恋心霊2010年09月26日 22時38分54秒

 恋した瞬間に死んでしまったら――
 そんなことを考えるようになったのは、サークルの後輩、さくらの影響だった。今でも目を閉じると、彼女のその柔らかなささやきを思い出すことができる。
『先輩、恋した瞬間に死んでしまったら、どうしますか?』
 さくらは瞬きもせずに僕を見つめてそう言った。
 それはそれでいいのかもしれない。ただし苦痛を伴わないのなら。脳内がピンクのまま、幸せな気持ちに包まれて逝くのは、ある意味理想的な死に方かもしれない。
『でもね、先輩。そんな逝き方をすると、心蔵に恋心霊が宿るんだそうですよ』
 恋心霊? はたしてそんな霊が存在するのだろうか?
『それでね、その心蔵が業火に焼かれる時、恋心霊は大空に放たれ、熱い熱いと言いながら北極に向かって飛んで行くんだそうです。その写真を撮りに行きませんか?』
 心蔵が焼かれる時って、火葬場にでも行こうとでもいうのだろうか。いくら可愛い後輩の頼みとは言っても、それはちょっと恐い。
 僕が少し渋い顔をしていると、桜は上目遣いで再び僕の瞳を見つめてきた。まるで昨日死んだのが自分で、その霊を僕に成仏させてほしいかの如く。
『撮ってもらいたいんです、先輩に』
 その真剣なまなざしに、僕はさくらの頼みを承諾した。

 ――恋心霊写真
 そんな伝説があることを、僕はその夜、ネットで知った。
 写真に撮られた恋心霊は、その撮影者が恋した相手だった場合、一生その人の心に宿ることができるという。もし撮影者が恋した相手ではなかった場合でも、撮られた霊同士で仲良く一緒に北極に渡ることができるらしい。
 それがさくらの願いなのか? それではもう、さくらは生身の人間ではないのだろうか?
 そんなことを考えながら駅でさくらを待っていると、白い可愛らしいワンピース姿で彼女は現れた。
「先輩、お待たせ」
 にこやかに微笑む彼女は、とても幽霊とは思えなかった。

「♪小田急線の窓に 今年もさくらが映る」
 二人が乗った電車が大きな川に差し掛かると、突然さくらが歌を呟き始める。それは僕にだけ聞こえるように。
 この歌はどこかで聴いたことがある……
 過ぎ行く鉄橋を見ながら何という歌だったか考え込んでいると、さくらが僕の服の袖を引っ張った。
「ねえねえ先輩。私、ちゃんと窓に映っていますか?」
 電車の窓に反射した車内を見ると――さくらはやはり映っていなかった。僕や他の乗客はちゃんと映っているのに。そこは、さくらだけが居ない幻の世界。いや本当は、そちらが僕が居るべき通常の世界なのかもしれない。
「あ、ああ。ちゃ、ちゃんとさくらは……」
『本厚木~、本厚木~』
 本当のことを言うべきかどうか迷っているうちに、電車は速度を落とし、僕の声はアナウンスにかき消されてしまった。僕はさくらに促されるまま駅で電車を降りる。これからさくらは、僕をどこに連れて行こうというのだろうか。

 さくらの後について十分くらい歩くと、先程電車で渡った川が見える場所に出た。目の前に大きな橋があり、そこを吹き抜ける秋風が二人の髪を揺らす。
「♪ふたりで通った 春の大橋」
 先程の歌を、さくらがまた歌い出す。
「さくら、それって何て歌だったっけ?」
「この街を舞台にした恋物語です。そんな青春、送ってみたかったなぁ。それより先輩、目的地が見えてきましたよ」
 前を向くと川辺の広場に沢山の屋台が所狭しと並んでいる。どう見ても、何かのお祭り会場にしか見えない。
 火葬場に行くんじゃなかったのか?
 僕が不思議に思っていると、さくらは一番列の長い屋台に近づいた。
「おい、さくら、これに並ぶのか? 二時間待ちって書いてあるぞ」
「そうですよ、先輩。私にとってこの二時間は長くはないです。むしろ短いくらい。だって最後の二時間なんですから……」
 そう言いながら、さくらは僕の手を握ってきた。それは温かな手だった。とても幽霊とは思えないくらい。

 言葉は要らなかった。
 僕がさくらの手をぎゅっと握ると、彼女も握り返してきた。人差し指の掌に移動させると、彼女の人差し指もやってくる。まるで、二人の掌で囲まれた小さなダンスホールだ。そこには祭り会場の喧騒も届かない、秋風の冷たさからも守られた二人だけの世界。
 こうして僕達は、あっという間の二時間を過ごした。

 気がつくと僕達は屋台の前まで来ていた。醤油のいい香りがする。屋台の名前を見ると『甲府鳥もつ煮』と書いてあった。ニワトリのハツ、レバー、砂肝、キンカンを砂糖と醤油で照り煮したB級グルメらしい。僕は二人分の鳥もつ煮を注文する。
「美味しい~。わざわざ来た甲斐がありましたね、先輩!」
 満面の笑みで鳥もつ煮を頬張るさくら。これが最後の瞬間とは思えない無邪気振りに、僕の頭に一つの疑問が浮かぶ。
「さくら。もしかしたら、今までの恋心霊騒ぎは嘘だろ。これが食べたかっただけじゃないのか?」
「へへへ、先輩。ばれました?」
 ペロっと舌を出しながらさくらはバッグに手を伸ばし、ポーチを取り出す。
「はい先輩、屋台をバックに写真を撮って下さい。記念に」
「写真ってそういうことかよ。全く、しょうがないなあ……」
 拍子抜けしながら僕はカメラのファインダーを覗く。すると――屋台がなにかピンク色の煙みたいなものに包まれている。
 驚いてカメラを離すと、屋台は普通のままだ。しかし、またファインダーを覗くとやはりピンクの煙に包まれていた。よくよく見ると、そのピンクの煙は鳥もつ煮のハツから出ているようだった。
『先輩。それが恋心霊なんですよ』
 僕の狼狽を察知したかのように、さくらの声が頭に響く。
 そうか、確かハツは鳥の心臓だったっけ。
 そう思いながらカメラをさくらの方に向けると、彼女もピンクの煙に包まれていた。
『先輩、お別れです』
 僕がびっくりしてファインダーから目を外そうとすると、再びさくらの声が頭に響く。
『ダメ。カメラを外すと、もう二度と私が見れなくなりますよ』
 きっと、現実にはもうさくらの姿は見えなくなっているのだろう。ファインダー越しの彼女も、だんだんとその形が薄れてきている。
『シャッターを押して下さい。そうすれば、私はこの鳥達と一緒に飛んでいくことができます』
 えっ、写真を撮れば、僕の心に一生宿るんじゃ……
 そう言おうとしたが、何か自惚れのような気がして言えなかった。でもさくらには、僕の考えていることが伝わっていたようだ。
『だって、私は先輩に恋した瞬間じゃなかったから』
 消え行くさくらに向かってシャッターを押す瞬間、彼女の口がそう動いたように見えた。いや、実際は違ったかもしれない。でも、そう動いたんじゃないかと、十年経った今でもそのシーンが僕の心に焼き付いて離れない。



即興三語小説 第74回投稿作品
▲お題:「心霊写真」「脳内がピンク」「北極」
▲縛り:「B級グルメが出てくる」
▲任意お題:「新訳」「ホラー祭り」「ふんわかふりふり」

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