Fish Song 2.06 ― 2011年02月07日 20時48分17秒
※この作品は、リライト企画!(お試し版)に投稿した作品です。
元になった作品は、弥田さん作「Fish Song 2.0」です。
歓楽街を歩く少女は、ライブハウスのネオンサインの前で立ち止まる。そして迷いもせずに地下へと続く階段を降り始めた。
――今日は大好きな、ストリート・ムーン・マニアックのライブだから。
少女はこの日を心待ちにしていた。階段まで漏れ聞こえるギターの音が、少女の心をウキウキさせる。
そしてライブハウスの重い扉を開けると――ギーンと脳天を揺らすようなギターサウンドが少女の耳を突き抜けた。
――これだ、この感覚だ。
破壊的なサウンドとは裏腹に、少女の心は嬉しさで飛び上がりそうだった。
受付でお金を払うと、少女は観客の合い間をすり抜けて最前列に出た。そしてステージを前にして直接床に座る。ここが彼女のお気に入りの場所だ。
目の前ではクララと呼ばれるギターの女の子が、歌いながら髪の毛を揺らしている。淡い栗色に染めた肩くらいまでの髪は、ふわふわとカールしていて可愛らしい。
少女はもう夢見心地だった。スポットライトを浴びたクララが飛んだり跳ねたりして髪がふわりと揺れる度に、走っていって抱きしめたい衝動に駆られる。
「クララ!」
思わず少女は叫んでいた。クララも少女に向かって手を振ってくれる。
すると今度は目の前に大柄な男性が立ちはだかる。ベースのピラクルーだ。親指を激しく動かして、小粋なチョッパーのリズムを刻んでいる。
ベースのソロが終わると今度はドラム。両足で連打するバスドラの迫力は、お腹の底から少女を突き上げるような衝撃を与えた。
「いいぞ、アルバート・フィッシュ!」
観客からドラマーに向けて声援が飛ぶ。バンドと観客が一体となった夢の空間に、少女はすっかり酔いしれていた。
ソロパートが終わると、またクララの歌声が響く。少女がクララを熱く見ると、彼女はウインクをした。
「さあ、行こうよ」
そう言われているような気がして少女は立ち上がる。曲に合わせて体を動かすと心はだんだんと上昇する。いつの間にか少女もクララと一緒にシャウトしていた。
それは一年前のこと。
「お前はクララだ」
有鳩雨雄は、ギターの倉田羅々に向かって宣言した。
「えっ、クララ? まさか、倉田羅々(くらたらら)でクララってわけじゃないでしょうね」
「その通りだ」
「ちょっと安易じゃない? それにデスメタルに『クララ』はちょっと……」 羅々は不満そうだった。
雨雄はそれに構わず、今度はベースの平野廻の方を向く。
「そして廻は……、平野廻(ひらのめぐる)の前と後を取って、ピラクルーってのはどうだ。図体でけぇし」
「……」
無口の廻は、まんざらでもないという顔をした。
「ふん。じゃあ雨雄、今度はあんたの番ね。メンバーのニックネームを勝手に決めたんだから覚悟なさい」
「お手柔らかに頼むよ、羅々」
「そうね……、有鳩は『ありはと』だから、『アルバート』というのはどう?」
「ほお。ナイスだね」
「それで、雨雄は……、『レインマン』?」
「おいおい、『アルバート・レインマン』って、長すぎねえか」
「なによ、文句あるわけ?」
「……フィッシュ」
「廻、何か言ったか?」
「……雨雄は、『うお』と読めるから……、『フィッシュ』」
「たまには廻もいいこと言うじゃん。『アルバート・フィッシュ』、いいんじゃない、これで」
「ちょっと恐そうだけどな」
「構わないわよ、デスメタルだし」
「じゃあ、今度はバンド名だな」
そう言いながら、雨雄は各メンバーに五枚ずつ白い名刺大のカードを配り始めた。
「これに各自好きな言葉を書いて一枚ずつめくるんだ。それでバンド名を決めよう」
「なんか、レミオロメンみたいね」
「……(キュッ、キュッ)」
廻はすでにカードに言葉を書き込んでいた。
三人がそれぞれ五枚のカードを書き終わると、雨雄がそれを集め、裏返しでテーブルに広げてかき混ぜた。
「じゃあ、羅々から引いてくれ」
羅々は、ど真ん中のカードを裏返す。そこには『ストリート』と書かれていた。
「誰? このカード書いたの」
「……」
廻が静かに手を上げる。
「じゃあ、次は廻だ。一枚めくってくれ」
すると廻はテーブルの端にあるカードをめくった。
「……」
「『ムーン』か。羅々だろ、これ書いたの」
「そうよ、なんか文句ある?」
「最後は俺の番だな。それっと」
雨雄がカードをめくると、そこには『マニアック』と書かれていた。
「はははは、自分が書いたカードを選んじまうとはね。でもちょうど良かったんじゃないか、三人それぞれのカードが選ばれて」
こうして、デスメタルバンド『ストリート・ムーン・マニアック』が誕生した。
「じゃあ、次の曲は『月の海』です」
クララが曲名を告げると、ピラクルーのベースが不気味なリズムを紡ぎ始める。
「純白に頸動脈が淡く走って――」
そして、先ほどの曲とは一転したクララのダウナーボイスが、ライブハウスに響き渡る。
「赤血球に思いを馳せる――」
観客も静まり返った。ピラクルーのベースとクララのボイスだけの異様な空間。
「指先から子宮まで――」
それは静かの海に居るかの如く、クララのふわりとした髪の毛が無重力に揺れている。
「身体中をめぐるちいさな細胞――」
そしてクララが突然シャウトしたかと思うと、アルバート・フィッシュのドラムの連打が激しく会場を揺さぶる。クララは後ろに倒れこみ、あおむけに寝ころがってギターを弾き始めた。
ゴホッ、ゴホッ。
舞い上がった塵を吸い込み、咳をしながらもクララはギターを弾き続ける。埃は少女ものところにも舞い上がった。
ゴホッ、ゴホッ。
少女が咳をすると、クララが少女を見てニコリと笑った。まるで「一緒に咳をしてるね」と言わんばかりに。
ギターのソロが終わると、次はドラムのソロだった。アルバート・フィッシュは不規則にリズムを刻み始める。
ある時は三拍子、ある時は四拍子。単純化したかと思うと、複雑なリズムを紡ぎ出す。身をねじるように、もがきあがくように、そして自由奔放に。そしてドラムを叩く手が激しく踊り始め、それが絶頂に達したかと思うと静かにスティックを持つ腕を円を描くように動かした。
にやり、とアルバート・フィッシュが笑った。
『月の海』の後はラブソングだった。ストリート・ムーン・マニアックのレパートリーの中て唯一のラブソングだ。
クララは声の調子を元に戻し、アルバート・フィッシュとピラクルーが刻むエイトビートに乗せてラブソングを歌い始める。
クララの目の前にいる少女は、再び床に腰を下ろし、うっとりとその歌を聴いていた。
――そういえば私も少女の頃は、ライブハウスの一番前でこうしてラブソングを聴いていたんだっけ。
クララは昔の自分を思い出していた。家を飛び出し、繁華街をうろついた十代。キラキラと光るネオンサインに目を奪われながら、勇気が無くてそのどれにも飛び込めずにいた。その時だ。ロックのリズムが地下に続く階段から聞こえてきたのは。
――その時、わたし、あの子だった。
あの頃の私は、ボーカルのお姉さんを見上げながらあんな風になりたいと思っていた。
――その時、あの子、わたしだった。
そしてこの気持ちが伝わるようにと、熱くお姉さんを見つめていた。
――その時、ふたり、ひとりだった。
目が合うと心が繋がっているような気がした。
――その時、ひとり、ふたりだった。
自分にも歌がうたえるようになれると信じたのは、あの頃からだったんだ。
「あっ……」
驚きに思わず漏らした声は、いったいどっちが発したものなんだろう。
互いに歩み寄りはじめたその一歩目は、いったいどっちが踏み出したんだろう。
成長したクララは、いつの間にかこうしてギターを弾きながら歌をうたうようになっていた。そう、あの時のお姉さんのように。
ラブソングが終わると、クララとアルバート・フィッシュがマイクを持つ。
「今日は、ストリート・ムーン・マニアックのライブへお越しいただき誠にありがとうございます」
バンドのメンバーが深々とお辞儀をする。
「それにしても、ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。皆さんの真っ赤なハートの中でも、くらくらくらくら笑っていると思いますが……」
「誰がクラゲじゃあ、こらぁ」
すかさずクララがツッコミを入れる。
「ていうか、そのネタあんまり使わないでね、って言ったよね。もう」
「なんでさ、いいネタだと思うよ」
「純粋に恥ずかしいんだよ」
「いいじゃんいいじゃん。きっといつかその恥ずかしさが快感に」
「ならないならない」
「照れるな照れるな」
「照れてない照れてない」
顔を赤らめるクララは本当に可愛いと少女は思った。スポットライトを背後から浴びると、クララの髪はにふんわりと光の中に浮かんでいるように見えた。
「さっきの歌、好きなんだ。すこし私に似ている気がして」
「似てない似てない」
「もう、ちゃちゃをいれないでよ。最後まで聞いて。……だからね、別にあんたが作った歌だから、とかそんなんじゃなくて、純粋にうたいたいからうたってるんだ。これは凄いことだと思うよ。六十億人の有象無象がいて、その中からこうして集まってくれた人達がそうとは気付かないシンパシーを持っていて、そうして、こんなに狭い空間に居合わせて、さ。とんでもない確率だよね。奇跡だよね。今なら宝くじだって当てちゃいそうだ」
「……」
「……」
「……、ねえ」
「なに?」
「そのセリフ、すっごくクサいよ」
「……、ごめんなさい」
すると、会場からどっと笑いが起きた。ミラーボールの光が反射するライブハウスの中で、みんなが楽しそうに笑っている。
「ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁー」
「もう。だから言わないでってば!」
自転車にのって坂をくだる。
クララ達は昨日のライブが終わった後、打ち上げに繰り出したようだ。今頃は二日酔いで頭痛に悩まされているに違いない。
ブレーキから手を離すとスピードが全身を駆けめぐる。このまま流れて風になってしまいたいけれど、わたしの確固とした境界線がそれを許さない。許してくれない。
シンパシーという現象。共鳴。ふたつの音叉。ふたりの人間。
坂が尽きていく。すこしずつブレーキを握って、すこしずつ減速していく。スピードがほどけていく。
地平線に煙突が屹立して、もくもくと煙をふきだしているのが見える。その上で、欠けた月が刃物のように輝いている。燐光に肌がちりちり震えて、いまにも切り裂かれてしまいそうだった。
口笛を吹く。自作の歌のメロディーを。作った翌日に友達に聞かせてみせて、夜中ベッドで死ぬほど後悔した曲を。
音の連なりが脳を満たすので、わたしは何も考えないですんだ。からっぽの頭のままペダルを踏む。そのスピードがチェーンを伝わって、自転車は進む。風をきって進む。
リライト企画!(お試し版) 弥田さん作「Fish Song 2.0」のリライト作品
元になった作品は、弥田さん作「Fish Song 2.0」です。
歓楽街を歩く少女は、ライブハウスのネオンサインの前で立ち止まる。そして迷いもせずに地下へと続く階段を降り始めた。
――今日は大好きな、ストリート・ムーン・マニアックのライブだから。
少女はこの日を心待ちにしていた。階段まで漏れ聞こえるギターの音が、少女の心をウキウキさせる。
そしてライブハウスの重い扉を開けると――ギーンと脳天を揺らすようなギターサウンドが少女の耳を突き抜けた。
――これだ、この感覚だ。
破壊的なサウンドとは裏腹に、少女の心は嬉しさで飛び上がりそうだった。
受付でお金を払うと、少女は観客の合い間をすり抜けて最前列に出た。そしてステージを前にして直接床に座る。ここが彼女のお気に入りの場所だ。
目の前ではクララと呼ばれるギターの女の子が、歌いながら髪の毛を揺らしている。淡い栗色に染めた肩くらいまでの髪は、ふわふわとカールしていて可愛らしい。
少女はもう夢見心地だった。スポットライトを浴びたクララが飛んだり跳ねたりして髪がふわりと揺れる度に、走っていって抱きしめたい衝動に駆られる。
「クララ!」
思わず少女は叫んでいた。クララも少女に向かって手を振ってくれる。
すると今度は目の前に大柄な男性が立ちはだかる。ベースのピラクルーだ。親指を激しく動かして、小粋なチョッパーのリズムを刻んでいる。
ベースのソロが終わると今度はドラム。両足で連打するバスドラの迫力は、お腹の底から少女を突き上げるような衝撃を与えた。
「いいぞ、アルバート・フィッシュ!」
観客からドラマーに向けて声援が飛ぶ。バンドと観客が一体となった夢の空間に、少女はすっかり酔いしれていた。
ソロパートが終わると、またクララの歌声が響く。少女がクララを熱く見ると、彼女はウインクをした。
「さあ、行こうよ」
そう言われているような気がして少女は立ち上がる。曲に合わせて体を動かすと心はだんだんと上昇する。いつの間にか少女もクララと一緒にシャウトしていた。
それは一年前のこと。
「お前はクララだ」
有鳩雨雄は、ギターの倉田羅々に向かって宣言した。
「えっ、クララ? まさか、倉田羅々(くらたらら)でクララってわけじゃないでしょうね」
「その通りだ」
「ちょっと安易じゃない? それにデスメタルに『クララ』はちょっと……」 羅々は不満そうだった。
雨雄はそれに構わず、今度はベースの平野廻の方を向く。
「そして廻は……、平野廻(ひらのめぐる)の前と後を取って、ピラクルーってのはどうだ。図体でけぇし」
「……」
無口の廻は、まんざらでもないという顔をした。
「ふん。じゃあ雨雄、今度はあんたの番ね。メンバーのニックネームを勝手に決めたんだから覚悟なさい」
「お手柔らかに頼むよ、羅々」
「そうね……、有鳩は『ありはと』だから、『アルバート』というのはどう?」
「ほお。ナイスだね」
「それで、雨雄は……、『レインマン』?」
「おいおい、『アルバート・レインマン』って、長すぎねえか」
「なによ、文句あるわけ?」
「……フィッシュ」
「廻、何か言ったか?」
「……雨雄は、『うお』と読めるから……、『フィッシュ』」
「たまには廻もいいこと言うじゃん。『アルバート・フィッシュ』、いいんじゃない、これで」
「ちょっと恐そうだけどな」
「構わないわよ、デスメタルだし」
「じゃあ、今度はバンド名だな」
そう言いながら、雨雄は各メンバーに五枚ずつ白い名刺大のカードを配り始めた。
「これに各自好きな言葉を書いて一枚ずつめくるんだ。それでバンド名を決めよう」
「なんか、レミオロメンみたいね」
「……(キュッ、キュッ)」
廻はすでにカードに言葉を書き込んでいた。
三人がそれぞれ五枚のカードを書き終わると、雨雄がそれを集め、裏返しでテーブルに広げてかき混ぜた。
「じゃあ、羅々から引いてくれ」
羅々は、ど真ん中のカードを裏返す。そこには『ストリート』と書かれていた。
「誰? このカード書いたの」
「……」
廻が静かに手を上げる。
「じゃあ、次は廻だ。一枚めくってくれ」
すると廻はテーブルの端にあるカードをめくった。
「……」
「『ムーン』か。羅々だろ、これ書いたの」
「そうよ、なんか文句ある?」
「最後は俺の番だな。それっと」
雨雄がカードをめくると、そこには『マニアック』と書かれていた。
「はははは、自分が書いたカードを選んじまうとはね。でもちょうど良かったんじゃないか、三人それぞれのカードが選ばれて」
こうして、デスメタルバンド『ストリート・ムーン・マニアック』が誕生した。
「じゃあ、次の曲は『月の海』です」
クララが曲名を告げると、ピラクルーのベースが不気味なリズムを紡ぎ始める。
「純白に頸動脈が淡く走って――」
そして、先ほどの曲とは一転したクララのダウナーボイスが、ライブハウスに響き渡る。
「赤血球に思いを馳せる――」
観客も静まり返った。ピラクルーのベースとクララのボイスだけの異様な空間。
「指先から子宮まで――」
それは静かの海に居るかの如く、クララのふわりとした髪の毛が無重力に揺れている。
「身体中をめぐるちいさな細胞――」
そしてクララが突然シャウトしたかと思うと、アルバート・フィッシュのドラムの連打が激しく会場を揺さぶる。クララは後ろに倒れこみ、あおむけに寝ころがってギターを弾き始めた。
ゴホッ、ゴホッ。
舞い上がった塵を吸い込み、咳をしながらもクララはギターを弾き続ける。埃は少女ものところにも舞い上がった。
ゴホッ、ゴホッ。
少女が咳をすると、クララが少女を見てニコリと笑った。まるで「一緒に咳をしてるね」と言わんばかりに。
ギターのソロが終わると、次はドラムのソロだった。アルバート・フィッシュは不規則にリズムを刻み始める。
ある時は三拍子、ある時は四拍子。単純化したかと思うと、複雑なリズムを紡ぎ出す。身をねじるように、もがきあがくように、そして自由奔放に。そしてドラムを叩く手が激しく踊り始め、それが絶頂に達したかと思うと静かにスティックを持つ腕を円を描くように動かした。
にやり、とアルバート・フィッシュが笑った。
『月の海』の後はラブソングだった。ストリート・ムーン・マニアックのレパートリーの中て唯一のラブソングだ。
クララは声の調子を元に戻し、アルバート・フィッシュとピラクルーが刻むエイトビートに乗せてラブソングを歌い始める。
クララの目の前にいる少女は、再び床に腰を下ろし、うっとりとその歌を聴いていた。
――そういえば私も少女の頃は、ライブハウスの一番前でこうしてラブソングを聴いていたんだっけ。
クララは昔の自分を思い出していた。家を飛び出し、繁華街をうろついた十代。キラキラと光るネオンサインに目を奪われながら、勇気が無くてそのどれにも飛び込めずにいた。その時だ。ロックのリズムが地下に続く階段から聞こえてきたのは。
――その時、わたし、あの子だった。
あの頃の私は、ボーカルのお姉さんを見上げながらあんな風になりたいと思っていた。
――その時、あの子、わたしだった。
そしてこの気持ちが伝わるようにと、熱くお姉さんを見つめていた。
――その時、ふたり、ひとりだった。
目が合うと心が繋がっているような気がした。
――その時、ひとり、ふたりだった。
自分にも歌がうたえるようになれると信じたのは、あの頃からだったんだ。
「あっ……」
驚きに思わず漏らした声は、いったいどっちが発したものなんだろう。
互いに歩み寄りはじめたその一歩目は、いったいどっちが踏み出したんだろう。
成長したクララは、いつの間にかこうしてギターを弾きながら歌をうたうようになっていた。そう、あの時のお姉さんのように。
ラブソングが終わると、クララとアルバート・フィッシュがマイクを持つ。
「今日は、ストリート・ムーン・マニアックのライブへお越しいただき誠にありがとうございます」
バンドのメンバーが深々とお辞儀をする。
「それにしても、ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。皆さんの真っ赤なハートの中でも、くらくらくらくら笑っていると思いますが……」
「誰がクラゲじゃあ、こらぁ」
すかさずクララがツッコミを入れる。
「ていうか、そのネタあんまり使わないでね、って言ったよね。もう」
「なんでさ、いいネタだと思うよ」
「純粋に恥ずかしいんだよ」
「いいじゃんいいじゃん。きっといつかその恥ずかしさが快感に」
「ならないならない」
「照れるな照れるな」
「照れてない照れてない」
顔を赤らめるクララは本当に可愛いと少女は思った。スポットライトを背後から浴びると、クララの髪はにふんわりと光の中に浮かんでいるように見えた。
「さっきの歌、好きなんだ。すこし私に似ている気がして」
「似てない似てない」
「もう、ちゃちゃをいれないでよ。最後まで聞いて。……だからね、別にあんたが作った歌だから、とかそんなんじゃなくて、純粋にうたいたいからうたってるんだ。これは凄いことだと思うよ。六十億人の有象無象がいて、その中からこうして集まってくれた人達がそうとは気付かないシンパシーを持っていて、そうして、こんなに狭い空間に居合わせて、さ。とんでもない確率だよね。奇跡だよね。今なら宝くじだって当てちゃいそうだ」
「……」
「……」
「……、ねえ」
「なに?」
「そのセリフ、すっごくクサいよ」
「……、ごめんなさい」
すると、会場からどっと笑いが起きた。ミラーボールの光が反射するライブハウスの中で、みんなが楽しそうに笑っている。
「ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁー」
「もう。だから言わないでってば!」
自転車にのって坂をくだる。
クララ達は昨日のライブが終わった後、打ち上げに繰り出したようだ。今頃は二日酔いで頭痛に悩まされているに違いない。
ブレーキから手を離すとスピードが全身を駆けめぐる。このまま流れて風になってしまいたいけれど、わたしの確固とした境界線がそれを許さない。許してくれない。
シンパシーという現象。共鳴。ふたつの音叉。ふたりの人間。
坂が尽きていく。すこしずつブレーキを握って、すこしずつ減速していく。スピードがほどけていく。
地平線に煙突が屹立して、もくもくと煙をふきだしているのが見える。その上で、欠けた月が刃物のように輝いている。燐光に肌がちりちり震えて、いまにも切り裂かれてしまいそうだった。
口笛を吹く。自作の歌のメロディーを。作った翌日に友達に聞かせてみせて、夜中ベッドで死ぬほど後悔した曲を。
音の連なりが脳を満たすので、わたしは何も考えないですんだ。からっぽの頭のままペダルを踏む。そのスピードがチェーンを伝わって、自転車は進む。風をきって進む。
リライト企画!(お試し版) 弥田さん作「Fish Song 2.0」のリライト作品
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