時、アキが驚きの行動をとった。
 午後のシャキッとコーヒー缶をキャッチしたかと思うと、ゴミ箱の中に投げ入れたのだ。
 カシャリと金属音が響く。
『おおっ、入ったぞ!』
『今日は空知がいないからパーフェクトだな』
『やっぱりパーフェクトは気持ちがいい!』
 やっと謎が解けた。
 直之の決定率が上がったのは、アキのおかげだったんだ。
 当のアキは、次の缶に備えてレンガ塀に向かって両手を広げている。手の甲に、薄ピンクの大きな付箋紙を貼ったまま。
 しかし、サッカー部員の声を聞いて、もう空き缶は飛んでこないことを知ったアキはガクっと肩を落とした。
 空知はアキの付箋紙に目を向ける。
 そこには赤いマジックで大きく文字が書かれていた。『空知くん、大好きです』と。

 アキは毎日、そうやって空知を待っていたのだ。
 会いたい日には、わざと缶を落としていたに違いない。空知をこの場所に呼ぶために。朝のまったりブラック缶に付箋紙を貼るために。
 熱いものが空知の胸に込み上げてくる。

「アキっ!」
 空知は思わず叫んでいた。
 そして北門の前に姿を現した。
「空知くんっ!」
 愛しい顔が空知を向く。
 その目には涙が溢れていた。
「ごめんね、昨日は本当にごめんね、空知くん……」
「そんなことよりも、一体どういうことなんだ? 兄貴に聞いたら、アキには会ったこともないって言うからびっくりして」
「本当にごめんなさい。私、十勝くんには会ったことがないの。ずっとあなただけを見ていました」
 アキは涙を拭って、空知のことを見上げる。
「勇気を出して言います。空知くん、私はあなたのことが好きです」
 しっかりと空知の瞳を見つめたまま。
「てっきり俺、アキは十勝のことを……」
 空知はまだ、今の状況を信じられずにいた。
 つい三十分前までは、アキは十勝に告白するものだと思っていた。
 その告白が自分に向けられたものだったとは、まるで夢でも見ているような、タヌキに化かされているような、すぐに手に取って良いものなのかどうか分からなくなってしまったのだ。
 空知は言葉を詰まらせ、北門前を静寂が包み込む。

 ――カラーン、カラカラカラ、カラ、カラ……。

 静寂を破ったのは、アスファルトを転がる空き缶だった。
 ――午後のシャキッとコーヒー。
 あ然と缶を見つめる空知に向けて、レンガ塀の向こう側から檄が飛ぶ。
『男らしくないぞ、空知! うっぷ』
『そうだ! 俺たちのプリンセスを泣かせるな!』
『アキちゃん、立派だったよ!』
 やんややんやと二人に声が掛けられる。
 なんだよ、缶蹴りが終わって解散したんじゃなかったのかと空知が顔をしかめる一方、アキは北門に向くとみんなに声を掛けた。
「ありがとう、直之さんっ! そして皆さん!」
 北門の向こう側で歓声が湧き上がる。
『おおーーーっ!』
『愛してるよっ、プリンセス!』
『アキちゃん、最高っ!』
 しかし空知は疑問で頭が一杯だった。
 アキは転がった缶を見ただけで蹴った人間を言い当てた。
「アキ、なんでこの缶が直之のだって分かったんだ?」
「だって、いつも蹴る前に名前を連呼してるでしょ? それに、銘柄がみんな独特だから、缶を見れば蹴った人が分かっちゃう」
 あはははは、そういうことかと空知は苦笑する。
 すると、声と一緒に、空き缶がレンガ塀を越えて飛んできた。
『じゃあ、これは?』
「これは、ブレブレブレンドだから、誠也さん!」
『今度は?』
「極寒ミルクティーだから、玲二さん!」
『俺は誰だ!?』
「クール甘酒だから、武志さん!」
『これは難しいぞ!』
「この濃厚ストレートは何人かいるけど、缶が回転していないから修平さん!」
『空知、部活サボっただろ?』
「これはスペシャルビターだからキャプテンさん。名前と顔は分からないけど」
 そうか、キャプテンは「キャプテン」としか連呼されないし、一度もゴミ箱を外したことがないから顔も見たことがないってわけか。ていうか、ヤバっ! 明日が恐い。
『おおおおおっ、すべて正解だ!』
『アキちゃん、最高!』
『それでこそ、俺たちのプリンセス!』
 それにしても先輩方はみんな蹴るのが上手い。綺麗な軌跡を描いて、どの缶もゴミ箱の中に吸い込まれていく。
 アキもアキだ。飛んで来る缶を瞬時に見分けるなんて神業に近い。しかも缶の回転まで熟知しているなんて、サッカー部員も真っ青だ。
「空知くんから聞いているかもしれませんけど、みなさんの缶は決してポイ捨て空き缶として扱っていないので、安心してください!」
 レンガ塀の向こう側へ宣言するアキ。その言葉に、空知は自分の耳を疑った。
「それってどういうことなんだ? 博士が本当にそうしてるのか?」
 博士はアキに、ポイ捨て空き缶を拾ってこいと命令していた。強い恨みと悪意を持って。
 だから空知は、今のアキの言葉が信じられなかった。
「だって、これってきちんとゴミ箱に捨てられてるじゃない。そういう正常な缶も取ってきて、比較分析することによって、初めてポイ捨て遺伝子について研究できるのよ。これって科学の基本。もちろんポイ捨て空き缶も拾ってるわ、正門前でね」
 空知は、アキに謝りたい気持ちで一杯になる。
 アキは決して、みんなのことをバカにしていたわけじゃなかったんだ。
 逆に、良い遺伝子のサンプルとして、みんなのことを扱ってくれていた。
「念には念をいれて、ここでは名前と顔が特定できる空き缶も採取していたの。分析結果に問題があっても後で検証できるように。そしてその中に空知くんがいた」
 アキは空知のことを熱く見る。
「空知くんがたくさん外してくれたから、私は空知くんを好きになった」
 褒められているのか、けなされているのかわからない。
「私の想いを断るなら、せめて空知くんの遺伝子をちょうだい?」
 そう言って、アキは静かに目を閉じる。
 空知は動揺する。いやいや、その言葉はこの場面ではヤバいから。
『うわっ、過激!』
『こんな場所でやるのか!?』
『アキちゃんダメだ。君には清らかな体でいて欲しい!』
 ほら、みんな誤解してるじゃないか。
 だから空知は声を上げる。
「空知、退散します! 大切な、大切なこの人と一緒に!」
 そしてアキの手をとって駆け出した。
 アキも一緒に走りながら、満面の笑みを空知に向ける。
「アキ、博士は手強そうだぞ」
「大丈夫、今度は私も戦うから。空知くんと一緒なら決して負けない」
「ああ、俺も頑張る!」
 ぎゅっと握る彼女の手の温もりを感じながら、この笑顔を大切にするために良い大学に入って博士を見返してやろうと空知は誓う。勉強だってアキに教えてもらえばいい。
 空知が博士に認めてもらえる時――。
 それは北門が十数年ぶりに開く日になるんじゃないかと空知は希望を胸に抱くのであった。



 おわり





ライトノベル作法研究所 2017夏企画
テーマ:『ゲート』