あの人の痕跡を求めて2015年09月26日 08時20分21秒

 ――忘れたい人がいるなら、その人の痕跡をノートに記録すると良い。
 そんな不思議なアドバイスをもらった。
 ほんの一週間前のことだ。
 落ち込んでいた私が思い切ってカウンセラーのもとを訪ねると、彼女はにっこり笑ってこう告げた。
「貴女なら、もう少し踏み出せば乗り越えられると思うんだけどなぁ」
 他人事だからって、そんな気楽に言っちゃって。今でも私、とっても辛いんだから。
 それに、忘れたい人のことをわざわざノートに書くなんて、そんなことが効くのかしら。
「あの人のこと、考えるだけで心が苦しくなるんです」
「でも貴女はちゃんと私のところに来れたじゃない。それって、すでに一歩踏み出してるのよ。だからね、あと二、三歩なの。リハビリだと思ってやってみなさい」
 そう言いながら、カウンセラーは嫌がる私に一冊のノートを手渡した。

「すいません」
 早速私は、ノートを持って、あの人を覚えていそうな友人を訪ねる。
「えっ? あっ、き、君は……」
 振り返った友人は、私の顔を見て表情を硬くした。
 だから嫌なの。あの人のことを知っている人は、私の顔を見ただけで気を遣ってくれるから。
「えっと……」
 ああ、このまま逃げ出したい。
 でも、それじゃあ今までと変わらない。カウンセラーにアドバイスされたように、さらに前へ踏み出さなきゃ。
「ちょっと教えてほしいことがあるんです」
 やっと言えた。
 このことを言い出すのに、どれだけ勇気が必要だったか。
 私の切実な表情を感じ取ってくれたのだろう。目の前の友人は、ゆっくりと表情を崩す。
「何? 知りたいことって?」
「あの人のことなんですけど。私、あの人って呼んでるんです。あなたの前ではどんな感じだったか、教えてほしいんです」
「あの人って……? ああ、あの人ね。そうだね、すごく強引な感じだったかな」
 私は、その友人が話すあの人の様子を必死にノートに記録する。私の知らないあの人の振る舞いや仕草。どれも驚くことばかりだった。
「そんなことが……」
 話を聞きながらつい辛くなってしまった。思わず、ぽとりと小さな涙をこぼす。
「大丈夫?」
 恐縮する友人に私は謝罪した。
「いえ、いいんです。私から質問したんですから。それに私、自分の知らないあの人のことを知りたいんです」
「ちゃんと前を向こうとしてるんだね。頑張ってね、応援してるから」
 なんて優しい人なんだろう。
「はい、ありがとうございます。私頑張ります!」
 涙を拭いて、私は笑顔でその友人を見送った。

「おい、あの人のことを聞いてどうするんだよ。今さら辛くなるだけだぜ」
 私に近い友人ほど、きちんと私のことを気遣ってくれる。
 でもその厚意に甘えちゃいけない。だって乗り越えるって、カウンセラーにも誓ったから。
「いいの。私、もうくよくよしない。ちゃんと前を向いて歩くことにしたの」
「じゃあ、よく聞けよ。あの人に会ったのは、サークルの歓迎会の時だった……」
 でも、やっぱりあの人のことを聞くのは辛い。
 だって決して会えない人だから。
 その事実を知った時、私、どんな顔をしたらいいのかわからなかった。
 悲しくて、驚いて、そしてやっぱりまた悲しくて。
 本当にこんなことをしてリハビリになるの?
 アパートに続く道を一人で歩いていると、どうしても寂しくなってしまう。
 あの人に会いたい。
 その言葉や仕草に触れていたい。
「そうだ!」
 私は、はっとさっきの友人の言葉を思い出す。
『あの人に会ったのは、サークルの歓迎会の時だった』
 それならばきっと、動画や写真が残っているはずだ。

「ねえ、お願いがあるの。この間話していた歓迎会の動画を見せてほしいんだけど」
 すると友人は顔を強張らせる。
「さ、さすがにそれはやめた方がいい」
「なによ、あの人のことを詳しく話してくれたくせに。だったら見せてくれたっていいじゃない」
「それとこれとは別だよ」
「別じゃないっ! 私、本気なの!!」
 私だって後には引けない。
 今度こそあの人のことを断ち切るチャンスだから。
「だったら絶対後悔しないって誓うか?」
「ええ、誓うわ」
 私は真剣な眼差しをその友人に向けた。
 一分は経っただろうか。
 ついに根負けした友人は、しぶしぶとポケットからスマホを取り出し、無言のまま動画の再生ボタンを押した。
「えっ!? これが……あの人!?」
 涙がポロポロとこぼれてくる。
 やっと会えた、あの人に。
 あの人は私にないものを全部持っていた。
 活動的で、とっても強引で、パワーがあって、開放感に満ち溢れていた。
 今までいろんな人から話を聞いてノートに記録してきたけど、まさかここまでとは思わなかった。
「おまえさ、飲まなければ可愛い女なのにな……」
 そして、あの人を一生封印しようと心に誓った。



共幻文庫 短編小説コンテスト 第4回「奇妙な友人」投稿作品

生き残るために2015年09月16日 21時50分25秒

『現在、朝の八時十分。
 俺、五田村徹太は、福岡発羽田行きのJANAL202便に乗っている。
 機種はボーイング七六七。二百人くらいが乗れる中型機だ。
 石廊崎の上空を過ぎ、伊豆半島が見えてきた時に事件が発生した。飛行機がハイジャックされたのだ。
 犯人はおそらく三人。手にはナイフを持っている。どうやって機内に持ち込んだのだろう? いや、そんなことはどうでもいい。事実、この飛行機は乗っ取られたのだ。
 幸い俺の座席は後方だった。犯人の目を盗みながら、この手記を書いている』

 ヤバいよ、ヤバいよ、マジでヤバい。
 というか、今日は本当にツイてない。
 こんなことになるなら、前日の夜に新幹線の乗って東京に出て来るんだった。
「課長、朝一の飛行機なら宿泊代が節約になりますよ」
 なんて、格好つけてビジネスマンアピールした俺がバカだった。就職したばかりの新人のくせにさ。
 こんなことになっちまって、今日の防災グッズ展に自社製品を出品するどころか、自分の命さえあやしくなってきたじゃねえか。
 ――耐熱・耐衝撃、重要書類保管ケース。
 それが、俺が会社から出品と説明を任された自社製品だ。足元のビジネスバッグの中に入っている。千度の熱にも耐えられ、五回建てのビルが崩壊するくらいの衝撃でも中の書類はビクともしない。そんな頑丈な設計にもかかわらず、ペットボトル一本分くらいのコンパクトな造りが自慢の製品なのだ。ただし、むちゃくちゃ重いけど。
 こんな時に自分が死ぬことを考えるのは嫌だが、もし仮にこの飛行機が落ちたとしてもこのケースだけは無事だろう。それくらい、会社としてこの製品に自信を持っていた。
「まさか、これを自分で使う日が来るとは……」
 今のうちにハイジャックの状況を書き残しておこう。だって無駄死にするのだけはイヤだから。
 同じ列の横の方を見ると、犯人の目を盗みながらスマホに何か打ち込んでいるやつもいる。でもあれじゃダメだ。墜落の衝撃でスマホはバラバラになっちまうし、飛行機が海に落ちたら一発でアウトだ。
 俺は一分一秒を無駄にしないよう、再びノートに状況を記し始めた。

『犯人は三人とも背が高く、目出し帽を被っている。はっきりとはわからないが外国人みたいだ。
 主犯格の男は客室乗務員の女性を後ろから羽交い締めにしていて、首筋にナイフを当てている。そして機長室のドアに向かって何かわめいている。が、ドアはピタリと閉まったままで開く気配はない。
 残りの二人は見張り役のようだ。ナイフをかざしながら機内に睨みを利かせている』

 そうだよ。よく考えたら、飛行機はまだ乗っ取られたわけじゃないんだ。
 だって、機長室は占拠されていないんだから。
 こんな状況なら機長も決してドア開けることはないだろう。たとえ機内で何が起きたとしても。
 前方にいる何人かは犠牲になるかもしれないが、空港に無事着陸できれば特殊部隊が突入してくれるに違いない。そうなれば、後方の俺は助かる可能性がある。
 俺の座席は四十A。
 近くに見える非常ハッチが何とも心強い。
「キャーッ!」
 その時だった。
 前方で鋭い叫び声が上がった。
 見ると、主犯格の男は女性を羽交い絞めにしていない。振りかざすナイフが、べっとりと赤く染まっている。
「げっ!? やられちまったのか?」
 女性の安否が気になったのもつかの間、俺は信じられない光景を目にする。
 犯人が爆弾を頭上に掲げたのだ。
「マ、マジで? あんなもの、どうやって機内に!?」
 犯人達は、機長室は決して開かないと悟ったのだろう。
 だからやけを起こしてしまった。おそらくあの爆弾を爆破させるつもりなのだ。もしかしたら機長室のドアを爆破しようとしているのかもしれないが、爆発が起これば機内が全く無事とは思えない。
 朝早い便だからお客は少ないけど、この飛行機が墜落したら百人くらいは犠牲になるだろう。そう、俺も含めて。

『まずい。客室乗務員が一人やられた。
 そして信じられないことに犯人は爆弾を持っている。
 誰かが立ち上がらなくては飛行機が爆破されて、皆が死ぬことになるだろう。
 どうせ死ぬのなら、俺がやるしかない。
 俺は偶然、重要書類保管ケースを持っている。こいつを犯人の顔に投げつければ、一人は無力化できるかもしれない。
 その後、犯人達は俺を襲うだろう。だが、その時がチャンスだ。俺の意志を感じ取った皆が犯人を取り押さえてくれるに違いない。これは多くの人々を救うための賭けだ。そしてこのケースを持っている俺にしかできないことなのだ。
 父さん、母さん、先立つ不孝を許してくれ。
 そして愛する真理子。プロポーズしてあげられなかったのが唯一の心残りだ』

 俺は犯人に気付かれないようにノートを破ると、手記を丸めて重要書類保管ケースに入れる。そして、何があっても中身が無事であるようにと金属製の蓋をしっかりとねじ込んだ。
「こいつさえ、無事であれば……」
 たとえ飛行機が墜落して全員死んでしまっても、ハイジャックの様子を後世に伝えることができる。マスコミにも取り上げられるだろう。その時、両親や真理子は俺のことを誇りに思うに違いない。この遺書は俺が生きた証なのだ。
 俺は保管ケースをしっかりと抱きしめ、頭を抱えて緊急時の姿勢をとる。そして、ブツブツと念じ始めた。
「頼む、誰か、犯人を取り押さえてくれ。お願いだ、誰か、誰か頼む……」 
 俺が生き残るためには、自分が戦闘の火蓋を切るわけにはいかないのだ。
 誰かが、他の誰かが犠牲になって犯人を取り押さえてくれれば、俺は生きて帰ることができるのだから。
「早く誰か、お願いだから誰か頼む……」
 俺は前のシートに頭をこすりつけながら、必死に祈りを繰り返した。



共幻文庫 短編小説コンテスト 第3回「遺書」投稿作品