カグライブ!~三人の転入生~ ― 2016年05月07日 07時09分09秒
「おおーーーっ!!!」
七月一日。初夏の竹丘学園、二年J組の教室は歓声に包まれた。
朝のホームルームで担任の田中先生が連れてきたのは、三人の女生徒だった。
――二年生で唯一の工科クラス、J組。
八割が男子という飢えた狼たちの前に、転入生として女生徒が三人も並んだのだ。教室が色めかないわけがない。
しかも、三人ともなかなかのルックスを有している。
僕、笠岩調(かさいわ しらべ)はクラス委員長として、ドキドキしながら三人の様子を眺めていた。
「じゃあ、端から一人ずつ自己紹介してもらおうか」
先生の太い声が教室に響く。
すると、教室の入口に一番近い亜麻色のショートボブの女生徒が、僕たちに背を向け、黒板に名前を書き始めた。
『犬塚かぐや』
「かぐや?」
「平仮名かよ……」
なんて古風な名前なんだと騒つく教室。僕は彼女の後ろ姿を凝視する。
真新しい夏服のスカートをすでにかなり短くしているし、髪も染めているとしか思えない。
名前を書き終わってスカートの裾をひるがえしながら振り返った彼女の挨拶も、容姿と同様ぜんぜん古風じゃなかった。
「うち、いぬづか、かぐやっていうんや」
関西弁?
「出身は奈良県やけど、みなさんよろしくなー」
目はクリッとして、鼻も丸っこく人懐っこそうな印象だ。見た目は軽いが、意外と面白いやつかもしれん。
犬塚さんがペコリとお辞儀をすると、今度は隣の黒長髪で眼鏡の女生徒が黒板を向いて名前を書き始めた。
『瀬礼根かぐや』
「ええっ、またかぐや!?」
「こっちも平仮名だぞ」
「名字はなんて読むんだよ!?」
どよめく教室に動じることなく、美しい姿勢のまま瀬礼根さんは名前を書く。身長は三人の中で一番高い。字もすごく綺麗だった。
「私は、せれね、かぐやといいます」
振り返って、深々とお辞儀をする瀬礼根さん。名字はせれねって読むのか。
「よろしくお願いいたします」
なかなか礼儀正しい人らしい。さっきの犬塚さんよりも、かぐやって感じがする。眼鏡の奥の切れ長の瞳は、ちょっとキツそうだけど。
そして三人目の女生徒。
身長は一番低く、髪も肩にかかるくらいの黒髪だが、前髪が長くて表情がよく見えない。神秘的な感じもするけど、チョークを持つ手は震えている。案の定、黒板に字を書こうとしたらチョークを落としてしまった。
「頑張れ!」
誰かが掛けた言葉にビクリとする女生徒。黒髪を揺らしながらチョークを拾って、やっとのことで名前を書き始めた。
『藤野かぐや』
「マジかよ……」
「三人ともかぐや!?」
「そんなことってあるかよ」
教室のざわつきはなかなか収まりそうもない。藤野さんは、恐る恐るこちらを向いた。
「ふじの、かぐや……」
消えてしまいそうな声でひとこと名前を告げると、そのまま顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。前髪の隙間からチラリと見えた二重の瞳は、なかなか印象的だったけど。
「みんなもビックリしただろ? 三人とも同じ名前で」
三人の挨拶が終わると、先生が興奮気味に切り出した。
「今まで何人も転入生を受け入れてきたけど、こんなことは初めてだ」
そりゃ、そうだろう。
しかも、三人とも平仮名の『かぐや』だなんて、その確率は天文学的数値に違いない。
「本当は、名前の所以なんかも紹介して欲しかったんだけど、藤野が緊張しているようだからまた今度にしようか?」
先生は、うつむいたままの藤野さんを見る。
すると、犬塚さんがさっと手を挙げた。
「うち、簡単やで。実家が家具屋さかいな」
んな、アホな。
実家が家具屋だからって、まんまじゃないか!?
いきなり教室が笑いに包まれる。クラスメートの心をぐっと掴んだ彼女は、さらに畳み掛けた。
「みんなも知ってるやろ? 犬塚家具やで。家の人にも宣伝してや」
おお、犬塚家具なら知ってるぞ。それって有名じゃないか。
教室の笑いがざわつきに変わると、隣の瀬礼根さんが手を上げる。彼女の透き通る声が教室に響き渡った。
「私の両親は宇宙工学者で、名前の由来は月周回衛星『かぐや』です!」
ほお、こちらはエリート科学者の血筋だな。
「かぐやの最大の功績は、月の凸凹を正確に測量したことなんです」
瀬礼根さんは犬塚さんに負けじと、かぐやの宣伝を始めた。
そしてクラスの興味は、最後の藤野さんに集中する。
うつむいたままの彼女は、赤い顔をさらに真っ赤にしながら、必死に声を絞りだそうとしていた。
「わ、わ、わた、わた、わたしは……」
限界だった。
藤野さんはいきなり走り出し、教室を飛び出してしまった。
◇
その後、先生が藤野さんを探しに行ったりして大変だったけど、なんとか一日の授業が終了する。
そして放課後。
クラス委員長の僕は、なぜだか理事長室に呼ばれていた。
「失礼します。笠岩です」
「おお、入りたまえ」
理事長室に入ると、ゆったりとした三人がけの応接ソファーが二脚対面しており、すでに五名の人物が座っていた。
真ん中に白髪の理事長、左隣に担任の田中先生だ。
向かい合って座っているのが、犬塚さん、瀬礼根さん、藤野さん、つまり三人のかぐや。
「こっちじゃ、こっち」
生徒側に腰かけようと椅子を探していると、理事長が右横の空いているソファーを指差す。
「気にせんでええ、ここに座りたまえ」
理事長に言われたら仕方がない。
僕は恐縮しながら、理事長の右隣に腰掛けた。齢七十くらいに見えるが、語気に衰えは感じない。
すると田中先生が切り出した。
「今日は理事長から、君たち四名に直々にお話があるそうだ」
理事長は改まってゴホンと咳払いする。
「君たちに集まってもらったのは他でもない。一つお願いがあるんじゃ」
お願い?
一介のクラス委員長と今日転入したばかりの三人の女生徒に、何をお願いしようというのだろう。
「とあるライブに出てほしい」
ライブ?
それって、唄を歌ったり踊ったりするスクールなんとかってやつ?
女子三人は見栄えすると思うけど、僕は役に立たないぞ、きっと。
「実は、幼馴染の松池工科高校の会長と言い争いになっての、もう君たち四人をエントリーしてしまったんじゃ」
なんだって!? 僕たちには事後承諾ってことか?
冗談じゃない、クラス委員長だからって僕を巻き込まないでくれ。
「それで理事長、それはどんなライブなんですか?」
田中先生が訊くと、理事長は鼻息を荒らげた。
「カグライブじゃ!」
三人のかぐやの表情がはっと変わる。
田中先生も息を飲んでいた。
って何? カグライブって何?
「そこで優勝できなければ、君たちが通っている場所は無くなると思ってくれ」
ま、まさかの負ければ終わり宣言!?
僕たちは真っ青になって顔を見合わせた。
「無茶苦茶や。カグライブの全国大会は、すごいレベルなんやで!」
思わず犬塚さんが叫んでいた。
カグライブがなんなのかわからないが、相当無茶なクエストらしい。
すると理事長は、僕らの反応を楽しむように付け加える。
「なにも全国大会とは言っとらんよ。県南大会で松池工科を倒して優勝してもらえばええ」
なんだよ、全国大会じゃないのかよ。
犬塚さんもガクっときたのだろう。いきなり溜飲を下げていた。
しかし今度は、瀬礼根さんが理事長に噛み付く。
「県南大会と言えど、先ほどおっしゃられた松池工科や梅野実業など、この地区には強豪校が揃っています。私たちは今日転入したばかりなのに、いきなり廃校だなんて、それってあんまりです」
そうだ、そうだ!
僕だって廃校は嫌だ。転入したばかりの彼女たちにとってはなおさらだろう。そもそも廃校になったら、通うところが無くなっちゃうじゃないか!
理事長はニヤニヤ笑ったまま、さらに言葉を付け加える。
「だから廃校とは言っとらんよ。君たちの工科クラスが無くなるだけじゃ。カグライブの地区予選すら突破できないんじゃ、そんな工科クラスはいらんじゃろ?」
「…………」
するとみんな黙り込んでしまった。
カグライブがなんなのかわからないが、理事長の言うことは至極正論であるらしい。
というか、ちっちゃい! ちっちゃいよ。
全国大会で優勝できなければ廃校、なんてドラマチックな展開かと思ったら、県南大会で隣の高校に勝てなければ工科クラスが無くなるだけだって?
まあ、僕は工科でも普通科でも、どっちだっていいんだけど。
「でも、大丈夫!」
予想以上に意気消沈してしまった場を危惧したのだろうか。理事長がいきなり声を張り上げた。
「わしは、カグライブのために三人のかぐやを召喚した」
召喚……って?
つまり理事長が、目の前の三人を呼び寄せたってこと?
「犬塚さん、瀬礼根さん、藤野さん。この三人は、わしが全国を回ってスカウトした逸材じゃ。それぞれ家具作りに特化した特殊能力を持っておる。彼女たちが転入したからには、優勝は間違いなしじゃ!」
すかさず田中先生が質問する。
「あの、理事長。クラスを監督する者として質問してもよろしいですか?」
「おお、なんじゃ?」
「この三人の特殊能力とは一体?」
僕も気になるところだ。
理事長もその質問を待っていたのだろう。自分の目のつけどころを自慢するかのごとく、鼻高々に説明を始めた。
「まずは犬塚さんじゃ。彼女は有名家具販売店のご令嬢で、人脈もあり、材料の調達にも顔が効く。そして家具作りは幼少の頃からの手練れじゃ。この業界で、これ以上の若手人材はおらん」
その説明を聞いて、彼女はまんざらでもないという表情をする。
まあ、これは納得だ。犬塚家具といえば日本を代表する大手だから、その後継者が仲間であるのは心強い。
「そして瀬礼根さん。彼女の目測は誠に正確じゃ。一ミリの誤差もない。これは家具作りに相当のアドバンテージとなる。そうだ、ちょうどいい。その実力を皆さんに見せてあげるのじゃ!」
理事長がそう言うと、瀬礼根さんは「わかりました」と静かに返事をする。
そして、こちらの様子を窺いながら、手探りで右隣の犬塚さんの膝上に手を伸ばし――ピラッと彼女のスカートをめくった。
「ちょっ、ちょっとなにするん!?」
慌ててスカートを抑える犬塚さん。
み、見えてしまった。健康的な張りのある太ももと、スカートの深遠に潜むピンク色の布地が……。
で、でも、しょうがないぞ。だって、あんなに短いスカートでゆったりとしたソファーに座ってるんだから。
「理事長、顕著な隆起を観測しました」
怒れる犬塚さんに気を向けることもなく、静かに報告する瀬礼根さん。
りゅ、隆起って……まさか!?
「ほお。やはり観測できたか。その変化量を報告するんじゃ」
「わかりました。変化量は理事長ゼロミリ、田中先生一ミリ、笠岩君十ミリです」
そ、そ、それって……。
そりゃ、見ちゃったよ。でも見ちゃったら、そうなるのは当然じゃないか。健康的な男子なら。
でも、こんなのヒドい。みんなの前で値を示してあからさまにするなんて、教育者がすることじゃない。
唯一の救いは、犬塚さんと藤野さんが状況をあまり理解していないことだった。犬塚さんはまだ瀬礼根さんを睨みつけてブツブツ文句を言ってるし、藤野さんに至っては瀬礼根さんの影で何も見えなかったようで、不思議そうに首をかしげている。
「どうじゃ? 正確じゃろ? 笠岩君」
「…………」
お願いだから僕に振らないでくれ!
ていうか、瀬礼根さんも何見てんだよ!?
僕は恥ずかしくて何も言うことができなくなり、黙ってうつむいた。顔もきっと真っ赤になっているだろう。
「ほっほっほぉ、黙り込むってことは正解じゃな。若い、若いのぉ」
ていうか、あんなシーンを見せつけられたのに、ほとんど隆起しない理事長や田中先生の方がヤバいんじゃないの? 正しい教育者――なのかもしれないけど、男としては終わってるよ!
顔を上げることができない僕をよそに、理事長は話を続ける。
「そして最後の藤野さん。彼女は、秘密のかぐや属性を持っておる」
秘密のかぐや属性?
なんだよそれ。というか、もうどうでもいいよ。
「しかし彼女は、その特殊能力を自分自身で引き出すことができない。それができるのは、笠岩君、ただ一人なんじゃよ」
頼むから僕はほっといてくれ……って、えっ? 僕がただ一人の存在!?
いや、ダメだ、ダメダメ! どう考えたって釣り文句じゃないか。
だって彼女と僕は、今日初めて会ったばかりなんだぞ。そもそも肝心の僕が何もわかっていない。
そろりそろりと顔を上げると、藤野さんも僕と同じようにうつむき加減で顔を赤らめていた。前髪が邪魔で、表情は相変わらずよくわからない。
「だからこの四人が揃って、笠岩君が藤野さんを覚醒させれば、絶対勝てるはずなんじゃよ」
なんだか僕たちは、理事長の個人的な道楽に利用されているような気がする。
それよりも僕には大きな疑問があった。
「あの、一つ質問してもいいですか?」
僕は顔を上げて理事長に尋ねる。
「なんじゃ? 笠岩君」
その質問が場を凍らせてしまうことを知らずに。
「カグライブって、何ですか?」
◇
「あんた、ホンマにカグライブ知らんの? 工科クラスの委員長やのに」
一時間後、街の喫茶店で僕は犬塚さんに説教されていた。
「私も呆れましたわ。委員長というのにカグライブを知らないなんて!」
今度は瀬礼根さんが畳み掛ける。
頼むから僕をいじめないでくれよ。本当に知らなかったんだから。喫茶店のお客さんも、こちらの騒ぎを見てるじゃないか。
戦略会議と称してこの喫茶店にたどり着いた僕たち四人は、店の中ですでに浮いた存在になっていた。
「ふん! ふん!」
すると藤野さんが鼻息を荒らげながらスマホの画面をこちらに向ける。
そこには、カグライブのホームページが表示されていた。
なになに……。
カグライブは、家具作りの技術とスピードを競うコンテストです。
だって!?
「全国から、家具作りを学ぶ高校生が出場するんやで」
「今年の課題は、椅子って聞いてますわ」
「んんんんん!」
藤野さんが示すページには、今年のカグライブのルールが記されている。
各校で用意した材料を用いて、制限時間内に椅子を一脚、製作していただきます。
制限時間は二時間、メンバー構成は一チーム四人です。
三組の審査員によって順位を決定します。そのうち一組はゲスト審査員です。
ほお、こんな面白そうなコンテストがあったのか。
まあ、僕は授業中ずっと寝てたし、実技は適当だったし、くじ引きで決められたクラス委員長だからなぁ……。
「うちらの役割は簡単やね。うちが人脈を利用して、最高の材料を調達する」
犬塚さんが提案すると、瀬礼根さんが続いた。
「そして、私が得意の目測能力を生かして、材料の切断を行う」
すると全員の視線が藤野さんに集まった。
注目されて彼女はまた下を向いてしまう。
「問題は、藤野さんがどないな能力を持ってるかや」
「それが分かれば、作戦が立てられるのですが……」
そして二人は今度は僕をジト目で見た。
理事長が僕のことを、『藤野さんの特殊能力を引き出せる唯一の存在』と歯の浮く言葉で持ち上げたからだ。
「こんな委員長が、私たちの切り札を覚醒させる鍵とは、なんとも頼りないものですね……」
すいませんね、頼りない委員長で。
「そういや、カサイワ君の苗字って、どないな字を書くんや?」
犬塚さんが突然訊いてくる。
僕は不思議に思いながらも、丁寧に説明した。
「笠地蔵の『笠』に、岩石の『岩』だけど……?」
「それって……」
「ん? んんんんんん!?」
「そやな、うちもなんか聞いたことがあるような気ぃするんよ」
三人がそれぞれ反応した。
それってどういうことなんだ?
すると、藤野さんがスマホのメモに手書きで文字を書いて二人に見せる。
「おお、これや!」
「そうですね。きっと笠岩君の下の名前はこれに違いありません」
ええっ!?
それってどういうこと?
三人が僕の名前を予想して、その結果がピタリ合ってるってこと!?
おののく僕に藤野さんがスマホを示す。
そこには、正に僕の名前――『調』が表示されていた。
「な、なんで、三人とも僕の名前がわかったんだよっ!?」
これは驚きなんてものじゃない。
驚愕、そのものだ。
しかし三人はケロッとした顔で、軽やかに声を合わせた。
「「「だって私たち、かぐやですから!」」」
おいおい、藤野さん、しゃべれるじゃん。
犬塚さんも、関西弁じゃないし……。
◇
喫茶店を出た僕たちは、本屋に向かっていた。
「笠岩君、竹取物語って読んだことないんか?」
そう問い詰められた僕はすぐに馬脚を露わし、それならばすぐに本を買って勉強しようということになったからだ。
さすがに僕だって竹取物語は知っている。
「昔々、おじいさんが山に竹を取りに行きました、ってやつだろ?」
「ちゃう! それは童話や。笠岩君、ほんまに高校生?」
どうせ僕は、ぐーたら高校生ですよ。
「『今は昔竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつつ、萬の事につかひけり』が正解ですよ」
いやいや、そんな古臭いのって読めないから。
「んん! んんんん!」
藤野さんが『常識』という文字をスマホで僕に見せる。
そんなことしなくても、さっきみたいに普通にしゃべってくれていいから。
そして本屋に着くと、原文と現代訳が並記されている本を買った。いや、買わされたと言った方がいい。
明日までに読んで来い、読めば『調』の謎が解ける、という脅しに近い激励と共に。
風呂に入り、夕食を食べ終わった僕は、早速机に向かって本を開く。
物語は、まずおじいさんが光る竹を見つけ、その中から女の子が出てくるところまでは童話と一緒だった。が、その後がなかなか現実的であることを知る。
かぐや姫がとても美しいので沢山の男が言い寄ってきたが、あまりの姫のツンツンぶりに男どもはみんな離れていき、ついに五人だけになってしまう。
――さて、このストーカー五人衆をどう追っ払おうか?
かぐや姫が選んだ作戦は、無理難題をふっかけること。
彼女は五人それぞれに、仏の御石の鉢、蓬莱の玉の枝、火鼠の皮衣、龍の頸の五色の玉、燕の子安貝、つまりおよそ手に入りそうもない宝を持ってきたらヨメになってやると、条件を提示したのだ。
「まるで、身長一八◯センチ以上とか、年収一千万以上とか、帝都大卒とか、そんなことを言われてるみたいだな……」
今も昔も変わらないと、僕はしみじみとした気持ちになる。
それから、この五人がたどる道は悲劇だった。
一人目は、近場で調達したことがバレて恥をかき、二人目は金にものを言わせて本物そっくりの模造品を作ったが、偽造業者が押しかけてバレる。三人目は大金はたいて聖地から宝を取り寄せるが、悪徳業者に偽物をつかまされ、四人目は無茶しすぎてギブアップ。五人目に至っては、宝を取ろうとして事故死してしまったのだ。
「うわー、嫌だ、こんな人生……」
僕も将来、ものすごく美しい女性に恋してしまったら、こんな風になってしまうのだろうか?
来たるべく自分の未来と重ね合わせながら物語を読み進めていくうちに、ついに太刀打ちできない存在が現れた。
帝――つまり天皇だ。
天皇は歌を介してかぐや姫の心をつかんでいくが、ついに最後の時がやってくる。
――月に帰らなくてはならない。
かぐや姫は突然、こう宣言したのだ。
「まあ、ポリン星やちょるちょるランドに帰るって宣言されるよりはマシだけど」
その宣言を聞いて驚いた天皇。姫を月に返してなるものかと軍隊を出動させる。が、姫はついに月人に奪われてしまった。人間としての最後の瞬間、姫が天皇に遺したものが不死の薬だった。
――姫が居なくなったのであれば、不死の薬も必要ない。
「いやいや、僕ならすぐに飲んじゃうけど……」
もったいないと思うことなく、天皇は不死の薬の処分をある人物に託す。それが、調岩笠(つきのいはかさ)だった。
「おおっ!?」
やっと出て来たよ。『調』という名前が。
調岩笠は不死の薬を駿河の山で燃やし、その山は「ふじの山」と呼ばれることとなったという。
これが竹取物語の大まかなストーリーだ。
確かに出てきた。『調』の文字を持つ人物が。
「ていうか、『調岩笠』なんて、僕の名前『笠岩調』と同じじゃないか……」
漢字の並びが逆というだけで。
もしかして両親は、この人物にちなんで僕の名前を付けたのだろうか?
子供の頃の記憶が、脳裏に蘇る。
『探求心を持ち続けるようにって、『調』という名前を付けたんだぞ』
『音楽や言葉の『しらべ』という意味もあるの。優雅に生きてほしいな』
なんだかちょっと悲しくなる。
両親の言葉も嘘ではないだろう。でも、真っ先に『調岩笠』という人物名が浮かんだのだとしたら、どんなに素晴らしい名前の意味も後付けに聞こえてしまう。
――もしかしたら自分の名前は竹取物語に由来していたのかもしれない。
その疑惑で僕の心は一杯になり、もう何も考えられなくなった。そしてそのままベッドに潜り込む。
この時、もっと冷静であれば……。
僕は、藤野さんとの重要な接点に気づけたはずだったのだが、それが判明したのは後になってからだった。
◇
翌日の放課後。
僕たち四人は、また同じ喫茶店に集合した。
「笠岩君、宿題やってきたん?」
犬塚さんがクリクリとした瞳を輝かせながら僕に尋ねる。
「ちゃんとやってきたよ。答えは、調岩笠だろ? 不死の薬を燃やしちゃった犯人」
すると瀬礼根さんと藤野さんが噛み付いて来る。
「犯人、というのはちょっと言い過ぎだと思います。だって帝の言う通りにしただけなんですから」
「んんんんんっ!」
藤野さんがスマホに二次元美少年キャラを表示して、怒りの表情を見せる。
どうやら調岩笠という人物は、漫画やネットの世界ではかなりの人気者らしい。
「うちはな、理事長が昨日、なんであないなこと言わはったんか不思議なんよ。だって、かぐや姫と調岩笠は、直接会うたことがないんや。せやのに、調岩笠と名前が似ている笠岩君が、かぐや姫の潜在能力を引き出すことができるやなんて何か変やろ?」
確かに犬塚さんの言う通りだ。
会ったことのない物同士、どうやって干渉するのだろう。
二人の関係が竹取物語に書かれていれば、特殊能力についても何か記されているかもしれないのだが……。
「せやからな、うちは思うんや。これは語呂合わせやないかって。調岩笠はフジに行った。藤野さんの名字もフジや。だから、同じフジを持つ藤原氏が謎を解くヒントやないかってな」
――藤原氏。
竹取物語は、成立年、作者ともに未詳だ。しかし昨日買った本の解説によると、その背景には藤原氏の繁栄と衰退が大きく関与しているということだった。
その証拠に、藤原氏の誰かが登場人物のモデルになっているという。それは……うーん、誰だったかな……?
僕は必死に記憶を探り、一人の人物の名前を思い出した。
「藤原不比等!」
「正解や。笠岩君、よう勉強しとるやん」
すると、すかさず瀬礼根さんが補足する。
「藤原不比等は、二番目に姫を諦めた車持皇子のモデルと言われています。車持皇子は、蓬莱の玉の枝とそっくりの模造品を業者に作らせて、あわや姫を手に入れんとするところまで行ったのですが、最後に未払金をよこせと業者が押しかけてバレちゃったんです。でも言い換えれば、五人の男たちの中では一番成功した人と言えるわけですね」
「そうなんや。もしかしたら理事長は、その能力のことを言わはったんやないかと、うちは思うとってな……」
その能力って……。
――正確な模造技術。
二時間で勝負をつけるカグライブでは、長期の耐久性は必要ない。極端な言い方をすれば、見栄えが良く、審査員を満足させる耐久力さえあれば、模造品でも構わないのだ。
「確かに、一流品そっくりに模造できれば、松池工科に勝てるかもしれませんね」
「問題は、藤野さんの能力がどないなレベルかなんや」
僕たちは藤野さんを見る。
彼女も僕たちがどんなことを考えているか理解しているのだろう。
顔を真っ赤にしながら、何か言おうとしていた。
「わ、わ、わた、わた、わたしは」
そして爆発した。
「偽物作りじゃないっ!」
前髪を振り乱しながら立ち上がり、必死に僕らに訴えようとする。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「えっ!?」
不覚にも、僕は魅せられてしまった。
チラリと見えた、藤野さんの、二重で、涙袋もぷっくりとした、艶やかな瞳に。
他の二人もそれぞれ思うところがあったのだろう。
気がつくと、三人が同時にバラバラの言葉を発していた。
「しゃべれるやん!」
「隆起しました」
「綺麗だ……」
彼女の瞳の美しさに、つい言葉が漏れてしまった。
――綺麗だ。
こんなに瑞々しい瞳を持っているのだから、前髪で隠さなくてもいいのに。
僕は本気でそう思ったのだ。
もっと見たい、彼女の瞳を。
そして、僕の言葉に反応した藤野さんと目が合ってしまう。
その瞬間――熱いものが胸を貫いた。
恥ずかしくなって、僕は思わず目を逸らす。藤野さんも席に座り下を向いてしまった。
「すごい、どんどん隆起しています! 二十ミリ、三十ミリ……」
一方隣では、瀬礼根さんが興奮気味に観測結果を報告していた。
頼むからいい加減なことは言わないでくれよ! 今の僕はそんなことにはなってない。
怒りを込めて瀬礼根さんを向くと、彼女は僕を見ていなかった。目を丸くする彼女の視線は、藤野さんの胸に注がれていたのだ。
「ええっ!?」
僕は自分の目を疑った。
だって藤野さんの制服のブラウスは、胸の部分がはちきれんばかりに膨らんでいたから。
「こ、これは……」
Dカップ、いやEカップは超えているだろう。喫茶店に来た時はBカップくらいだと思っていたのに。
「ちょ、ちょっと藤野さん。どうしたんや、そのおっぱい」
犬塚さんも目を丸くする。
犬塚さんの胸も結構大きい方だと思うが、今の藤野さんはそのサイズを軽く凌駕していた。
「わ、わたし……、感情が乱れると胸が異常に大きくなっちゃうんです。だから、誰とも話さないように、目を合わせないようにしてたのに……。だって、だって、かぐや姫の恋は……」
藤野さんは言葉を詰まらせる。
やっとわかった。藤野さんが前髪を長くして、言葉数も少ない理由が。
「これはまるで山体膨張や……」
息を飲む犬塚さん。すると瀬礼根さんが驚愕の事実を付け加える。
「サイズだけじゃないです。温度もどんどん上昇しています」
それって、どういうこと!?
「六十度、七十度、は、八十度ォ!?」
そんなバカな。
人間の体温は高熱時でも四十度ちょっとだぞ。その二倍の温度に達するなんて、どういうことなんだ?
「これや!」
藤野さんの異常な胸を見て、犬塚さんが叫んでいた。
「カグライブの作戦、思いついたで!」
三人の視線が犬塚さんに集中する。
「異常に大きうなったり熱うなるこのおっぱいが、藤野さんの特殊能力や。それは間違いないやろ。なぜかはわからへんけど」
確かにこの胸は異常だ。温度については触ったわけじゃないから、瀬礼根さんの観測値を信じるしかないけど。
「そこでうちはひらめいた。このおっぱいを利用して、材料を曲げればええんや!」
おお、その手があったか!
八十度まで温度が上がるのであれば、木材を曲げることもできるかもしれない。
「それはいい案ですね」
瀬礼根さんも賛同する。
彼女の観測が功を奏したのだ。悪い気はしていないだろう。
「うちが材料を調達して、瀬礼根さんが切断する。そして藤野さんが曲げて、みんなで組み立てる。完璧やないか」
でも藤野さんはそれでいいのだろうか?
チラリと見ると、彼女はまだ下を向いたままだった。胸は残念ながら、元のサイズに戻りつつあった。
「ところで、今回のゲスト審査員って誰なんでしょう?」
藤野さんが下を向いたままなので、瀬礼根さんと犬塚さんはカグライブについて話を進めていた。
「うち知ってる。なんでも、お笑いの『春の日踊り(はるのひおどり)』らしいで」
「春の日踊りって、テレビで北欧製の椅子を壊してしまった、あの二人組?」
おお、その話なら僕も知ってる。
なんでも、視聴者プレゼントの椅子を番組放映中に乱暴に扱って壊してしまったらしい。その様子が動画サイトで話題になった。
「そうなんや。せやから今回のカグライブは、デザイン性や見た目の綺麗さよりも、とにかく丈夫な椅子を作るんが勝負の鍵になるんやないかって、もっぱらの噂なんや」
さすがは犬塚さん。家具業界の情報には敏感らしい。
「だったら、素材選びが重要になりますね?」
瀬礼根さんが藤野さんを見る。
藤野さんの眉間がピクリと動いた。彼女も『素材』という単語には敏感に反応したようだ。
「強くて、丈夫で、熱で加工できて、うちらが扱い慣れてる素材って何やろな……」
犬塚さんも藤野さんを見た。
藤野さんはがばっと顔を上げ、スマホに何か文字を描き始める。
「やはりそれですよね」
「うちもそれ一択や」
三人の意見が一致したと思いきや、藤野さんがビシっとスマホの画面をこちらに向ける。
そこには一文字、『竹』と書かれていた。
「そやな。うちら、かぐややもんな」
「その通りですわ」
「みんな……」
やっと藤野さんが笑ってくれた。
◇
次の日から、カグライブに向けての特訓が始まった。地区予選まで、僕たちに残された時間は二週間しかない。
放課後になると僕たちは木工室に集まり、椅子のデザインについて検討を始める。
「ちょっと不細工やけど、まずは基本形を作ってみーへんか?」
犬塚さんがスケッチブックに描いたのは、ごく普通の竹製の椅子だった。骨組みの部分を丸竹で組み立て、お尻が乗る『座』と背もたれの『背板』を編んだ竹で細工するタイプだ。
「まずはヒゴ作りや。瀬礼根さん、幅二センチに竹を割ってや」
「わかりました」
すると瀬礼根さんが用意された竹を持ち、竹割り包丁を使って器用に割っていく。
「すげぇ!」
僕が驚いたのは、その幅が二センチでほぼ均一だったのだ。瀬礼根さんの高い目測能力の成せる技だった。
「次は藤野さん、一ミリで剥いでや」
今度は藤野さんが瀬礼根さんが割った竹を持ち、先端に竹割り包丁を入れていく。すると、竹が薄く綺麗に剥がれていった。
「おおっ!」
どんどんと薄さ一ミリのヒゴが生産されていく。
最後は犬塚さんが、藤野さんが剥いだヒゴを器用に編み始めた。
「四ツ目編みって言うんやで」
その作業スピードの速いこと、美しいこと。
さすがは家具屋の跡継ぎ。理事長の言う職人芸とはこのことかと、僕はため息を漏らす。
いや、犬塚さんだけじゃない。三人とも素人とは思えない。
「どうしてみんな、竹を扱うのがこんなにも上手いんだ!?」
驚愕する僕に、三人は軽やかに声を合わせる。
「「「だって私たち、かぐやですから!」」」
聞くだけ野暮だった。
「あかん、時間かかり過ぎや」
座の部分を編み上げた犬塚さんが絶望を込めて叫んだ。
僕から見たら、ものすごいスピードで作業が進行しているように感じたが、時計を見るとすでに一時間が経っていた。
カグライブは二時間で椅子を完成させなければならない。
「作業はこれだけやないんや。背板も編んで、さらに骨組みも組み立てんとあかんのやで。そんなの無理や!」
サジを投げる犬塚さん。
他の二人も、うーんと考え込んでいた。
僕は見ているだけだったが、この作業はあまり効率が良いようには見えなかった。
まず、竹を編む犬塚さんの負担が大き過ぎる。かと言って、他の二人が編んだらスピードが上がるようには感じられない。
そもそも、藤野さんの胸熱能力が活かされていないじゃないか。
だから僕は提案する。みんなの椅子作りを見ながら考え付いたアイディアを。
「ねえ、こういう椅子はどう? 竹を太めに沢山割って、それを半円型に曲げて、両端を中央で束ねるんだよ」
僕は犬塚さんからスケッチブックを受け取り、何本もの竹で構成されるリンゴのような球形を描く。
三人はそのスケッチを覗きこみ、「おー」と低い声を上げた。
背もたれがなく腰かけるだけの椅子だが、球形に束ねることで強度は増すはずだし、ゲスト審査委員『春の日踊り』のハードな審査にも耐えられるだろう。
「笠岩君にしては、ナイスアイディアやね」
「藤野さんの竹曲げ能力も発揮できますし」
「…………」
藤野さんは無言のまま「本当にあれをやるの?」という顔をしていた。
◇
次の日の特訓から、竹曲げの練習が始まった。
まず瀬礼根さんが幅五センチの割竹を作り、犬塚さんが面取りをする。
その間、藤野さんは湾曲した鉄板を抱いて胸を加熱していた。
胸に直接竹を当てるのではなく、熱くなった鉄板に押し当てて竹を曲げようという作戦だ。これなら彼女だって外見的には恥ずかしくないし、竹を一様に曲げることもできる。
肝心の熱源だが、それは僕の視線だった。
――藤野さんの瞳を見つめること。
それが僕の役割。なんという役得だ。
だって、綺麗な藤野さんの瞳をずっと見ていられるのだから。チラ見じゃなくて、正々堂々と。
時折、藤野さんと目が合ってしまう。照れて下を向いてしまう彼女の仕草がとっても可愛い。
勢いよく曲がっていく竹と一緒に、僕の心もキュンキュン鳴っていた。
しかしそれは最初のうちだけだった。
見つめ見つめられることに、だんだんとお互いが慣れてしまう。
カグライブ地区予選を明日に控えた帰り道、僕は瀬礼根さんに呼び止められた。
「ねえ、笠岩君。ちょっと話があるのですが……」
夕暮れの公園のベンチに二人で並んで座る。
瀬礼根さんはかなり深刻な表情をしていた。
「藤野さんの発熱効率がかなり落ちています。笠岩君も気づいていると思いますけど」
確かにそれは僕も気にしていた。
練習開始日はぐいぐい曲がっていた竹だが、今日の練習ではなかなか曲がらなかった。なんとか二時間で椅子を完成させることができたが、これ以上曲がらなくなると制限時間に間に合わなくなってしまう。
「いざという時は、竹の本数を減らすしかないんじゃない?」
しかしこの案は最終手段だ。竹の本数を減らすと強度が下がり、特別審査員に壊されてしまう恐れがある。
「それよりも、やっぱり根本的なところを対策した方がいいと私は思うのですが」
ということは……。
藤野さんの発熱効率を上げるってこと?
それってどうやればいいんだろう。ただ見つめるだけでは、もう限界のような気がする。
「それにですね、藤野さんの能力ってあんなものじゃないと思うのです。それを笠岩君にも意識してもらった方がいいと思います。私も明日までに対策を考えてみます」
「わかった……」
返事をしてみたものの、とっさには何も思い浮かばない。
でも、藤野さんの能力があんなものじゃないとはどういうことなのだろう?
もしかして、もっと胸が大きくなる可能性があるってこと?
あれ以上膨張して、下着やブラウスが破れてしまったらどうするんだよ。
僕はついエッチなことを想像してしまい――
「ただし、今みたいな隆起は無しの方向でお願いします」
瀬礼根さんに釘を刺されてしまった。
彼女はメガネを光らせながら僕の下半身を観察している。
そ、それって……。
恥ずかしさのあまり、顔がかあっと赤くなる。そして乙女のように足をぎゅっと閉じて、瀬礼根さんの耳元に口を寄せ、小声でお願いした。
(ちょ、ちょっと……、隆起観測はやめてくれよ。それに、このことは誰にも話さないでよね。お願いだから)
すると瀬礼根さんはニヤリと笑いながら、わかったと小さく首を縦に振る。
「そういえば理事長室での隆起量のことですが、笠岩君は何も気にすることはありませんよ」
気にすることはないってどういうこと?
パンチラで隆起するのは健全な若者の証拠ですって、同い年の女の子に言われても全然慰めにはならないし、さらに気になっちゃうんだけど。
「あの時、理事長と田中先生はすでにマックス隆起中だったんです。犬塚さんがソファーに腰掛けた瞬間から隆起が始まり、その量は二人とも三十ミリに達していました」
って、そっちかい。
◇
家に帰った僕は、机に向かって考える。
明日の本番では、どのような対策をとったらいいのだろうか……と。
『藤野さんの能力ってあんなものじゃないと思うのです』
僕の頭の中には、瀬礼根さんの言葉がグルグルと回っていた。
もしかして、藤野さんの潜在能力を十分に引き出すことができていないってこと?
理事長の言葉を借りるなら、僕の努力が足りないことが原因ということだ。
――藤野さんのかぐや属性とは一体?
肝心のこの課題が、まだ解けていなかった。
それを明らかにできれば、対策も判明するだろう。
僕はノートを広げ、今までわかっている事実を書き出してみる。
名前は藤野かぐや。
鍵となる人物は調岩笠。不死の薬を富士山で焼く。
感情が乱れると胸が膨張して熱くなる。
その時。
『これはまるで山体膨張や……』
犬塚さんの言葉が脳裏に蘇ってきた。
「それって、もしや……」
僕はスマホを取り出し夢中で検索を始める。ノートに記したこれらのキーワードを用いて。
すると出てきたのだ。僕の知らないかぐや姫の神話が。
「そうか、これだったのか!」
ついにわかった。藤野さんのかぐや属性が。
「すべてを解く鍵は神話にあったんだ……」
しかしこの真実は彼女にとって重すぎるんじゃないかと、僕は心の中に留め置くことにしたのであった。
◇
「いよいよ、今年のカグライブの開幕です!」
ドライアイスによるスモークの中から、一人の司会者がステージ上に現れる。
舞台は県立体育館。僕たちは舞台袖で紹介されるのを待っていた。
「ついに本番やな」
「この日が来ましたね」
「…………」
緊張でガタガタ震える僕をよそに、三人のかぐやは意外と落ち着いているようだった。
「まずは昨年優勝の松池工科高校です!」
会場の拍手と同時に、ステージが再びスモークで真っ白になる。
「使用する材料は樫。キャッチフレーズは『とにかく丈夫だ、どんと来い!』です」
スモークが晴れてくると、舞台上に屈強そうな男子高校生が四人現れた。
「か、樫やて……」
司会者の説明を聞いて犬塚さんが驚きの表情を見せる。
「樫は、木材の中でも特に堅いんや。それでガチな椅子を作って、ゲスト審査員に他校の椅子を壊させるという作戦やな」
僕も、樫が硬いということくらいはわかる。
加工するのも大変だろう。道理でマッチョな男子高校生を揃えたというわけだ。
「続きまして、竹丘学園です!」
「さあ、うちらの番やで」
犬塚さんの掛け声に合わせて、僕らは真っ白に煙るステージに駆け出した。
「使用する材料は竹。キャッチフレーズは『かぐやの竹のしなやかさ』です」
こうして僕たちの戦いが始まった。
紹介が終わると、ステージからアリーナへ降りて作業エリアへ向かう。
アリーナは高校ごとに作業エリアが分けられており、すでに材料と作業台、そして工具がセットされていた。
僕たちは自校のエリアに入り、おのおの配置につく。目の前の床には、犬塚さんが調達した最高級の真竹の乾燥材が並べられている。
最後の高校紹介は梅野実業だった。
「使用する材料は紙。キャッチフレーズは『あら不思議、意外と強い紙の椅子』です」
見ると、男子二人、女子二人の構成だ。
梅野実業の作業エリアには、大きくて丈夫そうな紙が何枚も置かれている。きっとこの紙を四人で折っていき、最終的に椅子を完成させるのだろう。確かにそれはライブ向きだ。パフォーマンスで観客に魅せることによって、高得点を狙う作戦のように思われる。
「各校、用意はいいですか?」
梅野実業がステージを降りて持ち場に着くと、司会者が全体を見回す。
「さあ、これから二時間の家具作りライブが始まります。カグライブ、スタァァァトォォォォ!」
イキのよい合図と共に、各校、生徒が動き出した。
まず僕たちは、練習通りの担当作業に専念する。
瀬礼根さんが竹を割り、犬塚さんが面取りをする。藤野さんは鉄板を抱えて椅子に座り、僕は彼女の前に座って瞳を見続けた。
しかしここでトラブル発生。
僕がいくら見つめても、藤野さんがうつむいたままで顔を上げてくれないのだ。これでは瞳を見ることができない。
いきなり懸念していた事態が発生した。
このままでは鉄板の温度は上がらないし、温度が上がらなければ竹を曲げることもできない。
「仕方がありません」
瀬礼根さんは竹割りの手を止め、材料置場から何かを持ってくる。
それは一冊のスケッチブックだった。
そしてスケッチブックを藤野さんからは見えない位置に立てかけ、竹割りをしながら一枚ずつめくっていく。
「笠岩君、これを読んで下さい」
一枚目には『綺麗だ』と書かれていた。
「綺麗だ」
「ダメだす。もっと感情を込めて」
「綺麗だよ」
「もう一歩です。名前も一緒に」
「藤野さん、綺麗だよ」
なんという茶番なんだ、と思いながら僕は『綺麗』を連発する。
すると藤野さんの顔がなんだか少し赤くなったような気がした。
「笠岩君、効果がありました。少し温度が上昇しています。さあ、どんどんいきますよ」
そう言いながら瀬礼根さんがスケッチブックをめくる。そこには『魅力的だ』と書かれていた。
きっとあのスケッチブックには、褒め言葉がずらりと並んでいるのだろう。
それを言わされている僕も情けないが、素直に反応して温度を上げてしまう藤野さんも単純すぎる。でも今のところ、これに代わる打開策は見当たらない。
僕はやむなく、瀬礼根さんと誉め殺し作戦を実行した。
「ずっと気になっていた」
「君に会えて良かった」
「君は運命の人だ」
不思議なもので、口に出しているうちにそんな気持ちになってくる。
もしかしたら自分も知らないうちに、そう思い始めていたからかもしれないが。
「好きだ」
「誰にも渡したくない」
「愛してる」
いやいや、これはやり過ぎだ。
僕が口にするのをためらっていると、瀬礼根さんのメガネがキラリと光った。口元もなんだか『隆起』と動いているように見える。
――おいおいズルいぞ。バラさないって約束したじゃないか。
僕は瀬礼根さんを睨みながら、スケッチブックの言葉を口にした。無理やりとはいえ、一度発してしまうと感覚が麻痺してしまう。それはまるで催眠術にかかったかのように。
胸の温度は順調に上がっているようだ。
藤野さんは真っ赤な顔でうつむきながら、鉄板に竹を当てて曲げている。
「まだちょっと温度が足りないようです」
悪魔のような声で瀬礼根さんが状況を報告したかと思うと、究極のフレーズがスケッチブックに現れた。
『結婚しよう』
おいおい、いくら何でもこれはアウトだろ?
尻込みする僕に、瀬礼根さんは「早く! 温度が下がっちゃいます」と催促する。
「今までの言葉は嘘だったんですか? この言葉もその延長ですよ」
決して嘘じゃない!
将来、そういう気持ちになるかもしれない、いや、なったらいいなぁという希望を込めて。
――だったら。
もう何が何だかわからない。破れかぶれだと僕がその言葉を口にした時――
バチッ!
ガタンと鉄板が落ちる大きな音とほぼ同時に、僕は藤野さんにほおを叩かれていた。
走り出そうとする藤野さん。
とっさに僕は、その手を掴んでいた。
――今は決して彼女を離しちゃダメなんだ!
心がそう叫んでいた。
「ゴメン」
だから僕は、危険を承知で藤野さんを抱きしめる。
彼女の胸が当たる腹部が猛烈に熱い。こんな時のために耐熱Tシャツを着ているが、制服のワイシャツが焦げ始めていた。
でもこんなに熱くしたのは、僕の行き過ぎた言葉なんだ。
彼女は小さな肩を震わせていた。
もう何を言っても弁解にはならないだろう。せめてこの熱に耐えて、自分の言葉に責任を持ちたいと覚悟を決める。
「いい加減な言葉で、私の心を弄ばないで! かぐやは結婚できないの。月に帰っちゃうんだから」
藤野さんの心は、竹取物語に囚われている。
彼女が前髪で瞳を隠している真の理由は、これだったんだ。自分のことを誰かが好きにならないよう、チャームポイントをひたすら隠し続けてきた。
「確かに言い過ぎた。心から謝る。でも君を想う気持ちは嘘じゃない」
「えっ?」
戸惑いを見せる藤野さん。胸の熱も少し和らいだような気がする。
だから僕は、昨日判明した真実を彼女に伝える。
「藤野さんは月に帰ったりしないよ。君は富士山の神、つまり火山神なんだ。そして運命の人と富士山で一緒に暮らすんだよ」
――富士山周辺に伝わる、かぐや姫の神話。
竹から生まれたお姫様は月に帰ることはなく、夫と共に火山神として富士山に降臨する。
藤野さんの胸が膨張したり熱くなったりするのは、火山神だったからなんだ。
そして理事長が調岩笠にこだわったのも、富士山に関わりがあることが理由に違いない。
真実を知った藤野さんは、はっと僕を見る。が、また下を向いてしまった。
「でも、でも……笠岩君は昨日、瀬礼根さんと二人で公園にいた」
それって……。
昨日の帰り道、瀬礼根さんと公園で打ち合わせをしていたのを見られてたんだ。
「そして……キスしてた……」
えっ? キス?
そんなことしてないけど……。
ん? 待てよ。そうか、あの時か。隆起について、耳元でバラさないでと頼んだ時。
僕は瀬礼根さんとキスしていない。それに僕が好きな人は瀬礼根さんじゃない。だからきちんと藤野さんに伝えよう。
「僕は今、君に誓う。瀬礼根さんとはキスしていない。彼女の耳元で、僕の秘密をバラさないでとお願いしただけだ」
そして大きく息を吸った。
「僕が本当に好きな女の子は、藤野さんだ!」
言ってしまった。
さっきも同じようなことを何回も言ったけど、言葉の重みが違う。
これは僕の本心。
心の底からの叫びなんだ。
その証拠に、僕はこんなにも藤野さんのことが愛おしい。
だから僕は、しっかりと彼女を抱きしめる。
すると、やっとのことで藤野さんが僕を見つめ返してくれた。
「私も……笠岩君のことが……好き」
「いよっ、ご両人!」
「熱いよ、焼けるよ!!」
観客席からヤジと歓声が湧き起こる。
急に恥ずかしくなってお互いに体を離す。周囲を見回してみると、瀬礼根さんが『これもパフォーマンスです』と書かれたスケッチブックを観客に向けて掲げていた。
それからの僕たちは順調だった。
藤野さんが次から次へと竹を曲げていく。どうやら自分の正体に気づいた彼女は、胸の大きさや温度を自在にコントロールできるようになったようだ。
「これでもう優勝はうちらのもんや」
犬塚さんがそう確信した――その時。
白いスモークが突然足元から湧き上がり、僕たちの視界を奪っていったのだ。
「誰や、ドライアイスをまいたんは!」
その量は尋常ではなかった。僕たちの作業エリアだけでなく、アリーナ全体がスモークに包まれてしまったのだ。
スモークで作業を邪魔しようとしたのだろうか? それとも、藤野さんが熱源であることを察知したライバル校が、温度を下げようと画策したのだろうか?
いずれにせよ、やりすぎだった。
僕はなんだか頭がぼおっとしてくる。
「まずいです。二酸化炭素濃度が三パーセントを超えました。笠岩君に中毒症状が出ています!」
ドライアイスは二酸化炭素の固形物。瀬礼根さんがその濃度上昇を刻々と報告する。
「笠岩君、早くこの場から逃げて!」
藤野さんが悲壮な顔で訴える。
でも僕だけ逃げるなんてこと、できるわけないじゃないか。みんなで勝ち抜こうと決めたんだから。
「うちらは大丈夫やから、笠岩君はホンマに逃げた方がええで」
「笠岩君、知ってます? 竹の中の二酸化炭素濃度は六パーセントに達する時もあるんですよ」
「本当に逃げて、笠岩君! 私はあなたを失いたくない」
藤野さんにそう懇願されたら従うしかない。
踵を返す僕に向かって、三人は軽やかに声を合わせた。
「「「私たちは大丈夫。だって、かぐやですから!」」」
君たち本当に竹の中に住んでたん?
◇
結局、カグライブ県南大会は、他二校が二酸化炭素中毒のためにリタイアし、唯一椅子を完成させた竹丘学園の優勝となった。
これで僕たちの工科クラス、二年J組も安泰だ。
さらに嬉しいことに、試合が終わった後、藤野さんは前髪を切ってくれた。胸を自在にコントロールできるようになって、瞳を隠す必要が無くなったのだ。髪もポニーテールにして、藤野さんは雰囲気が劇的に明るくなった。
――結構可愛いじゃん!
瞳の美しさに魅せられた生徒が続出し、藤野さんはたちまちクラスの、いや学園の人気者になる。
「笠岩君、一緒に帰ろう!」
「ああ」
そんなライバルたちの目の前で、僕は藤野さんと手を繋いで下校するのだ。これほど優越感に浸れることはない。
「夏休みになったら、一度、富士市に行ってみたいんだけど」
歩きながら僕は提案する。
竹丘学園はカグライブ県大会を突破し、ついに全国大会に出場することになった。僕はもっと詳しく、藤野さんの能力について知りたいと思っていた。
「今まで黙ってて申し訳ないんだけど、富士市にはおばあちゃんの家があるの」
「なんだよ、早くそれを言ってくれよ~」
えへへと笑う藤野さんはさらに可愛い。
僕は彼女のためにも、絶対にカグライブ全国大会で優勝しようと心に誓うのであった。
了
ライトノベル作法研究所 2016GW企画
テーマ:『神話のキャラクター』
七月一日。初夏の竹丘学園、二年J組の教室は歓声に包まれた。
朝のホームルームで担任の田中先生が連れてきたのは、三人の女生徒だった。
――二年生で唯一の工科クラス、J組。
八割が男子という飢えた狼たちの前に、転入生として女生徒が三人も並んだのだ。教室が色めかないわけがない。
しかも、三人ともなかなかのルックスを有している。
僕、笠岩調(かさいわ しらべ)はクラス委員長として、ドキドキしながら三人の様子を眺めていた。
「じゃあ、端から一人ずつ自己紹介してもらおうか」
先生の太い声が教室に響く。
すると、教室の入口に一番近い亜麻色のショートボブの女生徒が、僕たちに背を向け、黒板に名前を書き始めた。
『犬塚かぐや』
「かぐや?」
「平仮名かよ……」
なんて古風な名前なんだと騒つく教室。僕は彼女の後ろ姿を凝視する。
真新しい夏服のスカートをすでにかなり短くしているし、髪も染めているとしか思えない。
名前を書き終わってスカートの裾をひるがえしながら振り返った彼女の挨拶も、容姿と同様ぜんぜん古風じゃなかった。
「うち、いぬづか、かぐやっていうんや」
関西弁?
「出身は奈良県やけど、みなさんよろしくなー」
目はクリッとして、鼻も丸っこく人懐っこそうな印象だ。見た目は軽いが、意外と面白いやつかもしれん。
犬塚さんがペコリとお辞儀をすると、今度は隣の黒長髪で眼鏡の女生徒が黒板を向いて名前を書き始めた。
『瀬礼根かぐや』
「ええっ、またかぐや!?」
「こっちも平仮名だぞ」
「名字はなんて読むんだよ!?」
どよめく教室に動じることなく、美しい姿勢のまま瀬礼根さんは名前を書く。身長は三人の中で一番高い。字もすごく綺麗だった。
「私は、せれね、かぐやといいます」
振り返って、深々とお辞儀をする瀬礼根さん。名字はせれねって読むのか。
「よろしくお願いいたします」
なかなか礼儀正しい人らしい。さっきの犬塚さんよりも、かぐやって感じがする。眼鏡の奥の切れ長の瞳は、ちょっとキツそうだけど。
そして三人目の女生徒。
身長は一番低く、髪も肩にかかるくらいの黒髪だが、前髪が長くて表情がよく見えない。神秘的な感じもするけど、チョークを持つ手は震えている。案の定、黒板に字を書こうとしたらチョークを落としてしまった。
「頑張れ!」
誰かが掛けた言葉にビクリとする女生徒。黒髪を揺らしながらチョークを拾って、やっとのことで名前を書き始めた。
『藤野かぐや』
「マジかよ……」
「三人ともかぐや!?」
「そんなことってあるかよ」
教室のざわつきはなかなか収まりそうもない。藤野さんは、恐る恐るこちらを向いた。
「ふじの、かぐや……」
消えてしまいそうな声でひとこと名前を告げると、そのまま顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。前髪の隙間からチラリと見えた二重の瞳は、なかなか印象的だったけど。
「みんなもビックリしただろ? 三人とも同じ名前で」
三人の挨拶が終わると、先生が興奮気味に切り出した。
「今まで何人も転入生を受け入れてきたけど、こんなことは初めてだ」
そりゃ、そうだろう。
しかも、三人とも平仮名の『かぐや』だなんて、その確率は天文学的数値に違いない。
「本当は、名前の所以なんかも紹介して欲しかったんだけど、藤野が緊張しているようだからまた今度にしようか?」
先生は、うつむいたままの藤野さんを見る。
すると、犬塚さんがさっと手を挙げた。
「うち、簡単やで。実家が家具屋さかいな」
んな、アホな。
実家が家具屋だからって、まんまじゃないか!?
いきなり教室が笑いに包まれる。クラスメートの心をぐっと掴んだ彼女は、さらに畳み掛けた。
「みんなも知ってるやろ? 犬塚家具やで。家の人にも宣伝してや」
おお、犬塚家具なら知ってるぞ。それって有名じゃないか。
教室の笑いがざわつきに変わると、隣の瀬礼根さんが手を上げる。彼女の透き通る声が教室に響き渡った。
「私の両親は宇宙工学者で、名前の由来は月周回衛星『かぐや』です!」
ほお、こちらはエリート科学者の血筋だな。
「かぐやの最大の功績は、月の凸凹を正確に測量したことなんです」
瀬礼根さんは犬塚さんに負けじと、かぐやの宣伝を始めた。
そしてクラスの興味は、最後の藤野さんに集中する。
うつむいたままの彼女は、赤い顔をさらに真っ赤にしながら、必死に声を絞りだそうとしていた。
「わ、わ、わた、わた、わたしは……」
限界だった。
藤野さんはいきなり走り出し、教室を飛び出してしまった。
◇
その後、先生が藤野さんを探しに行ったりして大変だったけど、なんとか一日の授業が終了する。
そして放課後。
クラス委員長の僕は、なぜだか理事長室に呼ばれていた。
「失礼します。笠岩です」
「おお、入りたまえ」
理事長室に入ると、ゆったりとした三人がけの応接ソファーが二脚対面しており、すでに五名の人物が座っていた。
真ん中に白髪の理事長、左隣に担任の田中先生だ。
向かい合って座っているのが、犬塚さん、瀬礼根さん、藤野さん、つまり三人のかぐや。
「こっちじゃ、こっち」
生徒側に腰かけようと椅子を探していると、理事長が右横の空いているソファーを指差す。
「気にせんでええ、ここに座りたまえ」
理事長に言われたら仕方がない。
僕は恐縮しながら、理事長の右隣に腰掛けた。齢七十くらいに見えるが、語気に衰えは感じない。
すると田中先生が切り出した。
「今日は理事長から、君たち四名に直々にお話があるそうだ」
理事長は改まってゴホンと咳払いする。
「君たちに集まってもらったのは他でもない。一つお願いがあるんじゃ」
お願い?
一介のクラス委員長と今日転入したばかりの三人の女生徒に、何をお願いしようというのだろう。
「とあるライブに出てほしい」
ライブ?
それって、唄を歌ったり踊ったりするスクールなんとかってやつ?
女子三人は見栄えすると思うけど、僕は役に立たないぞ、きっと。
「実は、幼馴染の松池工科高校の会長と言い争いになっての、もう君たち四人をエントリーしてしまったんじゃ」
なんだって!? 僕たちには事後承諾ってことか?
冗談じゃない、クラス委員長だからって僕を巻き込まないでくれ。
「それで理事長、それはどんなライブなんですか?」
田中先生が訊くと、理事長は鼻息を荒らげた。
「カグライブじゃ!」
三人のかぐやの表情がはっと変わる。
田中先生も息を飲んでいた。
って何? カグライブって何?
「そこで優勝できなければ、君たちが通っている場所は無くなると思ってくれ」
ま、まさかの負ければ終わり宣言!?
僕たちは真っ青になって顔を見合わせた。
「無茶苦茶や。カグライブの全国大会は、すごいレベルなんやで!」
思わず犬塚さんが叫んでいた。
カグライブがなんなのかわからないが、相当無茶なクエストらしい。
すると理事長は、僕らの反応を楽しむように付け加える。
「なにも全国大会とは言っとらんよ。県南大会で松池工科を倒して優勝してもらえばええ」
なんだよ、全国大会じゃないのかよ。
犬塚さんもガクっときたのだろう。いきなり溜飲を下げていた。
しかし今度は、瀬礼根さんが理事長に噛み付く。
「県南大会と言えど、先ほどおっしゃられた松池工科や梅野実業など、この地区には強豪校が揃っています。私たちは今日転入したばかりなのに、いきなり廃校だなんて、それってあんまりです」
そうだ、そうだ!
僕だって廃校は嫌だ。転入したばかりの彼女たちにとってはなおさらだろう。そもそも廃校になったら、通うところが無くなっちゃうじゃないか!
理事長はニヤニヤ笑ったまま、さらに言葉を付け加える。
「だから廃校とは言っとらんよ。君たちの工科クラスが無くなるだけじゃ。カグライブの地区予選すら突破できないんじゃ、そんな工科クラスはいらんじゃろ?」
「…………」
するとみんな黙り込んでしまった。
カグライブがなんなのかわからないが、理事長の言うことは至極正論であるらしい。
というか、ちっちゃい! ちっちゃいよ。
全国大会で優勝できなければ廃校、なんてドラマチックな展開かと思ったら、県南大会で隣の高校に勝てなければ工科クラスが無くなるだけだって?
まあ、僕は工科でも普通科でも、どっちだっていいんだけど。
「でも、大丈夫!」
予想以上に意気消沈してしまった場を危惧したのだろうか。理事長がいきなり声を張り上げた。
「わしは、カグライブのために三人のかぐやを召喚した」
召喚……って?
つまり理事長が、目の前の三人を呼び寄せたってこと?
「犬塚さん、瀬礼根さん、藤野さん。この三人は、わしが全国を回ってスカウトした逸材じゃ。それぞれ家具作りに特化した特殊能力を持っておる。彼女たちが転入したからには、優勝は間違いなしじゃ!」
すかさず田中先生が質問する。
「あの、理事長。クラスを監督する者として質問してもよろしいですか?」
「おお、なんじゃ?」
「この三人の特殊能力とは一体?」
僕も気になるところだ。
理事長もその質問を待っていたのだろう。自分の目のつけどころを自慢するかのごとく、鼻高々に説明を始めた。
「まずは犬塚さんじゃ。彼女は有名家具販売店のご令嬢で、人脈もあり、材料の調達にも顔が効く。そして家具作りは幼少の頃からの手練れじゃ。この業界で、これ以上の若手人材はおらん」
その説明を聞いて、彼女はまんざらでもないという表情をする。
まあ、これは納得だ。犬塚家具といえば日本を代表する大手だから、その後継者が仲間であるのは心強い。
「そして瀬礼根さん。彼女の目測は誠に正確じゃ。一ミリの誤差もない。これは家具作りに相当のアドバンテージとなる。そうだ、ちょうどいい。その実力を皆さんに見せてあげるのじゃ!」
理事長がそう言うと、瀬礼根さんは「わかりました」と静かに返事をする。
そして、こちらの様子を窺いながら、手探りで右隣の犬塚さんの膝上に手を伸ばし――ピラッと彼女のスカートをめくった。
「ちょっ、ちょっとなにするん!?」
慌ててスカートを抑える犬塚さん。
み、見えてしまった。健康的な張りのある太ももと、スカートの深遠に潜むピンク色の布地が……。
で、でも、しょうがないぞ。だって、あんなに短いスカートでゆったりとしたソファーに座ってるんだから。
「理事長、顕著な隆起を観測しました」
怒れる犬塚さんに気を向けることもなく、静かに報告する瀬礼根さん。
りゅ、隆起って……まさか!?
「ほお。やはり観測できたか。その変化量を報告するんじゃ」
「わかりました。変化量は理事長ゼロミリ、田中先生一ミリ、笠岩君十ミリです」
そ、そ、それって……。
そりゃ、見ちゃったよ。でも見ちゃったら、そうなるのは当然じゃないか。健康的な男子なら。
でも、こんなのヒドい。みんなの前で値を示してあからさまにするなんて、教育者がすることじゃない。
唯一の救いは、犬塚さんと藤野さんが状況をあまり理解していないことだった。犬塚さんはまだ瀬礼根さんを睨みつけてブツブツ文句を言ってるし、藤野さんに至っては瀬礼根さんの影で何も見えなかったようで、不思議そうに首をかしげている。
「どうじゃ? 正確じゃろ? 笠岩君」
「…………」
お願いだから僕に振らないでくれ!
ていうか、瀬礼根さんも何見てんだよ!?
僕は恥ずかしくて何も言うことができなくなり、黙ってうつむいた。顔もきっと真っ赤になっているだろう。
「ほっほっほぉ、黙り込むってことは正解じゃな。若い、若いのぉ」
ていうか、あんなシーンを見せつけられたのに、ほとんど隆起しない理事長や田中先生の方がヤバいんじゃないの? 正しい教育者――なのかもしれないけど、男としては終わってるよ!
顔を上げることができない僕をよそに、理事長は話を続ける。
「そして最後の藤野さん。彼女は、秘密のかぐや属性を持っておる」
秘密のかぐや属性?
なんだよそれ。というか、もうどうでもいいよ。
「しかし彼女は、その特殊能力を自分自身で引き出すことができない。それができるのは、笠岩君、ただ一人なんじゃよ」
頼むから僕はほっといてくれ……って、えっ? 僕がただ一人の存在!?
いや、ダメだ、ダメダメ! どう考えたって釣り文句じゃないか。
だって彼女と僕は、今日初めて会ったばかりなんだぞ。そもそも肝心の僕が何もわかっていない。
そろりそろりと顔を上げると、藤野さんも僕と同じようにうつむき加減で顔を赤らめていた。前髪が邪魔で、表情は相変わらずよくわからない。
「だからこの四人が揃って、笠岩君が藤野さんを覚醒させれば、絶対勝てるはずなんじゃよ」
なんだか僕たちは、理事長の個人的な道楽に利用されているような気がする。
それよりも僕には大きな疑問があった。
「あの、一つ質問してもいいですか?」
僕は顔を上げて理事長に尋ねる。
「なんじゃ? 笠岩君」
その質問が場を凍らせてしまうことを知らずに。
「カグライブって、何ですか?」
◇
「あんた、ホンマにカグライブ知らんの? 工科クラスの委員長やのに」
一時間後、街の喫茶店で僕は犬塚さんに説教されていた。
「私も呆れましたわ。委員長というのにカグライブを知らないなんて!」
今度は瀬礼根さんが畳み掛ける。
頼むから僕をいじめないでくれよ。本当に知らなかったんだから。喫茶店のお客さんも、こちらの騒ぎを見てるじゃないか。
戦略会議と称してこの喫茶店にたどり着いた僕たち四人は、店の中ですでに浮いた存在になっていた。
「ふん! ふん!」
すると藤野さんが鼻息を荒らげながらスマホの画面をこちらに向ける。
そこには、カグライブのホームページが表示されていた。
なになに……。
カグライブは、家具作りの技術とスピードを競うコンテストです。
だって!?
「全国から、家具作りを学ぶ高校生が出場するんやで」
「今年の課題は、椅子って聞いてますわ」
「んんんんん!」
藤野さんが示すページには、今年のカグライブのルールが記されている。
各校で用意した材料を用いて、制限時間内に椅子を一脚、製作していただきます。
制限時間は二時間、メンバー構成は一チーム四人です。
三組の審査員によって順位を決定します。そのうち一組はゲスト審査員です。
ほお、こんな面白そうなコンテストがあったのか。
まあ、僕は授業中ずっと寝てたし、実技は適当だったし、くじ引きで決められたクラス委員長だからなぁ……。
「うちらの役割は簡単やね。うちが人脈を利用して、最高の材料を調達する」
犬塚さんが提案すると、瀬礼根さんが続いた。
「そして、私が得意の目測能力を生かして、材料の切断を行う」
すると全員の視線が藤野さんに集まった。
注目されて彼女はまた下を向いてしまう。
「問題は、藤野さんがどないな能力を持ってるかや」
「それが分かれば、作戦が立てられるのですが……」
そして二人は今度は僕をジト目で見た。
理事長が僕のことを、『藤野さんの特殊能力を引き出せる唯一の存在』と歯の浮く言葉で持ち上げたからだ。
「こんな委員長が、私たちの切り札を覚醒させる鍵とは、なんとも頼りないものですね……」
すいませんね、頼りない委員長で。
「そういや、カサイワ君の苗字って、どないな字を書くんや?」
犬塚さんが突然訊いてくる。
僕は不思議に思いながらも、丁寧に説明した。
「笠地蔵の『笠』に、岩石の『岩』だけど……?」
「それって……」
「ん? んんんんんん!?」
「そやな、うちもなんか聞いたことがあるような気ぃするんよ」
三人がそれぞれ反応した。
それってどういうことなんだ?
すると、藤野さんがスマホのメモに手書きで文字を書いて二人に見せる。
「おお、これや!」
「そうですね。きっと笠岩君の下の名前はこれに違いありません」
ええっ!?
それってどういうこと?
三人が僕の名前を予想して、その結果がピタリ合ってるってこと!?
おののく僕に藤野さんがスマホを示す。
そこには、正に僕の名前――『調』が表示されていた。
「な、なんで、三人とも僕の名前がわかったんだよっ!?」
これは驚きなんてものじゃない。
驚愕、そのものだ。
しかし三人はケロッとした顔で、軽やかに声を合わせた。
「「「だって私たち、かぐやですから!」」」
おいおい、藤野さん、しゃべれるじゃん。
犬塚さんも、関西弁じゃないし……。
◇
喫茶店を出た僕たちは、本屋に向かっていた。
「笠岩君、竹取物語って読んだことないんか?」
そう問い詰められた僕はすぐに馬脚を露わし、それならばすぐに本を買って勉強しようということになったからだ。
さすがに僕だって竹取物語は知っている。
「昔々、おじいさんが山に竹を取りに行きました、ってやつだろ?」
「ちゃう! それは童話や。笠岩君、ほんまに高校生?」
どうせ僕は、ぐーたら高校生ですよ。
「『今は昔竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつつ、萬の事につかひけり』が正解ですよ」
いやいや、そんな古臭いのって読めないから。
「んん! んんんん!」
藤野さんが『常識』という文字をスマホで僕に見せる。
そんなことしなくても、さっきみたいに普通にしゃべってくれていいから。
そして本屋に着くと、原文と現代訳が並記されている本を買った。いや、買わされたと言った方がいい。
明日までに読んで来い、読めば『調』の謎が解ける、という脅しに近い激励と共に。
風呂に入り、夕食を食べ終わった僕は、早速机に向かって本を開く。
物語は、まずおじいさんが光る竹を見つけ、その中から女の子が出てくるところまでは童話と一緒だった。が、その後がなかなか現実的であることを知る。
かぐや姫がとても美しいので沢山の男が言い寄ってきたが、あまりの姫のツンツンぶりに男どもはみんな離れていき、ついに五人だけになってしまう。
――さて、このストーカー五人衆をどう追っ払おうか?
かぐや姫が選んだ作戦は、無理難題をふっかけること。
彼女は五人それぞれに、仏の御石の鉢、蓬莱の玉の枝、火鼠の皮衣、龍の頸の五色の玉、燕の子安貝、つまりおよそ手に入りそうもない宝を持ってきたらヨメになってやると、条件を提示したのだ。
「まるで、身長一八◯センチ以上とか、年収一千万以上とか、帝都大卒とか、そんなことを言われてるみたいだな……」
今も昔も変わらないと、僕はしみじみとした気持ちになる。
それから、この五人がたどる道は悲劇だった。
一人目は、近場で調達したことがバレて恥をかき、二人目は金にものを言わせて本物そっくりの模造品を作ったが、偽造業者が押しかけてバレる。三人目は大金はたいて聖地から宝を取り寄せるが、悪徳業者に偽物をつかまされ、四人目は無茶しすぎてギブアップ。五人目に至っては、宝を取ろうとして事故死してしまったのだ。
「うわー、嫌だ、こんな人生……」
僕も将来、ものすごく美しい女性に恋してしまったら、こんな風になってしまうのだろうか?
来たるべく自分の未来と重ね合わせながら物語を読み進めていくうちに、ついに太刀打ちできない存在が現れた。
帝――つまり天皇だ。
天皇は歌を介してかぐや姫の心をつかんでいくが、ついに最後の時がやってくる。
――月に帰らなくてはならない。
かぐや姫は突然、こう宣言したのだ。
「まあ、ポリン星やちょるちょるランドに帰るって宣言されるよりはマシだけど」
その宣言を聞いて驚いた天皇。姫を月に返してなるものかと軍隊を出動させる。が、姫はついに月人に奪われてしまった。人間としての最後の瞬間、姫が天皇に遺したものが不死の薬だった。
――姫が居なくなったのであれば、不死の薬も必要ない。
「いやいや、僕ならすぐに飲んじゃうけど……」
もったいないと思うことなく、天皇は不死の薬の処分をある人物に託す。それが、調岩笠(つきのいはかさ)だった。
「おおっ!?」
やっと出て来たよ。『調』という名前が。
調岩笠は不死の薬を駿河の山で燃やし、その山は「ふじの山」と呼ばれることとなったという。
これが竹取物語の大まかなストーリーだ。
確かに出てきた。『調』の文字を持つ人物が。
「ていうか、『調岩笠』なんて、僕の名前『笠岩調』と同じじゃないか……」
漢字の並びが逆というだけで。
もしかして両親は、この人物にちなんで僕の名前を付けたのだろうか?
子供の頃の記憶が、脳裏に蘇る。
『探求心を持ち続けるようにって、『調』という名前を付けたんだぞ』
『音楽や言葉の『しらべ』という意味もあるの。優雅に生きてほしいな』
なんだかちょっと悲しくなる。
両親の言葉も嘘ではないだろう。でも、真っ先に『調岩笠』という人物名が浮かんだのだとしたら、どんなに素晴らしい名前の意味も後付けに聞こえてしまう。
――もしかしたら自分の名前は竹取物語に由来していたのかもしれない。
その疑惑で僕の心は一杯になり、もう何も考えられなくなった。そしてそのままベッドに潜り込む。
この時、もっと冷静であれば……。
僕は、藤野さんとの重要な接点に気づけたはずだったのだが、それが判明したのは後になってからだった。
◇
翌日の放課後。
僕たち四人は、また同じ喫茶店に集合した。
「笠岩君、宿題やってきたん?」
犬塚さんがクリクリとした瞳を輝かせながら僕に尋ねる。
「ちゃんとやってきたよ。答えは、調岩笠だろ? 不死の薬を燃やしちゃった犯人」
すると瀬礼根さんと藤野さんが噛み付いて来る。
「犯人、というのはちょっと言い過ぎだと思います。だって帝の言う通りにしただけなんですから」
「んんんんんっ!」
藤野さんがスマホに二次元美少年キャラを表示して、怒りの表情を見せる。
どうやら調岩笠という人物は、漫画やネットの世界ではかなりの人気者らしい。
「うちはな、理事長が昨日、なんであないなこと言わはったんか不思議なんよ。だって、かぐや姫と調岩笠は、直接会うたことがないんや。せやのに、調岩笠と名前が似ている笠岩君が、かぐや姫の潜在能力を引き出すことができるやなんて何か変やろ?」
確かに犬塚さんの言う通りだ。
会ったことのない物同士、どうやって干渉するのだろう。
二人の関係が竹取物語に書かれていれば、特殊能力についても何か記されているかもしれないのだが……。
「せやからな、うちは思うんや。これは語呂合わせやないかって。調岩笠はフジに行った。藤野さんの名字もフジや。だから、同じフジを持つ藤原氏が謎を解くヒントやないかってな」
――藤原氏。
竹取物語は、成立年、作者ともに未詳だ。しかし昨日買った本の解説によると、その背景には藤原氏の繁栄と衰退が大きく関与しているということだった。
その証拠に、藤原氏の誰かが登場人物のモデルになっているという。それは……うーん、誰だったかな……?
僕は必死に記憶を探り、一人の人物の名前を思い出した。
「藤原不比等!」
「正解や。笠岩君、よう勉強しとるやん」
すると、すかさず瀬礼根さんが補足する。
「藤原不比等は、二番目に姫を諦めた車持皇子のモデルと言われています。車持皇子は、蓬莱の玉の枝とそっくりの模造品を業者に作らせて、あわや姫を手に入れんとするところまで行ったのですが、最後に未払金をよこせと業者が押しかけてバレちゃったんです。でも言い換えれば、五人の男たちの中では一番成功した人と言えるわけですね」
「そうなんや。もしかしたら理事長は、その能力のことを言わはったんやないかと、うちは思うとってな……」
その能力って……。
――正確な模造技術。
二時間で勝負をつけるカグライブでは、長期の耐久性は必要ない。極端な言い方をすれば、見栄えが良く、審査員を満足させる耐久力さえあれば、模造品でも構わないのだ。
「確かに、一流品そっくりに模造できれば、松池工科に勝てるかもしれませんね」
「問題は、藤野さんの能力がどないなレベルかなんや」
僕たちは藤野さんを見る。
彼女も僕たちがどんなことを考えているか理解しているのだろう。
顔を真っ赤にしながら、何か言おうとしていた。
「わ、わ、わた、わた、わたしは」
そして爆発した。
「偽物作りじゃないっ!」
前髪を振り乱しながら立ち上がり、必死に僕らに訴えようとする。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「えっ!?」
不覚にも、僕は魅せられてしまった。
チラリと見えた、藤野さんの、二重で、涙袋もぷっくりとした、艶やかな瞳に。
他の二人もそれぞれ思うところがあったのだろう。
気がつくと、三人が同時にバラバラの言葉を発していた。
「しゃべれるやん!」
「隆起しました」
「綺麗だ……」
彼女の瞳の美しさに、つい言葉が漏れてしまった。
――綺麗だ。
こんなに瑞々しい瞳を持っているのだから、前髪で隠さなくてもいいのに。
僕は本気でそう思ったのだ。
もっと見たい、彼女の瞳を。
そして、僕の言葉に反応した藤野さんと目が合ってしまう。
その瞬間――熱いものが胸を貫いた。
恥ずかしくなって、僕は思わず目を逸らす。藤野さんも席に座り下を向いてしまった。
「すごい、どんどん隆起しています! 二十ミリ、三十ミリ……」
一方隣では、瀬礼根さんが興奮気味に観測結果を報告していた。
頼むからいい加減なことは言わないでくれよ! 今の僕はそんなことにはなってない。
怒りを込めて瀬礼根さんを向くと、彼女は僕を見ていなかった。目を丸くする彼女の視線は、藤野さんの胸に注がれていたのだ。
「ええっ!?」
僕は自分の目を疑った。
だって藤野さんの制服のブラウスは、胸の部分がはちきれんばかりに膨らんでいたから。
「こ、これは……」
Dカップ、いやEカップは超えているだろう。喫茶店に来た時はBカップくらいだと思っていたのに。
「ちょ、ちょっと藤野さん。どうしたんや、そのおっぱい」
犬塚さんも目を丸くする。
犬塚さんの胸も結構大きい方だと思うが、今の藤野さんはそのサイズを軽く凌駕していた。
「わ、わたし……、感情が乱れると胸が異常に大きくなっちゃうんです。だから、誰とも話さないように、目を合わせないようにしてたのに……。だって、だって、かぐや姫の恋は……」
藤野さんは言葉を詰まらせる。
やっとわかった。藤野さんが前髪を長くして、言葉数も少ない理由が。
「これはまるで山体膨張や……」
息を飲む犬塚さん。すると瀬礼根さんが驚愕の事実を付け加える。
「サイズだけじゃないです。温度もどんどん上昇しています」
それって、どういうこと!?
「六十度、七十度、は、八十度ォ!?」
そんなバカな。
人間の体温は高熱時でも四十度ちょっとだぞ。その二倍の温度に達するなんて、どういうことなんだ?
「これや!」
藤野さんの異常な胸を見て、犬塚さんが叫んでいた。
「カグライブの作戦、思いついたで!」
三人の視線が犬塚さんに集中する。
「異常に大きうなったり熱うなるこのおっぱいが、藤野さんの特殊能力や。それは間違いないやろ。なぜかはわからへんけど」
確かにこの胸は異常だ。温度については触ったわけじゃないから、瀬礼根さんの観測値を信じるしかないけど。
「そこでうちはひらめいた。このおっぱいを利用して、材料を曲げればええんや!」
おお、その手があったか!
八十度まで温度が上がるのであれば、木材を曲げることもできるかもしれない。
「それはいい案ですね」
瀬礼根さんも賛同する。
彼女の観測が功を奏したのだ。悪い気はしていないだろう。
「うちが材料を調達して、瀬礼根さんが切断する。そして藤野さんが曲げて、みんなで組み立てる。完璧やないか」
でも藤野さんはそれでいいのだろうか?
チラリと見ると、彼女はまだ下を向いたままだった。胸は残念ながら、元のサイズに戻りつつあった。
「ところで、今回のゲスト審査員って誰なんでしょう?」
藤野さんが下を向いたままなので、瀬礼根さんと犬塚さんはカグライブについて話を進めていた。
「うち知ってる。なんでも、お笑いの『春の日踊り(はるのひおどり)』らしいで」
「春の日踊りって、テレビで北欧製の椅子を壊してしまった、あの二人組?」
おお、その話なら僕も知ってる。
なんでも、視聴者プレゼントの椅子を番組放映中に乱暴に扱って壊してしまったらしい。その様子が動画サイトで話題になった。
「そうなんや。せやから今回のカグライブは、デザイン性や見た目の綺麗さよりも、とにかく丈夫な椅子を作るんが勝負の鍵になるんやないかって、もっぱらの噂なんや」
さすがは犬塚さん。家具業界の情報には敏感らしい。
「だったら、素材選びが重要になりますね?」
瀬礼根さんが藤野さんを見る。
藤野さんの眉間がピクリと動いた。彼女も『素材』という単語には敏感に反応したようだ。
「強くて、丈夫で、熱で加工できて、うちらが扱い慣れてる素材って何やろな……」
犬塚さんも藤野さんを見た。
藤野さんはがばっと顔を上げ、スマホに何か文字を描き始める。
「やはりそれですよね」
「うちもそれ一択や」
三人の意見が一致したと思いきや、藤野さんがビシっとスマホの画面をこちらに向ける。
そこには一文字、『竹』と書かれていた。
「そやな。うちら、かぐややもんな」
「その通りですわ」
「みんな……」
やっと藤野さんが笑ってくれた。
◇
次の日から、カグライブに向けての特訓が始まった。地区予選まで、僕たちに残された時間は二週間しかない。
放課後になると僕たちは木工室に集まり、椅子のデザインについて検討を始める。
「ちょっと不細工やけど、まずは基本形を作ってみーへんか?」
犬塚さんがスケッチブックに描いたのは、ごく普通の竹製の椅子だった。骨組みの部分を丸竹で組み立て、お尻が乗る『座』と背もたれの『背板』を編んだ竹で細工するタイプだ。
「まずはヒゴ作りや。瀬礼根さん、幅二センチに竹を割ってや」
「わかりました」
すると瀬礼根さんが用意された竹を持ち、竹割り包丁を使って器用に割っていく。
「すげぇ!」
僕が驚いたのは、その幅が二センチでほぼ均一だったのだ。瀬礼根さんの高い目測能力の成せる技だった。
「次は藤野さん、一ミリで剥いでや」
今度は藤野さんが瀬礼根さんが割った竹を持ち、先端に竹割り包丁を入れていく。すると、竹が薄く綺麗に剥がれていった。
「おおっ!」
どんどんと薄さ一ミリのヒゴが生産されていく。
最後は犬塚さんが、藤野さんが剥いだヒゴを器用に編み始めた。
「四ツ目編みって言うんやで」
その作業スピードの速いこと、美しいこと。
さすがは家具屋の跡継ぎ。理事長の言う職人芸とはこのことかと、僕はため息を漏らす。
いや、犬塚さんだけじゃない。三人とも素人とは思えない。
「どうしてみんな、竹を扱うのがこんなにも上手いんだ!?」
驚愕する僕に、三人は軽やかに声を合わせる。
「「「だって私たち、かぐやですから!」」」
聞くだけ野暮だった。
「あかん、時間かかり過ぎや」
座の部分を編み上げた犬塚さんが絶望を込めて叫んだ。
僕から見たら、ものすごいスピードで作業が進行しているように感じたが、時計を見るとすでに一時間が経っていた。
カグライブは二時間で椅子を完成させなければならない。
「作業はこれだけやないんや。背板も編んで、さらに骨組みも組み立てんとあかんのやで。そんなの無理や!」
サジを投げる犬塚さん。
他の二人も、うーんと考え込んでいた。
僕は見ているだけだったが、この作業はあまり効率が良いようには見えなかった。
まず、竹を編む犬塚さんの負担が大き過ぎる。かと言って、他の二人が編んだらスピードが上がるようには感じられない。
そもそも、藤野さんの胸熱能力が活かされていないじゃないか。
だから僕は提案する。みんなの椅子作りを見ながら考え付いたアイディアを。
「ねえ、こういう椅子はどう? 竹を太めに沢山割って、それを半円型に曲げて、両端を中央で束ねるんだよ」
僕は犬塚さんからスケッチブックを受け取り、何本もの竹で構成されるリンゴのような球形を描く。
三人はそのスケッチを覗きこみ、「おー」と低い声を上げた。
背もたれがなく腰かけるだけの椅子だが、球形に束ねることで強度は増すはずだし、ゲスト審査委員『春の日踊り』のハードな審査にも耐えられるだろう。
「笠岩君にしては、ナイスアイディアやね」
「藤野さんの竹曲げ能力も発揮できますし」
「…………」
藤野さんは無言のまま「本当にあれをやるの?」という顔をしていた。
◇
次の日の特訓から、竹曲げの練習が始まった。
まず瀬礼根さんが幅五センチの割竹を作り、犬塚さんが面取りをする。
その間、藤野さんは湾曲した鉄板を抱いて胸を加熱していた。
胸に直接竹を当てるのではなく、熱くなった鉄板に押し当てて竹を曲げようという作戦だ。これなら彼女だって外見的には恥ずかしくないし、竹を一様に曲げることもできる。
肝心の熱源だが、それは僕の視線だった。
――藤野さんの瞳を見つめること。
それが僕の役割。なんという役得だ。
だって、綺麗な藤野さんの瞳をずっと見ていられるのだから。チラ見じゃなくて、正々堂々と。
時折、藤野さんと目が合ってしまう。照れて下を向いてしまう彼女の仕草がとっても可愛い。
勢いよく曲がっていく竹と一緒に、僕の心もキュンキュン鳴っていた。
しかしそれは最初のうちだけだった。
見つめ見つめられることに、だんだんとお互いが慣れてしまう。
カグライブ地区予選を明日に控えた帰り道、僕は瀬礼根さんに呼び止められた。
「ねえ、笠岩君。ちょっと話があるのですが……」
夕暮れの公園のベンチに二人で並んで座る。
瀬礼根さんはかなり深刻な表情をしていた。
「藤野さんの発熱効率がかなり落ちています。笠岩君も気づいていると思いますけど」
確かにそれは僕も気にしていた。
練習開始日はぐいぐい曲がっていた竹だが、今日の練習ではなかなか曲がらなかった。なんとか二時間で椅子を完成させることができたが、これ以上曲がらなくなると制限時間に間に合わなくなってしまう。
「いざという時は、竹の本数を減らすしかないんじゃない?」
しかしこの案は最終手段だ。竹の本数を減らすと強度が下がり、特別審査員に壊されてしまう恐れがある。
「それよりも、やっぱり根本的なところを対策した方がいいと私は思うのですが」
ということは……。
藤野さんの発熱効率を上げるってこと?
それってどうやればいいんだろう。ただ見つめるだけでは、もう限界のような気がする。
「それにですね、藤野さんの能力ってあんなものじゃないと思うのです。それを笠岩君にも意識してもらった方がいいと思います。私も明日までに対策を考えてみます」
「わかった……」
返事をしてみたものの、とっさには何も思い浮かばない。
でも、藤野さんの能力があんなものじゃないとはどういうことなのだろう?
もしかして、もっと胸が大きくなる可能性があるってこと?
あれ以上膨張して、下着やブラウスが破れてしまったらどうするんだよ。
僕はついエッチなことを想像してしまい――
「ただし、今みたいな隆起は無しの方向でお願いします」
瀬礼根さんに釘を刺されてしまった。
彼女はメガネを光らせながら僕の下半身を観察している。
そ、それって……。
恥ずかしさのあまり、顔がかあっと赤くなる。そして乙女のように足をぎゅっと閉じて、瀬礼根さんの耳元に口を寄せ、小声でお願いした。
(ちょ、ちょっと……、隆起観測はやめてくれよ。それに、このことは誰にも話さないでよね。お願いだから)
すると瀬礼根さんはニヤリと笑いながら、わかったと小さく首を縦に振る。
「そういえば理事長室での隆起量のことですが、笠岩君は何も気にすることはありませんよ」
気にすることはないってどういうこと?
パンチラで隆起するのは健全な若者の証拠ですって、同い年の女の子に言われても全然慰めにはならないし、さらに気になっちゃうんだけど。
「あの時、理事長と田中先生はすでにマックス隆起中だったんです。犬塚さんがソファーに腰掛けた瞬間から隆起が始まり、その量は二人とも三十ミリに達していました」
って、そっちかい。
◇
家に帰った僕は、机に向かって考える。
明日の本番では、どのような対策をとったらいいのだろうか……と。
『藤野さんの能力ってあんなものじゃないと思うのです』
僕の頭の中には、瀬礼根さんの言葉がグルグルと回っていた。
もしかして、藤野さんの潜在能力を十分に引き出すことができていないってこと?
理事長の言葉を借りるなら、僕の努力が足りないことが原因ということだ。
――藤野さんのかぐや属性とは一体?
肝心のこの課題が、まだ解けていなかった。
それを明らかにできれば、対策も判明するだろう。
僕はノートを広げ、今までわかっている事実を書き出してみる。
名前は藤野かぐや。
鍵となる人物は調岩笠。不死の薬を富士山で焼く。
感情が乱れると胸が膨張して熱くなる。
その時。
『これはまるで山体膨張や……』
犬塚さんの言葉が脳裏に蘇ってきた。
「それって、もしや……」
僕はスマホを取り出し夢中で検索を始める。ノートに記したこれらのキーワードを用いて。
すると出てきたのだ。僕の知らないかぐや姫の神話が。
「そうか、これだったのか!」
ついにわかった。藤野さんのかぐや属性が。
「すべてを解く鍵は神話にあったんだ……」
しかしこの真実は彼女にとって重すぎるんじゃないかと、僕は心の中に留め置くことにしたのであった。
◇
「いよいよ、今年のカグライブの開幕です!」
ドライアイスによるスモークの中から、一人の司会者がステージ上に現れる。
舞台は県立体育館。僕たちは舞台袖で紹介されるのを待っていた。
「ついに本番やな」
「この日が来ましたね」
「…………」
緊張でガタガタ震える僕をよそに、三人のかぐやは意外と落ち着いているようだった。
「まずは昨年優勝の松池工科高校です!」
会場の拍手と同時に、ステージが再びスモークで真っ白になる。
「使用する材料は樫。キャッチフレーズは『とにかく丈夫だ、どんと来い!』です」
スモークが晴れてくると、舞台上に屈強そうな男子高校生が四人現れた。
「か、樫やて……」
司会者の説明を聞いて犬塚さんが驚きの表情を見せる。
「樫は、木材の中でも特に堅いんや。それでガチな椅子を作って、ゲスト審査員に他校の椅子を壊させるという作戦やな」
僕も、樫が硬いということくらいはわかる。
加工するのも大変だろう。道理でマッチョな男子高校生を揃えたというわけだ。
「続きまして、竹丘学園です!」
「さあ、うちらの番やで」
犬塚さんの掛け声に合わせて、僕らは真っ白に煙るステージに駆け出した。
「使用する材料は竹。キャッチフレーズは『かぐやの竹のしなやかさ』です」
こうして僕たちの戦いが始まった。
紹介が終わると、ステージからアリーナへ降りて作業エリアへ向かう。
アリーナは高校ごとに作業エリアが分けられており、すでに材料と作業台、そして工具がセットされていた。
僕たちは自校のエリアに入り、おのおの配置につく。目の前の床には、犬塚さんが調達した最高級の真竹の乾燥材が並べられている。
最後の高校紹介は梅野実業だった。
「使用する材料は紙。キャッチフレーズは『あら不思議、意外と強い紙の椅子』です」
見ると、男子二人、女子二人の構成だ。
梅野実業の作業エリアには、大きくて丈夫そうな紙が何枚も置かれている。きっとこの紙を四人で折っていき、最終的に椅子を完成させるのだろう。確かにそれはライブ向きだ。パフォーマンスで観客に魅せることによって、高得点を狙う作戦のように思われる。
「各校、用意はいいですか?」
梅野実業がステージを降りて持ち場に着くと、司会者が全体を見回す。
「さあ、これから二時間の家具作りライブが始まります。カグライブ、スタァァァトォォォォ!」
イキのよい合図と共に、各校、生徒が動き出した。
まず僕たちは、練習通りの担当作業に専念する。
瀬礼根さんが竹を割り、犬塚さんが面取りをする。藤野さんは鉄板を抱えて椅子に座り、僕は彼女の前に座って瞳を見続けた。
しかしここでトラブル発生。
僕がいくら見つめても、藤野さんがうつむいたままで顔を上げてくれないのだ。これでは瞳を見ることができない。
いきなり懸念していた事態が発生した。
このままでは鉄板の温度は上がらないし、温度が上がらなければ竹を曲げることもできない。
「仕方がありません」
瀬礼根さんは竹割りの手を止め、材料置場から何かを持ってくる。
それは一冊のスケッチブックだった。
そしてスケッチブックを藤野さんからは見えない位置に立てかけ、竹割りをしながら一枚ずつめくっていく。
「笠岩君、これを読んで下さい」
一枚目には『綺麗だ』と書かれていた。
「綺麗だ」
「ダメだす。もっと感情を込めて」
「綺麗だよ」
「もう一歩です。名前も一緒に」
「藤野さん、綺麗だよ」
なんという茶番なんだ、と思いながら僕は『綺麗』を連発する。
すると藤野さんの顔がなんだか少し赤くなったような気がした。
「笠岩君、効果がありました。少し温度が上昇しています。さあ、どんどんいきますよ」
そう言いながら瀬礼根さんがスケッチブックをめくる。そこには『魅力的だ』と書かれていた。
きっとあのスケッチブックには、褒め言葉がずらりと並んでいるのだろう。
それを言わされている僕も情けないが、素直に反応して温度を上げてしまう藤野さんも単純すぎる。でも今のところ、これに代わる打開策は見当たらない。
僕はやむなく、瀬礼根さんと誉め殺し作戦を実行した。
「ずっと気になっていた」
「君に会えて良かった」
「君は運命の人だ」
不思議なもので、口に出しているうちにそんな気持ちになってくる。
もしかしたら自分も知らないうちに、そう思い始めていたからかもしれないが。
「好きだ」
「誰にも渡したくない」
「愛してる」
いやいや、これはやり過ぎだ。
僕が口にするのをためらっていると、瀬礼根さんのメガネがキラリと光った。口元もなんだか『隆起』と動いているように見える。
――おいおいズルいぞ。バラさないって約束したじゃないか。
僕は瀬礼根さんを睨みながら、スケッチブックの言葉を口にした。無理やりとはいえ、一度発してしまうと感覚が麻痺してしまう。それはまるで催眠術にかかったかのように。
胸の温度は順調に上がっているようだ。
藤野さんは真っ赤な顔でうつむきながら、鉄板に竹を当てて曲げている。
「まだちょっと温度が足りないようです」
悪魔のような声で瀬礼根さんが状況を報告したかと思うと、究極のフレーズがスケッチブックに現れた。
『結婚しよう』
おいおい、いくら何でもこれはアウトだろ?
尻込みする僕に、瀬礼根さんは「早く! 温度が下がっちゃいます」と催促する。
「今までの言葉は嘘だったんですか? この言葉もその延長ですよ」
決して嘘じゃない!
将来、そういう気持ちになるかもしれない、いや、なったらいいなぁという希望を込めて。
――だったら。
もう何が何だかわからない。破れかぶれだと僕がその言葉を口にした時――
バチッ!
ガタンと鉄板が落ちる大きな音とほぼ同時に、僕は藤野さんにほおを叩かれていた。
走り出そうとする藤野さん。
とっさに僕は、その手を掴んでいた。
――今は決して彼女を離しちゃダメなんだ!
心がそう叫んでいた。
「ゴメン」
だから僕は、危険を承知で藤野さんを抱きしめる。
彼女の胸が当たる腹部が猛烈に熱い。こんな時のために耐熱Tシャツを着ているが、制服のワイシャツが焦げ始めていた。
でもこんなに熱くしたのは、僕の行き過ぎた言葉なんだ。
彼女は小さな肩を震わせていた。
もう何を言っても弁解にはならないだろう。せめてこの熱に耐えて、自分の言葉に責任を持ちたいと覚悟を決める。
「いい加減な言葉で、私の心を弄ばないで! かぐやは結婚できないの。月に帰っちゃうんだから」
藤野さんの心は、竹取物語に囚われている。
彼女が前髪で瞳を隠している真の理由は、これだったんだ。自分のことを誰かが好きにならないよう、チャームポイントをひたすら隠し続けてきた。
「確かに言い過ぎた。心から謝る。でも君を想う気持ちは嘘じゃない」
「えっ?」
戸惑いを見せる藤野さん。胸の熱も少し和らいだような気がする。
だから僕は、昨日判明した真実を彼女に伝える。
「藤野さんは月に帰ったりしないよ。君は富士山の神、つまり火山神なんだ。そして運命の人と富士山で一緒に暮らすんだよ」
――富士山周辺に伝わる、かぐや姫の神話。
竹から生まれたお姫様は月に帰ることはなく、夫と共に火山神として富士山に降臨する。
藤野さんの胸が膨張したり熱くなったりするのは、火山神だったからなんだ。
そして理事長が調岩笠にこだわったのも、富士山に関わりがあることが理由に違いない。
真実を知った藤野さんは、はっと僕を見る。が、また下を向いてしまった。
「でも、でも……笠岩君は昨日、瀬礼根さんと二人で公園にいた」
それって……。
昨日の帰り道、瀬礼根さんと公園で打ち合わせをしていたのを見られてたんだ。
「そして……キスしてた……」
えっ? キス?
そんなことしてないけど……。
ん? 待てよ。そうか、あの時か。隆起について、耳元でバラさないでと頼んだ時。
僕は瀬礼根さんとキスしていない。それに僕が好きな人は瀬礼根さんじゃない。だからきちんと藤野さんに伝えよう。
「僕は今、君に誓う。瀬礼根さんとはキスしていない。彼女の耳元で、僕の秘密をバラさないでとお願いしただけだ」
そして大きく息を吸った。
「僕が本当に好きな女の子は、藤野さんだ!」
言ってしまった。
さっきも同じようなことを何回も言ったけど、言葉の重みが違う。
これは僕の本心。
心の底からの叫びなんだ。
その証拠に、僕はこんなにも藤野さんのことが愛おしい。
だから僕は、しっかりと彼女を抱きしめる。
すると、やっとのことで藤野さんが僕を見つめ返してくれた。
「私も……笠岩君のことが……好き」
「いよっ、ご両人!」
「熱いよ、焼けるよ!!」
観客席からヤジと歓声が湧き起こる。
急に恥ずかしくなってお互いに体を離す。周囲を見回してみると、瀬礼根さんが『これもパフォーマンスです』と書かれたスケッチブックを観客に向けて掲げていた。
それからの僕たちは順調だった。
藤野さんが次から次へと竹を曲げていく。どうやら自分の正体に気づいた彼女は、胸の大きさや温度を自在にコントロールできるようになったようだ。
「これでもう優勝はうちらのもんや」
犬塚さんがそう確信した――その時。
白いスモークが突然足元から湧き上がり、僕たちの視界を奪っていったのだ。
「誰や、ドライアイスをまいたんは!」
その量は尋常ではなかった。僕たちの作業エリアだけでなく、アリーナ全体がスモークに包まれてしまったのだ。
スモークで作業を邪魔しようとしたのだろうか? それとも、藤野さんが熱源であることを察知したライバル校が、温度を下げようと画策したのだろうか?
いずれにせよ、やりすぎだった。
僕はなんだか頭がぼおっとしてくる。
「まずいです。二酸化炭素濃度が三パーセントを超えました。笠岩君に中毒症状が出ています!」
ドライアイスは二酸化炭素の固形物。瀬礼根さんがその濃度上昇を刻々と報告する。
「笠岩君、早くこの場から逃げて!」
藤野さんが悲壮な顔で訴える。
でも僕だけ逃げるなんてこと、できるわけないじゃないか。みんなで勝ち抜こうと決めたんだから。
「うちらは大丈夫やから、笠岩君はホンマに逃げた方がええで」
「笠岩君、知ってます? 竹の中の二酸化炭素濃度は六パーセントに達する時もあるんですよ」
「本当に逃げて、笠岩君! 私はあなたを失いたくない」
藤野さんにそう懇願されたら従うしかない。
踵を返す僕に向かって、三人は軽やかに声を合わせた。
「「「私たちは大丈夫。だって、かぐやですから!」」」
君たち本当に竹の中に住んでたん?
◇
結局、カグライブ県南大会は、他二校が二酸化炭素中毒のためにリタイアし、唯一椅子を完成させた竹丘学園の優勝となった。
これで僕たちの工科クラス、二年J組も安泰だ。
さらに嬉しいことに、試合が終わった後、藤野さんは前髪を切ってくれた。胸を自在にコントロールできるようになって、瞳を隠す必要が無くなったのだ。髪もポニーテールにして、藤野さんは雰囲気が劇的に明るくなった。
――結構可愛いじゃん!
瞳の美しさに魅せられた生徒が続出し、藤野さんはたちまちクラスの、いや学園の人気者になる。
「笠岩君、一緒に帰ろう!」
「ああ」
そんなライバルたちの目の前で、僕は藤野さんと手を繋いで下校するのだ。これほど優越感に浸れることはない。
「夏休みになったら、一度、富士市に行ってみたいんだけど」
歩きながら僕は提案する。
竹丘学園はカグライブ県大会を突破し、ついに全国大会に出場することになった。僕はもっと詳しく、藤野さんの能力について知りたいと思っていた。
「今まで黙ってて申し訳ないんだけど、富士市にはおばあちゃんの家があるの」
「なんだよ、早くそれを言ってくれよ~」
えへへと笑う藤野さんはさらに可愛い。
僕は彼女のためにも、絶対にカグライブ全国大会で優勝しようと心に誓うのであった。
了
ライトノベル作法研究所 2016GW企画
テーマ:『神話のキャラクター』
気体状の学校 ― 2016年05月07日 07時42分24秒
「神様。人間界から贈り物が届きましたぞ。沢山のスプレーが入っています」
「どれどれ。ほほお、それぞれのスプレーに名前が書いてあるの。このスプレーは『警察』じゃ」
「手紙には、治安の悪い地域にシュッと噴霧して欲しいと書かれています」
「では早速、試してみるかの」
神様が『警察』のスプレーを噴霧すると、適所に警察署が建設されてたちまち犯罪が減少する。
「これは面白い。では、この『学校』というスプレーはどうじゃ?」
「子供の多い地域に噴霧してみるのがよろしいかと」
神様が『学校』のスプレーを噴霧すると、その地域に適した学校が建設された。
「おお、こっちには小学校。あそこには中学校。幼稚園も沢山できたぞ」
面白がってあちこちにスプレーを使う神様。しかし、にこやかだった神様の表情がだんだんと曇ってくる。
「どうされました?」
「学校ができて子供の笑顔が増えるのはええんじゃが、どんどんと待機児童が増えていくんじゃよ」
「では『保育園』のスプレーが必要ですね。あれれ、贈り物の中には入っていませんが……」
「仕方が無い。これで『保育園』のスプレーを作る工場を作ってみるかの」
そう言いながら神様は『産業』のスプレーを噴霧し始めた。
500文字の心臓 第147回「気体状の学校」投稿作品
「どれどれ。ほほお、それぞれのスプレーに名前が書いてあるの。このスプレーは『警察』じゃ」
「手紙には、治安の悪い地域にシュッと噴霧して欲しいと書かれています」
「では早速、試してみるかの」
神様が『警察』のスプレーを噴霧すると、適所に警察署が建設されてたちまち犯罪が減少する。
「これは面白い。では、この『学校』というスプレーはどうじゃ?」
「子供の多い地域に噴霧してみるのがよろしいかと」
神様が『学校』のスプレーを噴霧すると、その地域に適した学校が建設された。
「おお、こっちには小学校。あそこには中学校。幼稚園も沢山できたぞ」
面白がってあちこちにスプレーを使う神様。しかし、にこやかだった神様の表情がだんだんと曇ってくる。
「どうされました?」
「学校ができて子供の笑顔が増えるのはええんじゃが、どんどんと待機児童が増えていくんじゃよ」
「では『保育園』のスプレーが必要ですね。あれれ、贈り物の中には入っていませんが……」
「仕方が無い。これで『保育園』のスプレーを作る工場を作ってみるかの」
そう言いながら神様は『産業』のスプレーを噴霧し始めた。
500文字の心臓 第147回「気体状の学校」投稿作品
神のぞみ知る ― 2016年05月09日 06時31分40秒
僕が真奈美をおんぶすると、彼女は耳元で小さくささやいた。
「どう? 新次郎くん」
「どうって、何が?」
すると真奈美は照れながら、途切れ途切れに言葉を発する。
「あ、あのね、わ、私、昔に比べて、お、お、おっきくなったの……」
おっきくなったって?
確かに高校生になって真奈美は背が高くなった。でも幼馴染だから、僕も一緒に背が高くなってるんだけど。おんぶする感覚も、昔とあまり変わらない。
ん? 待てよ。
言われてみれば、確かに大きくなったような気がする。彼女のお尻に回した両手は、なかなか指先を合わすことができないでいた。
「ホントだ。昔に比べて大きくなったね、お尻が」
「なっ!?」
言葉を詰まらす真奈美。
彼女はいきなり僕の首に腕を回し、ギリギリと力を込め始めた。
「く、苦しい! 苦しいよ、真奈美……」
「大きいってそっちじゃないでしょ!? ほら、感じなさいよ、味わいなさいよ、想像しなさいよ、私の成長の証をっ!!」
「ぐ、ぐぐっ、ぐほっ……」
何か柔らかいものが背中に押し当てられているような気もするが、それどころじゃない。首を締められ完全に気道が塞がれた僕は、生命の危機に瀕して――
「ん? この文章、ちっともわからないぞ」
俺の書いたライトノベルにツッコミが入る。
「何がわからないんだよ。もっと具体的に言ってくれないか、のぞみさんよ」
「まず、ここに出てくる真奈美は、おっぱいを新次郎の背中に必死に押し当ててるんだよな? だったらなんで、新次郎はそれに気付かないんだ?」
そんな疑問をぶつけるのは、俺の右肩にちょこんと座るミニチュア美少女、自称神様『のぞみ』だった。
それは一週間前。
雷撃犬賞の締切を間近に控え、必死に作品を仕上げていた俺の前に突然、彼女は現れた。「私は神様」という宣言と共に。
二重の黒い瞳、眉毛はキリっと細く、鼻筋も通っていて柔らかそうなほっぺ。服装は黒のブラウス、黒のミニスカートに黒のニーハイだ。いわば美少女と呼べる容姿を備えていたが、背の高さは三十センチくらいだし、変なカラスの帽子をかぶってるし、おまけに背中には黒い翼が生えていた。
「お前、ま、まさか死神!?」
おののく俺に、ミニチュア美少女は顔を真っ赤にする。
「ぶ、無礼な。畏れ多くも神様のこの私に向かって死神とは、万死に値するっ!」
彼女は背中の翼をはばたかせ、俺の背中に回って肩をポカポカと叩き始めた。執筆に疲れていたので何気に気持ちイイ。きっと俺は幻覚を見ているのだろう。
「うがががっ、や、やめろっ! ライフが、俺のライフが減っていく……」
どうせ幻覚ならと、俺はラノベのノリで対応した。
本当はもっとトントンして欲しかったが、いい加減お引き取りしてもらわないと執筆が進まない。
「おおっ! 人間にはこの攻撃が効くのか!?」
彼女も半信半疑だったらしい。
「効く、効く。死ぬぅ……バタリ」
俺は机に伏して息をひそめる。幻覚なら、しばらくすれば消えてしまうだろう。
「むう、逝ったか……。なんじゃ、この文章は……?」
彼女は、パソコンの画面に表示したままの文章を読み上げ始めた。
『新次郎よ、魔王の言うことを聞くのだ! 真奈美の命が惜しければ、人間界のすべてをここに記せ』
「ぐあっ、勝手に人の作品を読み上げるんじゃねぇ!!」
俺はがばっと顔を上げ、宙に浮く少女を捕まえ、その瞳を睨みつける。
自作を声に出して読まれるとむちゃくちゃ恥ずかしい。ミニチュアとはいえ美少女だし。
彼女は涙目になりながら俺に訴える。
「こ、この文章には、人間界のすべてが記されているのか? ならばそれを私に教えてほしい」
泣くなんてズルいよ。美少女の涙は最終兵器じゃないか。
人間界のすべてというのは、あくまでもストーリー上の話だけどな。
「私は、のぞみという名の神様だ。人間のことを、二週間以内に知らなければならないのだ。神様の学校の宿題でな」
それから、この小さな神様のぞみは、俺の作品を読みながら人間というものを勉強している。
最初は素直に俺の言うことを聞いていたが、最近は文章に口出すことが多くなって困っている。
「おっぱいを背中に押し当てられたら、普通気付くだろ? こんな風にな」
そう言いながら、のぞみは黒い翼をばたつかせながら俺の背後に回り、背中に胸を押しつけて来た。
「残念ながら、全然分からないぞ」
それもそのはず、彼女の胸は見事にぺったんこだった。
「そんなことはない! どうだ、これでどうだっ!!」
涙ぐましい努力をするのぞみ。見ていられなくなった俺は、文章を彼女にも分かる内容に書き換えてあげることにした。
「じゃあ、おんぶじゃなくて肩車にしてやるよ」
新次郎は真奈美を肩車した。
揺れるたびに真奈美の恥骨が新次郎の首筋に当たる。そんなさりげない感覚に、新次郎は真奈美の女の子らしさを感じていた。
「ちょ、ちょっと待った!」
「今度は何だよ!?」
スキンシップの様子もちゃんと描写した。だから文句を言われる筋合いは無いはずだ。そのおかげで三人称っぽくなっちゃったけど。
そう言えば、のぞみのやつ、出会った時からやけに三人称にこだわるな。神様だからしょうがないのか?
「女の子を肩車しても、首筋に恥骨は当たらないぞ」
えっ、それって……? どういうこと?
俺は頭の中にハテナマークを一杯にする。その様子を見たのぞみは、仕方が無いと翼をはためかせ始めた。
「お前にもわかるように、今から実践してやるぞ」
そしてミニスカートをひるがえひながら、俺の首筋にちょこんと座ったのだ。
むにゅっ!
首筋に伝わる妙な感覚。
のぞみはぱんつを直接、俺の首筋に当てて来た。
「ほらっ、恥骨なんて当たらないだろ?」
驚いた俺は、慌てて彼女を振り返る。
したり顔で鼻の穴を大きくするのぞみ。その態度に俺はカチンと来た。
「お前、俺を騙したな。女の子じゃないだろ?」
するとのぞみは顔を真っ赤にする。
「し、失礼なっ! 私はれっきとした女の子だぞ。神様の世界ではな」
「人間界では、そういうのを『男の娘』って言うんだよ」
「そ、そうなのか? 初めて知ったぞ」
「その証拠にお前、ぱんつの中に何か隠してるだろ?」
「ぱ、ぱんつの中って、そんなことを女の子に言わせるのか?」
モジモジしながら、のぞみは衝撃的な事実を告白した。
「そ、そりゃ、隠してるよ、三番目の足を。だって私、八咫烏だから……」
了
闘掌’16春、テーマ『春らしいもの』
「どう? 新次郎くん」
「どうって、何が?」
すると真奈美は照れながら、途切れ途切れに言葉を発する。
「あ、あのね、わ、私、昔に比べて、お、お、おっきくなったの……」
おっきくなったって?
確かに高校生になって真奈美は背が高くなった。でも幼馴染だから、僕も一緒に背が高くなってるんだけど。おんぶする感覚も、昔とあまり変わらない。
ん? 待てよ。
言われてみれば、確かに大きくなったような気がする。彼女のお尻に回した両手は、なかなか指先を合わすことができないでいた。
「ホントだ。昔に比べて大きくなったね、お尻が」
「なっ!?」
言葉を詰まらす真奈美。
彼女はいきなり僕の首に腕を回し、ギリギリと力を込め始めた。
「く、苦しい! 苦しいよ、真奈美……」
「大きいってそっちじゃないでしょ!? ほら、感じなさいよ、味わいなさいよ、想像しなさいよ、私の成長の証をっ!!」
「ぐ、ぐぐっ、ぐほっ……」
何か柔らかいものが背中に押し当てられているような気もするが、それどころじゃない。首を締められ完全に気道が塞がれた僕は、生命の危機に瀕して――
「ん? この文章、ちっともわからないぞ」
俺の書いたライトノベルにツッコミが入る。
「何がわからないんだよ。もっと具体的に言ってくれないか、のぞみさんよ」
「まず、ここに出てくる真奈美は、おっぱいを新次郎の背中に必死に押し当ててるんだよな? だったらなんで、新次郎はそれに気付かないんだ?」
そんな疑問をぶつけるのは、俺の右肩にちょこんと座るミニチュア美少女、自称神様『のぞみ』だった。
それは一週間前。
雷撃犬賞の締切を間近に控え、必死に作品を仕上げていた俺の前に突然、彼女は現れた。「私は神様」という宣言と共に。
二重の黒い瞳、眉毛はキリっと細く、鼻筋も通っていて柔らかそうなほっぺ。服装は黒のブラウス、黒のミニスカートに黒のニーハイだ。いわば美少女と呼べる容姿を備えていたが、背の高さは三十センチくらいだし、変なカラスの帽子をかぶってるし、おまけに背中には黒い翼が生えていた。
「お前、ま、まさか死神!?」
おののく俺に、ミニチュア美少女は顔を真っ赤にする。
「ぶ、無礼な。畏れ多くも神様のこの私に向かって死神とは、万死に値するっ!」
彼女は背中の翼をはばたかせ、俺の背中に回って肩をポカポカと叩き始めた。執筆に疲れていたので何気に気持ちイイ。きっと俺は幻覚を見ているのだろう。
「うがががっ、や、やめろっ! ライフが、俺のライフが減っていく……」
どうせ幻覚ならと、俺はラノベのノリで対応した。
本当はもっとトントンして欲しかったが、いい加減お引き取りしてもらわないと執筆が進まない。
「おおっ! 人間にはこの攻撃が効くのか!?」
彼女も半信半疑だったらしい。
「効く、効く。死ぬぅ……バタリ」
俺は机に伏して息をひそめる。幻覚なら、しばらくすれば消えてしまうだろう。
「むう、逝ったか……。なんじゃ、この文章は……?」
彼女は、パソコンの画面に表示したままの文章を読み上げ始めた。
『新次郎よ、魔王の言うことを聞くのだ! 真奈美の命が惜しければ、人間界のすべてをここに記せ』
「ぐあっ、勝手に人の作品を読み上げるんじゃねぇ!!」
俺はがばっと顔を上げ、宙に浮く少女を捕まえ、その瞳を睨みつける。
自作を声に出して読まれるとむちゃくちゃ恥ずかしい。ミニチュアとはいえ美少女だし。
彼女は涙目になりながら俺に訴える。
「こ、この文章には、人間界のすべてが記されているのか? ならばそれを私に教えてほしい」
泣くなんてズルいよ。美少女の涙は最終兵器じゃないか。
人間界のすべてというのは、あくまでもストーリー上の話だけどな。
「私は、のぞみという名の神様だ。人間のことを、二週間以内に知らなければならないのだ。神様の学校の宿題でな」
それから、この小さな神様のぞみは、俺の作品を読みながら人間というものを勉強している。
最初は素直に俺の言うことを聞いていたが、最近は文章に口出すことが多くなって困っている。
「おっぱいを背中に押し当てられたら、普通気付くだろ? こんな風にな」
そう言いながら、のぞみは黒い翼をばたつかせながら俺の背後に回り、背中に胸を押しつけて来た。
「残念ながら、全然分からないぞ」
それもそのはず、彼女の胸は見事にぺったんこだった。
「そんなことはない! どうだ、これでどうだっ!!」
涙ぐましい努力をするのぞみ。見ていられなくなった俺は、文章を彼女にも分かる内容に書き換えてあげることにした。
「じゃあ、おんぶじゃなくて肩車にしてやるよ」
新次郎は真奈美を肩車した。
揺れるたびに真奈美の恥骨が新次郎の首筋に当たる。そんなさりげない感覚に、新次郎は真奈美の女の子らしさを感じていた。
「ちょ、ちょっと待った!」
「今度は何だよ!?」
スキンシップの様子もちゃんと描写した。だから文句を言われる筋合いは無いはずだ。そのおかげで三人称っぽくなっちゃったけど。
そう言えば、のぞみのやつ、出会った時からやけに三人称にこだわるな。神様だからしょうがないのか?
「女の子を肩車しても、首筋に恥骨は当たらないぞ」
えっ、それって……? どういうこと?
俺は頭の中にハテナマークを一杯にする。その様子を見たのぞみは、仕方が無いと翼をはためかせ始めた。
「お前にもわかるように、今から実践してやるぞ」
そしてミニスカートをひるがえひながら、俺の首筋にちょこんと座ったのだ。
むにゅっ!
首筋に伝わる妙な感覚。
のぞみはぱんつを直接、俺の首筋に当てて来た。
「ほらっ、恥骨なんて当たらないだろ?」
驚いた俺は、慌てて彼女を振り返る。
したり顔で鼻の穴を大きくするのぞみ。その態度に俺はカチンと来た。
「お前、俺を騙したな。女の子じゃないだろ?」
するとのぞみは顔を真っ赤にする。
「し、失礼なっ! 私はれっきとした女の子だぞ。神様の世界ではな」
「人間界では、そういうのを『男の娘』って言うんだよ」
「そ、そうなのか? 初めて知ったぞ」
「その証拠にお前、ぱんつの中に何か隠してるだろ?」
「ぱ、ぱんつの中って、そんなことを女の子に言わせるのか?」
モジモジしながら、のぞみは衝撃的な事実を告白した。
「そ、そりゃ、隠してるよ、三番目の足を。だって私、八咫烏だから……」
了
闘掌’16春、テーマ『春らしいもの』
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