可愛いあいつはモンブラン(後編)2011年03月01日 22時34分15秒

 月曜日の放課後、俺が文部(もんぶ)の部室に着くと、新入部員候補のランちゃんこと庭野玉子はすでに到着しているようだった。部室の中から彼女らしき話し声が聞こえる。
「お待たせ」
 挨拶しながら俺が部室の戸を開くと、部長とランちゃんがこちらを向く。
「よう、来たな勉」
「勉先輩、お待ちしていました」
 おっ、いいねえ、いいねえ、この『先輩』という魅惑的な響き。ずっと待ち望んでいた瞬間だ。
 ランちゃんにはぜひ入部してほしい。そんな気持ちを強くする。
「ところで週末のチャットは見てた?」
 俺は椅子に腰掛けるなり、本題を切り出す。
 先週、ランちゃんがうまくミステリーを作れないと言うので、小説のお題を提案しているチャットの内容を参考にしてみたらとアドバイスした。ランちゃんも部長もそのチャットを見ると約束して、週末の部活はお開きになった。
「見ましたよ、先輩。パパのパソコン借りました」
「ああ、私も見てたぞ」
 それなら話が早い。チャットで出されたお題が何であるか、二人とも分かっているはずだ。
「じゃあ、必須お題はわかってるよね、ランちゃん」
「確か、『ハンバーグ』『二度見』『あてもなく』でしたっけ?」
「そうだよ、その三つだ。じゃあ、それで先週の続きを考えてみようか」
 俺がランちゃんと向き合おうとして椅子を動かすと――
「ちょっと待ったぁー!」
 部長が大声を上げた。
「ぶ、部長。驚かさないでくれよ」
 俺が振り向くと、部長は不敵な笑みを浮かべていた。
「勉よ、何か忘れてはいないか?」
「えっ、何かって?」
「お題はそれだけじゃなかっただろ」
 チャットで決めているお題は、必須と任意の二種類がある。俺はその中の必須お題だけをランちゃんに聞いた。部長はきっと、任意お題のことを言っているのだろう。
「他にも『厳重に密封』ってのがあったぞ。ミステリーにこれは欠かせないんじゃないのか?」
 いや、それは任意お題だから、無理に使うことはないんだよ。
「そういえばそんなお題もありましたね、部長先輩。『――凶器は厳重に密封されていた』なんてフレーズが出てきたらカッコイイですよね」
 『凶器は』のところを低い声ですごむランちゃん。やはり見た目どおり、調子のいい奴みたいだ。
 まあ、部長の言い分も分からないでもない。確かに『ハンバーグ』や『二度見』ではミステリーにはなりにくい。
「まだまだいいのがあったぞ。確か……『歪んだ秒針』だ。そうか、ラン。凶器は秒針だったんだよ」
 するとランちゃんは少し考えた後、はっと閃いたような顔をした。
「わかりましたよ、先輩! 『犯人は秒針で一絵の首を一刺し、何事も無かったように元の場所に戻した』ってことなんですね」
 おいおい、それじゃあ、凶器は厳重には密封されてないだろ。仮にもミステリーなんだから、後先のことを考えてくれよ。
 俺は呆れながら部長の方を向く。
「じゃあ部長、一応聞いておくが、同じく任意お題の『ブラックホール』はどうやって使うんだよ」
 すると部長の目が光った。
「じゃあ私も勉に聞こう。必須お題の『ハンバーグ』はどうやって使うんだ?」
 げっ、逆に聞かれちゃったよ。
 それをランちゃんと一緒にしっぽりと考えようという作戦だったのに。『ランちゃん、ハンバーグってどうやって使おうか』『どうしましょうね、先輩』『困ったなあ、ハンバーグ。食べるのは好きなんだけど』『えっ、先輩ってハンバーグ好きなんですか。私ハンバーグ作るの得意なんですよ』なーんて甘い展開をちょっとだけ期待していたりする。
 俺が何も答えられないでいると、部長が勝ち誇ったように言った。
「ほら、勉も答えられないじゃないか。チャットはチャット、私達は私達。無理にチャットのルールに従う必要なんてないんだよ」
「そうですよ、先輩。楽しくやりましょうよ。私達、あのチャットに参加しているわけじゃないんですから」
「でも、それじゃあ、先週の俺の苦労はどうなるんだよ。ちゃんとお題に従って段取りを組んだんだぞ。わざと『吹雪』を降らしたり、『たゆたう』を使って俳句を作ったり……」
 俺が声を荒らげると、部長が怪訝な顔をする。
「ちょ、ちょっと、勉。それってどういうこと?」
 しまった! つい口が滑ってしまった……。
「部長先輩。わかりましたよ、私。ヒントは一つ前のお題です」
 げっ、ランちゃん。普段は天然っぽいのに、こういう時だけ鋭いのはどういうことだ!?
「一つ前のお題って……?」
 部長がランちゃんの方を向く。
「私、見ちゃったんです。チャットをやってるサイトで。一つ前のお題に『でっへへへへ』とか『なんかすごいのきた!』ってのがありましたよね。だから私はこんな性格にされちゃったんです。本当は普通の女の子なのに。この日本のどこに『でっへへへへ』って笑う女の子がいますか? ねえ、勉先輩」
 だ、だから、それは……。
「そうか。だから私も『なんかすごいのきた!』って変なメールを書いちまったのか。おい、みんな勉の仕業なのか」
「い、いや、お、俺は……」
「正直に言わないと、先輩には『黄昏』てもらいますからね」
「ランちゃん、ナイスアイディア。お題的にもバッチグーだわ」
「…………」
 すっかり困った俺がうつむくと、しばらくしてランちゃんが笑い出した。
「なーんて、先輩。本当に黄昏ないで下さいよ~。私、本当の本当は天然なんですからぁ。でも責任はとって下さいよね。ちゃんと私にお題小説を教えてくれるって」
「そ、それって……」
「はい、私、この部に入部します。だって楽しそうだもん」
「ははははは。新入生にやられたな、勉」
 俺がぽかんとしていると、ランちゃんは部長から渡された入部届けに必要事項を書き始めた。
 まあ、とにかく良かった。とびきり明るい新入部員が入ってくれて。
 さて、来週のお題って何だったっけ?



即興三語小説 第95回投稿作品
▲必須お題:「ハンバーグ」「二度見」「あてもなく」
▲縛り:「オリジナリティ溢れた前編のあらすじをつける(任意)【ただし、前編(第95回分)未投稿の場合はこの縛りはないものします】」
▲任意お題:「厳重に密封」「ブラックホール」「黄昏」「歪んだ秒針」

可愛いあいつはモンブラン(前編)2011年02月21日 22時57分13秒

 ゴロゴロ、ピッシャーン。
 六時間目の授業が終わると突然に雷雨が襲ってきた。
 掃除の割り当ての中庭に出ようとしていた俺達は、慌てて渡り廊下の屋根の下に避難して雨が通り過ぎるのを待っている。
 雨煙のため朧げに見える遠くのビルの傍らに、次々と雷が落ちていく。
 春雷――それはまるで昨日の部長の怒りと同じだった。
『おい勉、新歓用の作品を全然書いてないじゃないのよ!』
 我が『文部』は、文を読み、文を書き、文を愛する部活だ。四月になって入学してきた可愛い一年生を勧誘するために、魅力的な作品を書けと部長に言われている。
 ――それにしても、先週は季節はずれの吹雪だったのに今日は雷雨かよ。
 雨が通り過ぎるのを待ちながら、先週はこの中庭が一瞬であったが一面雪景色になったことを俺は思い出していた。
 ――まるで女心だな。
 先週の部長の心もまた吹雪だった。なぜなら先週は、新入生が一人も見学に来なかったからだ。イライラした部長は部員に向かって負の感情を爆発させ、一層の作品作りを命令した。
 ――そうだ、このネタで俳句を作ってやろう。
 俺は竹箒を柱に立てかけると腕を組んで雨空を見上げる。するとむくむくとアイディアが浮かんできた。
「たゆたうの女心と春の空」
 これで新入生が勧誘できるとはとても思えないが、とりあえずノルマは達成だ。俺がほっと安堵すると、先生が中庭に顔を出して今日の掃除の中止を告げた。

 雷雨のために俺達のクラスのホームルームは他のクラスよりもかなり遅くなってしまった。その最中、部長からメールが届く。
『勉、遅い! 何やってんのよ?』
 俺はケータイを机の中に隠しながら返事を書く。
『まだHRなんだけど』
 するとすぐに部長から返事が届く。
『きたよ、きたよ、新入生。なんかすごいのきた!』
 マジ? と思いながら俺はケータイの上の指を動かす。
『すぐ行くから』
 ホームルームが終わると、俺は直ちに部室に向かった。

 文部の部室に着くと、中から聞きなれない黄色い声が聞こえる。どうやら新入生は女の子のようだ。
 俺が勢い良くドアを開けると、部長の前に座っていたその黄色い声の主がびっくりしたように立ち上がりこちらを振り向いた。
 背は小柄だが、染めたのか地毛なのか分からない黄色の長い髪をツインテールにまとめていた。スカートもかなり短い。これが新入生なのだろうか。なんというか、見た目だけでもすごいヤツだ。
「遅かったな、勉」
 部長が俺に声をかける。すると、その黄色いツインテールはペコリと頭を下げた。
「はじめまして。庭野玉子といいます。よろしくお願いします!」
 ――庭野玉子? まさかこれが本名ってのは冗談だろ?
 待てよ、ここは文を書く部活じゃないか。新入生と言えどもペンネームを用意していても不思議ではない。
「はじめまして。玉子さん……というのはペンネーム?」
「いえ、本名です。玉子だから、中学校の頃は卵(ラン)って呼ばれてましたっ!」
 このテンションの高さも只者ではない。すごいのがきた、という部長のメールは本当だった。
 ――文部(もんぶ)の卵(ラン)かよ。
 一瞬、俺はオヤジ的なダジャレを言いそうになったが、慌ててその言葉を飲み込んだ。こんな新入生に初日からバカにされるのは御免だ。
「それで、ランちゃん、でいいのかな、今までどんな作品を書いていたの?」
 俺は椅子に座りながら玉子に質問する。
「ミステリーなんです」
 ほう、この風貌とは間逆のジャンルとは興味深い。
「どんなミステリー? 本格派? それともラノベ風とか」
「数字遊びが好きらしいよ。ラン、悪いがもう一度勉にも説明してやってくれ」
 部長が言うと、玉子は目を輝かせながら俺の方を向いた。どうやら"数字遊び"という言葉に反応したようだ。
「今書いている話はですね、『一吾一絵』という双子が出てくるんです」
「一期一会?」
「字は違いますけど」
 そう言いながら、玉子は机の上のあった紙に『一吾、一絵』と名前を書く。
 どうやら一吾が兄で一絵が妹の双子のようだ。
「それでですね、先輩。ある日、妹の一絵が死んでしまうのです。なんと手には小銭を握り締めて」
 玉子は俺の前で右手を握り締め、それをゆっくりと開く。
「握り締められていたのは、彼女のお小遣いの残高百五十二円三銭。これが何を意味するのかわかりますか、先輩?」
 そして玉子は俺の目を覗き込む。
 俺はここぞとばかり得意の推理を披露する。
「一絵は古銭マニアだった」
 三銭という古銭を持っているなんて、よほどのマニアに違いない。
「先輩、なんでそっちに発想が飛ぶんですか? これは数字遊びなんですよ」
「だそうだ」
 部長も口を挟む。
 ――いや、俺の反応は普通じゃねえか?
 しかし部長は、余計なことをしゃべるなと言わんばかりに俺を睨みつけた。新入生によっぽど逃げられたくないらしい。
 俺は仕方なく、玉子のために数字遊びっぽい推理を展開してやる。
「百五十二円三銭……、つまり『一五二三』ってことだね」
「そうです。ダイニングメッセージなんですよ」
 ――いや、それはダイイングメッセージだから。
 恐る恐る部長の顔を見ると、相変わらずのキツイ眼差しで俺を押さえ込む。
「一五二三、一五二三。つまり犯人は一吾兄さん(一五二三)!」
「ピンポーン、ピンポーン。大当たりでーす、先輩」
 玉子は嬉しそうな顔をする。その顔はなんとも可愛かったが、あまりにも無邪気なはしゃぎぶりにちょっと頭に来た俺は矢継ぎ早に質問してしまう。
「それで犯人の動機は? 凶器は? 犯行の時間や状況は? それでその後の展開は?」
「でっへへへへ。まだ考えてません」
 しらっと答える玉子に、俺は呆れ果てた。
「そういうのを考えるために、ランちゃんはこの部活に来たんだよね」
 すかさず部長がフォローする。すると逆に玉子が俺に質問してきた。
「そうなんですよ。先輩、何かいいアイディアは無いですか?」
 こんな新入生なんて思いっきり苦労すればいい。
 そう思いながら俺は考える。
 ――コイツに書くきっかけみたいのを与えてやれるものはないか。しかもキツイやつ。
 すると、一ついいアイディアが浮かんだ。
「じゃあ、こういうのはどうだ?」
 俺は玉子と部長の顔を交互に見ながら提案する。
「毎週土曜の夜に、小説のお題を決めているインターネットのサイトがあるんだよ。チャットでミーティングをしながらね。そこで決まったお題を使って、続きを書くってのはどうだ?」
「へえ、そんなサイトがあるんだ」
 先に反応したのは部長だった。
「なんだか面白そうですね」
 玉子も興味津々だ。
「ちなみに、先週のお題は『野ざらし』『立春』『八百』だった」
 すると玉子と部長から笑顔が消える。
「死体は野ざらしですか……」
「立春で人は殺せないよね」
「だからそれは先週のお題だって。次回のお題はどうなるか、全く未知の世界だ」
「うわあ、先輩、ドキドキしますね。まるでガンツ玉みたい」
「大丈夫なの、勉。凶器とか、犯行動機とか、チャットでそんな話題が出るとは思えないんだけど」
 部長が心配そうに俺の顔を見る。
「いざという時は俺がチャットに入って何か提案するよ。ミーティングは誰でも参加できるみたいだから」
「じゃあ、頼んだわよ」
「お願いします、先輩。私もお父さんのパソコンを借りて、チャットの様子を見てますから。いいお題が提案されたら、私この部に入部して作品の続きを書きます」
 キラキラした瞳で後輩に見つめられたら俺も後には下がれない。
 こうして期待の新入生、庭野玉子の文部への入部は来週に持ち越しとなったのである。
(つづく)



即興三語小説 第95回投稿作品
▲必須お題:「吹雪」「残高百五十二円」「たゆたう」
▲縛り:「今回のお題で前編を書き、次回お題で後編を書く(次回からの参加者については、この縛りはありません)」
▲任意お題:「春雷」「でっへへへへ」「なんかすごいのきた!」「負の感情」「朧げ」「あいつはモンブラン」

眩惑と誘惑の違い2011年02月16日 21時24分34秒

「ねえねえ、ホットアップルシナモンとホットピーチシナモンの違いって知ってる?」
 八百屋の前を通り過ぎてしばらく行くと、隣を歩く智美さんが僕を見上げるように聞いてきた。立春を過ぎたばかりのぽかぽか陽気が、智美さんの笑顔を明るく照らしている。
「材料の違いだけなんじゃないですか?」
「じゃあ、どっちが好き?」
「実物を見たことも食べたこともないから分かりません」
 僕は正直に答えた。
「どちらかと言えば?」
「そうですね。どちらかと言われれば、ホットアップルシナモンかな」
 なぜなら僕はホットピーチシナモンという単語を初めて聞いたからだった。
「ふうん、透くんって意外と草食なんだね」
「だから、どうしてそこで草食って言葉が出てくるんですか? 第一、草じゃなくて果物だし」
 智美さんは、サークルの中でもちょっと変わった先輩として知られていた。少し発想が飛んでいるから気をつけろと先輩方から聞いている。
「これは一種の心理テストなのよ。林檎のような頬っぺたの女の子と桃のようなお尻の女の子のどちらが好きか、このテストで分かるらしいの」
 僕はちらりと智美さんを見る。智美さんは、ちょっと田舎風で背が低いけれど、出ているところはしっかりと出ている女性だった。つまり、林檎のような頬っぺたと桃のようなお尻の両方を兼ね揃えている上に、胸もとても大きい。
「はははは。草食……かもしれませんね」
 僕が引きつった笑いを見せると、智美さんはいきなり僕の腕にしがみついてきた。
「ちょ、ちょっと先輩。からかわないで下さいよ」
「怒った顔の透くんも素敵よ」
 僕が智美さんから離れようとすると、逆に智美さんは強引に腕を組んできた。
 智美さんの胸の柔らかい感触が腕を通して脳に伝わってくる。その信号はビビビと僕の下半身を熱くした。
 ――これはピンチだ。
 そう判断した僕は、別の話題を切り出すことにした。
「じゃあ、先輩に聞きますが、今話題のレアアースとレアメタルの違いって知ってます?」
 金属の冷たさは、熱くなった僕の頭も冷やしてくれるだろう。
「知ってるわよ。レアアースは希土類元素のことで、レアメタルは希少な金属のことでしょ?」
 僕の作戦は一瞬で撃沈した。
 腕に柔らかな感触を与えている智美さんのあの豊満な物体の中には、きっと豊富な知識が詰まっているに違いない。そう考えるとさらに意識してしまっていた。
 ――ダメだ、ダメだ。こんなんじゃダメだ。
 いつのまにか僕は独り言を呟いている。
 そんな僕を見上げながら、智美さんはますます密着度を高めてきた。
「透くんだって健全な男の子でしょ。もっと本能に素直になったら?」
 僕はたまらず智美さんを突き離す。
「嫌なんです。そんなことで先輩と親しくなるのは!」
 声を張り上げてしまい、僕は慌てて辺りを見渡す。幸い僕達二人は、人気の無い路地に入り込んでいたようだった。
「……」
 智美さんはびっくりしたような顔をした。そして静かに俯いてしまう。
 二人は向かい合うようにして、しばらく路地裏で立ち尽くしていた。
 ――ああ、何もかもが終わってしまった。智美さんとはいい雰囲気だったのに。
 僕がそう思った時。
「そんなに私って魅力無い?」
 智美さんが顔を上げた。
「田舎くさい女って嫌い? 私の体って全然ダメ?」
 ちょっと涙目だった。
 僕は真面目な顔で智美さんの目を見た。
「胸の大きさとかそんなことで先輩を好きになりたくないんです。ほら、先輩はちゃんと知っているじゃないですか、レアアースとレアメタルの違いを。そういうところに先輩の魅力を感じたいんです」
 臭いセリフだとは思ったが、智美さんの涙を見たからには言わずにいられなかった。
「よかった……」
 智美さんにゆっくりと笑顔が戻る。
「ねえ、透くん。本当の私を見ても、嫌いにならない?」
 そして僕を見つめる目に力を込めた。
「ええ、決して嫌いになりません。僕を信じて下さい」
 僕は男らしくきっぱりと言い切る。
 すると智美さんは少し考えた後、意を決したように上着の中に手を入れた。そしてしばらくゴソゴソとやった後に服の中から拳大のクッションを二つ取り出す。
「実はね、私の胸ってフェイクなの」
 目の前には胸がぺったんこになった智美さんが居た。そして真っ赤な顔で「みんなには内緒よ」と言い残して、走り去って行ってしまった。
 僕はしばらくその場に立ち尽くす。
 ――やっぱり胸の大きい先輩の方が良かったかも。
 僕の心はまだまだ冷たい風の中で野ざらしになる。
 今度智美さんに会ったら、眩惑と誘惑の違いについて問うてみたい。放り出された僕の気持ちがそう告げていた。



即興三語小説 第94回投稿作品
▲必須お題:「野ざらし」「立春」「八百」
▲縛り:「コミカルなシーンとシリアスなシーンを両方いれる」
▲任意お題:「ホットアップルシナモン」「桃」「有給休暇」「眩惑」「誘惑」「独り言」「何もかもが終わった」「レアアース」

ジュール・ヴェルヌの港街にて2011年02月08日 22時00分03秒

 二○XX年の夏。
 俺は活火山のある街に来ていた。俺が泊まるホテルの前には小さな湾があり、その向こう側に火山がそびえている。どうやら山頂から小規模な噴火を繰り返しているようだ。
 火山が近くにある割には、その街は活気に溢れていた。レストランや土産物屋が所狭しと店を構え、広場では生演奏を披露する人もいて賑やかだ。その中でも一番驚いたのは、カストーディアルと呼ばれる人種がいることだった。彼らは清掃器具を身につけており、石畳の道路を絶えず清潔に保っている。聞くところによると、七秒ルールというものがあるそうだ。
「七秒以上放置されたゴミは、悪霊へと変化するのじゃ」
 フランスパンを片手に持つその老婆は、俺に向かってそう言った。
「それはそれは小さな悪霊じゃが、闇の中で一つに集まり、いつの間にか巨大な悪霊になってしまうのじゃ」
 カストーディアルはその言い伝えを信じているらしい。だから毎日、一つ一つその芽を摘んでいるという。
「それとあの火山がこの街を守っとる。悪霊は火が苦手でのう」
 一歩街から外れると、いまだに巨大な悪霊が出没することがあるという。この街にこんなにも多くの人が集まり、絶えず活気づいているのは、火山の火を恐れて巨大な悪霊が近づかないからだった。
「しかし、しかしじゃ……」
 老婆の持つフランスパンが小刻みに揺れている。
「どうかしたんですか?」
 腐った鯖の目のように視線を宙に漂わせる老婆に俺は問いかける。
「その火も冬を前にして活動が低下する。この街もじわり、じわりと悪霊に占拠されてしまうじゃろ。恐ろしいことじゃ」
 すると突然、女性の声が老婆をけん制する。
「お母さん、旅の人にそんなデマを言わないで!」
 振り向くと、二十歳後半ぐらいと見られる女性がホウキを持って立っていた。きっと老婆の娘なのだろう。
「ごめんなさい、旅のお方。お母さん、ちょっと空想に浸る癖があって」
 俺を見るその女性の瞳は蒼かった。肌の白さとのコントラストに俺はドキリとする。
「いいえ、面白い話でした」
「本当のことじゃ。アンナ、お前も早く逃げた方がいい」
 老婆は一歩も引こうとしない。
「そんなの無理じゃない。私には父さんの血が、カストーディアルの血が流れているの。私達がこの街を守らなくて、誰が守るというの」
 アンナは火山の活動度が低下しても、この街に残るという。
 予定の日程を終えその街を離れた俺は、その母娘がずっと気になっていた。

 年が明けて二月になると、俺は再びその街を訪れることになった。
 老婆の話はデマではなかった。彼女の言ったとおり、冬を前にして火山の活動度が低下してしまったのだ。街は夏に比べて閑散としていた。きっと悪霊を恐れて街を訪れる人が少なくなったために違いない。
 俺は老婆を探しに、火山の見える港に急ぐ。彼女の無事を確かめたかった。彼女からまた予言を聞きたかった。そして何よりも、アンナにもう一度会いたかった。
 すると夏と同じ場所に老婆は居た。
「お元気で何よりです。また予言を聞きに来ました」
「誰だかは知らぬが、私の予言の頼りにしてくれてるのは嬉しいことじゃ」
 老婆が俺のことを覚えていてくれなかったのは残念だったが、無事であることにほっとした。
「アンナさんはご無事ですか?」
 失礼であるとは思ったが、今度はアンナの安否が気になった。
「安心せよ。アンナは隣街に避難しておる。火山活動が低下してめっきり人が減ったからの、ゴミも少なくなってカストーディアルの出番も少なくなったんじゃ」
 せっかくアンナに会えると思ったのにと、俺はがっかりとうなだれた。カストーディアルとしてこの街を守ると意気込んでいたアンナだが、そのカストーディアルの役割が低下してしまったのであれば仕方が無い。
 それを見て老婆は笑い始めた。
「はははは、若者よ、残念じゃったな。だが吉報じゃ。火山活動がまた活発になる」
「それは本当ですか!?」
 活火山の噴火がまた活発になれば悪霊も近づくことはできなくなり、この街はまた活気づくだろう。そうしたらまたアンナに会うことができる。
「二○一一年四月二十三日じゃ。あの火山がまた活発になるのは」
「やけに詳しい予言なんですね」
「ファンタズミックが始まる日じゃからの」
 そして俺と老婆は、希望の眼差しでプロメテウス火山を見上げた。



即興三語小説 第93回投稿作品
▲お題:「七秒ルール」「フランスパン」「活火山の噴火」
▲縛り:「噴火を予言する(任意)」「『二〇XX年の夏』の書き出しで始める」
▲任意お題:「デマ」「腐った鯖の目」「じわり、じわり」「足の小指」「マグロの刺身」

当たり前の果てに2010年11月15日 00時46分27秒

 同性愛相談所で見合い結婚したが、彼はオカマで男が居た。
 そんな話を美佳にすると「当たり前だがや」と言う。
 ――当たり前
 この一言があたしを縛る。あたしは美佳が好き。好きで好きでたまらない。でも周囲の人たちは”当たり前ではない”とあたしを突き放す。
 だから勧めに従って同性愛相談所に行くことにした。
「僕にも彼氏がいるんです」
 近づいてきた童顔の男性は瞳が輝いていた。
「彼氏のことが好きで好きでたまらないんですけど、周囲の人は変だと言うんです」
 あっ、この人、あたしと同じだ。
 恋している瞳。もしかしたらあたしもこんな瞳をしているのだろうか。だからきっと、この人はあたしのところにやって来たんだ。
 その男性の名前は、聡史といった。
「周囲の人はみんな、僕に早く結婚しろと言うんです。でも僕は彼氏と別れることができない。だからここに来てみたんです。もしかするとここには、彼氏が居ても納得して結婚してくれる女性がいるかもしれない」
 そんな結婚ってあるのだろうか? 結婚とは、愛し合う男女がするのが当たり前だと思っていたのに。
「あれ? あなたも好きな女の人がいるんでしょ? それなのに、どうしてそんな”当たり前じゃない”って顔をするんです?」
 やだ、あたしそんな顔してた?
 当たり前――そう言われるのが嫌で嫌でたまらないのに、それを棚に上げ自分では平気な顔をして使ってしまっていたなんて。
「じゃあ、一つ例え話をしましょう。この時期、道路に枯葉がたまりますよね。そんな道に雨が降ったらどうなります?」
「落ち葉が濡れます」
「その濡れ落ち葉の上を、あなたは自転車で走りますか?」
 あたしなら決してそんなことはしない。濡れ落ち葉の上を自転車で走れば、車輪が滑って転んでしまうのが当たり前だ。
「自転車を降ります」
「あらら、あなたが地面に着いた足はぬかるみにはまってしまいましたよ。そこは舗装されていない道路だったんです。だから落ち葉の上を自転車で走り抜けるのが最も安全なのです」
「じゃあ、あたし達はぬかるみ同士だと?」
「そうです。同性愛なんて、他人から見たら人生のぬかるみです。はまってしまったら決して抜け出せない。それならそれで潔く認めてしまって、はまった者同士で結婚という濡れ落ち葉を身につけてみるのも悪くはないと思うんですけどね」
 こうしてあたしは聡史の提案を受け入れ、結婚した。

 結婚してから一年間、あたしは美佳を、聡史は彼氏を愛し続けた。そんなある日、聡史が驚くべく提案を切り出した。
「擬装とはいえ、名目上、僕達は夫婦です。だからだんだんと周囲の風当たりが厳しくなってきました」
「それって、子供のこと?」
「そうです」
 最近は実家に帰っても、職場に居ても、「子供はまだか?」のコールが鳴り止まない。きっと周囲の人達は、結婚して一年も経てば子供ができるのが当たり前だと思っているのだろう。
「じゃあ、あたしに子供を生めと?」
「そうせざるを得ない状況になりつつあるのではと」
 聡史は彼氏を愛し続けるといいつつも、結局あたしを性のはけ口として見ていたんだ。この一年間は一度もセックスをしようと言ってこなかったけど、この人は今、周囲の圧力を利用して結婚時の約束を破ろうとしている。
 そう思うと、なんだか怒りがこみ上げてきた。
「違うんです。違うんです。僕の話を聞いて下さい」
 聡史はあたしを椅子に座らせ、話を続けた。
「僕も今でも彼氏のことを愛しています。そしてあなたも美佳さんを愛している。だったら四人で子作りをしてみませんか?」
「四人で?」
「愛し合う者同士、仲間で交わるんです。四人で繚乱、美しいじゃありませんか。子作りなのでコンドームは使いません。そして授かった子供は四人で育てませんか?」
 そんなの当たり前ではないと思った。でも、元々あたし達は夫婦の形態をしているけど当たり前ではない。
 恐る恐る美佳に相談すると、驚くほどあっさり了承してくれた。それであたしも決心した。

 その日は冷たい雨が降っていた。あたしと聡史は名古屋から到着する美佳を駅で待つ。
 美佳を待ちながら、あたしはこれから起こる出来事に思いを馳せていた。
 ――四人で繚乱
 何故だかその言葉があたしを魅了した。聡史に単にセックスをねだられたのなら、きっとあたしは拒否しただろう。でも四人なら、あたしは聡史に美佳との仲を見せつけることができる。きっと聡史も彼氏との関係を見せつけてくるに違いない。
「おまたせ」
 太い声に振り向くと、そこには長身の男性が立っていた。聡史が熱い視線を送っているから、きっとその男性が聡史の彼氏なのだろう。
「勝也といいます。よろしくお願いします」
 その声にあたしの子宮がうずく。不覚にも、この人の子を身ごもりたいと本能が目覚めた瞬間だった。



即興三語小説 第81回投稿作品
▲お題:「濡れ落ち葉」「自転車」「繚乱」
▲縛り:「冷たい雨が降っている」「同じ言葉を何度もくりかえし使う」「心情描写をさらりと簡潔に描く(目標)」「結婚相談所で会った彼は百面相(任意)」
▲任意お題:「あたしを縛る」「名古屋」「ドーム」「相談所で見合い結婚したが、彼はオカマで男が居た。」