雨の高原にて ― 2006年10月16日 00時29分44秒
カーテンを開けると外は土砂降りだった。
せっかくの高原旅行というのに残念だ。
湖でのボート乗り、滝までの森林浴。
想い描いていた楽しみが、すべてパーになった。
雨でも楽しめる屋内施設は、周辺には2ヶ所しかない。
「おもちゃ王国と温泉、どっちがいい?」
「温泉!」
間髪を入れずに娘が答える。
よくぞ言った。それでこそ我が娘だ。
「温泉がいい人、手を上げて。ハーイ!」
「ハーイ」
息子も元気に手を上げる。
子供会議は満場一致だったようだ。
娘の選択には、ちゃんと理由がある。
幼少の頃からの温泉英才教育が、実を結んだのだ。
娘と父親。この二人が一緒に風呂に入れる期間は短い。
せいぜい10年といったところだろうか。
だから、このわずかな時間を決して無駄にしてはならぬ。
まずは休日のたびに付近の温泉に連れて行き、
風呂に慣れ親しむことから始まった。
小学校に入学してからは、温泉のすばらしさを説いた。
温泉とは、地面からお湯が湧いているところ。
その上に湯船が作られているのが、本物の露天風呂だ。
そんな温泉に父娘で入れるのも、あと数年しか残されていない。
お金をかけて、本物の露天風呂を探し歩くうちに、
娘はすっかり温泉好きになってしまった。
そもそも、世界を見回しても露天風呂がある国は少ない。
たとえあっても、裸で入浴する国は日本くらいなものだ。
国によっては、親子で入浴しているだけで、
虐待として逮捕される場合もあるらしい。
日本に生まれたことを、心から感謝しなければならない。
「あー、高原の温泉は気持ちいいなあ・・・」
今回は息子と入浴する。娘は妻と女風呂だ。
「なあ、そう思うだろ?」
「おもちゃ王国ぅ・・・」
「なんだ、本当はおもちゃ王国に行きたかったのか!?」
「うん」
息子よ、お前はおネエちゃんの提案に逆らえなかったのだな。
そういえば、コイツの教育はまだだった。
まあ、いいか。息子とはずっと一緒に入浴できる。
これからじっくりと教えていくとするか・・・
へちま亭文章塾 第12回「よくぞ日本に生まれけり」投稿作品
せっかくの高原旅行というのに残念だ。
湖でのボート乗り、滝までの森林浴。
想い描いていた楽しみが、すべてパーになった。
雨でも楽しめる屋内施設は、周辺には2ヶ所しかない。
「おもちゃ王国と温泉、どっちがいい?」
「温泉!」
間髪を入れずに娘が答える。
よくぞ言った。それでこそ我が娘だ。
「温泉がいい人、手を上げて。ハーイ!」
「ハーイ」
息子も元気に手を上げる。
子供会議は満場一致だったようだ。
娘の選択には、ちゃんと理由がある。
幼少の頃からの温泉英才教育が、実を結んだのだ。
娘と父親。この二人が一緒に風呂に入れる期間は短い。
せいぜい10年といったところだろうか。
だから、このわずかな時間を決して無駄にしてはならぬ。
まずは休日のたびに付近の温泉に連れて行き、
風呂に慣れ親しむことから始まった。
小学校に入学してからは、温泉のすばらしさを説いた。
温泉とは、地面からお湯が湧いているところ。
その上に湯船が作られているのが、本物の露天風呂だ。
そんな温泉に父娘で入れるのも、あと数年しか残されていない。
お金をかけて、本物の露天風呂を探し歩くうちに、
娘はすっかり温泉好きになってしまった。
そもそも、世界を見回しても露天風呂がある国は少ない。
たとえあっても、裸で入浴する国は日本くらいなものだ。
国によっては、親子で入浴しているだけで、
虐待として逮捕される場合もあるらしい。
日本に生まれたことを、心から感謝しなければならない。
「あー、高原の温泉は気持ちいいなあ・・・」
今回は息子と入浴する。娘は妻と女風呂だ。
「なあ、そう思うだろ?」
「おもちゃ王国ぅ・・・」
「なんだ、本当はおもちゃ王国に行きたかったのか!?」
「うん」
息子よ、お前はおネエちゃんの提案に逆らえなかったのだな。
そういえば、コイツの教育はまだだった。
まあ、いいか。息子とはずっと一緒に入浴できる。
これからじっくりと教えていくとするか・・・
へちま亭文章塾 第12回「よくぞ日本に生まれけり」投稿作品
酔っぱらい ― 2006年09月16日 08時11分01秒
「おい!オレの酒が飲めねえってぇの?」
よう子が酔っぱらってからんでくる。
だからサークルで飲むのは嫌なんだよ。
これでは、せっかくの宴も台無しだ。
よう子は、大学のサークルの後輩である。
男勝りの言動と底抜けの明るさで、周りにはいつも人が集まっている。
しかし、一度酒が入るとまるで別人だ。
酒の弱い自分にとって、彼女は悪魔のような存在なのだ。
そんなある日、サークルでビデオ映画を見ることになった。
映画の主人公は、スキーで知り合った女性に恋をする。
そして大晦日の晩、彼女会いたさに雪道を車で疾走・・・
そのシーンで流れてきた曲にピクリと反応したよう子は、
耳元にそっとささやきかけてきた。
「せんぱーい、、、この曲はねえ、、、
新年の最初にあなたに会いたい、って曲なんですよ。
ロマンチックですよねぇ~」
ドキリとした。
あの、よう子が、である。
しかし残念ながら、その幻影はすぐに消え去ってしまった。
映画が終わると、いつもの粋な酔っぱらいに戻ってしまったからである・・・
・・・・・
「ねえ、パパ、なに考えてるの。もう紅白歌合戦、終わっちゃったよ」
「ああ、毎年この時間になるとねえ、
何か大事なことをしなければいけないような、
そんな想いに駆られるんだよ。
新年の最初に会う人は、大切な人でなくちゃってね・・・」
「へえ、大切な人ねぇ・・・。ママなら酔っぱらって寝ちゃってるよ」
「じゃあ、除夜の鐘が鳴る前に、その酔っぱらいを起こしに行こうか」
「うん、ボクも行くー」
「そろそろボクはやめろよ、ママみたいになっちゃうぞ」
娘の笑顔に、あの時の幻影が重なる。
そして、ずっと抱き続けてきた想いが今年も実現することを感謝する。
新年の最初に、大切な人に会えますように・・・
へちま亭文章塾 第11回「粋と艶」投稿作品
よう子が酔っぱらってからんでくる。
だからサークルで飲むのは嫌なんだよ。
これでは、せっかくの宴も台無しだ。
よう子は、大学のサークルの後輩である。
男勝りの言動と底抜けの明るさで、周りにはいつも人が集まっている。
しかし、一度酒が入るとまるで別人だ。
酒の弱い自分にとって、彼女は悪魔のような存在なのだ。
そんなある日、サークルでビデオ映画を見ることになった。
映画の主人公は、スキーで知り合った女性に恋をする。
そして大晦日の晩、彼女会いたさに雪道を車で疾走・・・
そのシーンで流れてきた曲にピクリと反応したよう子は、
耳元にそっとささやきかけてきた。
「せんぱーい、、、この曲はねえ、、、
新年の最初にあなたに会いたい、って曲なんですよ。
ロマンチックですよねぇ~」
ドキリとした。
あの、よう子が、である。
しかし残念ながら、その幻影はすぐに消え去ってしまった。
映画が終わると、いつもの粋な酔っぱらいに戻ってしまったからである・・・
・・・・・
「ねえ、パパ、なに考えてるの。もう紅白歌合戦、終わっちゃったよ」
「ああ、毎年この時間になるとねえ、
何か大事なことをしなければいけないような、
そんな想いに駆られるんだよ。
新年の最初に会う人は、大切な人でなくちゃってね・・・」
「へえ、大切な人ねぇ・・・。ママなら酔っぱらって寝ちゃってるよ」
「じゃあ、除夜の鐘が鳴る前に、その酔っぱらいを起こしに行こうか」
「うん、ボクも行くー」
「そろそろボクはやめろよ、ママみたいになっちゃうぞ」
娘の笑顔に、あの時の幻影が重なる。
そして、ずっと抱き続けてきた想いが今年も実現することを感謝する。
新年の最初に、大切な人に会えますように・・・
へちま亭文章塾 第11回「粋と艶」投稿作品
だいこん ― 2005年11月28日 12時42分11秒
「だいこんなんて、だいっキライ!」
おでんを前にして息子が叫ぶ。
そんな光景に、ふと昔の自分の姿を重ねる。
何を隠そう、自分もだいこんが大嫌いだった。
だいこんが食べられるようになったのは、一人暮らしを始めてから。
食費が乏しい中、食べられないものがあるということは、
大問題だったからである。
かといって、すぐに食べられるようになったわけではない。
かたくなに拒み続けた食物を、改めて口に入れるということは、
かなり勇気のいることだった。
そんな自分の背中を押してくれたのは、
幼少の頃に体験したある出来事である。
あれは冬の夜、寒さに耐えかねて屋台に駆け込んだ時のことだった。
両親はおでんのだいこんを注文し、おいしそうにそれを食べた。
空腹で寒かったこともあるのだろう。
でも、それはそれはとても、おいしそうだった。
「実は、だいこんはおいしいのでは?」
あの時の両親の顔を思い浮かべなかったら、
こんなことは決して思わなかっただろう。
こうして、久しぶりにだいこんを食べてみた。
二十歳になって食べただいこんは、おいしかった。
自分が親になって、思うことがある。
最も効果的な教育とは、
親が自分の人生を精一杯生きることではないだろうか。
自分ができないようなことを子供に要求しても、
子供は見向きもしてくれない。
子供は、親のウソを見抜く力を持っている。
「やっぱり食べられなーい!」
泣き叫ぶ息子を横目で見ながら、だいこんを口に入れる。
おいしいものを、おいしく食べる。
自分は息子に、どんな顔を見せることができるだろうか。
へちま亭文章塾 第2回「食」投稿作品
おでんを前にして息子が叫ぶ。
そんな光景に、ふと昔の自分の姿を重ねる。
何を隠そう、自分もだいこんが大嫌いだった。
だいこんが食べられるようになったのは、一人暮らしを始めてから。
食費が乏しい中、食べられないものがあるということは、
大問題だったからである。
かといって、すぐに食べられるようになったわけではない。
かたくなに拒み続けた食物を、改めて口に入れるということは、
かなり勇気のいることだった。
そんな自分の背中を押してくれたのは、
幼少の頃に体験したある出来事である。
あれは冬の夜、寒さに耐えかねて屋台に駆け込んだ時のことだった。
両親はおでんのだいこんを注文し、おいしそうにそれを食べた。
空腹で寒かったこともあるのだろう。
でも、それはそれはとても、おいしそうだった。
「実は、だいこんはおいしいのでは?」
あの時の両親の顔を思い浮かべなかったら、
こんなことは決して思わなかっただろう。
こうして、久しぶりにだいこんを食べてみた。
二十歳になって食べただいこんは、おいしかった。
自分が親になって、思うことがある。
最も効果的な教育とは、
親が自分の人生を精一杯生きることではないだろうか。
自分ができないようなことを子供に要求しても、
子供は見向きもしてくれない。
子供は、親のウソを見抜く力を持っている。
「やっぱり食べられなーい!」
泣き叫ぶ息子を横目で見ながら、だいこんを口に入れる。
おいしいものを、おいしく食べる。
自分は息子に、どんな顔を見せることができるだろうか。
へちま亭文章塾 第2回「食」投稿作品
最近のコメント