二見十四日の贈り物2015年03月02日 07時47分48秒

 人生、自分ではどうにもならないことがある。
 それが生まれつきの特徴であったとしたらなおさらだ。
 今日の僕、持織大樹(もちこり たいき)はツイてなかった。
 下校する前に小便に行っておこうと、通りかかった体育館脇のトイレに駆け込んだのが不運の始まり。いかにもやんちゃそうな茶髪の生徒が、僕の隣で用を足し始めた。
 そいつは、僕の便器を見たとたん目を丸くする。
「お、お前、いい気になるなよ!」
 いきなり大声を出す茶髪。
「なんだよ、何かあったのかよ」
 茶髪のダチらしきノッポも、彼の声に反応して僕の便器を覗き込んで来た。
「クソッ……」
 ノッポは言葉を詰まらせ、涙ぐんでいる。
 これはクソじゃなくて小便だよ、なんてツッコミを入れる余裕は僕にはなかった。タラリと流れる冷汗。
 これは僕が望んだことじゃない。親の遺伝子を、ただ受け継いだだけなんだ……。
 頼むから小便よ、早く出終わってくれ!
 僕の祈りは天に届く事はなく、用を足し終わった時はすでに茶髪達に囲まれていた。

「おい、お前。ズボンを脱げよ!」
「早く見せてみろよ!」
 僕は茶髪たちに連れられて体育館裏へ。
 茶髪とノッポとデブの三人に囲まれちゃ、逃げられそうもない。
 僕はしかたなく、ズボンのベルトに手を掛けた。
「おいおい、こいつブリーフじゃねえか」
 一応ボクサータイプなんだけど。
 トランクスだとダメなんだ、保持力がなくて。
「あっ、それ返してよ!」
 ズボンを茶髪達に取り上げられてしまった。
「それにしても、すげえボリュームだな。許しておけねぇ」
「こいつ、俺の三倍はある……」
「さあ、どう料理してやろうか」
 茶髪達は僕の股間を凝視する。
 このままではブリーフまで脱がされそうな勢いに、僕は震えが止まらなくなった。
 お願いします。許して下さい。僕は何も悪くはないんです。悪いのは親からもらった遺伝子なんです。
 その時だった、天使のような声が体育館裏に響いたのは。

「あんた達、弱いものイジメは止めなさいよ!」

 三人が振り向いた瞬間、「えいっ」という掛け声と共にデブが吹っ飛ぶ。どうやら声の主が投げたバッグが頭にクリーンヒットしたようだ。教科書やらノートやら道着やら、女生徒の荷物が辺りに散らばった。
 しかしここからがすごかった。
「なんだ、このアマ!」
 と茶髪が言い終わる間もなく、スカートをひらめかせながら繰り出される女生徒の内回し蹴り。頸椎を強打され、茶髪はガクリと地面にひざを着いた。その背中に足を掛けたかと思うと、女生徒は後方宙返りをしながらノッポのアゴを蹴り上げる。
 スローモーションのように崩れていくノッポと、完全にめくれ上がったスカートから伸びるスリムな足。
「クマ……ちゃん?」
 流れるような連続技はほんの一瞬の出来事だったが、僕は女生徒のパンツのお尻に描かれた絵柄をしっかりと目に焼き付ける。
「大丈夫ですか?」
 地面に手をつきながら着地した女生徒は、低い姿勢のまま僕を見上げた。彼女の長い黒髪がはらりと舞い降りる。
「えっ……」
 そしてブリーフ姿の僕を見て、ぽっと頬を赤らめた。
「ご、ごめんなさい。見るつもりは無かったんです。さようならっ!」
 顔を伏せ、散らばった荷物を必死にかき集めてそれらを両手に抱えたまま、女生徒は一目散に走り去って行った。
「ちょっ、ちょっと待って!」
 あっと言う間の出来事だった。
 しなやかな身のこなし、スリムな体型からは予想できない蹴りのパワー、そしてその強さに似合わないクマちゃんのパンツ。
 しかしあの子、可愛かったな。名前は何ていうんだろう……。
 夕焼け空をバックに、僕は遠ざかって行く彼女の後姿を見送った。
「ヤバい、僕も早くこの場を去らなくちゃ」
 女生徒の攻撃を受けて横たわっている三人。いつ目を覚ますかわからない。
 そこで僕はとても大事なことに気付く。
「あの子、僕のズボンも持って行っちゃった……」
 
 ◇ ◇ ◇

 翌日の登校時。僕は下駄箱で一通の手紙を見つけた。
 ホームルームの時に机の中でこっそり開けてみると、中から和紙の便箋が出てくる。
「毛筆?」
 そこには達筆な文字で、こんな文面が書かれていた。

『ズボンをお返ししたく、昼休みに体育館裏でお待ちしています。二年八組、二見十四日』

 二見十四日?
 これって名前だよね? あの時の女生徒?
「ズボンを返すって言ってるんだから、きっとそうだろう」
 昨日、ズボンが無くて困った僕は、脱いだブレザーを穿いて走って帰った。目立っちゃうかと思ったが、意外と大丈夫だった。しかし財布や鍵やいろいろな物がなくて、すごく困っていたのだ。
 僕の名前を知ったのも、財布の中の何かを見たのだろう。
 彼女のことが気になった僕は、となりの席の博史に訊いてみる。
「あのさ、八組の二見さんって知ってる?」
 すると、博史はその名を聞いて顔を引きつらせた。
「二見って、トシカか? あいつには関わらない方がいい。痛い目に遭うぜ」
 もしかして『十四日』って『トシカ』と読むのか?
 痛い目に遭うことは分かっている。昨日の攻撃は華麗で破壊力抜群だった。
「顔は可愛いんだけどな……」
 八組の方を向いて頬杖をつく博史。
 昼休みなれば彼女に会える、と僕も八組の方を向いて、チラリと見えたクマちゃんを思い出してた。

 ◇ ◇ ◇

「ごめんなさい、こんなところに呼び出して」
 昼間の光で見る二見さんは可愛かった。
 背は百六十センチくらいだろうか。艶々したストレートの長い黒髪が太陽の光を反射する。胸はちょっと控えめだけど、制服のブレザーとチェックのスカートが似合ってた。
「こちらこそお礼を言わなくちゃいけないよ。ピンチを救ってくれて本当にありがとう」
 僕がペコリと頭を下げると、二見さんは僕に紙袋を差し出した。
「はい、これズボン。ゴメンね、あの時慌ててて、つい持って帰っちゃったの。汚れてたから洗ったんだけど……」
 二見さんは言葉を詰まらせる。
 なにか言いにくいことでもあるのだろうか?
 洗濯中にズボンが破れてしまったとか?
「ポケットの中身……、見ちゃったの……」
 真っ赤な顔でうつむく二見さん。僕は思わず紙袋の中を覗きこむ。
 綺麗にたたまれたズボンに、財布とハンカチと家の鍵。特に異常は無さそうだけど……。
「あの……、その……、サイズがすごくてびっくりしちゃったんだけど……」
 サイズがすごいって……げっ、あれか!?
 思い当たるものが一つだけあった。
 紙袋の中を見ると、ハンカチの下にそれがチラリと見える。僕もだんだん恥ずかしくなってくる。
「私、見なかったことにするから。じゃあね、バイバイ!」
 二見さんはうつむいたまま走り去って行った。
 ハンカチの下に隠されていたもの。
 ――オカ〇ト製コンドーム、ギガビックボーイ。
 それは、自家発電用に僕がポケットに忍ばせていたものだった。

 ◇ ◇ ◇

 次の日、下駄箱にまたもや和紙製の手紙を見つけた。
『確認し忘れたことがありますので、放課後、体育館裏でお待ちしています。二見十四』
 毛筆の美しい文字で。
 確認し忘れたことって何だろう?
 ま、まさかあのサイズが本当かどうか確かめたいとか?
 いきなりそんな急展開になったら困るなあ……。
 僕は自分勝手な妄想を膨らませながら授業を受ける。
 ――二見さんにまた会える。
 ぼんやりと眺める黒板の上には、クマちゃんの絵柄がプカプカと浮かんでた。

 少し長引いたホームルームが終わると僕は体育館裏に走る。二見さんはすでに僕を待ってた。
「遅れちゃってゴメン」
「こちらこそゴメンなさい、こんな所にまた来てもらって」
 丁寧にお辞儀をする二見さん。美しい姿勢は清楚感を際立たせる。
「暇だから全然問題ないけど、確認し忘れたことって何?」
 いきなり「ズボン脱いで下さい!」って言われたどうしようと、僕は少しだけ身構えた。
 ちょうど夕陽が沈んだばかりの薄暗い体育館裏とはいえ、ズボンを脱ぐにはかなりの勇気が必要だ。そもそも女の子の前だし。
 すると二見さんは、後ろ手に隠してた大きめのカード三枚を僕の目の前にかざす。
 カードにはそれぞれ可愛らしい動物の絵柄が描かれてた。
「イヌ、ネコ、そして……えっ、クマ?」
 そのクマに見覚えがあった。
 というか、それって二見さんのパンツに描かれていたクマじゃないか!?
 クマのカードを凝視する僕を見ながら、二見さんはモジモジし始める。
「や、やっぱり……、その絵柄に見覚えがあるのね?」
「いや、全然」
 君のパンツに描かれていたクマちゃんだよね、なんてとても言える雰囲気じゃない。
 曖昧な答えをする僕を見て、二見さんの顔が険しくなる。
「ねえ、正直に答えて。これは二見家に関わる大事なことなの。事によっては貴方の命が危険にさらされることにもなりかねない」
 ええっ、僕の命が危険にって一体どういうこと!?
 僕の脳裏にクラスメートの言葉が蘇る。

『あいつには関わらない方がいい。痛い目に遭うぜ』

 やっぱり彼の言葉に従うべきだった。
 僕の頬をタラリと冷や汗が流れる。
 というか、二見家に関わる大事なことって何なんだよ!?
 事によっては命が危険になるかもしれないなんて、一体どんなことが待ち受けているんだ?
 得体の知れない不安を感じながら、僕はどのように答えるか考えていた。
 知らないとシラを切り続けるか、それとも正直に打ち明けるか――
「もし、貴方が私のスカートの深遠を見たのであれば、今週末の二月十四日に私は贈り物をしなくちゃいけなくなるの」
 えっ、二月十四日?
 それって……バレンタインデーじゃないか!
 その日に女の子から贈り物をもらえるなんて、彼女いない暦十七年のぱっとしない僕に訪れた千載一遇のチャンス!
 それが二見家の事情とどう繋がるのかは不明だが、この機会を逃す手はない。
「ゴメンなさい、見てしまいました。貴女のお尻でニッコリ笑っていたのはこのクマです」
 クマのカードを指差し、僕は正直に告白する。
 すると二見さんは、悔しそうに顔をしかめた。
「あんな雑魚キャラに絡まれるような人に深遠が盗み見られていたなんて、二見家を継ぐものとして何たる不覚。本当に見えたのかどうか、確かめさせてもらいます!」
 そう言い終わる前に、目の前に何かが迫り来る。
「危ねぇ!」
 それは彼女のローファーだった。僕はすんでのところで彼女の蹴りをかわす。
「何すんだよ!?」
 あれが当たっていたら、マジで命に関わるかもしれない。
 僕は後ろに下がって彼女との距離を保つ。
「油断してたのに、よく最初の一撃を避けられましたね。でも次からはそうはいきませんよ」
 どうやら聞く耳は持っていないらしい。
 運動神経は人並みの僕だが、動体視力だけは自信がある。避けるだけならなんとか対応できそうだ。
 二見さんは僕の顎を狙って前蹴りを繰り出してくる。右足、左足の連続攻撃。かろうじて避けながら、ハラリと舞うスカートの奥からチラリとパンツが見えた。
「黒か……」
 僕のつぶやきを彼女は聞き逃さなかったようだ。
 ニヤリと笑うと、挑戦的な目つきで僕を見る。
「さすが、クマを見抜いた眼力は本物だったようね。でも黒一色じゃないわよ」
 すると二見さんはくるりと右回りに一回転すると、その勢いで後ろ回し蹴りを繰り出して来た。
 最初の一回転でスカートはめくれ上がっていてパンツが丸見えだ。
「危ねぇ!」
 パンツに注意をそがれていた僕は、鼻先で彼女のローファーをかわす。あれが当たっていたら鼻が折れていたかもしれない。
 でも、見えた。お尻の部分に金色の何かがプリントされている。
「十字架か?」
 それを聞いて二見さんはフンと鼻を鳴らした。
「わざと見せてあげたのに期待外れね。これじゃ贈り物はあげられない」
 あれって十字架じゃないのかよ。だったら何だ?
 というか、そもそも今ここで繰り広げられてるバトルは何なんだ?
 パンツの絵柄を言い当てれば、贈り物をもらえるってことなのか?
 いろいろと疑問に思うことはあるけれど、期待外れという言葉にカチンと来た。そこまで言うならやってやろうじゃねえの!
 僕は二見さんに向かって構えのポーズをとった。
「あら、いい目になったわね」
 そう言いながら、彼女は右、左と鋭い前蹴りを繰り出してくる。
 僕は蹴りを避けながら、パンツを絵柄を見る作戦を考え始めた。
 二見さんが高く蹴り上げた時がパンツを見るチャンスであることは間違いない。しかし高く蹴り上げるということは、頭がその位置にあるということ。それではパンツをしっかり見ることは不可能だ。逆に、頭を下げればパンツは見やすくなるが、今度は蹴りが低くなってしまう。
 ――この矛盾を解決する方法は何かないか……。
 その時、僕は閃いた。
 蹴りは高く、視点は低く。これを実現する究極の技があるじゃないか!
 僕は二見さんに向かって不敵な笑みを浮かべた。
「パンツの絵柄を当てれば贈り物をもらえるんだろ? だったら簡単じゃねえか」
 そして僕は二見さんに背を向ける。
「何? 簡単だなんて言っておきながら逃げるの? どうやら貴方を高く買いかぶり過ぎたようね」
「そう思うにはまだ早いぜ」
 僕は地面に手をつき、腹筋に力を入れて足で地面を強く蹴る。
「なっ……!」
 その姿を見て彼女は絶句した。

 それは逆立ちだった。
 二見さんに僕の急所を狙わせ、その隙にパンツを見ようという捨て身の作戦だ。
「いい覚悟ね。貴方、死ぬわよ」
 その言葉にぞぞぞと背筋が寒くなる。
 どうやら手加減はしてくれないらしい。一発でも急所に当たれば、僕の幸せな人生設計は確実に終止符を打つだろう。
 しかし僕にだって意地がある。幼少の頃つけられた『逆立ち持織ちゃん』の名は伊達じゃない。逆立ちは得意中の得意なのだ。
 その証拠に、両手でぴょんぴょんと飛び跳ねながら僕は二見さんの蹴りをことごとく避けた。
「な、なんで? 当たらないの?」
 見える! 見えるぞ、パンツが!!
 僕は素晴らしい景色を堪能する。が、そう思えたのは最初のうちだけだった。
 二見さんは前蹴りしか繰り出してこない。お尻の絵柄を見せないようにするための作戦なのだろう。
 時折ちらりと絵柄が見えることもある。やはり十字架のようだが、その先に何か銀色のものが伸びている。しかしその部分はお尻に食い込んでしまっていて、しっかりと絵柄を見ることができないのだ。
 ――なんとかパンツの食い込みを伸ばす方法はないだろうか?
 あせる僕に、さらに一つの誤算が発生する。パンツを見れば見るほど興奮して重心が上がり、体勢が不安定になってしまうのだ。これは想定外のことだった。
 二見さんもこのことに気付いたようだ。
 だんだんとボリュームを増していく急所を見ながら、顔を赤くし始めた。
 ――やはり、回し蹴りを繰り出した時しか絵柄を見るチャンスはないか。
 その時、ハプニングが起きた。僕の右手が石ころで滑ってしまい、逆立ちの体勢が崩れてしまったのだ。
「ふん、これで終わりね」
 二見さんが上半身をひねりながらわずかに体を沈める。
 ――来る、後ろ回し蹴りが!
 これが最後のチャンスだろう。僕はかろうじて逆立ちを保ちながら、体をひねって蹴りが来る方向にお尻を向ける。そして彼女のパンツを凝視した。
 二見さんはスカートをひらめかせながら鋭く体を回転させる。バチンという音とともにお尻にすごい衝撃を受け、僕は五メートルくらい蹴り飛ばされた。
「いててて……」
 お尻から地面に落ちたのは幸いだった。お尻の打撲以外は大した怪我もしていないようだ。
 それにしても蹴りが急所に当たらなくてよかった。あれが当たっていたら、本当に死んでいたかもしれない。
「大丈夫!?」
 二見さんが慌てて駆け寄ってくる。
 そんなに心配してくれるなら本気で蹴らなきゃいいのにと思いながらも、真剣に勝負してくれた彼女の心意気に感謝する。
 先ほどとはうって変わって優しそうな表情を見せる二見さん。嗚呼、二人の戦いは終わったのだ。だからもう眠ってもいいよね?
 なんて展開にはならなかった。
「それで、見えたの?」
「ああ、魔剣アザトフォート……だろ?」
 最初、十字架のように見えたのは剣の柄の部分だったのだ。回し蹴りを繰り出す瞬間、銀色に輝く剣を確認することができた。
 剣の名前は、柄の部分に描かれているアザトフォート王国の紋章が決め手となった。
「せ、正解よ」
 それからが大変だった。
 家族に紹介するためと言いつつ、二見さんは僕の写真をカシャカシャと撮り始めたのだ。
 ゲーム機の3DXで。
「何で3DX?」
 彼女だって、スマホやケータイを持っているだろうに。
「家に来てもらえれば理由はわかるわ」
 彼女はそう言うだけで、詳しくは教えてもらえなかった。
 まあ、そんなことはどうでもいい。
 二見さんに写真を撮られながら、これで今年のバレンタインデーは生まれて初めてスイートな時間を過ごせるかもと、僕は期待を大きく膨らませていた。

 ◇ ◇ ◇

 翌日、下駄箱にまたまた和紙の手紙が入っていた。
『今日は最終試験を行います。放課後の体育館裏でお待ちしております。二見十四日』
 ええっ、また試験かよ。
 でも『最終』ということは、今日の試験をクリアすればバラ色のバレンタインデーが確定に違いない。
 というか、女性の秘部を見たら贈り物をしなくちゃいけないなんて、二見家ってどんな旧家なんだよ。昔、『スカートの中を覗き込めたら結婚』って小説を読んだことがあるけど、いまだにそれを実践している家系があるとは驚きだ。
 それにしても、また二見さんに会えるなんて楽しみだな。
 ――今日のパンツはどんな絵柄なんだろう?
 授業を受けながら、僕はひらひらと舞い上がる二見さんのスカートを思い浮かべていた。
 しかし、彼女の回し蹴りはすごい威力だった。あれを一発でも受ければ、相当なダメージを負ってしまう。そしたら絵柄を言い当てることは不可能だし、バレンタインデーの贈り物も水の泡だ。
 ――なんとか対策を考えねば。
 逆立ちはもう無理だろう。
 昨日は奇襲的な効果があったが、今日はそれは効かない。腕だって筋肉痛でパンパンだし、なによりもパンツを見れば見るほど体勢が不安定になるというのが致命的だ。
 ――ん? パンツを見れば見るほど……!?
 そうだよ、僕にピッタリの戦法があるじゃないか。
 あれなら二見さんの回し蹴りを封印することができるかもしれない。
 ――むふふふ、この勝負もらった。
 放課後になると僕はトイレに行き、作戦の第一段階を発動した。

 ◇ ◇ ◇

「待たせたな、二見十四日!」
 遅れて体育館裏に到着すると、二見さんはすでに僕を待ってた。
「やる気満々ね、持織君」
 二人は臨戦態勢で距離を保つ。
 ピリピリとした緊張感が、夕焼けに包まれる空間を特別なものに変えていた。
「でも、最終試験の前に一つお願いがあるの」
「なんだ? そのお願いというのは」
「今日の試験にクリアしたら、二月十四日に家に招待するわ。その時の贈り物なんだけど……」
 急にモジモジし始める二見さん。
 緊迫感が一気に消え失せた。
「あのね、その……、今、一生懸命作ってるところなの。それでね、あの……、恥ずかしいんだけど作るのは初めてなので、持ち帰る前にぜひ私の部屋で試して欲しいの……」
 うわっ、可愛いっ!!
 照れる二見さんって、ギュッと抱きしめてあげたいくらいキュート!
 それに手作りの贈り物をその場で試して欲しいって、男冥利に尽きるじゃないか。
 もちろん断る道理はない。最終試験に合格して、バラ色のバレンタインデーを満喫してやろう!
「わかった。約束する」
 すると二見さんは顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。笑顔もなんて素敵なんだろう。
「うん、ありがトウッ!」
 うわっ、いきなり前蹴りが飛んでくる。
 油断させといて攻撃だなんて、敵もやるものよ。
 しかしもう前蹴りは僕には通用しない。昨日、散々見たからな。僕の動体視力があれば、避けるのは簡単だ。
 右、左と前蹴りと繰り出す二見さん。ひらひらとスカートが舞ってパンツが見え隠れする。
 ――おっ、今日は白だな。
 しかし純白ではない。
 水玉模様のようにピンク色の何かがちりばめられている。
 ――何だ、あれ?
 ピンク色の紋様は、一つ一つが丸ではなく楕円形のようだ。が、はっきりとはわからない。
「前蹴りが通用しないなんてやるわね。じゃあ、これはどう?」
 二見さんは作戦を変えてきた。回し蹴りを攻撃の主体にしたのだ。
 右から、左からと予測不能な位置から繰り出される蹴りに、僕はじりじりと追いつめられていく。
「ふん。こんなんじゃ最終試験は合格しないわよ」
「僕を甘く見ない方がいいぜ。今日はリミッターを外して来たからな」
 いよいよ奥義を発動する時が来た。
 僕はその場で背筋を延ばしてつま先立ちとなり、それを縦の回転軸としてスピンを開始した。僕の回転に合わせてサラサラと風が巻き起こる。
「なによ、その技。ただ回ってるだけじゃないの」
 ただの回転と思うなよ。
 現に、回転によって生じた風によってスカートがめくれてきているじゃないか。これでパンツが見えればこっちのものだ。
 二見さんは、相変わらず回し蹴りを繰り出す。そのたびに風でスカートがあおられ、パンツが見えるようになってきた。
「おおおおお、出でよ、ドラゴン!」
 叫び声と共に僕の股間が膨張する。僕はここに来る前に、トイレでアレをブリーフの穴から外に出しておいたのだ。リミッターを外された僕のドラゴンは、ズボンの中で覚醒を始めていた。
「な……に……? それ……」
 二見さんの目は、成長を続ける僕の股間に釘付けになった。
 パンツが見えれば見えるほどドラゴンは成長し、重心が外側に移動して回転数が上がる。巻き起こる風はさらにスカートをめくり上げ、強さを増す回転は彼女の蹴りをことごとく跳ね返した。
 見える! 見えるぞ、パンツが!!
 白地に散りばめられたピンクの小さな紋様。それは細長い楕円形で、先に割れ目が入っている。まるで花びらのようだ。
「桜……か?」
 そんな僕のつぶやきを二見さんは聞き逃さない。
「ふん、まだまだね」
 ことごとく跳ね返される蹴りに苦渋の表情を浮かべながらも、彼女も攻撃のチャンスをうかがっていた。
 ていうか、桜模様じゃないのか?
 二見さんからのダメ出しを受けてパンツをよく見ると、大切なところを覆っているクロッチになにか別の絵が描かれている。
 ――きっとあれがヒントに違いない。
 しかしその部分はチラチラと一部分しか見る事ができない。何か大きく股を開いてくれる技を出してくれれば見えるのだが……。
「どこかに……、きっと弱点があるはず」
 蹴りを繰り出しながら、二見さんは必死に僕の弱点を探している。
「そうか、あそこね!」
 彼女の表情が明るくなる。どうやらこの奥義の弱点に気付いたようだ。
 それは回転軸。
 唯一、蹴りを弾くことができない場所が縦の回転軸だった。その部分を攻撃するには、僕の頭上から垂直に振り下す技が必要となる。
 ――来るぞ、かかと落としが。
 回転に攻撃を弾かれることなく、回転軸を攻撃できる唯一の技。
 しかしそれは、彼女がパンツの秘部を僕にさらす技でもあった。
 勝負は一瞬。これで決着が着く。
 僕は最終奥義に移行する。
「持織・フェッテ・トルネードォォォォォーーーッ!!」
 クラシックバレエのフェッテの技術を取り入れた回転。前を向いている時間が長いので、パンツの絵柄を見逃すことはない。たとえ頭を強打されても、秘部を拝む事ができれば悔いは無い!
 二見さんはジャンプしながら右足を高く上げる。そしてかかとが振り下ろされる直前、僕は彼女のパンツの秘部を目の当たりにした。
「おおおお、あの絵柄は!」
 刹那、僕は衝撃に耐える。が、ここで想定外の事態が生じた。
 二見さんのかかとは回転軸を垂直に撃ち下ろすのではなく、回転軸を傾けるように振り下ろされたのだ。
「ぎゃああああああっ!!」
 不意に軸のバランスを失った僕は、軸が大きく傾いて体の回転が地面に接触してしまい、強く弾かれて二十メール以上吹き飛ばされる羽目となった。
 ――べちゃ。
 幸いなことに、何か柔らかいものの上に僕はうつ伏せで着地する。
 それは改修工事のため、コンクリートを塗ったばかりの自転車置き場だった。
「大丈夫? 持織君!」
 二見さんが慌てて駆け寄ってくる。
 先ほどのバトルの時とはうって変わり、優しそうな表情で僕を起こしてくれた。
「ありがとう二見さん。それにしても本当にラッキーだったよ、着地したのが塗ったばかりのコンクリートで」
 アスファルトの上に落ちていたら大変なことになっていただろう。擦りむくことはもちろん、打ち所が悪ければ骨折していたかもしれない。成長を遂げた僕のドラゴンも無事では済まないだろう。
「実はね、持織君がここに飛んで来るようにずっと計算してたの。制服は汚れちゃうけど、一番怪我しないのはここかなあって」
 そうだったのか……。
 バトル中、二見さんがずっと考えていたのは、てっきり僕の弱点ばかりだと思っていた。
 彼女の優しさに涙が出て来る。
「それで、わかった? パンツの絵柄」
「ああ、ブタの足跡だろ?」
 ここに飛ばされる直前、二見さんのパンツの秘部に見えた絵柄はニッコリ笑ったブタの顔だった。つまり、桜のように見えていたピンク色の紋様は、花びらではなくブタの足跡だったのだ。
「せ、正解よ」

 翌日、下駄箱の中に、二月十四日の二見家への招待状が入っていた。

 ◇ ◇ ◇

「すげぇ、豪邸じゃねえか」
 二月十四日の午後二時。僕は二見邸の前に立っていた。
 瓦塀に囲まれた屋根付きのどっしりとした門は、来る人を拒むようにピタリと閉ざされている。表札の『二見』の文字を確認して、僕はインターホンのボタンを押した。
 ジーとカメラの音がしたかと思うと、ディスプレイに人型の立体ホログラムが表示される。きっとセキュリティに登録されている人物リストなのだろう。
「おおっ、ちゃんと僕も登録されてるぞ」
 その立体ホログラムの中に、制服姿の僕を見つける。
 あの時、二見さんが3DXで写真を撮っていたのは、これを登録するためだったんだ。
「これを押せばいいんだろうか……?」
 僕が迷っていると、インターホンから『ご登録済みの方は該当するホログラムにタッチして下さい』という案内が流れてきた。
 案内の通りホログラムにタッチすると、ギギギと門が開く。どうやら自動で開閉する仕組みらしい。
「すげぇ……」
 今日は何回この言葉をつぶやくことになるのだろう。
 格調高き門を見上げながら、日本庭園のような母屋へ続く道を僕は歩き出した。

 母屋は木造二階建ての意外と質素な建物だった。
「こんにちわ。今日は二見家へようこそ」
 玄関前には制服姿の二見さんが立っていて、僕を出迎えてくれる。
「こんにちわ。というか、何で制服?」
 自宅で制服? 土曜日なのに?
「だって、この家で着用を許されている唯一の洋服だから」
 へえ、そういう家風なんだ。
 そういえばこの屋敷は純和風だ。門だって木製だったし、壁もレンガやブロックではなく土壁だった。
 よく考えてみたら下駄箱に入っていた手紙は全部和紙だったじゃないか。しかも書かれていた文字はすべて毛筆だった。
「さあ、上がって」
 僕は玄関で靴を脱ぎ、二見さんの後について階段を上がった。

 二見さんの部屋は、日当りの良い二階の角部屋だった。
 木製の引き戸を通って部屋の中に入る。広さは八畳くらい。正面と左の壁にある窓はすべて障子で、やわらかな光が部屋にあふれていた。
 畳には、古風なタンスとびっしりと本が並べられている本棚、そして畳に座るタイプの勉強机が置かれている。壁には祭りの神輿のポスターがいくつか貼られていて、とても女の子の部屋とは思えない。まあ、清楚で和風美少女の二見さんならアリかも。
 それよりも僕の目を引いたのは、部屋の中央に置かれているものだった。
 ――なんだこれ、人形?
 それは白い布で覆われている。中身はわからないがシルエットは人形のようだった。高さは僕の背と同じくらいだ。
 ――これが手作りのチョコレート?
 まさか、これを全部食べろと言われるのだろうか? 
 嬉しいことは嬉しいが、そんなに食べたら死んでしまう。
 僕がそんなことを考えていると、二見さんは部屋の引き戸を閉めてガチャリと鍵を掛けた。
「えっ?」
 密室成立。
 驚く僕に向かって、二見さんはモジモジしながら言う。
「だって、家の人がいきなり入ってきたら恥ずかしいでしょ?」
 そりゃそうだけど、これってそんなに恥ずかしいチョコレートなのか?
 それよりも僕は、贈り物についての経緯をちゃんと確認したかった。だから単刀直入に訊いてみる。
「今日の贈り物の件だけど、二見家には、あの、その……、女の子の隠された部分を見た人に贈らなきゃいけないって決まりがあるの?」
 二見さんの前で『パンツ』と言えない自分が情けない。
 すると予想に反し、彼女は笑い出す。
「あはははは、そんなことあるわけないじゃない。この間読んだ小説の設定を利用させてもらっただけ。でもね、贈り物をしたいって気持ちはホントよ」
 そ、そうなのか……。
「貴方にパンツを見せたのはね、こうするためだったのよッ!」
 わずかに体を沈ませる二見さん。
 ヤバい、回し蹴りが来るっ!
 案の定、彼女のきれいな素足が僕の鼻先に飛んできた。
「危ないじゃないか。当たるところだったよ」
「ほらほら、まだ続くわよ。ちゃんと避けなさい」
 どうやら今回も手加減はしてくれなさそうだ。
 僕は、部屋の真ん中のオブジェを避けるようにして畳の上を逃げる。そしていつものように、パンツの絵柄を見極めようとした。
「今日は赤か……」
 蹴りを繰り出すたびにひらりとめくれるスカート。その中からチラリと見えるのは赤色だった。
「ん?」
 しかし、その布地の様子がなんだかいつもと違う。
 パンツだったらお尻にぴったりとフィットしているはずだ。しかし今、二見さんのスカートの中から見える布地はゆったりと彼女のお尻を包んでいた。
 ――あれはパンツじゃない。
 むくむくと僕のドラゴンが覚醒を始める。
 すると二見さんは、いつかの二回転後ろ回し蹴りを繰り出してきた。わざとスカートの中を見せるかのように。
 ――見えた!
 赤地にピンクの桜模様の前垂れ。つまりふんどしだ。
 そう認識した瞬間、僕のドラゴンは完全に覚醒した。
「どう?」
「ああ、桜模様だった」
 彼女の前で『ふんどし』と言えないところがさらに情けない。
「こんな風にあなたとバトルをしたら、何が起こると思う?」
 何が起こるって?
 それは決まってるじゃないか。
「僕の優れた動体視力が浮き彫りになる」
 すると、二見さんはぷっと吹き出した。
「あははは、違うわよ。まあ、それも驚いたけど、もっとすごいことがあるでしょ?」
 もっとすごいこと?
 それは一体なんだ……?
 僕が困惑していると、二見さんは呆れた顔をする。
「ん、もう。貴方は自分の最大の魅力に気付いていないんだから……」
 そして顔を赤らめながら、しどろもどろに切り出した。
「あの……、貴方の……、その……、ドラゴンが覚醒するでしょ?」
 えっ、魅力ってそっちなの!?
 僕はどんな受け答えをしたらいいのか困ってしまう。
「初めて貴方を見た時、すごくびっくりしたわ。だってせっかく立派なものを持っているのに、市販のブリーフなんかにギュッと押し込めてるんですもの。すごく可哀想だった」
 いや、あの方法しかないんだ。荒ぶるドラゴンを鎮めておくのは。
「だからね、強く思ったの。私の手で解放してあげたいと」
 そう言いながら、二見さんは部屋の真ん中に移動する。そしてオブジェの白い布を勢いよく取り払った。
 姿を現したものは――真っ白な僕の等身大の石膏模型。その股間を包むのは赤地に桜模様のふんどしだった。
「これが私からの贈り物。下手くそだけど一生懸命作ったの。私とお揃いよ」
 二見さんは恥らいながら、チラリとスカートをめくって彼女自身のふんどしを見せる。
 その仕草が可愛くて、僕のドラゴンは火を噴くような勢いで荒ぶった。その様子に彼女は目を丸くする。
「すごい! やっぱり貴方は最高だわ。さあ、ドラゴンが鎮まらないうちにこれを着けてみて。すぐに試してくれるって約束したよね?」
 僕は恥ずかしくなって前かがみになる。
 試すって、手作りチョコレートだったらという想定なんだけど。
 というか、なんでいつの間にふんどしの話になってるんだ?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれよ。まだ話がよく見えないんだけど、贈り物ってチョコレートじゃないの?」
 すると二見さんは人差し指を口に当てる。
「ダメよ、この家でそんな欧米風の言葉を使っては。今日は二月十四日、ふんどしの日よ。ふんどしの日にふんどしを贈るのは当たり前じゃない」
 ――ふんどしの日にふんどしを贈る。
 確かにその論理は正しい。が、全く腑に落ちない。
「二月十四日って言ったら普通、バレンタインデーだろ? ふんどしの日ってなんだよ?」
 僕の言葉を聞いて、二見さんは表情をこわばらせる。
「だからダメって言ってるじゃない。そんな欧米風の言葉を使っちゃ! 二月十四日は、二(フ)と十四(トシ)でふんどしの日なの」
 そ、そうなのか? 知らなかった……。
「それよりも、早く贈り物を着けてほしいな。せっかく苦労して立体写真と型で正確な模型を作ったんだから、貴方にピッタリなはずよ」
 えええっ? それって何?
 立体写真はわかる。3DXで写真を撮られたから。でも型を取られた記憶はない。
「型って何?」
「だって一昨日、コンクリートで型を取ったじゃない。あのおかげで覚醒時のサイズが正確にわかったの」
 僕の脳裏に一昨日のシーンが蘇る。
 あの時か? 奥義の回転技ではじかれて工事現場に着地したあの時。あれは僕の安全を考えて生コンの上に落としてくれたわけじゃなかったんだ。まさか、荒ぶるドラゴンの型を取るためだったとは……。
「私ね、ふんどし姿の男の人って大好きなの。特にもっこりが」
 二見さんは壁の祭りのポスターを見て、顔を真っ赤にしながらカミングアウトする。
「校舎裏ではすごく恥ずかしかったのよ。普段は男の人にパンツなんか絶対見せないんだから」
 そしてトンデモないことを言い出した。
「貴方のもっこりを毎日見ていたい。貴方の子供のふんどしも、心を込めて作ってあげたい」
 それって微妙にプロポーズなんじゃないだろうか。
「それにね、ふんどしってとっても優しいの。ブリーフなんかで大切なものを締め付けちゃダメ。私がちゃんと安らぎを与えてあげるから……ね?」
「あははは、あははは……」
 喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか。
 困った僕は二見さんの顔を見る。
 頬を赤くして恥ずかしそうに僕のことを見つめる二見さん。
 こんな彼女をずっと見ていたいと思う気持ちはきっと本物なんだろうと、僕は覚悟を決めるのであった。



 終



ライトノベル作法研究所 2015バレンタイン企画
使用お題:「バレンタイン」、「桜」、「魔剣アザトフォート」

2015年03月19日 07時02分49秒

「はあい、まあるでーす。これからホットケーキを焼いちゃいまーす!」
「待ってましたぁ!」
「まあるちゃん、最高!」
 お店に出ると、私は人気者になれる。
「おお、今日も見事な円ですね!」
「しかも一ミリの狂いもなく二十センチだ!」
 これが私の特技。完璧な円形のホットケーキを焼けるの。
「じゃあ、美味しくなる魔法をかけますね」
 私はチョコホイップでクマさんの絵を書く。その様子をキラキラした眼差しで見つめてくれるお客さんの笑顔を見るのが大好きだ。

「まあるちゃん、今日は何枚焼いた?」
「二十センチを十枚です、店長」
 厨房に戻ると一気に現実に戻される。
「じゃあ、材料費、計算しといてよ。まあるちゃん、申告よりも材料多く使ってない?」
 また計算なの? だから店長は嫌い。
 私が二十センチぴったりに焼けること、疑ってるのかしら。
「そんなことないですよ、店長」
 二十センチが十枚でしょ? 面積は十掛ける十掛けるおよそ三で、十枚分だから三千平方センチじゃない。
『まあるちゃーん、指名でーす!』
「はいはーい、今行きまーす!」
 私は笑顔に戻ると、また夢の世界へ飛び込んだ。



500文字の心臓 第137回「円」投稿作品