川を下る ― 2020年08月23日 10時39分47秒
私の生業は苗字占い。結構当たると評判だ。
「占って欲しいのは、これから出会う方の苗字なんです」
「あなたの御苗字は?」
「千曲といいます」
私は水晶玉に手をかざす。すると運命の流れが浮かび上がった。
「信濃さんと出会います。お似合いですよ」
「ありがとうございます!」
しかし中には複雑な方もいる。
「僕、利根っていいます。付き合ってる江戸さんとの相性はどうでしょう?」
これはなかなか難しい。が、私はきっぱりと告げる。
「江戸さんとは別れると出ました。でもその後で鬼怒さんに出会うようですよ」
「分かりました。何があっても運命と思うことにします」
この方は二段階の出会いが見えた。
「瀬田といいますが、どんな出会いがあるでしょう?」
「まず宇治さんと出会います。雅な方ですが突然破局が訪れ、次に商売上手な淀さんと出会います」
中には危険な恋愛も。
「苗字は玉だけど、田沢さんとの相性を占ってくれる?」
「まずはあなたの毒舌を直しましょう。田沢さんの負担が原因で破局が訪れます」
今日のお客は荒さん。
浮き出た苗字も荒。
たまにいるんだ、こういう方。太平さんや日本さんと答えてお茶を濁すけど。
でもこの方、どこの荒さん?
500文字の心臓 第177回「川を下る」投稿作品
「占って欲しいのは、これから出会う方の苗字なんです」
「あなたの御苗字は?」
「千曲といいます」
私は水晶玉に手をかざす。すると運命の流れが浮かび上がった。
「信濃さんと出会います。お似合いですよ」
「ありがとうございます!」
しかし中には複雑な方もいる。
「僕、利根っていいます。付き合ってる江戸さんとの相性はどうでしょう?」
これはなかなか難しい。が、私はきっぱりと告げる。
「江戸さんとは別れると出ました。でもその後で鬼怒さんに出会うようですよ」
「分かりました。何があっても運命と思うことにします」
この方は二段階の出会いが見えた。
「瀬田といいますが、どんな出会いがあるでしょう?」
「まず宇治さんと出会います。雅な方ですが突然破局が訪れ、次に商売上手な淀さんと出会います」
中には危険な恋愛も。
「苗字は玉だけど、田沢さんとの相性を占ってくれる?」
「まずはあなたの毒舌を直しましょう。田沢さんの負担が原因で破局が訪れます」
今日のお客は荒さん。
浮き出た苗字も荒。
たまにいるんだ、こういう方。太平さんや日本さんと答えてお茶を濁すけど。
でもこの方、どこの荒さん?
500文字の心臓 第177回「川を下る」投稿作品
ガラスの丘リナ ― 2020年08月26日 20時46分48秒
「これから実演を始めるよ~!」
家族連れが集う日曜日の広域公園に、活きの良い若い男性の声が響く。
「ガラスでウサギを作ってみるからね~」
声の主、十八歳の少年タクミは、芝生広場の真ん中で金属の棒を右手で高々と宙へ突き出した。
それはステンレス製のパイプ。先端に透明の塊が付いている。
「この先っぽに付いているのが、ガラスです!」
タクミがパイプを陽にかざすと、ガラスがキラキラと輝いた。
それを見た子供たちが、一人また一人と集まってくる。
「次に秘密兵器を取り出します」
タクミはしゃがみ、地面のバッグから金属製の筒を取り出した。
それは小型ボンベ。カセットコンロでよく使うタイプで、先端にトーチバーナーが付いている。
一五〇〇度の炎を作り出せるタクミの愛用品だ。
「そして――火をつけます!」
抑揚をつけた声とともに、タクミがトーチバーナーの根元の引き金を引く。
「おっ!」
子供たちが小さく驚きの声を上げる。ゴーという激しい空気音とともに青白い炎が誕生した。
「それではこれから、ガラスに炎の魔法をかけてみるよ!」
タクミはパイプを口に咥え、左手で支えながら前へ突き出す。同時に右手のトーチの炎を近づけ、パイプの先端のガラスを炙り始めた。
熱せられるガラス。一〇〇〇度を超える熱で真っ赤に色が変わっていく。
やがてガラスは、どろりと変形し始めた。
ここからがタクミの真骨頂。
ガラス芸人としての腕の見せ所だ。
というのも普通、ガラス細工はバーナーを固定して、ガラスの方を動かして行う。
が、タクミはパイプを咥えて、右手のバーナーを自在に動かしてパフォーマンスできるのだ。それはまるで、炎でガラスに魔法をかけるように。
真っ赤になったガラスが変形すると、タクミは左手でパイプを回しながら息を吹き込む。
「おおっ!」
するとガラスはぷうっと膨らみ始めた。
息を吹き続けるタクミ。
その圧力で、炎で柔らかくなったところだけが変形していく。
熱せられて変形する部分、そして冷えて硬くなる部分――絶妙なバランスを保ちながら、次第にガラスは形を成していく。
それを支えているのは、タクミの人並外れた肺活量だった。
拳くらいの大きさのガラスの膨らみが誕生したかと思うと、バーナーで炙った場所から小さな膨らみがニョキニョキと生えてきた。しかも細長いのが二本。
その過程を、子供たちは息を飲んで見守っている。
小さな目と口を刻み、可愛らしい丸い尻尾が生えてきた。
「はい、出来上がり! ガラスのウサギの完成だよ!」
パイプを口から外し、先端のウサギを子供たちの前にかざす。
タクミがパイプを回すとウサギはキラキラと輝いた。
「すごい、ホントだ!」
「ガラスのウサギ、可愛い!」
歓声とともに子供たちから拍手が湧き起こり、青く澄んだ空に広がっていく。
そんな晴れた日曜の公園が、タクミは大好きなのだ。
タクミは作ったばかりのウサギを地面に置き、マットを敷いてバッグの中からガラス細工を並べ始めた。
「他にもいろんな動物があるからね」
――ウサギ、イヌ、ネコ、ゾウ、そしてキリンたち。
「遊び終わったら、お父さんやお母さんと買いに来てね! お兄さん、しばらくここにいるから」
「うん、絶対買いに来る!」
「お母さん、連れてくる!」
こうして子供たちはバラバラと公園に散って行った。
子供たちの後ろ姿を眺めながら、タクミは地面に腰を下ろす。
「今日もいい天気だなぁ……」
見上げると、どこまでも青い空に、ぽっかりと一つ白い雲が浮かんでいる。
タクミはバッグの中からガラス製のオカリナを取り出した。奏でるのは、遠い異国の音楽だ。
草の上でまったりとたたずむ午後。ガラスを震わせる曲が青空にすうっと溶けていく。
全国各地を転々としながら、ガラス細工を売って生計を立てている。タクミはそんな、大道芸人顔負けのガラス細工職人だった。
◇
「ねえ、さっきの曲、もう一回聴かせて?」
一曲吹き終わって芝生に寝転んだタクミに、可愛らしい声のリクエストが飛んできた。
「寝転んだままでもいい? 今日はとっても気持ちがいいから」
「うん、いいよ」
タクミはオカリナを顔の前にかざす。
抜けるような青空。陽を浴びて輝くオカリナ。この曲が生まれた異国にもこの空は繋がっている。
そんな見知らぬ国に想いを馳せながら、タクミはオカリナを口に当てた。
目を閉じてメロディを奏で始めると、小さな声もうっとりと呟く。
「懐かしいなぁ。ボクの故郷の曲みたい」
この曲は日本のものじゃない。一体どんな子供が聴いてくれているんだろう、とタクミは不思議に思う。
「ねえ、タクミ。僕の故郷に来てみない?」
えっ!? と驚いてタクミは曲を奏でる手を止めた。
確かに今、「タクミ」と呼ばれた。見知らぬ子供に。なんでこの子は名前を知っているのだろう?
「誰?」
タクミは体を起こして辺りを見回してみる。が、誰もいない。
「ボクだよ、ボク」
誰もいないのに声だけが聞こえてくる。
「隠れてないで、出ておいでよ」
と言ってみたものの、隠れる場所はどこにもないのだ。
「ここだよ、ここ。それよりも、お腹のパイプを切り離してくれないかな?」
声の主は、なんと先ほど作ったガラスのウサギだった。
「えっ、マジで!?」
驚きながらもタクミはバッグの中からヤスリを取り出し、恐る恐るガラスのウサギを手に取った。
精魂こめて作った作品には魂が宿る――と言う。
が、どう見ても、ただのガラスだ。タクミが先ほど子供たちの前で作ったウサギ。
ホントにこのウサギがしゃべったんだろうか、と半信半疑でウサギをパイプから切り離すと、ウサギはタクミの手からぴょんと飛び跳ね、芝生の上に着地した。
「あー、すっきりした。ありがとう上手に作ってくれて!」
ペコリとお辞儀をするウサギ。
一方、タクミは頬をつねっている。これは夢だ、絶対夢なんだと。
一生懸命作ったとはいえ、そのガラスのウサギが動いて、しかも言葉を話すなんてありえない。
「そんなに驚かなくてもいいよ。ボクの名前はリナリナ。ガラスの丘リナから来たんだ」
青白き燐光に包まれるウサギ。
ガラスの内面から何かが湧き出している――そんな風にタクミは感じていた。
ウサギのリナリナは、タクミに向ってニコリと微笑む。
「何でボクが動いて見えるか教えてあげるよ」
タヌキに化かされたような顔をしながら、タクミはうんうんと頷いた。
「まずはタクミ、ガラスって透明だよね?」
「ああ、そうだね」
「でも、ガラスって見えるよね? それは何で?」
なんか、どこかのクイズ番組みたいだなぁと思いながらもタクミは答える。
「ガラスが光を反射してる……から?」
「その通り。今ね、このガラスの内側はボクの故郷のリナに繋がっているんだ。だから、リナからの光でボクが動いて見える。ガラスが震えるから、声も聞こえる」
ふーん、とすぐに納得できるわけではなかった。
だってガラスのウサギが動いて、しかも言葉をしゃべっているのだから。
でもタクミには確かに見え、確実に声は聞こえるのだ。それなら納得せざるを得ない。
――ボクの故郷のリナ。
タクミは今、猛烈に魅力を感じている。ガラスのウサギの故郷に。そして今、この世界と繋がっていることに。
「リナリナ、って呼べばいいのかな?」
「いいよ、タクミ」
「さっき君は、故郷に来ないかって言ったよね?」
「言ったよ」
「なんで?」
「タクミのガラス細工の技術が、リナに必要だから」
嬉しさで思わずタクミはにやけてしまう。
――見たことも行ったこともない国が、自分の技術を必要としてくれる。
それはタクミにとって光栄なことだった。
「そのリナってところに、どうやったら行けるのかな?」
「今ならボクに触れば行けるよ。青白く光っているのは繋がっている証拠だから。というか、タクミを招待するためにボクは来たんだよ」
それならば、とタクミは思う。
どうせ自分は住居を持たない流浪のガラス職人だ。今日の宿もまだ決めていない。
道具も旅支度も全部、目の前のバッグに揃っているし、ガラス細工の知識、つまり亡き師匠の教えはすべて頭の中に入っている。ガラスの原料だって、ほとんど現地調達でやってきた。たとえリナが異世界であっても、何とかやっていけるに違いない。
「じゃあ、リナに連れて行ってくれるかい? リナリナ」
「いいよ。じゃあ、ボクに触って」
タクミはバッグを肩にかけ、恐る恐る右手の指をガラスのウサギに伸ばす。
人差し指がリナリナに触れた瞬間、タクミの体は青白き光に包まれた。
こうしてタクミの、ガラスの丘リナへの旅が始まった。
◇
光の眩しさで目を閉じると、タクミの体は浮遊感に包まれる。
その刹那、どしんとお尻から地面に落下。
ゆっくりとタクミが目を開けると、そこは暗闇の世界だった。
「真っ暗だよ、リナリナ。君の故郷は今、夜なの?」
それになんだか肌寒い。お尻も冷たく、周囲全体が湿っている感触にタクミは困惑する。確か日本は夏だった。
「いや、リナも今は昼間のはずなんだけど……」
リナリナがぴょんぴょんと辺りを飛び跳ねる。青白き光を放ちながら。
その薄っすらとした光で見える情報から判断すると、タクミたちの周囲は岩に囲まれているようだ。
「あっ、あーーーっ!」
試しにタクミは宙に向って声を発してみる。
すると、周囲から直ちに音の反射が返ってきた。
肩にかけたバッグを押さえながら立ち上がると、踏み出した右足でぴしゃりと水の音がした。
それらが示していることは――。
「もしかして洞窟の中なんじゃないの? リナリナ」
「そうかもね。ちょっと調べてみるよ」
リナリナはぴょんぴょんと岩を伝って跳んでいく。
すると突然、前方の暗闇のから怒りを帯びた声が飛んで来た。
「ちょっと、誰? あんたたち、うるさいよ!」
そしてボッと赤い色の炎が灯る。タクミの十メートルほど前方に。
ゆっくりとタクミに近づいてくる炎。
声の主をほのかに照らしながら。
それは赤い髪の少女だった。
太めの眉、切れ長の瞳。
通った鼻筋に、唇はキッと結んでいる。
ショートの赤髪の先端はゆるくカールして、ゆったりとした長袖のラウンドネックに身を包んでいる。
それよりもタクミが驚いたのは、彼女が体の前にかざす右手の人差し指だ。
真っ赤な爪の先から、同じく真っ赤な炎が揺らめいていた。
「久しぶり、ルミナ!」
リナリナが嬉しそうに飛び跳ねる。
「その声は……リナリナ?」
怒りをまとっていた少女の表情が緩んだ。
するとリナリナは岩伝いに飛び跳ねて、ルミナと呼ばれた少女の左の掌に乗った。
「何? 今はウサギやってんの?」
「これ、タクミが作ってくれたんだよ。ガラス職人で、リナのために日本って国から一緒に来てくれたんだ」
すると少女は左手のリナリナを舐め回すように観察した。
「へぇ、なかなか可愛いじゃん」
「でしょ?」
「ていうか、薄っす。どうやったらこんなに薄くガラスを加工できるのよ」
「それを教えてもらうためにタクミを呼んだんだよ。すごい技術だよね」
すると少女は目を細めた。
「いやいや、それだけじゃないでしょ? ま、まさか、アレの代表として――」
「しっ! それはまだ内緒。村長にはこれから話すんだから……」
狭い洞窟の中だ。
ルミナと呼ばれた少女とリナリナの会話は、タクミの耳にも入ってしまう。
どうやらタクミのリナへの招待には、いろいろな思惑が絡んでいるらしい。
それを教えてもらいたいタクミは、ゴホンと一つ咳払いする。
少女の視線がタクミを捉える。
その瞳からは邪魔者を蔑む光は消え、尊敬にも似た潤いを帯びていた。
「さっきはゴメン。思わず怒鳴っちゃって。このガラス細工はすごいわ、感動しちゃう。さすがはリナリナが連れてきた人ね」
少女がタクミに向って一歩踏み出した。
「私はルミナ、ジオ族の娘。よろしくね」
少女は右手を差し出す。
赤き炎を灯しながら。
「ダメだよ、ルミナ。日本人の手は、その温度には耐えられないんだ」
「えっ、そうなの?」
慌ててルミナは炎を消す。すると辺りは真っ暗になった。
代わりにリナリナの青白き光がぼおっと辺りを照らし始めた。その燐光に照らされたルミナの笑顔に、タクミは息を飲んだ。
(なんて素敵な笑顔なんだ……)
彼女の顔に見とれながら、タクミも自己紹介する。
「僕はタクミ。こちらこそよろしく」
二人の挨拶が終わると、リナリナが辺りを見回した。
「ところでルミナ。ここはどこ?」
「ここは結晶の森(クリスタルフォレスト)の鍾乳洞の中よ」
「ええっ、結晶の森に来ちゃったの? リナに飛ぶはずだったのに」
「またやっちゃったの? 相変わらずね、リナリナは」
くすくすと笑うルミナ。
どうやらリナリナは天然らしい。
そんなルミナとリナリナの会話を、タクミは興味深く聞いていた。
「それで何やってたの? ルミナはここで」
「えへへ、何だと思う?」
「まさか秘密の特訓!? 今年のジオの代表ってルミナ――とか?」
「そんなことあるわけないでしょ? こんな出来損ないにジオの命運が託されるはずないもの。今年も代表はサファイア様よ」
「やっぱり、そうだよね……」
するとルミナは右手を高く上げて人差し指に赤い炎を灯し、洞窟の壁を照らす。
「この鍾乳洞の石にはね、青珠石が含まれてるの。今はちょうど午後三時前だしね」
「えっ? それって……」
「そうよ、こっちに大きな池があるの」
ルミナはリナリナを左手に乗せたまま踵を返し、鍾乳洞の奥へ歩いて行ってしまった。
タクミは慌てて二人を追いかける。
「ちょっと僕にも教えてくれよ。何が何だかさっぱり分からないよ」
「説明は後でするから、とにかくボクたちについてきて。もう三時になっちゃう」とリナリナ。
何だよ、冷たいなぁとタクミは二人の後をついて行く。
十メートルくらい歩くと広い場所に出た。
ルミナは歩みを止める。そしてタクミを振り返り、隣に来るようにと手招きした。
タクミは彼女の右隣に立つ。そして目の前に広がる景色に息を飲んだ。
幅が三十メートル、高さは五メートルはあるかと思われる空間。目の前には大きな池が広がっている。
その池全体が、青白く光っているのだ。
まるで無数の青いホタルが、池の中で泳ぎながら発光しているかのごとく。
「さっきも言ったけど、ここの鍾乳石には青珠石が含まれているの」
ルミナは隣に立つタクミに語りかける。
「青珠石はね、午後三時になると青珠の粒子を放出するんだよ」とリナリナ。
「それが水と反応すると青白く光るの。こんな風にね」
幻想的な風景だった。
全国を旅したタクミの十八年の人生の中でも、こんな景色は見たことがない。
暗闇の中、足元に広がる無数の青白い点。それを見下ろすタクミたちは、まるで宇宙に浮いているようだった。もし青い街灯の街があるならば、夜空の上からの景色はこんな風に見えるに違いない。
「ねっ、癒されるでしょ?」
ルミナがタクミを向く。
隣に並んで初めて分かったが、身長は二人ともほぼ同じ一六〇センチくらい。
青白い光に照らされた彼女に、タクミはドキリとする。
(なんて可愛いんだろう……)
この景色も素晴らしいけど、今はルミナの顔をずっと眺めていたい――とタクミの心が叫んでいた。が、幼少の頃から師匠と修行に励んでいた彼に、そんなセリフはとても思い浮かばない。
「う、うん……」
しどろもどろに、そう言うのがやっとのタクミ。
再び前を向いて、景色を目に焼き付ける。
(素晴らしい景気、そして隣のルミナ……)
そんなタクミの幸せな時間は、すぐに終わりを迎える。池はその中の光を次第に失っていく。
辺りが完全に暗闇に包まれる前に、ルミナは人差し指に炎を灯した。
「今日も素敵だったなぁ……。じゃあ、戻ろっか」
左手にリナリナを乗せたままルミナはタクミを向く。
赤い光に照らされた彼女もまた魅力的だった。
ルミナの後ろについて五分くらい歩くと、鍾乳洞の出口が見えてくる。
眩しさでくらんだタクミの目が慣れてくると、出口の前には深い森が広がっていた。
鍾乳洞からは先ほどの池を水源とする小川が流れ出しており、出口では小さな滝となってせせらぎを形成している。この流れが、目の前の森を潤しているのだろう。
「ここから西に少し歩くと魔王城が見えてくるから、そこまで案内するわ。リナリナなら、その先の道は分かるよね」
ルミナの提案に、リナリナは鍾乳洞を振り返った。
「うん、それでいいよ。それにしても結晶の森にこんなところがあるなんて、ボク知らなかったよ」
「ここはね、ジオ族の中でも数人しか知らないの。だからリナの人には内緒だよ? 私のお気に入りなんだから」
「わかったよ、ルミナ」
鍾乳洞の中では分からなかったが、ルミナはゆったりとしたサロペットデニムにトレッキングシューズという恰好だった。
タクミには分からないことだらけだった。
ジオ族とか結晶の森って何だろう?
しばらく歩くというのなら、詳しく聞いてみたい。
「ねえ、二人に教えて欲しいんだけど、ジオ族とか結晶の森って何?」
するとリナリナがぴょんと飛び跳ね、タクミの肩の上に乗った。
「この地方にはね、二つの村があるんだ」
タクミはリナリナの話に耳を傾ける。
「魔王城を挟んで西の海沿いの村が『ガラスの丘リナ』、東の森の村が『結晶の森ジオ』なんだよ」
――ガラスの丘リナと、結晶の森ジオ。
二つの村が隣接する世界。
それにしても『ガラス』と『結晶』だなんて、なんとも対照的な取り合わせだとタクミは思う。
「二つの村の間に境界はなくて、ポツンと魔王城があるだけなんだ。そして、ここは『結晶の森』。ボクは『ガラスの丘』に行こうとしたんだけど、間違ってこっちに来ちゃったみたい」
「リナリナってそういうとこ、あんだよね~」
ルミナが振り向きながらリナリナをからかう。
「だから、それは言わないで」
リナリナがちょっとだけ赤くなった。
「それでジオ族というのは?」
「リナの住民がリナ族、ジオの住民がジオ族。ボクはリナのガラスの精霊だけど、ルミナはジオ族の女の子なんだ」
――リナ族とジオ族。
住んでいる場所が違うだけなのだろうか?
ルミナの人差し指の爪が真っ赤だったり、炎を出せることもタクミは気になっていた。
「リナ族はね、素手でガラスの細工ができるの。一方、私たちジオ族は、素手で結晶を育成できる」
「ええっ!?」
タクミは驚いた。
――ガラス細工と結晶育成。
それが素手でできるとはどういうことなのだろう!?
「ガラス細工も結晶育成も一〇〇〇度を越える熱が必要なんだよ。それが素手でできるって!?」
「だからそういうことなんだよ、タクミ。ボクたちリナ族は、両手を二〇〇〇度まで加熱して、ガラスを熔かすことができるんだ」
「一方ジオ族は、両手を二〇〇〇度まで加熱してその中で爪と同じ結晶を育成することができるの。残念ながら私には無理なんだけどね」
そう言いながらルミナはタクミに爪を見せる。
「ほら、私の爪は人差し指だけなの、結晶で出来ているのは。結晶を育成できるジオ族は、すべての爪が結晶でできてる人だけ」
そしてルミナはうつむいた。
「私はね、ジオ族の出来損ないなの……」
一行はどんよりとした雰囲気に包まれる。
タクミには、ルミナに掛ける言葉が見つからない。彼女がどんな風に育ってきたのかが想像できるから。
学校にも行けず、ガラス細工だけで生きてきた異端児のタクミには、それが痛いほど伝わってきた。
「でもね、ルミナはその指先から炎を出せるんだよ」
暗い空気を破ったのはリナリナだった。
「炎を出せるって、他のジオ族には出せないの?」
タクミが訊くと、ルミナは顔を上げる。
「うん。他の人にはできない。きっと結晶を育成するための力が、右人差し指だけに集中しちゃったんだわ」
そしてルミナは右人差し指を顔の前にかざす。
――美しい紅の結晶。
タクミはその素材が気になっていた。
「もしかして、それってルビー?」
「正解。やっぱりすごいね、タクミは。一発で当てちゃうなんて」
驚きの表情を見せるルミナに、タクミは照れてしまう。
「ほら、ガラスも結晶もどちらももともと石だろ? 急に冷やすとガラスに、ゆっくり冷やすと結晶になるんだ。だから時間がかかる結晶ってすごいなって、前々から思ってたんだ」
するとルミナは、自分のルビーの爪を見つめる。
「ホントはね、全部の爪がルビーで生まれてきたら良かったんだけどね。そしたらこの手の中でルビーが育成できるのよ。イメージ次第でどんな形にもできちゃうんだから」
それはすごい、とタクミは思う。
「もしかして、ルビーのウサギも作れちゃう?」
「訓練次第ではね」
「へぇ……」
――ルビーのウサギ。
そんなものが作れるのなら見てみたいとタクミは思う。
紅く輝くウサギを想像するタクミの表情。その眩しさにルミナは再び下を向いた。
「やっぱり、そういう女の子の方がいいよね……」
助け舟を出したのはリナリナだった。
「全くタクミは!」
そして肩の上からタクミの首筋をつつき始める。
「痛たたた。やめろよ、リナリナ」
「反省するのはタクミの方だよ。乙女心がわかってないんだから……」
ようやくルミナの様子に気づいたタクミ。「ゴメン」と謝りながら、ルミナの人差し指に手を伸ばした。
「ちょ、ちょっと……」
いきなりタクミに右手を掴まれて、ルミナは動揺する。
「やっぱすごいよ、爪がルビーなんて。この指にすべてのパワーが集まるんだろ?」
「うん……」
ルミナは驚いた。タクミの手はなんて柔らかいんだろうと。
ジオ族は誰も、こんなに柔らかい手を持っていない。
ずっとタクミの手に触れていたい。そんなルミナの想いを中断させたのは、リナリナの声だった。
「見えてきたよ、魔王城!」
「これが魔王城……?」
タクミはルミナの手を放し、魔王城に目を向ける。
そして思う。想像していたものと全く違う――と。
魔王城と呼ばれたその城は、決してまがまがしいものではなく、物語の主人公が住んでいるような美しいお城だった。
「魔王様、元気かな……」
城を眺めながらうっとりするルミナの呟きに、タクミは自分の耳を疑う。
「元気かなって、魔王だろ? 恐くないの?」
正直言って、タクミは不安だった。
この先ルミナと別れて、リナに無事にたどり着けるのかどうか。
だって目の前に魔王城があるのだから。魔獣に襲われたり拉致されたらたまらない。
すると突然、リナリナが笑い出す。
「そんなに顔を引きつらせなくてもいいのに、タクミ」
「笑うなよ。リナリナだって恐くないのかよ? だって魔王だよ。城には魔獣もいるんだろ?」
「ちょ、ちょ、ちょっと、タクミは何か勘違いしてない?」
今度はルミナがタクミの顔を覗き込む。
「ここの魔王様は、魔法が得意なイケメンの王子様で、あの城に一人で住んでるんだから」
「えっ!?」
タクミは絶句した。
「ちょっと確認したいんだけど、タクミはどんなイメージを持ってるの? 日本って国にも魔王様がいるのよね?」
ルミナに訊かれててタクミは考え込む。
だって、タクミはそんなに詳しくはないから。
「日本に魔王はいない。アニメやマンガだけの話なんだ……」
師匠と一緒に日本全国を渡り歩いていたタクミは、アニメや小説に触れる機会はほとんどなかった。あるのは各地の宿に置いてあるマンガだけ。
「マンガの中の魔王って悪いやつなんだ。悪魔の王様で、魔獣を操って世界を滅ぼそうとしてる」
するとリナリナが納得したような口調で答えた。
「そっか、日本じゃ魔王様ってそんな存在なんだ。だからボクが去年連れて来た――ってそんなことはどうでもいいんだけど、ここの魔王様はとってもいい人なんだよ。悪魔の王様じゃなくて、魔法の王子様だもんね」
「魔王様って女の子の憧れなんだから……。魔王様に認められて、魔王城にお嫁に行きたいって」
うっとりと城を見つめるルミナのことを、やっと理解できたタクミだった。
「それにね、毎年魔王カップが開かれてて、勝った部族には豊作の魔法をかけてもらえるのよ」
「だめ、ルミナ。それってまだ内緒なんだから」
「ゴメン、リナリナ……」
リナリナのツッコミに、ルミナはペロッと舌を出す。
その仕草はとっても可愛らしかったが、タクミはなんとなく納得していた。その魔王カップに出場するために、タクミが招待されたのではないか――と。
でも、突然やってきた少年がいきなり出場できるわけがないと、タクミは思っていた。
「ありがとう、ルミナ!」
道の分岐に着くと、リナリナがルミナにお礼を言う。
もう陽は傾き始めていた。魔王城が境界というのであれば、リナまでの道のりはまだまだ長いのだろう。
「じゃあね、リナリナ。タクミも頑張ってね!」
別の道を進むルミナが、タクミたちに向かって手を振る。
ここから西側が、タクミたちが向うガラスの丘リナ。そして東側がルミナの住む結晶の森ジオだ。
「今日はありがとう。今度ゆっくりルビーを見せてね!」
タクミもルミナに手を振る。
こうしてやっとのことで、タクミは『ガラスの丘リナ』に入ったのだった。
◇
タクミ一行がリナの街の入口に着くと、辺りは暗くなり始めていた。
夜の帳が降りるにつれて、街道の両側に点々と散らばる家が光り出す。
不思議に思ったタクミが家に近寄ってみると、その理由が分かった。それぞれの家はレンガではなく、ガラスのブロックを積み上げられて造られていたのだ。すりガラスになっているので中は見えないが、家から漏れ出す光で街が照らされている。
――夕暮れのゆったりとした丘に散らばる、光を灯す家々。
なんて幻想的な風景なんだとタクミは思う。
「さすが、『ガラスの丘リナ』の名は伊達じゃない」
こんな家や街は見たことがない。ガラスに長年関わってきたタクミでさえも。
この街でこれから起きる出来事に、タクミは胸を踊らせる。
リナリナの案内で、一行はまず村長の家を訪問した。
村長というのだから大邸宅――と思いきや、周囲の家々とさほど変わらない。
タクミの肩から飛び跳ねたリナリナは、ドアノブの上に乗ってノックする。
すると一人の若い女性がドアから顔を出した。リナリナは再びタクミの肩に飛び乗る。
黒い長髪に少したれ気味の大きな瞳。
丸っこい鼻に薄い唇が愛らしい。
年は二十歳くらいだろうか。タクミより明らかに年上で、背も若干タクミより高かった。
水色のゆったりとしたワンピースに白いエプロンを付けているのは、夕飯の準備中だったのだろう。
それよりもタクミが目を奪われたのは、彼女の豊かな胸。エプロン越しでもその存在を主張している。
「戻ってきたよ、ユーメリナ!」
リナリナの声に、ユーメリナと呼ばれた女性はタクミの肩に目を向ける。そしてガラスのウサギに目を丸くした。
「まぁ、可愛い! ウサギにしてもらったのね、リナリナ」
するとリナリナはぴょんとユーメリナに向かって飛んだ。彼女が慌てて出した左手の上に着地。
「今回ボクが連れてきたのはこの人。名前はタクミ。このウサギもね、タクミが作ったんだよ!」
「へえ〜、今年はずいぶん若い人を連れてきたのね。というか、これ軽っ! ホントにガラスなの!?」
ユーメリナは丸くした瞳をさらに大きくする。
そしてリナリナに目を近づけて、まじまじと観察し始めた。
「すごい技術でしょ? これなら村長さんも喜んでくれるよね?」
「もちろん。これを作れる人なら、パパも大喜びだわ」
するとユーメリナは姿勢を正してタクミを向き、右手を差し出した。左手にリナリナを乗せながら。
「自己紹介が遅くなってごめんなさいね。私はユーメリナ。リナの村長の娘なの」
「僕の名前はタクミ。日本から来ました。よろしくお願いします」
そしてタクミはユーメリナと握手する。
「んっ!?」
ユーメリナの手の感触にタクミは驚く。
(なんて硬い指なんだ!?)
それはまるで、石で造られているよう。ルミナの手も硬かったが、ここまでではなかった。
「まぁ、柔らかい!」
同時にユーメリナも驚いていた。
そして握手を何度も繰り返す。
「タクミの手ってなんて柔らかいの!? ずっと触っていたい……」
初めて会った女性に手を撫でられる。もちろんタクミにとっては初めての体験だ。
女性に接する機会がほとんどなかったタクミは、うっとりとするユーメリナの表情になにか複雑なものを感じていた。
「村長さんは在宅?」
リナリナが訊くと、はっと我に返ったようにユーメリナは手を引っ込めた。よほどタクミの指の感触が良かったのだろう。ほんのり頬も赤くなっている。
「どうぞ中へ。父にお会い下さい。その間に夕食の準備をしますね」
こうしてタクミは、リナの村長に会うこととなった。
村長は、白い髭を蓄えた優しそうな人だった。
彼もリナリナを見て目を丸くする。
「これを? 君が!?」
その言葉は、タクミが一瞬で村長に認められた証拠。
「ぜひこの技術を、リナに広めてほしい」
タクミもその依頼を一瞬で承諾した。もともとそのつもりでリナに来たのだから。
村長との会談が終わると、タクミは夕食に呼ばれる。
初めての異世界体験でお腹はペコペコだ。
テーブルを囲むのは村長夫妻と娘のユーメリナ、そしてタクミの四人。もちろん食器は皿からスプーン、フォークまですべてガラス製だった。
「明日からのタクミさんの案内をユーメリナに任せる。タクミさんも、ユーメリナに何でも訊いて欲しい」
村長の提案に、ユーメリナが静かに会釈する。
「よろしくね、タクミ。あと当分の間、うちの離れに住んでもらうわね」
エプロンを外したユーメリナも可愛らしい。お母さんと一緒に作ったという夕食も、タクミの舌を唸らせるほど美味しかった。
「よ、よろしくお願いします!」
明日からのリナでの生活。タクミは希望で一杯だった。
◇
「うわぁ、めっちゃ景色いいじゃん!」
朝起きて窓のカーテンを開けたタクミは、その風景に驚いた。
――なだらかに広がる丘の街と、その向こう側に広がる青い海。
ガラスの丘リナは名前の通り丘の街で、その西側は海に面している。そしてタクミが泊まった離れからは、海に続く街並みと港が一望できるのだ。
「いいところでしょ? ボクの故郷は」
「ああ、あの曲にぴったりの風景だよ」
リナリナもしばらくの間、タクミと一緒に生活することになった。
そんな美しい景色だったが、タクミは一つ気になっていた。
一面に広がる丘の大部分は緑の草に覆われていたが、所々にゴツゴツとした岩が露出していたからだ。それはそれはとても硬そうな岩が。
「もしかして、あの石は!?」
予感は的中した。
離れのドアを開けて外に出ると、目の前にもその岩が露出している。それは赤っぽい石、灰色の石、そして真っ白な石が層状に重なる岩だった。
「やっぱりチャートだ!」
――チャート。
二酸化ケイ素を主成分とする堆積岩。
不純物の少ない白い部分は、珪石として使われることがある。つまりガラスの原料だ。
つまり、ここは正にガラスの丘。ガラスの原料の上に作られた街なのだ。
さらにリナ族は、両手を二〇〇〇度まで加熱できるという。
それは珪石を熔かすことができる温度。
食器やブロック、それらすべてがガラスで出来ているのは必然なんだ、とタクミは納得した。
「あら、もう起きてらっしゃったのね」
掛けられた声にタクミが振り向くと、朝食のトレーを持ったユーメリナが母屋から歩いて来るところだった。
「いやいや、この家、起きるなって言われる方が難しいよ」
それもそのはず、ガラスのブロックで造られた家の中はすぐに朝陽で満たされる。
カーテンが引かれた窓より壁の方が明るい――という不思議な目覚めを、タクミは体験していた。
「それにしてもすごいよ、ユーメリナ。ここの石は全部珪石なんだね」
「さすがね、タクミは。一目で分かっちゃうなんて」
「珪石は全部現地調達してたからね。師匠の教え、というかポリシーだったんだ。この透明なところなんて、めちゃくちゃ純度が高くない?」
タクミは目の前の岩の一部分を指差した。
「その部分はね、高級なガラスに使うの。どうやって細工するか見てみたい?」
「もちろんだよ!」
ユーメリナの提案にタクミは瞳を輝かせる。
「じゃあ、ちょっと待ってて。朝食を離れに置いてくるから」
タクミの反応にユーメリナは確信する。
この人は本物だ――と。
普通の人なら「朝食を食べてから」と言うところだろう。なのにタクミは、今すぐにでも見たいと鼻息を荒くした。
そんなタクミにユーメリナが期待するのには理由があった。
というのも、昨年リナリナが連れてきた男は口だけだったから。いつまで経ってもガラス細工を始めようとしない。それどころか魔王城の存在を知ると、姿を消してしまったのだ。
「この人なら、今年の魔王カップに勝てるかも……」
離れのテーブルに朝食を置いたユーメリナは、袖をまくりながらタクミが待つ庭に出る。
「じゃあ、やってみるから見ててね」
ユーメリナは両手に力を込める。手を一〇〇〇度以上に加熱させているのだ。
その証拠に、両手はわずかに赤みを帯びてきた。
「こうやって手に熱を入れてから、珪石をすくい採るのよ」
「すくい採る!?」
珪石をすくい採るなんて聞いたこともないぞ、と耳を疑ったタクミだが、すぐに目も疑うことになる。
ユーメリナは庭の珪石を、いとも簡単に手ですくい採ったのだ。それはまるで、柔らかな地層から粘土をすくい採るように。
「ええっ!? それって珪石だよね。粘土じゃないよね?」
「そうよ」
タクミは庭の珪石を見つめる。
――この世界なら自分にもできるかも?
そんな気がして、タクミは珪石をすくい――
「痛ってぇ!」
採れなかった。やはり珪石は珪石だ。
だってカチカチなのだ。どんなに硬いハンマーで叩いても、砕くのにはかなりの労力が必要だろう。
それを手ですくい採ってしまうなんて、すごい能力だとタクミは思う。
振り返ると、ユーメリナはすくい採った珪石を両手でこねていた。これもまた粘土をこねるように。
珪石の融点はおよそ一七〇〇度。
きっとリナ族は会得しているのだろう。珪石を粘土のように変形させるちょうどいい温度を。
子供の頃から珪石をこねていれば、自然と身に付くに違いない。
「手でこねただけだから不細工だけど、できたわよ、お皿が」
ユーメリナが手の中のものを岩の上に置く。
それは綺麗に整形されていないとはいえ、正にガラスのお皿だった。
「まだ熱いから気をつけてね、タクミ」
離れの窓からリナリナの声が飛んでくる。
「日本人の手は、この温度には耐えられないんだよ。覚えておいて、ユーメリナ」
さらにユーメリナに忠告してくれた。
「えっ、そうなの? だからタクミの手はこんなに柔らかいのね」
そして彼女は嬉しそうにタクミの手を取る。ユーメリナの手はすでに常温に戻っていた。
「うーん、柔らかい! ぷにぷにして気持ちいいい!」
女性に「柔らかい」と手を握られる。
普通は逆じゃないかと、悦に浸るユーメリナの表情を眺めながらタクミは今日も複雑な気持ちに揺れていた。
朝食を食べると、ユーメリナに案内されてガラス工房を見学する。
それはタクミにとって、ガラス工房ではなく陶芸工房だった。
リナ族の職人は、素手で珪石を熔かし、粘土のようにこねる。そしてロクロを使って形を整形していくのだ。それは正に、日本でいう陶芸。
陶芸と大きく異なるのは、整形した後で焼く必要がないこと。なぜなら、冷えればそのままガラスのお皿やコップになるのだから。
その状況を見てタクミは納得する。リナリナや村長がタクミの技術を伝えて欲しいと言った理由を。
――吹きガラス。
それは熱したガラスを息で吹いて整形する手法。
公園でタクミがガラスのウサギを作った時に用いた技法だ。
最初、リナリナがその技術を伝えて欲しいと依頼した時、タクミは自分の耳を疑った。なぜなら、吹きガラスの技術はごく一般的なものだったから。
――ガラスの丘リナと呼ばれる土地なのに、吹きガラスの技法を知らないのか?
でも、それには理由があったのだ。
リナ族の人たちは、本当に吹きガラスの技法を知らなかった。だってその必要がないから。
日本人だって、粘土を口で吹いて陶芸を行う人は誰もいない。それと一緒だ。
「ねえ、タクミ。リナリナのガラスのウサギを作った技法を見てみたいんだけど」
一通り工房の見学が終わると、ユーメリナが切り出した。
「じゃあ、パイプはあるかな? 口に咥えられる太さで、ステンレスのやつ」
「ステンレス……って?」
タクミの要求に眉をひそめるユーメリナ。どうやらこの世界にはステンレスは存在しないようだ。
「ガラスのパイプならあるけど?」
「ああ、それでいい」
ここは何でもガラスなんだなと思いながら、タクミは腕まくりをする。いよいよ腕の見せ所だ。
工房の職人たちも、見学に集まってきた。
「はい、パイプ。この後、どうすればいい?」
「じゃあ、このパイプの先に赤く熔かした珪石をくっつけてくれるかな?」
「わかったわ」
ユーメリナは手で珪石をこね始め、手に力を込めて温度を上げ、ガラスを真っ赤な状態にする。そしてタクミが手にするパイプの先にくっつけた。
「これは吹きガラスという技法です。ガラスを吹いて、加工するんです」
皆にそう説明するとタクミはパイプを咥え、強く息を吹き込む。自慢の肺活量で。
すると、真っ赤なガラスはぷうっと膨らみ始めた。
ここでタクミは大事なことに気づく。
ガラスの加工に必要なアイテムが欠けていることを。
「えっと、バーナーってありますか?」
パイプを口から放し、タクミは工房の人たちに訊く。
すると、タクミを囲む人たちは顔を見合わせ始めた。
「ねえ、タクミ。バーナーって何?」
たまらずユーメリナが訊いてくる。
ステンレスだけでなくバーナーも? と思いながらタクミは説明を試みる。バーナーが無ければこの先には進めない。
「バーナーって、炎を噴射する装置のことなんです」
と言われても、リナ族にはピンと来ない。
そもそもリナ族は火を使わなかった。自分の手で二〇〇〇度まで加熱できるのだから、それは当然だ。
タクミは後で知ったことだが、リナでは料理もすべて手の熱で作っているという。
結局のその日のタクミは、自分の技術を披露することはできなかった。
バーナーが無ければ、ガラスを吹いて自在に加工することは不可能だ。
作れるのは、薄い球状のガラスだけ。
ユーメリナに部分的に熱してもらうことも試してみたが、それは無理だった。なぜならバーナーとは異なり、ガラスに触らないと加熱できないから。ガラスが薄くなればなるほど、触った瞬間に形が崩れてしまう。
――道理で、薄いガラス細工に皆驚くわけだ。
その晩のタクミは、ふて寝するしかなかった。
◇
翌朝、自分の荷物を確認したタクミは小躍りする。
「バーナー、あるじゃん!」
荷物の中に小型バーナーがあることを思い出したのだ。それは公園でのパフォーマンスに使ったバーナーだった。
早速タクミは、離れの外に出る。
右手にバーナー、左手に昨日のガラス球体を持って。
ガラスの球体は、昨日工房からもらって来ていた。
朝陽に照らされる丘。その上に立つタクミ。
先端にガラスの球体が付いたパイプを口に咥え、左手で支える。そして右手に持ったバーナーの引き金を操作し、青白い炎を形成させた。ゴーという空気音が朝の空気を震わせる。
(よし、やってみるか)
タクミはガラスにバーナーの炎を当てる。しばらくすれば赤く変色して、吹き込む息に呼応して変形が始めるはず――だった。
(えっ!? なんで……???)
いつまで経ってもガラスは変色しない。透明のままなのだ。
このままではガスが無くなってしまうと危惧したタクミは、バーナーの火を落とす。日本ではどこでも手に入るガスボンベだが、この世界で手に入るとは思えなかった。
そして、がっかりしながらガラスの球体を地面に置く。
「どうして変色しない?」
日本とは珪石の種類が違うのか?
でも、庭の岩石を見る限りでは全く同じだ。
なんで!? と自棄になりそうになってようやく気づく。
「そっか、あれが必要なのか……」
タクミは思い出したのだ。
ガラスの原料についての師匠の教えを。
『タクミ、ガラスの原料はな、主に次の三つだ。よく覚えておけ』
『三つ? それは何?』
『まずは珪砂。珪石を砕いたものだ。これは主原料で、混ぜる割合は七割から八割だ』
『珪石って、チャートのきれいな部分だよね?』
『そうだ。そして次にソーダ灰。これは作るのがちと難しい。混ぜるのは二割弱だな』
『ソーダ灰? なんでそれを混ぜるの?』
『珪石だけだと熔けにくいんだ。なんせ融点が一七〇〇度もあるからな。これにソーダ灰を混ぜると、融点を一〇〇〇度まで下げることができる』
『へぇ〜。それで三つ目は?』
『最後は石灰。これは石灰岩を砕けばいい。一割ほど混ぜる。ソーダ灰を混ぜるとガラスが水に溶けやすくなるから、それを防ぐ役割をする』
「そうだよ、珪石だけのガラスって、融点が一七〇〇度もあるんだった……」
思わずタクミは頭を抱える。道理でガラスが赤くならないわけだ。
ユーメリナがいとも簡単に珪石を熔かしてしまうから、融点の違いなんて考えもしなかった。
「このバーナー、どんなに頑張っても一五〇〇度止まりなんだよなぁ……」
珪石百パーセントのガラスを、このバーナーで熔かすことはできない。
つまり今のままでは、ガラス細工は不可能なのだ。
「ということは、ソーダ灰を手に入れる必要があるってことか……」
タクミが公園で用いていたガラスパイプは、ソーダガラスと呼ばれるもの。ソーダ灰を混ぜて、融点を一〇〇〇度に下げていた。
「よっしゃ、やるか!」
タクミは諦めない。
ソーダ灰の作り方だって、師匠に叩き込まれていたから。
幸いここは海沿いの街。もしかしたら原料は取り放題かもしれないのだ。
意を決したタクミは、朝食を運んできたユーメリナに提案する。
「ねえ、朝食を食べたら海に行きたいんだけど」
「えっ、海に? もしかして、泳ぎに……?」
ユーメリナの頬がぽっと赤くなる。
今は夏だし、今日は天気もいいし、泳ぎに行くのもいいなぁって、タクミは思わずユーメリナに水着姿を重ねてしまう。
――ビキニだったら胸がはちきれそう?
が、ブンブンと頭を振って、慌ててその妄想を消し去った。
「違うよ。海藻を取りに行きたいんだ」
「海藻って、食べるの?」
「いや、ガラスの原料にするんだ」
「ええっ? 海藻をガラスの原料にするの?」
ユーメリナは聞いたこともなかった。
海藻がガラスの原料になるなんて。
やっぱりタクミは不思議な人だと、改めて思う。
「海藻からソーダ灰というのを作るんだよ。それがあれば、僕のような日本人でもガラス細工がしやすくなる」
朝食を食べ終わると、タクミはリナリナ、ユーメリナと三人で海に行くことになった。大きなトートバッグをぶら下げて。
リナの海岸は、チャートの硬い岩が露出する岩場だった。
さすがは『ガラスの丘』だとタクミは思う。海岸に立って振り返ると、まさにガラスの原料の上に街が築かれているのを眺めることができた。
その岩場には沢山の海藻が生えていた。
「なんでもいいから、片っ端から取って欲しい」
「どれでもいいのね」
こうしてタクミとユーメリナはトートバッグ一杯に海藻を入れる。
重さは二つ合わせて十キロはあるだろうか。
女性に重いものを持たせてはいけないと、タクミが一つ持ち、もう一つを二人で持って工房に戻る。
「ふぅ、やっと着いた。疲れたぁ~」
どしんとトートバッグを床に置くと、ユーメリナはへなへなと椅子に腰掛けた。
「お疲れついでに申し訳ないんだけど、もう一仕事、いや二、三仕事お願いできるかな?」
タクミはユーメリナにお願いする。
本来なら、ここからバーナーで海藻を焼いて灰を作る。
が、リナにはバーナーは存在しないし、タクミのバーナーもガスの残量が心許ない状況だ。ということで、熱源をユーメリナに頼るしかない。
「分かったわ。今年勝つために、じゃなかったタクミのために、お姉さん頑張っちゃうんだから」
チラリと気になる言葉が聞こえたが、タクミは聞こえないフリをして大きなガラスの容器に海藻を入れた。
すべての海藻を入れ終わると、ユーメリナが腕をまくる。
「じゃあ、いくわよ!」
そして海藻の山に両手を当てて、力を込めた。
ジューと激しい音とともに、海藻の水分が飛んでいく。
さすがはリナ族。ガラスの容器が熔けないように、熱は一五〇〇度くらいに加減していると思われるが、あっという間に海藻が乾燥していく。
タクミが師匠と作業していた時は、海藻をバーナーで焼いて灰にした。が、湿っている海藻はなかなか灰になってくれず、とても苦労したことを思い出す。
やがて乾燥した海藻は、高温のため自然発火して灰になる。
最後には、十キロの海藻から一キロの灰が取れた。
「ふう、できたわよ」
「ありがとう、ユーメリナ。次はここに水を入れるから、かき混ぜながら煮て欲しいんだ」
そう言いながらタクミは、灰が入った容器に水を入れる。ユーメリナの作業中に、バケツに水を汲んでおいたのだ。
「タクミの国のガラスの原料って、作るのが大変なのね」
「ゴメン、ユーメリナ。大変だけど頑張って!」
ユーメリナは右手を容器の水の中に入れて、力を込めてかき混ぜる。すると水はお湯になり、ぐつぐつと煮立ち始めた。
日本では、一斗缶に灰を入れて煮ていた。焚火の上に乗せて。
それもまた大変な作業だったが、それを右手一本でできてしまうなんてすごいとタクミは思う。
ユーメリナが灰を煮ている間、タクミは別のガラス容器の上に網を置き、その上に布を広げておく。
「ありがとう、ユーメリナ。これから残った液をろ過する」
タクミは柄杓を用いて、灰を煮た液をすくい、布の上から注いでろ過する。
その間、ユーメリナはぐったりと椅子に腰掛けていた。
すべての液をろ過すると、ガラス容器の中には沈殿物が残っている。
「こうやって、不純物を取り除いていくんだよ。あと二つ作業があるんだけど、いい?」
「わかったわ……」
労いながらのタクミの要求に、ユーメリナが力なく答えた。
「次は、この容器を外側から熱してほしいんだ」
「あと二つ、あと二つ……」
ユーメリナに申し訳ないと思いながら、タクミはろ液を入れたガラス容器を指さす。
彼女はガラス容器に両手を当てて、熱を加え始めた。
すでに熱を持っていたろ液は、すぐにグツグツと煮え始める。するとガラス容器の下に、白い結晶が現れ始めた。
「いいよ、止めて」
ユーメリナは容器から手を離す。
「ありがとう。ユーメリナ」
「作業はあと一つよね。これからどうするの?」
「この液を常温まで冷やして、ろ過して、そのろ液を蒸発させるんだ。その時、また加熱をお願いしたい」
「わかったわ。これが冷えるまで時間がかかりそうだから、お昼にしましょ?」
「うん。本当にお疲れ様」
ユーメリナのお母さんが作った昼食を、タクミたちは母屋のテラスで食べる。
青い海と港街を眺めながら食べる食事は、最高だった。
「タクミは言ってたよね、今作っている材料を混ぜると、ガラス細工をしやすくなるって」
食後の紅茶を楽しみながら、ユーメリナはタクミに訊く。
「そうなんだよ。あれを珪石に混ぜると、ガラスが熔ける温度が下がるんだ」
「へぇ~」
信じられないという顔をするユーメリナ。
そういう技術はリナには伝わっていないことを、その表情でタクミは確信する。
午後は、工房の人たちにも手伝ってもらうことになった。
新技術が披露されるという噂が広まって、技術者が集まって来たからだ。
タクミは冷えたろ液をろ過し、白い沈殿を取り除く。そしてそのろ液を、みんなに手伝ってもらって蒸発させる。
「いくぞ、みんな!」
技術者たちがガラス容器を取り囲んで、ガラスに両手を当てる。
みんなが力を込めるとあっという間に水分は飛んでいき、ろ液は白い粉末になった。
ソーダ灰の完成だ。
「みんな、ありがとう!」
できたソーダ灰は二十グラム。
これに八十グラムの珪石を加えて、ユーメリナにこね合わせてもらう。
「うわっ!」
すると彼女は驚きの表情を浮かべた。
「ホントだ、あっというまに熔けた!」
ソーダガラスの完成。
珪石にソーダ灰を加えることで、一七〇〇度の融点が一〇〇〇度まで下がったのだ。
ユーメリナは、工房の仲間たちにソーダガラスを手渡しする。するとそれを手にした人は皆、今まで味わったこともない感触に目を丸くした。
それもそのはず、一七〇〇度まで力を込めないと熔けなかったガラスが、一〇〇〇度で熔けてしまうのだ。陶芸で言えば、硬かった粘土が薬品を加えたとたん、トロトロになったという感じなのだろう。
その光景を、タクミは不思議な心持ちで眺めていた。
だって皆は、日本人ならあっという間に火傷してしまう赤く熱せられたガラスを素手で扱って、面白そうに感触を楽しんでいるのだから。
ソーダガラスの感触を皆が確認したのを見届けると、タクミはバッグからバーナーを取り出す。
そしてユーメリナにお願いして、昨日と同じようにガラスパイプの先に付けてもらった。出来たばかりのソーダガラスを。
パイプを口に咥え、バーナーに火をつける。
初めて見るバーナーの炎と空気音に、ユーメリナをはじめとする工房の人たちが「おおっ」と声を上げる。いつの間に見学に来ていたのか、村長の姿もあった。
タクミは公園での子供たちの反応を思い出しながら、バーナーの炎をガラスに近づける。
――今まで、もっと大勢の人たちの前で何度もパフォーマンスをやってきた。
だからタクミは気負うことはない。
――素早いバーナーワーク、的確な温度把握。
タクミの手の動きに合わせて、公園でのパフォーマンスの時と同様、ぐにゃりとガラスが変形し始めた。
(これならいける!)
このガラスの反応は日本と同じ。それなら普段通りにやればいい。
ここから先はタクミの腕の見せ所。
バーナーの炎を自在に操り、パイプに息を吹き込みながらガラスを細工する。
まずはウサギの体を形成し、バーナーで炙って細い耳を作る。目と鼻を刻み尻尾を膨らませて、ガラスのウサギの完成だ。
――薄くて軽く、球面が美しく輝くガラスのウサギ。
手こねでは真似できない、タクミならではの工芸品だった。
「すごい!」
工房のあちこちから称賛の声が上がる。
「でしょ、でしょ!?」
いつの間にかタクミの肩に乗ったリナリナが、のけぞりながらその声に応えていた。
最前列までやってきた村長は、完成したばかりのウサギを手にとって、じっくり観察し始める。
「これなら勝てますよ、村長!」
「そうだ、そうだ。これなら勝てる!」
「ボクの目はやっぱり正しかった!」
工房のあちこちから声が上がる。
「パパ……」
ユーメリナをはじめとする工房の人たちが、村長の言葉に注目した。
「そうだな、今年の魔王カップは彼に賭けてみるか……」
すると「おーっ!」と工房が歓声に湧いた。
ユーメリナはタクミの手を取って小躍りする。
「タクミ。あなたは選ばれたのよ、魔王カップの出場者に。リナの代表として!」
その後、村長宅の母屋で、タクミは詳しい話を聞くことになった。
まずは村長がタクミに頭を下げる。
「工房では申し訳ない。タクミさんの意向を確認しないまま、あんなことを言ってしまって」
「いえいえ、頭を上げて下さい。なんとなくそんな予感がしてましたから」
タクミは恐縮する村長に、リナに到着するまでの話をする。
「ここに来る前、魔王城を見ました。その時にチラリと聞いたんです、リナリナたちが魔王カップについて話しているのを」
いっけねぇという顔をするリナリナ。ユーメリナは「コラ!」と小さく叱っていた。
「魔王カップって、リナとジオが年に一回、優勝を賭けて競うんですよね?」
タクミが訊くと、村長は魔王カップの経緯について説明を始めた。
「魔王カップは毎年、夏の時期に行われている。リナとジオから代表を出して、魔王様の前で作品を作り、その完成度の高さを競う。素材はそれぞれの部族が得意なものを用いる。つまりリナはガラス、ジオは結晶で作品を完成させる」
――リナはガラス、ジオは結晶。
タクミは結晶の森で、ルミナから聞いていた。ジオ族は手の中で結晶を育成することができると。
一方、リナ族は素手でガラスをこねることができる。
両部族が競うなら、ガラス対結晶の闘いになるのは必然なのだ。
「優勝すると、魔王様より村全体に一年間の豊作の魔法をかけてもらうことができる。海に面するリナ族は豊漁を、森に住むジオ族は果実の豊作を。しかし残念なことに、ここ数年、リナは負け続けているのだ」
話を聞いているうちに、緊張で体が固くなっていくのをタクミは感じていた。
こんな部族を代表する競技に、日本からぽっと現れた自分が出ても良いのだろうか――と。しかも部族全体の生活がかかっているかもしれないのだ。
手のひらも汗でじとっと濡れてきた。
「それでね、毎年テーマが設定されるの。今年のテーマは『癒し』なのよ」
タクミの緊張を感じ取ったのか、ユーメリナが彼を励ますように補足する。
「タクミが出てくれると絶対勝てると思うなぁ。だって貴方が作ったガラスの薄さと曲線美は、絶対結晶には真似できないもん」
彼女にそう言ってもらえるとタクミも心強い。
「去年のテーマは『太陽』、一昨年は『金』だったが、いずれもジオ族の代表、サファイアが作る作品に負けてしまった。今年の開催は一週間後、ぜひ三年ぶりにジオに勝ちたいのだ」
部族の代表というだけでも荷が重いのに、さらに三年ぶりという期待を背負えるかどうかタクミは迷う。しかも開催は一週間後。
が、熱く見つめるユーメリナの瞳に負けて、タクミは了承を決意する。
ガラス細工では負けないという自負もあるし、せっかくこの世界に来て何もしないのはありえない。それに、負けたら命が取られるということも無さそうだ。
「わかりました。自分でよければお引き受けいたします」
タクミの返答に、村長はほっと胸を撫で下ろした。
「一つ、お聞きしたいのですが……」
最後にタクミは質問する。最も重要なことについて。
「それで、作品って何を作ればいいんですか? ガラスで」
するとユーメリナが呆れた口調で応えた。
「だから最初から言ってるじゃない。カップよ、魔法様がお酒を飲むために使う入れ物。カップなのかグラスなのかは、当日お題として発表されるんだけどね」
「えっ……?」
その夜、タクミはベッドで考えていた。
魔王カップとは『魔王杯』のことだとずっと思い込んでいたからだ。
まさか、お酒を飲むカップの出来の良さを争う大会とは思わなかった。
「カップをガラスで作るなら、ソーダガラスじゃダメなんだよな……」
そう、ソーダガラス製のカップには致命的な欠陥がある。水への耐久性が低く、使用しているうちに溶けてしまうのだ。
ガラスのウサギを作るだけならソーダガラスで構わない。
でも、お酒のような水ものを入れるカップでは耐水性を上げないとダメだ。それには石灰を混ぜたソーダ石灰ガラスを作る必要がある。
しかしその石灰は、リナで手に入るとはとても思えない。周囲にはチャートしかなさそうだったから。
「だったらあそこに行くしかないか……」
タクミにはあてがあった。石灰を手に入れることのできる場所のあてが。
だから村長の前では黙っていた。
開催は一週間後。カップを作るにはソーダ灰がまだまだ足りない。その作製にはユーメリナの助けが必要となる。
だからタクミは、石灰の採取を一人で遂行しようと考えていた。
「ねえ、リナリナ。明日は石灰を採りに行こうと思うんだけど、一緒に来てくれるよね?」
するとリナリナがぴょんぴょんと枕元まで跳ねて来る。
「石灰を採りにって、どこに行くの?」
「あの鍾乳洞だよ」
そう、鍾乳石は石灰そのものだ。
必要量は拳くらいの塊で十分。だって、ソーダ石灰ガラス全体の一割ほどでいいのだから。
そんな風にタクミは計算していた。
「じゃあ、またルミナに会えるね」
「ああ、午後三時に行けばね」
実は、もう一つタクミが考えていたことがあった。
それはバーナーについてだ。
タクミが日本から持ってきたバーナーは、カセットボンベの残量がだいぶ厳しくなっている。かと言って、この世界でボンベが手に入るとは思えない。日本ではどこでも手に入るからすっかり油断していた。
――それならば……。
タクミは思いつく。この世界にもバーナーの代わりになるものがあるんじゃないかと。
それを試してみたいと、いろいろと案を練っていた。
◇
翌日。
ソーダ灰の作成をユーメリナにお願いして、タクミはリナリナと出発する。
二時間ほど歩いて、タクミはようやく鍾乳洞の入り口にたどり着いた。時間はお昼を過ぎていたが、三時まではまだ余裕がある。
タクミは小さな滝の前の岩に腰掛ける。そしてリナから持ってきた弁当を食べ始めた。
目の前のせせらぎには鍾乳石がゴロゴロと転がっている。この中から適当な大きさのものを一つ拾えば、原料としては十分だ。
すると森の中から人が歩いて来るのが見えた。赤い髪の毛の女の子――ルミナだ。
彼女は今日も、ラウンドネックにサロペットデニムというラフな格好だった。
「やあ、ルミナ!」
リナリナがタクミの肩の上から声をかける。
「あら? タクミにリナリナ。どうしたの? またここに飛ばされちゃった、ってことはないよね?」
彼女の言葉で、リナリナの召喚術が全く信用されていないことが分かる。タクミは可笑しくなった。
「いや、今日は君に用事があったんだよ、ルミナ」
タクミは立ち上がると、姿勢を正してルミナを向く。
その行動で事情を察したルミナは、鍾乳洞の入り口を見た。
「何か大切な用事みたいね。三時までまだ時間があるから、中で話さない?」
「ああ、分かった」
こうして三人は、鍾乳洞の中で秘密の会談を開くことになった。
鍾乳洞の奥の池に到着すると、タクミが切り出した。
「今日、ここに来た目的は二つ。その一つは、石灰を手に入れるためだ」
「石灰?」
ポカンとするルミナに、リナリナが補足してくれる。
「必要になったんだよ、ガラスの原料に。ここの鍾乳石が」
するとルミナは振り返り、右人差し指の炎で鍾乳洞の壁を照らしながらタクミに忠告した。
「鍾乳洞の中はダメよ。水が何百年もかけて作りだした芸術なんだから。入口の滝のところに落ちている石だったらいいと思うけど」
「わかった。それを帰りに拾っていくよ」
「それで、もう一つは?」
するとタクミはルミナの瞳を熱く見た。
「君にぜひ頼みたいことがある」
ルミナはゴクリと唾を飲んだ。
「昨晩ずっと考えていたんだ。君のその炎をパワーアップできるんじゃないかと」
「えっ、この炎を?」
ルミナは辺りを照らしていた右手の炎を顔の前にかざし、驚きの表情を浮かべた。
「僕がいた世界には、バーナーという装置がある。それと同じ構造を、手の形で作れないかと昨晩ずっと考えていた……」
これがタクミの秘策だった。
タクミが持っている小型バーナーは、カセットボンベの頭にバーナートーチを付けて火力をアップしている。
つまり、バーナートーチが無ければ、ただのカセットコンロの火なのだ。
ということは、手の形でバーナートーチのような構造を作ることができれば、右人差し指の炎だって強化できることになる。
ちなみにバーナートーチは、周囲の空気を巻き込むような筒状の構造をしていた。
「最初に聞いておくけど、ルミナの手って、両手とも二〇〇〇度の熱に耐えられるんだよね?」
「ええ、そうよ。私だってジオ族の端くれだもん」
「じゃあ、まず左手をこんな風に丸めて、筒を作って欲しいんだ」
タクミはルミナの隣に立ち、彼女に見えるように左手を丸めた。
「こう?」
タクミの格好を真似て、ルミナも左手を丸める。
「そう。そしたら、左手で作った筒の中に右人差し指を入れる」
ルミナもタクミに従い、左手で作った筒の中にゆっくりと右人差し指を入れる。
「いいよ、いいよ。じゃあ、せーので僕が息を吹き込むから、同時に炎を出して」
タクミはルミナの左手の前に顔を近づけて、「せーの」と号令をかけた。
ルミナは赤い炎を点火する。
と同時に、タクミはその炎目掛けて勢いよく息を吹きかけた。
すると、ゴーという空気音と共に、ルミナの赤い爪の先に青白い炎が形成する。
左手の筒と右手の人差し指との間にできた隙間が空気を巻き込んで、バーナーの炎を作り出したのだ。
「すごいよ、ルミナ!」
「ええっ? これってホントに私の炎なの?」
「そうだよ、ルミナだってこんな力を持っていたんだよ!」
するとタクミが「ちょっとこのままで」と言いながら、しゃがみこんでバッグを漁る。
そしてガラスの塊が先端に付いたパイプを取り出した。
「やってみるよ、今ここでガラス細工を」
タクミの表情がガラリと変わる。
パイプを口に咥え、真剣な瞳でバーナーの炎を見つめている。
そしてパイプの先端のガラスをバーナーの火の中に投じた。
たちまち赤くなっていくガラス。タクミはパイプに息を吹き込む。するとガラスはぷくっと膨らみ始めた。
――すごい、こんな工法があるなんて。
バーナーを灯すルミナは、息を飲んでその様子を見つめていた。炎を絶やさないようと細心の注意を払いながら。
そして炎の光に照らされるタクミの真剣な表情。
他者を寄せ付けない気迫に、ルミナはドキリとする。
ゆっくりとガラスを膨らませながら、炎を中心にするように細かく動くタクミ。時には速く、時にはゆっくりと。するとガラスはTの字のような形に変形した。
最後にタクミはバッグから取り出した金属の棒を用いて、ガラスに十個の穴を開けた。
「できた! もう火を消していいよ」
口からパイプを離し、タクミはルミナに完成品をかざす。
ルミナはバーナーの火を消すと、手の形を崩した。そして完成品に右人差し指を近づけ、炎を灯す。
「これって何? 見たことないんだけど」
するとずっと静観していたリナリナが説明してくれる。
「オカリナだね。タクミ」
「ああ。それよりもすごいよルミナ。君の炎は!」
パイプに付いたままのオカリナを地面に置いたタクミは、ルミナの顔を熱く見る。
その表情が見たくて、ルミナは人差し指の炎を顔の前にかざした。
ぼおっと赤い光で照らされるタクミの表情。
その瞳はキラキラと輝いている。
「なぜだか分からないけど、すっごく細工がしやすかった。君の炎のおかげだよ。なんか、めっちゃ上手くなったような気がした」
自分の力で他人がこんなに喜んでくれるのは初めて、とルミナも嬉しくなる。
しかしタクミは、鼻息を荒くしたままとんでもないことを言い始めたのだ。
「僕、リナの代表で魔王カップに出ることになったんだ。その時、ルミナの炎を使いたいんだけどいいかな? この炎があれば、絶対勝てるような気がする」
――えっ、それってどういうこと?
ルミナは困惑する。
――私も一緒に大会に出るってこと? タクミと一緒に?
タクミの申し出は嬉しい。この炎が彼の役に立つなら、ぜひ使って欲しい。
だけどタクミは言った。リナの代表で――と。
「ダメよ、タクミ。私はジオ族なのよ」
承諾したい気持ちを押し殺して、ルミナは訴える。
「たとえ出来損ないだとしても、たとえ両親いなくても、ここまで育ててもらった恩があるんだから、それを裏切ることはできない」
ルミナは思い出す。
両親が亡くなった日のこと。そして親戚に育てられた日々。
右人差し指の爪しか結晶がない不完全な子供でも、叔父さん叔母さんはちゃんとルミナを育ててくれた。
魔王カップに出るということは、その部族の豊作を賭けるということ。ジオ代表なら良いが、リナ代表となると話が違う。
そんなことになったら叔父さん夫婦に迷惑をかけてしまう。最悪の場合、裏切り者を育てたと言われてジオに住めなくなるかもしれない。
「ゴメン、タクミ。すぐには返事できない……」
人差し指の炎を消して、ルミナはタクミから目をそらした。
タクミの役に立ちたい。でも、ジオを裏切ることはできない。
真っ暗になった鍾乳洞。次第に池の中から青白い光が湧き起こる。午後三時の青珠の放出が始まったのだ。
見慣れた幻想的な景色。
しかしルミナは、こんなに複雑な気持ちで眺めたことはなかった。
すると隣から、フーという風切り音が聞こえてくる。
ルミナが振り向くと、いつの間にかパイプから切り離されたガラス細工にタクミが息を吹き込んでいる。
「あの曲がいいな」
タクミにリクエストするリナリナ。
「わかった。いくよ」
深く息を吸ったタクミがガラス細工に口を付けた。
懐かしい調べが鍾乳洞に響く。
どこかで聞いたことがあるような、ゆっくりとした温かいメロディ。
それに呼応するように、青珠石から池に放たれた青珠が青白い光を発している。
ジオでもリナでもない世界から来たタクミ。でも、彼が奏でる曲は、ルミナの心を震わせた。
そんな彼ならば、リナだけでなくジオの人たちにも受け入れられるはず。
その時、ルミナの頭の中に一つのアイディアが浮かぶ。
二人で一緒に魔王カップに出場することができて、ジオとリナの両方の役に立つことができる方法が。
「ねえ、タクミ」
ルミナは切り出した。池の中の光と自分の決意が消える前に。
「こういうのはどう? 私たち二人で魔王カップに出るの。ジオでもリナでもなく、挑戦者として」
「挑戦者?」
「そう、ジオとリナの代表に挑戦するのよ。それでね、私たちが勝ったら魔法を半分こにして掛けてもらうの、ジオとリナの両方にね」
それは、ルミナが半分ジオを裏切り、タクミが半分リナを裏切る方法。
裏を返せば、ルミナが半分リナに貢献して、タクミが半分ジオに貢献する方法と言えるだろう。
半分と半分が釣り合って、すべてが丸く収まるアイディアだった。
「じゃあ、リナの代表はどうなるの?」
意義を唱えたのはリナリナだった。
それは仕方がないだろう。タクミの才能を見つけてリナに招待したのはリナリナなのだから。
ここで引き下がっては、村長からリナリナへの信頼を裏切ることになる。
するとタクミはリナリナに頭を下げた。
「ありがとう、リナリナ。こんな僕をここに連れて来てくれて。でも僕は、ルミナが提案するように、挑戦者として参加してみたい」
そしてルミナを向く。
「ありがとう、ルミナ。素晴らしいアイディアだよ。参加はどんな形でもいい。僕は君の炎でガラス細工を作ってみたい」
タクミはルミナの手を強く握る。
やっぱりタクミの手は柔らかいと思いながら、ルミナの心は嬉しさで一杯になる。
「ごめんね、リナリナ。そして、ありがとうタクミ。こんな私でも役に立つなら、よろしくお願いします」
魔王カップ始まって以来初の、異色の挑戦者が誕生した瞬間だった。
「じゃあ、ルミナ。一週間後に魔王城で」
鍾乳洞の外で石灰の塊を拾ってから、タクミはルミナの手を振る。
「ボクは反対だからね、タクミ!」
リナリナはまだプンプンだ。
「一週間かけてリナの人たちを必ず説得するから」
「わかった。私、魔王城で待ってる……」
ルミナもタクミに手を振った。
ルミナと別れて、歩きながらタクミは案を巡らせていた。
――どうやってリナの人たちを説得しよう?
しかし、考えが一向にまとまらない。
だからリナに着いてもタクミは黙っていた。
ルミナと一緒に挑戦者として参加したいという希望。とりあえず、リナリナにも黙っていてもらえるようお願いする。
タクミには皆を説得する前にやるべきことがあった。
それはソーダ石灰ガラスの生成。
これができなければ、ルミナとの約束も実現することはできない。
早速、結晶の森から持ち帰った石灰を用いて、ユーメリナに作ってもらう。ソーダ石灰ガラスを。
「基本的にはソーダガラスと同じ感触だけど、これで水に溶けにくくなったのよね」
ソーダ石灰ガラスはあっという間に完成した。
そしてタクミは、ユーメリナに正直に告白する。
それはこんな感じだった。
日本から持ってきたガスボンベは残量が厳しく、魔王カップを闘い抜くのは難しいこと。
他にバーナーを探さないと出場できないが、リナにはバーナーはないこと。
ジオ族に、バーナーの炎を作れる女の子がいること。
その女の子、ルミナに出場を打診したところ、挑戦者としてならと提案されたこと。
「ふーん、事情はわかったけど……」
工房の窓から海を眺めながら、ユーメリナは考え込む。
どうか了承してほしいと、タクミは顔の前に手を組んだ。
「要は……好きになっちゃったんだよね? そのルミナって娘が」
「な、な、な、なにを言っているんでございましょう!?」
びっくりして声が裏返ってしまうタクミ。敬語もなんか変だ。
「だってそうじゃない。その娘と二人で一つの物を作りたい。そういうことでしょ?」
「そ、そ、そういう言い方をされると、間違ってはないけど……」
「へえ、そうだったの? ボクは気づかなかったなぁ」
それでリナリナに納得されてしまうのは、なにか悔しいタクミだった。
いやいや、そうじゃない。ちゃんとした理由があると、タクミは反論する。
「違うんです。ルミナの炎を使うと、すごくガラスが加工しやすくなるんです。なぜだかは分からないんだけど……」
するとユーメリナはくっくっくっと笑い始めた。
「その理由をお姉さんが教えてあげよっか?」
何だか嫌な予感がするとタクミは身構える。
「それはね、タクミの気持ちがノッてるから。その娘の炎のおかげじゃないんだよ。そういうのを何て言うのか知ってる? 恋って言うの。覚えておきなさい」
そしてユーメリナは大きな声で呟きながら、工房を出て行った。
「あーあ、結局私が出ることになるのね。パパやみんなを説得するのも面倒臭いなぁ。でもいっか、このソーダ石灰ガラスがあれば、私も勝てそうな気がするもんね。この借りは絶対返してくれるよね、絶対、絶対、絶対だよね……」
いやいや、呟きめっちゃ長いだろと思いながらも、タクミはユーメリナに深く感謝するのだった。
◇
「ぐわぁ、やっと着いたぁ!」
一週間後の正午。
魔王城の城門の前で、タクミは背中の荷物を下す。
それはユーメリナが大会で用いる携帯型ロクロだった。
「お疲れ様、タクミ。玉座の間まではよろしくね」
タクミのことを労うユーメリナだったが、同じく城門の前に佇む女性を見つけ、敵意を露にする。
ショートの赤い髪。
右手の人差し指の爪だけが赤く光っている。
サロペットデニムではなく、ジオ族の正装であろう白い襟付きブラウスとタイトスカートに身を包んだその女性――ルミナだった。
「あなたがルミナさんね」
一方、白いドレス風のワンピースに身を包むユーメリナはルミナに近づいて行き、右手を差し出す。
「私はユーメリナ。リナの代表よ」
「よろしくお願いします」
そして二人は握手を交わす。
ユーメリナの言葉からタクミの説得が成功したことを知ったルミナは、駆け寄って来る彼に目を向けた。
一週間ぶりに見るタクミ。
ずっと会いたかった。
今日の日のために、ずっとバーナーの練習をしていたんだから――。
そんなルミナの瞳を見てユーメリナは確信する。やっぱりこれは恋だと。
一方タクミは、ルミナのもとに走りながら気を引き締める。
なぜなら、タクミたちの魔王カップはまだ始まってもいないのだ。
「ルミナ、リナの人たちの説得に成功したよ」
そしてタクミはルミナを手を取る。
「これから一緒に、魔王様にお願いしよう!」
「うん」
二人でいれば、力がどんどん湧いてくる。
タクミは魔王門に向かって、大声で訴えた。
「魔王様、お願いがあります。僕タクミと隣のルミナのペアを、挑戦者として大会に出場させて欲しいのです!」
すると、皆の頭の中に思念が飛んできた。魔法によるものだ。
『いいですよ。出場者が多い方が楽しいですし、良い作品もできるでしょう。私は構いませんよ』
予想外の良い返事に、なかなか気さくな魔王様だとタクミは胸を撫で下ろす。
が、これではまだ不十分。
もう一つ条件を認めてもらえないと意味がない。
「失礼を重ねて恐縮ですが、僕たちが勝った時の場合について提案したいのです」
すると魔王は笑い出す。
『もう勝った時の心配をしているんですか? よほど自信があるんですね』
「はい、あります。ルミナとなら絶対勝てます!」
さすがに今のは恥ずかしかったとタクミはちょっと後悔する。
手を繋いでいるルミナは、真っ赤な顔をしていた。
『それは面白い。その提案とは何でしょう?』
「その時は、リナとジオの両部族に、半分ずつ豊作の魔法をかけて欲しいのです」
『なかなか興味深いアイディアですね。いいですよ、使う魔力量は同じですから』
――よかった……。
へなへなと脱力して、タクミは地べたに座り込む。
挑戦者としての参加は認めてもらえる公算はあった。
が、勝った場合の条件をこちらが提案するなんて、行き過ぎた行為なんじゃないかと内心ビクビクしていたからだ。
――もし魔王様が怒ったらどうしよう?
それは杞憂だったのだ。
魔王は、日本で言う邪悪な悪魔ではなく、ジオとリナの女の子たちが憧れる魔法の王子様だった。
するとルミナがしゃがみこんでタクミの両手を取る。
「やったね、タクミ!」
「ああ、これで僕たちも出場できるよ」
「私ね、この一週間ずっとバーナーの練習してたんだよ」
「おおっ、期待してるよ」
しかしこの時は、この練習が嘘だったんじゃないかと思える事態に発展するとは、誰も予想していなかった――
魔王門が開く。
タクミとルミナ、そしてユーメリナとリナリナが玉座の間に着くと、すでにそこには一人の男が待ち構えていた。
サファイア――ジオの代表だ。
サファイアはいわゆる大男だった。
身長は一八〇センチはあるだろうか。年は四十後半ぐらい。黒を基調とした軍服のような服に身を包んでいる。
体格もよく筋肉も発達しており、力勝負であればタクミの勝機はゼロだろう。
それよりも特徴的だったのは、青色に光る五本の指の爪。その名の通り、サファイアの輝きを放っている。
まずは、ユーメリナがサファイアの前に立ち、軽く膝を曲げてお辞儀をする。
――リナ代表とジオ代表。
そもそもこの大会は、リナとジオの技術の優越を競う大会なのだから当然の儀式であろう。
そして次に、タクミがサファイアの前に立つ。
「挑戦者として参加させていただくタクミです。よろしくお願いします」
「こちらこそ、お手柔らかに」
サファイアはタクミに右手を差し出した。五本の爪が青く光っている。
見た目とは異なる物腰の柔らかい言葉に、タクミはほっとしながら彼の右手を握る。
(やっぱり硬い。カチカチだ)
一方、サファイアも驚いているようだ。タクミの手があまりにも柔らかいことに。
「繊細な作業に向いてそうですな」
「はい、それが取り柄ですから」
きっとサファイアは、その手の中でサファイアを育成することができるのだろう。
彼が言う通り、タクミは繊細さで勝負するしかないと作戦を考えていた。
公示の時間、午後一時になると玉座の間に魔王が現れた。
タクミたちは魔王の前に、横一列に並ぶ。
魔王は身長一八〇センチほどのスリムな若者で、年は三十くらいに見える。紫色で襟付きのローブを羽織っていた。
それよりも何よりもイケメンだ。ルミナをはじめとして若い女性が憧れるのもわかる。
「出場者は揃っていますね。一応、一人一人確認いたしましょう」
そして魔王は、出場者の名前を呼ぶ。
「まずはジオ代表、サファイアさん」
「ははっ」
するとサファイアが一歩前に出てお辞儀をする。
「今年も期待しています。去年のお題、テキーラ用のショットグラスは最高でした。今でも愛用していますよ」
「それは光栄です」
「それにしてもサファイアガラスは丈夫で素晴らしいです。この世界であれを作れるのは貴方だけですね」
さすがは去年の勝者、すごい絶賛ぶりだとタクミは思う。
ガラスよりもはるかに耐久力のあるサファイアガラスが出てきたら、ガラスに勝ち目はないだろう。それならば、耐久力以外のところで勝負する必要がある。
「次はリナ代表、ユーメリナさん」
「魔王様にはご機嫌うるわしゅう」
一歩前に出たユーメリナが片膝を曲げてお辞儀をする。
「これはまた一段とお美しい。今年は健闘を期待しています」
「今日は特別なガラスを用意しました。魔王様のお気に召す作品が作れればと思います」
確かに今日のユーメリナは美しい。
それにしてもドレス風ワンピースでもその存在を主張する豊かな胸。思わず見とれてしまったタクミは、隣のルミナに「もうっ」と肘で小突かれてしまう。
そしてタクミたちの番がやってきた。
「最後に挑戦者のタクミさんとルミナさん」
「よろしくお願いします」
「魔王様、お久しぶりでございます」
タクミとルミナは二人揃って頭を下げる。
「タクミさんは初めての顔ですが、どこから来られたのでしょう?」
「日本という国です。ガラス細工を生業にしています。今日は吹きガラスという技法を披露したいと思います」
「ほお、それは面白そうですね。それでルミナさんは何を?」
「私はバーナーの炎を作ります。その炎で彼がガラスを細工するのです」
「二人の共同作業ということですね。これもまた面白そうです。頑張って下さい」
出場者との挨拶が終わると、魔王は皆の前に立ち、神妙な面持ちとなる。
「さて、今年のテーマは『癒し』であることを、事前にお伝えしておりました。それでは、これから皆さんに作っていただく『お題』を発表します」
いよいよだ。
この発表直後に今年の魔王カップが始まる。
参加者は皆、ゴクリと唾を飲んだ。
「今年の『お題』は白ワイン用のワイングラスです。制限時間は一時間。それでは始めて下さい!」
魔王の号令で皆が持ち場に着いた。
サファイアは作業机に座り、机の上に置いた両手で何かを包み込むようにして意識を集中させている。おそらくワイングラスをイメージしながら、両手の中でサファイアガラスを生成させているのだろう。
それにしても一時間でグラスを生成させてしまうなんで、なんてすごい力なんだとタクミは思う。
実際、去年はショットグラスを完成させたという。しかし今年はワイングラス。形が大きい分、生成が間に合わない可能性もある。
一方、ユーメリナは作業台の上に置いた簡易ロクロの前に座り、事前にこねてあったソーダ石灰ガラスをセットした。おそらくロクロを使ってワイングラスを作るのだろう。
しかしワイングラスというお題は、ロクロとは相性が悪そうだ。というのも、どうしても肉厚になってしまうからだ。それに簡易ロクロでは、きれいな円形には仕上がらない可能性もある。
もしかしたら勝てる――とタクミはほくそ笑む。
吹きガラスの特徴は薄さと軽さ。それに加えて、タクミの技術で『癒し』の曲線美が演出ができれば、ジオとリナに勝てるかもしれない。
「じゃあ、頼んだ!」
タクミはルミナに声を掛ける。
しかし彼女は顔を真っ青にしながら、バーナー作りに格闘していた。
「ゴメン、タクミ。炎がバーナーにならないの……」
ルミナは丸めた左手の中に右手の人差し指を入れて、炎を発生させている。
が、いくら息を吹き込んでもバーナーの炎に発展しないのだ。
「ええっ、どうしちゃったの? ルミナ」
「なぜだか分からないの」
一生懸命、炎に向かって息を吹き込むルミナ。しかし一瞬ゴオっと激しく燃えるものの、その炎が長続きしないのだ。
「じゃあ、僕が息を吹いてみるよ」
タクミがルミナの手に向かって息を吹きかける。タクミの肺活量なら上手くいくかと思いきや、やはりバーナーの炎は長続きしない。
「もしかしたら緊張してるのかな、私……」
今にも泣き出しそうなルミナに、「頑張って!」と魔王が声を掛ける。するとさらに状況が悪くなってしまった。
魔王は皆の作業の様子を見学するために、周囲を歩き回っていた。
それが楽しみにで毎年主催しているわけだから、誰にも止める権利はない。
――きっとルミナの憧れの魔王様が近くにいるから、普段の力が出せないんだな。
そう考えたタクミは、作戦を練り直す。
ルミナがバーナーを作れなければ、作品を完成することは不可能だ。
ルミナは焦っていた。
昨日まではちゃんと作れていたバーナーの炎を、何で今日は作れないの――と。
手の形を変えてみてもダメ、強く息を吹き込んでもダメ。
だんだんと変な汗が吹き出してくる。時間もすでに三十分が過ぎていた。
すると頭に柔らかな感触が宿る。今まで味わったことのないフワフワするような感覚が。
驚いて振り向くと、ルミナの頭をタクミが撫でていた。右手で、ゆっくりと。
(気持ちいい。タクミの手って柔らかい……)
頭なら子供の頃、両親に撫でられたことはある。が、ジオ族の手は硬くて撫でられるというよりは押さえつけられるという感覚に近い。
でもタクミの手は違う。指の一本一本が柔らかい。しかもタクミは、ルミナの赤い髪をすくように指を動かしていた。それが何とも気持ちいい。
(いつまでもこうしてもらいたい……)
そこでルミナはハッと我に返る。
こんなフワフワな感覚に酔いしれていてはダメなのだ。制限時間は刻々と過ぎていく。ジオ族の出来損ないと言われ続けた自分の価値を他の人に認めてもらうには、タクミと一緒に素晴らしい作品を作るしかない。
「ありがとう、タクミ。今なら私、出来そうな気がする!」
ルミナは左手で筒を作る。
そして右人差し指を入れて炎を点火。
同時に強く息を吹き込むと、ゴオーッと激しい空気音と共にバーナーの炎が形成した。
その音に、魔王をはじめとして皆がチラリとルミナを向く。
「すごい音だね、ルミナさん」
興味津々の魔王が近づいてくる。
「ま、魔王様……」
すると、へなへなとバーナーの炎は消えてしまった。
もう諦めようと、タクミが思った時だった。
タクミの肩を何者かが叩いたのは。
「あれを使いなよ」
それはタクミの肩に飛び乗ったリナリナ。
リナリナが示す方を見ると、ユーメリナの作業台の上にちょうど良いサイズの短いガラスのパイプが乗っている。右手の指を差し込めば、バーナートーチになりそうな。
「あれならバーナーのトーチとして使えるよね? 珪石百パーセントで作ってあるから、ソーダ石灰ガラスの加工には使えるよ」
「ありがとう、リナリナ!」
まさに救世主。
「お礼はユーメリナに言いなよ。自分の作品作りを中断してわざわざ作ったんだよ。ボクは反対したんだけどね」
タクミはリナリナを肩に乗せたままユーメリナの作業台へ行く。彼女はまだ、ロクロを使ってワイングラスを作り続けていた。リナリナが作業台に飛び移る。
するとユーメリナが作業をしながらタクミに告げた。
「ステムとフットプレートも幾つか作ったから使って。タクミなら、あとはガラスを吹くだけで完成するでしょ?」
ステムはワイングラスの柄、フットプレートは底のパーツだ。
「ありがとう、ユーメリナ。この恩は一生忘れない」
「借りは溜まってるから倍返しね。というか急ぎなさい。もう時間が無いわよ」
残り十分。
タクミは最後のチャンスに全力を注ぐことにした。
「ルミナ、これを左手の筒の代わりに使うんだ」
タクミはユーメリナから受け取ったガラスの筒をルミナに渡す。
「目をつむっていれば大丈夫。君ならできる。これが最後のチャンスだ」
「わかった、やってみる」
ルミナは左手でガラスの筒を持って、右人差し指をその中に入れた。
そして炎を点火、ルミナとタクミの二人で息を吹き込むと、ゴォーッとバーナーの炎が形成した。そしてルミナは静かに目を閉じる。
やっとバーナーの炎が点火した。
タクミは持参したガラス付きパイプを咥えると、ガラスをバーナーで炙り始める。
赤くなったソーダ石灰ガラス。タクミがパイプに息を吹き込むと、ガラスがぷくっと膨らみ始めた。
「おお、それってとっても面白いね」
魔王が見学にやって来た。
が、ユーメリナは目をつむっているし、バーナーの音のせいで魔王の声も聞こえない。
タクミは左手でパイプを回しながら、わき目もふらず吹きガラスの作成を続けた。
もう時間はない。
だから失敗は許されない。
この一発で完成させるのだ。
テーマの『癒し』を曲線美で表現する、タクミの最高傑作を。
思い通りのボウルカップが出来た。
それにしてもルミナの炎は細工しやすい。思い通りにガラスが曲がっていくのだ。
――これが、ユーメリナが言う恋のマジックというものなのだろうか?
もうしそうならばルミナに感謝せねばと、タクミは彼女の顔を見る。目をつむってバーナーに集中する彼女はとても愛しく見えた。
ガラスが冷えるとヤスリでカットし、リムを整形する。
そしてパイプから切り離し、バーナーで炙りながらフットプレート付きのステムを接続する。
こうして時間いっぱいでタクミたちの作品が完成した。
いよいよ審査の時間だ。
魔王は目の間に並んだ三つのワイングラスを見比べる。
「一番薄いのはタクミたちのかな。次がサファイア。ユーメリナのは結構肉厚だね」
タクミは小さくガッツポーズをする。薄さはタクミの技術の一番のウリだから。
ユーメリナの作品が肉厚なのはしょうがない。
ロクロを使ってこねたガラスを整形するのであれば、薄さには限界があった。
「続いて色。ユーメリナとタクミたちのは透明だけど、サファイアのは青みがかかっていて美しい。なかなか癒される色だよ」
今度はサファイアが小さくガッツポーズした。
そりゃサファイアなんだから、ガラスには太刀打ちできないよとタクミは悔しく思う。
すると魔王はワイングラスを順々に手に取った。
「手に持った感触が良いのはタクミたちのかな。まずは軽い、そしてこの曲線美。触るととても気持ちがいい」
満足できる作品が出来て良かったとタクミは思う。
ルミナを見ると、彼女も頷いていた。
「サファイアのも軽いけど、ほんのわずかに手触りがざらざらしている」
それは仕方がないかもしれない。
結晶を育成して形成しているのだ。結晶面にできるわずかな段差がそのような手触りをもたらしているに違いない。
「一方、ユーメリナのは重い」
これはどうしようもない。
ボウルカップの部分が肉厚になっているので、それがそのまま重さに反映してしまっていた。
「ということで、ユーメリナには申し訳ないが、サファイアとタクミたちの作品の中から優勝を決めさせてもらう」
その時だった。
「ちょっと待って下さい!」
リナリナの声が玉座の間に響いた。
「魔王様は最初におっしゃいました。今回のお題は『白ワイン用のワイングラス』と。それならば、白ワインを注いだ時に最も『癒し』の効果が得られる作品を選ぶべきではないでしょうか?」
「ふむ。確かにその通りだ。じゃあ、それを審査してみよう。今からワインを取ってくるからちょっと待ってて欲しい」
魔王が席を外すと、ユーメリナはリナリナを叱りつける。
「ねえ、リナリナ。無駄な足掻きはやめようよ。もう私たちは負けよ」
「いや、まだボクたちにもチャンスはある」
と、リナリナは強気を崩さない。
その時、ルミナがはっとする。
「そうか、そういうことなのね? リナリナ」
「そうだよ、ルミナの大好きなアレだよ」
どうやらルミナはリナリナの企みに気づいたようだ。
が、ユーメリナをはじめサファイアとタクミはただポカンとするだけだった。
「皆さんお待たせしました」
戻ってきた魔王が三つのワイングラスに白ワインを注ぐ。
するとリナリナが最後のお願いをした。
「魔王様、ここで明かりを消して欲しいのですが……」
そこでやっとタクミは気づく。
リナリナが何を考えているのかを。
時計を見ると、ちょうど午後三時だった。
「明かりを?」
不思議に思いながらも魔王は魔法灯を消した。
すると玉座の間は暗闇に包まれる。
「おおっ!」
そして魔王をはじめとする皆が歓声を上げた。
ユーメリナのグラスの中の白ワインが、青白く光り出したのだ。それはまるでグラスの中で青いホタルが飛び交っているように。
ユーメリナとタクミたちが用いたソーダ石灰ガラス。
この石灰の原料は、結晶の森にある鍾乳石だ。それには青珠石が含まれている。午後三時になると青珠が飛び出して、水に触れると青白く光る青珠石が。
よく見るとタクミのワイングラスも微かに青白く光っていた。が、薄過ぎたのだ。
一方、肉厚のユーメリナのワイングラスは、白ワイン中に放出する青珠の量がはるかに多かった。それがホタルのように青白い光を放ち、幻想的なグラスを演出していた。
「これは癒される……」
魔王の一言。
それで勝負が決着した。
「今年の魔王カップは、リナの勝利とする!」
その時――
「くたばれ、魔王!!」
暗闇の玉座の間に、ただならぬ声が響く。
何者かがせまる気配を感じたタクミは、魔王を庇うようにとっさに右手を差し出す。
と同時に、激しい痛みが彼の右手を貫いた。
慌てて魔王が魔法灯をつけると、そこには剣を構える勇者が立っていた。
その切先からは赤い鮮血が滴り落ちている。
「お、お前は去年召喚した……」
リナリナはその人物を覚えていた。
「そうだよ、オレは去年日本から連れて来られた者だ。魔王を倒すこの時を待ちわびていたのさ。だって魔王は勇者に倒されるものだからね」
タクミは右手の激しい痛みに耐えられなくなっていた。
灯りに照らされた右腕を見ると、手首から先が無くなっている。
「ああああああああっーーーー!!!」
絶叫しながら意識を失ったタクミは、どさりとその場に倒れた。
「タクミっ!」
ルミナは叫ぶ。
――タクミの手が無くなってしまった。
優しくルミナの頭をなでてくれた、柔らかい彼の右手が。
激しい怒りがルミナを包む。いつの間にか、右人差し指が真っ赤に燃えていた。
「お前を許さない。返せ、タクミの右手を!」
勇者に右手を向けるルミナ。
その人差し指から、かつてない勢いで炎が吹き出した――
◇
「タクミ、タクミ……」
名前を呼ぶ懐かしい声に、タクミは目を覚ます。
「師匠……」
それは二年前に亡くなった師匠だった。
「この間、ガラスを加工しやすくなる成分を教えたが、覚えてるか?」
――ガラスを加工しやすくなる成分?
そんなもの教えてもらったっけ?
いや、教わったような気がすると、タクミは記憶の中を探す。
そうだ――
「確か、『ア』なんとかだったような……」
「そうだ、『ア』なんとかという四文字の成分だ」
しかし、そこから先が思い出せない。
「ガラスが加工しやすくなる、ガラスが加工しやすくなる……」
すると成分ではなく、別の記憶が蘇ってくる。
愛しい女性の顔と供に。
「ルミナ……」
タクミはその女の子と一緒にガラスを細工した。
すると、すごくガラスが加工しやすくなった。
ガラスを炙るのは、彼女のルビーの爪から発する炎。
「そっか、アルミナか!」
「ようやく思い出したな。そうだ、アルミナを混ぜるとガラスが柔らかくなって加工しやすくなる」
そうだったのか、とタクミは納得する。
ルミナの炎でガラス細工がしやすかったのは、理由があったのだ。
ルミナ。
赤い髪の女の子。
髪の毛を撫でると気持ち良さそうに頷いてくれた。
また撫でてあげたいと想いとともに、とても重要なことにタクミは気がつく。
右手の手首から先が無くなっているのだ。
「ああああああっーーーーーー!」
叫び声とともに、タクミは目を覚ました。
がばっと体を起こす。
そこは病室のようなベッドの上だった。
タクミが右手を見ると、グルグルと包帯が巻かれている。どうやら本当に右手首から先が無くなっているようだ。
「タクミ!」
懐かしい声の主に、タクミはいきなり抱きつかれる。
赤い髪の女の子――ルミナだった。
「ここはどこ? ルミナ」
「ここは病院よ、日本の」
それってどういうことだ、とタクミは思う。
ルミナはジオ族の娘。日本になんて来れないはずだ。
それにタクミはどうやって日本に戻ってきた? 全く記憶がない。
しかしそんな疑問よりも、まず最初にルミナに伝えたいことがあった。
「ルミナ。分かったんだよ、君の炎でガラスが細工しやすくなった理由が!」
その言葉を聞いて、ルミナは可笑しくなった。
この人は、本当にガラス細工が好きなんだと。
自分の手首よりも、ガラス細工のしやすさの方が大事な人なんだと。
「君の右人差し指の爪ってルビーだろ? ルビーの主成分はアルミナなんだよ。だからガラスが細工しやすくなったんだ」
クスクスと笑うルミナ。
そしてそんなことはどうでもいいと思う。
だってここはジオでもリナでもなく、日本なのだから。
「ごめんね、タクミ。私はもう、炎は出せないの」
そう言いながら、ルミナは包帯で巻かれた右人差し指を突き出した。
「どうしたんだよ、その手?」
「爪を剥いだの、自分で。だってね、ジオ族のままだと日本に行けないって言われたから」
――爪を剥いだ?
タクミは自分の耳を疑う。
それは自分と一緒に日本に来るために?
涙がポロポロとこぼれてくる。こんな自分のために、女の子が自分の爪を剥ぐなんて、あってはならないことだ。
「ゴメン、ルミナ。痛い思いをさせてしまって……」
タクミは左手でルミナの右手首を握りしめた。涙が後から後から出てくる。
「もう痛くないから大丈夫。タクミと一緒に日本に来るためだもん、そんなの一瞬よ。それよりもタクミの方が大変じゃない。右手首を失っちゃったんだから」
そしてその柔らかな左手で、タクミの右手をさする。
タクミは濡れた目のままルミナの瞳を見つめる
「後悔してない? ジオ族であることを捨てちゃって」
「いいのよ、私なんてジオ族の出来損ないなんだから。十本の爪が全部結晶だったら、剥がすの大変だったわ」
「そんなこと言うなよ」
「それにね、私嬉しいの。タクミのような柔らかい手になれて。タクミに頭を撫でてもらったの、嬉しかった……」
「いつでも撫でてやるよ」
「うん、ありがとう……」
タクミは左手でルミナを抱きしめる。
その時だった。
タクミの背後からゴホンと咳払いが聞こえてきたのは。
振り返ると、ガラスのウサギが二匹、テーブルからタクミたちを見つめていた。
「ボク、恥ずかしくなっちゃったよ」
その声はリナリナだ。そしてもう一匹は――
「そういうのって、私たちがリナに帰ってからにして欲しいよね」
ユーメリナだった。
「タクミはね、魔王様を守ろうとして、勇者に手首を切られちゃったんだよ。去年、ボクが日本から召喚した人に。本当に申し訳ないよ」
「なんでもね、勇者は魔王を退治しなくちゃならないって、思い込んでいたんだって」
それからタクミは、事の詳細を聞くことになった。
魔王の退治を企んでいた勇者は、一年間、結晶の森に隠れて機会をうかがっていたという。そして魔王カップのタイミングで魔王城にもぐりこみ、玉座の間が真っ暗になった隙に魔王に近づいた。そして切りかかったところ、タクミに邪魔されてしまったのだ。
「その直後、タクミはボクが日本に戻したんだ。重症だったからね。タクミは道端で意識を失っているところを病院に運ばれた。ひき逃げの被害者――という扱いでね」
「それでね、ルミナが勇者へ反撃したの。それはすごかったんだから、愛の力ね」
ルミナは真っ赤な顔でうつむいている。
「でもその攻撃を魔王様が止めた。殺してしまったら、何も分からなくなっちゃうからね。そして罰として、彼から日本に戻る権利を奪ったんだ」
そこから先の経緯はタクミにも予想がついた。
なぜなら、日本に来れるはずのないルミナがここにいるのだから。
ジオ族の象徴であるルビーの爪と引き換えに、勇者から奪った日本に来る権利を魔王から貰ったに違いない。
「だからルミナのことよろしくね。ボクたちはもう戻るから」
「ガラスの技術を教えてくれてありがとう。私たちが勝てたのはタクミのおかげよ。リナを代表してお礼を言うわ。あと、さっきのアルミナ情報も使わせてもらうわね。じゃあね!」
すると二匹のガラスのウサギから、青白い光が抜けていく。
「ついに私たちだけになっちゃったね」
「ああ、そうだな……」
「そうそう、私が日本に来るときね、サファイア様がお土産をくれたの」
そう言いながらルミナはバッグから取り出した。魔王カップでサファイアが作った、あのワイングラスを。
「これ、すごいぞ。サファイアガラスは高級品なんだ。日本なら何十万って値段がつく」
「それで入院費が払える?」
「いやいや、おつりがくるかもよ」
「じゃあ、それで日本中を回りましょ? ガラス細工をしながら。私がバーナー、そしてタクミが吹くの」
「バーナーワークは難しいぞ」
「一生懸命練習する。私、タクミの右腕になりたいの」
愛おしくなってタクミはルミナを抱きしめた。
そして二人はそっとキスを交わすのだった。
おわり
ライトノベル作法研究所 2020夏企画
テーマ:『炎』と『癒し』と『挑戦者』
家族連れが集う日曜日の広域公園に、活きの良い若い男性の声が響く。
「ガラスでウサギを作ってみるからね~」
声の主、十八歳の少年タクミは、芝生広場の真ん中で金属の棒を右手で高々と宙へ突き出した。
それはステンレス製のパイプ。先端に透明の塊が付いている。
「この先っぽに付いているのが、ガラスです!」
タクミがパイプを陽にかざすと、ガラスがキラキラと輝いた。
それを見た子供たちが、一人また一人と集まってくる。
「次に秘密兵器を取り出します」
タクミはしゃがみ、地面のバッグから金属製の筒を取り出した。
それは小型ボンベ。カセットコンロでよく使うタイプで、先端にトーチバーナーが付いている。
一五〇〇度の炎を作り出せるタクミの愛用品だ。
「そして――火をつけます!」
抑揚をつけた声とともに、タクミがトーチバーナーの根元の引き金を引く。
「おっ!」
子供たちが小さく驚きの声を上げる。ゴーという激しい空気音とともに青白い炎が誕生した。
「それではこれから、ガラスに炎の魔法をかけてみるよ!」
タクミはパイプを口に咥え、左手で支えながら前へ突き出す。同時に右手のトーチの炎を近づけ、パイプの先端のガラスを炙り始めた。
熱せられるガラス。一〇〇〇度を超える熱で真っ赤に色が変わっていく。
やがてガラスは、どろりと変形し始めた。
ここからがタクミの真骨頂。
ガラス芸人としての腕の見せ所だ。
というのも普通、ガラス細工はバーナーを固定して、ガラスの方を動かして行う。
が、タクミはパイプを咥えて、右手のバーナーを自在に動かしてパフォーマンスできるのだ。それはまるで、炎でガラスに魔法をかけるように。
真っ赤になったガラスが変形すると、タクミは左手でパイプを回しながら息を吹き込む。
「おおっ!」
するとガラスはぷうっと膨らみ始めた。
息を吹き続けるタクミ。
その圧力で、炎で柔らかくなったところだけが変形していく。
熱せられて変形する部分、そして冷えて硬くなる部分――絶妙なバランスを保ちながら、次第にガラスは形を成していく。
それを支えているのは、タクミの人並外れた肺活量だった。
拳くらいの大きさのガラスの膨らみが誕生したかと思うと、バーナーで炙った場所から小さな膨らみがニョキニョキと生えてきた。しかも細長いのが二本。
その過程を、子供たちは息を飲んで見守っている。
小さな目と口を刻み、可愛らしい丸い尻尾が生えてきた。
「はい、出来上がり! ガラスのウサギの完成だよ!」
パイプを口から外し、先端のウサギを子供たちの前にかざす。
タクミがパイプを回すとウサギはキラキラと輝いた。
「すごい、ホントだ!」
「ガラスのウサギ、可愛い!」
歓声とともに子供たちから拍手が湧き起こり、青く澄んだ空に広がっていく。
そんな晴れた日曜の公園が、タクミは大好きなのだ。
タクミは作ったばかりのウサギを地面に置き、マットを敷いてバッグの中からガラス細工を並べ始めた。
「他にもいろんな動物があるからね」
――ウサギ、イヌ、ネコ、ゾウ、そしてキリンたち。
「遊び終わったら、お父さんやお母さんと買いに来てね! お兄さん、しばらくここにいるから」
「うん、絶対買いに来る!」
「お母さん、連れてくる!」
こうして子供たちはバラバラと公園に散って行った。
子供たちの後ろ姿を眺めながら、タクミは地面に腰を下ろす。
「今日もいい天気だなぁ……」
見上げると、どこまでも青い空に、ぽっかりと一つ白い雲が浮かんでいる。
タクミはバッグの中からガラス製のオカリナを取り出した。奏でるのは、遠い異国の音楽だ。
草の上でまったりとたたずむ午後。ガラスを震わせる曲が青空にすうっと溶けていく。
全国各地を転々としながら、ガラス細工を売って生計を立てている。タクミはそんな、大道芸人顔負けのガラス細工職人だった。
◇
「ねえ、さっきの曲、もう一回聴かせて?」
一曲吹き終わって芝生に寝転んだタクミに、可愛らしい声のリクエストが飛んできた。
「寝転んだままでもいい? 今日はとっても気持ちがいいから」
「うん、いいよ」
タクミはオカリナを顔の前にかざす。
抜けるような青空。陽を浴びて輝くオカリナ。この曲が生まれた異国にもこの空は繋がっている。
そんな見知らぬ国に想いを馳せながら、タクミはオカリナを口に当てた。
目を閉じてメロディを奏で始めると、小さな声もうっとりと呟く。
「懐かしいなぁ。ボクの故郷の曲みたい」
この曲は日本のものじゃない。一体どんな子供が聴いてくれているんだろう、とタクミは不思議に思う。
「ねえ、タクミ。僕の故郷に来てみない?」
えっ!? と驚いてタクミは曲を奏でる手を止めた。
確かに今、「タクミ」と呼ばれた。見知らぬ子供に。なんでこの子は名前を知っているのだろう?
「誰?」
タクミは体を起こして辺りを見回してみる。が、誰もいない。
「ボクだよ、ボク」
誰もいないのに声だけが聞こえてくる。
「隠れてないで、出ておいでよ」
と言ってみたものの、隠れる場所はどこにもないのだ。
「ここだよ、ここ。それよりも、お腹のパイプを切り離してくれないかな?」
声の主は、なんと先ほど作ったガラスのウサギだった。
「えっ、マジで!?」
驚きながらもタクミはバッグの中からヤスリを取り出し、恐る恐るガラスのウサギを手に取った。
精魂こめて作った作品には魂が宿る――と言う。
が、どう見ても、ただのガラスだ。タクミが先ほど子供たちの前で作ったウサギ。
ホントにこのウサギがしゃべったんだろうか、と半信半疑でウサギをパイプから切り離すと、ウサギはタクミの手からぴょんと飛び跳ね、芝生の上に着地した。
「あー、すっきりした。ありがとう上手に作ってくれて!」
ペコリとお辞儀をするウサギ。
一方、タクミは頬をつねっている。これは夢だ、絶対夢なんだと。
一生懸命作ったとはいえ、そのガラスのウサギが動いて、しかも言葉を話すなんてありえない。
「そんなに驚かなくてもいいよ。ボクの名前はリナリナ。ガラスの丘リナから来たんだ」
青白き燐光に包まれるウサギ。
ガラスの内面から何かが湧き出している――そんな風にタクミは感じていた。
ウサギのリナリナは、タクミに向ってニコリと微笑む。
「何でボクが動いて見えるか教えてあげるよ」
タヌキに化かされたような顔をしながら、タクミはうんうんと頷いた。
「まずはタクミ、ガラスって透明だよね?」
「ああ、そうだね」
「でも、ガラスって見えるよね? それは何で?」
なんか、どこかのクイズ番組みたいだなぁと思いながらもタクミは答える。
「ガラスが光を反射してる……から?」
「その通り。今ね、このガラスの内側はボクの故郷のリナに繋がっているんだ。だから、リナからの光でボクが動いて見える。ガラスが震えるから、声も聞こえる」
ふーん、とすぐに納得できるわけではなかった。
だってガラスのウサギが動いて、しかも言葉をしゃべっているのだから。
でもタクミには確かに見え、確実に声は聞こえるのだ。それなら納得せざるを得ない。
――ボクの故郷のリナ。
タクミは今、猛烈に魅力を感じている。ガラスのウサギの故郷に。そして今、この世界と繋がっていることに。
「リナリナ、って呼べばいいのかな?」
「いいよ、タクミ」
「さっき君は、故郷に来ないかって言ったよね?」
「言ったよ」
「なんで?」
「タクミのガラス細工の技術が、リナに必要だから」
嬉しさで思わずタクミはにやけてしまう。
――見たことも行ったこともない国が、自分の技術を必要としてくれる。
それはタクミにとって光栄なことだった。
「そのリナってところに、どうやったら行けるのかな?」
「今ならボクに触れば行けるよ。青白く光っているのは繋がっている証拠だから。というか、タクミを招待するためにボクは来たんだよ」
それならば、とタクミは思う。
どうせ自分は住居を持たない流浪のガラス職人だ。今日の宿もまだ決めていない。
道具も旅支度も全部、目の前のバッグに揃っているし、ガラス細工の知識、つまり亡き師匠の教えはすべて頭の中に入っている。ガラスの原料だって、ほとんど現地調達でやってきた。たとえリナが異世界であっても、何とかやっていけるに違いない。
「じゃあ、リナに連れて行ってくれるかい? リナリナ」
「いいよ。じゃあ、ボクに触って」
タクミはバッグを肩にかけ、恐る恐る右手の指をガラスのウサギに伸ばす。
人差し指がリナリナに触れた瞬間、タクミの体は青白き光に包まれた。
こうしてタクミの、ガラスの丘リナへの旅が始まった。
◇
光の眩しさで目を閉じると、タクミの体は浮遊感に包まれる。
その刹那、どしんとお尻から地面に落下。
ゆっくりとタクミが目を開けると、そこは暗闇の世界だった。
「真っ暗だよ、リナリナ。君の故郷は今、夜なの?」
それになんだか肌寒い。お尻も冷たく、周囲全体が湿っている感触にタクミは困惑する。確か日本は夏だった。
「いや、リナも今は昼間のはずなんだけど……」
リナリナがぴょんぴょんと辺りを飛び跳ねる。青白き光を放ちながら。
その薄っすらとした光で見える情報から判断すると、タクミたちの周囲は岩に囲まれているようだ。
「あっ、あーーーっ!」
試しにタクミは宙に向って声を発してみる。
すると、周囲から直ちに音の反射が返ってきた。
肩にかけたバッグを押さえながら立ち上がると、踏み出した右足でぴしゃりと水の音がした。
それらが示していることは――。
「もしかして洞窟の中なんじゃないの? リナリナ」
「そうかもね。ちょっと調べてみるよ」
リナリナはぴょんぴょんと岩を伝って跳んでいく。
すると突然、前方の暗闇のから怒りを帯びた声が飛んで来た。
「ちょっと、誰? あんたたち、うるさいよ!」
そしてボッと赤い色の炎が灯る。タクミの十メートルほど前方に。
ゆっくりとタクミに近づいてくる炎。
声の主をほのかに照らしながら。
それは赤い髪の少女だった。
太めの眉、切れ長の瞳。
通った鼻筋に、唇はキッと結んでいる。
ショートの赤髪の先端はゆるくカールして、ゆったりとした長袖のラウンドネックに身を包んでいる。
それよりもタクミが驚いたのは、彼女が体の前にかざす右手の人差し指だ。
真っ赤な爪の先から、同じく真っ赤な炎が揺らめいていた。
「久しぶり、ルミナ!」
リナリナが嬉しそうに飛び跳ねる。
「その声は……リナリナ?」
怒りをまとっていた少女の表情が緩んだ。
するとリナリナは岩伝いに飛び跳ねて、ルミナと呼ばれた少女の左の掌に乗った。
「何? 今はウサギやってんの?」
「これ、タクミが作ってくれたんだよ。ガラス職人で、リナのために日本って国から一緒に来てくれたんだ」
すると少女は左手のリナリナを舐め回すように観察した。
「へぇ、なかなか可愛いじゃん」
「でしょ?」
「ていうか、薄っす。どうやったらこんなに薄くガラスを加工できるのよ」
「それを教えてもらうためにタクミを呼んだんだよ。すごい技術だよね」
すると少女は目を細めた。
「いやいや、それだけじゃないでしょ? ま、まさか、アレの代表として――」
「しっ! それはまだ内緒。村長にはこれから話すんだから……」
狭い洞窟の中だ。
ルミナと呼ばれた少女とリナリナの会話は、タクミの耳にも入ってしまう。
どうやらタクミのリナへの招待には、いろいろな思惑が絡んでいるらしい。
それを教えてもらいたいタクミは、ゴホンと一つ咳払いする。
少女の視線がタクミを捉える。
その瞳からは邪魔者を蔑む光は消え、尊敬にも似た潤いを帯びていた。
「さっきはゴメン。思わず怒鳴っちゃって。このガラス細工はすごいわ、感動しちゃう。さすがはリナリナが連れてきた人ね」
少女がタクミに向って一歩踏み出した。
「私はルミナ、ジオ族の娘。よろしくね」
少女は右手を差し出す。
赤き炎を灯しながら。
「ダメだよ、ルミナ。日本人の手は、その温度には耐えられないんだ」
「えっ、そうなの?」
慌ててルミナは炎を消す。すると辺りは真っ暗になった。
代わりにリナリナの青白き光がぼおっと辺りを照らし始めた。その燐光に照らされたルミナの笑顔に、タクミは息を飲んだ。
(なんて素敵な笑顔なんだ……)
彼女の顔に見とれながら、タクミも自己紹介する。
「僕はタクミ。こちらこそよろしく」
二人の挨拶が終わると、リナリナが辺りを見回した。
「ところでルミナ。ここはどこ?」
「ここは結晶の森(クリスタルフォレスト)の鍾乳洞の中よ」
「ええっ、結晶の森に来ちゃったの? リナに飛ぶはずだったのに」
「またやっちゃったの? 相変わらずね、リナリナは」
くすくすと笑うルミナ。
どうやらリナリナは天然らしい。
そんなルミナとリナリナの会話を、タクミは興味深く聞いていた。
「それで何やってたの? ルミナはここで」
「えへへ、何だと思う?」
「まさか秘密の特訓!? 今年のジオの代表ってルミナ――とか?」
「そんなことあるわけないでしょ? こんな出来損ないにジオの命運が託されるはずないもの。今年も代表はサファイア様よ」
「やっぱり、そうだよね……」
するとルミナは右手を高く上げて人差し指に赤い炎を灯し、洞窟の壁を照らす。
「この鍾乳洞の石にはね、青珠石が含まれてるの。今はちょうど午後三時前だしね」
「えっ? それって……」
「そうよ、こっちに大きな池があるの」
ルミナはリナリナを左手に乗せたまま踵を返し、鍾乳洞の奥へ歩いて行ってしまった。
タクミは慌てて二人を追いかける。
「ちょっと僕にも教えてくれよ。何が何だかさっぱり分からないよ」
「説明は後でするから、とにかくボクたちについてきて。もう三時になっちゃう」とリナリナ。
何だよ、冷たいなぁとタクミは二人の後をついて行く。
十メートルくらい歩くと広い場所に出た。
ルミナは歩みを止める。そしてタクミを振り返り、隣に来るようにと手招きした。
タクミは彼女の右隣に立つ。そして目の前に広がる景色に息を飲んだ。
幅が三十メートル、高さは五メートルはあるかと思われる空間。目の前には大きな池が広がっている。
その池全体が、青白く光っているのだ。
まるで無数の青いホタルが、池の中で泳ぎながら発光しているかのごとく。
「さっきも言ったけど、ここの鍾乳石には青珠石が含まれているの」
ルミナは隣に立つタクミに語りかける。
「青珠石はね、午後三時になると青珠の粒子を放出するんだよ」とリナリナ。
「それが水と反応すると青白く光るの。こんな風にね」
幻想的な風景だった。
全国を旅したタクミの十八年の人生の中でも、こんな景色は見たことがない。
暗闇の中、足元に広がる無数の青白い点。それを見下ろすタクミたちは、まるで宇宙に浮いているようだった。もし青い街灯の街があるならば、夜空の上からの景色はこんな風に見えるに違いない。
「ねっ、癒されるでしょ?」
ルミナがタクミを向く。
隣に並んで初めて分かったが、身長は二人ともほぼ同じ一六〇センチくらい。
青白い光に照らされた彼女に、タクミはドキリとする。
(なんて可愛いんだろう……)
この景色も素晴らしいけど、今はルミナの顔をずっと眺めていたい――とタクミの心が叫んでいた。が、幼少の頃から師匠と修行に励んでいた彼に、そんなセリフはとても思い浮かばない。
「う、うん……」
しどろもどろに、そう言うのがやっとのタクミ。
再び前を向いて、景色を目に焼き付ける。
(素晴らしい景気、そして隣のルミナ……)
そんなタクミの幸せな時間は、すぐに終わりを迎える。池はその中の光を次第に失っていく。
辺りが完全に暗闇に包まれる前に、ルミナは人差し指に炎を灯した。
「今日も素敵だったなぁ……。じゃあ、戻ろっか」
左手にリナリナを乗せたままルミナはタクミを向く。
赤い光に照らされた彼女もまた魅力的だった。
ルミナの後ろについて五分くらい歩くと、鍾乳洞の出口が見えてくる。
眩しさでくらんだタクミの目が慣れてくると、出口の前には深い森が広がっていた。
鍾乳洞からは先ほどの池を水源とする小川が流れ出しており、出口では小さな滝となってせせらぎを形成している。この流れが、目の前の森を潤しているのだろう。
「ここから西に少し歩くと魔王城が見えてくるから、そこまで案内するわ。リナリナなら、その先の道は分かるよね」
ルミナの提案に、リナリナは鍾乳洞を振り返った。
「うん、それでいいよ。それにしても結晶の森にこんなところがあるなんて、ボク知らなかったよ」
「ここはね、ジオ族の中でも数人しか知らないの。だからリナの人には内緒だよ? 私のお気に入りなんだから」
「わかったよ、ルミナ」
鍾乳洞の中では分からなかったが、ルミナはゆったりとしたサロペットデニムにトレッキングシューズという恰好だった。
タクミには分からないことだらけだった。
ジオ族とか結晶の森って何だろう?
しばらく歩くというのなら、詳しく聞いてみたい。
「ねえ、二人に教えて欲しいんだけど、ジオ族とか結晶の森って何?」
するとリナリナがぴょんと飛び跳ね、タクミの肩の上に乗った。
「この地方にはね、二つの村があるんだ」
タクミはリナリナの話に耳を傾ける。
「魔王城を挟んで西の海沿いの村が『ガラスの丘リナ』、東の森の村が『結晶の森ジオ』なんだよ」
――ガラスの丘リナと、結晶の森ジオ。
二つの村が隣接する世界。
それにしても『ガラス』と『結晶』だなんて、なんとも対照的な取り合わせだとタクミは思う。
「二つの村の間に境界はなくて、ポツンと魔王城があるだけなんだ。そして、ここは『結晶の森』。ボクは『ガラスの丘』に行こうとしたんだけど、間違ってこっちに来ちゃったみたい」
「リナリナってそういうとこ、あんだよね~」
ルミナが振り向きながらリナリナをからかう。
「だから、それは言わないで」
リナリナがちょっとだけ赤くなった。
「それでジオ族というのは?」
「リナの住民がリナ族、ジオの住民がジオ族。ボクはリナのガラスの精霊だけど、ルミナはジオ族の女の子なんだ」
――リナ族とジオ族。
住んでいる場所が違うだけなのだろうか?
ルミナの人差し指の爪が真っ赤だったり、炎を出せることもタクミは気になっていた。
「リナ族はね、素手でガラスの細工ができるの。一方、私たちジオ族は、素手で結晶を育成できる」
「ええっ!?」
タクミは驚いた。
――ガラス細工と結晶育成。
それが素手でできるとはどういうことなのだろう!?
「ガラス細工も結晶育成も一〇〇〇度を越える熱が必要なんだよ。それが素手でできるって!?」
「だからそういうことなんだよ、タクミ。ボクたちリナ族は、両手を二〇〇〇度まで加熱して、ガラスを熔かすことができるんだ」
「一方ジオ族は、両手を二〇〇〇度まで加熱してその中で爪と同じ結晶を育成することができるの。残念ながら私には無理なんだけどね」
そう言いながらルミナはタクミに爪を見せる。
「ほら、私の爪は人差し指だけなの、結晶で出来ているのは。結晶を育成できるジオ族は、すべての爪が結晶でできてる人だけ」
そしてルミナはうつむいた。
「私はね、ジオ族の出来損ないなの……」
一行はどんよりとした雰囲気に包まれる。
タクミには、ルミナに掛ける言葉が見つからない。彼女がどんな風に育ってきたのかが想像できるから。
学校にも行けず、ガラス細工だけで生きてきた異端児のタクミには、それが痛いほど伝わってきた。
「でもね、ルミナはその指先から炎を出せるんだよ」
暗い空気を破ったのはリナリナだった。
「炎を出せるって、他のジオ族には出せないの?」
タクミが訊くと、ルミナは顔を上げる。
「うん。他の人にはできない。きっと結晶を育成するための力が、右人差し指だけに集中しちゃったんだわ」
そしてルミナは右人差し指を顔の前にかざす。
――美しい紅の結晶。
タクミはその素材が気になっていた。
「もしかして、それってルビー?」
「正解。やっぱりすごいね、タクミは。一発で当てちゃうなんて」
驚きの表情を見せるルミナに、タクミは照れてしまう。
「ほら、ガラスも結晶もどちらももともと石だろ? 急に冷やすとガラスに、ゆっくり冷やすと結晶になるんだ。だから時間がかかる結晶ってすごいなって、前々から思ってたんだ」
するとルミナは、自分のルビーの爪を見つめる。
「ホントはね、全部の爪がルビーで生まれてきたら良かったんだけどね。そしたらこの手の中でルビーが育成できるのよ。イメージ次第でどんな形にもできちゃうんだから」
それはすごい、とタクミは思う。
「もしかして、ルビーのウサギも作れちゃう?」
「訓練次第ではね」
「へぇ……」
――ルビーのウサギ。
そんなものが作れるのなら見てみたいとタクミは思う。
紅く輝くウサギを想像するタクミの表情。その眩しさにルミナは再び下を向いた。
「やっぱり、そういう女の子の方がいいよね……」
助け舟を出したのはリナリナだった。
「全くタクミは!」
そして肩の上からタクミの首筋をつつき始める。
「痛たたた。やめろよ、リナリナ」
「反省するのはタクミの方だよ。乙女心がわかってないんだから……」
ようやくルミナの様子に気づいたタクミ。「ゴメン」と謝りながら、ルミナの人差し指に手を伸ばした。
「ちょ、ちょっと……」
いきなりタクミに右手を掴まれて、ルミナは動揺する。
「やっぱすごいよ、爪がルビーなんて。この指にすべてのパワーが集まるんだろ?」
「うん……」
ルミナは驚いた。タクミの手はなんて柔らかいんだろうと。
ジオ族は誰も、こんなに柔らかい手を持っていない。
ずっとタクミの手に触れていたい。そんなルミナの想いを中断させたのは、リナリナの声だった。
「見えてきたよ、魔王城!」
「これが魔王城……?」
タクミはルミナの手を放し、魔王城に目を向ける。
そして思う。想像していたものと全く違う――と。
魔王城と呼ばれたその城は、決してまがまがしいものではなく、物語の主人公が住んでいるような美しいお城だった。
「魔王様、元気かな……」
城を眺めながらうっとりするルミナの呟きに、タクミは自分の耳を疑う。
「元気かなって、魔王だろ? 恐くないの?」
正直言って、タクミは不安だった。
この先ルミナと別れて、リナに無事にたどり着けるのかどうか。
だって目の前に魔王城があるのだから。魔獣に襲われたり拉致されたらたまらない。
すると突然、リナリナが笑い出す。
「そんなに顔を引きつらせなくてもいいのに、タクミ」
「笑うなよ。リナリナだって恐くないのかよ? だって魔王だよ。城には魔獣もいるんだろ?」
「ちょ、ちょ、ちょっと、タクミは何か勘違いしてない?」
今度はルミナがタクミの顔を覗き込む。
「ここの魔王様は、魔法が得意なイケメンの王子様で、あの城に一人で住んでるんだから」
「えっ!?」
タクミは絶句した。
「ちょっと確認したいんだけど、タクミはどんなイメージを持ってるの? 日本って国にも魔王様がいるのよね?」
ルミナに訊かれててタクミは考え込む。
だって、タクミはそんなに詳しくはないから。
「日本に魔王はいない。アニメやマンガだけの話なんだ……」
師匠と一緒に日本全国を渡り歩いていたタクミは、アニメや小説に触れる機会はほとんどなかった。あるのは各地の宿に置いてあるマンガだけ。
「マンガの中の魔王って悪いやつなんだ。悪魔の王様で、魔獣を操って世界を滅ぼそうとしてる」
するとリナリナが納得したような口調で答えた。
「そっか、日本じゃ魔王様ってそんな存在なんだ。だからボクが去年連れて来た――ってそんなことはどうでもいいんだけど、ここの魔王様はとってもいい人なんだよ。悪魔の王様じゃなくて、魔法の王子様だもんね」
「魔王様って女の子の憧れなんだから……。魔王様に認められて、魔王城にお嫁に行きたいって」
うっとりと城を見つめるルミナのことを、やっと理解できたタクミだった。
「それにね、毎年魔王カップが開かれてて、勝った部族には豊作の魔法をかけてもらえるのよ」
「だめ、ルミナ。それってまだ内緒なんだから」
「ゴメン、リナリナ……」
リナリナのツッコミに、ルミナはペロッと舌を出す。
その仕草はとっても可愛らしかったが、タクミはなんとなく納得していた。その魔王カップに出場するために、タクミが招待されたのではないか――と。
でも、突然やってきた少年がいきなり出場できるわけがないと、タクミは思っていた。
「ありがとう、ルミナ!」
道の分岐に着くと、リナリナがルミナにお礼を言う。
もう陽は傾き始めていた。魔王城が境界というのであれば、リナまでの道のりはまだまだ長いのだろう。
「じゃあね、リナリナ。タクミも頑張ってね!」
別の道を進むルミナが、タクミたちに向かって手を振る。
ここから西側が、タクミたちが向うガラスの丘リナ。そして東側がルミナの住む結晶の森ジオだ。
「今日はありがとう。今度ゆっくりルビーを見せてね!」
タクミもルミナに手を振る。
こうしてやっとのことで、タクミは『ガラスの丘リナ』に入ったのだった。
◇
タクミ一行がリナの街の入口に着くと、辺りは暗くなり始めていた。
夜の帳が降りるにつれて、街道の両側に点々と散らばる家が光り出す。
不思議に思ったタクミが家に近寄ってみると、その理由が分かった。それぞれの家はレンガではなく、ガラスのブロックを積み上げられて造られていたのだ。すりガラスになっているので中は見えないが、家から漏れ出す光で街が照らされている。
――夕暮れのゆったりとした丘に散らばる、光を灯す家々。
なんて幻想的な風景なんだとタクミは思う。
「さすが、『ガラスの丘リナ』の名は伊達じゃない」
こんな家や街は見たことがない。ガラスに長年関わってきたタクミでさえも。
この街でこれから起きる出来事に、タクミは胸を踊らせる。
リナリナの案内で、一行はまず村長の家を訪問した。
村長というのだから大邸宅――と思いきや、周囲の家々とさほど変わらない。
タクミの肩から飛び跳ねたリナリナは、ドアノブの上に乗ってノックする。
すると一人の若い女性がドアから顔を出した。リナリナは再びタクミの肩に飛び乗る。
黒い長髪に少したれ気味の大きな瞳。
丸っこい鼻に薄い唇が愛らしい。
年は二十歳くらいだろうか。タクミより明らかに年上で、背も若干タクミより高かった。
水色のゆったりとしたワンピースに白いエプロンを付けているのは、夕飯の準備中だったのだろう。
それよりもタクミが目を奪われたのは、彼女の豊かな胸。エプロン越しでもその存在を主張している。
「戻ってきたよ、ユーメリナ!」
リナリナの声に、ユーメリナと呼ばれた女性はタクミの肩に目を向ける。そしてガラスのウサギに目を丸くした。
「まぁ、可愛い! ウサギにしてもらったのね、リナリナ」
するとリナリナはぴょんとユーメリナに向かって飛んだ。彼女が慌てて出した左手の上に着地。
「今回ボクが連れてきたのはこの人。名前はタクミ。このウサギもね、タクミが作ったんだよ!」
「へえ〜、今年はずいぶん若い人を連れてきたのね。というか、これ軽っ! ホントにガラスなの!?」
ユーメリナは丸くした瞳をさらに大きくする。
そしてリナリナに目を近づけて、まじまじと観察し始めた。
「すごい技術でしょ? これなら村長さんも喜んでくれるよね?」
「もちろん。これを作れる人なら、パパも大喜びだわ」
するとユーメリナは姿勢を正してタクミを向き、右手を差し出した。左手にリナリナを乗せながら。
「自己紹介が遅くなってごめんなさいね。私はユーメリナ。リナの村長の娘なの」
「僕の名前はタクミ。日本から来ました。よろしくお願いします」
そしてタクミはユーメリナと握手する。
「んっ!?」
ユーメリナの手の感触にタクミは驚く。
(なんて硬い指なんだ!?)
それはまるで、石で造られているよう。ルミナの手も硬かったが、ここまでではなかった。
「まぁ、柔らかい!」
同時にユーメリナも驚いていた。
そして握手を何度も繰り返す。
「タクミの手ってなんて柔らかいの!? ずっと触っていたい……」
初めて会った女性に手を撫でられる。もちろんタクミにとっては初めての体験だ。
女性に接する機会がほとんどなかったタクミは、うっとりとするユーメリナの表情になにか複雑なものを感じていた。
「村長さんは在宅?」
リナリナが訊くと、はっと我に返ったようにユーメリナは手を引っ込めた。よほどタクミの指の感触が良かったのだろう。ほんのり頬も赤くなっている。
「どうぞ中へ。父にお会い下さい。その間に夕食の準備をしますね」
こうしてタクミは、リナの村長に会うこととなった。
村長は、白い髭を蓄えた優しそうな人だった。
彼もリナリナを見て目を丸くする。
「これを? 君が!?」
その言葉は、タクミが一瞬で村長に認められた証拠。
「ぜひこの技術を、リナに広めてほしい」
タクミもその依頼を一瞬で承諾した。もともとそのつもりでリナに来たのだから。
村長との会談が終わると、タクミは夕食に呼ばれる。
初めての異世界体験でお腹はペコペコだ。
テーブルを囲むのは村長夫妻と娘のユーメリナ、そしてタクミの四人。もちろん食器は皿からスプーン、フォークまですべてガラス製だった。
「明日からのタクミさんの案内をユーメリナに任せる。タクミさんも、ユーメリナに何でも訊いて欲しい」
村長の提案に、ユーメリナが静かに会釈する。
「よろしくね、タクミ。あと当分の間、うちの離れに住んでもらうわね」
エプロンを外したユーメリナも可愛らしい。お母さんと一緒に作ったという夕食も、タクミの舌を唸らせるほど美味しかった。
「よ、よろしくお願いします!」
明日からのリナでの生活。タクミは希望で一杯だった。
◇
「うわぁ、めっちゃ景色いいじゃん!」
朝起きて窓のカーテンを開けたタクミは、その風景に驚いた。
――なだらかに広がる丘の街と、その向こう側に広がる青い海。
ガラスの丘リナは名前の通り丘の街で、その西側は海に面している。そしてタクミが泊まった離れからは、海に続く街並みと港が一望できるのだ。
「いいところでしょ? ボクの故郷は」
「ああ、あの曲にぴったりの風景だよ」
リナリナもしばらくの間、タクミと一緒に生活することになった。
そんな美しい景色だったが、タクミは一つ気になっていた。
一面に広がる丘の大部分は緑の草に覆われていたが、所々にゴツゴツとした岩が露出していたからだ。それはそれはとても硬そうな岩が。
「もしかして、あの石は!?」
予感は的中した。
離れのドアを開けて外に出ると、目の前にもその岩が露出している。それは赤っぽい石、灰色の石、そして真っ白な石が層状に重なる岩だった。
「やっぱりチャートだ!」
――チャート。
二酸化ケイ素を主成分とする堆積岩。
不純物の少ない白い部分は、珪石として使われることがある。つまりガラスの原料だ。
つまり、ここは正にガラスの丘。ガラスの原料の上に作られた街なのだ。
さらにリナ族は、両手を二〇〇〇度まで加熱できるという。
それは珪石を熔かすことができる温度。
食器やブロック、それらすべてがガラスで出来ているのは必然なんだ、とタクミは納得した。
「あら、もう起きてらっしゃったのね」
掛けられた声にタクミが振り向くと、朝食のトレーを持ったユーメリナが母屋から歩いて来るところだった。
「いやいや、この家、起きるなって言われる方が難しいよ」
それもそのはず、ガラスのブロックで造られた家の中はすぐに朝陽で満たされる。
カーテンが引かれた窓より壁の方が明るい――という不思議な目覚めを、タクミは体験していた。
「それにしてもすごいよ、ユーメリナ。ここの石は全部珪石なんだね」
「さすがね、タクミは。一目で分かっちゃうなんて」
「珪石は全部現地調達してたからね。師匠の教え、というかポリシーだったんだ。この透明なところなんて、めちゃくちゃ純度が高くない?」
タクミは目の前の岩の一部分を指差した。
「その部分はね、高級なガラスに使うの。どうやって細工するか見てみたい?」
「もちろんだよ!」
ユーメリナの提案にタクミは瞳を輝かせる。
「じゃあ、ちょっと待ってて。朝食を離れに置いてくるから」
タクミの反応にユーメリナは確信する。
この人は本物だ――と。
普通の人なら「朝食を食べてから」と言うところだろう。なのにタクミは、今すぐにでも見たいと鼻息を荒くした。
そんなタクミにユーメリナが期待するのには理由があった。
というのも、昨年リナリナが連れてきた男は口だけだったから。いつまで経ってもガラス細工を始めようとしない。それどころか魔王城の存在を知ると、姿を消してしまったのだ。
「この人なら、今年の魔王カップに勝てるかも……」
離れのテーブルに朝食を置いたユーメリナは、袖をまくりながらタクミが待つ庭に出る。
「じゃあ、やってみるから見ててね」
ユーメリナは両手に力を込める。手を一〇〇〇度以上に加熱させているのだ。
その証拠に、両手はわずかに赤みを帯びてきた。
「こうやって手に熱を入れてから、珪石をすくい採るのよ」
「すくい採る!?」
珪石をすくい採るなんて聞いたこともないぞ、と耳を疑ったタクミだが、すぐに目も疑うことになる。
ユーメリナは庭の珪石を、いとも簡単に手ですくい採ったのだ。それはまるで、柔らかな地層から粘土をすくい採るように。
「ええっ!? それって珪石だよね。粘土じゃないよね?」
「そうよ」
タクミは庭の珪石を見つめる。
――この世界なら自分にもできるかも?
そんな気がして、タクミは珪石をすくい――
「痛ってぇ!」
採れなかった。やはり珪石は珪石だ。
だってカチカチなのだ。どんなに硬いハンマーで叩いても、砕くのにはかなりの労力が必要だろう。
それを手ですくい採ってしまうなんて、すごい能力だとタクミは思う。
振り返ると、ユーメリナはすくい採った珪石を両手でこねていた。これもまた粘土をこねるように。
珪石の融点はおよそ一七〇〇度。
きっとリナ族は会得しているのだろう。珪石を粘土のように変形させるちょうどいい温度を。
子供の頃から珪石をこねていれば、自然と身に付くに違いない。
「手でこねただけだから不細工だけど、できたわよ、お皿が」
ユーメリナが手の中のものを岩の上に置く。
それは綺麗に整形されていないとはいえ、正にガラスのお皿だった。
「まだ熱いから気をつけてね、タクミ」
離れの窓からリナリナの声が飛んでくる。
「日本人の手は、この温度には耐えられないんだよ。覚えておいて、ユーメリナ」
さらにユーメリナに忠告してくれた。
「えっ、そうなの? だからタクミの手はこんなに柔らかいのね」
そして彼女は嬉しそうにタクミの手を取る。ユーメリナの手はすでに常温に戻っていた。
「うーん、柔らかい! ぷにぷにして気持ちいいい!」
女性に「柔らかい」と手を握られる。
普通は逆じゃないかと、悦に浸るユーメリナの表情を眺めながらタクミは今日も複雑な気持ちに揺れていた。
朝食を食べると、ユーメリナに案内されてガラス工房を見学する。
それはタクミにとって、ガラス工房ではなく陶芸工房だった。
リナ族の職人は、素手で珪石を熔かし、粘土のようにこねる。そしてロクロを使って形を整形していくのだ。それは正に、日本でいう陶芸。
陶芸と大きく異なるのは、整形した後で焼く必要がないこと。なぜなら、冷えればそのままガラスのお皿やコップになるのだから。
その状況を見てタクミは納得する。リナリナや村長がタクミの技術を伝えて欲しいと言った理由を。
――吹きガラス。
それは熱したガラスを息で吹いて整形する手法。
公園でタクミがガラスのウサギを作った時に用いた技法だ。
最初、リナリナがその技術を伝えて欲しいと依頼した時、タクミは自分の耳を疑った。なぜなら、吹きガラスの技術はごく一般的なものだったから。
――ガラスの丘リナと呼ばれる土地なのに、吹きガラスの技法を知らないのか?
でも、それには理由があったのだ。
リナ族の人たちは、本当に吹きガラスの技法を知らなかった。だってその必要がないから。
日本人だって、粘土を口で吹いて陶芸を行う人は誰もいない。それと一緒だ。
「ねえ、タクミ。リナリナのガラスのウサギを作った技法を見てみたいんだけど」
一通り工房の見学が終わると、ユーメリナが切り出した。
「じゃあ、パイプはあるかな? 口に咥えられる太さで、ステンレスのやつ」
「ステンレス……って?」
タクミの要求に眉をひそめるユーメリナ。どうやらこの世界にはステンレスは存在しないようだ。
「ガラスのパイプならあるけど?」
「ああ、それでいい」
ここは何でもガラスなんだなと思いながら、タクミは腕まくりをする。いよいよ腕の見せ所だ。
工房の職人たちも、見学に集まってきた。
「はい、パイプ。この後、どうすればいい?」
「じゃあ、このパイプの先に赤く熔かした珪石をくっつけてくれるかな?」
「わかったわ」
ユーメリナは手で珪石をこね始め、手に力を込めて温度を上げ、ガラスを真っ赤な状態にする。そしてタクミが手にするパイプの先にくっつけた。
「これは吹きガラスという技法です。ガラスを吹いて、加工するんです」
皆にそう説明するとタクミはパイプを咥え、強く息を吹き込む。自慢の肺活量で。
すると、真っ赤なガラスはぷうっと膨らみ始めた。
ここでタクミは大事なことに気づく。
ガラスの加工に必要なアイテムが欠けていることを。
「えっと、バーナーってありますか?」
パイプを口から放し、タクミは工房の人たちに訊く。
すると、タクミを囲む人たちは顔を見合わせ始めた。
「ねえ、タクミ。バーナーって何?」
たまらずユーメリナが訊いてくる。
ステンレスだけでなくバーナーも? と思いながらタクミは説明を試みる。バーナーが無ければこの先には進めない。
「バーナーって、炎を噴射する装置のことなんです」
と言われても、リナ族にはピンと来ない。
そもそもリナ族は火を使わなかった。自分の手で二〇〇〇度まで加熱できるのだから、それは当然だ。
タクミは後で知ったことだが、リナでは料理もすべて手の熱で作っているという。
結局のその日のタクミは、自分の技術を披露することはできなかった。
バーナーが無ければ、ガラスを吹いて自在に加工することは不可能だ。
作れるのは、薄い球状のガラスだけ。
ユーメリナに部分的に熱してもらうことも試してみたが、それは無理だった。なぜならバーナーとは異なり、ガラスに触らないと加熱できないから。ガラスが薄くなればなるほど、触った瞬間に形が崩れてしまう。
――道理で、薄いガラス細工に皆驚くわけだ。
その晩のタクミは、ふて寝するしかなかった。
◇
翌朝、自分の荷物を確認したタクミは小躍りする。
「バーナー、あるじゃん!」
荷物の中に小型バーナーがあることを思い出したのだ。それは公園でのパフォーマンスに使ったバーナーだった。
早速タクミは、離れの外に出る。
右手にバーナー、左手に昨日のガラス球体を持って。
ガラスの球体は、昨日工房からもらって来ていた。
朝陽に照らされる丘。その上に立つタクミ。
先端にガラスの球体が付いたパイプを口に咥え、左手で支える。そして右手に持ったバーナーの引き金を操作し、青白い炎を形成させた。ゴーという空気音が朝の空気を震わせる。
(よし、やってみるか)
タクミはガラスにバーナーの炎を当てる。しばらくすれば赤く変色して、吹き込む息に呼応して変形が始めるはず――だった。
(えっ!? なんで……???)
いつまで経ってもガラスは変色しない。透明のままなのだ。
このままではガスが無くなってしまうと危惧したタクミは、バーナーの火を落とす。日本ではどこでも手に入るガスボンベだが、この世界で手に入るとは思えなかった。
そして、がっかりしながらガラスの球体を地面に置く。
「どうして変色しない?」
日本とは珪石の種類が違うのか?
でも、庭の岩石を見る限りでは全く同じだ。
なんで!? と自棄になりそうになってようやく気づく。
「そっか、あれが必要なのか……」
タクミは思い出したのだ。
ガラスの原料についての師匠の教えを。
『タクミ、ガラスの原料はな、主に次の三つだ。よく覚えておけ』
『三つ? それは何?』
『まずは珪砂。珪石を砕いたものだ。これは主原料で、混ぜる割合は七割から八割だ』
『珪石って、チャートのきれいな部分だよね?』
『そうだ。そして次にソーダ灰。これは作るのがちと難しい。混ぜるのは二割弱だな』
『ソーダ灰? なんでそれを混ぜるの?』
『珪石だけだと熔けにくいんだ。なんせ融点が一七〇〇度もあるからな。これにソーダ灰を混ぜると、融点を一〇〇〇度まで下げることができる』
『へぇ〜。それで三つ目は?』
『最後は石灰。これは石灰岩を砕けばいい。一割ほど混ぜる。ソーダ灰を混ぜるとガラスが水に溶けやすくなるから、それを防ぐ役割をする』
「そうだよ、珪石だけのガラスって、融点が一七〇〇度もあるんだった……」
思わずタクミは頭を抱える。道理でガラスが赤くならないわけだ。
ユーメリナがいとも簡単に珪石を熔かしてしまうから、融点の違いなんて考えもしなかった。
「このバーナー、どんなに頑張っても一五〇〇度止まりなんだよなぁ……」
珪石百パーセントのガラスを、このバーナーで熔かすことはできない。
つまり今のままでは、ガラス細工は不可能なのだ。
「ということは、ソーダ灰を手に入れる必要があるってことか……」
タクミが公園で用いていたガラスパイプは、ソーダガラスと呼ばれるもの。ソーダ灰を混ぜて、融点を一〇〇〇度に下げていた。
「よっしゃ、やるか!」
タクミは諦めない。
ソーダ灰の作り方だって、師匠に叩き込まれていたから。
幸いここは海沿いの街。もしかしたら原料は取り放題かもしれないのだ。
意を決したタクミは、朝食を運んできたユーメリナに提案する。
「ねえ、朝食を食べたら海に行きたいんだけど」
「えっ、海に? もしかして、泳ぎに……?」
ユーメリナの頬がぽっと赤くなる。
今は夏だし、今日は天気もいいし、泳ぎに行くのもいいなぁって、タクミは思わずユーメリナに水着姿を重ねてしまう。
――ビキニだったら胸がはちきれそう?
が、ブンブンと頭を振って、慌ててその妄想を消し去った。
「違うよ。海藻を取りに行きたいんだ」
「海藻って、食べるの?」
「いや、ガラスの原料にするんだ」
「ええっ? 海藻をガラスの原料にするの?」
ユーメリナは聞いたこともなかった。
海藻がガラスの原料になるなんて。
やっぱりタクミは不思議な人だと、改めて思う。
「海藻からソーダ灰というのを作るんだよ。それがあれば、僕のような日本人でもガラス細工がしやすくなる」
朝食を食べ終わると、タクミはリナリナ、ユーメリナと三人で海に行くことになった。大きなトートバッグをぶら下げて。
リナの海岸は、チャートの硬い岩が露出する岩場だった。
さすがは『ガラスの丘』だとタクミは思う。海岸に立って振り返ると、まさにガラスの原料の上に街が築かれているのを眺めることができた。
その岩場には沢山の海藻が生えていた。
「なんでもいいから、片っ端から取って欲しい」
「どれでもいいのね」
こうしてタクミとユーメリナはトートバッグ一杯に海藻を入れる。
重さは二つ合わせて十キロはあるだろうか。
女性に重いものを持たせてはいけないと、タクミが一つ持ち、もう一つを二人で持って工房に戻る。
「ふぅ、やっと着いた。疲れたぁ~」
どしんとトートバッグを床に置くと、ユーメリナはへなへなと椅子に腰掛けた。
「お疲れついでに申し訳ないんだけど、もう一仕事、いや二、三仕事お願いできるかな?」
タクミはユーメリナにお願いする。
本来なら、ここからバーナーで海藻を焼いて灰を作る。
が、リナにはバーナーは存在しないし、タクミのバーナーもガスの残量が心許ない状況だ。ということで、熱源をユーメリナに頼るしかない。
「分かったわ。今年勝つために、じゃなかったタクミのために、お姉さん頑張っちゃうんだから」
チラリと気になる言葉が聞こえたが、タクミは聞こえないフリをして大きなガラスの容器に海藻を入れた。
すべての海藻を入れ終わると、ユーメリナが腕をまくる。
「じゃあ、いくわよ!」
そして海藻の山に両手を当てて、力を込めた。
ジューと激しい音とともに、海藻の水分が飛んでいく。
さすがはリナ族。ガラスの容器が熔けないように、熱は一五〇〇度くらいに加減していると思われるが、あっという間に海藻が乾燥していく。
タクミが師匠と作業していた時は、海藻をバーナーで焼いて灰にした。が、湿っている海藻はなかなか灰になってくれず、とても苦労したことを思い出す。
やがて乾燥した海藻は、高温のため自然発火して灰になる。
最後には、十キロの海藻から一キロの灰が取れた。
「ふう、できたわよ」
「ありがとう、ユーメリナ。次はここに水を入れるから、かき混ぜながら煮て欲しいんだ」
そう言いながらタクミは、灰が入った容器に水を入れる。ユーメリナの作業中に、バケツに水を汲んでおいたのだ。
「タクミの国のガラスの原料って、作るのが大変なのね」
「ゴメン、ユーメリナ。大変だけど頑張って!」
ユーメリナは右手を容器の水の中に入れて、力を込めてかき混ぜる。すると水はお湯になり、ぐつぐつと煮立ち始めた。
日本では、一斗缶に灰を入れて煮ていた。焚火の上に乗せて。
それもまた大変な作業だったが、それを右手一本でできてしまうなんてすごいとタクミは思う。
ユーメリナが灰を煮ている間、タクミは別のガラス容器の上に網を置き、その上に布を広げておく。
「ありがとう、ユーメリナ。これから残った液をろ過する」
タクミは柄杓を用いて、灰を煮た液をすくい、布の上から注いでろ過する。
その間、ユーメリナはぐったりと椅子に腰掛けていた。
すべての液をろ過すると、ガラス容器の中には沈殿物が残っている。
「こうやって、不純物を取り除いていくんだよ。あと二つ作業があるんだけど、いい?」
「わかったわ……」
労いながらのタクミの要求に、ユーメリナが力なく答えた。
「次は、この容器を外側から熱してほしいんだ」
「あと二つ、あと二つ……」
ユーメリナに申し訳ないと思いながら、タクミはろ液を入れたガラス容器を指さす。
彼女はガラス容器に両手を当てて、熱を加え始めた。
すでに熱を持っていたろ液は、すぐにグツグツと煮え始める。するとガラス容器の下に、白い結晶が現れ始めた。
「いいよ、止めて」
ユーメリナは容器から手を離す。
「ありがとう。ユーメリナ」
「作業はあと一つよね。これからどうするの?」
「この液を常温まで冷やして、ろ過して、そのろ液を蒸発させるんだ。その時、また加熱をお願いしたい」
「わかったわ。これが冷えるまで時間がかかりそうだから、お昼にしましょ?」
「うん。本当にお疲れ様」
ユーメリナのお母さんが作った昼食を、タクミたちは母屋のテラスで食べる。
青い海と港街を眺めながら食べる食事は、最高だった。
「タクミは言ってたよね、今作っている材料を混ぜると、ガラス細工をしやすくなるって」
食後の紅茶を楽しみながら、ユーメリナはタクミに訊く。
「そうなんだよ。あれを珪石に混ぜると、ガラスが熔ける温度が下がるんだ」
「へぇ~」
信じられないという顔をするユーメリナ。
そういう技術はリナには伝わっていないことを、その表情でタクミは確信する。
午後は、工房の人たちにも手伝ってもらうことになった。
新技術が披露されるという噂が広まって、技術者が集まって来たからだ。
タクミは冷えたろ液をろ過し、白い沈殿を取り除く。そしてそのろ液を、みんなに手伝ってもらって蒸発させる。
「いくぞ、みんな!」
技術者たちがガラス容器を取り囲んで、ガラスに両手を当てる。
みんなが力を込めるとあっという間に水分は飛んでいき、ろ液は白い粉末になった。
ソーダ灰の完成だ。
「みんな、ありがとう!」
できたソーダ灰は二十グラム。
これに八十グラムの珪石を加えて、ユーメリナにこね合わせてもらう。
「うわっ!」
すると彼女は驚きの表情を浮かべた。
「ホントだ、あっというまに熔けた!」
ソーダガラスの完成。
珪石にソーダ灰を加えることで、一七〇〇度の融点が一〇〇〇度まで下がったのだ。
ユーメリナは、工房の仲間たちにソーダガラスを手渡しする。するとそれを手にした人は皆、今まで味わったこともない感触に目を丸くした。
それもそのはず、一七〇〇度まで力を込めないと熔けなかったガラスが、一〇〇〇度で熔けてしまうのだ。陶芸で言えば、硬かった粘土が薬品を加えたとたん、トロトロになったという感じなのだろう。
その光景を、タクミは不思議な心持ちで眺めていた。
だって皆は、日本人ならあっという間に火傷してしまう赤く熱せられたガラスを素手で扱って、面白そうに感触を楽しんでいるのだから。
ソーダガラスの感触を皆が確認したのを見届けると、タクミはバッグからバーナーを取り出す。
そしてユーメリナにお願いして、昨日と同じようにガラスパイプの先に付けてもらった。出来たばかりのソーダガラスを。
パイプを口に咥え、バーナーに火をつける。
初めて見るバーナーの炎と空気音に、ユーメリナをはじめとする工房の人たちが「おおっ」と声を上げる。いつの間に見学に来ていたのか、村長の姿もあった。
タクミは公園での子供たちの反応を思い出しながら、バーナーの炎をガラスに近づける。
――今まで、もっと大勢の人たちの前で何度もパフォーマンスをやってきた。
だからタクミは気負うことはない。
――素早いバーナーワーク、的確な温度把握。
タクミの手の動きに合わせて、公園でのパフォーマンスの時と同様、ぐにゃりとガラスが変形し始めた。
(これならいける!)
このガラスの反応は日本と同じ。それなら普段通りにやればいい。
ここから先はタクミの腕の見せ所。
バーナーの炎を自在に操り、パイプに息を吹き込みながらガラスを細工する。
まずはウサギの体を形成し、バーナーで炙って細い耳を作る。目と鼻を刻み尻尾を膨らませて、ガラスのウサギの完成だ。
――薄くて軽く、球面が美しく輝くガラスのウサギ。
手こねでは真似できない、タクミならではの工芸品だった。
「すごい!」
工房のあちこちから称賛の声が上がる。
「でしょ、でしょ!?」
いつの間にかタクミの肩に乗ったリナリナが、のけぞりながらその声に応えていた。
最前列までやってきた村長は、完成したばかりのウサギを手にとって、じっくり観察し始める。
「これなら勝てますよ、村長!」
「そうだ、そうだ。これなら勝てる!」
「ボクの目はやっぱり正しかった!」
工房のあちこちから声が上がる。
「パパ……」
ユーメリナをはじめとする工房の人たちが、村長の言葉に注目した。
「そうだな、今年の魔王カップは彼に賭けてみるか……」
すると「おーっ!」と工房が歓声に湧いた。
ユーメリナはタクミの手を取って小躍りする。
「タクミ。あなたは選ばれたのよ、魔王カップの出場者に。リナの代表として!」
その後、村長宅の母屋で、タクミは詳しい話を聞くことになった。
まずは村長がタクミに頭を下げる。
「工房では申し訳ない。タクミさんの意向を確認しないまま、あんなことを言ってしまって」
「いえいえ、頭を上げて下さい。なんとなくそんな予感がしてましたから」
タクミは恐縮する村長に、リナに到着するまでの話をする。
「ここに来る前、魔王城を見ました。その時にチラリと聞いたんです、リナリナたちが魔王カップについて話しているのを」
いっけねぇという顔をするリナリナ。ユーメリナは「コラ!」と小さく叱っていた。
「魔王カップって、リナとジオが年に一回、優勝を賭けて競うんですよね?」
タクミが訊くと、村長は魔王カップの経緯について説明を始めた。
「魔王カップは毎年、夏の時期に行われている。リナとジオから代表を出して、魔王様の前で作品を作り、その完成度の高さを競う。素材はそれぞれの部族が得意なものを用いる。つまりリナはガラス、ジオは結晶で作品を完成させる」
――リナはガラス、ジオは結晶。
タクミは結晶の森で、ルミナから聞いていた。ジオ族は手の中で結晶を育成することができると。
一方、リナ族は素手でガラスをこねることができる。
両部族が競うなら、ガラス対結晶の闘いになるのは必然なのだ。
「優勝すると、魔王様より村全体に一年間の豊作の魔法をかけてもらうことができる。海に面するリナ族は豊漁を、森に住むジオ族は果実の豊作を。しかし残念なことに、ここ数年、リナは負け続けているのだ」
話を聞いているうちに、緊張で体が固くなっていくのをタクミは感じていた。
こんな部族を代表する競技に、日本からぽっと現れた自分が出ても良いのだろうか――と。しかも部族全体の生活がかかっているかもしれないのだ。
手のひらも汗でじとっと濡れてきた。
「それでね、毎年テーマが設定されるの。今年のテーマは『癒し』なのよ」
タクミの緊張を感じ取ったのか、ユーメリナが彼を励ますように補足する。
「タクミが出てくれると絶対勝てると思うなぁ。だって貴方が作ったガラスの薄さと曲線美は、絶対結晶には真似できないもん」
彼女にそう言ってもらえるとタクミも心強い。
「去年のテーマは『太陽』、一昨年は『金』だったが、いずれもジオ族の代表、サファイアが作る作品に負けてしまった。今年の開催は一週間後、ぜひ三年ぶりにジオに勝ちたいのだ」
部族の代表というだけでも荷が重いのに、さらに三年ぶりという期待を背負えるかどうかタクミは迷う。しかも開催は一週間後。
が、熱く見つめるユーメリナの瞳に負けて、タクミは了承を決意する。
ガラス細工では負けないという自負もあるし、せっかくこの世界に来て何もしないのはありえない。それに、負けたら命が取られるということも無さそうだ。
「わかりました。自分でよければお引き受けいたします」
タクミの返答に、村長はほっと胸を撫で下ろした。
「一つ、お聞きしたいのですが……」
最後にタクミは質問する。最も重要なことについて。
「それで、作品って何を作ればいいんですか? ガラスで」
するとユーメリナが呆れた口調で応えた。
「だから最初から言ってるじゃない。カップよ、魔法様がお酒を飲むために使う入れ物。カップなのかグラスなのかは、当日お題として発表されるんだけどね」
「えっ……?」
その夜、タクミはベッドで考えていた。
魔王カップとは『魔王杯』のことだとずっと思い込んでいたからだ。
まさか、お酒を飲むカップの出来の良さを争う大会とは思わなかった。
「カップをガラスで作るなら、ソーダガラスじゃダメなんだよな……」
そう、ソーダガラス製のカップには致命的な欠陥がある。水への耐久性が低く、使用しているうちに溶けてしまうのだ。
ガラスのウサギを作るだけならソーダガラスで構わない。
でも、お酒のような水ものを入れるカップでは耐水性を上げないとダメだ。それには石灰を混ぜたソーダ石灰ガラスを作る必要がある。
しかしその石灰は、リナで手に入るとはとても思えない。周囲にはチャートしかなさそうだったから。
「だったらあそこに行くしかないか……」
タクミにはあてがあった。石灰を手に入れることのできる場所のあてが。
だから村長の前では黙っていた。
開催は一週間後。カップを作るにはソーダ灰がまだまだ足りない。その作製にはユーメリナの助けが必要となる。
だからタクミは、石灰の採取を一人で遂行しようと考えていた。
「ねえ、リナリナ。明日は石灰を採りに行こうと思うんだけど、一緒に来てくれるよね?」
するとリナリナがぴょんぴょんと枕元まで跳ねて来る。
「石灰を採りにって、どこに行くの?」
「あの鍾乳洞だよ」
そう、鍾乳石は石灰そのものだ。
必要量は拳くらいの塊で十分。だって、ソーダ石灰ガラス全体の一割ほどでいいのだから。
そんな風にタクミは計算していた。
「じゃあ、またルミナに会えるね」
「ああ、午後三時に行けばね」
実は、もう一つタクミが考えていたことがあった。
それはバーナーについてだ。
タクミが日本から持ってきたバーナーは、カセットボンベの残量がだいぶ厳しくなっている。かと言って、この世界でボンベが手に入るとは思えない。日本ではどこでも手に入るからすっかり油断していた。
――それならば……。
タクミは思いつく。この世界にもバーナーの代わりになるものがあるんじゃないかと。
それを試してみたいと、いろいろと案を練っていた。
◇
翌日。
ソーダ灰の作成をユーメリナにお願いして、タクミはリナリナと出発する。
二時間ほど歩いて、タクミはようやく鍾乳洞の入り口にたどり着いた。時間はお昼を過ぎていたが、三時まではまだ余裕がある。
タクミは小さな滝の前の岩に腰掛ける。そしてリナから持ってきた弁当を食べ始めた。
目の前のせせらぎには鍾乳石がゴロゴロと転がっている。この中から適当な大きさのものを一つ拾えば、原料としては十分だ。
すると森の中から人が歩いて来るのが見えた。赤い髪の毛の女の子――ルミナだ。
彼女は今日も、ラウンドネックにサロペットデニムというラフな格好だった。
「やあ、ルミナ!」
リナリナがタクミの肩の上から声をかける。
「あら? タクミにリナリナ。どうしたの? またここに飛ばされちゃった、ってことはないよね?」
彼女の言葉で、リナリナの召喚術が全く信用されていないことが分かる。タクミは可笑しくなった。
「いや、今日は君に用事があったんだよ、ルミナ」
タクミは立ち上がると、姿勢を正してルミナを向く。
その行動で事情を察したルミナは、鍾乳洞の入り口を見た。
「何か大切な用事みたいね。三時までまだ時間があるから、中で話さない?」
「ああ、分かった」
こうして三人は、鍾乳洞の中で秘密の会談を開くことになった。
鍾乳洞の奥の池に到着すると、タクミが切り出した。
「今日、ここに来た目的は二つ。その一つは、石灰を手に入れるためだ」
「石灰?」
ポカンとするルミナに、リナリナが補足してくれる。
「必要になったんだよ、ガラスの原料に。ここの鍾乳石が」
するとルミナは振り返り、右人差し指の炎で鍾乳洞の壁を照らしながらタクミに忠告した。
「鍾乳洞の中はダメよ。水が何百年もかけて作りだした芸術なんだから。入口の滝のところに落ちている石だったらいいと思うけど」
「わかった。それを帰りに拾っていくよ」
「それで、もう一つは?」
するとタクミはルミナの瞳を熱く見た。
「君にぜひ頼みたいことがある」
ルミナはゴクリと唾を飲んだ。
「昨晩ずっと考えていたんだ。君のその炎をパワーアップできるんじゃないかと」
「えっ、この炎を?」
ルミナは辺りを照らしていた右手の炎を顔の前にかざし、驚きの表情を浮かべた。
「僕がいた世界には、バーナーという装置がある。それと同じ構造を、手の形で作れないかと昨晩ずっと考えていた……」
これがタクミの秘策だった。
タクミが持っている小型バーナーは、カセットボンベの頭にバーナートーチを付けて火力をアップしている。
つまり、バーナートーチが無ければ、ただのカセットコンロの火なのだ。
ということは、手の形でバーナートーチのような構造を作ることができれば、右人差し指の炎だって強化できることになる。
ちなみにバーナートーチは、周囲の空気を巻き込むような筒状の構造をしていた。
「最初に聞いておくけど、ルミナの手って、両手とも二〇〇〇度の熱に耐えられるんだよね?」
「ええ、そうよ。私だってジオ族の端くれだもん」
「じゃあ、まず左手をこんな風に丸めて、筒を作って欲しいんだ」
タクミはルミナの隣に立ち、彼女に見えるように左手を丸めた。
「こう?」
タクミの格好を真似て、ルミナも左手を丸める。
「そう。そしたら、左手で作った筒の中に右人差し指を入れる」
ルミナもタクミに従い、左手で作った筒の中にゆっくりと右人差し指を入れる。
「いいよ、いいよ。じゃあ、せーので僕が息を吹き込むから、同時に炎を出して」
タクミはルミナの左手の前に顔を近づけて、「せーの」と号令をかけた。
ルミナは赤い炎を点火する。
と同時に、タクミはその炎目掛けて勢いよく息を吹きかけた。
すると、ゴーという空気音と共に、ルミナの赤い爪の先に青白い炎が形成する。
左手の筒と右手の人差し指との間にできた隙間が空気を巻き込んで、バーナーの炎を作り出したのだ。
「すごいよ、ルミナ!」
「ええっ? これってホントに私の炎なの?」
「そうだよ、ルミナだってこんな力を持っていたんだよ!」
するとタクミが「ちょっとこのままで」と言いながら、しゃがみこんでバッグを漁る。
そしてガラスの塊が先端に付いたパイプを取り出した。
「やってみるよ、今ここでガラス細工を」
タクミの表情がガラリと変わる。
パイプを口に咥え、真剣な瞳でバーナーの炎を見つめている。
そしてパイプの先端のガラスをバーナーの火の中に投じた。
たちまち赤くなっていくガラス。タクミはパイプに息を吹き込む。するとガラスはぷくっと膨らみ始めた。
――すごい、こんな工法があるなんて。
バーナーを灯すルミナは、息を飲んでその様子を見つめていた。炎を絶やさないようと細心の注意を払いながら。
そして炎の光に照らされるタクミの真剣な表情。
他者を寄せ付けない気迫に、ルミナはドキリとする。
ゆっくりとガラスを膨らませながら、炎を中心にするように細かく動くタクミ。時には速く、時にはゆっくりと。するとガラスはTの字のような形に変形した。
最後にタクミはバッグから取り出した金属の棒を用いて、ガラスに十個の穴を開けた。
「できた! もう火を消していいよ」
口からパイプを離し、タクミはルミナに完成品をかざす。
ルミナはバーナーの火を消すと、手の形を崩した。そして完成品に右人差し指を近づけ、炎を灯す。
「これって何? 見たことないんだけど」
するとずっと静観していたリナリナが説明してくれる。
「オカリナだね。タクミ」
「ああ。それよりもすごいよルミナ。君の炎は!」
パイプに付いたままのオカリナを地面に置いたタクミは、ルミナの顔を熱く見る。
その表情が見たくて、ルミナは人差し指の炎を顔の前にかざした。
ぼおっと赤い光で照らされるタクミの表情。
その瞳はキラキラと輝いている。
「なぜだか分からないけど、すっごく細工がしやすかった。君の炎のおかげだよ。なんか、めっちゃ上手くなったような気がした」
自分の力で他人がこんなに喜んでくれるのは初めて、とルミナも嬉しくなる。
しかしタクミは、鼻息を荒くしたままとんでもないことを言い始めたのだ。
「僕、リナの代表で魔王カップに出ることになったんだ。その時、ルミナの炎を使いたいんだけどいいかな? この炎があれば、絶対勝てるような気がする」
――えっ、それってどういうこと?
ルミナは困惑する。
――私も一緒に大会に出るってこと? タクミと一緒に?
タクミの申し出は嬉しい。この炎が彼の役に立つなら、ぜひ使って欲しい。
だけどタクミは言った。リナの代表で――と。
「ダメよ、タクミ。私はジオ族なのよ」
承諾したい気持ちを押し殺して、ルミナは訴える。
「たとえ出来損ないだとしても、たとえ両親いなくても、ここまで育ててもらった恩があるんだから、それを裏切ることはできない」
ルミナは思い出す。
両親が亡くなった日のこと。そして親戚に育てられた日々。
右人差し指の爪しか結晶がない不完全な子供でも、叔父さん叔母さんはちゃんとルミナを育ててくれた。
魔王カップに出るということは、その部族の豊作を賭けるということ。ジオ代表なら良いが、リナ代表となると話が違う。
そんなことになったら叔父さん夫婦に迷惑をかけてしまう。最悪の場合、裏切り者を育てたと言われてジオに住めなくなるかもしれない。
「ゴメン、タクミ。すぐには返事できない……」
人差し指の炎を消して、ルミナはタクミから目をそらした。
タクミの役に立ちたい。でも、ジオを裏切ることはできない。
真っ暗になった鍾乳洞。次第に池の中から青白い光が湧き起こる。午後三時の青珠の放出が始まったのだ。
見慣れた幻想的な景色。
しかしルミナは、こんなに複雑な気持ちで眺めたことはなかった。
すると隣から、フーという風切り音が聞こえてくる。
ルミナが振り向くと、いつの間にかパイプから切り離されたガラス細工にタクミが息を吹き込んでいる。
「あの曲がいいな」
タクミにリクエストするリナリナ。
「わかった。いくよ」
深く息を吸ったタクミがガラス細工に口を付けた。
懐かしい調べが鍾乳洞に響く。
どこかで聞いたことがあるような、ゆっくりとした温かいメロディ。
それに呼応するように、青珠石から池に放たれた青珠が青白い光を発している。
ジオでもリナでもない世界から来たタクミ。でも、彼が奏でる曲は、ルミナの心を震わせた。
そんな彼ならば、リナだけでなくジオの人たちにも受け入れられるはず。
その時、ルミナの頭の中に一つのアイディアが浮かぶ。
二人で一緒に魔王カップに出場することができて、ジオとリナの両方の役に立つことができる方法が。
「ねえ、タクミ」
ルミナは切り出した。池の中の光と自分の決意が消える前に。
「こういうのはどう? 私たち二人で魔王カップに出るの。ジオでもリナでもなく、挑戦者として」
「挑戦者?」
「そう、ジオとリナの代表に挑戦するのよ。それでね、私たちが勝ったら魔法を半分こにして掛けてもらうの、ジオとリナの両方にね」
それは、ルミナが半分ジオを裏切り、タクミが半分リナを裏切る方法。
裏を返せば、ルミナが半分リナに貢献して、タクミが半分ジオに貢献する方法と言えるだろう。
半分と半分が釣り合って、すべてが丸く収まるアイディアだった。
「じゃあ、リナの代表はどうなるの?」
意義を唱えたのはリナリナだった。
それは仕方がないだろう。タクミの才能を見つけてリナに招待したのはリナリナなのだから。
ここで引き下がっては、村長からリナリナへの信頼を裏切ることになる。
するとタクミはリナリナに頭を下げた。
「ありがとう、リナリナ。こんな僕をここに連れて来てくれて。でも僕は、ルミナが提案するように、挑戦者として参加してみたい」
そしてルミナを向く。
「ありがとう、ルミナ。素晴らしいアイディアだよ。参加はどんな形でもいい。僕は君の炎でガラス細工を作ってみたい」
タクミはルミナの手を強く握る。
やっぱりタクミの手は柔らかいと思いながら、ルミナの心は嬉しさで一杯になる。
「ごめんね、リナリナ。そして、ありがとうタクミ。こんな私でも役に立つなら、よろしくお願いします」
魔王カップ始まって以来初の、異色の挑戦者が誕生した瞬間だった。
「じゃあ、ルミナ。一週間後に魔王城で」
鍾乳洞の外で石灰の塊を拾ってから、タクミはルミナの手を振る。
「ボクは反対だからね、タクミ!」
リナリナはまだプンプンだ。
「一週間かけてリナの人たちを必ず説得するから」
「わかった。私、魔王城で待ってる……」
ルミナもタクミに手を振った。
ルミナと別れて、歩きながらタクミは案を巡らせていた。
――どうやってリナの人たちを説得しよう?
しかし、考えが一向にまとまらない。
だからリナに着いてもタクミは黙っていた。
ルミナと一緒に挑戦者として参加したいという希望。とりあえず、リナリナにも黙っていてもらえるようお願いする。
タクミには皆を説得する前にやるべきことがあった。
それはソーダ石灰ガラスの生成。
これができなければ、ルミナとの約束も実現することはできない。
早速、結晶の森から持ち帰った石灰を用いて、ユーメリナに作ってもらう。ソーダ石灰ガラスを。
「基本的にはソーダガラスと同じ感触だけど、これで水に溶けにくくなったのよね」
ソーダ石灰ガラスはあっという間に完成した。
そしてタクミは、ユーメリナに正直に告白する。
それはこんな感じだった。
日本から持ってきたガスボンベは残量が厳しく、魔王カップを闘い抜くのは難しいこと。
他にバーナーを探さないと出場できないが、リナにはバーナーはないこと。
ジオ族に、バーナーの炎を作れる女の子がいること。
その女の子、ルミナに出場を打診したところ、挑戦者としてならと提案されたこと。
「ふーん、事情はわかったけど……」
工房の窓から海を眺めながら、ユーメリナは考え込む。
どうか了承してほしいと、タクミは顔の前に手を組んだ。
「要は……好きになっちゃったんだよね? そのルミナって娘が」
「な、な、な、なにを言っているんでございましょう!?」
びっくりして声が裏返ってしまうタクミ。敬語もなんか変だ。
「だってそうじゃない。その娘と二人で一つの物を作りたい。そういうことでしょ?」
「そ、そ、そういう言い方をされると、間違ってはないけど……」
「へえ、そうだったの? ボクは気づかなかったなぁ」
それでリナリナに納得されてしまうのは、なにか悔しいタクミだった。
いやいや、そうじゃない。ちゃんとした理由があると、タクミは反論する。
「違うんです。ルミナの炎を使うと、すごくガラスが加工しやすくなるんです。なぜだかは分からないんだけど……」
するとユーメリナはくっくっくっと笑い始めた。
「その理由をお姉さんが教えてあげよっか?」
何だか嫌な予感がするとタクミは身構える。
「それはね、タクミの気持ちがノッてるから。その娘の炎のおかげじゃないんだよ。そういうのを何て言うのか知ってる? 恋って言うの。覚えておきなさい」
そしてユーメリナは大きな声で呟きながら、工房を出て行った。
「あーあ、結局私が出ることになるのね。パパやみんなを説得するのも面倒臭いなぁ。でもいっか、このソーダ石灰ガラスがあれば、私も勝てそうな気がするもんね。この借りは絶対返してくれるよね、絶対、絶対、絶対だよね……」
いやいや、呟きめっちゃ長いだろと思いながらも、タクミはユーメリナに深く感謝するのだった。
◇
「ぐわぁ、やっと着いたぁ!」
一週間後の正午。
魔王城の城門の前で、タクミは背中の荷物を下す。
それはユーメリナが大会で用いる携帯型ロクロだった。
「お疲れ様、タクミ。玉座の間まではよろしくね」
タクミのことを労うユーメリナだったが、同じく城門の前に佇む女性を見つけ、敵意を露にする。
ショートの赤い髪。
右手の人差し指の爪だけが赤く光っている。
サロペットデニムではなく、ジオ族の正装であろう白い襟付きブラウスとタイトスカートに身を包んだその女性――ルミナだった。
「あなたがルミナさんね」
一方、白いドレス風のワンピースに身を包むユーメリナはルミナに近づいて行き、右手を差し出す。
「私はユーメリナ。リナの代表よ」
「よろしくお願いします」
そして二人は握手を交わす。
ユーメリナの言葉からタクミの説得が成功したことを知ったルミナは、駆け寄って来る彼に目を向けた。
一週間ぶりに見るタクミ。
ずっと会いたかった。
今日の日のために、ずっとバーナーの練習をしていたんだから――。
そんなルミナの瞳を見てユーメリナは確信する。やっぱりこれは恋だと。
一方タクミは、ルミナのもとに走りながら気を引き締める。
なぜなら、タクミたちの魔王カップはまだ始まってもいないのだ。
「ルミナ、リナの人たちの説得に成功したよ」
そしてタクミはルミナを手を取る。
「これから一緒に、魔王様にお願いしよう!」
「うん」
二人でいれば、力がどんどん湧いてくる。
タクミは魔王門に向かって、大声で訴えた。
「魔王様、お願いがあります。僕タクミと隣のルミナのペアを、挑戦者として大会に出場させて欲しいのです!」
すると、皆の頭の中に思念が飛んできた。魔法によるものだ。
『いいですよ。出場者が多い方が楽しいですし、良い作品もできるでしょう。私は構いませんよ』
予想外の良い返事に、なかなか気さくな魔王様だとタクミは胸を撫で下ろす。
が、これではまだ不十分。
もう一つ条件を認めてもらえないと意味がない。
「失礼を重ねて恐縮ですが、僕たちが勝った時の場合について提案したいのです」
すると魔王は笑い出す。
『もう勝った時の心配をしているんですか? よほど自信があるんですね』
「はい、あります。ルミナとなら絶対勝てます!」
さすがに今のは恥ずかしかったとタクミはちょっと後悔する。
手を繋いでいるルミナは、真っ赤な顔をしていた。
『それは面白い。その提案とは何でしょう?』
「その時は、リナとジオの両部族に、半分ずつ豊作の魔法をかけて欲しいのです」
『なかなか興味深いアイディアですね。いいですよ、使う魔力量は同じですから』
――よかった……。
へなへなと脱力して、タクミは地べたに座り込む。
挑戦者としての参加は認めてもらえる公算はあった。
が、勝った場合の条件をこちらが提案するなんて、行き過ぎた行為なんじゃないかと内心ビクビクしていたからだ。
――もし魔王様が怒ったらどうしよう?
それは杞憂だったのだ。
魔王は、日本で言う邪悪な悪魔ではなく、ジオとリナの女の子たちが憧れる魔法の王子様だった。
するとルミナがしゃがみこんでタクミの両手を取る。
「やったね、タクミ!」
「ああ、これで僕たちも出場できるよ」
「私ね、この一週間ずっとバーナーの練習してたんだよ」
「おおっ、期待してるよ」
しかしこの時は、この練習が嘘だったんじゃないかと思える事態に発展するとは、誰も予想していなかった――
魔王門が開く。
タクミとルミナ、そしてユーメリナとリナリナが玉座の間に着くと、すでにそこには一人の男が待ち構えていた。
サファイア――ジオの代表だ。
サファイアはいわゆる大男だった。
身長は一八〇センチはあるだろうか。年は四十後半ぐらい。黒を基調とした軍服のような服に身を包んでいる。
体格もよく筋肉も発達しており、力勝負であればタクミの勝機はゼロだろう。
それよりも特徴的だったのは、青色に光る五本の指の爪。その名の通り、サファイアの輝きを放っている。
まずは、ユーメリナがサファイアの前に立ち、軽く膝を曲げてお辞儀をする。
――リナ代表とジオ代表。
そもそもこの大会は、リナとジオの技術の優越を競う大会なのだから当然の儀式であろう。
そして次に、タクミがサファイアの前に立つ。
「挑戦者として参加させていただくタクミです。よろしくお願いします」
「こちらこそ、お手柔らかに」
サファイアはタクミに右手を差し出した。五本の爪が青く光っている。
見た目とは異なる物腰の柔らかい言葉に、タクミはほっとしながら彼の右手を握る。
(やっぱり硬い。カチカチだ)
一方、サファイアも驚いているようだ。タクミの手があまりにも柔らかいことに。
「繊細な作業に向いてそうですな」
「はい、それが取り柄ですから」
きっとサファイアは、その手の中でサファイアを育成することができるのだろう。
彼が言う通り、タクミは繊細さで勝負するしかないと作戦を考えていた。
公示の時間、午後一時になると玉座の間に魔王が現れた。
タクミたちは魔王の前に、横一列に並ぶ。
魔王は身長一八〇センチほどのスリムな若者で、年は三十くらいに見える。紫色で襟付きのローブを羽織っていた。
それよりも何よりもイケメンだ。ルミナをはじめとして若い女性が憧れるのもわかる。
「出場者は揃っていますね。一応、一人一人確認いたしましょう」
そして魔王は、出場者の名前を呼ぶ。
「まずはジオ代表、サファイアさん」
「ははっ」
するとサファイアが一歩前に出てお辞儀をする。
「今年も期待しています。去年のお題、テキーラ用のショットグラスは最高でした。今でも愛用していますよ」
「それは光栄です」
「それにしてもサファイアガラスは丈夫で素晴らしいです。この世界であれを作れるのは貴方だけですね」
さすがは去年の勝者、すごい絶賛ぶりだとタクミは思う。
ガラスよりもはるかに耐久力のあるサファイアガラスが出てきたら、ガラスに勝ち目はないだろう。それならば、耐久力以外のところで勝負する必要がある。
「次はリナ代表、ユーメリナさん」
「魔王様にはご機嫌うるわしゅう」
一歩前に出たユーメリナが片膝を曲げてお辞儀をする。
「これはまた一段とお美しい。今年は健闘を期待しています」
「今日は特別なガラスを用意しました。魔王様のお気に召す作品が作れればと思います」
確かに今日のユーメリナは美しい。
それにしてもドレス風ワンピースでもその存在を主張する豊かな胸。思わず見とれてしまったタクミは、隣のルミナに「もうっ」と肘で小突かれてしまう。
そしてタクミたちの番がやってきた。
「最後に挑戦者のタクミさんとルミナさん」
「よろしくお願いします」
「魔王様、お久しぶりでございます」
タクミとルミナは二人揃って頭を下げる。
「タクミさんは初めての顔ですが、どこから来られたのでしょう?」
「日本という国です。ガラス細工を生業にしています。今日は吹きガラスという技法を披露したいと思います」
「ほお、それは面白そうですね。それでルミナさんは何を?」
「私はバーナーの炎を作ります。その炎で彼がガラスを細工するのです」
「二人の共同作業ということですね。これもまた面白そうです。頑張って下さい」
出場者との挨拶が終わると、魔王は皆の前に立ち、神妙な面持ちとなる。
「さて、今年のテーマは『癒し』であることを、事前にお伝えしておりました。それでは、これから皆さんに作っていただく『お題』を発表します」
いよいよだ。
この発表直後に今年の魔王カップが始まる。
参加者は皆、ゴクリと唾を飲んだ。
「今年の『お題』は白ワイン用のワイングラスです。制限時間は一時間。それでは始めて下さい!」
魔王の号令で皆が持ち場に着いた。
サファイアは作業机に座り、机の上に置いた両手で何かを包み込むようにして意識を集中させている。おそらくワイングラスをイメージしながら、両手の中でサファイアガラスを生成させているのだろう。
それにしても一時間でグラスを生成させてしまうなんで、なんてすごい力なんだとタクミは思う。
実際、去年はショットグラスを完成させたという。しかし今年はワイングラス。形が大きい分、生成が間に合わない可能性もある。
一方、ユーメリナは作業台の上に置いた簡易ロクロの前に座り、事前にこねてあったソーダ石灰ガラスをセットした。おそらくロクロを使ってワイングラスを作るのだろう。
しかしワイングラスというお題は、ロクロとは相性が悪そうだ。というのも、どうしても肉厚になってしまうからだ。それに簡易ロクロでは、きれいな円形には仕上がらない可能性もある。
もしかしたら勝てる――とタクミはほくそ笑む。
吹きガラスの特徴は薄さと軽さ。それに加えて、タクミの技術で『癒し』の曲線美が演出ができれば、ジオとリナに勝てるかもしれない。
「じゃあ、頼んだ!」
タクミはルミナに声を掛ける。
しかし彼女は顔を真っ青にしながら、バーナー作りに格闘していた。
「ゴメン、タクミ。炎がバーナーにならないの……」
ルミナは丸めた左手の中に右手の人差し指を入れて、炎を発生させている。
が、いくら息を吹き込んでもバーナーの炎に発展しないのだ。
「ええっ、どうしちゃったの? ルミナ」
「なぜだか分からないの」
一生懸命、炎に向かって息を吹き込むルミナ。しかし一瞬ゴオっと激しく燃えるものの、その炎が長続きしないのだ。
「じゃあ、僕が息を吹いてみるよ」
タクミがルミナの手に向かって息を吹きかける。タクミの肺活量なら上手くいくかと思いきや、やはりバーナーの炎は長続きしない。
「もしかしたら緊張してるのかな、私……」
今にも泣き出しそうなルミナに、「頑張って!」と魔王が声を掛ける。するとさらに状況が悪くなってしまった。
魔王は皆の作業の様子を見学するために、周囲を歩き回っていた。
それが楽しみにで毎年主催しているわけだから、誰にも止める権利はない。
――きっとルミナの憧れの魔王様が近くにいるから、普段の力が出せないんだな。
そう考えたタクミは、作戦を練り直す。
ルミナがバーナーを作れなければ、作品を完成することは不可能だ。
ルミナは焦っていた。
昨日まではちゃんと作れていたバーナーの炎を、何で今日は作れないの――と。
手の形を変えてみてもダメ、強く息を吹き込んでもダメ。
だんだんと変な汗が吹き出してくる。時間もすでに三十分が過ぎていた。
すると頭に柔らかな感触が宿る。今まで味わったことのないフワフワするような感覚が。
驚いて振り向くと、ルミナの頭をタクミが撫でていた。右手で、ゆっくりと。
(気持ちいい。タクミの手って柔らかい……)
頭なら子供の頃、両親に撫でられたことはある。が、ジオ族の手は硬くて撫でられるというよりは押さえつけられるという感覚に近い。
でもタクミの手は違う。指の一本一本が柔らかい。しかもタクミは、ルミナの赤い髪をすくように指を動かしていた。それが何とも気持ちいい。
(いつまでもこうしてもらいたい……)
そこでルミナはハッと我に返る。
こんなフワフワな感覚に酔いしれていてはダメなのだ。制限時間は刻々と過ぎていく。ジオ族の出来損ないと言われ続けた自分の価値を他の人に認めてもらうには、タクミと一緒に素晴らしい作品を作るしかない。
「ありがとう、タクミ。今なら私、出来そうな気がする!」
ルミナは左手で筒を作る。
そして右人差し指を入れて炎を点火。
同時に強く息を吹き込むと、ゴオーッと激しい空気音と共にバーナーの炎が形成した。
その音に、魔王をはじめとして皆がチラリとルミナを向く。
「すごい音だね、ルミナさん」
興味津々の魔王が近づいてくる。
「ま、魔王様……」
すると、へなへなとバーナーの炎は消えてしまった。
もう諦めようと、タクミが思った時だった。
タクミの肩を何者かが叩いたのは。
「あれを使いなよ」
それはタクミの肩に飛び乗ったリナリナ。
リナリナが示す方を見ると、ユーメリナの作業台の上にちょうど良いサイズの短いガラスのパイプが乗っている。右手の指を差し込めば、バーナートーチになりそうな。
「あれならバーナーのトーチとして使えるよね? 珪石百パーセントで作ってあるから、ソーダ石灰ガラスの加工には使えるよ」
「ありがとう、リナリナ!」
まさに救世主。
「お礼はユーメリナに言いなよ。自分の作品作りを中断してわざわざ作ったんだよ。ボクは反対したんだけどね」
タクミはリナリナを肩に乗せたままユーメリナの作業台へ行く。彼女はまだ、ロクロを使ってワイングラスを作り続けていた。リナリナが作業台に飛び移る。
するとユーメリナが作業をしながらタクミに告げた。
「ステムとフットプレートも幾つか作ったから使って。タクミなら、あとはガラスを吹くだけで完成するでしょ?」
ステムはワイングラスの柄、フットプレートは底のパーツだ。
「ありがとう、ユーメリナ。この恩は一生忘れない」
「借りは溜まってるから倍返しね。というか急ぎなさい。もう時間が無いわよ」
残り十分。
タクミは最後のチャンスに全力を注ぐことにした。
「ルミナ、これを左手の筒の代わりに使うんだ」
タクミはユーメリナから受け取ったガラスの筒をルミナに渡す。
「目をつむっていれば大丈夫。君ならできる。これが最後のチャンスだ」
「わかった、やってみる」
ルミナは左手でガラスの筒を持って、右人差し指をその中に入れた。
そして炎を点火、ルミナとタクミの二人で息を吹き込むと、ゴォーッとバーナーの炎が形成した。そしてルミナは静かに目を閉じる。
やっとバーナーの炎が点火した。
タクミは持参したガラス付きパイプを咥えると、ガラスをバーナーで炙り始める。
赤くなったソーダ石灰ガラス。タクミがパイプに息を吹き込むと、ガラスがぷくっと膨らみ始めた。
「おお、それってとっても面白いね」
魔王が見学にやって来た。
が、ユーメリナは目をつむっているし、バーナーの音のせいで魔王の声も聞こえない。
タクミは左手でパイプを回しながら、わき目もふらず吹きガラスの作成を続けた。
もう時間はない。
だから失敗は許されない。
この一発で完成させるのだ。
テーマの『癒し』を曲線美で表現する、タクミの最高傑作を。
思い通りのボウルカップが出来た。
それにしてもルミナの炎は細工しやすい。思い通りにガラスが曲がっていくのだ。
――これが、ユーメリナが言う恋のマジックというものなのだろうか?
もうしそうならばルミナに感謝せねばと、タクミは彼女の顔を見る。目をつむってバーナーに集中する彼女はとても愛しく見えた。
ガラスが冷えるとヤスリでカットし、リムを整形する。
そしてパイプから切り離し、バーナーで炙りながらフットプレート付きのステムを接続する。
こうして時間いっぱいでタクミたちの作品が完成した。
いよいよ審査の時間だ。
魔王は目の間に並んだ三つのワイングラスを見比べる。
「一番薄いのはタクミたちのかな。次がサファイア。ユーメリナのは結構肉厚だね」
タクミは小さくガッツポーズをする。薄さはタクミの技術の一番のウリだから。
ユーメリナの作品が肉厚なのはしょうがない。
ロクロを使ってこねたガラスを整形するのであれば、薄さには限界があった。
「続いて色。ユーメリナとタクミたちのは透明だけど、サファイアのは青みがかかっていて美しい。なかなか癒される色だよ」
今度はサファイアが小さくガッツポーズした。
そりゃサファイアなんだから、ガラスには太刀打ちできないよとタクミは悔しく思う。
すると魔王はワイングラスを順々に手に取った。
「手に持った感触が良いのはタクミたちのかな。まずは軽い、そしてこの曲線美。触るととても気持ちがいい」
満足できる作品が出来て良かったとタクミは思う。
ルミナを見ると、彼女も頷いていた。
「サファイアのも軽いけど、ほんのわずかに手触りがざらざらしている」
それは仕方がないかもしれない。
結晶を育成して形成しているのだ。結晶面にできるわずかな段差がそのような手触りをもたらしているに違いない。
「一方、ユーメリナのは重い」
これはどうしようもない。
ボウルカップの部分が肉厚になっているので、それがそのまま重さに反映してしまっていた。
「ということで、ユーメリナには申し訳ないが、サファイアとタクミたちの作品の中から優勝を決めさせてもらう」
その時だった。
「ちょっと待って下さい!」
リナリナの声が玉座の間に響いた。
「魔王様は最初におっしゃいました。今回のお題は『白ワイン用のワイングラス』と。それならば、白ワインを注いだ時に最も『癒し』の効果が得られる作品を選ぶべきではないでしょうか?」
「ふむ。確かにその通りだ。じゃあ、それを審査してみよう。今からワインを取ってくるからちょっと待ってて欲しい」
魔王が席を外すと、ユーメリナはリナリナを叱りつける。
「ねえ、リナリナ。無駄な足掻きはやめようよ。もう私たちは負けよ」
「いや、まだボクたちにもチャンスはある」
と、リナリナは強気を崩さない。
その時、ルミナがはっとする。
「そうか、そういうことなのね? リナリナ」
「そうだよ、ルミナの大好きなアレだよ」
どうやらルミナはリナリナの企みに気づいたようだ。
が、ユーメリナをはじめサファイアとタクミはただポカンとするだけだった。
「皆さんお待たせしました」
戻ってきた魔王が三つのワイングラスに白ワインを注ぐ。
するとリナリナが最後のお願いをした。
「魔王様、ここで明かりを消して欲しいのですが……」
そこでやっとタクミは気づく。
リナリナが何を考えているのかを。
時計を見ると、ちょうど午後三時だった。
「明かりを?」
不思議に思いながらも魔王は魔法灯を消した。
すると玉座の間は暗闇に包まれる。
「おおっ!」
そして魔王をはじめとする皆が歓声を上げた。
ユーメリナのグラスの中の白ワインが、青白く光り出したのだ。それはまるでグラスの中で青いホタルが飛び交っているように。
ユーメリナとタクミたちが用いたソーダ石灰ガラス。
この石灰の原料は、結晶の森にある鍾乳石だ。それには青珠石が含まれている。午後三時になると青珠が飛び出して、水に触れると青白く光る青珠石が。
よく見るとタクミのワイングラスも微かに青白く光っていた。が、薄過ぎたのだ。
一方、肉厚のユーメリナのワイングラスは、白ワイン中に放出する青珠の量がはるかに多かった。それがホタルのように青白い光を放ち、幻想的なグラスを演出していた。
「これは癒される……」
魔王の一言。
それで勝負が決着した。
「今年の魔王カップは、リナの勝利とする!」
その時――
「くたばれ、魔王!!」
暗闇の玉座の間に、ただならぬ声が響く。
何者かがせまる気配を感じたタクミは、魔王を庇うようにとっさに右手を差し出す。
と同時に、激しい痛みが彼の右手を貫いた。
慌てて魔王が魔法灯をつけると、そこには剣を構える勇者が立っていた。
その切先からは赤い鮮血が滴り落ちている。
「お、お前は去年召喚した……」
リナリナはその人物を覚えていた。
「そうだよ、オレは去年日本から連れて来られた者だ。魔王を倒すこの時を待ちわびていたのさ。だって魔王は勇者に倒されるものだからね」
タクミは右手の激しい痛みに耐えられなくなっていた。
灯りに照らされた右腕を見ると、手首から先が無くなっている。
「ああああああああっーーーー!!!」
絶叫しながら意識を失ったタクミは、どさりとその場に倒れた。
「タクミっ!」
ルミナは叫ぶ。
――タクミの手が無くなってしまった。
優しくルミナの頭をなでてくれた、柔らかい彼の右手が。
激しい怒りがルミナを包む。いつの間にか、右人差し指が真っ赤に燃えていた。
「お前を許さない。返せ、タクミの右手を!」
勇者に右手を向けるルミナ。
その人差し指から、かつてない勢いで炎が吹き出した――
◇
「タクミ、タクミ……」
名前を呼ぶ懐かしい声に、タクミは目を覚ます。
「師匠……」
それは二年前に亡くなった師匠だった。
「この間、ガラスを加工しやすくなる成分を教えたが、覚えてるか?」
――ガラスを加工しやすくなる成分?
そんなもの教えてもらったっけ?
いや、教わったような気がすると、タクミは記憶の中を探す。
そうだ――
「確か、『ア』なんとかだったような……」
「そうだ、『ア』なんとかという四文字の成分だ」
しかし、そこから先が思い出せない。
「ガラスが加工しやすくなる、ガラスが加工しやすくなる……」
すると成分ではなく、別の記憶が蘇ってくる。
愛しい女性の顔と供に。
「ルミナ……」
タクミはその女の子と一緒にガラスを細工した。
すると、すごくガラスが加工しやすくなった。
ガラスを炙るのは、彼女のルビーの爪から発する炎。
「そっか、アルミナか!」
「ようやく思い出したな。そうだ、アルミナを混ぜるとガラスが柔らかくなって加工しやすくなる」
そうだったのか、とタクミは納得する。
ルミナの炎でガラス細工がしやすかったのは、理由があったのだ。
ルミナ。
赤い髪の女の子。
髪の毛を撫でると気持ち良さそうに頷いてくれた。
また撫でてあげたいと想いとともに、とても重要なことにタクミは気がつく。
右手の手首から先が無くなっているのだ。
「ああああああっーーーーーー!」
叫び声とともに、タクミは目を覚ました。
がばっと体を起こす。
そこは病室のようなベッドの上だった。
タクミが右手を見ると、グルグルと包帯が巻かれている。どうやら本当に右手首から先が無くなっているようだ。
「タクミ!」
懐かしい声の主に、タクミはいきなり抱きつかれる。
赤い髪の女の子――ルミナだった。
「ここはどこ? ルミナ」
「ここは病院よ、日本の」
それってどういうことだ、とタクミは思う。
ルミナはジオ族の娘。日本になんて来れないはずだ。
それにタクミはどうやって日本に戻ってきた? 全く記憶がない。
しかしそんな疑問よりも、まず最初にルミナに伝えたいことがあった。
「ルミナ。分かったんだよ、君の炎でガラスが細工しやすくなった理由が!」
その言葉を聞いて、ルミナは可笑しくなった。
この人は、本当にガラス細工が好きなんだと。
自分の手首よりも、ガラス細工のしやすさの方が大事な人なんだと。
「君の右人差し指の爪ってルビーだろ? ルビーの主成分はアルミナなんだよ。だからガラスが細工しやすくなったんだ」
クスクスと笑うルミナ。
そしてそんなことはどうでもいいと思う。
だってここはジオでもリナでもなく、日本なのだから。
「ごめんね、タクミ。私はもう、炎は出せないの」
そう言いながら、ルミナは包帯で巻かれた右人差し指を突き出した。
「どうしたんだよ、その手?」
「爪を剥いだの、自分で。だってね、ジオ族のままだと日本に行けないって言われたから」
――爪を剥いだ?
タクミは自分の耳を疑う。
それは自分と一緒に日本に来るために?
涙がポロポロとこぼれてくる。こんな自分のために、女の子が自分の爪を剥ぐなんて、あってはならないことだ。
「ゴメン、ルミナ。痛い思いをさせてしまって……」
タクミは左手でルミナの右手首を握りしめた。涙が後から後から出てくる。
「もう痛くないから大丈夫。タクミと一緒に日本に来るためだもん、そんなの一瞬よ。それよりもタクミの方が大変じゃない。右手首を失っちゃったんだから」
そしてその柔らかな左手で、タクミの右手をさする。
タクミは濡れた目のままルミナの瞳を見つめる
「後悔してない? ジオ族であることを捨てちゃって」
「いいのよ、私なんてジオ族の出来損ないなんだから。十本の爪が全部結晶だったら、剥がすの大変だったわ」
「そんなこと言うなよ」
「それにね、私嬉しいの。タクミのような柔らかい手になれて。タクミに頭を撫でてもらったの、嬉しかった……」
「いつでも撫でてやるよ」
「うん、ありがとう……」
タクミは左手でルミナを抱きしめる。
その時だった。
タクミの背後からゴホンと咳払いが聞こえてきたのは。
振り返ると、ガラスのウサギが二匹、テーブルからタクミたちを見つめていた。
「ボク、恥ずかしくなっちゃったよ」
その声はリナリナだ。そしてもう一匹は――
「そういうのって、私たちがリナに帰ってからにして欲しいよね」
ユーメリナだった。
「タクミはね、魔王様を守ろうとして、勇者に手首を切られちゃったんだよ。去年、ボクが日本から召喚した人に。本当に申し訳ないよ」
「なんでもね、勇者は魔王を退治しなくちゃならないって、思い込んでいたんだって」
それからタクミは、事の詳細を聞くことになった。
魔王の退治を企んでいた勇者は、一年間、結晶の森に隠れて機会をうかがっていたという。そして魔王カップのタイミングで魔王城にもぐりこみ、玉座の間が真っ暗になった隙に魔王に近づいた。そして切りかかったところ、タクミに邪魔されてしまったのだ。
「その直後、タクミはボクが日本に戻したんだ。重症だったからね。タクミは道端で意識を失っているところを病院に運ばれた。ひき逃げの被害者――という扱いでね」
「それでね、ルミナが勇者へ反撃したの。それはすごかったんだから、愛の力ね」
ルミナは真っ赤な顔でうつむいている。
「でもその攻撃を魔王様が止めた。殺してしまったら、何も分からなくなっちゃうからね。そして罰として、彼から日本に戻る権利を奪ったんだ」
そこから先の経緯はタクミにも予想がついた。
なぜなら、日本に来れるはずのないルミナがここにいるのだから。
ジオ族の象徴であるルビーの爪と引き換えに、勇者から奪った日本に来る権利を魔王から貰ったに違いない。
「だからルミナのことよろしくね。ボクたちはもう戻るから」
「ガラスの技術を教えてくれてありがとう。私たちが勝てたのはタクミのおかげよ。リナを代表してお礼を言うわ。あと、さっきのアルミナ情報も使わせてもらうわね。じゃあね!」
すると二匹のガラスのウサギから、青白い光が抜けていく。
「ついに私たちだけになっちゃったね」
「ああ、そうだな……」
「そうそう、私が日本に来るときね、サファイア様がお土産をくれたの」
そう言いながらルミナはバッグから取り出した。魔王カップでサファイアが作った、あのワイングラスを。
「これ、すごいぞ。サファイアガラスは高級品なんだ。日本なら何十万って値段がつく」
「それで入院費が払える?」
「いやいや、おつりがくるかもよ」
「じゃあ、それで日本中を回りましょ? ガラス細工をしながら。私がバーナー、そしてタクミが吹くの」
「バーナーワークは難しいぞ」
「一生懸命練習する。私、タクミの右腕になりたいの」
愛おしくなってタクミはルミナを抱きしめた。
そして二人はそっとキスを交わすのだった。
おわり
ライトノベル作法研究所 2020夏企画
テーマ:『炎』と『癒し』と『挑戦者』
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