裁判員由美の画策2010年06月05日 09時52分17秒

「健太せんぱーい、やっと開放されましたよ~」
 バイト先の弁護士事務所のドアを元気良く開けたのは、同じバイト仲間の由美ちゃんだった。手には何やら怪しく光る黒い筒を抱えている。
「お疲れ様。それでどうだった?」
「一日中拘束されて、すっごい疲れました」
 由美ちゃんは最近、裁判員に選出され、今日は公判初日に出席していた。相変わらず声は元気なのだが、顔は少しやつれて見える。
「それでその黒い筒は何? なんか買ってきたの?」
「買ってきたんじゃないですよ。さっき勝也さんから借りたんです」
 勝也さんとは、この弁護士事務所の弁護士である。
「それで、何が入ってんの?」
「ふふふふふ。それはいくら先輩でも内緒ですよ~。明日の判決の後でもし私がテレビに映ったら、その時を楽しみにしていて下さいね」
 さすがは由美ちゃん、判決の後でテレビに映る気満々とは。ても裁判員って、映ったとしてもモザイクがかかるんじゃなかったっけ?
 由美ちゃんは、勝也さんから借りた黒い筒を彼女の机の横に置く。アルバイトとはいえ、デスクワークが多い僕達には一人一人机が与えられている。非常勤職員に近い扱いと言えば分かりやすいだろう。彼女は明日、一度この事務所に寄ってから裁判所に行くつもりのようだ。裁判所はここからすぐ近くだ。
「せんぱーい、ビール飲みに行きましょうよ。なんかパッてやりたい気分なんですよ」
「お前、明日は大丈夫なのか? 判決なんだろ」
「大丈夫、大丈夫。明日は明日ですよ。ねっ、行きましょ!」
 くりっとした瞳でお願いされると断りきれない俺であった。

「最初に言っておくけど、事件の話は無しだぞ。酒が不味くなる」
 案の定、カウンターの隣に座った由美ちゃんは俺に事件の中身を話したくてうずうずしている。
「えー、でも先輩だって、心の中では聞きたいって思ってるんでしょ」
「いや、天地神明に誓ってそんなことはないぞ」
 と言いながら、本当は聞いてみたい気満々だったりする。弁護士事務所に居ると裁判の話がよく耳に入ってくるが、バイトなので実際に裁判に出席することは無い。裁判員という偶然の助けを借りてではあるが、一足先に裁判の向こう側へ飛躍したバイト仲間の由美ちゃんが、とてもうらやましかった。
「ぶはーっ!」
 由美ちゃんはビールジョッキを一気に半分空けた。
「おいおい、ペース早いんじゃないか?」
「だって先輩が話を聞いてくれないんだもん。意地悪ですよ……」
「裁判の内容は誰にも話しちゃいけなんだぞ」
「特別な人にだったらいいんですよ」
 特別、という言葉にドキリとする。可愛い子だなとは思っていたが、ちょっととんでいる行動が苦手で恋愛対象としては見ていなかった。
「特別な人でもダメだ。しょうがないな、それなら独り言でも呟くんだな。ちなみに俺は聞いてないからな」
 すると由美ちゃんの表情がぱっと明るくなった。特別という言葉に負けた俺が情けない。
「じゃあ、ちょっと涼しげな怪談話を呟きますからね」
 すると彼女は前を向き、神妙な顔つきになったかと思うと、一息置いてゆっくりと呟き始めた。
「逢魔ヶ刻、灯明薄暗いお寺の境内を虚ろな目で彷徨する女がいた……」
 ゴクリと俺は唾を飲む。なんだか本当に恐そうだ。
「その手には包丁がキラリ。そして、偶然通りかかった中年の男を背中からメッタ刺しに」
「無差別殺人か?」
 聞いてないと言っておきながら、つい反応してしまう俺はさらに情けない。
「無差別――というほどでもないけど、誰でも良かったみたい。夫を病気で亡くしたその女は、すっかり気を病んでしまった。『夫が雲のむこうに独りで寂しそう。だからお友達が必要』としきりに呟いていたわ」
「すると、犠牲者にとって犯人は全くの無関係……」
「そう。女と被害者との間に関係は何も無し。目撃者も無し。凶器も百円ショップで売られているような安物で、しかも指紋は拭き取られていた」 「それでよく女を捕えたな」
「それがほんの些細なことなの……」
 俺は日本酒を注文する。これはビールを飲みながら聞く話ではない。由美ちゃんも俺に付き合って日本酒を注文する。
「女は最初、凶器を百円ショップで買おうとした。安くて沢山出回っている物ほど足がつきにくいから。しかし百円ショップで包丁を見た時、女は思い出してしまったの。似たような包丁を、隣のスーパーでは九十八円で売っていることを」
「それで凶器をスーパーで買ってしまった」
「主婦の悲しき性ってやつね。凶器となった包丁は、周辺ではそのスーパーでしか売られていなかった。しかも、事件の一ヶ月間にそのスーパーで売れた九十八円の包丁はたった一丁だけ。その時の防犯カメラの映像から、女が容疑者として浮かび上がったの」
 その女にとっては不運だったかもしれないが、我々一般人にとっては幸運だ。犠牲者の方には申し訳ないが、夫の友達をこれ以上増やされなくて本当に良かった。女をスーパーに仕向けたのは、きっと神の仕業なんだろう。いや、もしかすると、一番救われたのはその女なのかもしれない。
 小一時間も経つと、由美ちゃんはすっかり出来上がってしまった。
「せんぱーい、聞いてしまいましたよね、聞いてしまいましたよね。だから特別な関係になって下さいよ~」
 由美ちゃんがいい匂いのする体をすり寄せてくる。「特別」に「関係」が付くだけで、その言葉が甘く耳に響いてくる。
「いや、聞いてないよ。全然」
「ウソ。じゃあ、飲んで忘れて下さいよ。私も飲んで忘れますからぁ~」
 ダメだ、由美ちゃん相当飲んでるよ。特別な関係、に惹かれるものもあるが、酔いつぶれた女性と特別な関係を約束しても意味がない。それに明日の彼女には、裁判員という重要な仕事が待っている。
「もう帰ろう、由美ちゃん。タクシーを呼ぶからさ」
「じゃあ、明日も付き合ってくださいよ~」
「ゴメン、由美ちゃん。明日は送別会があるんだ、大学時代の友人のね」
 もし明日も由美ちゃんと飲みに行けたら、本当に特別な関係になりたいのか聞いてみることができるのに。なんで送別会が明日にあるんだろうと、俺もちょっと残念に思う。
「先輩のいけずぅ……」
 俺は勘定を済ますとタクシーを呼んで由美ちゃんを乗せ、運転手に彼女の住所を伝えてタクシー代を払い、歩道から静かに見送った。

 翌日、バイト先の弁護士事務所に着いた俺は、大切なものが無くなっていることに気がついた。今日の送別会の手品で使う予定の造花の花束が見当たらない。黒い筒に入れて机の脇に置いていたのだが、きれいさっぱり無くなっている。
 仕方がないので、事務所に居る先輩方に聞いてみることにした。
「すいません。ここに置いてあった黒い筒って、誰か知りませんか?」
「黒い筒? そういえば朝、由美ちゃんが黒い筒を持って行ったような気がするぞ」
 もしや、と思い、由美ちゃんの机の脇を見ると、昨日彼女が借りてきた黒い筒はそのままの状態で机の脇に鎮座していた。由美ちゃんは、間違って俺の花束を裁判所に持って行ったのだ。
 俺はさーっと背筋が凍るような感覚に包まれながら、恐る恐る壁の時計を見る。裁判はもう始まっている。もう、どうすることもできない。
(しょうがねえなあ。ところで、あっちの筒は何が入ってるんだ……?)
 打つ手は無いと開き直った俺は、今度は由美ちゃんが持って行こうとしていた黒い筒の中身が気になった。中を開けてみると、くるくると巻かれた紙が入っている。それを広げると――達筆な文字で大きく『勝訴』と書かれていた。
(由美ちゃん、裁判員ってこれを持って出て来る人だと思っていたのか……?)
 どうせ恥をかくなら『勝訴』よりも花束の方がまだマシだと思いながら、由美ちゃんが提案する「特別な関係」について、考え直した方がいいんじゃないかと真剣に悩む俺であった。



即興三語小説 第58回投稿作品
▲お題:「裁判の向こう側」「雲のむこう」「九十八円」
▲縛り:「主人公が何か大切なものを失くしている」「(小道具として)花を出す」「弁護士事務所の描写を入れる(任意)」
▲任意お題:「逢魔ヶ刻」「虚ろな目」「灯明」「彷徨」「天地神明に誓って」

遙、十七歳2010年06月12日 23時59分18秒

「あ~、テトラポット登って~」
 潮の香りに誘われて海が見える場所に出ると、綺麗な歌声が聞こえてきた。
「てっぺん先睨んで、宇宙に靴飛ばそう~」
 消波ブロックの上で、一人の少女が歌を歌っている。歳は十七、八くらいだろうか。この歌は、確か――最近流行っているaikoの『ボーイフレンド』だったような気がする。
 青い海と白いワンピース。澄んだ秋の大気ならではの目の覚めるような青と白のコントラストに、俺は目を奪われる。すると少女が歌を止め、静かにこちらを振り向いた。
 目が合った瞬間、胸がキュンと締め付けられる。それが、俺と遙との出会いだった。

 一目ぼれ、というのだろうか。
 不思議なのは、少女の方も俺のことを見初めたような様子であったことだ。
 まるで、道端の石ころの中からキラキラと光る宝石を見つけたような――そんな瞳で少女は俺を見つめてきた。
「私の名前は遙。あなたを待っていた」
 遙と名乗るその少女とは初対面のはずだったが、どこか懐かしい既視感に囚われる。
「君は俺の事を知っているのか……?」
 それは同時に俺自身への問いでもあった。俺は君の事を知っているのか?
「ええ、ずっと昔から」
 彼女の言葉を信じるなら、二人は子供の時に会ったことがあるのだろう。俺はそれを忘れてしまっているのだ。
「あなたは今年で十七歳。私と同じ歳になった」
 遙は俺の歳を言い当てる。しかも確信を持って。きっと幼馴染だったに違いない。俺が生まれた昭和二十二年は、戦後のゴタゴタで日本がまだ落ち着いていなかった時代。子供にとって色々なことがありすぎて、彼女との出会いを覚えていられる余裕がなかったのだろう。

 十七歳同士の俺と遙は、すぐに意気投合した。そして俺は遙をデートに誘う。
 行先は――子供っぽいとは思いながら『ガメラランド』を選んだ。そこは、俺が生まれた年に公開された特撮映画『大怪獣ガメラ』に因んだテーマパーク。カメの甲羅を思わせる巨大なドームが特徴的で、『巨大カメランド』と揶揄されることが多いが、最近完成したデートスポットとしてなぜかカップルに人気があった。
 その理由は、ガメラランドに入るとすぐに分かった。甲羅状のドームは昼でも薄暗く、カップルがいちゃつくにはちょうど良い雰囲気なのだ。俺も他のカップルにならい、アトラクションを待つ間、遙の手をそっと握る。
「あなたの手、昔と変わらない……」
 驚く様子もなく、指を絡めてくる遙。まるで俺の手の感触を確かめるかのように、何度も指を行き来させている。俺は温かくなる胸の奥の感触を逃さないように、ぎゅっと遙の手を握り返した。
 二人乗りのボート型アトラクションに乗ると、俺は勇気を出して遙の肩を抱いた。すると遙も俺に体を預けてくる。華奢で柔らかい遙の肩の感触。俺は彼女を抱きしめたい気持ちで一杯になった。
 夕食までアトラクションを楽しんだ後、ドームを出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
 ドンドンドン!
 突然、花火の轟音が響き渡る。見上げると、花火を用いて動物、鳥、昆虫たちが夜空に描かれていた。
「綺麗ね、夜の蝶も……」
 夜空を見上げる遙の瞳にも、花火がキラキラと写っている。俺はそっと彼女を抱き寄せ、静かに唇を重ねた。

 恋に落ちた十七歳の俺と遙が、さらに親密な関係となるのは時間の問題だった。
 終戦翌年の日本は、どこもかしこも衣食住が乏しい状態。両親のいない独り身の俺は、川辺のバラックで生活していた。
「豚小屋みたい」
 初めて俺の家を見た遙はそう言った。
「雨が凌げるだけまだマシさ。稼いで稼いで、そのうち豪邸に住んでやるんだ。お前と一緒にな」
 俺が拳に力を入れると、遙は穏やかな笑顔を見せてくれた。
 夜になると、家の中を照らすのはロウソク一本だけ。ほのかな灯りの中で露になる遙の柔肌は、この世のものとは思えないほど美しかった。俺は、バラックが軋みを上げるのも構わず、遙を愛し続けた。

『aikoさんの紅白歌合戦への初出場が決まりました』
 病院の待合室でテレビのニュースていると、診察室から遙が戻ってきた。
「お待たせ。おめでただって」
「そうか、良かった」
 十七歳の俺と遙の間に子供ができた。十八歳で俺は父親になる。
「きっと男の子よ」
 自信たっぷりに遙は言う。俺も男の子がほしいと思っていた。
「わかるのか?」
「ええ」
「コイツは俺達と違って二十一世紀生まれだな」
 俺が遙のお腹をさすると、遙も幸せそうに目を細める。
「そうね、私達は生まれた世紀が違っちゃうのね」
 二十世紀の最後の年は、あと一ヶ月を残すだけになった。

 四月から始まった朝の連続テレビ小説『おしん』が人気になるにつれて、遙のお腹は順調に大きくなっていった。
 そして八月。俺の誕生日と同じ日に、遙は元気な赤ちゃんを生んだ。
 遙の予言どおり、俺にそっくりの男の子だった。

「十一月に『大怪獣ガメラ』という特撮映画が上映されるらしいよ」
 生まれて二ヶ月になる息子を抱きながら、俺は街に貼られたポスターを指差す。この子には、この巨大カメのように猛々しく丈夫に育ってほしい。しかし遙は悲しい顔でポスターを見つめていた。
「映画が上映される頃には私は居ないから……」
 俺には遙が何を言っているのか分からなかった。乳飲み子を残して居なくなる母親がいるだろうか。
 しかし十月の終わりになると、遙は本当に居なくなってしまった。



「ねえ、パパ。ママはどこにいるの?」
 遙が失踪してからちょうど十一年。二十九歳になった俺は、十一歳の息子を連れて今日も遙を探している。
「必ずパパがママを見つけてみせるよ」
 息子にそう言い聞かせながら、俺は遙が失踪する直前に打ち明けてくれた話を思い出していた。

「ありがとう。この一年間、とても楽しかった。あなたには本当に感謝している」
「『楽しかった』ってどういうことだ? お前は何処かに行ってしまうのか、この子を置いて」
「とても悲しいことだけど。そうね、そうなってしまうわね」
「だったら行くなよ」
「ダメ。私は行かなくてはならない。だって私は、もうあなたしか愛せないんだから……」
 遙が何を言っているのか分からなかった。理解するまで俺は一歩も引かないつもりだった。観念した遙は、ゆっくりと真相を話し始めた。
「驚かないで聞いて。実はね、私は決して年をとらない不死身の人間なの」
 信じられなかった。遙は永遠に十七歳の月日を過ごしていると言うのだ。
「死ねないって辛いのよ。人を好きになっても、その人は先に老いて死んでいく。いつも残されるのは私だけ。最初はそれに耐えられなかった。でも人間って因果なものね。いくら悲しい想いをしても、時が経つとまた違う人を好きになってしまう。そんな繰り返しの中で、私はあなたの祖先と出会い、情熱的な恋に落ちた」
 永遠の命がほしいという話はよく聞くが、実際に手に入れるとそんな苦難があるとは思わなかった。いくら情熱的な恋をしてもそれは一時的なもので、命が永遠だろうが限りあるものだろうが関係ない。
「もうこの人しか愛したくないし、愛せない。直感的にそう悟った私は、ある計画を実行することにした。その人の子供を生んだ後、十七年間姿を消したの。そして私は、十七歳に戻ったあの人を見つけた。運命に導かれるように、二人はまた情熱的な恋に落ちたの」
 違う。違うよ、遙。その人は十七歳に戻ったんじゃない。息子がただ大きくなっただけだ。
「その最初の人はどうしたんだ? お前のことをずっと探したんじゃないのか?」
「さあね。父親には会わないようにしてたから知らないわ。だって年老いた男の人には興味無いもの。でもね、これを何回か繰り返しているうちに、『父親は三十歳くらいで死んだ』と聞くようになったわ。きっと近親交配を繰り返しているうちに、短命になってしまったのね」
 まるで魔女だ。俺の父も三十歳で亡くなった。母さんにまた会いたいと俺に言い残して死んでいった。しかし、不思議と遙を憎む気持ちは湧いてこなかった。
「あなたのお父さんは一九八三年に生まれた。これは『おしん』の年、懐かしいわ。お祖父さんは一九六五年に生まれた。これは『ガメラ』の年。曽祖父は一九四七年で終戦の二年後よ。その前は――もう忘れたわ」
 そうだ、この人は俺の母であり、祖母であり、曽祖母なのだ。初めて会った時に概視感を感じたのは、ごく当たり前の事だった。
「もう行くのか?」
「ええ。あなたとはもうお別れね。楽しかったわ」
「この先もこれを続けるのか?」
「そのつもりよ」
 遙が俺の持つ遺伝子を永遠に愛するために、俺はその輪の一部になる。
 そこで俺はふと、あることを思い出した。
「たとえ世界が終わるとしてもか?」
「えっ!?」
 予期していなかったという表情を見せる遙。いくら遙が永遠の魔女だとしても、世界の終わりには敵いっこない。
「もし世界の終わりが来るとしたら、その時俺はあの場所で待っている」
「――わかったわ」
 ためらいがちにそう言い残すと、遙は俺と息子を置いて姿を消してしまった。

「あっ、海だ! 海だよ、パパ」
 息子の声で俺は我に返る。
 来年で俺は三十歳になる。俺の父は三十歳で死んだ。遙の話によると、他の祖先も三十歳くらいまでしか生きられなかったようだ。だから俺には時間がない。
 でも今日は特別だ。二○一二年十二月――マヤのカレンダーの最後の日。だから俺は、息子と一緒にあの時の海に向かって歩いている。道が丘にさしかかると、その先に青く光る海と漣が見えて来た。
「おっ、海が見えてきたな。もしかしたらあそこにママがいるかもしれないよ」
「えっ、ホント?」  息子は海に向かって駆け出して行く。すると、波音に混じって懐かしい歌声が聞こえてきた。
「あ~、テトラポット登って~」
 あの声は! 俺の歩みも自然と駆け足になっていく。知らぬ間に涙も溢れてきた。
「てっぺん先睨んで、宇宙に靴飛ばそう~」
 海に出ると、波消ブロックの上にあの時と変わらない十七歳の少女が立っていた。



即興三語小説 題59回投稿作品
▲お題:「テトラポット」「十七歳」「軋みを上げる」
▲縛り:「物語の時系列を錯綜させる」
「心情の直接描写を避ける(任意)」(※『悲しんだ』『楽しげに』のように書かずに、『目を伏せた』『足取りも軽やかに』のように表現する)
▲任意お題:「漣」「道端の石ころ」「巨大カメラ」「ほのか」「夜の蝶」

月光神社2010年06月21日 02時06分41秒

「ここで会ったが百年目! 覚悟なさい!」
 キーンという強い耳鳴りが回復してくると、目の前に巫女姿の女性が立っていた。すごい形相で僕のことを睨んでいる。
「も、萌……?」
 僕は恐る恐る恋人の名を呼んでみる。耳鳴りが起きる前まで萌と一緒に居たはずなのに、目の前には全くの別人が立っている。萌は柔らかな頬っぺたがキュートな癒し系なのに、僕を睨むその女性は細い眉に引き締まった顎の和風美人だった。
「お前は私のことを忘れたのか?」
「君は萌? 萌じゃないのか?」
「なんということだ……」
 僕がその女性を認識できないでいると、彼女は落胆の表情を浮かべた。
「折角、月日を越えて再びお前に会えたというのに、私のことを忘れているとは……」
 気落ちしながらも月光を浴びて凛とした姿勢のまま僕を睨み続けるその姿に、萌とは違った魅力を感じていた。
 いったいどうしてこんなことになってしまったのだろう?
 満月は周囲を明るく照らしている。見渡すとここは神社の境内のようだ。目の前には小ぢんまりとした社殿とそれを囲む木々。振り返ると手すりの向こうに街の灯が見えるので、ここは高台に位置しているようだ。
 この神社は――そうだ、月光神社だ。耳鳴りが回復するにつれて、僕はだんだんと状況を思い出してきた……

 僕は恋人の萌と一緒に、月光神社の夏祭りに来ていた。藍色の浴衣をまとい髪をまとめて来た萌は、いつもより色っぽく見えた。出店で金魚すくいや綿菓子を楽しんだ後、二人きりになろうと奥社まで登ってきたのだ。
「萌、この神社に祭られているのはどんな神様だか知ってる?」
「やだぁ、洋介。そうやって私のこと、怖がらせようとしてるんでしょ」
「ははははは、それもあるんだけどね。面白いんだよ、ここの神様。月光を浴びると変身する力を持っているんだって」
「じゃあ、ご利益があったら困るじゃない。月を見ると、私達も尻尾が生えてきちゃったりして」
「そんなこと言ってると、本当に尻尾が生えてきちゃうぞ。だって今日は満月なんだから」
 そう言いながら僕は空を見上げる。満月は東の空に上りかけていた。 「尻尾じゃなくて猫耳だったら生えてきてもいいわよ」
 萌がニャオーンと猫の泣きまねをする。そんな彼女はとても可愛らしい。
 僕はリアル猫耳を付けた萌の姿を思い浮かべながら奥社に向かう。そんなやましい気持ちのまま、社殿に手を合わせたのがいけなかったのだろうか。「猫耳」と呟きながら目を閉じた僕は、突然キーンという耳鳴りに襲われた。隣では萌も頭を抱えていたから、同様に耳鳴りに襲われていたのだろう。奥社から出てきたなにかが僕の頭の中に強引に入り込んできたような感覚。萌の手からぽとりと金魚を入れたビニール袋が落ちた……

 そうだ、あの金魚はどうなった? 
 僕が慌てて足元を見ると、金魚がビニール袋のまま地面に落ちていた。どうやら金魚は無事のようだ。月明かりに青い尾ビレがゆらゆらと揺れている。
「お前は私のことよりも、金魚の方が大事なのか?」
 巫女姿の女性がさらに怒りを露にする。
「僕は君のことを知らないんだけど……。君は誰? 萌じゃないんだろ?」
「なっ! お前は私達の千年の絆を忘れたのか!?」
「絆だか怨念だか知らないけど、君と会うのは初めてなんだけど」
「そこまで言うなら仕方が無い。強硬手段をとらせてもらうぞ」
 そう言って、巫女姿の女性が頭の上で大きな円を描くように手を振る。すると僕は、一切の身動きが出来なくなった。
「な、何をする……」
「だから言っているだろ。千年の契りを交わすのじゃ、今ここで」
 女性は僕の目を見ながら、ゆっくりと近づいて来る。
 ゴクリ――僕が唾を飲み込み音が響いたんじゃないかと思うほど辺りは静まり返っている。
 鼻同士がくっつくんじゃないかと思える距離まで近寄ってきた女性は、いきなり僕に口付けをした。彼女の口から僕の口の中に、何か得体の知れない液体が流れ込む。僕は思わずその液体を飲み込んでしまった。すると胸から胃にかけて焼けるような感覚が僕を熱くする。どうやら、何か強い蒸留酒のようなものらしい。
 どこにこんな酒を隠していたのだろう? そんなことを思う間もなく僕は急激な睡魔に襲われ、意識を失った。

 僕が目を覚ましたのは神社の境内だった。苔の生えた柔らかな土の上に、浴衣姿の萌も横たわっている。起き上がると夜が明けようとしているのがわかった。月はすっかり姿を消しているが、街の灯はまだ点っている。夜明け前の空はどこまでも青く、宇宙まで突き抜けるようだ。
 えっ、夜明け前? 携帯で時間を確認すると午前四時だった。あわわわわわ、やっちまった。これじゃ、萌と朝帰りだ。彼女の両親になんて説明すればいいのだろう。
 でも、やましいことは何もやっていないし、ちゃんと両親に説明すればわかってくれるはずだ……
『千年の契りを交わすのじゃ、今ここで』
 その時、昨夜の巫女姿の女性の言葉が脳裏に蘇る。昨夜はいったい何が起こったのだろう? あの女性は誰なんだろう? あの後、僕はあの女性と契りを交わしたのだろうか? 契りを交わしたということは、僕は萌とやましいことをしてしまったのか?
「ふわわわわ、お早う、洋介」
 頭の中がはてなマークで一杯になった頃、萌が目を覚ました。
「あれ? 何で私、こんなところで寝てるのかな」
「萌、昨夜の事、何か覚えているか?」
「えっ、昨夜って?」
「ほら、そこの奥社に二人で手を合わせただろ。その後、キーンって耳鳴りがしなかったか?」
「あー、そんなことがあったような気もするわ」
 どこまでもお気楽モードな萌。普段はそこが可愛いんだけど、こんな時には頼りなく思ってしまう。
「そんなことがあったかも、じゃなくて、ちゃんと思い出してくれよ」
「別にそんなことどうでもいいじゃない。そうだ、それよりも私の金魚は!?」
 あんな不思議な体験をしたのに金魚の方が大事なのかよ、と思いながら僕も金魚を探す。金魚はビニール袋のまま、昨夜と同じ場所に落ちていた。街の向こうから顔を出した朝陽が当たり、ゆらゆらと揺れる金魚の尾ビレが赤く光っている。
 萌は浴衣の土を払いながら起き上がり、金魚のビニール袋を拾った。
「良かった~。金魚ちゃんが無事で。洋介、行きましょ。気にしなくていいわよ、友達の家に泊まったって親には言うから」
 そうか、そういう手があったか。僕は少し安心した。そのせいか、昨夜の不思議な体験よりも、今日の予定の方が気になりだした。萌の言う通り、すぐに帰って仕度をしなくてはならない。今日も仕事が僕達を待っている。昨夜の出来事はとりあえず忘れて、後でゆっくり考えることにした。

 一ヵ月後。僕は萌を再びデートに誘った。
『千年の契りを交わすのじゃ、今ここで』
 あの日から、巫女姿の女性のことが気になってしょうがない。ゆるい性格の萌が、あの凛とした女性に本当に変身したのだろうか? その真偽は今夜判明するはずだ。なぜなら今夜は満月の夜なのだから。
「ねえねえ聞いて、洋介。あの時の金魚に赤ちゃんが生まれたのよ。しかも二匹も! 母親に似て二匹とも真っ赤なの」
 食事をしながら、目を輝かせて金魚について熱く語る萌。そんな彼女の姿はやっぱり可愛い、と思いつつ、またあの巫女姿の女性にも睨まれてみたいと望む僕は異常なのだろうか。
 食事を終えてレストランを出ると、東の空に満月が浮かんでいた。それを見たとたん――キーンという耳鳴りに僕は再び襲われる。隣では萌も頭を抱えているから、同じ現象が起きているのだろう。やはり僕達はあの夜、月光を浴びて変身する能力を身に付けたのだ。耳鳴りが治まってくると、僕は期待を込めて萌の方を見た――そこには、青い金魚が一匹、地面でバタバタしていた。
 僕は慌てて金魚を手ですくい、何か入れ物を借りようとレストランに飛び込む。
 これはどういうことだ? 萌が青い金魚に変身した? ということは、巫女姿の女性の正体は何なんだ? えっ、金魚すくいの赤い金魚? すると最近生まれたという金魚の赤ちゃんというのは……?
 レストランで借りたボールの中を元気良く泳ぎ回る青い金魚を見ながら、僕の頭の中でもいろいろな考えがグルグルと回っていた。



即興三語小説 第60回投稿作品
▲お題:「絆」「酒」「どこまでも青」
▲縛り:「擬音語を使用する(最低ひとつ)」「緊迫感のあるシーンを描く(任意)」
▲任意お題:「月光」「尻尾」「あわわわわわ」「ここで会ったが百年目!」「凛とした」

夜道でカシャッ!2010年06月21日 20時23分58秒

 カシャッ!

 駅から自宅への夜道を急ぐ理子は、変な音を耳にして足を止めた。耳を澄ませると、街灯に群がる虫の羽音がパタパタと住宅街に響いている。
 何の音? シャッター音のような気がしたけど……
 理子の額にじっと汗が浮かぶ。蒸し暑い梅雨は、理子の一番嫌いな季節。早くマンションに帰って、冷房の効いた部屋でビールを楽しみたい。まとわりつくスカートと高いヒールに辟易していた理子は、新たな邪魔者に眉をひそめた。
 盗撮されてる……?
 理子は辺りを見回しながら後ずさりする。すると、住宅の紫陽花の生垣が背中に当たった。そして、その時――

 カシャッ!

 えっ、また? これってやっぱり盗撮!?
 恐くなった理子は、生垣に背中を預けたまま携帯電話を取り出し、友人の美和に電話する。お願い、早く出て!
「もしもし、美和?」
「理子か。どうした、情けない声出しちゃって」
 美和の明るい声が、ぽっと理子の心を照らす。
「今、家に帰る途中なんだけど、盗撮されてるみたいなの」
「盗撮? 近くに誰かいるの?」
「誰もいないわ。住宅街に一人よ。でも、きっとどこかから撮られているわ。シャッター音が確かにしたのよ」
 すると、美和は少し考えてから理子に質問した。
「もしかして理子、黒い服着てない?」
「よくわかるね。黒のワンピだけど」
「だったらきっとそれ、赤外線カメラだよ。ジメジメしてるから、ブラとか透けちゃってんじゃないの?」
 日中で赤外線カメラを使うと、黒い服が透けて中の下着が写る場合があるという。そんな美和の説明に、理子は背筋が寒くなった。
「隙を見てダッシュで逃げるのよ」
「無理だよ、今日のサンダル、ヒール高くって」
「バカね、そんなの脱いじゃえばいいでしょ」
 確かに美和の言う通りだ。理子は電話を切ると、サンダルを脱ごうとして一歩踏み出した。しかし、その時――

 カシャリ!

 もういい加減にして!
 素足になった理子は、サンダルを手にして脱兎のごとく走り出した。次の角を曲がると自宅のマンションが見えてくる。あと百メートル。理子は素早くマンション入口のロックを解除すると、エレベータホールに駆け込んだ。ここまで来れば誰も追って来れないはず。ほっとした理子は、再びサンダルを履こうとした。すると、サンダルから手に何かヌメリとした異様な感触が伝わってきて――

 キャーァァァッ!

 理子は驚いてサンダルから手を離す。
 転がり落ちたサンダルを恐る恐る見ると、五センチくらいの大きなカタツムリが三匹、ヒールに串刺になっていた。そして壊れた殻からぬうっと顔を出し、悲しそうに理子を見つめていた。




ばか言わシアターコンテスト投稿作品
(こころのダンス文章塾 第18回お題「夏(恐怖)」投稿作品『崩壊』の書き直し)

応援はブルセラで?2010年06月23日 22時14分34秒

「かんぱーい!」
「日本の勝利を祈って!」
「……乾杯」
 三人の独身OLの真ん中で、ビールジョッキがガチっと音をたてる。サッカー大好き三人組の七海、真岐乃、紺乃は、明日から参加する南アフリカへの弾丸ツアーの前哨戦として居酒屋に集っていた。
「デンマーク戦、勝てるかな?」
「勝つっきゃねーだろ、私達が応援に行くんだからよっ!」
「……負けない」
 ツアーで観る試合は、二○一○年ワールドカップE組最終戦の日本対デンマークだ。この試合に勝つか引き分けると、日本のグループリーグ突破が決定する。
「ねえ、マキちゃん。スタジアムにはどんな格好で行く?」
「決まってんだろ、ジャパンブルーのユニフォームよ」
「えっ、マキちゃんあれ買ったの? 高かったでしょ」
「南アフリカまで行くんだから、それくらいは揃えなきゃダメでしょ。そういう七海はどうすんのよ?」
「私は、ただの青いウインドブレーカーで。紺乃は?」
「……紺色」
「ゴメン、聞いた私がバカだった」
 三人の中で一番小柄な紺乃は、いつも無口だ。しかしいざ試合が始まると、まるで別人のように金切り声を張り上げて応援を始めるから人間って不思議だと七海は思う。
「ねえねえ、マキちゃん。今回はどんなフェイスペイントする?」
「もちろん日本の国旗でしょ。そんでもって、お情けでデンマーク国旗も。あれ? デンマークの国旗ってどんな模様だったっけ?」
「赤、白、青じゃなかったっけ?」
「えー、七海、何言ってんの。それってフランスじゃん」
「わかんないよ~、私そういうのって苦手なの。紺乃は知ってる?」
「……赤地に白十字」
 あー、そっか、そうだったかもと、七海と真岐乃は顔を合わせる。
「って、どっちも赤白じゃん。つまんないよ」
「じゃあ、どうするの? マキちゃん」
「デンマークの国旗の代わりに、南アフリカの国旗ってのはどう? あれって確か、いろんな色があったじゃない?」
「テレビで『レインボーフラッグ』って言ってたような気がするわ。すると七色?」
「何? 私に聞いてんの? わかるわけないじゃん」
 真岐乃が唇を尖らすと、紺乃がまたぼそりと呟いた。
「……緑の横Y字に白と黄の縁取りでバックは青赤黒」
 口で言われても、どんな旗だかイメージできない七海と真岐乃であったが、いろんな色があることは分かった。
「ねえねえ、マキちゃん。フェイスペイントに加えて、ちょっと可愛い格好もしてみない? そうね――猫耳とか?」
「七海~、それマジで言ってる? 私達、もう二十五過ぎてんのよ。でも意外といいかも。にゃんにゃんってか?」
「それに、あの流行のブーブーって鳴ってるやつも買おうよ」
「えー、あれはパス。うるさくってさ、頭が痛くなってくるんだよね、試合中にあれが鳴ってると。猫耳だったら付けてもいいけどさ。にゃんにゃん……」
 そう言いながら、真岐乃は七海にじゃれてくる。すでに酔いが回ってきたようだ。
「ちょ、ちょっとやめてよ~。そうだ、あれって何て言うんだっけ?」
 七海は猫化した真岐乃を振り払うと、紺乃に楽器の名前を聞いた。
「……ブブゼラ」
「にゃ、にゃにー!?? ブルセラぁ!?」
「何言ってんの、マキちゃん。ブブゼラだってば。もう酔ってんの?」
「よし、決めた。七海! 日本女子は日本人らしくブルセラで対抗だ!」
「マジで? 上がセーラー服で下がブルマなんて超恥ずかしいよ。それにそんなの持ってないし、私の名前のアクセントだって『名波』になってるし……」
「大丈夫、大丈夫。ブラジルを応援する女子なんて、布っきれがほんのこれっぽっちしか無いじゃない」
「いや、相手はブラジルじゃないし。それに現地は冬だし」
「……スクール水着」
「突然何てこと言うのよ、紺乃。そんな姿がテレビに映ったら二度と近所を歩けないわよ。私、小市民なんだから」
「いいねえ、いいねえ、テレビ放映。全世界中継! きっと世界中の人々はみんな私達に釘付けよ。スク水は世界を救うってか?」
「マキちゃんもバカなこと言わないで。紺乃、本当に着てきちゃうわよ。紺色のものには目が無いんだから。それにそんな格好して、日本が負けたらどうすんの? べっこべこに凹むわよ」
「げっ、それは考えてなかったわ」
「……負けない」
「そうよ、七海。日本が負けるなんて、あんたは言っちゃあいけねぇことをほざいたわね。勝つと信じているからブルセラで応援ができるんでぃ! わかったか?」
「あー、わかったわよ。じゃあ、マキちゃんがブルセラで、紺乃がスク水で、私が猫耳ね。もうやけくそだわ。ちょうど綺麗にまとまったところで最後に乾杯してお開きにしましょ。かんぱーい!」
「乾杯! 日本のグループリーグ突破に願いを込めて!!」



即興三語小説 題61回投稿作品
▲お題:「願い」「べっこべこ」「唇」
▲縛り:「流行りのものについて何か語る」「色の描写を入れる」「キャラクター性の描写に力を入れる」
▲任意お題:「ビールジョッキ」「スク水は世界を救う」「にゃ、にゃにー!!?」「小市民」