五回の代償2008年06月09日 21時23分58秒

「五回?」
雄介は授業中ずっと考えていた。
京香が数学の教科書に書いていた回数を。
俺って五回も居眠りしてたっけ?

一つ前の時間は数学だった。
サイン、コサイン、タンジェント…
三角比の呪文が心の中にも梅雨の曇天をもたらす。
飛行船に乗ればふわふわとあの雲の上に行けるのに。
そんな本日二回目のフライトは、管制官の声で突然中止になった。
立たされながらチラリと京香を見ると、正の字を完成させている。

「おい、京香達のグループ、今度は何の賭けしてる?」
ホームルームが終わると後の席の留美に訊ねる。中学校からの腐れ縁だ。
「知らないわよ、そんなこと」
留美アンテナには、まだ何も捉えられていないようだ。
一ヶ月前、俺の居眠り回数の賭けを教えてくれたのも留美だった。
「京香のやつ、数学の教科書に正って書いてたんだぜ。まだ二回だったのに」
「正の字で計算してたんじゃないの?」
「優等生がそんなことするかよ。真面目に答えろよ」
「そんなに気になるなら自分で聞けばいいじゃない」
「ゴメン謝る。なあ、頼みがあるんだけど…」
「なによ」
「数学の時間、俺が何を五回やってるか見ててほしいんだ」
嫌がる留美をアイスを驕ることでなんとか説き伏せた。

一週間後の調査結果。
「そうね、居眠りが平均二回、肩のフケが三個、鉛筆で耳かっぽじるのが四回」
「お前、何見てんだよ」
「細かく調査しろって言ったの、あんたじゃない」
ふて腐れる留美を横目に考える。
やはり居眠りではなかったんだ。では五回とは?
「一つだけ…」
「えっ?」
「一つだけあった…、五回」
「本当か、それは?」
「あんたが京香を見てた回数」
留美は目をそらして京香の机の方を向く。
主の居ない放課後の窓際の席は、キラキラと梅雨間の夕日を反射させていた。
俺が京香を見た回数だって?
そんなこと京香が数えているはずないじゃないか。
だってそうなら目が合うだろ。
「なあ…」
振り返るといつも微笑んでくれた留美の姿は、もうなかった。


文章塾という踊り場♪ 第25回「数字の『5』、あるいは[go]という音にまつわるもの」投稿作品

クラクションは僕の歌2008年06月18日 01時43分07秒

 チクショー!

 心の中で叫びながら、夕暮れの坂道を自転車で駆け下りる。涙も本当に出てきやがった。忘れ物を取りに、部室になんか戻らなければよかったんだ。そうすれば、あんなところを見ずに済んだのに…

 部活が終わったのはちょうど三十分前。別れ際、明日の県大会がんばろうねと微笑むマリコに、ドキドキしたのが十八分前。そして、部室の中で待ち合わせをするM先輩とマリコを、窓越しに見てしまったのが二分前だった。
「先輩にとっては、高校最後の県大会だから…」
 部室から漏れ聞こえるマリコの甘い声に、忘れ物なんてどうでもいいと自転車に飛び乗った。

「あんな笑顔を僕には見せてくれなかった…」
 涙を拭うと、辺りはすっかり暗くなっていた。悔しくて、悔しくて、そんなことはどうでもよかったのだ。仕方なく僕は、前輪にあるライトのスイッチに足を延ばす。その時だ、体がふわっと浮き上がったのは。

 ガッシャーン

 い、いったい何が起きたんだ!?右肩がすごく痛い。どうやら肩からアスファルトに叩きつけられたようだ。はるか前方には、自転車が無残に転がっている。その前輪を見ると、えっ?上履が…。そうか、ライトを付けようとした時に、足先につっかけていた上履がはさまったのか。坂道を疾走中に前輪が急にロックされたものだから、僕は自転車ごと一回転してしまったんだ。
 本当にバカだよ、靴を忘れるなんて。帰り際のマリコの言葉に有頂天になるから、上履で帰っちまうんだよ。部室では二人に見せつけられるし、挙句の果てがこのザマだ…

「バカヤロー、轢き殺すぞ!」
 僕を避けて行く車から怒号が浴びせられる。なんて惨めなんだ。でも、何なんだろう、今の僕にとってはなんだか応援歌のように聞こえてくる。負けるな、立て、立つんだ!と。
「マリコ達がやって来る前に…」
 そう呟きながら僕は立ち上がり、自転車に向かって歩き出す。右足に伝わるアスファルトの冷たさが、僕の視界をにじませた。


文章塾という踊り場♪ 第26回「六月あるいはJuneにまつわるもの」投稿作品