ダイニングメッセージ2015年12月03日 07時29分34秒

 津木高校ミステリー部の部室では、恒例になっている昼休みの推理合戦が始まっていた。
 ――艶のある人
 今回明らかになったダイニングメッセージには、そう描かれていたのだ。
「これは歩人、ズバリお前のことだろ?」
 そう言いながら自信満々に俺のことを指差すのは、部内一の論理派、曲豆久巴(まがりまめ きゅうは)。
 江戸時代の和算家、栗田久巴から名をもらったと豪語するだけあって、数学の成績は校内でもトップクラス。二年生ながらに我がミステリー部を牽引する頼もしい部長様だ。
「お前の名前は、艶野歩人(えんの あると)。『野』と『歩』を平仮名にするだけで、完全にお前の名前と一致するではないか!」
 うぬぬぬ……。
 指を差されて名指しされるのは気持ちの良いものではないが、確かに久巴の言う通りだ。
 俺の名前の『野』と『歩』を平仮名にすると、『艶のある人』になる。まさかこんな風に名指しされると思っていなかった俺は、久巴の頭の回転の良さに舌を巻くと共に、メッセージを見た瞬間にツヤツヤした奴を探そうとした自分が無性に恥ずかしくなった。
 しかし、勝ち誇ったように鼻を高くする久巴を、猫を撫でるような可愛らしい声が制する。
「そんなんじゃダメだよ~、久巴くん」
 豊色のあ(ほうしょく のあ)先輩。
 我がミステリー部の紅一点だ。
「なんで『野』と『歩』が平仮名なのか、その理由まで解かないと推理って言わないんだよ~」
「そ、それは……えと、その……」
 一瞬声を詰まらせた久巴だったが、言葉を繋ぎながら必死に解を探している。
 一方、のあ先輩は、いたずら好きな猫のような瞳で久巴のことを観察していた。その仕草の可愛らしさに、さすがの久巴もたじたじだ。ほんのりと頬を赤く染めながら、脂汗をタラタラと流している。
「こ、このメッセージをすべて漢字で描くのは、た、大変だったから……とか?」
「へえ~。それなら何で、一番画数の多い『艶』が漢字なのかな?」
「えと、そ、それは……」
 久巴の負けだった。
 確かに、のあ先輩の言う通りだ。『野』と『歩』を平仮名にするくらいなら、まずは『艶』を平仮名にするはずじゃないか。
 すると、のあ先輩はチョークを手にすると、部室の黒板に何やら文字を書き始めた。

『ツヤ・ノ・アル・ヒト』
『エン・ノ・アル・ト』

「これが私の答えよ」
 自信満々に言い放つのあ先輩の瞳は、獲物を見つけた猫のようにキラリと輝く。
「久巴くんは、『艶のある人』は『エンノアルト』であると推理したよね。この二つの文字列をこうやって書き比べてみると、共通する言葉が見つかるの。それは、『ノ』と『アル』。つまりね、『ノ』と『アル』が平仮名であるのは、そのことを示すメッセージなのよ」
 おおお、さすが、のあ先輩。何が言いたいのか、さっぱりわからない。
 ――でも待てよ。
 その時、俺はあることに気がついた。
 『ノ』と『アル』が平仮名であることに意味があるという先輩の指摘は、まんざら間違っているとは思えない。
「のあ先輩。さっき『艶』が一番画数が多いと言いましたよね。もしかしたら、その認識が間違っているんじゃないでしょうか……」
 ふふふ、と笑みを作りながら俺は先輩を見る。
 その様は、先輩にとってさぞかし不気味だったに違いない。先輩は動揺しながら、画数を確認しようと肉球に、じゃなかった掌に必死に文字を書き始めた。
「ズバリですね、この『艶』は『艶』じゃないんですよ」
「『艶』が『艶』じゃない……って?」
「そうです。こう考えてみてはいかがですか? これは『豊』と『色』の組み合わせであると」
 はっと先輩が顔色を変える。
 久巴も「そうか!」と手を打った。
「もうお二人ともお気付きですね」
 俺はおもむろに右手を上げると、のあ先輩をビシっと指差した。
「そうです、このメッセージには『豊色のあ』という先輩の名前が隠されていたんです! 『の』と『あ』が平仮名だったのは、そういう理由だったんですよ」
 矢で心臓を射抜かれたように目を丸くする先輩に、俺は「指差してゴメン」と小さく心の中で謝る。
 すると、すかさず久巴がツッコミを入れてきた。
「それじゃあ、後に続く『る人』って何だよ?」
「チッチッチ、ダメですよ、久巴さん。『ルヒト』って読んじゃ」
 指を振りながら、俺は反撃を開始する。
「これはですね、『ルニン』と読むんです。ええ、その響きの通り『流人』です。これにはちゃんと理由がありますよね、のあ先輩?」
 俺が視線を向けると、先輩はビクリとしながら苦笑いでその場を誤魔化そうとする。
「あははははは。なんだ、歩人くん、知ってたの?」
「知ってましたとも。のあ先輩のことですから」
 猫のように頭をカキカキする先輩は本当に可愛いなと、俺の視線は思わずその姿に釘付けになった。
「なんだよ、歩人。俺にもちゃんと教えてくれよ」
 懇願するような目つきの久巴がいじらしくなったので、俺はゴホンと一つ咳払いをしてから、おもむろに説明を始める。
「先輩は今、流人なんです。一人、職員室に流されて全力で刑期を全う中の」
 実態はこうだ。
 センター試験を二ヶ月後に控えた先輩は、あまりにも成績が振るわないため、職員室の片隅で個別指導を受けているのだ。偶然それを見つけてしまった時に見せてくれた、ペロッと小さく舌を出しながらの照れ笑いがこれまた可愛かったことを、俺ははっきりと覚えている。
「ふうん、先輩の名前がこのメッセージに隠されている、か……。歩人は先輩にのぼせているだけなんじゃないのか?」
 まだ納得できていないのか、久巴はブツブツと呟きながら再びメッセージを観察し始めた。
 ふん、俺に論破されたのがそんなに悔しいのか?
「なんだよ。文句があるんだったら、久巴もちゃんとした推理をしてみろよ」
 その時だった。
 久巴が急に、雄叫びを上げたのは。
「おおおおおおお、ついに見つけたぞ。このメッセージに隠された真実を!」
 そして彼は、興奮しながらメッセージの『艶』の文字を指差した。
「二人とも、見てみろよ。この文字は『艶』のようであって、実は『艶』ではなかったのだ!」
 まさかと思いながら、のあ先輩と俺はメッセージに近寄って久巴が指差す場所を見る。
 すると、『艶』の字の右上の『ク』になっているべき場所が、『久』になっていた。
「『艶』と見せかけて、実は違う文字だった。その真相は……」
 久巴は信じられないという顔で推理を展開する。
 俺達はゴクリと唾を飲んだ。
「この文字を四つに分解すると、『曲』、『豆』、『久』、『巴』になる。つまり俺の名前だったのだ!!」
 その時、俺達をあざ笑うかのように、キンコーンカンコーンと昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「と、今日の推理合戦はここまでだ」
「じゃあね、歩人くん」
 手を振りながら、のあ先輩と久巴が部室を後にした。
 一人残された俺は、弁当のご飯の上に海苔で描かれた文字をまじまじと見つめていた。
 なんだよ、結局、昼休みに弁当食べれなかったじゃねえか。しかも、字が間違ってるし。きっと家に帰ったら母ちゃん、「『艶』まで頑張ったんだよ!」ってドヤ顔で自慢するんだろうな……。



共幻文庫 短編小説コンテスト 第9回「艶のある人」投稿作品

Fの魔法、正の代償2015年12月26日 10時10分27秒

「Fって何だ……?」
 雄介は授業中、ずっと考えていた。
 京香が古文の教科書に書いていた記号の意味を。
 フール? ファール? まさか腑抜けのF?

 一つ前の時間は古文だった。
『け、け、ける、ける、けれ、けよ……』
 五月の陽気に、古文の呪文がすうっと溶けていく。
 涅槃の境地に達したところで、俗世から自分を呼ぶ声が……。
 はっと目を開けると、恐い顔をした先生が机の前に立っていた。
 立たされながら教室の失笑を見回すと、一人だけ教科書を見ている奴がいる。
 こんな時でも勉強かよ。優等生は違うぜ……。
 しかしそれは勘違いだった。
 京香は教科書に何かを書き込むと、ニヤリとこちらを見た。

 京香の席は、俺の二つ隣の窓際だ。
 成績優秀、容姿は……まあまあかな。
 だから今まで気に留めていなかったが、あれ以来意識してしまう。

 確かあれは『F』見えた。
 また何か書かれるんじゃないかと思うと、つい彼女を見てしまう。
 窓からの風を受けてサラサラとそよぐ長い髪。
 セーラー服のリボン辺りのなだらかな膨らみ。
 今が盛りと芽吹く若葉よりも、授業に集中する瞳が美しい。
『古文の教科書に書いてたFって何だよ?』
 以前なら何でもなかった質問が、俺の口を重くする。

「な~に~? あんた京香に気があんの?」
 ホームルームが終わると留美が後ろの席から小突いてきた。中学校からの腐れ縁だ。
「べ、別に……」
「そう、ならいいんだけど。ちょっと気になることを聞いたから」
「何だよ。教えろよ」
「これって私から聞いたこと秘密だよ? あの子達のグループって、あんたで賭けしてんのよ」
「えっ?」
「古文の時間ね、あんたが何回居眠りするかって賭けてんの」
 じゃあ、『F』って何だ……?
「京香の観察によるとね、あんたの古文の居眠りはいつも三回だって話だよ」
 三回、三回……。
 そっか、あれは『F』ではなくて『正』の字の途中だったのか……。

 明日の五時間目は古文だ。
 襲い来る睡魔とそれを狩る小悪魔。
 全滅してしまいそうな睡魔を応援したくなるのは、魔法にかかった自分を認めたくないからだろう。

 ◇

「五回?」
 雄介は授業中ずっと考えていた。
 京香が数学の教科書に書いていた回数を。
 俺は五回も居眠りしてないぞ!?

 一つ前の時間は数学だった。
『サイン、コサイン、タンジェント……』
 三角関数の呪文が心の中をごちゃごちゃにかき乱す。
 京香に話しかけてみたい。でも『F』の一件が心にバリアを張り巡らせて、行動に移せない。
 だからわざと寝たふりをして、彼女の気を引こうとした。
 先生に立たされながらチラリと京香を見ると、彼女は教科書に『正』の字を完成させていた。

「おい、京香達のグループ、今度は何の賭けしてる?」
 ホームルームが終わると後の席の留美に訊ねる。
「知らないわよ、そんなこと」
 なぜかふて腐れる留美。
 そのアンテナには、まだ何も捉えられていないようだ。
 一ヶ月前、俺の居眠り回数の賭けを教えてくれたのは彼女だった。
「京香のやつ、数学の教科書に『正』って書いてたんだぜ。まだ居眠りは二回だったのに」
「正の字を使って計算してたんじゃないの?」
「高校生がそんなことするかよ。真面目に答えろよ」
「そんなに気になるなら自分で聞けばいいじゃない」
「ゴメン謝る。なあ、頼みがあるんだけど……」
「なによ」
「数学の時間、俺が何を五回やってるか見ててほしいんだ」
 嫌がる留美をパフェを驕ることでなんとか説き伏せた。

 一週間後の調査結果。
「そうね、居眠りが平均二回、肩のフケが三個、ペンで耳かっぽじるのが四回」
「お前、何見てんだよ」
「細かく調査しろって言ったの、あんたじゃない」
 やさぐれる留美を横目に考える。
 やはり居眠りではなかったんだ。では五回とは?
「一つだけ……」
「えっ?」
「一つだけあったよ、五回……」
「本当か、それは?」
「あんたが京香を見てた回数」
 留美は俺から目をそらして京香の机の方を向いた。
 主の居ない放課後の窓際の席は、キラキラと梅雨間の夕日を反射させていた。
 ん? でも、待てよ。
 俺が京香を見た回数だって?
 そんなこと京香が数えているはずないじゃないか。
 だってそうなら目が合うだろ?
「なあ……」
 振り返るといつも微笑んでくれた留美の姿は、もうどこにも無かった。



共幻文庫 短編小説コンテスト 第10回「秘密」投稿作品

クスクスの謎2015年12月27日 18時58分56秒

「おーい、鈴木課長!」
 思わず私は部下を呼ぶ。
「どうしました? 部長」
「すまんが、ツイッターとやらを教えて欲しいんだが」
「ツ、ツイッターですか……?」
 鈴木課長の顔が青ざめたかと思うと、オフィスをキョロキョロと見回し、スマホをいじっている若者に声を掛けた。
「田中係長。休憩中にすまんが一緒に来てくれ」
 そして二人は、私が差し出すスマホを覗き込む。
 ツイート欄の一番上には、こう表示されていた。

『部長さん、先日は格好良かったです(クスクス』

「部長、これを書き込んだ『珠代』さんって、もしかしてK社の若社長の?」
「そうだよ。この間、一泊二日の接待旅行の時に、このツイッターとやらを教えてもらったんだ」
 私の話を聞いてニヤリとする田中係長。その様子を見た鈴木課長の顔が、また青ざめた。
「それで教えて欲しいんだが、なんでかっこ……」
「恰好いいです、部長は! そうだよな、田中係長」
「えっ? ええ、まあ……」
「だったらもう行くぞ。部長、これは我々部下が意見を申し上げる用件では無さそうですので、失礼いたします」
 そう言って、二人は私の元から立ち去ってしまった。
 うーん、なんで括弧が左側だけしか無いのか教えて欲しかったのだが……。



500文字の心臓 第144回「クスクスの謎」投稿作品

ため息2015年12月31日 18時20分32秒

「おい悠斗、今日はどこに行く?」
「なんだ、正樹か。どこでもいいけど。」
「じゃあ、ゲーセン行こうぜ!」
「ああ、ゲーセンね。」
「なんだよ、行きたくないのかよ?」
「そんなこと言ってないし。」
「なんかその喋り方、行きたくないって感じがするんだよな」
「ふーん、どこが。」
「それだよ、それ! お前、語尾に小さくため息入れてるだろ?」
「えっ? バレた?。」
「だから、ため息入れんなって言ってんだよ、疑問符の後に変だろ?」
「おおっ!。」
「意味わかんないし」
「そう?〇」
「ため息、大きくしてどうすんだよ」
「気にすんなって。きっと俺だけじゃないと思うぜ。」
「いや、お前だけだよ、そんな器用なことができるのは」
「そうかな?。 百作品あったら三作品くらいはやってると思うけど。」
「作品ってなんだよ? 『百人いたら三人』の間違いじゃないのかよ、お前、作品だったのかよ」
「正樹こそ。もっと。力を。抜いた方が。いいんじゃないの?。」
「いやいや、ため息つき過ぎだっつーの」
「逆に全然ため息ついてないじゃん。正樹は。」
「だってよく言うだろ? 『ため息つくと幸せが逃げる』って、それ、一応気にしてんだよ」
「えー。俺が知ってるのは『ため息つけばそれで済む』だけど?。」
「なに、それ?」
「母が。教えてくれた。」
「母だって? なに急にかしこまってんの? いつも、『かーちゃん』って呼んでるお前がさ」
「♪ささやーかな。 ♪ぼーくの。 ♪母の。じ。ん。せ。い。」
「歌うな! 歌ったら、たとえ結果が良くても掲載されないだろ?」
「大丈夫。微妙に外してるし。それに正樹だって『掲載』とか変なこと言ってんじゃん。」
「ていうか、よくそんな古い歌、知ってんな?」
「正樹だって古いってよく知ってんな。」
「もうやめようぜ、こんな不毛な会話、ゲーセン行くかって話だっただろ?」
「じゃあ行かない。」
「やっぱ、行きたくないんじゃねえかよ、だったら最初からそう言えよ」
「だって俺達。受験生だろ?。」
「そうだけど?」
「センター試験までもう一ヶ月切ってんだよ。」
「…………」
「もっと素直になれよ。」
「素直って?」
「俺みたいにさ。」
「こ、こうか?。」
「そうだよ。やればできるじゃん。」
「おお!。」
「いいぞ。その調子!。」
「なんか。受験生って感じがしてきた。」
「だろ?。『ため息つけばそれで済む』だよ!。どんどんつこうぜ。」
「ああ。『ため息つけばそれで済む』だな。」
「受験なんて糞喰らえだ!。」
「推薦組は爆発しろ!。」
「雪不足は受験生には嬉しいぞ。」
「三月になったら遊びまくってやる。」
「今も遊んでるけどな。」
「ちょ、ちょっと。余計なこと言うなよ。ところでさ。お前どっちだ?。」



共幻文庫 短編小説コンテスト 第12回「。」投稿作品