逆転世界のみずがめ座2018年05月16日 20時48分20秒


「えっ!?」
 いつものように登校した俺、雪原冬馬(ゆきはら とうま)は、自分の目を疑った。
「これって……?」
 朝の高校。昇降口でうわばきに履き替え、階段を登って三階の廊下に到着したところまではよかった。が、廊下の様子がなんだか変なのだ。
 どこが変なのかと言うと……どこだろう?
 とにかく変だ。落ち着け冬馬、ゆっくりと考えるんだ。

 目の前には、リノリウムの敷き詰められた廊下が一直線に伸びている。
 左側に窓が、右側には教室が面していて……って、右側ぁ!?

 ようやく俺は、違和感の元凶にたどり着いた。そうだよ、先週までは教室は廊下の左側に面していたじゃないか。
 廊下の窓から隣りの校舎と中庭が見える。が、これはいつも教室の窓から見えていた景色だ。
 一方、教室の中を覗いてみると、窓の向こう側には山々が。これは今まで廊下から見えていた景色だった。
 これって、まさか……。

「右と左が入れ替わってる!?」

 あの時、星に託した願いは、こんな内容じゃなかったのに!?
 どうして左右が逆転してるんだよ!?
 俺は、週末から今朝にかけての出来事を思い出していた。


 ☆

 
 ゴールデンウィークを翌週に控えた二〇一八年四月二十二日。
 時は早朝、午前四時半。
 俺は父親と一緒に、角山高原スキー場のゴンドラ山頂駅に降り立った。
 これから山頂駅のレストランで日の出を見ながら朝食を食べて、誰も滑っていないゲレンデを滑走するのだ。
 麓のホテルの宿泊客に向けて、一日限定五組というふれこみでそういうサービスが用意されていた。
 正直言って、日の出も朝食も俺にはどうでも良い。
 ――バージンゲレンデの一番滑走。
 これが目当てで、俺は父親にスキー旅行をおねだりしたのだ。
 早朝のコンディションの良いゲレンデを滑ることは、春スキーにとって重要だ。命と言ってもいい。午後になるとグチャグチャになる雪は、今はカリカリに凍っている。
「美しい……」
 スキーだけが目当てだった俺だが、降り立った山頂駅からの景色に思わず心を奪われる。
 日の出を前に、今、目覚めようとしている白銀の世界。眼下に見える谷間はまだ、集落の灯りで照らされている。見上げると、紫色の空には夜明けに対抗しようと星々が最後の光を放っていた。
「あれって、夏の大三角じゃないか」
 隣に立つ父親が宙を指差す。
 ――デネブ、アルタイル、ベガ。夏の大三角。
 それなら俺も知っている。どうやって覚えたかは内緒だけど。
「そうか、冬馬。今はまだ春だけど、明け方になると夏の星座が出て来るんだな……」
 隣で星を見上げながら、父親は白い息をはいていた。
 夜明けはめまぐるしく空の色を塗り替えていく。遥か遠くの山並みがオレンジ色に染まり始めると、はっきり見えていた星々も一つ一つ消えていき、今は大きな三角形が見えるだけだ。
「冬馬。寒いから、先にレストランに入ってるぞ」
「わかった、親父。俺もすぐ行く」
 そういえば、ベガとアルタイルって織姫と彦星じゃないか。七夕伝説では夏に一度しか会えないって話になっているけど、こうやって人の知らないところでこっそり会っているんじゃないのか? 今なら夜明けの光で天の川が消えちゃってるんだから。
 そう思った瞬間、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けて俺は雪の上に尻もちをつく。
 と同時に、怒りに満ちた声が頭の中を貫いた。

「ソレは、チガうぞ!」

 な、なんだ? 衝撃のせいで幻聴まで聞こえるようになってしまったのか?
 ていうか、さっきの衝撃はいったい何だったんだよ。
 ジンジンする側頭部をさすりながら辺りを見回す。父親はレストランの入り口から中に入ろうとしていて、俺の身に起きた異変には気づいていないようだ。他のお客もすでにレストランに入っていて、外にいるのは俺だけだった。
「ドコ見てンダよ。ココだよ、ココ!」
 えっ? ここって……?
 声がする方を見ると、雪に半分埋もれた金色の小さな物体が目に入る。体を起こし、近くに寄って拾い上げると、それは親指くらいの大きさの星型のペンダントだった。
「ヤッと気づイタな」
「うわっ!」
 ペンダントが喋った!?
「何、驚いテンだよ。俺様を呼んダノはお前じゃナイか」
「呼んだって?」
 そんなことしてねえぞ、俺。
「トボケたって無駄ダヨ。チャンと心の声が聞こエタぞ、羨まシイって」
 羨ましい? それって織姫と彦星のことか?
 そりゃ、羨ましいって思ったよ。
 一年に一回しか会えないって嘘じゃねえか。織姫と彦星が実際に近づいているところを、俺は一回も見たことがねえ。みんな伝説の美談に騙されてるんだよ。「一年に一回しか会えないって、まあ可哀想」なんて言われたら、そうだねって言うしかねえだろ。本当はさっきみたいに、毎日のように逢引してんだからさ。
「逢ってイタことはミトめる。タダし、羨ましガラレることジャない。毎回、尻に敷かレテるんダカら」
「尻に敷かれてるって? じゃあ、お前は……」
「ゴ想像のトオり、俺様は彦星ことアルタイル星のオウジ、アルタだ」
「な、なんだって!?」
 これが俺とアルタとの出会いだった。


 ☆


 それから俺は、星型のペンダント、いやアルタを首からぶら下げてフリースの下に隠す。
 が、人前ではアルタが話しかけてくることはなかった。
 朝食を食べ、バージンゲレンデを滑って、雪がぐしゃぐしゃになる時間までスキーを楽しみ、父親の車で家路についてもアルタはだんまり。だから、アルタとの会話は、実は夢の中の出来事だったんじゃないかと思っていたんだ。
 それが打ち破られたのは翌日の早朝。四月二十三日の午前三時半のことだった。

「トウマ、起キロ! 早く、起きルンだ!!」

 誰だよ、気持ちよく寝ているのを邪魔するやつは。
 昨日のスキーで俺は疲れてるんだ。それに今日は平日だから学校もあるんだよ。ゆっくり朝まで寝かせてくれよ。
「早く起キロ! 朝にナッチャう!!」
「んもう! なんだよ、朝になったっていいだろ? 明日も明後日もまた朝が来るって」
 あくまでもベットを出ようとしない俺に対して、アルタは耳元で騒ぎ続ける。
「交信すルンだ。アルタイル星と。ソシたら願い事がカナう。ソレは今ダケだ」
「願い事!?」
 ズキューンと音はしなかったが、そのワードは俺の心に鋭く刺さる。
 というのも、昨日のグチャグチャの雪は本当に嫌になってしまったから。毎週のようにスキーを楽しんでいた俺は、シーズンの終わりを痛感していた。
 ――すぐにまた冬が来ますように!
 二月生まれで名前も冬馬。三度の飯よりスキーが好きな男。
 子供の頃、テレビで観たスキー映画に憧れ、志賀―万座ルートの冬期滑走を夢見ている。
 だから、すぐに思いつく願い事となれば、そうなるのが当然だろ?
「その願いって、何でも叶うのか?」
「俺様アルタイル星人とイセイジンが出会っテカら二十四時間イナイの願いゴトは、最強ナンだ」
 二十四時間!?
 最強という言葉はなんだか怪しいが、今はタイムリミットの方が気になってしまう。
 確か、昨日アルタと出会ったのが午前五時前だった。ということは、あと一時間でその効力は消えていく。
「アルタ、願い事をするにはどこに行けばいいんだ!?」
 ベッドから飛び起きた俺は、急いで着替えながらペンダントを身につけた。そして防寒用のパーカーを羽織る。
「アルタイル星が見えるトコろ。見えレバどこデモいい」
 てことは、近所の公園か?
 あそこなら広い芝生広場があるから、星を見るには最適だろう。
「よし、公園に行くぞ、アルタ!」
 俺は胸のペンダントを手で確認しながら、人気のない早朝の町に繰り出した。

 住宅街を一分くらい走ったところに、近隣公園がある。中央に野球場一個分くらいの広い芝生広場があり、休日の昼間は家族連れでいつも賑わっていた。
 が、今は午前四時。当然、人の気配はない。
 街灯に照らされた門の脇を抜けて公園に入ると、俺は空を見上げた。幸い雲一つなく、星が綺麗に輝いている。アルタイル星に願いをするなら、夏の大三角を探せばいい。
「大三角、大三角……と」
「ソレよりもトウマ、願い事を考えルンだ。俺様の願いとシンクロした部分が、トクに強いパワーをモツ」
 シンクロ? なんだよ、それ?
 願いが一致した部分ってことか? もし全く一致していなかったら、何も叶わねえってことじゃねえか!
「おいおい、まずはアルタの願い事を教えろよ。シンクロしてるかどうか、わかんねえだろ?」
「ダメだ、トウマ。願い事は人にモラシてはイケない」
 漏らしてはいけないってマジかよ。まあ、この手の話にはありがちだけどな。
 仕方がないので、俺は作戦を変えることにした。
「じゃあ、まだちょっと時間があるから話でもしようぜ。悩み事とかな」
「ナヤミごと?」
 いくら星の王子様といえども悩み事はあるはずだ。アルタの願いは、それを解消する方向に違いないと俺は推測した。
 すると、ため息をつくような脱力した声が聞こえてきた。
「ツカれタンだ、俺様ハ。毎年のヨウに、織姫のフィアンセって騒がレテさ」
 えっ? それってリア充自慢?
 さすがは王子。王子ってやつは、美男子好青年か、いけ好かないやつのどちらかに決まっている。
「タシかに幼馴染の織姫はビジンだ。デモ、性格はごっついキツイで」
 なぜに関西弁? でも俺は、ある共通点を二人の間に見出していた。
「それは俺も同じやね」
 俺は思い出していた。
 幼馴染の存在を。

 蓋付如月(ふたつき きさらぎ)。
 近所に住んでいる高三の女の子。
 誕生日は俺と全く同じ二◯◯一年二月十五日。みずがめ座。
 最悪なことに、保育園から高校までずっと一緒だったりする。

「美人だが性格のキツイ幼馴染が、俺にもいるんだ」
 容姿端麗、成績優秀。誕生日が同じ俺たちは、いつも比べられてきた。
 すると、俺の言葉を発端に、二人で幼馴染の悪口合戦になってしまう。
「織姫ナンて、「私ノ方が位置が上ナノよ」とイツも威張っテンだ」
「俺の幼馴染の如月だって同じだぜ。いつも俺を家来のようにこき使う。この間なんて、教科書忘れたって勝手に俺の机から持っていっちゃうんだぜ。クラスが隣だから実害はないけどさ」
「織姫ダッテ、俺様より遠いノニさ、明るクッテ嫌にナッチャう」
「如月だって、星ぱっか見てるから星バカって呼んだら怒るんだよ。俺のことはスキーバカって言うくせにさ。アルタと会ったら喜ぶんじゃないか?」
「織姫ナンてさ、アニメの主人公にナッタとか、ゲームのキャラにナッタとか、イチイチ自慢してクルンだよ。俺様はダレにも見向きモサれナイのに……」
「お互い苦労してるな。強烈な幼馴染を持っちゃうと」
「ソダネぇ」
 早朝の公園にぽっと湧いた笑い声は、満天の夜空にすっと消えていく。
 でもこれでわかった。アルタは織姫に嫌気がさしている。だから彼の願いは、織姫から距離を置きたいという内容に間違いない。
 この願いと俺の願いをシンクロさせるには、どうしたらいい?
 その時俺は、スキー場で聞いた父親の言葉を思い出した。

『今はまだ春だけど、明け方になると夏の星座が出て来るんだな……』

 ん? 夏の星座? ってことは、織姫星も夏の星ってこと?
 これだ!
 夏の大三角は、その名の通り夏の星座じゃないか。だったら、また冬にしてくれと願えばいいんだよ。そうなれば俺はまだスキーを続けられる。アルタはしばらく織姫に会わなくて済む。完全にシンクロしてるじゃないか!
 よし、願いが決まった。
 さあ、儀式を始めようぜとアルタに告げようとした時、思いもしない声が背後から投げかけられた。

「強烈な幼馴染って、誰のことよ!?」

 えっ!!???
 驚いた俺が振り向くと、黒い長髪の少女が腕組みをして立っていた。
 それは幼馴染の女の子、蓋付如月だった。


「ねえ、その幼馴染って、まさか私のことじゃないでしょうね? ていうか、あんた、誰としゃべってんのよ?」
 相変わらずの高圧的な態度で、如月は俺に畳み掛けてくる。背が俺よりも低いのがせめてもの救いだ。俺を見上げる二重のパッチリとした瞳が、街灯の光を反射して三角に光っていた。
「だ、誰だっていいじゃねえか。それより如月こそ、なんでこんな時間にここにいるんだよ?」
「なんでって、あんたも同じ目的じゃないの? だって今日は、こと座流星群の極大でしょ?」
 こと座流星群? なんだそりゃ。
 そういえば如月は星バカ、いや大の天文マニアだった。
 夏の大三角を教えてくれたのも如月だったっけ。そういうのって、本当は男性が女性に教えた方がカッコイイような気がして恥ずかしくて人には言えないんだけど。
 彼女の格好を見ると、ジーンズにハイカットのトレッキングシューズ、そして上はフード付きの暖かそうなマウンテンパーカーを着込んでいる。中はセーターかフリースなのだろう。これなら長時間の流星観測にも耐えられそうだ。
「こと座って、ほら、有名な織姫星がある星座よ。子供の頃、教えてあげたでしょ? そこから放射状に流星が降ってくるのよ、今日は」
 織姫から星が!? アルタが聞いたら卒倒しそうな光景だ。
 ていうか、今、ペンダントがブルブルって震えたような気がしないでもない。
「ほら、落ちた! またすぐに来るよ」
 如月が宙を指差す。
 俺もその方角を見上げる。
 すると二十秒くらい経って流れ星が一つ、つうっと夜空を横切った。
「ホントだ!」
 流星群という言葉はニュースで時折聞くけど、本当に流れ星が見えるとは思わなかった。
 むふふふふ。これはマジで願いが叶いそうじゃないか。
 瞳を輝かせてほくそ笑む俺に、如月は呆れ顔になる。
「あんた、何しにここに来たのかは知らないけど、やっと私の言うことに興味を持ってくれたのね。星座のことをいくら教えてあげても、ちっとも見向きもしなかったのに」
 そりゃ、如月さん。今は俺、いや俺たちの願いがかかってるんですよ。真剣にもなるでしょうが。
「まあな、流れ星はわかりやすいからな。綺麗だし」
「ふん……」
 小さく鼻を鳴らすと、如月はまた宙を見上げる。そして小さくつぶやいた。
「星の落ち方って波があるの。すごい時は数十秒に一個くらいの頻度で落ちることもあるんだから」
 それはすごい、と言おうとしてチラリと横を向くと、彼女は真剣に宙を眺めていた。その姿にドキリとする。
 ――こいつの顎って、こんなに綺麗だったっけ?
 いつもは見下ろしてばかりの如月の顔。こうして宙を見上げている彼女は、鼻筋から顎にかけてのラインがとても美しいことに気がついた。辺りが薄暗いから、街灯に照らされた輪郭が強調されていることもあるだろう。
 もし彼女が強烈な幼馴染じゃなかったら?
 デートとして流星観測に来ていたのであれば、この先俺はどうしていただろう?
 そんな妄想を打ち砕いたのは、興奮に震える彼女の言葉だった。
「ほら、冬馬、来たよ、来たよ、ジャンジャンだよ。フィーバー、フィーバー!」
 慌てて宙を見上げると、信じられないような光景が広がっていた。
 次から次へと星が落ちてくるのだ。
 一つ、また一つ、絶え間なく、こと座からいろいろな方向へ。
「今だよ、願い事をするのは!」
 如月に言われて思い出す。
 星に願いを込めるためにここに来たことを。
 俺は胸の星型のペンダントをパーカーの上からぎゅっと握ると、願い事を心の中で唱える。
 その刹那、世界はまばゆい光に包まれた。


 ☆


 はっと目を開けると、俺は自室のベッドの中にいた。
 公園から家に帰った記憶がないから、きっと飛ばされてきたのだろう。
 それは、俺たちの願いが叶えられたことを意味している。
 時間は六時半。あれから二時間しか経っていない。
 俺は枕元のスマホに手を伸ばす。そして日付を確認して愕然となった。
「なんだよ、四月のまんまじゃねえかよ」
 ――二◯一八年四月二十三日。
 スマホにはそう表示されていた。
 俺はあの時、『すぐにまた冬が来ますように』と願った。だから目が覚めたら、十一月か十二月になっているんじゃないかと予想していたのだ。その目論見は見事に崩れ去ることに。
「もしかして、今朝のことはすべて夢だったのか……?」
 部屋の壁に掛けられたスキーウエア。机の上の星型のペンダント。
 週末、父親とスキーに行って、山頂でペンダントを拾ったところまでは現実に起きた出来事だろう。しかし今朝のことはあまり自信がない。疲れすぎて変な夢を見ただけという可能性もある。
「アルタ! アルタ!?」
 試しにアルタの名前を呼んでみた。が、何も反応はない。やっぱり夢だったのだろうか。
 それにしても、何がアルタイル星の王子だよ。願いが叶うって、お子様かよ。
 俺は一人毒づくと、おもむろにベッドを抜け出した。どんなに落胆したって、学校に行かなくちゃいけない事実は変わらない。
 カーテンを開けると、東向きの窓から洪水のように朝日が部屋になだれ込んできた。
 俺は朝食を食べ終わると、制服に着替えて学校へ歩き出した――


「うーん、さっぱりわからない……」
 左右の位置が逆転した教室の中。授業を受けながら、先週末から今朝までの出来事を思い出していた俺は考える。
 なんでこうなってしまったんだろう、と。
 俺はただ『すぐまた冬が来ますように』と願っただけで、『左右逆転の世界』を望んだわけではない。
 待てよ、あの時願ったのは俺だけじゃなかったはずだ。だから、他の人の願いが優先されてしまったとか……?
 いやいや、アルタは確か『シンクロした部分』と言っていたぞ。ということは、この左右が逆転した世界にも俺の願いが含まれているはずだ。
「うーん、全くわからない……」
 何度同じ疑問を繰り返しただろう。
 今のところ、先週と明らかに異なっていると分かるのは、左右の逆転だけなのだ。
 悶々としているうちに、あっという間に四時間目になってしまう。授業は現代文。陽も高くなり、山側の窓から陽の光が入ってくるようになった。いつもは廊下から見ていたあの山の方向から。
 でも、よくよく考えてみるとなんだかおかしい。
 左右逆転した世界なら、左利きが多くなっているはずだ。それにも関わらず、ほとんどの生徒が右手でシャーペンを持っていた。
 そもそも文字がちゃんと読めているも変だ。すべての左右が逆転したら、文字だって裏返しになっているはず。
 考えれば考えるほどわからなくなる俺の耳に、聞きなれない言葉が飛び込んでくる。それは、ことわざについて説明する先生の声だった。

「昔からのことわざに『南に近ければ北に遠い』というものがあります」

 えっ? 何それ?
 そのことわざって、『北に近ければ南に遠い』じゃなかったっけ?
 でもこれで、ついに新たな変化が俺の前の現れた。左右逆転以外の変化が。
 俺は一言も聞き逃すまいと先生の言葉に耳を傾ける。
「先生は思うのです。このことわざを最初に詠んだ人は、南に向かっていたんじゃないかと」
 まあ、そうだろう。南に近づいて行ったので北から離れてしまったんだから。
「南って、寒くて遠い国って感じがしますよね。そういうことが影響しているんじゃないかと思うのです」
 ええっ? 何だって?
 南が寒くて遠い国!?
 おいおい、逆転してるのは左右だけじゃないのかよ。
 もしかして、南と北も逆転している?
 だから陽の光も、山側の北側から差し込むようになったのか!?
「それに、日本では昔からよく言いますよね。旅人は南十字星に導かれるように歩むって」
 えっ、南十字星!?
 そんなの日本で見えたっけ?
 その時俺の頭の中に閃いたのは、ある可能性だった。


 ☆


 四時間目が終わると、俺は右隣に座る鈴木に尋ねる。
「頼むから教えてくれ。日本はいつから南半球に位置してる?」
 これが俺がたどり着いた答えだった。
 ――日本が南半球にある世界。
 もしこれが実現したのであれば、すべての現象が説明できるからだ。
「いつからって建国時から南半球じゃねえの? それともプレートテクトニクスとやらで北半球からやってきた証拠が見つかって、それがいつかって話?」
 怪訝な顔をする鈴木を横目に、俺は小さくガッツポーズする。
 やっぱりそうだ。
 俺たちの願いによって、日本が南半球にある世界に変わったんだ。
 教室の位置が入れ替わったのも、左右逆転の世界になったんじゃなくて、太陽が北側に昇るようになったから教室の窓が北向きに設置されただけだったんだ。
「じゃあ、もう一つ聞くけど、今は春? それとも秋?」
 北半球と南半球の大きな違いは季節だ。北半球が春の時、南半球では秋となる。
「どうしたんだよ、今日はなんだか変だぜ。今は秋に決まってんじゃねえか、四月なんだからさ」
 おおおおお、星は俺の願いを本当に叶えてくれたんだ。
 これからまた冬が来る。スキーの季節がやって来る!
「雪原、そんなことよりも、そろそろ弁当食べに中庭に行かなくていいのか? ぼやぼやしてるとしびれを切らして教室まで来ちまうぜ、お前のラブリーハニーが」
 ラブリーハニー?
 なんだよ、それ?
 この世界では、俺に彼女がいるって設定なのか?
「トウマ!」
 すると教室の入り口で俺を呼ぶ女生徒の声がした。
 同時に「ほら、来た」という顔をする鈴木。
「遅いから迎えにきちゃった。ハァハァ……」
 振り向くと、そこには幼馴染の如月が息を切らして立っていた。

「なんだよ、俺の教室なんかに来んなよ」
 俺は如月のもとに駆け寄ると、廊下に連れ出した。
「だってトウマ遅いんだもん。葉月、お腹すいちゃった。いつものようにお弁当用意してるから、早く中庭で食べようよ」
 ちょ、ちょっと、如月のキャラ変わりすぎじゃね?
 学校で会ってもいつも知らんぷりだった如月がこんな大胆な行動に出るなんて、この世界はどうなってんだ?
 それに葉月ってなんだよ。さっぱりわけがわからない。制服のスカートだって短いし。
 状況が掴めるまではしょうがないと、俺は如月に手を引かれるまま階段を降りて中庭にやってきた。そこには芝生の上にレジャーシートとお弁当が用意されている。
「さあ、食べましょ!」
 な、な、な、な、なっ!?
 ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれよ。ここで二人でレジャーシートに座って弁当を食べるってか? 全校生徒に注目されるかもしれないこの中庭で!?
 俺たちが通う高校は、三階建ての鉄筋コンクリート製校舎が二棟、二十メートルほどの距離をおいて平行に並んでおり、校舎と渡り廊下で囲まれたエリアが中庭になっている。小さな池と芝生とタイルが敷き詰められ、木陰では昼寝をする生徒もいた。もちろん、校舎からは丸見えである。
「あのう、き、如月さん? 俺たち、ここで本当に毎日お弁当を食べてるの?」
「入学時からずっと一緒に食べてるじゃない。私たち幼馴染なんだから」
 泣き出しそうな表情で俺に訴える如月。そんな表情なんて見たことがなかった俺は、思わず胸がキュンと鳴る。
「それに如月って誰? 私は葉月なのに……」
 彼女はポロポロと涙をこぼし始めた。一緒に弁当を食べることより、今の状況の方が目立っているように感じた俺は、とりあえず如月、いや葉月をレジャーシートに座らせる。
「ごめん、葉月。俺、週末に頭を打って、ちょっと記憶を失っているのかもしれない」
「大丈夫? どこ? 痛くない?」
 そう言いながら真剣に俺の頭を覗き込む葉月を見ながら、この娘は本当に俺のことを心配してくれているんだと胸が熱くなるのだった。

「今日はお弁当にハンバーグを入れてみたの。どう? 美味しい?」
 うわぁ、このシチュエーション、男子高校生なら一度は体験してみたいイベントだけど、普通屋上とかじゃね? 中庭なんて、いきなり最難関レベルだよ。
 俺は辺りをキョロキョロ気にしながら、ハンバーグを一切れ口に入れる。
「う、美味い!」
 如月ってこんなに料理、上手かったんだ……。
 幼馴染の意外な特技に俺は驚いた。
「あーんしてあげようか?」
 やめてくれ、それだけは。悶えながら余裕で死ねるし、非リア充軍団に抹殺されるぞ。
 観念した俺は中庭のレジャーシートに小さく座って、葉月と一緒におとなしく弁当を食べる。俺的にはむちゃくちゃ恥ずかしかったが、生徒たちの平素な反応を見ていると、この昼食イベントは本当に日常のワンシーンと化していることが推察された。
 ていうか、なんで『如月』が『葉月』なんだ?
 どうしてこんなにキャラが変わってしまったんだよ。
「俺たちって幼馴染で二月生まれだよな」
 葉月との会話を通して、この劇的変化の原因を掴みたい。
 そのためには、お互いの認識の違いを明らかにするのが早道だろう。
「そう。それで誕生日も全く同じ二月十五日のみずがめ座。頭を打ってもちゃんと覚えててくれたんだね。ありがとう」
 葉月は、俺の記憶喪失という言い訳を信じてくれたようだ。
 まあ、実際に記憶喪失に近い状況なんだけど。
「両親も、その日はすごく寒い日だったって言ってたなぁ……」
 この話は何度聞かされたかわからない。
 寒さに負けない強い子に育つよう、俺は『冬馬』と、同じ日に生まれた幼馴染は『如月』と名付けられたんだ。
 するとにわかに葉月の表情が曇る。
「何言ってるの? 私たちが生まれた日は、その年で一番暑い日だったって聞いてるけど?」
 えっ、一番暑い日?
 いやいや、二月は真冬だろ?
 ん? 待てよ。そうか、そういうことだったのか!
 日本は南半球に移動しちゃったから、二月は真夏なんだ。
「ねえ、トウマ。如月って日本では八月のことなんだよ。寒さが厳しくて重ね着するって意味なんだから」
 うはっ、この日本では如月は八月のことなんだ。じゃあ、皐月とか水無月って何月になるんだよ。
 ていうか、二月の真夏に生まれたから名前が『葉月』になって、やたらと開放的なキャラに変わってしまったのか? 名は体を表すというけど、まさかそれが本当になっているとは!
 そこで俺はふと気づく。俺自身の名前はいったいどうなっているのか――と。
 冬馬。二月に生まれたからつけられた俺の名前。
 誕生日が本当に一年で一番暑い日だったら、冬馬という名前はありえない。
「ところで葉月さん? 俺の名前はトウマで良かったんだっけ?」
 恐る恐る訊いてみる。
 もし、すごいトロピカルな名前だったら、これまで十七年間築いてきたアイデンティティが一気に崩壊しそうだ。
「トウマはトウマだよ。闘う馬と書いて闘馬。それも忘れちゃったの?」
「いや、まあ、なんというか、ちょっとそこんとこあやふやでな」
 良かった。俺の名前はトウマのままで。
 俺は心の底からほっとした。
 まあ、だから今まで違和感がなかったわけだ。漢字が熱いのがちょっと気になるけど。
「それよりも闘馬、ゴールデンウィークになったら一緒に星を見に行かない?」
 えっ、星?
 今朝、一緒に見たばかりじゃないか、と言おうとして俺は口をつむぐ。あれは世界が変わる前だった。もし葉月が体験していないことだったら、ややこしいことになりかねない。
 それにしても、葉月になってもこいつの星好きは変わらないんだな。
 以前と変わらぬ幼馴染の側面に触れることができて、俺はなんだか嬉しくなった。
「ああ、行こう!」
 星空の下、また彼女の美しい表情が見れるのかな。
 今の葉月とはこんなにラブラブなんだから、ドキドキイベントが発生したりして?
 期待に胸を膨らませる俺に、彼女は言った。
「良かったぁ。今週末から見ることができるの、みずがめ座流星群が」


 ☆


 帰宅して夕食を済ませた俺は、ごろんとベッドに横になる。
 今日はいろいろなことがあった。
 早朝の流星観測と願い事。そして北半球と南半球の逆転。如月なんて、名前もキャラも正反対になってしまった。
「もしかして如月にも、葉月のような一面があったのかもしれないな……」
 もう二度と会えないかもしれない如月という名前の女の子。
 そう考えると、なんだか寂しくなってきた。
 本当に、名は体を表しているだけなのだろうか?
 俺がもっと星座に興味を示してあげていれば、如月だって、葉月のような輝く笑顔をたくさん見せてくれたんじゃないのか?
 スキーばかりに行くんじゃなくて、時折一緒に天体観測に出かけてあげればよかった。そんな過去もありえたかもしれない。
 如月のことを考えれば考えるほど、葉月のことを大切にしなくちゃいけないと思う。と同時に、どうしようもない喪失感で胸が一杯になるのだ。
「ごめんな、如月。こんな幼馴染で……」
 一粒、涙が頬をつたう。俺は眠りに落ちた。


「おい、トウマ。起キロ!」

 早朝四時。
 俺の安眠を打ち破ったのは、やはりこいつの声だった。
「な、なんだよアルタ。毎日毎日早くから起こすなよ。もう願いは叶っただろ?」
「スゴイだろ? 俺様がツクった世界ハ。織姫もイナイ、スキーもスグデキる、流星もミレる」
「俺様が創ったって、アルタが創ったのか? そりゃ凄え、凄え」
「ジツリョク、ってトコかな」
 えへんと胸を張っているような声が聞こえてくる。
「そんな万能の王子様なのに、なんで早朝しか出てこないんだよ。質問したい時に反応ないし。こっちはすごく迷惑なんだけど」
 世界が変わった時、なにがなんだかわからなくて本当に困った。アルタが創った世界なんだったら、張本人が率先して状況を説明すべきところだ。
「シカタないンダよ。アルタイル星と通信しナガら、地球語にホンヤクしテルから」
 なんだって? アルタイル星と通信しなくちゃ喋れないってこと?
 まるでグー◯ル翻訳の宇宙版って感じだな。 
 まさか、アルタイル星からの電波で俺の耳石が操作されてアルタの声が聞こえているわけじゃあるまい。
「早朝じゃない時間帯に出現してほしいんだけど」
「だからシカタないって言っテルじゃナイか。昼間はアルタイル星と通信デキないンダよ」
 そうなのか?
 もし、本当にそうなら仕方がないことだが。
 それより俺には、アルタに聞きたいことがあった。
「ところで何で、叶う願いはシンクロした部分だけなんだ?」
 世界を創れるくらいなら、いつでもなんでもできるような気もする。
「ソウじゃナイと際限ナイだろ? 宇宙のシンイは平等ナンだ」
 まあ、そうかもな。
 異星人がアルタイル星に願い事をした時だけ、アルタの望みが叶う。
 それならば、万能の王子様だって異星人の意思をないがしろにできなくなるってわけだ。もしかしたら、このシステムのおかげで宇宙の平和が保たれているのかもしれない。
「デモ、この世界はイイな。織姫のコエが聞こエナい」
 しみじみと語るアルタ。
 清々できるのは今のうちだけなんじゃないかと俺は思う。と同時に、幼馴染のことを思い出していた。
 名前が変わって、性格も変わってしまった俺の幼馴染。
 十七年間、一緒に過ごしてきた如月が失われたと思うと、心にぽっかり穴が空いたようだ。
 アルタが今、開放感を満喫できているのは、望めばまた織姫に会えると考えているからじゃないのか? でもその時に会える織姫は、昔の織姫と同じとは限らない。
 俺はそれを痛感した。
 今、会える人を、全力で大切にしないといけないんだ。
「なあ、アルタ。織姫はさ、本当にアルタのことが好きだったんじゃないのか?」
 それは自分に言い聞かせるように。
「きっと彼女は、アルタに向けてメッセージを発信し続けていたんだよ。それを俺たちは、受け取り損ねていたんだ」
「…………」
 アルタが後悔しないようにするにはどうしたらいいんだろう?
 お昼になったら葉月に相談してみようと、おれはベッドの上で再び目を閉じた。


 ☆


「なあ、葉月。七夕伝説ってあるよな」
 お昼の中庭で、葉月が作ったお弁当を食べながら俺は切り出した。
 アルタの身の上を相談するには、まずは七夕伝説から入っていくのがいいと思ったからだ。
 それにしても、中庭での昼食会はすごく恥ずかしくて全く慣れることができない。が、それよりも驚いたのは、俺の言葉に葉月が目をまんまるにしたことだった。
「闘馬、何でそれ知ってるの?」
 知ってるって、日本人なら誰でも知ってるだろ? 七夕伝説くらい。
 キョトンとする俺の瞳を、葉月は興奮しながら見つめてくる。
「七夕伝説って、遠い遠い北の国のお話だよ。離れ離れになった男女が、一年に一度だけ会えるという切ないストーリーなの。中国では、その話を織姫星と彦星という星に投影してるんだって」
 それくらいなら俺だって知ってるぞ。
 でも、それを知ってることが何で驚きに値するんだ?
「あれ? 闘馬に七夕伝説って話したことあったっけ?」
 なんだか状況がよくわからないが、俺は話を葉月に合わせることにした。
「ああ、ずいぶんと昔のことだけどな」
 夏の大三角は、子供の頃に如月から教わったんだ。だから嘘は言ってない。
「ホント? でも嬉しい! そんな昔のことを覚えていてくれたなんて」
 満面の葉月の笑顔。それは抱きしめたくなるくらいに可愛いかった。
 でも、如月をそんな笑顔にさせてあげられなかったことを思うと、心がチクリと傷む。
「それでな、中国から来たという俺の知り合いにさ、自分自身をその彦星に重ねているバカな傷心野郎がいるんだよ」
 おい、アルタ、聞こえてるか? お前のことだぞ。
 俺は胸を掻くふりをして、制服の下に隠しているペンダントに触れる。
「へえ~」
 葉月は興味深そうに耳を傾けてくれた。
 如月だったら「本当にバカな野郎ね」と一蹴しているところだろう。
「そんでもって、「この日本に来れば織姫に見つからない。清々する」なんて言ってるんだよ。でも織姫も心配してるよね? だから、すぐに仲直りした方がいいよね?」
 最愛の人が消えた。その時、女性はどう感じるのだろう?
 そんな女性心理を俺は葉月から聞いてみたかった。アルタにアドバイスするために。
 しかし返ってきたのは予想外の答え。
「その人が本気で自分のことを彦星と言っているんだったら、しばらくほおっておけばいいんじゃない?」
 へっ? そんなんでいいの?
 あっけらかんと答える葉月の言葉に俺は唖然となる。
「七夕伝説って一見ロマンチックだけど、実は労働生産性の話なの。会えばいちゃいちゃして仕事をしない二人、逆に会えないと悲しくて仕事をしない二人。一番仕事に励んだのが一年に一回という頻度、ということなんだから、元気が出るまでは会わなくてもいいんじゃない?」
 いやいや、それを言っちゃおしまいでしょ。
 まるで如月のようなクールな一面を葉月に見ることができて、俺は驚いていた。まあ、同一人物なんだから、全く違うと言う方が無理な話かもしれない。
「それに、ここにいれば本当に織姫に見つからないしね」
「それはどうして?」
 続く葉月の答えは、七夕伝説に関する俺の違和感をすべて吹き飛ばす。
 
「だって日本からは織姫星は見えないもの」

 ええっ!?
 織姫が見えないって? どういうこと?
「織姫星。つまり、こと座のベガは北にある星だから、北半球にある中国からは見ることができるけど、日本は南半球の南の方にあるから見られないの。だからその人は、見つからないって言っているんだと思うよ」
 マジか?
 ようやく俺もアルタが言っていることを理解した。
「じゃあ、彦星は?」
「彦星? わし座のアルタイルね。アルタイルは見えるよ。夏の夜の水平線近くにね。今だったら、夜明け前のちょっとの時間なら見えるかも」
 なんと。
 だからアルタの言葉は、早朝にしか翻訳されないんだ。
 それにしても、この日本から織姫星が見えないとは知らなかった。道理で七夕伝説が流行っていないわけだ。
「ん? ちょっと待って、闘馬」
 葉月の方を見ると、彼女は真剣な顔で何かを思い出そうとしていた。
 なにか気になることでもあるのだろうか?
「ベガのことなんだけど、北海道まで行けば見えるって聞いたことがある」
 おおっ、それだ!
 葉月は「ほおっておけば」と言ってたけど、本当にそうするわけにはいかないじゃないか。アルタは一度、織姫に会っておいた方がいいと思う。
 そのためには一緒に北海道まで行けばいい。織姫に再会すれば、彼女の魅力に気づいてくれるかも。
「今の季節でも見える?」
「うん、アルタイルと一緒に夜明け前に見えると思う」
「じゃあさ、昨日言ってた流星群って北海道で見ない? ちょっとお金がかかるけど」
 すると葉月は、ためらいがちに俺の表情を伺う。
「いいけど、その中国の知り合いの方も来るの?」
「そんなことないよ。二人で行こう!」
 本当はペンダントに化けて一緒に来るんだけどな。でもそんなこと言ったら「私は遠慮しとく」と言いそうな雰囲気だ。
 だからこう言うしかなかった。
 俺の一言で葉月の表情に光が戻る。
「うん! 私、一度でいいからベガって見てみたかったの!」
 こうしてゴールデンウィークの北海道旅行が決定した。


 ☆


 そして翌日の午前四時。
「おい、トウマ。お前タチって、ホントに北海道へイクのか?」
 早朝にアルタの声が聞こえることを予期していた俺は、前の日に早く寝て、ちゃんと準備をしていた。
「ああ、アルタも久しぶりに織姫に会えるぜ」
「ダカラ、ソレが余計なお世話ナンだって!」
「そんなこと言っても、織姫サイドはフィアンセ探しで必死かもよ。単刀直入に言うと、アルタは地球の影に隠れてるってことだろ? もし、ベガからすんごい光線銃が発射されて地球が消滅したらたまらんからな」
「…………」
 いや、そこ否定しろよ。マジでそんな危険があるのかよ。
「それにな、俺はこの世界に来て再認識したんだ。幼馴染の大切さを」
 この二日間感じてきたことを咀嚼するように、俺はゆっくりと言葉を選ぶ。
「存在が消えてしまってからでは遅いんだよ。アルタにはまだ織姫がいる。それがどんなに大切で有難いことか、アルタにも気づいて欲しいんだ」
 もう二度と会えないかもしれない如月。
 俺に毒づく彼女の態度を愛おしいと思う日が来るとは思わなかった。
「トウマには葉月チャンがいるジャないか」
 真夏に生まれた葉月。こちらの世界での幼馴染。
 確かに彼女は可愛い。それに俺とすでにラブラブだ。
 彼女と一緒なら、幸せな未来が開けていることは間違いない。
「ダメなんだ。なんか違うんだよ。葉月は用意された彼女って感じがしてさ」
 俺、葉月にかなり失礼なこと言ってる。
 でも本心なんだ。俺の本当の気持ちなんだよ。
「彼女が俺に向ける想いは一方的で、二人で築き上げたものじゃない。その上に俺が乗っても大丈夫なのか、すごく不安なんだ。恐いんだよ」
 だから俺は、いつの間にか葉月と如月を比べるようになっていた。
 もし如月だったら、どんな行動をとっていたんだろうと。
「でも如月は違う。彼女が俺に冷たく当たるのは、俺が彼女に冷たかったからだ。それは氷河のようにどっしりとしていて、不思議な居心地の良さがあることに気づいたんだよ。だって二人で十七年間かけて築いてきた関係なんだからさ」
「…………」
 沈黙するアルタ。これを機会に、織姫との関係を考え直してくれると嬉しい。
 この日本では七夕伝説なんで誰も知らないみたいだけど、はるか北の国では二人の悲恋を愛する人たちがたくさんいるんだから。
「デモな、トウマ」
 ようやくアルタの声が聞こえて来る。
「ヨク考えテミな。オマエは北海道にイケルのか?」
 北海道? お金がかかるのがすごく心配だけど。死ぬ気で親に頼めばなんとかなるんじゃね?
「ソノ葉月チャンと二人デ?」
 そうだよ、二人でだよ。二人だと悪いか? ふ、二人でっ!!???
 アルタに言われて初めて認識した。葉月にすごい提案をしまったことを。そして高校生の男女にとって、お金以外にも高いハードルがそびえ立っていることを。
 ご両親の許可は?
 日帰り……は無理だ、早朝の星空を見に行くんだから。
 するとホテル泊まり? 部屋は? ベッドは? 真実か挑戦か? お酒は口噛酒まで? その後は+*@%&#!!????
「ケントウを祈る、アディオス!」
 ポーッと沸騰しそうな雑念でクラクラする俺をよそに、アルタは通信を終了させた。


 ☆


 学校に行くと大変なことになっていた。
「よお、雪原。ゴールデンウィークに新婚旅行に行くんだって?」
「いいなあ、葉月ちゃんと二人っきりで北海道なんて。お土産よろしくね」
 すっかり噂になってるじゃねえか。
「誰だよ、そんなデタラメ言ってんのは」
 事実だけどさ。
「蓋付さんが嬉しそうに話してたよ。「闘馬と一緒に北海道でお泊まりなの」って」
 ぐはっ! 本人かよ。
 お弁当の時もそうだけど真夏生まれだからって開放的すぎる。ていうか、お泊り宣言はヤバいだろ。
 お昼になったらガツンと文句を言ってやろう。
 授業中でもクラスメートがニヤニヤと俺のことをチラ見する。そんな視線に耐え忍びながら、俺は午前中の授業を乗り切った。
 
「おい、葉月。なんで北海道のこと学校中に言い回ってんだよ。両親の許可も取ってないのに」
 昼休み。
 中庭に着くなり、俺は葉月に文句を言った。
「えっ? 全然大丈夫だよ。昨日パパに話したら、時間がないから急がなくちゃって飛行機もホテルも予約してくれたの。ツインの部屋だけどいいよね? それから闘馬ママには、うちのママがラインしたって言ってたよ」
 マジか。すでに準備万端、オール手配済みかよ。
 というか、この世界では二人の関係は両親、学校共に超公認なんだ。
 一つの部屋で寝るって、冗談抜きで新婚旅行じゃねえか。
「闘馬。日程は一泊二日だけど、夜は寝かせてあげられないから覚悟しといてね」
 うほほほほっ!?
 ダメだよ葉月、ハネムーンベイビーはまだ早いよ。ほら、俺たち高校生だし、受験だってあるし。
「夜は藻岩山に登る予定なんだ。ロープウェイの最終便で上って翌朝の始発便で下りるの。これでじっくり星が見られるよ」
 忘れてた、俺たちは星を見に行くんだってこと。そして葉月が大の天文マニアだってこと。
 ロープウェイの最終から始発まで山に居ろって、一種の拷問じゃありません?
「楽しみだなぁ、北海道。何着て行こうかなぁ……」
 鼻歌まじりで嬉しそうに考え事をする葉月の姿を見ながら、如月も旅行に連れて行ってあげたらこんなに喜んでくれるのだろうかと俺は思うのであった。


 ☆


 二◯一八年四月二十八日。
 ついに今年もゴールデンウィークに突入した。
 俺は親から借りたスーツケースに防寒着を詰め込み、家を出る。
 駅で待ち合わせた葉月は、長い黒髪をツインテールの三つ編みにしていた。そして、俺の姿を見ていつかのごとく瞳を丸くする。
「闘馬、すごい荷物だね。テントでも入ってるの?」
 テントか? それは思いつかなかった。
 確かにテントがあれば天体観測に役立つかもしれない。買うお金はないけど。
「だってゴールデンウィークの北海道だぜ。桜が咲くくらいなんだから寒いだろ? スキー場もやってるかもしれないって思ってさ」
「寒い? スキー? 何言ってるの?」
 葉月はケラケラと笑い出す。
「まだ残暑がきつくて暑いくらいだよ。だって、日本で一番暖かい場所なんだから」
 えっ? と一瞬驚いて俺は思い出す。
 しまった、この日本は南半球にあるんだった。
 北のはずれにある北海道は、前の世界の沖縄と同じような地理的状況ってことじゃないか。南半球生活ももう一週間なのに、なんでそんなことに気づかないんだよ、俺のバカバカバカ。沖縄にスキーウエアを持って行くなんて、側から見れば道化そのものだ。
 俺は恥ずかしくて顔が真っ赤になる。
 チラリと葉月を見ると、彼女は涼しそうな水色のワンピースとサンダルでコーディネイトしていた。
「気にしないで闘馬。だって、頭を打って記憶が飛んでるんでしょ? 私は来てくれただけでこんなにも嬉しいんだから」
 ああ、葉月はいい娘だなぁ。
 もう、そのワンピースごとギュッとしたくなっちゃう。
 如月だったら「そんな暑苦しい格好で私に近づかないで」って拒否られるところだよ。
「ありがとう葉月。頑張ってこの荷物と一緒に空港へ行くよ」
 さすがに家に戻って荷物を入れ替える時間の余裕はない。
 重いスーツケースをゴロゴロと押しながら、俺たちは空港に向かった。

「うわぁ、噂通り暖かいねぇ~」
 新千歳空港はジリジリとした残暑に包まれていた。
「さすがは北の楽園。もうちょっと早ければ泳げたのに残念だねぇ」
 ゴールデンウィークの北海道で泳ぐなんて修行にしか聞こえない俺は、葉月との会話についていくのがやっとだ。
「今度来る時は、利尻島や礼文島に行こうよ。サンゴ礁が広がっていて、すっごく綺麗なんだって」
 ウニや昆布はどこいった?
「そういえば北の三部作って、映画でやってたね。永吉百合子も相変わらずのアロハシャツで頑張ってるよね」
 うわぁ、イメージ崩れるぅ~
「お土産はどうする? やっぱベニポックルだよね。あの紅芋の甘さが大好きなの」
 ジャガは? ジャガの塩味がやみつきなのに。
 荷物を受け取った俺たちは、エアポートライナーに乗って札幌に向かう。車窓からは青々と葉が茂る広大な畑がどこまでも続いていた。
「あれってトウモロコシかな?」
「何言ってるの、サトウキビだよ。だって札幌は、サトウキビ栽培のために移住した人たちが造った町なんだから」
 あれ、全部サトウキビかよ。って、もう何が何だかわからなくなった。
 俺だって北海道に来るのは初めてなんだから、先入観なんて持たずにすべてを受け入れればいいんじゃんか。知ってるのはスキー場のことだけなんだし、その知識もこの世界では全く役に立ちそうもない。
 そんな境地に至った時には札幌駅に到着していた。
 ホテルに着いて荷物を置くと、俺はベッドに倒れこむ。
 なんだかわからないが相当疲れが溜まってる。
「葉月、とりあえず寝かせてくれ……」
 俺は一瞬で眠りに落ちた。

「闘馬。起きてよ、闘馬」
 女性の声とやさしく揺り動かされる振動で俺は目を覚ました。
 はっと時計を見ると、すでに夜の八時を回っている。
「そろそろ晩ご飯を食べて、山に行くよ」
 チェックインと同時に寝てしまったから五時間は寝たことになる。体の充電はとりあえずバッチリだ。
「葉月は寝たのかよ。今日は徹夜だろ?」
「うん、私も四時間は寝たかな。だから大丈夫」
 そして彼女はクスクス笑い出す。
「闘馬、爆睡だったよ」
 いや、恥ずかしい。
 幼馴染とはいえ、女の子の前でなんという醜態。
 葉月の格好を見ると、お昼のワンピースに薄手のカーディガンを羽織っていた。背中にはデイパック。すでに山の準備はできているようだ。
 まあ、俺も服のまま寝ちゃったからこのまま出掛けることは可能だけど。
「葉月。晩ごはん、どこ行く?」
「せっかくだから、ウージ野のソーキソバ横丁はどう? 名物らしいよ」
「なんだかよくわからないけど、そこでいいよ。腹減ったからなんでも美味く感じると思うんだ。葉月のお弁当には負けるけどね」
「もう、闘馬ったら」
 そんなデレデレ新婚夫婦を演じながら俺はパーカーを羽織り、ホテルを出て地下鉄に乗る。
 横丁のソーキソバでお腹を満たすと、市電に乗ってロープウェイ乗り場に向かった。
「じゃあ闘馬、山に行くよ! 楽しみだね、流星群とベガ」
「ああ」
 こうして、俺にとって人生で一番長い夜が始まった。


 ☆


 ロープウェイが高度を上げるにつれて、まばゆいほどの札幌の街明かりが目の前に広がっていく。その街明かりのはるか上空には、丸い月がぽっかりと浮かんでいた。
「月が明るいね。今晩は十三夜月だから、明け方近くになるまで天体観測には不向きなの。時間はたっぷりあるから、のんびりしようね」
 なんだかよくわからないが、月のせいで明け方まではのんびりできるらしい。
「ああ、月だけにウサギのようにな」
 ウサギにでもなったつもりでうたた寝でもするか。そんな場所が山頂にあればいいけれど。
 ロープウェイが終点に着くと、山頂に向かって遊歩道を歩き出す。山頂の展望台は、素晴らしい景色が広がっていた。
「すごい、すごい。行き交う車がゴミのようだ」
 小さい光の点が、ビルの合間を駆け抜けて行く。
 時計はもう夜の十一時を過ぎているのに、札幌の街は煌々と夜空を照らしていた。
 気温も噂通り暖かい。これなら今の格好で朝まで居ても大丈夫だろう。
「なに、闘馬? もっとロマンチックな言い方はないの?」
「まあ、いいじゃないか。月だってあんなに綺麗なんだし」
「月ね……。そういえばさっき、闘馬は月を見てウサギって言ってなかった?」
「ああ、だって月と言えばウサギだろ?」
 すると葉月はクスクスと笑い出す。
「最近の闘馬って本当におかしいね。だって月と言えば普通は乙女でしょ? ほら、乙女が寝転んでいる姿が見えるじゃない」
 葉月が月を指差す。そこには確かに、人が寝転んでいるような模様が浮かび上がっていた。
 マジ? 月と言えばウサギじゃないのか?
 月の模様も北半球と南半球で違っているなんて、それはいったいどういうことなんだ?
「月のウサギが一般的なのは中国だよ。その話って、子供の頃にしてあげたっけ?」
「そ、そ、そうだね、確かすごい昔に葉月から聞いたような気がする……」
 だんだんと嫌な汗が流れてきた。
 全く見慣れない月の模様。今までは、見たことのある景色が左右逆転しているような変化だったが今回は違う。今、俺の脳内に飛び込んできている月の模様は、異世界そのものだ。
「日本で有名なのは、ロナという乙女の話じゃない」
 月を見上げながら葉月は語り出す。
「夜、月明かりを頼りに水を汲みに行ったロナは、雲の影になった暗がりで転んでしまったの。その時月の悪口を散々言ってしまって、月に連れて来られちゃったんだって」
 まるで遠い異国の地の話。
 葉月には申し訳ないが、あまりにも実感がなくて頭の中には全く入ってこなかった。
 すると葉月はスマホを取り出し、パチリと月の写真を撮る。そしてスマホを操作しながら画像を加工し始めた。
 そして俺にスマホの画面をかざす。
「これが今、北半球で見えている月の姿」
 おおっ!
 思わず俺は画面に釘付けになる。
 そこには見慣れた月の姿が映し出されていた。
 ――月にウサギがいる!
 不覚にも目頭が熱くなる。涙が溢れそうになるのを俺は必死で堪えた。
「月にウサギがいるというのは、元々はインドの神話からなんだよ。神様への供物が用意できなかったウサギは、自ら火に飛び込んで供物になったんだって。中国では、月でウサギが不老不死の薬を作っているらしいよ」
 餅つきは? と一瞬思ったが、そんなことはどうでもいい。
 どうやったら月の乙女が月のウサギになるんだよ?
 それを訊いてみたかった。でも夢中で訊いたら、また不審がられることは明らかだ。
 まずは心を落ち着かせよう。時間はたっぷりあるのだから。
 一方葉月は、スマホの画面をしみじみと眺めている。何かを確認するかのように。そして静かに俺に訊いた。
「ねえ、闘馬。闘馬はどっちがいい? 自分を犠牲にして月に行くのと、他人を傷付けて月に行くのと……」
 まるで俺の心を見透かすように。
 そりゃ、ウサギの方がいいに決まってる。だって俺はずっとウサギで育ってきたんだから。
 この機会に、葉月にすべてを打ち明けてしまったらどうだろうか。
 ――実は俺、北半球から来た人間なんだ。
 そしたら、どんなに心が楽になるかわからない。
 でも、その時――葉月はどんな反応をするだろう。
 月のウサギを知ってるのはそういう理由なのね、と驚いてくれるだろうか?
 それとも、私の知っている闘馬はどこに行ったの? と悲しむだろうか?
 いや、ダメだ。
 後者の可能性が一パーセントでもあるならば、俺は真実を語ってはいけないんだ。こんな素直で純真な女の子を泣かせちゃいけない。本能がそう叫んでいた。
 でも帰りたい。
 月にウサギがいる世界で過ごしたい。
 その感情を隠しきれなくなった俺は、月を見上げてこう言った。
「俺は……ウサギかな。だって君が昔、教えてくれたストーリーだから」
「うん。私もトウマと同じ……」
 葉月はスマホをデイパックにしまい、俺の体の横にぴったりと体をくっつけてくる。そして静かに頭を俺の肩に預けてきた。
 いったいどうしたんだろう、葉月は急に。
 彼女のぬくもりが腕から肩にかけて伝わってくる。三つ編みにした黒髪からいい香りが漂ってきた。
 ――バクバクバク。
 心臓の高鳴りが止まらない。
 俺は恐る恐るデイパックの上から葉月の肩に手を回す。ギュッと手に力を入れると、彼女は完全に俺に体を預けてきた。
 ――女の子の体って、なんて華奢なんだろう……。
 ドキドキは最高潮に達していた。
 そのまま葉月の肩を抱き寄せたまま、俺たちはいつまでも月と星空を眺め続けていた。

 この時が永遠に続けばいい。
 そう願った刹那、つうっと一筋の光が夜空を横切る。
 いつか見たのと同じ流れ星だ。
「落ちたね」
「うん……」
 葉月の肩を抱いたまま、俺は流星を眺める。
 彼女も俺の肩に頭を預けたまま、夜空を見上げていた。
「みずがめ座流星群……だったっけ?」
「うん、みずがめ座流星群」
 二人で体を寄せ合いながらの流星観測。
 こんなに素晴らしいものとは思わなかった。
 如月からの誘いを、なんで今まで断り続けてしまったんだろうと後悔する。
 こんな素敵な観測なら、いつでも何度でも付き合ってあげたのに。
 そういえば、如月と一緒に流星を見たことがあったじゃないか。俺はその時の様子を思い出していた。
「流星群ってこんなもんだっけ?」
「まだ極大の一週間前だからね。こんなものだよ」
「へえ~」
 如月と一緒に見た流星群はすごかった。
 星が雨のように次から次へと落ちてきた。
「星がどんどん落ちてくることもあるんだろ?」
「それって流星雨って言うんだよ。流星雨はね、滅多に、というか一生に一度くらいの確率でしか見られないんだから。普通の流星群はね、一時間に二十個くらい見られればいい方なんだよ」
 へえ、そうなんだ……。
 あの時に一生に一度の運を使い果たしてしまったというわけなのか。
 それにしても、一時間に二十個とはどれくらいだろう?
 えっと、一時間は六十分だから、むむむむ、さ、三分の一、いや三分に一個ってことじゃないか。
「そうそう闘馬。先週のことなんだけど、こと座流星群で流星雨が見られたんだって!」
 葉月が興奮気味に言う。
 だから俺は、つい答えてしまった。
「あれ、すごかったよね、星が次から次へと落ちてきて」
「えっ?」
 葉月の肩が急に強張る。
 彼女は俺から体を離し、鋭い眼差しで俺を見上げてきた。
「それ、どこで見たの?」
「どこって?」
 態度が豹変した葉月に俺は緊張する。
 俺、何かまずいこと言ったのか?
 如月と一緒に見たことだけバレなければ大丈夫じゃないのか?
 そこだけ隠しておいて、あとは正直に答えよう。嘘をついてもどうせバレてしまいそうだし。
 だから俺は葉月の目を見て真剣な表情で答えた。
「近所の公園で、だけど?」
 しかしそれが致命的だった。
「嘘よ、嘘。こと座流星群は、南半球ではほとんど見られないんだよ!?」
 マジか。絶体絶命のピンチ。
 その時、俺にとって救いの声が聞こえてくる。
 
「トウマ、アノ流星雨のショウタイがワカったぞ」

 起死回生の登場か、はたまた新たな波乱の幕開けか、とにかく俺の運命はアルタに委ねるしかなかった。


 ☆


「誰? 何、この声!?」
 驚いたようにキョロキョロと辺りを見回す葉月。彼女にもアルタの声が聞こえているようだ。
 ということは、アルタの声は本当に、アルタイル星から直接耳に届けられているのかもしれない。
「俺様は、アルタイル星のオウジ、アルタだ」
「王子?」
「イマは、ペンダントに姿をカエて、トウマの胸にブラさがっテル」
 俺は胸元から星型のペンダントを取り出すと、印籠を守る家来のように葉月に向けてかざした。
「葉月。信じられないかもしれないけど、この世界はこのアルタが創り出した世界なんだ。もともと日本は、北半球にあったんだよ」
 まあ、急に信じろと言われても無理だろう。
 俺が葉月の立場だったら絶対無理だ。
 彼女にとっては、日本はずっと昔から南半球にあって、俺たちの方が北半球から来たと説明した方が分かりやすいかもしれない。
「アルタが創り出した世界? 星の王子様の力で?」
 驚いてはいるけれど、そんなには取り乱していない葉月の様子に俺はほっとする。
「そうなんだ。その、こと座流星群の時に俺たちは願ったんだ、この世界のことを」
「…………」
 頬に手を添えて考え込む葉月。きっと、星に関する彼女の知識を総動員させているのだろう。
 その間に俺はアルタに訊いてみる。
「アルタ。さっき言ってた流星雨の正体って、どういうことなんだ?」
「アア、それナンだが、偵察衛星だっタンだよ。織姫の」
「偵察衛星? 偵察衛星が織姫星から投入されてたってこと?」
「そうナンだ。俺様をサガすタメ、何ヒャッ機とイウ偵察衛星がベガを発射シ、地球の大気圏にトツニュウした」
 何百機?
 それが大気圏に突入したって、その光景は荘厳だろう。
 あ、そうか、偵察衛星が次から次へと突入してきたから流星雨のように見えたというわけなのか。
 それが本当なら、すでに俺たちは包囲されているってことになる。
「偵察衛星って何ができるんだよ? なんか恐いんだけど」
「俺様タチの位置のハアく。ソシテ、ベガ粒子砲の軌道シュウセイ」
 位置の把握はわかる。偵察衛星なんだから。
 二つ目のベガ粒子砲ってなんだ? すっごくヤバい予感がするよ。
「ベガ粒子砲って?」
「大丈夫トウマ。ベガ粒子砲は、俺様をツレ戻すタメの星間移動ショウシャ銃だからタイしたコトない。ソレに、ベガからココが見エルまで、まだ二時間アル。ソレまでに解決策をカンガえる」
「解決策って、アルタがアルタイル星に戻るって選択肢もあるんだろ?」
「戻ル? 戻ッタら、コノ世界はナクなっチャうんダゾ。元に戻っチャうんダゾ!」
「上等だよ、アルタ」
「ソシたらスキーできナクなっチャうんダゾ? 夏ニなっチャうんダゾ!」
「もういいんだよ。幼馴染の存在がどれだけ大切かわかったから」
「ナンだよトウマ、裏切りモノ! ヘタれポンきち」
 何とでも言うがいいよアルタ、と思ったその時、背後から声が掛けられた。
「ちょっといい? 私にいいアイディアがあるんだけど」
 それは葉月だった。
 先ほどの俺たちの会話を聞いていたのか、秘策がありそうな自信たっぷりの声で提案する。
「これからアルタと相談したいから、彼を貸してほしいの。申し訳ないけど一時間くらい」
 一時間も?
 でも、もしかしたら葉月ならアルタのことを説得できるかもしれない。
 織姫の気持ちを理解できるのは、同じ女性である葉月だけかもしれないんだから。
「わかった」
 俺は星型のペンダントを首から外すと、葉月に手渡した。
「じゃあ、一時間後に戻ってくるから闘馬はここにいて」
「ここにいろって、葉月はどこに行くんだよ?」
「公衆トイレ。だって空には偵察衛星がウヨウヨしてるんでしょ? ここじゃ丸聞こえじゃない。個室の中なら大丈夫だと思うけど」
 こうして俺は、深夜の展望台に一人残されることになった。

 札幌の街灯りと西の地平線に沈もうとする月、そして時折流れる星々。
 展望台の手すりに寄りかかり、俺はぼおっと夜景を眺めていた。
 ついに葉月に俺たちの正体がバレた。
 その時彼女は、そんなに驚く様子もなく、取り乱す感じもなかった。まあ如月とは違って真夏生まれということで、おおらかに育ったせいなのかもしれない。
 今、二人は何を話しているのだろう。
 葉月もトラブルは望んでいないはず。そのためには、アルタに故郷に帰ってもらうしかない。スキーができなくなるのは悲しいけど、半年ちょっと待てば済むことだ。
 先ほどのアルタの話によると、もうしばらくしたら北の地平線にベガが現れるという。そしたらベガ粒子砲がアルタを目がけて飛んでくるのだろう。いくら偵察衛星で軌道が修正されるとはいえ、葉月や俺に当たらないとも限らない。そうなる前にぜひ、物事が解決してほしい。
 ――葉月の説得が成功しますように!
 ベガが現れる時間が刻々と近づく中、俺は祈るような気持ちで流れ星に願いを込めていた。


 ☆


 一時間後。
 葉月が展望台に戻ってきた。手にペンダントを握りしめて。
 目の前まで来ると、彼女はペンダントを俺に手渡した。
「闘馬。アルタを胸につけてみて。パーカーの上からでいいわ。これから儀式を始めたいの」
 儀式? なんだよ、それ?
 これから何を始めようっていうんだ?
 嫌な予感で頭を一杯にしながら、俺は渋々とペンダントを首からぶら下げる。星型のトップが街灯の光でキラリと光った。
「そしたら闘馬、そのまま胸を張って立っていて。威風堂々とね」
 俺は肩幅くらいに足を開くと手を後ろで組んだ。そして葉月を見る。
 すると彼女はゆっくりと三歩後ずさり、ワンピースのスカートをたぐりながら俺の前にひざまづいた。
 一つ深呼吸。
 葉月はペンダントを見つめながら、力強く宣言する。

「アルタ様。私めを妻として迎えていただけないでしょうか!」

 はっ?
 な、なに、これ!?
 妻ってどういうこと!?
 一時間の説得の結果がこれなのか?
 激しく困惑する俺の頭に、アルタの声が響く。
「ワカった。俺様はハヅキを嫁にムカえる」
「ははっ、有り難き幸せにございます」
 なに? この茶番劇。
 二人は真剣に、そんなことを言っているのか?
 アホらしくなった俺は、葉月に訊いてみる。
「本当に結婚するのかよ? 二人は?」
 すると葉月は立ち上がりながら興奮ぎみに言う。
「そうよ。私ね、星のお姫様になるのが子供の頃からの憧れだったの。星に詳しくなったのもそれが理由。そしたら目の前に星の王子様が現れたんだもん。これは運命としか思えないわ」
 マジか? それが星のことを勉強する原動力だったとは!?
 でもそしたら俺はどうなるんだよ?
 元の世界に戻れないどころか、俺は一人ぼっちになっちまうじゃねえか。俺と葉月は両親、学校共に超公認だっただろ?
「お弁当は? 来週からのお昼はどうなるんだ?」
「ごめんね、闘馬。来週はあなたにお弁当を作ってあげられない」
 そ、そんな……。
 最悪の結末じゃねえか。
 こんな状況で学校に言ったら、皆に何を言われるかわからない。北海道離婚とささやかれることは間違いなしとして、俺が葉月に変なことをしたと思われたら最悪だ。
「もう元に戻れないのか? 俺たち」
「何言ってるの? 私たちは最初から幼馴染で、これからも幼馴染でしょ? 何も変わってはいないよ。それにアルタから、闘馬にはいい人がいるって聞いたんだけど。如月って素敵な人が」
 なっ!?
 なんだよアルタ、それってあんまりだよ。
 確かに俺は、如月の存在について再認識したって言ったよ。
 でも葉月の前でそれを言うなんて卑怯じゃないか。如月はこの世界では葉月で、葉月は元の世界では如月で、どちらも俺のたった一人の幼馴染なんだから。
「そりゃ、如月は大切な、俺の大切な幼馴染だけど……」
 愕然となる俺を哀れんだのか、葉月は一言付け加える。
「でも聞いて、闘馬。この結婚にはお試し期間を設けたの。一週間という期間を。五月六日になってもアルタが私のことを気に入ってくれていれば継続、やっぱり織姫のことが恋しくなったら解消になるのよ」
 そう言って葉月は俺にウインクした。
 きっとそれは『あとは察して欲しい』というメッセージなのだろう。偵察衛星に察知されないための。
 その時だ。

『結婚ナンて許サナい!』

 頭に響く女性の声。
 声がする方を振り向くと、北の地平線の一点がまばゆく赤く輝く。と同時に、すごい高速で何かが俺の左脇の下を通り過ぎて行った。
 それは、あっという間の出来事だった。
 後方でバシッと強く鈍い音がしたかと思うと「きゃっ」と葉月の声が漏れる。振り向くと、彼女のツインテール右側の三つ編みの髪が無残にもちぎれていた。
『私ヲ怒ラセない方がイイわ』
 な、なんだったんだ、あれは……?
 北の空から何かが飛んできて、俺の体スレスレを通り、葉月の髪の毛を切ったということ!?
「タノむ織姫。話をキイテくれ」
 慌てるアルタ。女性の声の主は織姫なのか?
「こ、これが……ベガ粒子砲……? 話が違うじゃない」
 恐ろしい兵器の登場に、すうっと背筋が寒くなる。
 同じく恐怖でガタガタと震える葉月は、必死に説得を開始した。
「ちょ、ちょっと織姫さん。話を聞いて! 一週間だけ猶予が欲しいの。五月六日まで。そしたら解消するから、アルタとの関係を。その方がお互い後腐れがなくていいでしょ?」
『問答ムヨウ!!』
 キュイーンと鋭い音に身をすくめる俺の脇の下を通り抜け、真っ赤なビームは今度は葉月の左側の三つ編みに直撃した。ビームに照らされた彼女の顔は蒼白だった。
「ゴメん、葉月チャン。織姫はワレを忘レテる。ベガ粒子砲のイリョクがイツもと桁チガイだ」
 どうやら二人はベガ粒子砲の威力を過小評価していたらしい。
 ということは、次は葉月の命が本当に危ない。
「お願いだから五月六日まで、お願いだからその日まで……」
 恐怖に身を引きつらせながら同じフレーズを繰り返す葉月。
 いい加減あきらめろよ、星のお姫様なんて。
 お前の命はお前だけのものじゃないんだ。葉月だって如月だってどっちだっていい。俺にとってお前の代わりはいないんだよ!
『コレで最期ヨ!』
 その言葉が終わらないうちに、俺は葉月をかばうように北を向いて体を投げ出す。
 地平線で眩しく輝く赤い光は、まっすぐ俺の胸に向かって飛んできて――


 ☆


「トウマ、トウマ……」
 どれくらい時間が経ったのだろう。
 自分を呼ぶ声で俺は意識を取り戻した。
 どうやら冷たくて硬い地面の上に仰向けに寝かされているようだ。まぶたに光を感じるので、夜明けが近いのだろう。静かに目を開けると、涙で顔をぐちゃぐちゃにした女性が俺のことを呼び続けていた。
「よかった! トウマが生きていて。心配したんだから……」
 生きていて?
 そうだ、俺はベガ粒子砲を胸に受けて、それからどうなった!?
 ガバッと身を起こす。
 胸に異常はない。体は以前と変わらず動かせる。が、肩と脇腹に痛みが走った。倒れた時に打ったのだろう。頭を打たなかったことだけは幸いだ。
 地べたに座ったまま、俺は自分の体を触って細かく異常を調べる。すると、胸に付けていたはずの星型のペンダントが無いことに気付いた。
「あれ? アルタは?」
 すると、同じく地べたに座る女性が涙をぬぐいながら答える。
「織姫が連れて行っちゃった。ほら、そこに穴が空いてるでしょ?」
 彼女が指差す俺のパーカーの胸の部分には、ぽっかりと星型の穴が空いていた。
「なんだよ、これ。もう着れないじゃないか」
「でもアルタのおかげでトウマの命が助かったの。感謝しなくちゃ」
 きっとベガ粒子砲は胸のペンダント、つまりアルタに直撃したのだろう。アルタと一緒に、パーカーの胸の部分も星間移動してしまったに違いない。
 まあ、アルタのせいでこんな冒険をすることになったのだから、最後は帳尻を合わせてくれたというべきか。
「ごめんね、トウマ。私ずっと、トウマのこと騙してた……」
 泣きながら彼女が俺に抱きついてくる。
 途中でバサリと切られたツインテールの髪。
 その黒髪を優しく撫でていると、彼女への愛しさがどんどんと込み上げてくる。
「いくつか質問させてもらっていいかな?」
「うん」
「ここは北海道?」
「うん」
「もしかして春?」
「うん」
「月の模様はウサギ?」
「うん」
「ただいま、如月」
 すると如月は体を離し、涙でぐちゃぐちゃな顔に笑顔を浮かべた。
「お帰り、冬馬」
 もう会えないと思っていた幼馴染がそこに居た。

 
 ゴールデンウィークの北海道は、やっぱり寒かった。
 くしゃみを繰り返す如月に、俺は自分のパーカーを羽織ってあげる。彼女は水色のワンピースにカーディガンのままだった。
 薄紫色の空。うっすらと朝霧に覆われた眼下の札幌の街は、街灯の光がまだチラチラとまたたいている。
 凛とした空気は、今が秋ではなく、春であることを俺たちに教えてくれた。ロープウェイ乗り場に向かう道を歩きながら、如月はゆっくりと真相を語り出す。
「始まりはあの日、四月二十三日だった。こと座流星群を見るために公園に来ていた私は、ブツブツと独り言をいってる冬馬を見つけたの」
 ああ、あの時か。
 俺はアルタと出会って、二十四時間以内じゃないと願いが叶わないって早朝に起こされて、渋々公園に来ていた時だ。
「それで冬馬に声をかけて、話をしている時に流星雨がドバーッと降ってきて、嬉しくて思わず願いを唱えてしまったのよ。『今度はみずがめ座流星群を南半球で見れますように』って」
 お前かよ、南半球を願ったのは!
 そういえば、アルタは『二人の願い』とは言っていなかった。アルタと俺と如月の三人の願いのシンクロした部分が採用されてしまったというわけなのか。
「ところで、何でみずがめ座流星群なんだ?」
「規模の大きな流星群だからよ。冬馬、三大流星群って知ってる?」
 そんなの知っているわけがない。
 俺は小さく首を振った。
「一月のしぶんぎ座、八月のペルセウス座、十二月のふたご座が三大流星群って呼ばれているの。それに次ぐ規模の流星群が、五月のみずがめ座流星群。でも残念なことに北半球ではよく見えないのよ、みずがめ座は南の星座だから」
 それで、俺たちは南半球に飛ばされたんだな。
「願いを唱えた直後に意識が飛んでしまって、気付いたら自分の部屋のベッドにいたの。すぐにスマホで世界地図を見て小躍りしたわ。日本とニュージーランドの位置がそっくり入れ替わっていたんだから」
 なぬ、ニュージーランドの人も犠牲になっていたってわけか。
 それにしてもニュージーランドが北半球に移動したら、あの国旗はどんな風に変わったんだろうな……。
「でもね、直後に予想外のことが起きてビックリしちゃった。だって、ママが私のことを『葉月』って呼ぶんだもん」
 如月も似たような体験をしていたってわけか。
 まあ、俺の場合は名前がトウマのままだったから、学校に行くまでは異変に気付かなかったんだけど。
「私は自室にこもって日記を読み漁ったわ。自分が何者なのか知るために。誕生日は同じ、でも名前は『葉月』。それで闘馬という男子に毎日弁当を作って、中庭で一緒に食べてるっていうじゃない。こりゃ無理ゲーって思ったんだけど、もしかしたら神様が用意した試練じゃないかと考えたの。そんなに簡単に願いは叶わないんだぞって感じの。そして試練をクリアできなかったら、ドロロロンって元の世界に戻っちゃうような」
 なんだよ、ドロロロンって。
 でも日記があったから、如月は『葉月』になることができたんだ。
 こりゃ男には無理な話だな。よほど几帳面な奴じゃないと。
 それにしても神様の試練と割り切るあたり、なんとも如月らしい。試練と思わなければ、中庭の昼食会を耐えることはできなかったに違いない。
「それで急いで弁当を作り始めたんだけど、葉月ちゃんは几帳面な性格だったらしく、おかずは全部、前の日に作ってあってチンするだけで済んだの。おかげで助かったわ。でも次の日からは死んだけどね」
 そんなに苦労してお弁当を作ってくれていたとは、感謝、感謝だ。
「なんとかお昼までには学校に行ける目処が着いたんだけど、急いで制服を着てみてビックリ。スカート丈が膝上十二センチになってるじゃない。もう、これ、私じゃないって思ったんだけど、逆にそれで覚悟が決まったわ。とことんまで葉月を演じてやるってね」
 きっと、清水の舞台から飛び降りたような気持ちだったと思う。
 最初見た時、こっちもドキドキしたなぁ。こんなにスカートが短い如月って見たことがなかったから。
「学校に着いてさらに驚いたわ。教室の位置が左右逆転しているのは南半球だから仕方がないとして、一緒にお弁当を食べている闘馬って男子は冬馬のことで、しかも私のことを『如月』って呼ぶじゃない。私は直感したの。これは神様が用意したトラップだって」
 おいおい、俺はトラップだったのかよ?
 如月を騙すために差し向けられた神様の化身って感じか?
「真冬の二月や七夕伝説。冬馬が北半球ネタを振ってくるたびに、私は気を引き締めていたわ。騙されちゃいけない、騙されちゃいけないって。五月六日までは南半球人をちゃんと演じ切らないと、流星群は見せてもらえないんだって。蓄えてきた天文知識がこんなにも役に立つとは思わなかったわ」
 いやあ、あの頃は初めて知ることばかりで驚きの連続だった。
 まさか七夕伝説が、あの世界ではほとんど知られていないとは思わなかったよ。
「でも星空は素晴らしかったなぁ。日没直後は西の空にカノープス、東の空には南十字星、そしてケンタウルス座のアルファ星、ベータ星が上って来る。エリダヌス座が見られなかったのは残念だけど、それらが近所の公園で見れるんだよ! あの公園で!」
 鼻息を荒くする如月。
 南十字星以外はさっぱりわからないが、なんかすごいことだったらしい。
「それにあんたも、私と一緒に流星群を見に行ってくれるって言うじゃない。冬馬だったら「俺はパス」って言うと思ってたから、私は確信したの。やっぱこいつ、偽物だって。本当に私は南半球の世界に来たんだって」
 おいおい、俺はそんなに冷たいヤツだったか?
 うーん、そうだったかもしれないなぁ。今は反省してるけど。
「でもね、浮かれることができたのはそこまで。原因はここで見た十三夜月よ。自称天文マニアを返上したくなるような衝撃を受けたの」
 えっ、そんなことがあったのか?
 普通に解説していたように見えたけど。
「あの月の模様は本当にショックだったなぁ。頭では百八十度回転してるってのはわかってるんだけど、体が受け付けなかった。私たちって、子供の頃から見慣れた月のウサギが体に染み付いているのね。あの時見た月の模様は、異世界感ハンパなかったもん。人間の視覚って左右逆転には対応できるけど、上下が絡むとてんでダメなのを思い知ったわ。思わず写真撮って、百八十度回転させて、それを眺めてようやく心の平穏を取り戻せたの」
 なんだよ、あの時如月もテンパってたのかよ。
 月の模様に恐怖したことを俺も思い出す。
「それでも、北半球に帰りたいという気持ちを抑えきれなくなっちゃって。どうしようもなくなって冬馬に寄りかかっちゃった。冬馬は優しく抱き寄せてくれて、ああ、もう偽物でも、みずがめ座流星群もどうでもいいから、ずっとこのままでいたいって思ったの。その時よ、アルタが現れたのは」
 あの時、俺は如月とこんな風に流星観測ができたらって思っていたけど、実は本人と流星を眺めていたとはな。
 八月になったら誘ってみようかな。さっき彼女が言ってたペルソナ座流星群とやらに。
「アルタの話によると、この世界はアルタが創ったもので、冬馬もグルって言うじゃない。てっきり神様からのプレゼントと思っていた私は、ガクっと来たわ。闘馬と思っていた人は実は冬馬で、トラップでも偽物でもなんでもなかったんだって」
 アルタの話に葉月がそんなに取り乱した様子を示さなかったので、なんでだろうと思っていたけど、そういうことだったのか。
 悪かったね、俺はトラップでも偽物でもなんでもなくて。
「そんでもって、アルタに詳しく話を聞くと、わざわざ北海道に来たのは冬馬の余計なお節介が原因なんだって? そりゃ北海道を提案したのは私だけど、そんな裏事情なんて知らなかったもん。バカじゃないの、あんた。なんでそんなことしてくれちゃってるのよ。五月六日の極大まで南半球にいられなかったのは、あんたのせいだからね! それに「一度でいいからベガを見てみたかった」なんて心にもないセリフを私に言わせた罪は重いわよ」
 そんなに怒るなよ。
 それにバカってなんだ?
 俺は本当に如月の良さを再認識して、アルタにも織姫の良さを再認識してもらおうと思ったんだよ。その努力をバカ呼ばわりするとは許せん。
「どうしたら五月六日まで南半球にいられるかって、必死に知恵を絞ってあの茶番劇を考えて、アルタと何度も練習したんだけどダメだったわねぇ。ベガ粒子砲については、ただの星間移動照射銃だってアルタが言ってたの。照射されたものがベガ星に送られるだけだって。だから甘く考えていたんだけど、使用者が怒っているとあんなにすごいパワーが出るんだね。死ぬかと思ったわ」
 俺もマジでビビった。もうあんな体験こりごりだ。
「星のお姫様になりたいって言った罰だな」
「もうそれはやめて。すっごく恥ずかしいんだから……」
 そして二人で笑った。


 ロープウェイの始発便の乗客は、予想していた通り俺たちだけだった。
 最大六十人も乗れるゴンドラの特等席に俺たちは腰を下ろす。扉が閉まると、如月は静かに語り出した。
「アルタ、感謝してたわよ、冬馬に」
 感謝してたって、アルタに聞いたのか?
「あの時か? 個室に籠っていた一時間?」
「そう。その時にアルタが話してくれた。実は、事の真相を最初から全部知っていたのって、アルタだけだったんだよね」
 そうか。
 そうだよ。よく考えたらアルタが一番ズルい。
 あいつ、如月が葉月を演じていることを最初から知っていたんだし。
 やけに素直に俺の話を聞いていると思ったら、そういうことだったんだ。 
「冬馬の様子を見ていたら、幼馴染って意外といいかもと思えるようになったんだって」
 いろいろと恥ずかしいことを言ったような気もするが、アルタの心に届いていたのだったらそれはそれで嬉しい。
「それでね、こんな風にも言ってたよ。「織姫との関係は氷河のようにどっしりとしていて、不思議な居心地の良さがあるんだ」って。なんかいいよね~」
 おいおい、それは俺のセリフだよ。
 あいつパクリやがって。
 如月との関係を語ったセリフなのに、その本人に口にされてしまうとなんだかこっぱずかしくて背筋がムズムズする。
「アルタに言ってくれてありがとう。葉月ちゃんじゃなくて私のことが必要だって。でもね、あんなにぶっきらぼうだった冬馬がそんなこと言ってくれるなんて、信じられなかったの。自分でその言葉を聞くまではって。だから最後に、すごい意地悪なこと言っちゃった」
 意地悪って……あれか?
「俺にいい人がいるってやつ?」
「うん。本当にごめんね……」
 あの時は本当に焦った。アルタのことを本気で恨んだよ。
 それに、あれだけラブラブだった葉月に「ただの幼馴染」みたく言われたのもショックだったし。
 まあ、そのおかげで本心を吐き出すことができたんだけど。
「心から嬉しかった。私のこと大切だって言ってくれて……」
 視線を外し、うつむき加減で床を見つめる如月。
 ほんのり紅潮する照れた彼女も可愛らしい。
「それでね、最後までわからなかったのは、織姫の気持ち。もし彼女が本気なら、アルタの背中を押せると思ったの」
 それであんな無茶をしたというわけか?
 マジで命の危険を感じたぞ。
「アルタと織姫は幸せにやってるかな?」
「大丈夫じゃない? あれだけ強く織姫に想われているんだから。まあ、最初はむちゃくちゃ怒られていると思うけど」
「そうだよな」
 二人の間に自然と笑いがこぼれる。
「あとはずっと、アルタと星の話をしてたなぁ。さすがは王子様。いろいろなことを教えてもらったわ」
「それってどんなこと?」
 まあ、俺が聞いてもチンプンカンプンだと思うけど。
「ダメよ。将来私が天文学者になった時の研究ネタとして、頭の中にしまっておくんだから。すっごいネタ満載だよ」
 おいおい、如月は天文学者を目指してるのかよ。
 そういうのって頭の中じゃなくて、特殊なノートに書いておかなくちゃいけないんじゃなかったっけ?
「そういえば、アルタと星の話をしていて気づいたことがあるの。私たちがアルタの力であの世界に連れて行かれたのは、必然だったんじゃないかって」
 必然?
 それはどういう意味なんだ?
「私たちの誕生日の星座って覚えてるよね?」
「みずがめ座だろ?」
「そう、みずがめ座。ギリシャ神話ではね、星座の中でみずがめを抱えている人物は、わし座の鷲にさらわれて神々の世界に連れて来られたんだよ。私たちがあの世界に連れて来られたようにね」
 へぇ~と俺は思う。
 そんな因縁がギリシャ神話時代からあったとは思わなかった。アルタによって異世界へ連れて来られたのは、みずがめ座の俺たちの運命だったんだ……。
 感慨にふける俺の表情を見て、如月が瞳を輝かせる。
「ねっ、星座って面白いでしょ?」
「確かに」
 その時、俺は思い出す。
「そうそう、誕生日の星座といえば……」
「なに?」
 今回の一件を通して、不思議に思ったことがあった。
 如月に訊いたら、笑われるかもしれないが……。
「南半球の世界では、二月は『葉月』になっちゃっただろ? だったら誕生日の星座も、みずがめ座からしし座とかに変わったりしないのか?」
 一瞬ため息をつきかけた如月だったが、思い直したように俺の瞳をのぞきこむ。
「変わらないのよ。それも不思議でしょ? なぜだか知りたい?」
「知りたい。頼む、教えてくれ」
 一週間前の俺だったら「別に」と突っぱねていただろう。
 如月だって、ため息のあとに「バカね」で話を終わらせていたかもしれない。
「じゃあ今度、ゆっくり教えてあげるわ。星を見ながらね」
「ぜひお願いするよ」
 でも今は、二人で星を見る素晴らしさを知っている。
 それはそれは素敵な時間であることを。


「お弁当のハンバーグ、美味しかったね~」
 ロープウェイが中間地点を過ぎると、思い出したように如月がつぶやいた。
「葉月ちゃんの闘馬くんへの愛が込められていたね。次の日から私も頑張ってみたんだけど、葉月ちゃんには敵わなかったなぁ。お弁当、味が落ちてごめんね」
「そんなことないよ、ずっと美味しかったよ」
「そう言ってくれてありがとう。好きな人にお弁当を作ってあげたいというのは女子高生としての一つの夢だったけど、さすがに毎日は無理だなぁ。それに中庭はもうカンベン」
「あははは、あれは罰ゲームだったね」
「すごく恥ずかしかったよ~」
 そうか? 俺にはまんざらでもないように見えたけど。
「葉月ちゃんの日記を見てたらね、闘馬くんへのドキドキを隠すために中庭にしたんだって。それくらい葉月ちゃんは頑張ってたってことなんだよ。私も頑張らなくちゃね」
「お弁当を?」
「バ、バカなこと言わないで。天体観測よ、天体観測」
 真っ赤になって否定する如月はとても可愛かった。
「でも、週に一回くらいなら作ってあげてもいいわよ。お弁当を食べている時の冬馬って、とっても嬉しそうだったし」
「そ、そうか。お弁当は大歓迎だよ。ただし食べる時は屋上でこっそりとな」
「もちろんだよ」
 来週から学校に行くのが楽しみだ。
 その時、ガクっとロープウェイが揺れる。見ると高度はかなり下がっていて、そろそろ駅に着きそうだ。
「ロープウェイを降りたらどうする?」
「そうね、まずは美容室かな。この髪をなんとかしなくちゃ」
 如月の長くて綺麗な黒髪は途中でバサリと切られてしまい、ボサボサのショートになってしまった。
「頑張って伸ばしてたのになぁ。昔テレビで観たスキー映画のヒロインの、指で「バーン」ってやるあのシーンがいいってどっかのバカが言うから……。ロングって結構お手入れが大変なのよ」
 ま、まさか、そんな昔のことを覚えていてくれたとは。
 俺は胸がジーンと熱くなる。
「それに、拳銃で髪を切られたら可愛いショートになるって噂、ありゃ嘘だね。なんか後ろだけ長くなっちゃって変な感じ」
「でも十分可愛いよ、如月は」
「もう、そんなこと言って。でもありがとう、あの時私を守ってくれて」
 俺たちは見つめ合う。
 瞳を通して、愛おしい気持ちが身体中を駆け巡った。
 そんな電磁石に引き寄せられるように、俺たちはそっとキスを交わす。
 至極の瞬間を惜しむ間もなく、駅が近づいてきた。
「ところで俺たちって、どんな理由をつけて北海道に来てるんだろうな」
「えっ、どんな理由って? あわわわわ、葉月ちゃんたちは親に超公認だったらから良かったけど、私、男子と外泊したって知られたらむちゃくちゃ怒られる」
「幼馴染の俺でも?」
「あんただからダメなんでしょ。スキーばかりで今まで私を大切にしなかった罰よ。帰ったら素直に私の両親に謝罪しなさい」
 そんなご無体なとつぶやきながら如月を見る。彼女は大丈夫と小さくウインクした。
 今の俺なら、如月を守り続けることができるんじゃないかな。
 ――これからも如月と一緒に星を見ることができますように。
 駅に到着するゴンドラから朝の空を見上げながら、俺は強く願うのであった。


 了




ライトノベル作法研究所 2018GW企画
テーマ:『逆転』

テーマは自由2018年04月02日 20時29分09秒

「新製品のテーマは『自由』だ」
 開発主任の宣言に、ラボはざわついた。
「自由って、行動パターンが、ですか?」
「ペットロボットなのに?」
 ざわつくのも無理はない。前作で、飼い主に好かれる行動パターンを散々ラボメンバーに要求してきたのは、開発主任その人なのだから。
「これは社長からの命令なのだ」
 前作の動きが動物そのものだったことに驚いた社長は、極秘プロジェクトを発動させた。
「ネコのように社会に溶け込ませる」
 日本ではそんなに需要は無いかもしれない。が、世界は違う。人々に気付かれることなく目的を遂行できるツールを、権力者や富豪は欲していた。

 一年後。
「社長。ようやく試作機が完成しました」
「どれどれ? おお、これはすごい。まさにネコそのものじゃないか!?」
「我が社のAI技術とメンバーの努力の賜物です」
「よし、一ヶ月後に実証実験だ。警察や自治体には内緒だから、失敗は許されないぞ」
「わかりました、社長」
 そして一ヶ月後。
「なんだ、あのぎこちない動きは!? 試作時の滑らかさはどうした!?」
「それなんですが、よりネコらしくなるよう思考パターンも『自由』に設定したところ、ネコと思われることを急に嫌がりまして……」



500文字の心臓 第161回「テーマは自由」投稿作品

タルタルソース2018年03月04日 23時33分24秒

『君も仲間にならないか?』
『レッドの言う通りだ。望むなら受け入れるぜ』
『俺たち皆、個性的だしな』
『ロボの中は快適だよ。カレーも食べ放題』
『美味しいスイーツもあるわよ〜』

「うわぁ」
「ど、どうしたカキ怪人。夢でうなされてたぞ」
「最近、戦隊の奴らが俺のことを懐柔してくるんだよ」
「何? そんな戦法を使うようになったのか。それにしてもお前、心動かされてないか?」
「そ、そんなことないよ。ロボには乗ってみたいけど」
「それより、おたふくライダーとの闘いはどうなったんだ?」
「え? あいつ? 奴もキャラが濃いけど一本調子なんだよね。闘ってて飽きるというか……」
「それで戦隊に魅了されちまったと」
「何が魅力かというと、あのロボだ。こんな俺でも優しく包み込んでくれるような気がする。そして俺に負けないくらい個性的なメンバー。きっと仲良くなれるんじゃないかな」
「そうだな、最近こっちの仲間も減ってきたことだし」
「おっ、乗り気になった? アジ怪人も一緒に行くか?」
「うーん、それもいいかも。じゃあ今度の闘いの時に言っといてよ、俺も行くって」
 そして後日。
「ごめん、アジ怪人。俺たち生じゃダメだってよ……」



500文字の心臓 第160回「タルタルソース」投稿作品

おしょうゆさんと私2018年01月22日 21時55分56秒

1.プロローグ

『この刺身、美味いやろ?』
 突然声がした、夕飯中に。
 どこからともなく、耳元で。
『わいのおかげやで』
 誰!?
 初めて聞く声。男の人の声。家族のものじゃない。
 食卓を見回すと、お父さんもお母さんも弟も夢中になって刺身を食べている。
『どこ見とるんや。目の前や、目の前。それに出し過ぎや』
 ええっ、目の前!?
 テーブルの刺身に視線を戻すと、手にした醤油ボトルからポタポタと黒い液体が落ち続けている。
 私は慌ててボトルをテーブルに置いた。
 ていうか、ま、まさか、醤油がしゃべった!?
 驚きの表情を浮かべる私に、お父さんが反応した。
「おおっ、沙希もビックリしたか?」
 えっ? お父さんにも同じ声が聞こえてる……とか?
「そうだろう、そうだろう、今日の刺身は驚くほど美味いだろ?」
 なんだ、そっちのこと?
 私がビックリしたのは刺身じゃなくて声の方だから。
「魚が新鮮ってこともある。だが、しかし、今日の主役は魚じゃないんだ。それが分かったんだよな、沙希にも」
 ヤバい、違いが分かるアピール出ちゃったよ。
 面倒くさいなぁ、スイッチが入ったお父さんの説明って長いんだから……。
 勘弁してほしい私のことはそっちのけで、お父さんは私の目の前にある醤油ボトルを指差した。
「ジャジャーン、今日の主役はこのボトル。醤油の本場、和歌山県湯浅町の醸造元から特別に取り寄せた、最高級たまり醤油の密封ボトルだ!」
『せや!』
 謎の声が合いの手を入れた。
 それはやめて、お父さん、調子に乗っちゃうから。
 しかしお父さんは浮かない様子。
「おいおい、なんでみんな反応しない。湯浅醤油だぞ、日本の醤油発祥の地なんだぞ」
『せやせや、湯浅醤油は日本一やで!』
 だからお父さんを煽らないでよ。って、えっ? その声ってお父さんには聞こえてない? 
 もしかして、聞こえてるのは私だけ?
 その証拠に、すっかり意気消沈してしまったお父さんは、醤油を指差す手を悲しそうに引っ込めた。
「それって、値段はいくらだったの?」
 トドメを刺すお母さんの言葉。
「い、い、いくらって、ま、まあ、この刺身の味に似合う値段だけど……」
「私にはちっとも違いが分かりませんけど」
 お母さんそれ言っちゃダメだって。
 私にはちゃんと違いが分かったよ。だって醤油を垂らすたびに、変な声が耳元でするもん。
「沙希。ご飯が終わったらこの醤油、あんたの部屋に持って行ってちょうだい。お父さんが早く忘れてしまうように」
 鬼だよ、お母さん。
 そんな険悪な雰囲気をよそに、弟は黙々と刺身を食べていた。

 夕食が終わって自室に戻ると、私は醤油ボトルを机の上に置く。
 椅子に座って姿勢を正すと、声の主へのコンタクトを開始した。
「こんにちは」
 が、挨拶をしても反応がない……。
「こんばんわ」
 夜だからこっちの挨拶の方がいいんじゃないかと思ったが、これも反応なし。
 おかしいなぁ、さっきは耳元で声がしたのに。
 私はマジマジと醤油ボトルを眺める。
 そこには「生醤油」の文字の下に、赤い字で説明が書かれていた。

 ――醤油一滴一滴が新鮮な新型密封ボトルです。

 確かお父さんもそんなことを言ってたような……。
 その時、私は閃いた。
「もしかして、密封ボトルだから密閉されちゃってて、私の声が聞こえない――とか!?」
 それならば醤油を出してみればいい。
 私は左手の掌を上に向け、右手に持った密封ボトルから醤油を一滴、掌に垂らしてみた。
 ぷうんと漂う、醤油のいい香り。
 高級醤油だからなのか、密封ボトルだからなのかは分からないが、こんなに素敵な香りは今までの醤油で味わったことはない。
『ええ香りやろ?』
 待ち望んだ声が私の耳元をくすぐった。


2.おしょうゆさん

「ねえ、おしょうゆさん」
『なんや、沙希ちゃん』
 すっかり仲良くなった私達は、すぐに名前で呼び合う仲になった。
 えっ? おしょうゆさんって安易なネーミングだって?
 仕方ないじゃない。最初に思いついたのがこれだったんだから。「黒光りさん」や「発酵大豆汁」とか「Oh! SHOW YOUさん」という案もあったけど、それらよりはマシだと思わない?
 おしょうゆさんと話す時、私は買い込んだクラッカーを一枚取り出し、その上に醤油を一滴垂らす。
 ぷぅんと醤油のいい香り。
 私はおしょうゆさんについて、いろいろと聞いてみた。
「おしょうゆさんは、冷蔵庫に入れとかなくてもいいの?」
『平気やで。なんせ、自慢の密封ボトルやからな』
 詳しく話を聞くと、空気が入りにくい密封ボトルだから常温でも大丈夫らしい。
 普通の醤油がダメになってしまうのは、空気に触れて酸化したり、空気中の微生物によって変質してしまうからだという。
 しかしこの密封ボトルは、空気に触れないように一滴一滴が新鮮な状態で出てくるから、冷蔵庫に入れる必要もないし、醸造時の香りが保たれている。
「でも、おしょうゆさん、空気は人間にとって必要なものじゃないの?」
『空気は必要なもんやけど、悪さをする時もあるんや』
「それは醤油の話でしょ?」
『人間にかて空気は悪さをするで。例えば、沙希ちゃんは仲良い子とは何でも話せるやろ?』
「うん」
『でも学校の教室の中では、本音で話せなくなるってことってあるやん。他の人にどない思われるかって気になってな。それが空気の悪い面や』
「…………」
 まるで和尚さんのようなことを言うおしょうゆさんだった。
『しっかし、ここはめっちゃ乾燥しとるな』
「おしょうゆさんがいたところって、もっとジメジメしてたの?」
『ちゃうちゃう、海の香りや。湯浅はな、潮の香りに包まれた町なんや』
 湯浅? 確かお父さんもそんなこと言ってたなぁ。醤油の本場とかなんとか。
 私は湯浅という町を、スマホのマップで検索してみた。
 すると出てきた、紀伊半島の左側に。おしょうゆさんの言う通り、たしかに海に面している。
『この海から醤油は日本中に広まったんや。小豆島や龍野、銚子や野田っちゅうところにな』
 どうやら、湯浅という町は本当に醤油発祥の地らしい。
 お父さんに言ったら喜んじゃいそうだから黙っておく。


3.悪魔のささやき

 ある日、学校で嫌な事が起き始めた。
 教室の後ろにある掃除用具入れに、生徒を閉じ込めるというイジメが流行り始めたのだ。
 ――止めてあげてよ!
 声を大にして言いたい。
 でもそうすると、今度は自分がターゲットにされてしまう。
 だから、私を含めてクラスメートは皆、見て見ぬふりをした。この間おしょうゆさんが言ってた通りだ。空気の悪い面だった。
 何もできない自分が悔しい。おしょうゆさんに返す言葉がない。
 ん? おしょうゆさん? そうよ、おしょうゆさんだって、密閉空間に閉じ込められているじゃない。
 おしょうゆさんに相談したら、なにかいい解決策を教えてくれるかも?
 だから私は、次の日からおしょうゆさんをカバンの中に入れて登校することにした。

 例のイジメが始まると、私は机の上にちょっと醤油を垂らす。
『どうしたんや、沙希ちゃん』
「クラスメートがいじめられてるの。どうしたらいい?」
『せやな……』
 しばらく間が空いてから、おしょうゆさんが行動を開始した。
『ちょいと、閉じ込められている子の耳元でささやいてくるで』
「そんなことできるの?」
『大丈夫。心に傷を負っている子は、わいの声が聞こえるんや。聞こえんかったら、密室が好きっちゅうことやな』
 それはそれで、救いが無いような気もするけど。
『ほな、言ってくるで』
 おしょうゆさんの行動は、すぐに効果があったようだ。
 というのも、数分後に解放されたイジメられっ子はニヤリと口元を結ぶと、怒りを込めてイジメっ子の耳元で何かをささやいた。
 みるみる青ざめるイジメっ子。大きな衝撃を受けていることは明らかだ。
「ねえ、おしょうゆさん、何てささやいたの」
『あのイジメっ子はな、気持ち良くなりたいところに、ちょいと醤油を垂らす癖があるんや』
 変な性癖だった。
「なんで、おしょうゆさんにそんなことが分かるの?」
『醤油ネットワークやな。日本にはどの家にも醤油があるさかい、このネットワークは最強やで』
 恐るべし醤油ネットワーク。

 次の日も、別のイジメられっ子が別のイジメっ子を撃退した。おしょうゆさんのささやきには、相当な破壊力が秘められているようだ。
「ねえ、今度は何てささやいたの?」
『今日のイジメっ子はな、醤という字を「将に酉」やなくて、「将に西」って書いとったんや』
 いやいや、自分も「将に西」って書いてたわ。
「それも醤油ネットワーク情報?」
『せや。醤の字の恨みは晴らさせてもらったで』
 一体どんなネットワークなのよ。ていうか私もヤバい?


4.おしょうゆさんとの別れ

 どんなことにも別れはつきもの。いよいよ私はおしょうゆさんとお別れする時がやってきた。
『沙希ちゃん、わいはもうダメや』
「ダメって、醤油はまだ四分の一も残ってるじゃない」
『密封ボトルと言ってもな、ほんのちょっとずつやけど空気が入ってきとるんや』
「それって……」
『だんだんと香りが失われるってことや。わいの正体は醤油の香りやさかい』
 いやだ、いやだ、いやだ。
 おしょうゆさんとお別れなんてしたくない。
 私は無い知恵を絞って、解決策を考えた。
「そうだ、醤油の香りを補充すればいいんじゃない?」
『それは無理やで、沙希ちゃん』
「なんで? おしょうゆさんは醤油の香りなんでしょ? だったら香りを足せばいいんじゃない!」
『そん時に空気が入るんや。醸造場に行けば可能やもしれへんけど……』
「そうよ、醸造場に行けじゃいいじゃない!」
『その香りは、もはやわいではなく、わいの仲間っちゅうことやな』
 そんな……。
 私は頭を抱えた。他に良いアイディアなんて思い浮かばない。
『お父はんに新しい密封ボトルを買うてもらえばええやんか。わいの仲間も捨てたもんやないで。すぐに沙希ちゃんと仲良うなること間違いなしや』
 それじゃ、ダメなんだ。私は、おしょうゆさんとずっと一緒にいたいんだから……。
『それよりも沙希ちゃんにお願いがあんねん。最期に潮の香りを嗅ぎたいんやけど』
 だから最期って言わないで!
「潮の香りって、海のこと?」
 それならば、おしょうゆさんの最期の望みを叶えるためには、一緒に海に行かなくてはならない。
 海? 海、海に行く? 私が!?
 それがトリガーだった。海に行く光景を想像して私は固まった。
 ――黒い水、冷たい空、巨大な波。
 記憶の片隅に封印されていたイメージが解放され、私に押し寄せる。
「い、いや、嫌っ! 海には行きたくない、それだけはやめて! お願いだからカンベンして……」
 これが私の心の傷だった。


5.花火平岬にて

「花火平ぁ~、花火平ぁ~」
 電車が駅に着くと、私はおしょうゆさんが入ったデイパックを背負う。これから岬にある灯台に向かうのだ。
 ――花火平岬。
 先端に灯台がある、海からせり上がる岸壁が有名な観光地。
『なんでも、打ち上げ花火が平らに見えるくらい標高が高いっちゅう噂やで』
「それも醤油ネットワーク情報?」
『せやな』
 それほどまでに標高が高いのなら安全だ。私は、おしょうゆさんと一緒に海に行こうと決意した。

「あれはね、七年前だった……」
 灯台への道を歩きながら、私はおしょうゆさんに話しかける。
「大きな津波がこの地域を襲って、従姉妹の麻里さんが行方不明になっちゃったの……」
 麻里さんは何処に行ってしまったんだろう? あの日、彼女の身に何が起きたんだろう?
 それを想像するたびに、テレビで見た津波の映像が私の心に襲い掛かる。
 ――黒い水、冷たい空、巨大な波。
 きっとあの中に飲み込まれてしまったんだ。その恐怖は、まるで自分の身に起きた出来事のように心に刻みつけられた。
 海は危ない、海に近づいちゃダメだ、海を見に行ったら大変なことになる。
「あの日以来、私は海に近づくことができなくなった……」
 七年経った今でも、その恐怖は消えていない。むしろ七年目だからこそ、その事実は重く私の身に迫りつつあった。
「麻里さんはね、私よりも七つ年上だったの」
 何でも知ってる優しいお姉さん。その年の差は、永遠に縮まることはないと思っていた。
「今年、私は麻里さんと同じ年になる。そう思うと、いたたまれなくなって……」
 あの時、麻里さんが何もできなかったとは思いたくない。でも同じ年になった私に何ができるかと問われても、何も答えることができない。
 願いは一つ。津波の被害を軽減したい。
 麻里さんだって、そう願っていることは明らかなのに。
「ねえ、おしょうゆさん。「稲むらの火」って話、知ってる? 火を起こして津波から人々を救ったという人の話」
『濱口梧陵やな』
「そう、濱口梧陵。醤油に関係ないのによく知ってるね、おしょうゆさん。それも醤油ネットワーク情報?」
『関係ないことなんてないで。梧陵はんは、湯浅の醤油商人の子や』
「えっ、そうなの?」
 まさか津波と醤油が、こんな風に繋がるとは思わなかった。
『それに梧陵はんはな、子供の頃、この地域に住んどったんやで』
「ええっ!?」
 私は何か不思議な縁を感じていた。

「私ね、七年前のことを思い出すたびにいつも考えるの。濱口梧陵が生きていたら、もっと多くの人が助かったんじゃないかって。濱口梧陵のことをもっと早く知っていたら、私は麻里さんを助けられたんじゃないかって」
 自分の心を押しつぶしていたのは、そんな自責の念だった。
『沙希ちゃん、人間はそないに完璧やおまへんで。たとえ梧陵はんが生きとったって、結果は変わらんかったと思う』
「何でそんなこと言えるの? 濱口梧陵は藁に火をつけて、人々を津波から救ったのよ」
『それはフィクションや。本当の梧陵はんはな、不覚にも津波にさらわれてしもうたんやで』
「ええっ!?」
 そんなこと初めて聞いた。
「嘘。そんなの嘘よ」
『梧陵はんかて人の子、湯浅の子。不意打ちくらって津波にさらわれてしもうた梧陵はんは、海の中で必死に陸を探したんや。しかし夜で辺りは真っ暗。当時は江戸時代やから、今みたいに街の光もあらへんし。だから運よく陸に上がれた梧陵はんは、すぐに藁に火をつけたんや。海に流された人々に陸の位置を教えるためにな』
 ま、まさかそれが真相だったなんて……。
 自分の中で神格化されていた濱口梧陵のイメージが崩れ去った瞬間だった。
『「稲むらの火」は、この話をもとにして作られたフィクションや。でもな、梧陵はんが偉いのはここからなんやで。二度と同じ悲劇を繰り返さんようにと、私財を投じて堤防を建設したんや』
 そんなことがあったとは……。
 そうか、濱口梧陵も私も同じなんだ。
 あの時に何もできなかったことを後悔するんじゃなくて、これから何ができるのかを考えなきゃいけないんだ……。
『おおっ、海の香りや。懐かしい潮の子守歌や』
 気がつくと目の前に白い灯台が迫っていた。岸壁に打ちつける波の音もかすかに聞こえてくる。
『おおきに、ホンマにありがとな、沙希ちゃん。わいはそろそろお別れや……』
「おしょうゆさん、もうちょっと待って。灯台まで連れて行ってあげるから」
『沙希ちゃんは今、七年前の悲しみを乗り越えようとしとる。せやから、もう大丈夫やと思うで』
「そんなこと言わないで。ほら、もうちょっとで海を見せてあげられるから」
『ほな、さいなら……』
「海だ! 海が見えた! おしょうゆさん、海だよ!!」
 おしょうゆさんの返事は、これ以上私の耳に届くことはなかった。

 
6.エピローグ

 あれから三か月後。
 私はお父さんに連れられて湯浅町を訪れていた。
 ――醤油の醸造場が建ち並ぶ北町通り、そして醤油を運び出していた内港の大仙堀。
 確かに湯浅は醤油と潮の香りに包まれた町だった。
 お父さんは懲りもせず、高級たまり醤油の密封ボトルを買っている。
 私もちょっと左の掌に醤油を垂らして、味見させてもらう。
 ぷうんと漂う醤油のいい香り。
 でも、耳元には何も聞こえてこなかった。

『もう大丈夫やと思うで』

 おしょうゆさんの最後の言葉が脳裏に蘇る。
 本当にそうなのだろうか?
 いまだに海を見に行くのは恐い。でも、津波にさらわれた濱口梧陵がその恐怖に負けずに頑張ったエピソードを思い出すと、負けてはいられないと思えるようになった。
 
 お父さんにお願いして、湯浅町の隣の広川町も訪問した。そこは、濱口梧陵が藁に火をつけて村人を誘導した場所だ。
 記念館である「稲むらの火の館」や、震災後に濱口梧陵が私財を投じて建設した広村堤防も見に行った。
 堤防の上に立って考える。
 私には一体、何ができるのだろうか――と。
 その小さな一歩として、私はおしょうゆさんとのエピソードを書いてみることにした。
 津波で悲しむ人が一人でも少なくなりますように、と願いを込めて。


 おわり



ライトノベル作法研究所 2017‐2018冬企画
テーマ:『密室』

水色の散歩道2017年12月20日 01時00分02秒

 N社が大層美しい遊歩道を寄贈したということで、その記者会見に出席した。
「今回、弊社がS市に施設したのは空色の散歩道です。絶景で有名なウユニ塩湖のような体験をお楽しみいただけます」
 ほお、それはすごい。一体どんな散歩道なのか。
「それを可能にしたのは弊社のミラーシート技術です。全長五キロに及ぶ歩道に取り付けました」
 ミラーシートだって?
 すると女性記者が質問する。
「あのう、それってスカートの中も丸見えってことですか?」
「それにはご心配なく。歩道は凸面となっており下着が凝視されることはありません。また弊社の技術力をしても傷には勝てず、鏡としての性能はすぐに劣化します」
 ため息に包まれる会場。一体どの部分に落胆したのか。
「しかし散歩道の本領発揮はここからです。注目は雨上がり。ウユニ塩湖の輝きを取り戻すのです」
 ほお、雨上がりが見頃とはなんとも一興な。
「なぜS市が選ばれたのですか?」
「天空率の高いS市の地理が適していたからです」
 確かにこれは重要だ。
 しかし真の意味を知るのは後日、飛行機で上空を通過した時だった。
「これがやりたかったのか……」
 S市の街並みの中でキラキラと輝いていたのは巨大なN社のロゴだった。



500文字の心臓 第159回「水色の散歩道」投稿作品