お楽しみ貯金2022年09月01日 21時48分10秒

 明日は待ちに待った遠足です。
 だから、しっかりと眠らなくてはなりません。
 でも……それなのに……ちっとも眠くならないのです。
 夜の八時にはおふとんの中に入ったというのに……。
 目がぱっちりしてしまって、明日の楽しいことばかり考えてしまいます。

 行き先は、地元のアニマルパークです。
 小学四年生は、いつもそこに行くことになっているんだそうです。
 パパとママと何回も行っているところだけど、明日は特別。だって学校の友だちもいっしょなんだから。
 ああ、もう! なんで眠くならないの!?
 
 その時です。
 小さなささやきが聞こえたのは。

「いいこと、教えてあげよっか?」

 暗やみの中で。
 パタパタという変な音とともに。

 だれ?
 声がするなんてありえません。
 だって子供部屋には、私しかいないのだから。

 ビックリした私は上半身を起こし、暗い部屋を見回します。
 すると、羽ばたきながら宙に浮いている存在が私の目の前に近づいて来ました。
 
 ちょ、ちょっと、これって大きな虫!?
 こわくなって逃げようとすると、その存在から声が聞こえたのでした。

「みらくちゃん。こんばんわ!」

 な、なんで私の名前を知ってるの?
 私が動きを止めると、その存在は私の顔をのぞきこみます。

「そんなにおどろかなくてもいいよ。何もしないから」
「ホントに? 何も……しない?」

 何もしないという言葉を聞いて、ようやく私は声を出すことができたのです。

「ボクの名前はね、むうまっていうんだ。みらくちゃんの味方だよ」

 味方と聞いて、ちょっと安心しました。
 暗さに目がなれてきたせいもあって、むうまのことをじっくり見れるようになってきます。

 大きさは両手でつつみこめるくらい。
 コウモリのような羽根をパタパタさせて、黒い毛におおわれた体が宙に浮いています。
 ぱっちりとしたお目目がかわいらしくて、思わず頭をなでてあげたくなってしまいました。

「いいことってなに? 私、今、ぜんぜん眠れなくて困ってるの」
「それはね、理由があるんだ」

 理由?
 でもそれがわかれば眠れるかもしれません。

「みらくちゃんは、明日の遠足のこと考えてるんだよね?」
「うん」

 パパやママとじゃなくて、友だちと行くアニマルパーク。
 ろこちゃんといっしょに、ヤギをなでてみたい。
 こるちゃんとニンジンをウサギにあげてみたい。
 あいちゃんにおさるのボスを教えてあげたい。
 その時みんながどんな顔をするのか、楽しみで仕方がないのです。

 するとむうまは、にやにやする私の顔をながめながら言いました。

「ほら、頭の中がお楽しみでいっぱいになった」

 そうです、きっとこれなのです。
 お楽しみが頭の中でいっぱいにふくらんで、眠れなくなってしまっているのです。

「だったらどうすればいいの? 楽しいことがどんどんあふれちゃって消えてくれないの」
「あふれるくらいのお楽しみは、貯金しちゃえばいいんだよ」
「貯金?」
「そう、お楽しみ貯金」

 へえ、と思います。
 お楽しみを貯金するなんて、なんだかふしぎなことなのです。

「お楽しみを貯金すると、どうなるの?」
「頭がすっきりして、ぐっすり眠れるよ」

 それはすばらしい。
 でも……ちょっとだけ気になることがありました。

「貯金したお楽しみは? どうなっちゃうの?」
「ボクが預かっててあげる」

 それなら安心です。
 まるでお金の貯金のようなのです。
 お金の場合は、貯金しているだけで少しずつふえていくってパパとママが言っていました。

「じゃあ、貯金している間、お楽しみはふえていくんだよね?」

 すると、むうまは目をふせました。
 そして申し訳なさそうに説明を始めます。

「ごめん、みらくちゃん。預けたお楽しみはふえないんだ。それどころか、だんだんへっていってしまう。だってみらくちゃんのお楽しみは、ボクのごはんになっちゃうから」

 なんということでしょう。
 いいことばかりではなかったのです。
 そういえばパパもママも、そんなことを言っていたような気がします。うまい話に気をつけろと。
 私は思わずまゆを細めてしまいました。

「でもね、みらくちゃん、よく考えてみて」

 むうまは必死です。
 何としてでもお楽しみ貯金をすすめようとしています。

「みらくちゃんの頭の中で、お楽しみはどんどんあふれているんだよね?」
「うん。そうだけど……」
「じゃあ、すごくいっぱい貯金できるよね」
「そうかも……」
「それをボクがちょっとずつ食べても問題ないと思わない?」
「…………」
「みらくちゃんはすっきりと眠れる、ボクはごはんが食べられる、いいことだらけだよ」

 むうまにだまされてはいけない。
 私は注意しながら、むうまの言葉に耳をかたむけます。
 でも言われるとおり、どんどんあふれてくるお楽しみはかなりじゃまなのです。
 お楽しみがあふれて来なければ、すっきりして眠れるような気がしました。

「それにお楽しみを貯金しても、明日の遠足での楽しいことはなくならない。そうだよね?」

 むうまの言うことももっともです。
 本当に楽しいことは、明日の遠足で起きること。今の私の頭の中にあふれていることではありません。
 するとむうまは、とどめの言葉を口にしました。

「みらくちゃんから預かったお楽しみは、とっても役に立つんだよ。さっきも言ったように、まずはボクのごはんになる。そして悲しんでいる子供たちに、貸してあげることもできるんだ。楽しい夢があれば、泣いてる子もぐっすり眠ることができる。もちろんみらくちゃんが悲しかったりつらかったりする時は、お楽しみを返してあげるよ」

 悲しんでいる子供たちの役に立つ?
 今のあふれるようなお楽しみが?
 私は思いうかべてみます。悲しい時、つらい時、泣きたい時、友だちといっしょに動物にふれあっている夢を見ることができれば、ちょっとの間はいやなことを忘れられるような気がしました。

「世界中の子供たちの役に立つの?」
「そうだよ、ボクなら世界中の子供たちにお楽しみを貸してあげることができる。それがお楽しみ貯金だからね」

 世界の中には、戦争をしている国もあるそうです。
 テレビのニュースで、子供たちが泣いているシーンを見ることがあります。
 そんな子供たちがちょっとでもいやなことを忘れるきっかけになってくれればいい。
 それにむうまは、私が悲しんでいる時は、お楽しみを返してくれると言っていました。

「じゃあ、お楽しみを貯金する」
「ありがとう、みらくちゃん!」

 むうまにとびっきりの笑顔がはじけます。
 くるっと宙返りしたむうまは、私に言いました。

「じゃあ、ボクの後に続いて言って。『私、みらくは、お楽しみ貯金をします』って」
「わかったわ」

 ――私、みらくは、お楽しみ貯金をします。

 こうして小学四年生の私は、お楽しみを食べるむうまと「お楽しみ貯金」の契約を交わしたのでした。



 ◇



「ちょ、ちょっと貴弘先輩! この議事録も私が作成するんですか?」

 とあるメーカーの商品開発部に就職した私は、今日も議事録を作成せよと命ずる先輩の言葉に愕然とする。
 大学の工学部で身に着けた知識や技能がすぐ役立てられると期待を膨らませて入った職場だが、現実は厳しかった。というのも、任される仕事は会議のセッティングや議事録とか報告書の作成という下働きばかり。

「ほら、議事録を作成すれば仕事の内容がよく分かるだろ?」

 今年の三月まで下っ端だったという貴弘先輩は、待ってましたと言わんばかりの上から目線を行使する。
 私もそろそろ我慢の限界と、思わず反論していた。

「分かるだろって、もう十分わかってます。先月も今月もこればっかやってるんですよ。いい加減、私にだって」
「議事録作成は新人の仕事なんだ。お前の他に誰がやるんだ?」
「それは……」

 言い返せなかった。
 コロナ渦で採用を絞っている中、この部署での新人は私一人だけだったから。
 でも……ものには限度ってものがある。会議の議事録が完成しないうちにまた次の会議が開かれ、作らなきゃいけない議事録がどんどん積み上がっていく。音声記録を聞くのはもううんざりだ。

「でも、少しくらいは先輩方も分担してくれたっていいんじゃないでしょうか?」

 すると貴弘先輩は私のことを一瞥すると、役員部屋の方の壁に視線を移しながら他人事のように言い放った。

「俺もそう思っていた。入社した頃は。でも上司はちっとも聞き入れてくれなかった。だから諦めてくれ、そういう体質なんだよ、この会社は」

 そういう体質?
 それを変えたいと思って私は言ってるのに。
 口火を切って旧態依然な体質を変えたいという意気込みを、先輩は見せてはくれないのだろうか?
 再びこちらを向いた先輩は、不服そうに唇を咥える私にふっと小さく笑った。

「来年は二人も採用するそうじゃないか。だったらたった一年の辛抱だよ。俺なんて三年もこれやってたんだから……」

 自虐を込めた先輩の微笑み。
 やっと開放されたという安堵を、私に向かって無防備にさらけ出している。
 ダメだ、下働きを手伝おうなんて意志は一ミリも感じられない。
 と同時に、今まで新人が背負ってきた下働きの過酷さを改めて突きつけられる。
 コロナ禍で、私が入社する前二年間の新規採用を会社は見送った。不幸にもそのつけを払わされることになってしまった先輩。その苦労はわかるんだけど、納得はできない。
 そんな負の連鎖は、自分のところで立ち切ることはできないのだろうか――。

「わかりました。でも……」
「でも?」
「来年の議事録作成は、新人と私で分担しようと思います」

 先輩のことを軽く睨みつける。
 しかたねえな、そこまで言うなら手伝ってやるよ――と先輩が重い腰を上げてくれることを期待しながら。
 が、そんな奇跡は起こることもなく、「ふん、勝手にすれば」と先輩は自分の仕事に戻ってしまった。

 ここまで言っても改心してくれないの?
 悲しくて悔しくて涙が出そうだ。
 結局、議事録作成は深夜までかかり、終電間際の電車で帰宅する。
 アパートの鍵を開け、シャワーを浴びてビールをあおったら、後は寝るだけだった。

「今日のことは納得いかない……」

 疲れているのに、意識は不満で研ぎ澄まされている。
 でも私には特技があった。こんな時のためのとっておきの特技が。
 目を閉じれば、すぐに楽しいことを思い出すことができる。

 ――大学時代、卒業記念に女友達だけで計画した温泉旅行。

 あれはワクワクしたなぁ……。
 楽しい気持ちに包まれた私は、一瞬で眠りに落ちた。


 ◇


「おい、みらく。名古屋工場から議事録の修正依頼が来てるぞ」

 今日も貴弘先輩から文句を言われながらの業務が始まる。
 コロナ禍でリモート会議が普及し、打合せのための各工場への出張が無くなった。本社に居ながら、しかも複数の工場と会議ができるのはありがたいが、工場も採用を絞っているため結局後処理を行うのは本社勤務の新人、つまり私なのだ。

「はいはい、わかりました……」

 なによ、先輩が答えてくれたっていいのに。
 私はぶつぶつと独り言をいいながら、名古屋工場からのメールを確認する。
 修正依頼について先輩が知っているってことは、先輩にもメールが届いているということ。少なくともカーボンコピーで。
 だったら先輩も関係者として認識されてる証拠じゃないの。依頼に回答してくれても何も問題はないはず。
 不満を心に溜めながらメールの内容を確認した私は、あ然とした。

『議事録の「一ヶ月」というところですが、こんなことは言ってないので修正をお願いします』

 いやいや、言ったよね。名古屋工場のあなた。一ヵ月間で試作品を造れるって。
 録音データだってちゃんとあるんだから、しらばっくれないでよ。
 先週、残業しながら何回も聞いたから記憶にもちゃんと残っている。
 証拠として問題部分の録音を切り取って、メール添付で送ってやろうかと思ったが、念のため先輩に対処を訊いてみた。

「どうしましょう? この修正依頼」

 すると貴弘先輩はキーバードを打つ手を止めることなく、さらりと言ったのだ。

「彼の言うとおり、削除してあげたら?」
「なっ……」

 いやいや、それはあり得ない。
 彼が「一ヵ月でできる」って言ったから、会議が先に進んだんだよ。
 それを無いことにしちゃったら、その後の展開はどうなっちゃうのよ。ていうか、予定が大幅に遅れちゃった時に誰が責任取るの?

「なんで言われる通り、削除しなくちゃいけないんですか?」

 私はまたもや言い返していた。
 流石の先輩もキーボードを打つ手を止め、向かいの席から私に視線を向けて言う。

「だって技術屋がへそを曲げたら面倒くさいじゃん」

 技術屋?
 私だって技術屋の端くれなんですけど。工学部卒だし。
 しかもすでにへそを曲げてるんですけど。

「嫌われたら名古屋関連の仕事がこの先回らなくなるよ」

 嗚呼、もう嫌だ。
 新人って、こんなにも自分を殺して働かなくちゃいけないの!?

 結局、先輩に押し切られる形となり、議事録を名古屋工場の言う通りに修正する。
 仕事が回らなくなるリスクを散々並び立てられた上で「名古屋がへそ曲げたら、お前が責任取って試作品を作るのかよ」なんて言われたら、従わざるを得ないじゃない。
 あー、納得いかない。もう飲まなきゃやってられない。
 夜遅く家に着いた私は、早速ビールで喉を潤した。酔わないととても正気を保つことができそうにない。

「技術屋だったら自分の発言に責任を持てよ、バーロー!」

 名古屋工場から私に何の謝罪も感謝もないし、貴弘先輩の態度だっていじめやパワハラに近い。
 なんだかムカムカして目がぱっちりしてしまう。
 そんな時はいつもの特技にお世話になるしかない。

 ――大学のサークル合宿前夜に感じたワクワクとドキドキ。

 サークルメンバーで行く高原ドライブ、そして夜の飲み会は本当に楽しみだった。
 星を観に行こうと気になる人から誘われちゃったらどうしよう、なんて期待しちゃったり。
 楽しい気持ちに包まれた私は、一瞬で眠りに落ちた。


 ◇


 一ヶ月後、恐れていた事態が起きる。
 名古屋工場担当の試作品が完成しなかったのだ。
 早速、次の段階を担当することになっていた熊本工場から問合せのメールがやってきた。

『一ヶ月経っても名古屋工場から試作品が届かないので、本社の方でご確認いただけませんか?』

 ほらみろ、言わんこっちゃない。
 向かいの貴弘先輩を軽く睨むと、彼もなんとも渋い顔をしていた。
 先輩と相談した結果、結局私が熊本工場に電話をかけることに。

「申し訳ありませんが、本社の担当は最終段階なので、それまでの間は工場同士で連絡を取り合っていただければ……」

 まさに他人事で、非常に無責任な応対だ。
 自分だって真摯に対応したい。が、名古屋工場の指示に従って議事録を修正してしまった手前、そこは突かれたくないし、なんとかうやむやに事を進めたい。

 しかし、というかやっぱりというか、これがいけなかった。
 試作品の完成が遅れているのはまるで本社が悪いかのごとく、反論されてしまったのだ。

『何言ってるんですか? 工場同士でやりとりしてたら喧嘩になっちゃいますよ? ここは本社にちゃんと調整してもらわなくては』

 まあ、そうだよね。
 熊本工場が言うことはもっともだ。

『それにあなたも会議で聞いてましたよね? 名古屋工場が「一ヶ月で試作品を完成させる」って言ってたのを』

 ぐわぁ、やっぱりそうきたか。
 ええい、こうなったら破れかぶれだ。
 追い詰められた私は、徹底的に白を切ることにした。

「えっと、そうでしたっけ? 今、議事録で確認しますが……って、そんな記述はありませんが」

 うわっ、なんという自作自演の三文芝居。
 もしかしたらバレバレじゃないかと脂汗が垂れてきた。

『いやいや、ちゃんと言ってたよ。音声データあるんでしょ? それでちゃんと確認してよ』
「申し訳ありません。あの時バタバタしてて録音してなくてメモしか残ってないんです」
『ホント? まったくしょうがないなぁ……』

 自分のことが嫌になる。
 議事録の一部分を他人の言いなりになって削除しただけで、こんなことになるなんて。

「本当に申し訳ありません。名古屋工場へは、こちらから連絡しておきますので」
『頼んだよ? ウチだってやってるのはこの件だけじゃないんだから。予定詰まってるのを無理やり空けて待ってるんだから』
「本当に本当に申し訳ありません。早く試作品を送るよう、名古屋にはちゃんと言っておきます」

 電話を切りながら、深く重い溜息をつく。
 本当は名古屋工場の担当者を罵倒してこのうっぷんを晴らしたい。が、議事録改ざんに加担してしまった手前、そんなに強く言うことはできないのだ。

「んなああああああああっ、まったく、もう!!」

 向かいの貴弘先輩は知らんぷり。
 もともとこいつが「言う通りにすれば」なんて言わなきゃよかったんだ。
 どんなに先輩を睨みつけてやっても、何の効果も得られないことは今までの経験からよく分かっている。
 結局私は、やり場のない怒りを自分の中に溜めることしかできなかった。
 
 その夜は胃がムカムカしてどうしようもなかった。
 だから、いつもの特技を発揮する。

 ――大学入学式前夜に包まれた不安と期待の入り混じったあのドキドキ感。

 受験勉強を頑張ってやっと合格を掴んだ念願の大学。広いキャンパスに美しい建物群は、私に大きな希望を抱かせてくれた。
 楽しい気持ちに包まれた私は、一瞬で眠りに落ち――る寸前で私はふと思う。


 この楽しい気持ちって、時間を遡ってない?


 ◇


 思い起こせば、楽しい気持ちに助けられた時期は以前にもあった。
 大学受験の時だ。
 模試で思うように解答できなかった時、合格判定がC以下だった時、大きな不安が私を襲う。
 そんな眠れなさそうな夜を救ってくれたのが、昔感じた楽しい気持ちだった。

「もしかして……お楽しみ貯金!?」

 小学四年生の時に、頭の中のむうまと交わした契約。
 あれは自分が考えた物語だったが、いつの間にか本当のことになってしまったのかもしれない。

 受験勉強の頃は、お楽しみ貯金のことを思い出すこともなかったし、当然仕組みについても考えたことはなかった。
 不安な夜を乗り越えるための一種の自己防衛反応なんだと勝手に思っていた。
 が、社会の仕組みをある程度理解している今ならわかる。これは間違いなく、お楽しみ貯金の効果だ。

 楽しい思いが溢れ出て眠れない時は、それを貯金する。
 そして逆に、辛くて眠れそうもない時は、過去の楽しい思いで眠りにつく。

 そういえば私は、小学四年生の時以来、ドキドキワクワクして眠れなかった事は一度もなかった。

「大学受験で苦しんでいた時も、出てくる楽しい思いは時間を遡っていたような……」

 初めて飛行機に乗る高校の修学旅行の前夜のワクワク。
 文化祭のステージに上がる緊張と失敗の恐れでドキドキしたあの夜。
 男子からラブレターをもらい、一生懸命返事を書いた夜。
 憧れの高校に合格して、どんな人達に出会うのかとワクワクしたあの夜。
 新幹線に乗って友達と宿泊できる中学の修学旅行の前夜。

 詳しくは覚えてないけど、なんかそんな順番だったような気もする。
 そうであれば、確かに時間を遡っている。
 もしかしたら、お楽しみ貯金のメカニズムと関係しているのだろうか?

「それって、箱の中にお楽しみを溜めていくイメージなのかな?」

 私は連想する。お楽しみを溜める箱について。
 楽しい思いが溢れ出て眠れない時は、その思いを箱の中に溜めていく。
 そして次に楽しい思いが溢れ出た時は、最初の思いの上に乗せていく。
 きっとそんな感じなのだろう。
 箱に溜まったお楽しみを引き出す時は、上から順に取り出していくことになる。
 だから連続で必要になった時は、時間を遡るようにお楽しみが出てくるのだ。

「じゃあ、もし貯金が無くなってしまったら?」

 つまり箱が空になってしまうということだ。
 箱の中にはもうお楽しみは残っていない……。

 恐くなった私は、ブルブルと頭を振る。
 そんなことを考えるのはやめよう。
 まだ私は、大学生になった時のお楽しみしか使っていない。
 だったらまだ大丈夫。問題ないはず。

 しかしこの時の私は、大事なことにまだ気づいていなかった。


 ◇


 名古屋工場からの試作品は、なかなか完成しなかった。
 熊本工場からは矢のような催促が飛んできて、毎日のように私の胃はキリキリと痛む。
 と同時に、私は後悔の念に苛まれていた。

 何であの時、議事録改ざんに加担してしまったんだろう。
 議事録にちゃんと「一ヶ月で」と明記しておけば、名古屋工場が謝れば済む話になっていたのに……。

 両工場の関係はどんどんと悪化していく。
 こんな感じだと、たとえ試作品が素晴らしい形で仕上がったとしても、この製品開発プロジェクトは頓挫してしまいかねない。
 そしてその責任は、本社が負うことになるのだ。
 さすがに新人に私は、そんなには責められないと思うのだが……。

 胃が痛む夜はアルコールで気持ちを誤魔化すことができず、楽しい思いが無ければとても眠れそうになかった。
 そしてその夜に出て来たお楽しみを見て、私は驚いた。

 ――小学校の修学旅行の前夜、友だちと初めて宿泊するドキドキワクワク。

「えっ、これってどういうこと?」

 先週見たお楽しみは、大学の入学式前夜だった。
 が今日はいきなり、小学校の修学旅行前夜に飛んでしまったのだ。

 私の中学、高校時代には、お楽しみは無かったのだろうか?
 いや、そんなことはない。大学受験で苦しんでいた時、中学・高校の時のお楽しみに助けられていた。
 だから中学・高校時代も、お楽しみが溢れ出る夜があったはずなのだ。

 と、そこで私は大事なことに気づく。
 中学・高校時代のお楽しみは、大学受験の時に使われてしまったんじゃないか――と。

 お楽しみ貯金の箱を連想すれば、理解するのは簡単なことだ。古いものから溜め、新しいものから取り出し、取り出したお楽しみは無くなる箱を。
 私は大学受験の時に、高校や中学の時のお楽しみをすでに取り出している。
 だから箱の中にはすでに、その時のお楽しみは無くなっていたのだ。
 となると、箱の中に残っているのは、もう小学生の時のお楽しみしかない。

「マジで? お楽しみ貯金、もうすぐ底をついちゃうじゃん……」

 早く新しいお楽しみを溜めなくちゃ!
 そう焦っても仕事は上手くいかず、お楽しみを消費するだけの日々が続いてしまう。

 そして私はついに一番古いお楽しみ、つまり小学四年生の時のアニマルパーク遠足前夜の楽しい思いも消費してしまったのだ。


 ◇


 四月になって、私の職場に新人が入ってきた。
 男性一名、女性一名の計二人。
 女性の方は見覚えのある感じだった。

「彼女、もしかして、というかやっぱり……」

 彼女も彼女で私の顔を見てはっとしている。だから間違いない。
 人事情報が解禁となった日、新人名簿を見ていた私は気づいたんだ。うちの部署に入る女性社員の名前が、小学校の時の同級生と同姓同名だったことに。だから今日の顔合わせをとても楽しみにしていた。
 自己紹介と挨拶が終わると、彼女は私のところに駆け寄って来る。

「も、もしかして、みらくちゃん!?」
「そうだよ。久しぶりだね、ろこちゃん! 八年ぶり?」

 彼女はやっぱり、小学校から中学校にかけての同級生だったのだ。
 ろこちゃんは周囲の微妙な雰囲気を察して、申し訳なさそうに声のトーンを下げる。

「ごめんね、みらくちゃん。じゃなくて、ここではみらく先輩だね。ほら、私、大学受験に失敗しちゃったから一浪して……」

 そんなことはどうでもいいの。
 後輩として知り合いが入ってくるなんて、なんてラッキーなんだろう。
 ここでは後輩でも、ろこちゃんはろこちゃんだよ。下働きの仕事なんて一方的に押し付けたりなんてしない。二人でやれば仕事の辛さも半減だし。

 その日の夜は、久しぶりに楽しい気持ちになれた。だって、これからずっとろこちゃんと一緒に仕事ができるんだもん。

 しかし、次の日出社した私は厳しい現実を目の当たりにする。
 どこを探しても、ろこちゃんが座るはずの席が見当たらないのだ。
 それってどういうこと? やっぱり私が下働きを続けなきゃいけないってこと?

 その時の私は、今にも涙をこぼしそうな悲壮な顔をしていたのだろう。
 心配した貴弘先輩が声をかけてくれた。

「おい、どうしたんだよ、みらく」
「ろこちゃんの、ろこちゃんの席がないんです……」

 すると先輩はあからさまに怪訝な顔をする。

「何言ってんだ? ろこって誰だよ?」
「新人のろこちゃんですよ。昨日、自己紹介してたじゃないですか。四月に入社した新人として……」
「おいおい、お前大丈夫か?」

 思わず先輩が立ち上がる。
 そして衝撃的な事実を言い放ったのだ。

「今はまだ八月だぜ? それほどまで新人が欲しい気持ちは分かるが、頼むから希望と現実をごっちゃにしないでくれ」

 えっ? まだ八月?
 いやいや、そんなことはない。だって昨日はここで、ろこちゃんはちゃんと自己紹介してた――と思いながら部屋を見回すと、壁に貼られたカレンダーは八月になっている。
 目をこすりながら自分のパソコンの画面を見ても、日付は八月だ。

 いったいどういうこと?
 知り合いが入社して、せっかく久しぶりに楽しい思いに包まれたというのに。

 ――楽しい思い。

 その言葉ではっとする。
 まさか、これは……お楽しみ貯金!?
 ろこちゃんが入社したというのは、夢の中の出来事だったってこと?

 その日は仕事が全く手に付かないまま、退社時間を迎えることとなった。


 ◇


 夜、アパートに戻ると私はじっくり考える。
 これは一体どういうことなのか――と。

 ――先週、小学四年生の時のお楽しみで眠りについた。
 これはちゃんと覚えている。
 ――お楽しみ貯金は、もう空かもしれない。
 これも理解している。
 ――それなのに、新しいお楽しみを夢で見た。
 ろこちゃんが入社するというお楽しみ。昨晩見たと思われる夢は、そんな内容だった。これは明らかに未来の出来事だ。
 ――新たに夢に出てくるお楽しみは一体どこから?
 ということは……未来から!?
 そう考えて私ははっとした。

「ま、まさか、これって……借金!?」

 お楽しみをお金に置き換えて考えれば簡単なこと。
 もし私が口座に残金がないのにキャッシュカードを使ったとすると、足りないお金は銀行から借りることになる。
 同様に、お楽しみがないのに夢でお楽しみを見たということは、お楽しみをどこからか借りたということだ。

「そういえば、むうまもそんなこと言ってたっけ……」

 私は思い出す。
 小学校四年生の時に考えた物語を。

『ボクなら世界中の子供たちにお楽しみを貸してあげることができる』

 あの時は小学生だったし、何も考えずに『貸す』という言葉を使った。
 ただ単純に、悲しんでいる世界中の子供たちにお楽しみが広まるといいなぁと思っていた。
 
 ――お楽しみを借りる。

 それってどういうことなのだろう?
 お金を借りると、後で返さなくてはならない。
 だったら借りたお楽しみも、返さなくてはいけないことになる。

「なんで、そんなところまで本当のことになっちゃったの……?」

 眠るのが恐い。
 眠る時に夢に出るお楽しみが恐い。
 しかし眠れないと思えば思うほど、無情にも私は楽しい思いに包まれていくのだった。

 ――結婚式前夜の幸せと不安が入り混じったフワフワとした複雑な夢見心地。

 いやいや、私は男の人と付き合ったことなんてないのに!
 心の叫びとは裏腹に、洪水のように押し寄せる幸福感に包まれて私はあっという間に眠りに落ちた。


 ◇


 秋になって試作品が完成しても、名古屋工場と熊本工場との関係は改善されず、遺恨を残すこととなった。
 両者の間に入って調整を行わなくてはならなくなるたび、私の胃はキリリと痛み出す。
 その間にも毎日のように議事録を作成せねばならず、名古屋工場の件の二の舞にならぬようにと精神を擦り減らす日々が続く。
 すると夜には決まって、新しいお楽しみが枕元にやって来るのだ。頼んでもいないのに。

 お楽しみの中で私は結婚し、娘が生まれた。
 幼稚園の学芸会で娘は主役を演じ、小学校の運動会での激走、そして中学の部活では決勝戦まで勝ち残る。
 ドキドキとワクワクは、どんどんと未知の時間を進んでいく。

 そうか、そういうことなんだ。
 これって、私の将来のお楽しみを前借りしてるんだ。

 そう思ったとたん、お楽しみの借金に抵抗するのがバカらしくなった。
 自分自身のお楽しみなんだから、つけを払うのも自分。だったら素直に楽しめばいいんじゃないかと。
 
 そんな境地に至った私は、だんだんと現実とお楽しみの区別がつかなくなってくる。
 その弊害は、仕事にも現れることになってしまった。

 ある時は、

「先輩、今度娘の大学でサークル発表会があるんです」
「みらくちゃん子供がいたの? しかも大学生って何歳の時の子!?」

 またある時は、

「今度、娘が結婚するんです」
「ええっ、学生結婚!?」

 そして、

「孫が生まれるんですよ、男か女か楽しみですよね~」
「はやっ!」

 挙句の果てには、

「私今度、米寿を迎えるんです。うふふふふ……」
「…………」

 私は思う。
 これって予知夢なんじゃないか、と。
 そして、自分はいつまで生きられるんだろうか、と。
 死んでしまったら、お楽しみはもう二度と体験することはできない。
 つまり、お楽しみの前借りだって無限ではないのだ。
 前借りすら尽きてしまったら、この先私はどうなってしまうのだろう?

 そう考えた途端、とてつもない恐怖に襲われた。
 今まで味わったこともないような、深く暗い恐怖に。
 お楽しみの中の自分は、すでに米寿を迎えている。最期の時は確実に目の前に近づいていた。
 ――もう後はない!
 そう思った私は、なりふり構わず行動を起こしていた。

「先輩! 私、熊本に行ってきます。熊本工場で担当者とちゃんと会って、話をしたいんです」

 怒られるんじゃないかと思った。こんな忙しい時に熊本に行くなんてやめてくれと。
 でもそれを恐れていたら前に進めない。
 私にはもう、お楽しみは残されていないんだ。
 前進するしか、道は残されていないんだ。

 意外にも先輩は、あっさりと了承してくれた。

「ああ、熊本に行って、顔を突き合わせてわだかまりを解いて来るといい」

 そして信じられないような提案までしてくれたんだ。

「打合せが上手くいったら、引き続き一週間の休暇を命ずる」
「ええっ、それって……?」
「たまにはゆっくりして来いってことだよ。最近のお前、なんかすごく変だよ。恐いんだよ。しばらく会いたくないよ」

 おおおおおお、もしかして一週間も休んでいいってこと?
 信じられない、あの貴弘先輩からそんな提案が出てくるなんて。
 頑張って行動してみて本当に良かった。

 でも休暇を楽しむためには、まず熊本工場との打ち合わせを成功させなければならない。
 熊本工場の人って会うとどんな感じなんだろう? リモートでは普通っぽかったけど。
 顔を合わせたらネチネチと嫌味を言われるんだろうか?
 いやいや、そんなネガティブなこと考えてもしょうがない。当たって砕けろだ。それに今以上に険悪な関係にはならないような気もしていた。

 この困難を乗り越えたら、一週間の休暇が私を待っている。
 はたして熊本ってどんなところ?
 知ってるのは熊本城とか阿蘇くらいだけど。
 きっと食べ物も美味しいんだろうな。そして温泉!
 うわぁ、楽しみだなぁ。とってもワクワクする。

 その日の夜、私は本当に久しぶりにお楽しみを貯金することができたんだ。


 ◇


 熊本空港に降り立った私は、早速タクシーで熊本工場に向かう。
 台地上に建てられた工場は、建物が一部新築されている感じだった。

「先の大地震でうちも被害を受けまして、ここは建て替えたんですよ」

 担当者の説明を聞きながら工場見学を兼ねて敷地内を歩く。
 青い空に白い雲。遠くには熊本の街並みも見ることができる。労働環境としては申し分のない立地だった。
 建物の中に入ると、早速本題の製品開発の打ち合わせが始まった。

「いろいろと不手際があって皆さんにご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「いえいえ、こちらこそ見えない部分が多くて、戸惑ってしまっただけですから……」

 こちらが最初に頭を下げた影響なのか、みなさん丁寧な物腰で話してみてもとてもいい人たちだった。
 きっと、ネット会議やメール打ち合わせだけに頼ってしまったのがいけなかったのだろう。
 顔色や息遣いを細かく感じられないから、つい失礼な発言をしてしまう。
 残業続きの荒れたテンションで出したメールは、相手の心も荒れさせてしまう。
 そんな積み重ねがすれ違いを生み、感情のしこりを増幅させてしまったに違いない。
 会って話せば良かったのだ。お互い人間、感情の生き物なんだから。
 ――なんでもっと早く、熊本に来なかったのだろう。
 私は深く後悔した。

「今回、熊本に来て本当に良かったです。今後もよろしくお願いします」
「こちらこそ。このプロジェクトが成功するのを期待してますよ」

 打ち合わせは大成功だった。
 そして熊本市内に向かうタクシーの中で、私はこれから一週間のプランを思い起こす。
 熊本城に阿蘇に、それからそれから……。あっ、くまモングッズも買わなくちゃ。
 お楽しみがどんどん溢れ出てきて、私はぐっすり眠ることができたんだ。


 ◇


 二日目は熊本城を見学した。加藤清正が築城したと言われる堅牢な要塞で、西南戦争時も籠城した政府軍が耐え抜いたというのも納得できる。数年前の震災でも、当時の石垣はほとんど被災しなかったというし。
 お昼は熊本ラーメン。夜は玉名温泉で馬刺しやだご汁を堪能。初めて食べたからしれんこんも刺激的だった。

 三日目は田原坂古戦場を見学した後、天草へ。移動はほとんどタクシーだ。
 海が見える温泉に宿泊し、伊勢海老や高級寿司を楽しむ。お金はかかるけど四月からほとんど使っていなかったからこの際ケチらないって決めたんだ。

 四日目は人吉。鰻の蒲焼にぎょうざ、それに温泉だってある。それよりも楽しみだったのは大好きなアニメの聖地巡りかな。あの風景を目の当たりにできると思うと心からワクワクした。

 五日目は通潤橋を経由していよいよ阿蘇へ。草千里や湧水群を見て内牧温泉に泊まる。名水そば、そして赤牛丼は美味しかったなぁ。

 毎日がワクワクドキドキの連続で、どんどんお楽しみが貯金されていく。
 そして六日目。満を持して阿蘇外輪山の大観峰を訪問した。その景色に思わず息を飲む。
 それはまさに、ザ阿蘇と言わんばかりの人生で初めて目の当たりにする雄大な景色だった。

「カルデラって、本当にカルデラだったんだ……」

 語彙が崩壊してしまうほどヤバい。
 ちっぽけな自分に対し、自然が「ちっぽけなままでいいんだよ」と語りかけてくる。

 自分の背後には、広大な高原が広がっている。
 しかし目の前には、巨大な凹地が空に向けて大きな口を開けているのだ。
 地球の穴? 超巨人の足跡? とにかく今までの自分の価値観をすべてひっくり返すような眺めだった。

 あー、この眺めを楽しみながらここで一日中ゴロゴロしていたい。
 そう思いながら草地に腰を下した瞬間――私は一人の人物の後ろ姿に目を奪われた。

 ――背が高く優しいあの人。

 えっ、なんであの人がこんな場所にいるの?
 私の夢の中には、もう出てこなくなってしまったのに……。
 横顔がちらりと見えると、疑いは確信に変わった。

 ――間違いない、あの人だ。

 そう、それは夢のお楽しみの中で結婚し、老後を共に過ごした最愛の人だった。
 他人の空似の可能性も捨てきれない、と思いながらも私は立ち上がる。
 こんなところに居るはずがないと頭が否定しても、足は一歩踏み出していた。
 声を掛けても迷惑がられると分かっていても、私は彼に向かって歩みを進める。

 ――あの人が生きて歩いている。

 喜寿を迎えたあたりだろうか。あの人は、お楽しみの中に登場しなくなっていた。
 だからどこに行ってしまったのかと、ずっと心配になっていた。
 一歩一歩彼に近づくにつれて、涙がこぼれてくる。
 お楽しみの中には悲しいことは出て来ない。だって、それはお楽しみじゃないから。
 きっと彼は死んでしまったのだろう。私が喜寿を迎える前に。
 彼が生き返ったような気がして、無性に愛おしくて、心が爆発しそうになった。
 彼にとって私は全く知らない人なのに……。

 気がつくと私は、背後から彼に抱きついていた。
 この匂い。間違いない。
 この人だ、私の愛した人なんだ……。

「あ、あのう……」

 困惑した顔で、彼が私を振り向く。
 はっと我に返った私は、顔を真っ赤にしながら体を離した。

「ご、ごめんなさい! 夢に出てくる愛する人にあなたがそっくりだったから……」

 首を深く垂れて、真摯に謝罪する。
 間違ったことは言ってない。お楽しみは私の夢の中の出来事だ。
 顔を上げた私は、真実である証を提示するように彼の瞳を見つめ続けた。

「そうだったんですか……」

 信じてくれたかどうかは分からないが、彼は二コリと笑ってくれた。
 嗚呼、この素敵な笑顔。
 何度もキスを交わしたこの唇。
 何度も抱きしめてくれたこの腕。
 本当はすぐにでも彼の胸の中に飛び込みたい。
 でも今の彼は、私とは何の関わり合いもないのだ。

「あのう、えっと……」

 私はどうしたらいいのだろう?
 選択肢は二つ。自己紹介するか、しないかだ。

 自己紹介しなければ、抱きついてしまったこともうやむやにしてもらえるかもしれない。
 でもそれで終わったら絶対後悔する。だってこの人は、運命の人なんだから。
 なんとか彼に私のことを知ってもらえる方法はないものだろうか? 言葉だけの自己紹介ではなく、もっと記憶に残る何かを。
 強い焦りでパニック寸前の私は、ポケットの中に硬い紙があることに気がついた。

「これを受け取ってもらえると……」

 もう破れかぶれだ。
 私はダメ元で、ポケットに入っていた名刺を差し出した。
 そもそもこの熊本行きは出張だった。そのことを感謝する。

「みらく……さん? いいお名前ですね」

 その声に心が震える。
 あの人がまた私の名前を呼んでくれた。
 自分のすべてを委ねたくなるような甘い響き。それを聞けただけで涙が溢れそうになってきた。

「それじゃ、さようなら……」

 涙を見せぬよう、私は踵を返して大観峰のレストハウスに向かって走り出す。
 もう二度と会えないと思っていた人。
 でも、こんな素晴らしい場所で再会することができた。
 あの人にとっては初対面なんだけど。

「神様、本当にありがとうございます」

 私は待たせていたタクシーに飛び乗ると、そのまま熊本空港に向かう。
 本当は思いっきり後ろ髪を引かれているけど、これ以上は逆効果のような気がしていたから。
 だからあとは運を天に任せよう。何も連絡がなかったらそれまでということ。なんて納得することは不可能に近いが、これ以上できることも思いつかない。
 空港には予定よりかなり早く着いてしまったけど、もう熊本には未練はない。
 早い便に変更してもらい、私が乗る飛行機は東京に向かって熊本を後にした。


 ◇


 熊本出張から帰った私に、貴弘先輩は厳しいことを言わなくなった。
 仕事は相変わらず下働きばかりだが、自分のペースでやれるようになって精神的な負担はかなり軽くなった。
 熊本工場の態度も軟化する。残業はまだ多いが、眠れぬ夜は各段に少なくなった。

 そして嬉しいことに、あの人から会社のアドレス宛てにメールが届いた。
 大観峰での出来事が忘れられない。だからまた会いませんか、と。

 私はどうしたらいいのか、分からなかった。
 出会った時は感情が高ぶっていたが、東京に戻って冷静になるともう少し考えた方がいいような気もしていた。
 幸いメールをもらったことで彼の連絡先も判明している。焦って行動を起こす必要もない。

 あの人との楽しい思いは、お楽しみの中で沢山経験している。が、あの人にとっては、私は初対面の女性に過ぎないのだ。
 あの人と会うと、自分の思いが暴走してしまって逆に嫌われてしまうんじゃないだろうか。
 それならばいっそ、いい思いを持ったままもう会わない方がいいのかもしれない。 

 それに、私が見続けたお楽しみは予知夢なんてものではなく、ただの幻だったとも考えられる。
 夢の中で見続けた男性と、偶然にも熊本で会った。
 ただそれだけのことかもしれないのだ。
 もしかしたら、お楽しみで見た素敵な結婚生活は訪れないのかもしれない。
 結婚できたとしても、途中で離婚してしまうのかもしれない。
 彼の連絡先という安心材料を手に入れたことで、逆に私は前に進めなくなってしまい、メールだけのやり取りで踏みとどまっていた。
 
 しかし四月になって驚くことが起きた。
 新入社員として、ろこちゃんが入社してきたのだ。

「やっぱり、あのお楽しみは予知夢だったんだ!」

 そう思うと、居ても立っても居られなくなった。
 あの人に会いたい気持ちが溢れて、眠れなくなりそうだった。
 そんな時でもすっきり眠れる自分が、嫌いになった。

『東京で会いませんか?』

 私は勇気をふり絞り、あの人にメールを送信する。
 それからはトントン拍子で事は進んでいく。それは正に、かつて夢で見たお楽しみのように。
 デートを重ね、結婚の約束を交わす。これもお楽しみで見た通りだった。
 結婚するとすぐに娘が生まれた。その時私は「また会えたね」と思わず呟いてしまったことは内緒なのだけれど。

 今の私は、お楽しみで見た通りの人生を送っている。
 だから、ドキドキワクワクは半分以下になってしまって、それはちょっと残念だ。
 きっと、お楽しみを借りた時の利子を返してるってことなんだろう。借りた分、ドキドキワクワクをむうまに食べられてしまった。そう考えれば納得できないこともない。

 映画だって、二回目に観た時に新たな発見をすることがある。
 まさに私の人生はそんな感じだった。
 子育ても同じだ。結末を知っているから冷静になって対処することができる。まるで自分の子育てを背後から観察している存在のように。
 それってもしかしたら、おばあちゃんの視線なのかも? そう思うと、いろいろと試してみたくなる気持ちを抑えきれなくなるのだ。

 ドキドキワクワクは激減した半面、そこに到る背景を知っているからすべてのことに素直に感謝することができる。沢山の楽しみを与えてくれた人たちの努力に対して、労いを抱き続けることができる。そんな心穏やかな人生も悪くないかもと、私は思い始めていた。
 私は今、お楽しみの中を生きているのだから。














 ◇


「ねえ、ママ。眠れなくて困ってるの……」

 パジャマ姿の娘がリビングにやって来た。
 明日は小学校の遠足で、地元のアニマルパークに行くことになっている。きっとお楽しみが溢れて出てしまっているのだろう。

「じゃあ、ママが絵本を読んであげる」
「ホント!? 子供部屋で待ってる」

 私は小学校の頃に書いた作文を手にして、娘のベッドの枕元の椅子に座る。そして書かれた私の物語を言葉として紡ぎ始めた。
 

『明日は待ちに待った遠足です。
 だから、しっかりと眠らなくてはなりません。
 でも……それなのに……ちっとも眠くならないのです。
 夜の八時にはおふとんの中に入ったというのに……。
 目がぱっちりしてしまって、明日の楽しいことばかり考えてしまいます』


「へえ、それってなんか私みたい」
「そうね、そんな女の子って、世界中にいるのかもね」

 かつての私もそうだった。
 そして今の娘も。
 私は二人の物語を続ける。


『だったらどうすればいいの? 楽しいことがどんどんあふれちゃって消えてくれないの』
『あふれるくらいのお楽しみは、貯金しちゃえばいいんだよ』
『貯金?』
『そう、お楽しみ貯金』
『お楽しみを貯金すると、どうなるの?』
『頭がすっきりして、ぐっすり眠れるよ』


「ねえ、ママ。私もお楽しみ貯金してみたい。どうしたらいいの?」
「じゃあね、ママにお楽しみを話してみて。そしたらそれを貯金してあげる」
「わかった。えっとね、明日はお友達とヤギさんをなでて、ウサギさんにニンジンをあげるの。それでね、それでサル山に行って……」

 一通りお楽しみを話した娘は、スヤスヤと寝息を立て始めた。
 ――予想通りで良かった。
 お楽しみ貯金の話が娘には効かない可能性もあった。でもそれが取り越し苦労だったことを知って、私はほっと胸をなでおろす。

 これで娘の頭の中には、お楽しみ貯金という自己暗示の概念が形成された。
 あとは自動的に機能してくれることだろう。
 ――自己暗示によって脳内ドーパミン分泌量を自由にコントロールできる力。
 これは私の家系に伝わる能力だったのだ。娘の反応を見て、私は確信する。

 何度も私のことを救ってくれたこの能力。
 だから娘の人生も、きっと救ってくれるだろう。

 寝息を立てる娘の髪をなでながら、私はひとこと呟いた。
 ようこそ、お楽しみ貯金の世界へ――と。




 おわり



ミチル企画 2022夏企画
テーマ:『喜』『怒』『哀』『楽』(使用したのは『楽』)

いやや2022年09月01日 21時44分04秒

「IYAYA, HOTANI-SAN!」
海の向こうで、また妙な日本語が流行り出したようだ。
「IYAYA GAME, IYAYA LIFE」
これはなかなか微妙。向こうの人は言いにくいんじゃないの。
でも中にはしっくりくるものもあった。
「IYAYA WAR!」
うん、これは言いやすい。



500文字の心臓 第188回「いやや」投稿作品

喜怒哀楽兄弟2022年08月05日 18時23分00秒

 僕の兄弟は喜怒哀楽だ。
 だって妹は喜び、姉さんは怒り、弟は哀しみ、僕は楽しんでいるんだから。

 それはある日のこと、いつものように、家族が食卓を囲んで夕食を食べている時のこと。僕にはそれが日常であり幸せであったのだけれど……。
 ――そんな平和な日常に突然の嵐が吹き荒れることになるなんて思ってもみなかったんだ――
「ねえお兄ちゃん」
「ん? なんだい?」
 僕が食事をしていると妹であるアコ(中学2年生)から声をかけられた。ちなみに僕の名前はアキ(高校1年生)で、弟のソウタロウ(中学3年生)は僕を兄貴と呼んでくる。
「あのね……」
「どうした? 遠慮しないでなんでも言ってくれよ」
 普段元気いっぱいの妹が今日に限って珍しく何か言いずらそうにしている。これはもしや……!と心の中でちょっとだけ期待しつつ妹の言葉を待つ。
「えっとね、お兄ちゃんって、今好きな人っているのかなぁと思って……」
 妹からの質問はなんとも予想通りのものではあったのだが、いざ実際に聞かれてみると困ってしまうもので……。
 妹の質問に対して少し考えてみる。
 うーん、特にいないんだけど……そうだなあ……今は思い浮かばないけどいつかそういう女性が現れる日が来るかもしれないし……。よしっ!
「うん。今のところはいないけど、そのうち現れるんじゃないかな?」
 とりあえず当たり障りのない回答をしてみた。しかし妹からは意外な言葉が返ってきたのだ。
「そっか。じゃあお兄ちゃんはまだ彼女がいない歴イコール年齢というわけだね!!」
 ぐぬぬ……。
 確かに妹に言われたとおりなのだがこうストレートに言われてしまうとなんか恥ずかしいな。
 僕は少し頬を赤くしながら「まあそういうことになるかな……」と答えた。
 すると今度は弟が口を挟んできた。
「でも兄貴なら大丈夫だと思うぜ。俺が女だったとしてもきっと好きになるだろうからな!」
 おいこら待てコラ!! 勝手に何言ってんだよ!?
 弟からの予期せぬ一言を聞いて僕はさらに顔が熱くなる。
 そしてその様子を見てなのか、姉まで参戦してきた。
「ふふん! 甘いわねあんたら! 私なんかはもうすでにいい人がいてラブラブ状態だからね!!」
 おいこら!! まだその件については何も話してないだろ!!!
「ほぉ~さすが姉さんはモテるねぇ! でもそれって一体誰だよ?」
 お前まで話を合わせなくていいから!!!
 それに僕だって一応高校生だし恋人くらいいてもおかしくはないはずだろ!? …………おかしいよね?
 僕の内心のツッコミなど全く気にすることなく話は続いていく。しかもその内容はどんどん過激なものになってきていた。まさかここであんな発言が出てくるとは思わなかったのだ。
「へぇーお兄ちゃん彼女いないのかぁ……よかった! これで私の計画が実行できるよ♪」
 えっ……!? どういうことだ!?
 僕の思考は一瞬フリーズする。
 するとすかさず妹のフォローが入った。
「あはは、ごめんなさいお兄ちゃん、実はお姉ちゃんはずっと前から彼氏がいるんです。お付き合いを始めたばかりなので今は秘密にしておいて下さいね。でもいずれみんなにも紹介しようと思っているんですよ?」
 なるほどそういうことだったのか……。
 ということはつまり妹は自分のために僕のことを訊いてきたということになるんだろう。
 なんてできた子なんだ……と感心してしまう反面少し寂しい気持ちもあった。妹にはすでにそんな相手がいたのかと思うと自分が情けなくも感じてしまったのだ。
 でも妹が幸せならそれでも構わないかと思い直した時、再び弟から爆弾が投下されたのである。それも特大級のやつだ。
「姉さんの恋人? どんな人? ちょっと写真とか見せてくれよ」
「あっ……そうですね、じゃあその人にお願いします」
 おいこら待て!!!
 何を勝手に決めてるんだ!?
 というかその人は僕じゃないのかい?
 っていうかこのタイミングで見せるのか??
 僕の意思とは無関係で事が進んでしまう状況についていけていない僕を置き去りにし、二人はスマホを取り出し画像を見始めた。そこには男友達との自撮り写メと彼女の腕を組み笑顔で写っている二人のツーショット写真があった。
 それを確認していた弟だったが次第に眉間にシワを寄せ始めると険しい表情になりながら写真をじっと見つめているのだった。そしてしばらくした後……
「え? これって本当にあの人と付き合ってるの? なんか嘘くさい気がするんだけど」
 弟の感想を聞いた妹が即座に反論した。それはあまりにも的確な指摘だったのかもしれない。
 僕自身もそう思ったからだ。だってその写真に映っているのは明らかに男の僕なのだから。
 そして弟と妹の意見に対して姉の反応が怖かったのでチラリと視線を向けてみると、案の定姉さんは激怒していた。
「はぁ?! なに言っちゃってんのよ! どこがどう嘘くさいっつうんだよ!?」
 しかし妹はひるむことなく淡々と理由を述べていく。まるで自分の意見が正しいと言わんばかりの自信に満ちた口調で。
「まず第一印象だけど……その人かなり格好良くない? お兄ちゃんの方が断然イケてるじゃん。お兄ちゃんと比べたら月とスッポン、天と地、豚と牛くらいの差はあるよね?」
 ぐっ……。
 確かにそうだが、そこまではっきり言われるとさすがの僕でも凹んでしまいそうだ……。
 そしてさらに追い打ちをかけるように妹の追撃は続く。
「あとさ、二人とも仲良すぎない? 手なんか繋いで歩いてたしさ、それに姉さんの態度も変なんだよねぇ……。なんというか……いつもより優しいし甘々なオーラ出てたし……。これはもう完全に愛しちゃってますね! 間違いないですよ!」
「そ、そうなの……?」
 妹の言葉を聞き姉が少しだけ照れながらも嬉しそうな様子を見せ、妹はさらに続ける。
「だからこれは絶対にあの人が怪しい!! って思ってお姉ちゃんにカマかけてみたわけよ」
 妹は悪びれる様子もなく姉に説明をしているがこれはやり過ぎではないだろうか……。
 しかし妹の言っていることは当たっていたのだ。
 実は姉さんには僕とは別に恋人がいた。その相手とはバイト先の先輩にあたる男性で名前はユウスケ(仮)さんだ。しかし妹の言う通りこの人の顔は普通よりも多少マシという程度で、身長も170センチ前後しかなく、とてもではないがイケメンと呼べるような風貌をしていないのだ。
 ちなみに僕は178センチなので10センチ以上差があることになる。しかし見た目だけでは判断できないもので僕は姉から彼のことをいろいろと聞かされていた。そして妹はその先輩が姉と交際しているのではないかと疑っているらしいのだ。
 だが姉は慌てているようだった。まさかここまではっきりと言い当てられると思っていなかったらしく明らかに動揺していたのだ。
 僕はその様子を見かねて助け船を出すことにした。
「もうそれくらいにしてあげろよ。ほら……本人がいるんだからさ……」
「お兄ちゃん! まさか本当のことなの!?」
 するとすぐに僕の方に向き直り詰め寄ってきた。
 その目はマジだったので冗談ではなく本気で僕の答えを求めていたのだ。
「う、うん……一応……」
「はぁ!? ちょっとあんたいつの間にそんな相手見つけてんのよ!? 聞いてないわよ!?」
 今度は僕の方へと向かってきたのだがやはり僕の答えが気に入らなかったのか声が大きくなってきていた。なので姉さんは一度落ち着かせるため深呼吸をしてもらいそれから詳しい話を聞かせてほしいと頼んできた。なので姉にも話せる範囲のことをすべて伝えることにした。
「なるほどね……。そんなことがあったんだ……。まぁ私はあんたが選んだ人なら別に文句はないけどね。っていうかむしろ応援するわ! 頑張ってね!」
「ありがとうございます、そう言ってもらえると助かります。姉さんは本当に優しいですね」
「べ、べつにそういうんじゃないってば! 私が認めたくなかっただけだから! 勘違いしないでよね!!」
「姉さんツンデレだな」
「うるさいぞクソ弟!! っていうかお前こそどうなのよ? ちゃんと彼女できたの?」
 姉からの鋭い質問に対し僕が返答できずにいると……
「ふっふっふー♪ 私はまだいないですぅー! お兄ちゃんのことが心配だからしばらくは独り身でいてあげるんだもん♡ だから私の分までいっぱい恋愛してよね、お兄ちゃん?」
 と、ニヤついた表情で言い返してきたのである。しかもそのあとで僕の背中に飛びついてきた。
 なんだこの可愛い生き物は!?
「はいはいそこのバカップル共。いい加減イチャつくのはやめなさいよね」
 呆れた口調の一言とともに妹は引き剥がされてしまった。
 さすがの姉でもこれ以上妹につき合うのは無理と判断したのだろう。僕も同じ気持ちだったし。
 しかしそこで姉から思わぬ提案が飛び出した。
「そうだ!じゃあ私たち三人が付き合いましょう!それなら問題ないでしょ?」
「ええぇ……姉さんの相手は僕が決めるわけじゃないからよく分からないけど、とりあえずユウスケ(仮)さんと付き合ってみてそれでも駄目ならまた考えてみてくれれば……」
「おっけ~。でもあの人結構良い感じだからきっと上手くいくと思うんだけどなぁ……」
 確かに姉は美人だし彼もイケメンではないもののそこそこ格好は良かったはずだ。
「よし、決まりね。お試し期間として付き合ってみましょ?」
 姉の提案は突拍子も無いものではあったが僕としては断る理由もなかった。
 というか僕と姉、それに妹という家族関係では珍しい組み合わせの交際が始まったのであった。
 ……こうして僕は三人目の彼女との付き合いを始めることとなったのである。

 あれから一週間が過ぎた。
 僕たちの交際は今のところ特に大きな問題も無く続いていた。もちろん姉にはバレていないが僕と妹の二人で出かけることも増えた。
 しかし今日だけはいつもと違い二人きりでは無く、姉のデートをこっそりと見守りに来たのだ。
 何故そのようなことをすることになったかというと……数日前に僕たちは姉に呼び出されたのである。なんでもどうしても一緒に行きたい場所があるから来て欲しいとのことなのだが……。
 しかし待ち合わせ場所で待っていても姉の姿は無かったのだ。なのでしばらく待っているとその人物は現れたのだが……なぜか姉ではなく弟君だったのだ……。
 姉に電話をしてみると今まさに電車に乗っており、まだこちらには到着していないらしい。なので弟君の誘いに乗る形で姉を待つことにしたのだ。
 それから僕と弟君は雑談をしながら待っていたのだが……。
「あのさ、俺前からあんたと話したかったんだよねぇ。だって同じ姉を持つ兄弟同士仲良くしたいじゃん? それにあんたら仲良すぎだと思うんだよね。手繋いで歩いてるし? なんかあったの?」
 僕はいきなりこんなことを聞かれてしまったのだ。
 まさか初対面の弟君からそんなことを聞かされるとは思っていなくてかなり動揺した。
 だが僕は冷静を装いながらなんとか返答することができたのだ。そしてその後も少しだけ話を続けた後で本題に入った。
「それで姉さんとはいつから付き合い始めたんだ? それとなんで僕たちに秘密にしてたんだい?」
 すると今度は弟君が僕の質問に答える番だった。
 彼は今まで恋人を作ったことがないらしくずっと気にかけていたらしい。
「最初はさぁ……俺の勘違いだと思ったんだよなぁ。だけどさ、あんたがたまにウチの学校に来ることがあって姉貴のこと見つめてるの見て……あぁ……これは絶対惚れてんなって思ったのよ」
「へぇー……そっか……」
 そんなふうに見られていたなんてまったく知らなかった……。
 でもそう考えると弟の観察眼はかなり優れているということなのか。そう思いながら感心しているとさらに話を続けてきた。
「だからさ。俺も応援することにしたんだ。姉貴が幸せになれるようにってさ。でもまさか相手があんな顔の男だとは思わなかったけど……」
 そう言いながらも笑っていた。それはとても楽しそうな笑顔で……。
 だから僕はそんな彼のことが嫌いではなかった。むしろ好ましく思っていた。
 それからしばらくしてようやく姉さんが到着し僕と姉さんのデートが本格的に始まった。
 まず最初に向かった場所は水族館であり僕たち三姉弟にとっては思い出深い場所でもあった。というのも僕が小学生のときにここで姉と妹と一緒に来たのが最初で最後の遠出をした記憶があるからである。それ以来僕は一度もここには行っていない。理由は姉や妹と一緒でないからだ。
 そう、僕が姉と妹を避けていたせいで僕だけが一人で来ることになってしまっていったのだから。
 だからこの機会にもう一度ここを訪れ、そして姉妹三人で訪れようと考えていた。だからこのデートでは姉にもこのことを事前に伝えておき二人で訪れたのだ。
 館内に入るとすぐ目の前に大きな水槽がありその光景を見ただけで胸が熱くなってくるのを感じた。その中は色とりどりの熱帯魚たちが泳いでいて幻想的な世界が広がっていた。
 そして僕らはそこで立ち止まりその景色を楽しんだ。ただでさえ美しいというのに隣には僕にとって特別な存在となった姉がいる。この感動はひとしおだった。
 僕たちはしばらくの間何も言わずにじっと眺め続けていた。
 しかし不意に僕が口を開くと彼女はそれに反応してくれたのである。
「ねぇ、お姉ちゃん?」
「ん~? どした~?」
 僕の方を見てくれた彼女の瞳は綺麗でまるで宝玉のように輝いていた。僕はそれが何よりも嬉しく感じてしまう。
 だからだろうか。気がつくと自然に言葉が出てしまっていた。
「……好き……だよ……」
 その一言は自分でも分かるくらい震えていて小さかった。きっと僕の顔は真っ赤になっているだろう。でもそれを彼女に悟られる前に顔を逸らしていた。
「……あ、あはは……なんか……変な空気にしちゃったかな?」
 ……沈黙が流れる。
 きっと今の言葉を彼女がどう受け取ったのか僕には分からない。
「うん、ありがとね。私もユウスケ(仮)君のこと好きだよ」
 だがそんな答えが返ってきたことで僕はほっとした気持ちになっていた。
 もしフラれていたら僕はしばらく立ち直れない気がする。それどころか姉との関係すら壊れるかもしれない。それだけは絶対に嫌だったから……。
「お姉ちゃんも大好きだよ。ユウスケ(仮)」
 姉は微笑みながら僕に優しい声音で言ってくれた。
 それは普段の姉からはあまり想像できないものですごく新鮮なものを感じられた。
 そしてその瞬間に今まで悩んでいたことや不安が一気に消え去ってしまったのだ。やはり姉の魔法には抗えないなぁと感じさせられるのであった。
 それからしばらく姉さんと一緒に水槽を見て回り、一通り堪能した僕たちは館内を出た後に休憩も兼ねてフードコートで昼食をとることにした。
 僕が席を確保してから二人は料理を注文すると僕の座っている場所へと戻ってきた。
「うー……やっぱり混んでるねぇ」
「だねぇ。もうすこし早い時間に来てれば空いてたのに残念だよね?」
 姉は困り顔をしながら言うが僕はそんな姉を宥めるように優しく語りかけた。
「仕方ないよ。とりあえず座れたんだから良いじゃん? それに姉さんと一緒だし全然不満は無いからさ? 僕は気にしてないよ?」
「そっか。ならいいけど。じゃあさ、食べ終わったらまたゆっくり回ろうか? 今日はまだまだ時間があるんだしさ?」
 姉さんの言葉に「もちろん!」と答えるとちょうど店員が僕たちの頼んだものを運んできたので僕と姉は手を合わせると「いただきます」と言い食事をし始めた。
「「おいしい!!」」
「えへへ……そうだろ。実はこれ俺のおすすめなんだぜ」
 僕と姉が同時に感想を言うとなぜか弟君が自慢げに言っていたのである。そしてそれからも弟君との雑談を続けながら食事を進めていくのだがふと疑問に思ったことがあったので聞いてみた。
「あのさ、弟君は姉さんといつ出会ったの? あとどこで出会ったとか……教えてくれないかな?」
 すると姉さんと弟君はお互い目配せすると何か合図を送ったようで弟の方から話し始めてくれた。
「姉貴と初めて会ったときか。あれはまだ俺が中学生のときのことだった。当時高校生だった姉貴が同じ学校の男に言い寄られててな。それでしつこく言い寄ってきてたんだってよ。でも姉貴って美人だろ?だから相手も引かないわけよ。それで俺は姉さんが心配でたまに姉さんのこと見に行ってたんだよ。そしたらある日たまたま姉さんと目が合ってな。そのときに『助けてほしい』って言われたんだ」
「えっ!?  そ、そうだったの?」
「そういえば、そんなことあったかも……。あんまり覚えてなかったけど……」
 そう言うと恥ずかしそうに頬を赤く染めながら下を向いてしまった。
「まあそんなこんなで色々あってな。それから姉貴と付き合うことになったんだ。姉ちゃんもまんざらじゃない様子でな。すぐに交際に発展したよ。まあ今考えると最初から相思相愛だったみたいだけどな」
 僕は話を聞いて驚いた。まさかそんな出会いをしていたなんて夢にも思わなかったからだ。
「でもまさかあのときの人がお姉ちゃんの初恋の人だったとは思わなかったなぁ~。まさかあんなところにいるなんてね。本当に運命的だったよね?」
 姉さんは嬉しそうな表情を浮かべながら弟に言っていると僕に視線を移してこう言ってくれた。
「ねえ、ユウスケ(仮)君。私のこともっと知りたい?  それとももういらない?」
 彼女の瞳が真っ直ぐ僕に向けられる。
 僕はその質問に「いる」と答えた。だから僕はこれからは遠慮せず彼女について知っていこうと思うのだ。それが僕なりの愛情表現であり感謝の気持ちでもあるのだ。だから今は彼女のことがよく分かるこの時間が僕にとって一番幸せな時間なのだ。
 僕は目の前に座る女性に改めて好意を抱くのであった。

 ***

 私は彼の言葉を受け止めることができなかった。なぜなら彼は私ではなく姉を選んだのだから……。
 だがそれは当たり前のことだ。
 何故なら私が彼を好きだということを知った上で彼が私を選ぶということはありえなかったから。むしろ今までの関係を壊してしまうかもしれないから……。
(……どうして?)
 だが私の中に生まれた思いはそれ一つだけであった。
そしてそれは当然の結果であろう。彼への想いが本気であればあるほど今の現実を受け入れることは難しかっただろうから……。
 だがそれは紛れもない事実である。
 だからこそ受け入れるしかなかった。そして彼にこれ以上自分の気持ちが伝わらないようにするために私は彼と別れを告げることにしたのだった。
「ねぇ、ユウスケ(仮)君。私たちそろそろ帰ろうか?」
 私はユウスケ(仮)君の手を引っ張りながらフードコートを出ることにした。
 しかし突然引っ張られたことに動揺してしまったのか彼は転びそうになっていた。
 その姿を見て私は心が傷むのを感じつつも笑顔で対応した。きっと今の顔はひどいものだと思う。それでも何とか平常心を保とうとした。
 それから私は彼を家に帰すために車を走らせていた。だが正直なところ早く一人になりたい気分であった。
 おそらく私はこのままでは泣かずにはいられない。そして泣いてしまうともう自分を抑えることはできないような気がするのだ。
 それほどまでに今日の出来事はショックであった。
 それからしばらくして車が止まったところで彼は言った。
「じゃあそろそろ僕は帰るね。今日は楽しかったよ。ありがとう姉さん」
「ううん。気にしないで?  今日は無理矢理連れてきたんだから楽しんでくれてよかったよ」
 私は必死に涙が溢れそうになるのを堪えた。ここで泣くわけにはいかないから。せめて今日だけは耐えなければと思ったから……。
「じゃあまた学校で会おうね?  バイバ―イ」
「ああ……またな」
「姉さんまたな!」
 二人に挨拶すると私は逃げるようにその場を立ち去った。
 それから数分してようやく自宅に着いたとき私は我慢の限界に達してしまった。
「ふぇーん……なんでよぉ~……どう……して…………ユウ……ス……ケ君……好き……だよ……ずっと……いっしょ……に……いたかっ……のに……ひくっ……」
 それからしばらくの間、誰もいない部屋の中でただひたすら泣き続けたのである。

 ***

 僕はあれからもしばらく公園でボーっとしていた。
 そして日が落ちかけた頃、ふとスマホを見ると妹から何件か着信があったのである。
 内容は「まだ学校? 迎えに行くから連絡しなさい」とのことだ。僕はとりあえず「もう少ししたら行く」と返信すると急いで家に帰った。
 そしてリビングに入ると姉と母がいた。姉が帰ってきたときから少し気まずかったが母は僕が帰宅したことに気付くと声をかけてくれた。
「お帰り~。あんたご飯食べないの?」
「うん。食欲がないんだ。だから部屋にいるね」
 僕はそれだけ言うと自室へと向かいベッドに寝そべった。
 そのまま僕は天井を見つめて考え事をし始めた。
(姉さんは僕に好意を抱いていて弟君は僕が好きだった。でも弟君は姉さんを選び僕を選ばなかった……。つまり僕は振られてしまったってことなのかな……。まあ、当然のことなんだけど……)
 だがそんなことを考えていると胸の奥から熱い何かを感じた。その何かは徐々に僕の体を熱くしていき目頭が急に熱くなった。
 そして僕は無意識のうちに涙を流すと自然と口角が上がったのだ。
「あはっ……。あははっ……」
 なぜ笑っているのか自分でも分からない。でも笑いが止まらなかった。
 そして僕は思う。やはり僕にとってこの家族はかけがえのない存在なんだと。そして姉さんの幸せを願ってやまないのだと。
 僕はこの瞬間決意した。姉が誰を選んでも僕は決して彼女のことを忘れないと。姉が選んだ相手がどんな人であろうとも姉のために力になろう。たとえそれが姉弟の関係が崩れるような選択だったとしても僕は喜んで受け入れるだろう。だってそれは今まで姉が与えてくれた愛情の証なのだから……。
「ユウスケ(仮)。姉ちゃんが今からそっちに行ってもいいかな? 大切な話があるの……。それとユウスケ(仮)に聞きたいことがあるの」
 電話に出ると姉さんはいつもと変わらない口調で僕に声をかけてきた。
 僕はそれに対して僕はこう返したのであった。
「もちろんいいよ。それに聞きたいこととはきっと弟君のことだよね?……それなら直接聞こうよ。俺も姉さんに直接聞いてほしいんだ」
「分かったわ。ならすぐに行くわ」
 そう言うと彼女は電話を切った。
 おそらく一分もしないうちに彼女がここに来ると思う。その前に気持ちを整理しなければならない。でないと彼女を悲しませてしまうかもしれないから……。
「さあ、姉さんがくるまでに答えを出してしまおうか」
 それから僕は彼女に気持ちを伝えるための言葉を何度も頭の中で復唱しながらその時が来るのを待っていたのである。

 ***

「ねぇユウスケ(仮)。ちょっと時間ある?」
 私は彼の部屋の扉を開けるなりそう問いかけた。
 しかし彼は机に向かって勉強をしていたようでこちらを振り向かず返事だけした。
「……どうしたの?」
「うん。ちょっとユウスケ(仮)に聞きたいことがあったんだけど今は大丈夫?」
 私がそう尋ねると彼は黙り込んだ。おそらくどう返答するか悩んでいるのだろう。
 だがしばらくすると彼はゆっくりと顔を上げて私の方を見た。
「別にいいけど……」
 私はその言葉を聞くと同時に自分の部屋に鞄を置きに行くことにした。
 正直なところ私の心は緊張でどうにかなってしまいそうなくらいバクバクしている。それでも今伝えなければいけないと思ったのだ。私は彼に言わなくてはいけないことが一つあったのだ。その事を告げるために私は彼に会いに来たのだ。そしてその一言で全てが終わる。
 私は大きく深呼吸をして心の準備を整えてから彼に話しかけた。
「ユウスケ(仮)。少し話したいことがあるの。大事な話が……」
 私は勇気を振り絞って伝えた。これから言うことを言えばもう彼と話す機会はなくなってしまうであろうから……。
「姉さん……俺は……」
「待って!」
「……ッ!?」
 私は咄嵯に彼の言葉を遮ってしまった。理由は分からない。ただここで言わせてしまったらもう二度と伝えることができなくなるような気がしたからだ。
 それだけではない。きっとこの話をすると私は泣いちゃう気がする。もう自分を抑えられる自信がなかったから。でもこのままではいけないと思った。だから私は思い切って告げることにしたのである。
『私はユウスケ(仮)の事が大好きです』と。

 ***

 突然のことで何が起きたのか理解できなかった。ただ目の前にいる彼女から発せられた言葉の意味を理解すると次第に僕の体から汗が吹き出してきた。
 そして同時に彼女の顔を見ることができなくなっていた。
 僕は必死に冷静に振る舞おうとした。そして何とか言葉を紡ぎ出すことができた。
「ね、姉さん……。いきなり何を言って……」
 僕がそういうと彼女は一歩近寄ってきた。そして僕の顔を見上げると真剣な眼差しで僕に問いかけた。
「ねぇ、ユウスケ(仮)は私じゃだめ?」
「そんなことないよ! 僕は姉さんのことは大好きだ」
 僕には嘘をつくことができなかった。だってそれは本当のことだったから……。でも……
「でもね……。でも弟君への好きとは違うんだ……。だからごめん。姉さんの期待に応えられなくて」
 僕だってこんな形で告白するつもりはなかった。でも姉さんから想いを打ち明けられて動揺してしまった。だから僕はその感情のまま姉さんに返事をすることになってしまった。
「そっかぁ~……。そうだよね。うん、分かっていたんだよ?  こうなるんじゃないかなって。でもね、やっぱり辛かったの。弟に先を越されてさ。だから今日、貴方に伝えようと決心して来たの。……ねぇ、ユウスケ(仮)。最後にわがまま聞いてもらってもいいかな?  お願い……。私の願いを……」
 僕は静かに首を縦に振った。僕自身姉さんの望みは出来る限り叶えてあげたいと思っていた。そして彼女は言ったのだ。
「キスして……」
「姉さんの……望みは分かったよ。でもどうしてそこまでする必要があるの?」
 僕は彼女の望みを聞き入れた後で彼女にそう尋ねた。
 すると彼女は目を潤ませながら僕を見つめてきた。
「だってこれが最後の思い出なんだもん。だから少しでもいい……。一瞬でもいいの……。だからお願い……」
 そんな顔されたら断れないじゃないか……。
 まあ、僕も男だ。据え膳食わぬは男の恥というやつだ。それに僕は彼女と唇を重ねることに対して何も嫌悪感を抱いていない。それどころかむしろ望むところだった。
「姉さん……。いくよ……」
 僕は彼女の肩に手を置いてゆっくりと顔を寄せていった。
 姉さんの顔はとても整っていてとても綺麗だった。
 そしてあと数センチで唇と唇が触れ合うという時になって姉さんが僕の口元を抑えて動きを止めた。
「姉さん……?  どうしたの?  もしかして嫌だった? ……ご、ごめん」
「う、ううん。違うの……。ちょっと心の準備が出来ていなかったからさ……。だからちょっと待ってもらえるかな?……大丈夫。今度は大丈夫だよ」
 そう言うと彼女は再び僕との距離を縮めてきた。
 僕はそんな彼女を受け入れるように目を閉じる。そして僕らの唇が再び重なる直前、扉の開く音がした。

 ***

 ユウスケ(仮)に呼び出された私は彼の部屋に来ていた。
 だけど私は彼の声を聞く前に部屋の扉の前で立ち止まってしまった。
(あれはどういうことなのかしら?)
 そこには彼と妹がいた。二人はまるで恋人同士のような雰囲気を出していた。
 私の胸の中でモヤモヤとした何かが渦巻いているような気がする。そのせいで頭がうまく働かなかった。
 そして二人の会話を聞いてしまった。私の心の中で渦巻いていたものが一気に吹き出してきそうになった。その気持ちを抑えることができなくなってしまった私は気がつくと走り出していた。
 私は自分の部屋に駆け込むと自分の気持ちを抑えつけようとしたけどダメだった。私は自分の心の中に湧いて出た感情を制御できなかったのだ。
(何なのよこれ!)
 なんで……
 何で私はあんな光景を見て喜んでいるのだろう? 
 ただの弟であるはずのユウスケ(仮)の事が好きなだけなのに……。
 おかしいじゃない……。私はあの子が欲しいだけなのだから……。
 私はどうすれば良いのか分からなくなってしまっていた。ただ一つ言えることは私がこのままだと後悔するということだ。
 でもどうやって伝えればよいのだろうか?
 ……正直なところ私には全くわからなかった。今までずっと弟として接してきた相手なのだから。でもきっと今言わなければもう伝えることができないかもしれない。それだけは絶対に避けたかった。
 だから私は意を決してユウスケ(仮)に話し掛けることにした。そして伝えた。
 私はあなたが好きだと……。
 そして私はユウスケ(仮)からの答えを聞かないうちにその場を離れた。
「お姉ちゃん?  どうかしたの?」
 自室に戻ると心配そうな顔をしているユウスケ(仮)が居た。恐らく私の様子が変だということに気づいて様子を見に来てくれたのであろう。本当に良くできた子である。
 私は彼に全てを話すことに決めた。この気持ちを伝えるためには彼に隠し事をしたままではいけないと思ったからだ。ただでさえ彼に負担をかけてしまっているのだ。ここでさらに嘘をつくなんてことはできなかった。例えそれが彼を悲しませる結果になろうとも。
 だから私は全てを伝えた。
「ねぇ、ユウスケ(仮)……。実はね、私あなたのことが大嫌いなのよ」
 私から全てを告白されたユウスケ(仮)はとても辛そうに俯いてしまった。
 ごめんなさい……。
 でもこうでもしないとあなたに本当の気持ちを伝えられないと思うから……。
 私は心の中でありったけの謝罪をした。でも、これで終わりではない。ここからは姉としての役目だ。だから私は彼に提案した。
「だからね、最後にお願いがあるの……。私の最後のわがまま聞いてもらってもいいかな?」
 ユウスケ(仮)は首を縦に振ってくれた。私はそのことに安堵した。
「ありがとう……。それでね……。最後にね……キスしてくれないかな……」
 自分でも驚くくらい弱々しい声で私はユウスケ(仮)にそう頼んだ。
 そして私は目を閉じる。
 そしてユウスケ(仮)の顔が近づいてくる気配を感じた。
 私は目を閉じたままだったが彼の息遣いが間近に聞こえてきた。
(ああ、私は今からこの子とキスをするのね)
 そう思った瞬間、彼の唇が私の唇に触れていた。
 そしてそれはすぐに離れていった。
 私はゆっくりと目を開けた。
 すると彼は少し恥ずかしそうにして頬を赤らめながら私を見つめてきていた。
「えっと……、ごめん。やっぱり嫌だった……よね」
 嫌じゃ無かったわよ……。
 むしろ嬉しかったわよ……。
 でも……
「ううん……。違うの……。ごめん、やっぱり今のは無し……。ちょっと待って……。うん……。大丈夫……。落ち着いた……。うん、ありがとう。ユウスケ……。貴方は優しいのね。でも、そんな優しさはいらないわ。これからもいつも通りでいてくれるだけで十分よ。だからお願い……。もう私のことは忘れて……」
「でも姉さんは僕の姉さんだよ。そんな事できないよ……」
 ユウスケ(仮)は困ったように呟いた。
 確かにその通りだ。私はこの子の姉なのだ。そしてそれ以上でもそれ以下でもない。でも……。それでも……、この子だけは……。
「だから私は……、私は……っ!」
「うん、分かった……。それなら僕はこれから姉さんの事は忘れることにするよ」
「え……?  ユウスケ……? ……本当に?  いいの?  そんな簡単に割り切れるの? だって今までずっと一緒に暮らしてきたじゃない。家族だったじゃない。それなのに、そんな急に忘れられるものなの? ねえ、本当にできるの?」
「姉さんこそそんな泣きそうな顔しないでよ。それに大丈夫だよ。僕にとって姉さんはずっとお姉ちゃんでしかなかったし……。それに僕には好きな人がいるからさ。その人がもし僕を好きになってくれた時にちゃんと思い出せるようにしておかないとね」
「……」
 私が何も言えないでいるとユウスケ(仮)は私から離れていった。
 もう会えない。その事が分かっていても私は何も言えなかった。そしてユウスケ(仮)は自分の部屋に戻っていった。

 ***

 俺は今非常に焦っていた。何故ならば目の前で俺の偽物が妹に迫っているからだ。
 どうしてこんなことになってしまったのか?
  理由は簡単である。先ほど妹から電話があったのだ。内容は『兄貴の部屋に来てほしい』ということだった。だからこうして彼女の部屋までやってきたのだ。
 しかしそこには俺の偽物がいたのだ。それも妹のベッドの上で!
 どうしよう? この光景は一体どうすれば良いのか全く分からない。
 とりあえずこのまま放置するわけにもいかないからな……。
 だからといって下手に動くこともできなかった。
 だからしばらく二人のやり取りを見ていたのだが……。正直見てられないな……。
「なあ、もう止めにしたらどうなんだ?  そんなことをしても無駄だとお前も分かっているだろう?」
 だが偽物は首を横に振るばかりであった。どうやら自分のしていることの意味を本当に理解できていないらしい。
 そしてとうとう行動に出たようだ。何を血迷ったか奴が動いたのである。なんと、妹の上へと覆いかぶさり、その口を塞ごうとしたのだ。
 流石にこれ以上見過ごすことはできまい。俺は咄嵯に飛び出した。
「何してんのあんた!?  ふざけてんじゃないわよ!!」
 そして渾身の右ストレートを顔面にぶちかました。
 吹っ飛んでいく偽物を横目に俺は妹の元へと向かった。
「大丈夫か?  何かされなかったか?」
「えっと……うん、大丈夫。ありがとう。でもどうしてここに居るってわかったの?」
 まぁ普通は疑問を抱くところであろうな……。
 だからと言って答えられるようなことでもないんだけどな……。
 ここは適当に誤魔化しておくことにしよう。
「たまたま散歩中にお前の姿を見かけたんでな……。それで気になったからついてきたんだよ」
 嘘は言ってない。
「ふーん、そうだったんだ……。それで結局、あれは何なの?」
「分からん……」
「そう……」
 それだけ言うと、何故か妹は少しだけ頬を膨らませて拗ねた表情を見せた。そして小さな声でこう言った。
「もしかして私の部屋に二人っきりになれたと思ってたとか思ってたのかな?」
「いや……そんなことはないぞ……。決してそんなことはない」
「そっか……。なら良かった……」
 妹がほっとしているようだったので、一応確認のために訊いてみることにした。
「あのさ、もしかしてキスしようとしてたことが嫌だったんじゃなくて、キスされそうになっていたことが気に食わなかったのかな?」
「ち、違うよっ!! 別にそういう意味でもなかったからっ!」
 いやいや明らかに図星っぽい反応じゃないか……。
 それにそんなに真っ赤になって言われてもな……。
 というよりこれってつまりそういうことなのか?
 うむ、実に悩ましいな……。どうすべきだろうか……。
 よし、少しカマをかけてみることにしよう。これで反応を見て判断するとするか……。
「じゃあさ、ユウスケ(仮)のことどう思う? 俺はあんな変態よりもあいつの方がまだマシだと思うけど……。少なくとも女の子に対して襲い掛かろうとする奴なんて論外だろ」
 すると、予想通り妹は顔をさらに赤く染めながら俯いた。
 これは間違いないだろう。いやまぁ薄々そんな予感はしていたんだよ……。
 でもさ、こういうのってなかなか認めるのが難しいものだからね。
 だから仕方ないんだ。だからもう認めちゃおうぜ。
「もしかして、あいつの事が好き……、だったりするのかな?」
 俺がそう問いかけると、彼女は消え入りそうな声を出しながらも何とか言葉を絞り出そうとしているように見えた。
「……、好きっていうか、ちょっと憧れていたっていうかさ……。だからその、ええと……、ごめんなさい……。私やっぱりユウスケの事が好きだわ」
「そう……、やっぱり好きだったのか……。ちなみにどこが好きなの?」
 すると彼女はとても嬉しそうな笑みを浮かべてから答えてくれた。
「やっぱり優しいところだよ。それに頭も良いし、スポーツもできるし。でも一番はやっぱりカッコいいからだよ。ユウスケの顔を見た時にね、胸がドキドキしたの……。ああこの人は凄いな、私とは違うなって……。それからはずっとずっと貴方のことを見ていたの……。ずっとずっと見ていたかったの……。ねえ、私と付き合ってくれない?  きっと私達ならうまくやっていけると思うの」
 その告白は俺にとっては嬉しいものであった。
 だが俺は彼女の想いに応えることはできない。だって俺には心に決めた人がいるから……。
 そして何よりも俺と彼女とでは生きる世界が違うからな……。
 だから俺は正直に伝えた。
「すまない……。俺には心に決めている人がいるんだ。その人以外には考えられないんだ……。だから君の気持ちには応えることができない。本当に申し訳ないと思っている……。だからこの話は忘れてくれ。これからはただの兄弟関係に戻るんだ。いいな?」
 すると妹は悲しげに微笑んでから小さく呟いた。
「そっか……。うん、分かった……。でも私は諦めないから……。だから待っていて。私が貴方に相応しい女になるその時まで」
 こうして二人の奇妙な恋愛劇は終わりを告げた。
 しかしこれが新たな物語の始まりとなるとは、この時の俺たちはまだ知る由も無かった。



『あとがき』
 どうもお疲れ様です!  作者の緋色ゆぅりでございます。いかがでしたでしょうか?  今回の『ラブ・メモリーズ』
 今回は『妹』がメインのお話となっております!  次回からはメインヒロインの出番もどんどん増えていく予定なので、楽しみにしていてください!
  あと、今度から毎日投稿に戻したいと思いますので宜しくお願いします。ではまた~(^o^)/





ミチル企画 2022夏企画(リハーサル)
テーマ:『喜怒哀楽』

【コメント】
本作品は、AI小説サイトで作成したものです。
以下の書き出しと設定を入力して、あとはAIが勝手に書いてくれました。

<書き出し>
 僕の兄弟は喜怒哀楽だ。
 だって妹は喜び、姉さんは怒り、弟は哀しみ、僕は楽しんでいるんだから。

 それはある日のこと、

<設定>
登場人物は、俺と妹と姉と弟。
妹は喜ぶ。
姉は怒る。
弟は哀しむ。
俺は楽しむ。


 書き出しと設定以外に人間がやったことは、以下の2つです。
1)スペースと改行の挿入
2)ストーリーが兄弟姉妹と関係なくなった時、そこまでの展開を削除して、削除した直前から作成のやり直し

 ストーリーが兄弟姉妹と関係なくなったというのは、例えば主人公が家を出て一人で街を歩く展開になった時などです。このような削除は、3回くらい行いました。

 結果、わけの分からない作品が出来上がりました。まあ、AIが書いたものですので、気楽に読み流してやって下さい。やっぱり人間にしかできないことがあるんだなぁと、改めて感じました。あと、勝手に『あとがき』を書いてくれるとは思いませんでした。

誰かがタマネギを炒めている2022年05月20日 23時09分11秒

 ついに携帯タマネギ炒め機が発売された。コンパクトでバッグの中に入れておくだけで面倒なタマネギ炒めが出来るという優れモノだ。
『さて、今夜私がいただくのは、帰りながら炒めた飴色タマネギです』
 このテレビCMが大ヒット。家に着いた時の飴色タマネギが実に美味しそうで、食欲をそそるのである。おかげで炒め機はバカ売れ、いつの間にか『ケイタマネ』の愛称で呼ばれるようになった。
 しかし良いことばかりが起きるとは限らない。
「うわぁ、目が、目がぁ?っ!」
「誰だ、電車の中でケイタマネの蓋を開けたのは!?」
 そんな事故が頻発する。満員電車なら最悪だ。
 たちまち「絶対蓋が開かないケイタマネカバー」なる商品が次々と発売され、新たに法律も整備される。公衆の集合する場所で稼働中のケイタマネの蓋を開け、若しくはこれをさせた者は軽犯罪法違反として罪に問われ、一日以上三十日未満の拘留または千円以上一万円未満の科料が科されることになり、事故は劇的に減少した。
「やっぱ、飴色タマネギだよね」
「蓋を開けた時の幸福感は半端ないね」
 日本中を平和が包み込む。今日もあなたの隣りでは誰かがタマネギを炒めている。



500文字の心臓 第187回「誰かがタマネギを炒めている」投稿作品☆逆選王

茜の中のアオの少女2022年05月19日 21時19分57秒

 僕は知らなかった。
 登校中、毎日のように眺めていた裏山に。
 何もないと初めから諦めていた高校の裏山に。
 こんなにも美しい場所があったなんて。
「ほら、私の言った通りでしょ?」
 放課後、この場所を案内してくれた幼馴染の夕陽崎茜(ゆうひざき あかね)はそっと僕の手を握る。そんな彼女の勇気に鈍感になってしまうほど、僕は目の前の景色に心を奪われていた。
 林の中にひっそりとたたずむ溜池。
 土手によって溜められた二十五メートルプールくらいの水面が、キラキラと光る木漏れ日を浴びて見事な青色に輝いているのだ。
「まるで青い池じゃないか……」
「青い池?」
「そういう名所があるんだよ北海道に。僕も行ったことはないけど」
 死ぬまでには必ず行きたい場所。
 駅の観光ポスターを見たとき、その魅惑的な青色に運命を感じたんだ。これは絶対、自分が行くべき場所なのだと。だからすぐにネットで検索し、スマホの画面に表示される美しい映像を確固たる決意として心のスクリーンに定着させてきた。
 そんな夢にまで見た景色が今、目の前に広がっている。
「私が見つけたんだからね。他の人には内緒だよ?」
 ここに辿り着くまでいくつも畑を越え、林の中の小路を登ってきた。おそらくほとんどの生徒は知らないだろう。
「もちろんだよ」
 僕は手を握り返し、二人の秘密をこの場所に誓う。心からの感謝と共に。
 それにしても、ただの溜池がこれほどまでに美しく青色に輝くことがあるのだろうか。いや、現実に目の前に存在しているのだから、北海道の青い池と同じメカニズムが偶然にもこの場所で起きているのだろう。
 すると不思議なことが起きた。水面を覆っていた青色がぷるんと揺れたかと思うと、細かな粒子となって水面から数センチほど浮き上がったのだ。いや、違う。元々細かな粒子が水面を覆っていて、それが急に動き出したと表現した方がいい。キラキラと光る渦巻となった青き微粒子は、細い空気の流れとなって茜の鼻の穴から彼女の体の中に吸い込まれていった。
 それは一瞬の出来事だった。
「大丈夫か? 茜!?」
 僕は繋いでいる手を開放し、立ったまま目をつむる彼女の肩を掴む。何も反応しない茜は気を失っているようだった。
「おい! 茜! 茜っ!?」
 強く肩を揺さぶる。すると彼女はゆっくりと目を開けたのだ。
「あなたは……風野透(かぜの とおる)くんね」
 瞳の奥には、茜とは全く異なる人格がいた。

「あなたを視界に捉えたとたん、この体の脳の副腎髄質からノルアドレナリンが分泌されて大脳皮質の『風野透』という言葉と結びついた。だからあなたは風野透くん。間違ってないでしょ?」
 僕は大声で叫びたかった。お前は誰なんだと。
 しかし涼しい顔で難しい単語を次々と発する艶やかな唇に、不覚にもドキリとする。
 茜の顔なのに茜とは完全に異なる振る舞い。そのギャップはなにかすごく新鮮だった。
「そしてこの体は夕陽崎茜。大脳皮質の一番深いところにその単語が刻まれている」
 そう言いながら彼女は茜の体を見回している。
 全く掴めない状況、茜の中にいる得体の知れない存在、訊きたいことが山ほどありすぎて言葉が出てこない。
「き、君は……?」
 かろうじて口から出たのは、質問とは呼べぬような呟きだった。
「私はアフェクティブオキシジェン(Affective Oxygen)。知性を持った酸素分子ってところね。頭文字をとってAO(アオ)って呼んでもらっていいわ」
「酸素分子……?」
 理解できない。
 酸素分子が知性を持ってるなんて、十七年の僕の人生の中でも初めて聞く知見だ。
「そう、酸素分子よ。だから心配しないで、健康には何も害は無いから。ただし、私が中にいる間は彼女のすべてをコントロールさせてもらうけどね」
 酸素分子だから人間の体をコントロールできる。理解できそうだけど承服できない怪奇現象だ。
 すると目の前の少女は伏せ目がちにふっと溜息をついた。
「やっぱり疲れるわね。脳内を解析しながら体をコントロールするのは」
 少しよろけながら僕に体を預けてきたのだ。
「ちょ、ちょっと……」
「離脱するからちゃんと体を支えていてあげてね」
「いやいや待ってよ。離脱って?」
「文字通り離脱よ。この体から離れるの。いきなり脱力するから気をつけて。ほら、腕でしっかりと彼女の体を支えてあげるの」
 強い口調に気圧され、僕は慌てて彼女の背中に手を回す。何があっても茜が倒れてしまわないように。
「そうそう、そんな風にね。抱きしめる感じで」
 幼稚園の頃から見慣れてきた茜の体。だから誰よりも知っていると思っていた。
 が、実際に触れてみて驚く。
 華奢な肩、甘い香り、そして制服越しでも分かる胸の柔らかさ。幼稚園や小学校の頃からは全く想像できない高校生の茜がそこにいた。身長だって一六◯センチだ。一七◯センチになった僕は、そんな茜のことを何も知らなかった。
「じゃあ、またね」
 ドキドキと鼓動が高鳴る僕をよそに、茜の鼻から青い微粒子が放出される。刹那、彼女の全体重が僕の腕にのしかかってきた。
 重い。女性に対してこんなことを言うのもなんだけどすごく重い。意識のない人を支えるのってこんなにも大変なものとは思わなかった。
「うーん……」
 倒れないようにとぎゅっと抱きしめた瞬間、茜の人格が戻ってくる。
「えっ、ええっ!? ちょっと何やってんのよ。エッチ! 透のバカっ!」
 思わず背中に回した手の力を緩める。その隙を見逃さず、茜は僕の手を振りほどいた。
「今はダメ。もっとロマンチックな時だったらいいけど……って、あれ? 青い光が消えてる……」
 溜池を見るとすでに光は失われている。アオもどこかに行ってしまったようだ。
 知性を持つ酸素分子、アオ。そんなものが存在するなんて誰が信じるだろうか。
 今さっきこの場所で起きたことを、僕は茜に話せずにいた。

 *

「ふん、ふふん……」
 次の日の朝、一緒に登校する茜はなぜか上機嫌だった。柄にもなく鼻歌なんて歌っている。
「今日も一緒に行こうよ、あの青い池に」
 恥ずかしそうに向けてくる上目遣い。それで僕は理解した。茜はなにか勘違いしてる。
 が、それは僕にとっても好都合だ。またアオに遭いたい。それには茜と一緒にあの場所に行く必要があった。
「わかった」
「じゃあ、放課後に昇降口でね。ところで透って花粉症?」
 いきなり何を訊いてくるのだろう。今はもう五月だ。花粉症の時期はとっくに過ぎている。
「違うけど?」
「昨日からなんか鼻がムズムズするのよね。ほら花粉症って一年中あるって言うじゃない」
 確かに。スギやヒノキ以外の花粉症の可能性が――っていやいやそうじゃないだろ。
 僕は思い出す。昨日アオが出入りした場所は彼女の鼻だった。
「じゃあ花粉症かもね」
 僕がうそぶくと、彼女は不思議な話を始めたのだ。
「青い池でそんな花粉が飛んでたのかな? そういえばあそこで私、変なこと思い出したんだよね」
「それって?」
「自分の名前の由来を両親から聞いた時のこと。そして透の名前を初めて覚えた時のこと。なんでだろうね?」
 なんでだろうって、そりゃ、あの時だよ。
 確かアオは昨日、茜の脳内から二人の名前を探り当てていた。もしかしたらそれが『思い出した』出来事として茜の意識に刻まれたんじゃないだろうか。茜には言えないけど。
「なんか授業でそんなことやったんじゃない? 現代文か歴史とかで名前に関する話があったとか?」
 またもや適当に答えてみる。
 茜とはクラスが違う。彼女がどんな授業を聞いたなんて分からないから適当なことなら何でも言える。
 すると茜は「うーん、そうかもね」と頷いた。

 放課後。二人で裏山の溜池に行くと、水面は今日も青く輝いていた。
「すごく綺麗だよね、ここ……」
「ああ」
 二人で並んで土手の上から池を眺める。すると茜は恥ずかしそうに僕の手を握ってきた。
 僕も彼女の手を握り返す。またアオと話したいと願いを込めて。
 願いが通じたのか、立ち上がる青の微粒子は昨日と同様に渦を巻きながら茜の鼻の中に吸い込まれていった。
「今日はノルアドレナリンがドバドバね。一体何をしたのよ、少年は」
 アオの第一声は、またもや茜の脳内解析についてだった。
 少年と呼ばれた僕は、思わず丁寧な口調で話し始めてしまう。
「それは、僕たちが手を繋いでいるからです」
 するとアオは握った手を引っ込める。
「本当だわ。ノルアドレナリンの分泌量も減った。しかし手を繋ぐっていいものね」
 他にもあんなことやこんなこともあると言ってみたい。でもそれは僕にとっても未体験ゾーンだし、そもそも茜の体を勝手に使うなんて失礼極まりなく、後で知られたら怒られること間違いなし。
 だから真面目な話題に変えてみる。
「アオさんって酸素分子なんですよね。酸素分子は無色って習いました。でもなんでアオさんは、あんなに綺麗に青色に光ってたんですか?」
 これは純粋な興味だ。
 そのメカニズムが分かれば、本家本元の青い池の参考にもなるだろう。
「それはね、レイリー散乱のおかげなの」
 レイリー散乱?
 また難しい言葉が彼女の口から飛び出した。やっぱりこの存在は茜ではない。
「少年は可視光の波長ってどれくらいだか知ってる?」
 話の内容が全く分からない。
 難しいことを口にする茜はちょっと魅力的だったけど、ここまで理解できないと自分が嫌になる。
「何ですか? そのカシコーって?」
「カシコーじゃなくて可視光よ。目に見える光のことで、三八〇ナノから七八〇ナノメートルが波長なの」
 もう諦めた。どうせ分からないんだったら難しい文学や漢詩でも聞いていると思えばいいんだ。
「この波長よりも小さな粒子に光が当たるとレイリー散乱が起きるんだけど、青い光ほど周囲に散らばるのよ」
 楽しそうに話を続ける茜の中の存在。
 こうしてじっくり眺めてみると、茜って結構可愛いと思う。
 少し垂れめの二重の大きな瞳。柔らかそうな丸めの頬に、唇も少し厚めな感じが特徴だ。
「一方、酸素分子の大きさは〇・三五ナノメートル。可視光の波長の千分の一以下だから、大気中でレイリー散乱が起きて空が青く見えるの」
 なんとなく分かってきた。
 茜ってすごく女性的な容姿なんだ。だからいつものバカ話はギャルっぽく見えてしまう。でも難しい話を楽しそうに話す瞳の輝きは、新鮮で魅力的に感じてしまうんだ。
「ねえ、わかった? 私たち酸素分子が青く光るメカニズム」
「え? えっ……」
 まずい、全く聞いていなかった。
 青く光るメカニズム? いやいや全然わからない。だから僕は適当なことを言ってみる。
「じゃあ、赤い光はどこに行っちゃったんですか?」
 青と来たら対は赤だろう。カスタネット、ゲーム機のコントローラー、童話の鬼だってそうだ。
 しかしこの言葉がアオの解説心に火をつけてしまう。
「おっ、いいところに気がついたね少年。じゃあ、赤い光と青い光の違いを説明するよ」
 しまった藪蛇だ、と思いきや
「スキーで例えるとね、青い光がモーグラーで赤い光が基礎スキーヤーなの」
 ん? ちょっと分かりやすくなったかも?
「そして私たち微粒子がジャンプ台。じゃあ、青い光が私たちに出会うとどうなる?」
 えっと、青い光がモーグラーで微粒子はジャンプ台だから
「ジャンプする」
「そう、バックフリップとかコークスクリューとかやっちゃうのよ。青いウエアーを見せびらかしながら派手にね」
 まあ、そうだろう。モーグラーだったら間違いなくメイクする。
「じゃあ、赤い光はどうすると思う? 少年」
「赤い光も……ジャンプする?」
「しないわよ、基礎スキーヤーなんだから。ジャンプ台なんて避けて、さっさと先に行っちゃうの」
 まあ、言われてみたらそうなのかもしれない。
「青い選手ばかりがジャンプする。するとゲレンデはどういう風に見える?」
「青く染まる」
「そう。それが空が青かったり、青い池が美しく光るメカニズムなの」
 へえ、なんか分かったような、分からないような……。
 ここで僕ははたと思う。そもそも赤い光の話だったんじゃないか――と。
「で、赤い光はどこに行っちゃったんですか?」
「それについては明日ね。なんか疲れてきちゃった。明日は茜ちゃんを海に連れてきて。そこで説明してあげるから。じゃあね……」
「ちょ、ちょっと!」
 いつもいきなりなんだから、と憤る間もなく僕は茜を抱きしめる。
 アオは今日も、脱力する茜を残して鼻から空に去って行った。

 *

「どうしたの透。急に海に行こうだなんて」
「暖かくなってきたし、ちょっと潮風に当たりたくなってね」
 僕たちが住む町は海に面している。
 自宅から二十分ほど自転車を走らせれば、そこはもう海なのだ。
「久しぶりだね、透と海に行くの。透は覚えてる? 幼稚園の頃、家族でよく行ってたこと」
「ああ」
 と返事をしてみたものの、実はよく覚えていない。
 両親からは僕と茜の微笑ましいエピソードを山ほど聞いているのだが。
「それよりも花粉症は大丈夫?」
 今日は僕からの一方的なお願いで、一緒に川沿いのサイクリングロードを自転車で走っている。花粉症がひどくなったら申し訳ない。あれが花粉症だったらの話だけど。
「うん、今は大丈夫。昨日はちょっと鼻がムズムズしたけどね」
 やはり花粉症じゃないのかな。昨日もアオは茜の鼻を通過していた。
「そうそう、昨日も不思議な夢を見たの。透と一緒にスキーに行く夢。透はガシガシとコブを滑っててさ、途中でジャンプするわけ。透もあんなことできるんだね、カッコよかったよ」
 いやいや、出来るわけがない。それはアオの妄想の世界の話だから。
 でも脳内世界とはいえ、アオが僕のことを華麗にジャンプさせてくれたのは嬉しかった。
 そんな話をしているうちに海に到着する。子供の頃からよく訪れた海岸だ。
 アオのリクエストだから海に来てみたのだが、ちゃんと待ってくれているのだろうか。海が青く光っているわけでもないし。それどころか太陽はその高度を下げつつあり、海は赤く染まろうとしている。
「なつかしいね、この場所」
「ああ」
 茜と一緒に、海が見える草地に腰を下ろす。
 髪を揺らす潮風。ザザーと揺らぎを持った波音の繰り返し。今日は本当に暖かくて心地いい。すると僕は突然、眠気に襲われてしまったんだ。


「とおるはしってる? なんでわたしのなまえが、あかねっていうのか」
「しらないけど」
「それはね、ここでみれるゆうひが、とてもきれいだからなんだって」
「へえ」
「それでね、ゆうひがきれいなときは、ちゅーするんだよ」
「ちゅー?」
「いいから。とおるは、めをとじてて」
「…………」
「もう、あけてもいいよ」


 ゆっくりと目を開ける。
 どうやら眠ってしまっていたようだ。茜の膝の上で。
 それにしても懐かしい夢だった。あの出来事は幼稚園の頃だっただろうか。
 それよりもなんだか鼻がムズムズする。僕も花粉症になっちゃったのかも――と思ったところで自分が置かれた状況に改めて気づく。
「ええっ、膝の上!?」
 慌てて起き上がろうとすると、茜に押さえつけられてしまった。
「もうちょっと横になってて欲しいかな少年。今、膝枕のデータを収集しているところだから」
 茜の体を支配しているのはアオだった。僕は膝枕されたまま彼女の顔を見上げる。
「来ないかと思ったよアオは。だってここには青く光る場所なんてないじゃないか」
 アオは呆れた表情で僕を見下ろす。
「私は酸素分子なのよ。どこにだって移動できるし、青く光る必要だってないんだから」
 そう言われればそうなのかもしれない。
「それに約束したでしょ?」
 アオは前を向く。僕も彼女が見つめる海に目を向けた。
 太陽が沈もうとしている空は、見事に赤く染まっていた。

「今、見えてる太陽の光はね、遥か西の昼下がりの地域とか、そういういろいろな空を通過して来た光なの」
 夕陽の方角は西だ。西にどんどん進んでいけば、まだ昼下がりの地域になるのだろう。
「昨日は青と赤のスキーヤーの話をしたよね。青のモーグラーと赤の基礎スキーヤーの話」
「ああ、覚えてる」
「じゃあ、青のモーグラーはジャンプ台でどうする?」
「ジャンプする」
「そう、それが昼下がりの地域の空の色。じゃあ、赤の基礎スキーヤーは?」
「ジャンプしない」
「だから遠くまで滑ることができるの」
 そうか、そういうことなのか。
 昼下がりの地域で青はジャンプしてしまい、遠くまでやって来ない。代わりにやって来るのは赤のスキーヤーなのだ。
「それで夕焼けは赤いのか」
「そうよ。分かった?」
 空が青い地域があるから、その先に赤い地域もある。まさか両者が一体になっているとは思ってもいなかった。
「よく分かったよ。ところでそろそろ起き上がっていい?」
 膝枕のデータは取得できたのだろうか。
 しかしアオは、驚くべきリクエストを口にしたのだ。
「その前に……キスしてもいい?」

 ――キスしてもいい?
 そのリクエストに答えるならば、僕は茜とキスすることになる。いや、中身はアオなんだから僕がキスするのはアオ?
「膝枕のデータはとても興味深かったわ。ゆったりと心が満たされることがよくわかった。だったら最後にキスのデータも取りたいの」
「最後に?」
 確かにアオはそう言った。まるで別れが迫っているように。
「この世界には不幸にも色を失っている地域がある。そこに青や赤の輝きを与えることが私の使命。だからこれ以上、ここには留まれない」
 そこまで言われたら引き留めることは出来ないだろう。そもそも酸素分子なんだから、引き留めること自体が不可能だ。
 もっとアオと話をしてみたかったけど、それは僕個人の事情でしかない。
 しかしそれとキスとは別だ。
 なぜなら、僕にとってはファーストキスなのだから。
「ごめん……僕はアオとはキスできない」
「どうして? 少年は茜ちゃんのこと大切に思ってるじゃない?」
「でも、今の中身はアオだ」
「じゃあ、中身も茜ちゃんになってあげる。私は彼女の大脳皮質や海馬の情報を読み取ることができる。そこから少年に対する気持ちも記憶も復元することができる。それってもう、茜ちゃん自身でしょ?」
「…………」
 それは違うと思う。
 だけど、なぜ違うのかを言い返すことができない。
 気まずく感じた僕は、沈黙を守りながらアオから視線を外した。
「わかったわ。じゃあ、おでこにキスしてくれる? 別れの挨拶に」
「それだったら……」
 僕は体を起こし、草地に座ったままアオと対峙する。
 ――これからキスをする。
 たとえそれがおでこだとしても、僕にとっては初めての体験だ。
 ドキドキと胸の鼓動が高鳴る。震える手を彼女の両肩に置いて、ゆっくりと体を引き寄せた。
 アオは興味津々で僕を見上げている。
「め、目をつむって欲しい。恥ずかしいから」
「そうなの?」
 くすくすと笑うアオは、ゆっくりと目を閉じる。
「キスしたらお別れだからね。倒れないようにちゃんと抱きしめてあげるんだよ」
「わかった」
 僕はそっと彼女のおでこにキスをする。
 刹那、茜の体から力が失われた。

 今日は本当に夕陽が綺麗だ。
 僕は草地に座ったまま、茜の上半身を抱きしめる。
 華奢な肩、甘い香り、柔らかな女の子の体。すると「うーん」と意識を取り戻した茜は僕を拒否することなく、吐息まじりに小さくささやいた。
「このままでいいよ、透」
 体を離そうとする僕の背中に、茜は手を回してくる。
「夕陽が綺麗ね。だからもっとぎゅっとして……」
 夕陽が大好きな茜。だって彼女の名前の由来だから。
 先ほど見た夢で再認識した。僕たちはずっと昔からここに居たんだ――と。
 懐かしい景色。腕の中にある大切な存在。絶対失ってはいけない人なんだ茜は。だからもう、他の誰かに乗っ取られて欲しくない。
 僕は強く彼女を抱きしめる。
「ありがとう。幼稚園の時のことを思い出してくれて。私ね、あの時からずっと透のことが好き」
「僕も大切に思ってる」
「あの時は透が目をつむったから、今度は私が目をつむるね」
 僕はゆっくりと体を離す。
 茜は目を閉じたまま、静かに僕を待ち続けていた。
 唇を唇に近づける。僕のファーストキス。唇が合わさった瞬間、熱いものが体を駆け抜けた。
「大好きだよ、茜」
「私も」
 狂おしい感情に導かれ、僕は茜のことを抱きしめた。すると彼女は小さく耳元で囁いたのだ。
「これでもう、思い残すことはない……」
「えっ?」
 驚いた僕は体を離し、彼女を見つめる。
「キスってこんなに素晴らしいものなのね。世界中の人がキスをしたら戦争なんて無くなるのに。キスを忘れた人が戦争を始めるってよく分かったわ。それを教えてくれてありがとう。これで私は行くことができる」
「それって……」
「じゃあね少年。君のことは絶対忘れないよ」
 すると茜の鼻から青い光が空に向かって放たれていく。
 呆然としながら、僕はそれを眺めることしかできなかった。

「うーん……」
 しばらくすると茜が意識を取り戻す。
 僕は彼女の体を支えたまま、思わず失礼な質問をしてしまった。
「お前、本当に茜か?」
「疑うなら、透のお尻のホクロの位置を当ててみてもいいけど?」
「いや、アオだってそれくらいできるぞ。茜の記憶を覗くことができるんだから」
 でもそんなことをアオにはして欲しくない。僕のお尻の記憶を覗き見るなんて。
 すると茜はニヤリと笑う。
「だったら私のこと、アオちゃんだと思ってくれててもいいよ」
「えっ?」
「だって魅力的に感じてたんでしょ? アオちゃんのこと」
 挑戦的な眼差しで僕のことを見つめる茜。
 それは茜であり、アオでもあった。
「茜は……アオのこと知ってたのか?」
「もちろんよ。だって体の中に入って欲しいって頼んだの、私だもん」
 俺は知る。事の経緯を。
「あれは一ヵ月くらい前だったかな。裏山の溜池がすごく神秘的だったから私はお願いしたの。透の本心を教えてほしいって」
 溜池にはヌシとか女神がいると思っているのか茜は。まあ、実際にすごい存在がいたわけだが。
「だってこんなに私は透のことが好きなのに、透は全然私のこと振り向いてくれないんだもん。神様がいるなら、どこがいけないのか教えてもらいたかった。そしたら急に、水面が青く光り出したの」
 そしてアオが登場した、というわけか。
「青く光る人型は、自分のことをアオと呼んでた。人の中にも入れるし、記憶も見れるんだって。でも人間同士の触れ合いで生まれる感情が分からず、調査したいって。だから私は取引したの。それを体験させてあげる代わりに、透の本心を教えて欲しいって」
 なんだよ、ということは最初から仕組まれていたんじゃないか。
 どうりで茜は、溜池にも海にも疑いもせずに来てくれたというわけだ。
「でも嬉しかったなぁ、透がちゃんと幼稚園の時のこと覚えていてくれて。だってあれが私の心の支えだから」
「もしかして、あの時って……アオは僕の体の中に入ってたのか?」
 茜に膝枕をしてもらった時、なんだか鼻がムズムズした。そして幼稚園の頃の夢を見た。アオが僕の中に入っていたと考えれば腑に落ちる。
「ゴメンね。あの時アオちゃんにいろいろ聞いちゃった。透が私のことどう思ってたかって。だからね、私頑張る。透に相応しい女の子になれるよう努力する。その時まで、幼稚園の頃の想い出を大切にしていて欲しいの。それだけが私の願い」
 涙目になる茜。僕は思わず、彼女を抱きしめていた。
「僕だって負けないよ。アオの話が理解できるようになるには高校の勉強だけではダメなんだ」
「あまり先に行かないでね。追いつけなくなっちゃうから」
「それはどうかな?」
「透の、いじわる……」
 いつからだろう。こんな風に素直に話せなくなってしまったのは。
 きっと、どんどん女の子っぽく魅力的になる茜に気後れしてしまっていたのだろう。でも中身はずっとあの頃の茜のままだった。
「さっき見た夢もこんな感じだったなぁ。そしてね、ドラマのような熱いキスをくれた」
「僕にとってはファーストキスだったんだぞ。それをアオに捧げちゃって、茜はそれでよかったのかよ」
「いいよ。それがアオちゃんとの約束だったから。それにね、私のファーストキスは幼稚園の時なの……」
 全く茜ってやつは。
 僕たちは体を離し、見つめ合う。
 あの時と変わらない瞳。そして夕陽は赤く輝いている。
「綺麗だね、夕焼け」
「うん、私の名前だもんね」
「だったらちゅーしてもいいんだよね?」
「うん、いいんだよ」
 こうして僕たちの恋は始まったんだ。


 了



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テーマ:『青』