曲がった指輪2008年11月24日 00時32分07秒

「あれ?無い、無い…」
 ベッドの脇で妻がうろたえる。何かを無くしたようだ。
「どうしたのさ?」
「指輪が…」
「ま、まさか結婚指輪?!」
「寝てる間に外しちゃってたみたい、ははは…」

いつも妻に怒られてばかりのオレだけど、指輪だけは例外だ。
なぜなら、今まで一度も外したことが無いのだから。
結婚式の祭壇で、誓いを立てたあの瞬間から、
オレの指輪は一度も指の関節を通ったことがない。
 
ずうっと着けているせいで、指輪は半円形に変形してしまった。
曲がった部分が邪魔になって、ついに抜けなくなった。
すごい形だな、と驚いた人が言う。
悪い事をするとギリギリと食い込むんだ、とオレは指を振る。
結婚なんてそんなもんだよ、と笑い合う。

でも、外さないって誓ったのは何故だったんだろう?
オシャレに疎いオレは、指輪をしたことがなかった。
だからデパートで試着した時、ものすごく違和感を感じた。
一度外したら、着けたくなくなるに違いない。
そう予想したオレは、決して外さないと覚悟を決めたんだと思う。

この覚悟を貫くには、いくつか困難を潜り抜けなくてはならなかった。
まずはバレーボール。
ジャンプで左手を勢いよく振った時に、飛んでいきそうになった。
そして病院。
MRI検査や手術の時に、金属を外してくださいと、必ず言われてしまう。
変形しちゃって外れないんですよ…
涙目のオレに、看護師も折れた。

オレが死んだらどうなるんだろう。
きっと外れないから、一緒に燃やしてくれるだろうか。
でもその前に、曲がったところで折れちゃうかもしれぬ。
まあ、その時はその時だ。
指輪の内側の刻印を、ウン十年ぶりに拝めるチャンスと思っておこう。

「あった!」
 妻の叫び声で、はっと我に返る。
「よかったじゃん。もう無くすなよ」
 新婚ならそう言っただろう。でも今のオレは偉かった。
「オレを見習ってずっと着けてれば?」
「やだよーだ」
 その仕草だけは、あの頃と変わらなかった。


文章塾という踊り場♪ 第30回「ぞろ目」または「いいふーふ」投稿作品

洗わない男2006年06月16日 12時34分47秒

オレは洗わない男。
そう、朝は洗わない。
皿を洗うのは、夜と決まっているのだ。

「なんでいつも朝は、お皿を洗ってくれないの?!?」
毎朝、我が家はいざこざが絶えない。
妻は、出勤前のオレが
時間をもて余していると勘違いしている。
皿は朝、水につけておいて、それを夜洗う。
それがオレの仕事なのだ。

それもこれも、保育所の開く時間が遅すぎることが原因だ。
妻の出勤と同時に、保育所に行くことができれば、
こんないざこざは起こらずに済む。
お役人や政治家は、そのような些細なことの積み重ねが
少子化の原因になっていることを認識しなくてはならない。

でも、なぜ朝洗わないのかって?
だって、朝洗ってしまったら、
オレの夜の家事が減ってしまうじゃないか。
おまえがたたんで、オレが洗う。
こうして毎晩、共に家事をしながら
良き夫としての満足感に浸っている。
朝の皿を残しているのは、
少しでも長く味わっていたいからである。
そしてそれは、オレがたたまないで済むための、
苦肉の策でもあるのだ。
どうかオレの、ちっぽけなアイデンティティを奪わないでくれ。

オレは洗わない男。
その真実を、決して妻に悟られてはならない。
だからオレは言う。
皿を洗うのは、夜と決まっているのだ・・・と。


へちま亭文章塾 第8回「苦肉の策」投稿作品

防音を忘れた壁2005年12月12日 12時04分36秒

「うるさーい!静かにしろーっ」
隣の部屋で妻が叫ぶ。
妻が居るであろうあたりの壁を見る。
この壁は、防音をし忘れた壁だ。
こんなにもよく妻の声が聞こえることが、その証拠である。

大きくなったらどんな家を建てようか・・・
子供の頃は、いろいろな夢を持っていたものだ。
消防署のような登り棒も作りたかったし、
ぽかぽか屋根で、昼寝もしたかった。
建て売り住宅の広告があれば、食い入るように設計図を見て、
住宅展示場に連れて行ってもらうのが大好きだった。

しかし現実とは残酷なものである。
自分が実際に家を建てることになって、
あのころの計画がはかない夢であることを知った。
限られた予算では、無駄なものは作れない。
登り棒などはもってのほかで、
家の形も、子供の頃に最も嫌っていた総二階になってしまった。
これでは屋根で昼寝ができないじゃないか・・・
唯一かなった夢が、今居るこの書斎である。

書斎にAV機器を一つ一つそろえていくことで、
叶わなかった夢を忘れようとした。
DVDプレーヤー、大画面プロジェクター、5.1chサラウンドシステム・・・
そしてそれが完成してから、この部屋の最大の欠陥に気がついた。
壁が、防音仕様にはなっていなかったのだ!

「ねえ、うるさいって言ってるのが聞こえないのーっ!」
聞きたくない、いや、本来聞こえてはいけないはずの妻の声が
追い打ちをかける。
でも、ここで発想を転換してみよう。
うるさいってことは、妻もこの壁を問題と感じているはず。
それならば、改修工事への出費を認めてくれるかもしれない。
その際にこっそり、
屋根裏部屋につづく登り棒を作ってしまうのはどうだろう。
さらに天窓を作れば、星空が見れる特別寝室の完成だ。
大人の秘密基地大作戦。
一人ほくそ笑みながら、ちょっとだけボリュームを上げてみた。


へちま亭文章塾 第3回「住」投稿作品

たたまない男2005年11月14日 18時00分02秒

オレはたたまない男。たためない男なんかじゃない。

でも、どうやってたたむのだろう。あのTシャツなんか。
首から縦に2つ折りして、あとはくるくるってやればいいのに。
わざわざ後ろ向きに広げて、縦に3つ折り、そしてさらに袖を・・・
ああ、めんどくさい。あれを立ったままやってしまう店員さんは、
なんてすごい特技を持っているんだ。

家では、オレが干して、オマエがたたむ。
そう決まっている、と思っている。
でも、オマエはいつも言う。なんで、たたんでくれないの?と。
だって、オレがたたんでしまったら、
オマエは家でやることがなくなっちゃうじゃないか。
皿洗いはオレがやってるんだから・・・。
共働きなんだから、家事は分担だよ。
たたむことで、オマエは妻としてのアイデンティティを保てているのさ。
誰のおかげだと思っているんだ。

と、一度は言ってみたいけど、怖くてとても口にできない。
たたんでもいいんだけど、本当はたたみ方を知らない。
だからオレは、たたまない男を必死に演じている。


へちま亭文章塾 第1回「衣」投稿作品