眩惑と誘惑の違い2011年02月16日 21時24分34秒

「ねえねえ、ホットアップルシナモンとホットピーチシナモンの違いって知ってる?」
 八百屋の前を通り過ぎてしばらく行くと、隣を歩く智美さんが僕を見上げるように聞いてきた。立春を過ぎたばかりのぽかぽか陽気が、智美さんの笑顔を明るく照らしている。
「材料の違いだけなんじゃないですか?」
「じゃあ、どっちが好き?」
「実物を見たことも食べたこともないから分かりません」
 僕は正直に答えた。
「どちらかと言えば?」
「そうですね。どちらかと言われれば、ホットアップルシナモンかな」
 なぜなら僕はホットピーチシナモンという単語を初めて聞いたからだった。
「ふうん、透くんって意外と草食なんだね」
「だから、どうしてそこで草食って言葉が出てくるんですか? 第一、草じゃなくて果物だし」
 智美さんは、サークルの中でもちょっと変わった先輩として知られていた。少し発想が飛んでいるから気をつけろと先輩方から聞いている。
「これは一種の心理テストなのよ。林檎のような頬っぺたの女の子と桃のようなお尻の女の子のどちらが好きか、このテストで分かるらしいの」
 僕はちらりと智美さんを見る。智美さんは、ちょっと田舎風で背が低いけれど、出ているところはしっかりと出ている女性だった。つまり、林檎のような頬っぺたと桃のようなお尻の両方を兼ね揃えている上に、胸もとても大きい。
「はははは。草食……かもしれませんね」
 僕が引きつった笑いを見せると、智美さんはいきなり僕の腕にしがみついてきた。
「ちょ、ちょっと先輩。からかわないで下さいよ」
「怒った顔の透くんも素敵よ」
 僕が智美さんから離れようとすると、逆に智美さんは強引に腕を組んできた。
 智美さんの胸の柔らかい感触が腕を通して脳に伝わってくる。その信号はビビビと僕の下半身を熱くした。
 ――これはピンチだ。
 そう判断した僕は、別の話題を切り出すことにした。
「じゃあ、先輩に聞きますが、今話題のレアアースとレアメタルの違いって知ってます?」
 金属の冷たさは、熱くなった僕の頭も冷やしてくれるだろう。
「知ってるわよ。レアアースは希土類元素のことで、レアメタルは希少な金属のことでしょ?」
 僕の作戦は一瞬で撃沈した。
 腕に柔らかな感触を与えている智美さんのあの豊満な物体の中には、きっと豊富な知識が詰まっているに違いない。そう考えるとさらに意識してしまっていた。
 ――ダメだ、ダメだ。こんなんじゃダメだ。
 いつのまにか僕は独り言を呟いている。
 そんな僕を見上げながら、智美さんはますます密着度を高めてきた。
「透くんだって健全な男の子でしょ。もっと本能に素直になったら?」
 僕はたまらず智美さんを突き離す。
「嫌なんです。そんなことで先輩と親しくなるのは!」
 声を張り上げてしまい、僕は慌てて辺りを見渡す。幸い僕達二人は、人気の無い路地に入り込んでいたようだった。
「……」
 智美さんはびっくりしたような顔をした。そして静かに俯いてしまう。
 二人は向かい合うようにして、しばらく路地裏で立ち尽くしていた。
 ――ああ、何もかもが終わってしまった。智美さんとはいい雰囲気だったのに。
 僕がそう思った時。
「そんなに私って魅力無い?」
 智美さんが顔を上げた。
「田舎くさい女って嫌い? 私の体って全然ダメ?」
 ちょっと涙目だった。
 僕は真面目な顔で智美さんの目を見た。
「胸の大きさとかそんなことで先輩を好きになりたくないんです。ほら、先輩はちゃんと知っているじゃないですか、レアアースとレアメタルの違いを。そういうところに先輩の魅力を感じたいんです」
 臭いセリフだとは思ったが、智美さんの涙を見たからには言わずにいられなかった。
「よかった……」
 智美さんにゆっくりと笑顔が戻る。
「ねえ、透くん。本当の私を見ても、嫌いにならない?」
 そして僕を見つめる目に力を込めた。
「ええ、決して嫌いになりません。僕を信じて下さい」
 僕は男らしくきっぱりと言い切る。
 すると智美さんは少し考えた後、意を決したように上着の中に手を入れた。そしてしばらくゴソゴソとやった後に服の中から拳大のクッションを二つ取り出す。
「実はね、私の胸ってフェイクなの」
 目の前には胸がぺったんこになった智美さんが居た。そして真っ赤な顔で「みんなには内緒よ」と言い残して、走り去って行ってしまった。
 僕はしばらくその場に立ち尽くす。
 ――やっぱり胸の大きい先輩の方が良かったかも。
 僕の心はまだまだ冷たい風の中で野ざらしになる。
 今度智美さんに会ったら、眩惑と誘惑の違いについて問うてみたい。放り出された僕の気持ちがそう告げていた。



即興三語小説 第94回投稿作品
▲必須お題:「野ざらし」「立春」「八百」
▲縛り:「コミカルなシーンとシリアスなシーンを両方いれる」
▲任意お題:「ホットアップルシナモン」「桃」「有給休暇」「眩惑」「誘惑」「独り言」「何もかもが終わった」「レアアース」

コメント

_ haru ― 2011年02月21日 18時42分23秒

つとむューさん。いつも読み逃げしていますよー。
お題や、縛りをクリアして文章を書くって、すっごく難しそー!
情景や、心理描写が、いつもすごいなぁー!って、思いながら
楽しませてもらっています。

_ haruさんへ(つとむュー) ― 2011年02月21日 22時55分28秒

お題や縛りがないと何も書けない、というのが本当かもしれませんよ~
情景や心理描写がすごいと思われたところは、きっとお題を使っているところだと思います。
例えば、
> 僕の心はまだまだ冷たい風の中で野ざらしになる。
ほら、ドンピシャお題でしょ。
でも、お題のお陰で普段使わないような表現やストーリーができ上がるというのは、お題小説の魅力ですね。これだからやめられません。

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